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ウキが生まれて、翌年の春におやっさんから雛人形を贈ってもらった。さすがに七段飾りは丁重にお断りしお内裏様とお雛様の三段飾りでお願いし。その年はちゃんと飾りまして、後は……。後……。翌年……?いやーもう記憶にない過去の話でして。で、家をリフォームしたんですよ。それもまた何年前ですかね……。それがなにかっていうと、そのタイミングで要らないものを一気大放出したわけです。その時に粗大ごみ系は何でも出していいよと言われひな壇はでかいし捨てるか、となり飾りはとっといて屏風とか壇はさようならしたのでした。そして何事も起こらず時は過ぎ昨年の秋。何年ぶりかに再会した幼馴染のKと他愛のない話をするうち彼女の顔つきが変わった。なんじゃなんじゃ。「もるちゃんさあ、信じるか信じないかは任せるけどね〜」頼まれてもいないのに話し出すK。通常営業である。彼女の家はかつて商売をしていて多種多様な人々が出入りしていた。店に来る常連さんを集めてのディズニーツアーやら温泉ツアーやら結構縁深く付き合っていたのである。だから店をたたんだ後もその頃の常連さんが家に遊びに来るのはまぁ当然の流れだろう。その中で霊感のある常連さんが久しぶりにやってきたという。「しばらくして、その人が『ねぇ、やっぱり気になるから言ってもいい?』って言うんだわね。で、何?って言ったら『どうしてもあっちの方に変な”気”がする』つって」家の奥だから行ってもいいかと断った上でどんどんと入っていく。Kもその後を付いて行く。その人が立ち止まったのはある部屋の中のタンスの前。「この上。何かあるよね?」そう言って指差した先には古びた段ボール。Kは続けた。「ビックリしたてー。その中には私も忘れとったけどお雛様、入っとったんだわ」その人の言によれば、人形というものは「見て欲しい」ものだという。見て、愛でてほしいものだと。それなのに箱にしまわれたまま何年も何年も出すことも愛でられもせずにいたため大変に拗ねて怒ってちょっとやばい感じになっていたとのこと。彼女には子どもがいたけども男子だったのもありお雛様は何十年単位で出していなかったという。で、急いで神社で家内安全の御札を戴いてきて供えてしばらく飾り、これからは年一で出そうと心に決めたと。いう話を聞いて戦慄したわけです。うちにもおるやーーーーーん!!!!!!しかも、おやっさんが処分するっていうから忍びなく引き取ってきた実家のお二人も!!引き取って以来出してもないやーーーーーーんんんん!!!!!!!!!「いきなり出したらいかんらしいよ!」というKの言葉に従い、家内安全の御札を二組4枚買い求め、まず実家の御仁の箱に供える。そしてニューカマー(いやもう20年近く前だが)のお二人がいるであろう段ボールにも御供。一ヶ月ほどして謝罪しながら人形を取り出し、飾るべくまずニューカマーの箱から……。あれ?あれ??いくつかある箱の中からは橘と桃の木とか、牛車とかぼんぼりとかは出てくる。しかし人形らしき姿はない。待って待って。本体は?!本体はどこ?!?!?!? Nothing…呆然としつつも、とりあえず実家からのお二方を取り出し飾る。あれぇ…どこいったの……。どうしちゃったの。どうなってるのどうなってるのーこの島はー(にこにこぷ○)そしてはたと気づいたのである。あの粗大ごみ一掃セールの日々を。お雛様さん、ひいては、おやっさん…ごめんなさい。折角ステキな節句飾りを、ごめんなさい。私は何の躊躇いも疑問もなくひな壇と共にメインキャストを捨ててしまいました。奉った実家から来たお二人のお顔が気持ち、同情するような憐れんだような表情に思えたのはやはり私の気のせいでしょうか。これを目にした皆様、まだ間に合います。お家にいらっしゃるお二方(三人官女以降は出しても出さなくても大丈夫らしい)どうか一日でも出して愛でてあげてくださいな。
2022/02/26
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些か早い気もしますが、ウキが家を出ました。新居はワタクシの実家からほど近いところ。ケッタで10分程度かな。おやっさんが生きていたらどんなに喜んでくれたことか。でも現実にはおやっさんはもういないわけで。だけどきっと見守ってくれていると思うんですよ。引っ越しはハイエースを借りて自力で。積み下ろしの間はこっちもあっちもお天気は保ってマジでおやっさんとおかんのパワーじゃなと思いました。ガスだけが通らないままだったけど、電気も水道も来てるからほぼ問題なし。荷物の設置やらあれやこれやをしてだんなさまと私は帰宅。娘のいない我が家。ガランとした娘の部屋。