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部屋は空っぽなほど光が満ちる。人心も無念無想であれば自然と真理が見えてくる。たとえば路傍に巨木がある。曲がりくねって材木としては役に立たない。ところがその故にこそ大きく育ち道行く旅人に日陰を与えてくれる。まるでぽっかりあいたスケジュール表の余白のような時間。空っぽだからこそ自由に満たされた時間。一見役立たずな巨木の木陰のやすらぎ。何もないこと。無為であること。一見無駄に見えるようなものこそ実は有益である。豊かな存在。そうありたい。*2007年のわたしが定めた自らの点。虚室生白。自分のテーマです。―虚室生白― (きょしつしょうはく)がらんとした部屋には、日光が射し込んで、自然に明るくなる。人間も心を空にして何ものにもとらわれずにいれば、おのずと真理、真相がわかってくるという思想。喧騒の中、たくさんの人ごみに揉まれ生きていた頃、老子の世界に吸い込まれるように入ってゆきました。その後はタオイストのような心情になりたくてとても静かな世界を求めています。オンラインの世界でも、いろんな人との出会いがあり、良くも悪くもあらゆる刺激をいただき今に至るわけですが、共通して実感するのは、ごちゃごちゃした世界、群がることがどうも苦手であるということです。そういうものを求めていたころもあったのですが、シンプルに生き始めると、あらゆることが無と化してゆきます。すると、とても静かな気持ちになれるのです。求めない自分になれる。*無為なるがゆえに動いてしかも寂、為さざるところなしだから、寂でしかも動く。寂でしかも動くから、物よく一成ることなしと言う事になり、また動いてしかも寂だから、ものよう二成ることなしである。鈴木大拙氏の無心。禅の思想―これも自らのベクトルの先に佇むもの、そのものです。「無意味の意味に生きる」今だからこそ自分を見失ってはいけない。初心忘るべからず。
February 2, 2012
2012年に地球が完全にフォトンベルトを通過するという「フォトンベルト通過説」があります。太陽系はアルシオーネを中心に約26,000年周期で銀河を回っており、その際11,000年毎に2,000年かけてフォトンベルトを通過するとされ、地球が次に完全突入するのは2012年12月23日で、その時には強力なフォトン(光子)によって、人類の遺伝子構造が変化し人類が進化するとも言われています。 数年前から2012年なんてまだ先の話だと思っていたのですが、ついにその年がやってきたわけです。これも学者間では賛否両論のようですが、銀河系の変化は我々地球人にも少なからず何らかの影響を及ぼすのではないかと肌身に感じます。軽視はしていませんが、わたしには何もできません。せめて電気がなくても生活できるくらいの自給自足率を高める暮らしがしたいと思うくらいで。 マヤ暦が不思議とフォトンベルト突入時期に一致することも気になる事実です。5サイクル目の最後の日が一致してしまうんですから。アステカ文明やインカ文明においても滅亡の日付が一致しているのも気になるところです。アステカが謳う第五の時代は、火山の大爆発、食糧危機、大地震によって終わると記されているらしいですし。 地球がフォトンベルトに突入したら、人類は一時かなり大変な時期を過ごさなくてはならないとまで言われています。地球の熱源である太陽の光が遮断されるため、地上は猛烈な寒さに襲われるらしいんです。暗黒の3日間です。恐らく電気も使えなくなるので灯油をまとめ買いしておこうと企んでいます。お金があれば家を改造して地下を造り、そこにひとつきほど冬眠できるくらいの確保をしたいとも考えているのですが、それは難しいでしょう。 わたしは地球のアセンションだと考えています。環境破壊など、人間本位社会の歪みが吹き出し地球さんの病状も悪化してきたので、自然治癒しているのではないかと。地球さんの浄化現象と人類の産みの苦しみ現象…* 宇宙規模の仮説を案じる傍ら、かなり素朴な新年の抱負を墨で描きました。思いは、書けば実現します。意識するから。それが常となれば、意識は無意識化します。
January 1, 2012
もうこれしかないと決めていたまなむすめへのクリスマスプレゼント二種類の木のおもちゃに娘の名前の由来と生年月日を名入れ一見普通のおもちゃに命が吹き込まれた 届いてすぐ開封するとブナの木の匂いが漂った娘は最初しげしげと眺め横にしたり裏返したり、舌で舐めまわしては手でかざしてまたじーっと見たりおすわりの姿勢ではもう転がしたり音を鳴らしたりしている娘の笑顔を見る幸せを存分に味わいながら作り手に感謝 木のおもちゃにはプラスチック玩具では成り得ないぬくもりがある
December 21, 2011
抱きしめなさい子を育児書を閉じ子育てセミナーを欠席し抱きしめなさい子を誰にも遠慮せずあなたの子をしっかりと抱きしめなさい抱きしめなさい子を母の膝が子供の愁いのすべてを除くその時代(トキ)にいつか母の膝は子の悲しみに近づけない日がやって来るやがて母の手が子の涙を拭いてやれない日が訪れるきっと来る その日子が涙を拭う手に柔らかな記憶の手が重なるように痛む子の心が温かな思い出の膝に包まれるように母よ抱きしめなさい子をもう何もしてやれない日のために抱きしめる手が子の未来に届くよう幾度も 幾度も抱きしめなさい母たちよやがて別れる者としてあなたの子をしっかり胸に抱きなさい 「抱きなさい 子を」 浜文子*生後5ヵ月になりました。すくすくと育っています。いまこの瞬間にすべてを―
