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我が家の居間の壁には、父の写真がある。父が元気な頃、陸上の審判をしていた。区民運動会の審判に行ったときの写真だろうか?有名俳優さんと話している父の姿が写っている。少し照れたような笑い顔をしている。この日、帰って来て父は、その俳優さんがとても気さくで優しく、とても礼儀正しい人だったと話していたことを覚えている。その俳優さんも、今はもういない。居間に座って、ふと考え事をしていると、なぜか目は写真に向く。父なら、なんて言うだろうか?どうしろと言うだろうか?我ながら、かなり重症なファザコンだと思う。卒業しないうちに、父は逝ってしまったし、もう、このままでいいや!・・・とこの頃は開き直っている。
2008.02.29
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先日、面会に行った時に、胃ろう手術の同意書にサインをした。・・・仕方ない・・・そんな気持ちでの同意。その日の食事を見て、手術が必要なのか?と思った。小さく刻んだおうどんと、刻んだおかずを食べている。しかし、量が食べられない。性格的に我儘で、嫌なものは嫌という感じで、もう食べないと言い出したら絶対に口を開けない。騙し騙し、半分食べさせる。これじゃあ、体力維持するのは難しいかも・・・今なら手術も受けられるだろう。今のうちに受け、栄養を確実に摂れるようにしておけば、発作も少なくなるかもしれない。そんな素人考えで、納得をして帰ってきた。
2008.02.27
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母は今、入院している。その前は施設のお世話になっていた。ネット上で、施設に家族を預けているもの側から見た、介護や看護、家族として出来ること、やるべきこと等の意見交換の場を持とうとした。社会の厳しさなのか、冷たさなのか、かなり酷い言葉で痛めつけられ、誤解され、落ち込みが激しくなったことと、これ以上、介護職の方々への不信感を持つことに、恐怖さえ覚えて、閉鎖した。どんな職業でも、どんな職場でも、色々な苦労があり、問題があり、それでも仕事だと思い、これで食べているのだと自覚し、頑張るものだろう。入居者(ほとんど認知症の人でも)の訳の判らない話に腹が立つ、何度も呼ぶ、排泄物が臭くて汚い・・・そうだと思う。家族は多かれ少なかれ、経験済みであるから、その苦労が判り、だからこそ施設の職員の方々には感謝している。何度も何度も感謝していると皆が言っても、親を捨てたんだ、諦めろ、老衰って言葉を知ってるか・・・あんまりじゃないかと思う。腹も立った。大泣きしたこともある。色々悩み、考え、そしてたどり着いた答え。私には無理だった。出来なかった。だからお願いした。他の人がどうであっても、私には無理で、出来なかったのだと、はっきり言おう。私にも出来ることを考えよう。少しでも、簡単なことでも、私に出来ることを探していこう。
2008.02.22
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ネットで知り合った方が、今も苦しんでいる。7~8年前にお父様を末期癌で亡くされ、その当時からお母様の認知症が進みだしていた。その当時を振り返って、自分がああしていたら・・・と後悔で苦しんでいる。胸が潰されそうだ。私自身が時に、その後悔で苦しんでいる。父の胃癌が見つかったのは、吐血し、救急車で運ばれた病院でだった。余命3ヶ月。同じ家に住んでいて、なぜ癌に気づかなかったのか・・・なぜ嫌がるモルヒネを打って、意識を混濁させてしまったのか・・・母を付き添わせなかったのか・・・父に告知すべきだったのではないか・・・(余命1年と偽った)しかし、後悔に潰されてはいけない。先に進まなくては、父に申し訳ない。いつの日か、私も逝くだろう。その時、父に再会したとき、褒めてもらいたい。よく頑張ったなと。だから、私は今を頑張って生きようと思う。母のことも、自分のことも、頑張って生きようと思う。
2008.02.19
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主治医の話を聞いてきた。やはり胃ろうにしないと栄養補給が不足してしまうから、このままでは退院出来ない。尿路感染もしているので、それは治療中。投薬で治るので、心配いらない。胃ろうにするしかないようだ。あるところで、口から摂取出来ないのならば、それは延命であって、無理に生かすことになる・・そんなことを書いている人がいた。本人の意思を尊重すべきだと。認知症が進んでいて、意思の確認が取れない場合は、元気な頃の会話などから考えるべきだと書いてあった。確かに、本人の意思を尊重すべきだろう。しかし、家族として栄養不足で衰弱していくと言われて、このままで結構ですと言うのは難しい。幸い(?)母は、生に対する執着が強い方だと思うので、胃ろうにすることに反対はしないだろう。姉も親戚たちも、私に任せるという。何かあれば、文句は言うのだろうが・・・・・胃ろうの手術を受けさせようと決心した。入院中の病院では出来ないため、他の病院に転院になる。まず検査の為に受診。その後、転院し、手術。手術経過良好ならば、また今の病院に転院。そして、経過をみて退院となる。早くても3月末か?仕事もあり、日程の調整が大変になりそうだ。