いつもと同じなのに、いつもどおりじゃない我が家。引っ越し作業の合間、新居から買い出しに行く時に、少し照れたウキが「これ」と渡してくれた赤いハートのシールが付いた手紙の中では「自慢のお母さん」と私を呼んでくれていた。ありがとうね。ほんとに、それだけでも相当嬉しい。私は、申し訳ないことに母を自慢と感じたことがなかったんだ。彼女は偉大な母だと思うし、唯一無二の存在だと思う。間違いない。けど友人に誇らしく紹介できるひとではなかった。でもウキは私のことを友人にそうやって紹介してくれていて、その上羨ましがられてもいたなんて涙しかないじゃない。できた人間じゃない。良い母でもない。自覚はある。クソみたいな失敗も酔っ払いの醜態もいっぱい見せちゃってきた。それでもただ、子どもが幸せになって欲しい・生きていてよかったと思って生きて欲しいとそれだけだったと思う。嬉しい時に一緒に喜んで、悲しい時に一緒に泣いて。そんなんで良かったんかな。良かったんだな。きっとな。生きていく場所は選べるようで選べない。その時、その状況でやっていくしかなくて。でもそこでたくさんのものを得て花を咲かせることができたならそれは素晴らしいことだからね。ウキ、あなたの人生の新しい日々がまた美しく豊かなものでありますように。その毎日がどうか守られますように。
2022/02/20
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えー、今年はほんと色んな事が予定に立っていてですね春まででこっぷの卒業&就職に伴う引っ越しウキの卒業&進学に伴う引越しおやっさんの一回忌と通常なら一つがでっかいボンバーみたいなのが3発来るわけです。でもね子育てに関しましてはここに至るまでになかなか長い月日がかかってるわけでして。そして長い月日の最初の頃なんてマジでもうキッツい日々だったわけで。言語での意思疎通のできない3歳位までってーのはもうね正直ネコ以下なんではないかと。むしろネコちゃんはね、オムツなんかしてませんし最低限自分で下の始末するじゃねえのと。でもお世話する人される人ですよ。ゆうてこちらは誠心誠意尽くして。なのに夜になると絶叫し始めるのは何だろう。前世の記憶が蘇るんでしょうか。呪われし左手(いやもう目でも鼻の穴でもなんでもいいです)が疼いて過去生の過ちを償おうと悶えるんでしょうか。そんで何の罪もない、ただお前を産んじゃっただけの母たる私を苦しめるとか やめてもらっていいですか(本気の眼差し)でもね、振り返ってみれば3/18年で。つまりは1/6ですわ。約分したら。その(今だから言えるけど)僅かな日々、だけど極悪非道な日々を乗り越えてきた私すごい!(自画自賛)で大きくなって。まぁ結局子どもってね、親元を去るんですよね。あんなに手にかけて大事にして面倒見ていつも考えてきた、あの子がね。遠く離れた土地で一人で頑張っていくのを手出しできずに見守るしかできないんですよ、親は。あたしゃあ二回目ですよ。それがね、慣れないんだよなぁ。寂しくて心配で。だけど勢いよく送り出してやらんといかん。 あんたがおらんくなってもこっちは何にも変わらないからねなんて風に。ね。あー!これって二十何年前のおやっさんと私みたい、と今気付きました。変わらないわけがない。寂しくならないわけがない。大丈夫なわけがない。でも、親はそうやって子どもを見送るんだなあ、と。いつだって会える会おうと思えば会える確かにそうなんだけど、これから「年に何度会える」んだろうね。親元を離れて生活すること。それが悪いことではない・むしろ子どもの人生にはいいことだろう。寂しいのは主に親であろう。ならば親が割り切ればいいだけのことではないか。そして実際そうやってきたわけだけど。ふとした拍子に20年前の今を思い出すことがある。こっぷとはまだ言葉で思いを伝え合えなくてウキはまだ存在すらなかった頃。未来に何があるのか予想もつかなかった日常のこと。今、あの時夢想していた場所に私は立っている。ちびっこ達がいっちょまえの大人になって手が離れて。一人で住む場所を決めて就職も決まり、生活を続けていこうとしているこっぷ。誰にも頼れないとしても一人で生活をすることに決めたウキ。夜泣きしまくり理不尽に怒りまくっていた幼子は18年経って未来に期待を膨らませ自分で荷物をまとめて家を出る支度をしている。ここがゴールではないのは重々承知。スタートと呼ぶべきなのかも少し躊躇う。日々は滔々と流れ幸も不幸も逗まることなく過ぎ去ってまた長い月日が流れて私は振り返るんだろうな。その「未来」に立った時に。
2022/02/06
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