October 9, 2011
人はみな、一寸の狂いなく、全く同じ条件で、確実に、死に向かって生きている。でも、それを意識することはおそらくあまりないだろう。何か特別なきっかけがない限りは。生まれる喜び、死ぬ、哀しみ。この、当然ともいえる生きるものの掟を、いま、胸を締めつけられる想いで感慨に耽る。無 性 に。*今朝方、母からの一本の電話。声が、震えている。何やら様子がおかしい。「おばあちゃんが亡くなったの・・」遠くに住む、祖母の訃報である。孤独死だった。祖父は数年前に他界したため、ひとり暮らしで。血のつながりのない身内が時折のぞいてくれる約束になっていたのだが、死亡推定時刻は、既に数日前。だからって、他人のせいにするわけではないのだが、、無念で、ならない。飛行機でいかなければならない、遠いところ。もしもいま、幼いわが子がいなければ、飛んでいったに違いない。最後に、おばあちゃんの顔を見て、お別れしたかった。ありがとうって言いたかった。だって、わたしがここに生きているのも、母を生んでくれた祖母のおかげだから。*祖母と過ごした過去の記憶が、頭の中をぐるぐる回り始める。止まらぬ涙をぬぐい、ひたすら手を合わせる。わたしが娘を想うのと同じように、祖母は母を想い、育てたはず。おっぱいをあげて、おしめを換えて、わが子の笑顔にほほえみ、成長を願った。母も同じように、わたしを育て、わたしも同じように、娘に愛を注いでいる。やがて娘も大きくなって、わたしがしたように、こどもにしてあげるのだろう。そのときわたしは当然のことながら、おばあちゃんになる。みな、順繰り順繰りだ。だからこそ、忘れてはいけないんだ、つながるものへの、感謝の想いを。人の生死について考えると、何のために生きるのか、なんてこと、論 外 。生きてる今が、どれだけすごいのか。普通に家族がいることが、どれだけありがたいことか。ひとり苦しんで逝ってしまった祖母のことをひたすら想う。*あらためて、生活という日常を、一生というひとつの括りで考えてみる。そこには、シゴトも名誉も世間体も、いらない。欲しいのは、家族をどれだけ大事にしているかっていう、自分の魂そのものだ。
September 19, 2011
きょうでこの世に生を受けて4 ヶ 月 。いくつになっても、この子を授かった感謝の念を失うことなく生きてゆきたい。1ヵ月半から始めた「おむつなし育児」。ウンチはオマルにするようになり、おむつを汚すことが殆どなくなった。ウンチを我慢できるようになったあかし。新生児期に一度は挫折した「布おむつ」。こちらも完全に復活させ、おしりかぶれ知らずの快適生活。洗濯の量とそれに費やす時間が少し増える程度。大切な素肌が化学繊維に包まれ、廃棄物を増やしCO2を排出し、止めどなく続くおむつ代を考えると、紙おむつがあまりよいものとは思えなくて。幸い母乳の出もよく、引き続き完母。娘もよく飲んでくれ、大きめちゃんに育ってくれた。粉ミルクを買ったり作ったりする手間を考えると、ほんとうに、ありがたいことだ。*体重 7705g身長 62.0cm頭囲 42.0cm胸囲 44.0cmちょうど4ヶ月健診があった。何の心配もなく、元気に育ってくれている。首もすわり、もうすぐ寝返りしそうだ。表情も豊かになり、声をあげて笑う。わたしは、この 一瞬の笑顔に、なにものにも代えようのない幸福を感じるのである。込み上げてくる、母親としての想い。どうしょうもないくらいに愛おしくてコトバにならない。
September 9, 2011
3ヵ月になったまなむすめのうつぶせの状態で頭を上げる練習今日は長いあいだ上げていられた本人もちょっぴり驚いていた昨日できなかったことが今日はできていたりほほえみの表現が大胆になってたり日々、何かが進化している猛スピードで加速し続ける0歳期瞬間瞬間を大事にしなくては
August 12, 2011
出産の2日後、はじめてシャワーを浴びた。これまで自分の裸を鏡で見るときは、とても大きなおなかをしていたのに、この日のわたしのおなかには、それがない。あらためて、わが子が自分の中から巣立っていったことを実感する瞬間でもあった。そして、ただ一つの言葉を幾度となく繰り返した。「子宮さん、ありがとう」わが子を作り、守りぬき、育ててくれ、自らを傷つけることで命を生み出してくれた子 宮 。シャワーを浴びながら、何度も何度も自分のおなかをなでて子宮に感謝した。感涙にむせぶという次元を越え、爆発的な感情の営みが波打ち、強烈に込み上げてくるものを抑えることができず、息が嗄れるまで泣いた。こんな気持ちは、生まれて初めてだった。*出産直後、カンガルーケアをした。さっきまでおなかの中で生きてきた愛しいわが子が、今、目の前にいる。本当に信じられないくらいに感動した。わたしの病院は母子同室だったため、産後すぐに母乳育児が始まった。最初は出なくても吸ってもらうことで自然と出るようになるため、体はヘトヘトだったが、娘が求めるままにおっぱいをあげた。おかげで翌日から少しずつ、母乳が出始めた。入院中、何度か子宮収縮の度合を診てもらった。おっぱいの下まで大きくなった子宮は、胎児を生み出した後、少しずつ元の大きさに戻っていく。下腹部を触って、硬いものを手で感じる。日に日にそれが、小さくなっていく。子宮というものの存在価値に、強烈に感動した。*生まれて初めての出産、わが子の誕生、母性の確立。これまで生きてきた中で、一番濃い一週間だった。まるで自分の20代の10年間を凝縮したかのような。ここで得たものは計り知れない。感触、感覚、感動、教わったすべてのことに、感 謝 。わたしは一生涯、この日々のことを忘れない。神様、、ほんとうにありがとう。家へ帰ると、家族が嬉しそうな顔をして待っていた。これまで見たこともないような笑顔で。娘は、人を喜ばせてくれる、希望の光だ。わたし自身の生きる希望。