2008.02.18
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明日、母の主治医で会う。病状の説明をするのでと、電話があった。明日は仕事に出る予定にしていたが、そんなことも言っていられない。もしかしたら退院の話かも知れない。いや、期待はしないほうが良いだろう。違うことだと、落胆してしまう。ここ最近の母を見てると、退院しても大丈夫だと思うのは、素人考えだろうか?ホームに戻ることになるが、空きがあるかどうか・・・ホームは古く、設備もあまりよくない。正直、新しい綺麗なところに申し込もうかと考えたこともあった。しかし、今は同じホームに戻ることがいいように思う。母の記憶の戻りに良い影響を与えてくれる気がする。母が思い出せなくても、職員の方々は覚えてくれているし、母の気性も理解してくれている。また、同じところで記憶が戻るのを待ちたいと、考えている。娘に戻りたいよ、お母さん。私は妹じゃないよ。
2008.02.15
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また、哀しいニュース。90歳の夫が87歳の妻を殺害。二人暮らしで、妻は寝たきり。3年間の介護していたそうだ。やり切れない気持ちだ。自分がそうならないと思う人は、幸せだ。私は思えない。実際に母親に刃物を向けたことがある。死んで欲しいと思ったこともある。どんなに親孝行だと、世間に言われても、私は大きな重い十字架を背負っている。一度、母を手に掛けて殺したも同然だから。介護は想像を絶していた。どうか、周りに介護している方がいたら、ゆっくり眠る時間をあげてください。ゆっくりお風呂に入る時間を作ってあげてください。美味しい、温かい食事を一緒に食べてあげてください。励ましの言葉は掛けず、ただ一緒にいてあげてください。それだけで、きっと明日を生き抜く力になります。亡くなった方のご冥福をお祈りしたいと思います。
2008.02.13
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以前、手の汚れが気になり、洗面器にお湯をはり、石鹸で洗っていると書いた。ベッドに横になったままで、洗面器に手を入れるのは、なかなか難しい。自分で腕を曲げられなければ、本人も痛いだろう。きっと以前から、やってくださっていたのだと思うが、この前偶然にも手を洗っている時にぶつかった。ビニールの袋に清拭液を入れ、その中に手を入れ、ビニールの外側から指の間などに液が行渡るようにしていた。その後、タオルで拭いて終了。なるほど・・・!と感じた。ビニール袋なら口をしっかり押さえていれば、液も漏れない。素材的にも痛くない。しかし難点もあると思った。洗ってもらっていて、あの臭いなのか・・・?!ならば、あまり落ちていないのでは?と疑問にも感じる。手洗い用の石鹸で、今は泡で出てくるものや、乳液状のものがある。ああいうものを始めに手につけ、軽く伸ばしてから、お湯を入れたビニール袋で洗うのはどうだろうか?なんどか繰り返せば、かなり綺麗になるのではないかと思う。が、繰り返すことで嫌がられても困るし、難しいとこだなあ。
2008.02.05
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食事時に面会に行った。エレベーター前の食堂で、こちらに顔を向けていた。手を振ると、うなずく。「来てくれたの~待ってたんだあ」と言う。担当の看護師さんが来て、少しお話をした。「元気が出て来て、ご飯も3食食べてますよ。」こんなに回復するとは思ってなかったというと、「私たちもなんです」と驚かれていた。色々よくして頂いたからとお礼を言うと、「いえいえ」と照れ笑いをされていた。母は最初のうちは、自分でドンドン食べるが、だんだんと遅くなる。時々、スプーンをもらい、口に運んで食べさせた。また自分で食べさせようと思い、手にスプーンを持たせたら、スプーンですくって私に食べさせようとする。「私はいいから、自分で食べて」と笑うと、傍にいた看護師さんも笑っていた。なんだか、赤ちゃんみたいだなあと思っていた。真似して、それで覚えていく子供のように、少しづつ記憶が戻ってくるのかもしれない。
2008.02.04
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