まんがよみ日記

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2004年10月29日
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カテゴリ: 批評
 女優EにDMをもらって西荻窪へ。

 この劇場、剥き出しの柱とまっすぐなスペースが舞台美術家のスピリッツをかなりくすぐるとみた。前後もさることながら高低差のあるツクリ。明かりのあてかたで張り巡らされた緩衝材がさまざまな表情をみせるデザイン。ゼニがとれる。単独なら。

 さて、物語。舞台は戦後の金閣。価値観の崩壊の中で吃音の禅僧が己をみいだせず火を放つまでを同郷の女郎との恋情をからめて描く。

 軸になる役者。こなれた着物。京言葉。ラテン音楽にあわせたかっこいい濡れ場。読経にあわせたモッブシーン。身投げシーンの衝撃。とんがった音響。と、見せ場は局面ではあるのだがこちらのツボを押すまでにいたらず。理由を考える。

 自分が桟敷で鑑賞したのをさしひいても、空間が拡散している。舞台美術と役者との相性があんまりよくない。「あっちからの移動ですかたいへんだねえ」とみてしまう。こういう観ているときの視点の動きを考えてほしい。角度含めて。どこをみればいいのか。

 それから主人公の吃音。吃音なのは設定ではあるが時代に対する著者への思いだったのではないのか。このへんパンフで挨拶もないので脚本がどう解釈しているかわからないが、あれでは最後の裁判どおりドモリだから火をつけたということになってはしまわないか。ときにはリアリズムもいらないだろう。みんなにいわれるだけでこのひとはドモリなんだなあと客は解釈するものだ。強調するべきはドモリではなくて破戒してまで守ろうとする蒼さだ。と私なら考える。主人公が善かどうかはともかく客のシンパシーは必要だろう。話の案内人なんだから。

 結局、火をつけるまでの(死にいたるまでの)道筋が細いのだ。主人公に対してとりまく要因。という主と従の関係がどうも曖昧で、たかまっていく緊迫感として成立していない。あれでは動きと舞台の位置からいって女主人と水揚げした男だけが目立ってしまう。

 なにもかも全部出させるのではなくてときには演出が誰かに犠牲を強いる部分が必要なのではないだろうか。真中がないと話に力はうまれない。

 芸事に民主主義はいらない。必要なのは専制君主である。 女優E前回の活動





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最終更新日  2004年10月30日 13時59分01秒


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