May 14, 2011
2011年5月9日22時13分。今の今まで私のおなかのなかにいたひとつの命が、産声をあげた。分娩台の上―私のおっぱいを探す。見えないのに吸っている。元気に泣いている。動いている。涙が頬をつたう。止まらない。*体重 2958g身長 48.0cm頭囲 32.5cm胸囲 31.0cm分娩時間 21時間24分― 40週3日 ― It's a miracle....*陣痛が始まって、約1時間後に破水し、即入院。入院後は陣痛との闘い。子宮口全開までは、あぐらの姿勢、ソフロロジーの呼吸法で乗り切ったが、その後胎児の頭が見えてからは、呼吸法どころではなくなった。出産が、命がけであることの意味を痛感した瞬間だった。しかし、どれだけ苦しくても、生まれてしまうと、そんなこと、もうどうでもよくなってしまう。かわいくて、愛おしくて、たまらない。わたしの中から生まれた、かけがえのない、ただひとつの命。
May 9, 2011
娘にとってわたしは食物、環境、住処、安全、呼吸する空気 ・・彼女の世界のすべてだった。わたしはどんなに苦しくても喜んでそれを受け容れた。しかしもうすぐ、そのかけがえのない存在という地位を奪われるときが訪れる。*いま、しゃっくりでリハーサルしている成果を本番、肺呼吸で発揮するときがくる。あと10日。もうすぐわが子に会える。抱きしめることができる。それまで、あともう少しわたしのお腹の中で守りたい。だから、思う存分くつろいでいて。陣痛、分娩、出産。痛いだろう。でも、怖くはない。すべては、苦しみを乗り越える娘のため。わたしがたくさん呼吸して、楽にしてあげなくては。ママ、頑張るからね。安心して出ておいで。
April 26, 2011
お風呂につかり大きくなった自分のおなかをやさしくなでるこんなにも静かでやわらかな気持ちになれることをわたしは知らなかった自分の中でいま、懸命に生きていることに感動しない日はないママの中にいてくれてありがとう感涙にむせぶ感謝の想いあなたの存在を感じることこそがマタニティライフの醍醐味わたしの生きてる喜び
April 10, 2011
結局、わたしは敗者だ。どんなにたくさんのコトバを並べてみても、わたしは司法試験に落ちた、脱落組。このことは、事実として書き留めておかなければならない。でも、追いかけていた日々を無駄だったとは思っていない。魂を尖がらせて時間と闘った、目標を持って生きてきた自分があったからこそ、気づけたこと、得られたこと、変われたことがあったから。*わたしは、夢を失うと、生きている気がしない。何かに向かっていないとダメなんだ。夢、イコール、目標。目標、イコール、日々の自分だから。でも、気づいていたことがひとつある。本当に好きなこと、心から欲するもの、込み上げてくる感覚を。それを、ずっと自分の中であたためては、違う空間に置き去りにしていた。今こそ、そのものと向き合う時が訪れたのかも知れない。*そこに在る意識を今、ここに置 く 。心と体がシンクロする。根本にある意識の流れを撮 る 。あらためて自らに問う。それは、好きか?そうしないと、生きていられない。それが、体の一部。そのくらい、心トラワレル感覚は、あるか?*本当にやりたい。心の底からそう思える生涯のシゴト。それをまっとうするために自らを磨くという、本当の意味での目標。究極的な存在。それはとても身近にあって本来の自分が大好きな世界で小さい頃から触れてきた大切なものだった。しかし、限界まで追いかけてきたソノモノこそが自分の生きる道だと信じて、それを実らせるために、引き出そうとする欲望を抑制していたのかも知れない。*息が詰まるような日常から目覚め、静かな暮らしをしていると、体が、勝手に、思い出す。日々の静かな「間」が、置き去りにしていた記憶に彩をつけてくれはじめる。涙がこぼれる。これだったんだと感じる。横に置いてきたソノモノを、目の前に置き直す。われに、返る。わが子のため、人のために生きたいと思った自分が、初めて感じた、希 望 。なるように、生きる。なるように、生きたい。そのものが、生きる道となる。もう、焦らない。がんばりすぎない。でも、あきらめない。そのものが、自分だから。
March 31, 2011
宮城の友人と未だ連絡がつかない。どこかで、生きていてほしい。水がほしいだろう食料がほしいだろう寒いだろう身内が心配だろう救いたい・・あらゆることを考える。募金しても、直接あいつのところに行くわけでもないんだけど、今の私にはそれくらいしかできない。*突然奪った、人の幸せ。生まれたばかりの赤ちゃんも、買ったばかりの車やマイホームも、何もかもが、一瞬にして、無となる、、この現実。それでも人は、生きることを、あきらめてはならない。
March 16, 2011
「助けて、死ぬのか」生と死の瀬戸際で、人は何かを瞬時に取捨選択するのかも知れない。たとえ自らの命を犠牲にしてでも―*布団を干しながら、涙がでた。布団が干せる、自分の家がちゃんとある、この平凡な現実が本当にありがたくて。はだしの女性が、毛布にくるんだ幼いわが子を抱え、泥濘を歩く姿。果たしてこの子は、ちゃんとミルクを飲むためのお湯がもらえるのだろうか。ブラウン管の向こうにいる人々を見ながら、何もデキナイ自分がもどかしい。こんな時は、あらゆるモノも肩書も無関係で、欲しいのは、人の命・・ただそれだけなんだ。つながりのある人すべての人の、「いのち」の確保。
March 12, 2011
2月8日娘の名前を決めた。あれこれ書籍を読んではみたもののコレというものに辿り着けず、一 瞬 、なぜかふっと感じたその感覚に意識を委ねた。するとコレというものが鮮明に浮かびあがってきた。も う 、これしかないと思った。*その後わたしはいやというほど毎日その名を呼び続けている。何をするにも、娘のことしか頭にない。名前を呼んでお腹をなでるとかならず胎動で返事をする。たまらなく愛おしいこの感覚を、心 と 心 で感 じ 合 う 。*あなたとわたしで成れるものすべて他のなににも似ていないかけがえのない日 々 の 胎 話 。
March 1, 2011
完全母乳故の、食事療法。布おむつから、おむつナシ育児へ。ベビーマッサージ。ベビースキンケア。スリング抱っこ。オーガニック製品。エコ洗剤。今までのアタリマエを見直し、わが子をとりまくあらゆる環境を整える。整えはじめると、行動が変わる。習慣が変わる。人格が変わる。空間が変わる。日常が変わる。感じる、世界が変わる。
January 31, 2011
お腹の赤ちゃんは、女の子だった。しかし性別なんてどちらでも構わない。この存在こそが、わたしの宝なのだから。*いま、シュタイナー教育のあり方自然療法的育児を模索している。その心は、あるがままに暮らせる環境づくり。地球に佇む一動物としての生活。ひとはひと。自分は自分。生き方は十人十色。 100日後、わが子に会える。100日後・・お腹に宿る一つの生命が、自らの力で誕生する。この世界で生きるべく、使命を果たすために。
January 26, 2011
自分の命に代えてでも守りたい存在。意識も無意識も、外も内もなく、無条件の、見返りを求めない愛というものを生まれて初めて実感する。たまらなく、愛おしい。無 性 に 。*視界、意識、見解、感覚、行動、生活。確実に、日々わたしは変化している。自分のからだに異なる生命が宿ることで、あらゆる思考が変わっていく。こんなにも幸せな気持ちになろうとは思ってもみなかった。この先は、自分のためではなく、人のために自分に何ができるのか。それが真っ先に浮かび上がる。お腹の赤ちゃん、無力なわたしを支えてくれたひと、自分をとりまく感謝すべきひとたち。ありがとう。
January 14, 2011
*ゼロ クリーニング Zero cleaning余分な自分を捨てていくエゴの土壌である自我意識を否定、消滅他のために自分を出しきる。他に対して自分を低くする。自分はすべてが与えられていると知る。自分の力不足を詫びる。ゼロ バランシング Zero balancing常にニュートラルな安定した自分をつくっていく今の状況に逆の刺激を与えることで、心と体にバランスのとれた状態をつくる。自分に身についた心や体のかたよりを是正する。ゼロ シンクロナイズィング Zero Synchronising自分の殻をやぶり宇宙に同調していくすべての出来事は、宇宙からのメッセージと受けとめ、すべてのことに感謝する。五感を通して、宇宙の存在、いのちの働きを感じる。すべての人々やものは、ひとつの宇宙の根源(ゼロ)につながっていることを瞑想する。*自我意識を捨てる欲望から離れる執着を断つ
January 1, 2011
二兎を追うものは一兎をも得ずこれまでの私は、まさにその象徴だった。一度に多くを望みすぎてしまい、結局なにも得られなかった。あらゆることに焦りを感じて、これでいいのだと思えない日々。精神的にも、身体的にも、詰まっている部分があった。そんなどうしょうもない自分が、たまらなくイヤだった。でも、ある時から、何かが変わりはじめた。*常に意識を、今、ここに置く。目覚めた意識を育むために「間」を、置く。その「空間」において内省し、気づき、その結果が、変化として現れる。密接にシンクロする脳 と 体 、心 と 体 。わたしはいつの間にかその静かな「間」に魅了され、自分の根本にある意識の流れを究極的に思いやるようになった。やさしく、柔らかく。すると今まで目に見えなかった万物とのつながりを感じるようになった。わたしこれでいいんだよって思えてきた。今の私には、ガンバルとか、アキラメナイとか、やるしかないとか、そういう感覚はなくなった。 在るのはとても静かな空間と感謝の念。 目を瞑り静かに自分と向き合えば必ず見えてくるものがあって。それは、今までの歯を食いしばって生きてきた自分ではなかった。*夏の終わり、わたしの中のある有機分子が化学反応を起こした。分子と分子が細胞と細胞が組織と組織が器官と器官が化学物質を使って対話をしはじめた。そして奇跡の日々を懸命に生きて、今、わたしのお腹に新たな生命として成長し続けている。欲しかった、わたしの赤ちゃんが、わたしの中に、在 る 。過去も現実も未来にも、懸命に生きている証があって、それぞれに「今、ここ」があって。それらの点と点は、やはり、一本の線でつながっている。どんなに他の点とつながりたくってもがき続けても、つながらないものもある。つながりには、それなりの順序があるのかも知れない。つながりには、つながるだけの己の姿勢が必要なのかも知れない。わたしはこの尊い命をつないで生きたい。
December 31, 2010
好きだから、楽しい。楽しいから、続いた。続けてたら、今になっていた。苦しみというよりは、楽しいんだ。それは、好きなことをしてきたから。そしたらいつの間にか、88になっていた。この言葉が、頭から離れない。10月末、文化功労者に選ばれた漫画家、水木しげる氏のヒトコト。シゴトって、どんなに儲けがあっても、どんなに世間的に名誉あることをしていても、 結局のところ、自分が好きかどうかってことが、一番大切なのかも知れない。じゃなきゃ、いつか必ず限界がくる。そう感じた。そして改めて考えた。自分が目指すそれは、果たして、好きなのか。自分の仕事、それは、好きか。すべての人が、心から欲する世界を全うして生きられるわけではない。しかし、自分が在る、そこを、心から愛せなければ、やりがいは生まれない。たとえそれが、生活のため、成り行きの結果、そうだったとしても。好きだと思えるかどうかで、生活レベルは180度変わってくる。そうしないと、生きていられない。それが、体の一部。そんなシゴトが、本物なんだと思う。仕事を捨て、名誉も捨て、身を飾ることも捨てて、貫きたかった夢があった。7月の試験後、自分にとっての唯一無二っていったい何だろうって考えていた。でも、そんなことを考えることすらバカバカしくなった。それは、好きか?がむしゃらに追いかけてきた法曹への道は、既にこの時点で、好きかどうかの問題ではなくて、やり遂げなくてはならない自らの責務として君臨していたのだから。*不思議なことに、何かを失えば、何かが変わりゆく。逆に、その何かが欲しいのなら、自分の中の何かを手放さなければ、得られないこともある。夏の終わり光をみる転機がおとずれるそしてすべてが変わりゆく
December 30, 2010
強烈に、感、動かされる事象はタダモノではない。心に突き刺さってはいつまでも抜けないそのものを、ムヤミヤタラに諦めたり、抑制したりしない。感動を、手放さない。*心トラワレル、その感覚こそが、自分そのものだから。何だっていいんだ。そういうものを深く感じたその瞬間こそが、自らの「創」となっていく。
June 30, 2010
変えたいことを意識する意識して行動する無意識にするようになるそれが習慣となるそれが自分となる意識を無意識におとす小さなことも続けることで大差となるそれは何故なのかと自らに問う問うて考えてみる毎朝それを繰り返す一見普通の日常が変化し始める
April 14, 2010
求めない―するとそれでも案外生きてゆけると知る求めない―すると改めて人間は求めるものだと知る求めない―するとキョロキョロしていた自分がおかしくなる求めない―するとちょっとはずかしくなるよあんなクダラヌものを求めていたのか、と求めない―すると心が静かになる求めない―すると楽な呼吸になるよ求めない―すると体ばかりか心もゆったりしてくる求めない―すると心が広くなる求めない―するとひとに気がねしなくなる求めない―すると自分の好きなことができるようになる求めない―すると恐怖感が消えてゆく求めない―すると心が澄んでくる求めない―すると悲しみが消えてゆく・ ・ ・ 求めない―すると、何かが変わる。初めて本気の恋をして、大恋愛のすえ、きのう失恋をした友人にメールした。同僚に彼を奪われたそうです。彼も同僚。仕事に行きたくないと泣いていた。これはわたしが何かに躓いたり、何かに甘えてたりしたときに読む本の一節。「求めない」いつも片隅に置いている。今日は、その本を彼女に贈った。わたしもいつか、加島先生のようなタオイストになりたいと常々思っている。しかし悪い欲もあり、純粋無垢にはなれていない。わたしはまだまだの人間だ。
February 22, 2010
朝起きた状態が、その日のデフォルト。そこから自分が今日どちらへ向かって歩き出すのか、しか、日々の選択肢はない。睡眠により整理された脳みそ。朝は深夜の数倍捗る。思考における黄金の時間、朝 。すべてはその如何に左右される。*目標が、その日その日を支配する。ならば、その目標たるビジョンは、自らの欲望であり得るか。何らかの欲望が、その先のビジョンに繋がり、自らを奮い立たせ、夢の実現へと結びつく。故に、付随して浮かび上がる目標そのものが、生活の隙間を埋め尽くす核なるものであって、それがなければ、朝だって起きられないのだと思う。繰り返せば、実体となる。続ければ、本物になる。小さなことを、ずっと、かさねる。
February 13, 2010
平凡なわたしが平凡な暮らしでいつの間にか、非凡になっていく。そうなるまでの試行錯誤。その居場所。自らを成長させてくれる、逆境、不如意、多少の苦労、我慢すべきモノ、コト。それらへの感謝の念を、日々、忘れてはならない。平凡×平凡=非凡。少しの意識と、平凡の積みかさねで、結果、非凡となり得る。*私心に、とらわれず、こだわらず、かたよらず、事実を見て、考え抜いて、前を向いて、結論を出す。そして行動。ありのままの素直な心で。ひとつ歳を重ねた自分へ。
January 30, 2010
五感を研ぎ澄ます。感情を抑えない。いやというほど繰り返す。繰り返しているうちに、一定の域を超えてしまう。すると脳が、これは生きていくために必要な記憶だと、錯覚しはじめる。そうすれば、絶対に忘れない。反 復 。これに尽きる。*余計なことを考えない。余計なことをしない。余計なものを見ない。直感を、逃さない。常に、目標を見る。時計を見る。己の内を見る。
January 25, 2010
すべてを消して外を臨むと雪の音を感じることができる入浴中は灯を消し自らと向き合う目を瞑ると画像処理をしなくなり脳の休息にもつながる何より私の中の蠢くものが見えてくる静寂に佇む内なる虚無肌に感じる温かなもの静、無、温の融 合 。*灯を消すと電気代が節約できるすると環境にもよい1日15分節制すると4日で1時間1カ月で7時間半の節制にそれは当然感じえないけれども目に見えないものだからこそ大切にしたい
January 8, 2010
意識の無意識化個性の尊重物の命を使い切る丁寧に続けるつくる自由に鋭く、柔らかくこの瞬間にすべてを
January 1, 2010
気づかなかったあるとてつもなく尊いものが私の中で蠢いていたなんてこの日私はまるで蟻地獄のような暗闇から脱出することができたそして今目に見えるものと見えないものとの境目を感じる目を瞑り五感を感じて五感を消す消して六感を感じる自分の内も外もオープンにしてありのままの自分を遠くから見つめる払拭するその存在を尊ぶ受け容れるいま自分の中の原始的なものが動き出す
December 28, 2009
なんだかとても具合が悪い自分が創った居場所なのに何かが違うそれは透明な記憶感覚と覚醒突き刺さるもの直感の変化その一瞬日常というマテリアルワールド*個性や創造力は効率優先の電子ツールでは引き出しきれない紙に吸いつくように流れる手書きの文字忘れかけていた感覚時計の針の音静かな心*悪い女をやめたあの日消そうと思った未熟者の日記をでもさこれもすべて自分の軌跡なんだよね悪い女は時々あらわれ過去を振り返り自戒するだから未成熟なわたしにはま だ必要なんだこ こ が 。
November 19, 2009
不確実な日々枯れはてた世界華やかなものを纏わない暮らしあたりまえのものが必要なくなるそれでいいの*感じるのは光の呼吸音の色彩鉛筆の匂い人への感謝私を殺さないものは 私を強くする
November 17, 2009
やさしさは人を癒すやさしさは人を傷つけるやさしさは永遠を誓わない無垢故なのかそれとも熟知している故なのかやさしいねって。でもねほほえみの後ろには隠れてるんだよ見えないものが
October 1, 2009
犬は、自らが経験したことを記憶し、未来に思い出せるのかな?人が、それらを一つの思い出として残せるように。*今日、愛犬シュウとお別れした。今もなお、とてもたまらない気持ちで、コトバにならない。私の記憶が、悲鳴をあげている。人、犬、ともに元気で、また同じ明日が来る…それが一番の幸せだと、痛感する。昨夜は何度もシュウの小屋へ行き、お話をした。そのたびにシュウは、私の顔をペロペロと舐めてくれた。お別れするんだよって言うと、私の肩に手をかけて乗ろうとしてきた。いつもはしないのにね。。。まるで、別れを惜しんでいるかのような。いえ、大丈夫だよって慰めてくれてたのかな。*シュウは半年前の2008年12月17日、この世に生を受けた。彼が生まれたその日から、シュウは私のいのちだった。この広い世界で、あなたに会えたことが奇跡。愛に限界はないと、信じている。*ともに生きた日々を思い出す。散歩の途中のあどけない仕草や、散歩に行く前に はしゃぐ嬉しそうな顔。すべてがシュウと私でしか成り得ないかけがえのない記憶。*だからね、今夜だけでもいいの。私と暮らしてた日々を、昨日のほほえみを、少しだけ思い出してほしい。犬だって記憶したことを思い出せる・・よね?今日だけ、私のぬくもりを思い出して泣いてるよね?いま零れる私の涙は、これからシュウが幸せに暮らせるためのおまじない。愛してるただ、ひたすら。
June 20, 2009
自分のなかにある白くて清いものを意識しつつ黒く汚れたものとともに居るんだと魂が囁く感覚が麻痺するほど突き刺さる事象を拒絶したいと思うくらいに 喧騒の巷極地に立たされていた あの頃の方がむしろ逆に輝いていたのかも知れないと思うことがあるでもそれ自体が客観的に是か非かなんてことどうだっていい人は時の流れに身を任せていまあるべき姿で懸命に生きているのだから*からだの隙間にスゥーッと空気が入ってきて柔らかな気持ちになる瞬間ゆったりと淑やかに止めどなく淀めくこともなくそれでいてある一定のリズムを保ったまま歩き続けるの揺るぎない核なるものを握りしめて*ブログかなり時間が空きましたが、時々覗いてくれていたあなたのこと、気づいていました。どんなに時が流れていても、途切れることなくつながっているという感覚に、感謝します。わたしもあなたが奏でる言ノ葉やフォトに触れさせてもらい、今に至るところでございます。心 か ら 、 あ り が と う 。
June 18, 2009
それは深く、困難で、複雑なもの。現実についてのある見方を棄却し新しい秩序を支持して理論的にも心理的にも重要なことがらすべてに多くの影響を与える。人は安楽や生涯のよりどころとなるものをそう簡単に、或いは突然に捨て去ったりはしない。たとえ誰かが感動的ですべてを変えてしまうようなユーレカを経験したとしても対抗する見解をかたくなに持ち続ける人たちを説得するためには精緻化した議論を考え出し仮説を支持する多くの実証的結果を積み上げていかなければならない。それは社会的な企てとして知的冒険として機能する。そして孤独の中から謙虚に生まれてくる。* ・すべては個の中からSomeday surely ..
January 28, 2009
いま、なんだか 「白」 い。こころが白。でも昨日は群青色だった。久しぶりにパソコンで日記を書いている。最近、オフライン慣れしてきたせいか手元にある紙状のものに、ただひたすら書いていた。思えば、亡くなった祖父母が残してくれたもの。その中で、一番嬉しかったのは土地や財産でもない、二人が毎日欠かさず綴ってきた日記であった。その中には、命がなくなってから初めて知った私たちを想う素直な気持ちや自分を卑下するような反省の気持ちも。まさに家族すら知らない自分だけの世界。空 間 。相 棒 。人 生 。鏡 。そしてそれは私たちの形 見 。*過去の自分の日記なんか捨ててしまいたいと思う。でも、その足掻いてた頃の自分だって自分だったんだし。昨日は泣いてたのに、今日は笑ってる。それが人間っていうものだと思う。人生のすべてが白の人なんていないよね。人はみな、社会の中で自分の役割を演じて役目を果たしている。会社員という自分。経営者という自分。家族の中の、妻とか夫とか娘とか兄貴とかね。社会はドラマである。人生もドラマである。ノンフィクションというひとつの物語。だからせっかくの今を何かに記すことって素敵なことだと思う。書きたいことが山ほどある。その気持ちを書いてたら時間がなくなっちゃう。とかいろいろ書きたいけど。自分のノルマを達成し続けるために。書く場所も自らのペースで。
November 20, 2008
あなたの目にはこの世界がどのようにどんな色で映っているのこれから先どんな色に彩られていくの花 凛 。目がひらくはじめて世界を見た
September 30, 2008
どんなに偉い人でもどんなに多忙な人でも身の回りの整頓や衛生管理ができないと心が乱れたまま過ごすことになる。見えないところにこそやさしい心を置く余裕を持ちたいもの。はきものを揃えると心も揃う。心が揃うとはきものも揃う。ぬぐときに揃えておくと履くときに心が乱れない。外から見れば美しい人でも内をきちんと揃えていないといつかどこかでガタがくる。どのような環境に置かれても自分を取り巻くすべてのものを愛し守りつづける心のゆとりは大切にしたい。セクシーさは内面にある。
September 28, 2008
今、自分が 「 あす確実に死ぬ 」 という極限に立たされた時、人はどういう状態に陥るのだろう。夢や希望はもちろん恋人や家族など大切な人すべてを失うという現実。罪負い死刑になるわけでもなく、ただただ国のために命を捧げる、そんな極限にある命。考えたことがあるだろうか。戦時中の兵士たち、若かりし特攻隊員たちが、どんな思いで米軍機に突っ込んで行ったのかを。*できることなら・・生きたい!と、どんなに強く思っても直面する現実は、国のために死にに行かなくてはならないなんて。愛する人に会 い た い 、触 れ た い 、話 し た い 。それすら叶わない現実。自ら国のために自爆する瞬間。いったいどんな思いで、何 を 願 い 、何 を 叫 び 、死んでいったのか。しかし、どんな時代に生きようとも、たとえ確実に明日死ぬとしても、人間である以上願うのはただ一つ。「 生 き た い 」それだけなんだと思う。*そんな時代に生まれてこなくてよかったと、心のどこかでわたしは思ってしまう。明日は必ずくるものだと思ってしまう。いえ、そんなことすら考えていない。生きている、命があるという価値にすら、気づいていない現実。生きている以上、どんなに些細なことにでも、感ずる心はあって当然。 でも、ヨ ワ イ よ 。コ コ ロ が 。ニ ン ゲ ン が 。私たち現代人は。あの頃の人たちよりも、圧倒的に。私は今、夢を追っている。そのためには甘っちょろい心ではいかん。時には自らを極限に置いてみる、そしてこの命の尊さを重んじる。そんな姿勢も大切だと思う。今、普通に呼吸しているということ。生きているということ。明日という未来があるということ。その、何気ない日常。*極限にある命。その切羽詰った「 いま、生きている 」 という思い。この感覚を、自らに当てはめてみること。他者の他者たるゆえんを寛大に歓迎し、普通の日常に、感謝すること。すべては人の心のなかから生まれる。
September 26, 2008
13の私は、ピアニストになりたかった。16の私は、オリンピック選手になりたかった。18の私は、とりあえずレベルの高い大学へ行きたかった。22の私は、高知名度の会社で安定した生活を求めた。25の私は、男性に負けない仕事をして実績を創りたかった。ピアノを究め、音楽の世界へ進むと信じてきた自分は、12から始めた新体操にのめり込み、全国制覇を志す。そして、オリンピックを夢みた。その夢は大学受験期まで続いたが、先のことを考え方向転換した。理由は簡単。新体操を究めても、60まで出来るはずがないから。学歴=就職=収入=安定=保証という暗黙なる現実を知ったから。人は誰しも、小さな心で計り知れない大きな夢を抱く。何の不安も疑いもなく、ただただ純粋に。例えば、内閣総理大臣になるんだって思った人もいるはず。けれど、人は世の中に自分を置く時間の割合により、自らの可能性を狭めていくのかも知れない。小さい頃に抱いた夢や希望はいつの間にか、すがたかたちを変え、自分を安全圏に置きたがるようになる。いえ、すべての人がそうではない。現実を知ってもなお、立ち向かう、夢を諦めない勇者もいる。しかしそれには条件がある。それは 「 時間 」 。そして 「 極限にある命 」 。前首相ではないけれど、人はおのずと自らを客観的に捉えるようになる、と思う。そこから生まれてしまう惰性や諦めは、影の部分として光の部分をしめつける。そして、自らの可能性を破壊しはじめる。地球の中の日本という国の自分を取り巻く環境の中のちっぽけな自分。夢を語り合った頃の自分がいていろんな世界に触れてきた自分がいてそれらに揉まれながら自らをそこに置いてみる自分がいて歩く歩度を変えながらそれでも挫けない自分がいて昨日の自分がいて。そして今、瞬間瞬間を刻んできた結果的事実その自分がここに在る。そんな現実。すべては時間とともに、すべては極限にある命。なぜ 「極限」 なのか。それはまた明日書きたい。なんかうまく言えないけれど、苦しみを通過しているときほど向き合いたくなる。書きたくなる。無性に。
September 25, 2008
落ち込んだときは思いきり落ち込む泣きたいときには思いきり泣くでもいつまでも悲しまない腹が立ったら自分のなかにその気持ちを素直に受け容れるでもいつまでも腹を立てない楽しいときは思いきり楽しむ嬉しいときは思いきり喜ぶでもいつまでも喜楽を引きずらない笑い転げていない人間自由だけど切り換えも肝要適度に切り換える自他間の必然的な距離を客観的に眺めてみる必要ならば戒め必要ならば許す大きく胸を広げてほほえみを失わないやわらかい気持ちでこころ穏やかにゆっくりと話すつねにどんな環境になろうとも謙虚さを忘れない
September 23, 2008
窓を射す光の角度が変わった。雛の鳴き声がなくなり鳥たちの姿が消えた。と同時に、玄関先に散乱していた糞がなくなった。巣作り後の子育てを終えたんだろう。いまの生活に入る前の、喧騒の日々を送っていた頃のわたしはそんなことにすら気づかなかった。とても大切な自然の営みなのにね。穏やかな気持ちで、ふと思い耽る。でも、喧騒の中には常に緊張感があり生きる張り合いと遣り甲斐があった。方向転換をした、いまの自分を、斜め後ろから見つからないように覗く。そして、そっと問いかける。この1年はいったい、どうだったのか。果たして自分は思いどおり成長したのか。いまの自分は本当にこれでいいのか。これから先の世界は本当に拓けるのか。選択したことに、後悔はないのか。問いかけることイコール、責めている。こんな風に考えること自体いけないことで。そんなの分かっているくせに、それでも不安や焦りはわたしから放れない。ソレデモ、逃げたら負け。*ふつか前、捨てた3つのことの1つ、どうしても放れなかった残りの1つの、「 毒 」 が、抹消された。だから何だって?ワカラナイ。ただ、とても謙虚な気持ちをここに感じる。
September 18, 2008
行き着けの眼科医が保険医登録を抹消された。診療報酬を、より報酬額の高い初回診療にかさ上げ結果、不正請求していたらしい。信じられないけれど本当だった。遺 憾 。三笠フーズの事故米不正転売先に県内の菓子製造加工業者が浮上。メタミドホスが混入していたとのこと。お菓子屋さんも被害者、お気の毒だ。混合率が低いから、健康への影響は殆どないとか―ならば農水省のアナタたち、それらを自分らが摂取して実験してみろ。果たして根本的な 「責任」 の所在はどこに?*消費税を10%に引き上げ、見えない天下りは減らない。ミセカケ総裁選は民意ではないはず。政権たらい回しのどこが、国民のため?自民党のやり方はキタナイよ。福田氏は自民党を愛している。でも、日本国を、国民を、本気で愛していたのか。年金、医療など社会保障の不備、急激な物価高。サブプライム関連の問題、北朝鮮の拉致・核問題、外交・安全保障の難題。国内外ともに争点は山ほどある。小泉改革路線総括の行末はどこに?国内政治が足踏みしている余裕あるの?総裁選とかどーでもいいけどいらないことに税金使わないで、ちゃんと国を動かしてほしい。ヨノナカ何を信用したらいいのか分からなくなってきた。私はもう自民党には何も期待しない。いったいこの先どうなるのか。自分の身は自分で守らなくては。I just don't know what to believe anymore. ...
September 14, 2008
自分を 「悪い女」 と書いているとき、自分のこころの鏡と向き合っている。そんな感覚がある。世の中に、善い人と悪い人がいるんじゃなくて善い人は、自分の中の悪いところを見せていないだけだと思う。逆に100%の人間なんているのかな。自分の中の悪を拒絶すると、影が人格化してしまう。そして、一人歩きする。表に出すか出さないかそれは人其々なんだけど、マイナスな自分も自分の中にあるのだと素直に認めることは大切かな。わたしの場合、ここに書く。すると、楽になる。ただそれだけのこと。
September 10, 2008
なまけるとこころがむなしい一所懸命になると自分の非力がよくわかる 相田みつを ふと見ると、 カレンダーが7月のままだった。 なんとなく同じきもち。 p o o r c o n c e n t r a t i o n .
September 7, 2008
渇望がうずく。向こうで待っている自分を求めて。行き先ははっきりしているくせに、転んだり起き上がるのに時間がかかったり。もしかしたら、こっちの道に逸れた方が自分に合っているのかもとか、自分はノロマな亀だからとか、変に開き直ったり。それでも私は、自分を守らないよ。守っていたら朽ちてしまうから。瞬間瞬間が1回きりの賭けで、賭けた以上、一寸先は虚無。*結局のところ、やっただけ自分のものになって、やらなかったら何にも残らない。ただそれだけのこと。笑いたければ笑えばいい。人がどう思おうが知ったこっちゃない。私は自分のペースで走るだけ。どんなキレイゴト並べたって、基本的にキレイな人間じゃなくって、所詮、「毒」 持ちの人間で、それが踏み台になって爆発している分、キレイな言葉なんか似合わなくて。悪い女は、「毒」 を糧に生きていた方が、自分らしいのかも知れない。結局それがないと爆発しないから。改めてジカク。私には形式的なものは似合わない。自分の今を生きる。それを繰り返す。続ける、積み上げる。ただそれだけのこと。Every medal has two sides.
September 4, 2008
いまとても穏やかな気持ちで路上に佇んでいる花たちは 自らの光で人に ほほえみを虫に 蜜を与えて己の人生を全うした光は躊躇うことなく闇を切り裂き影を創りだすなにかを捨ててなにかを与えるそのたびに人はやさしくなってゆく
September 3, 2008
完結した人の書くコトバにはとても重みがあってそれはそれなりに素晴らしい理にかなってていつも正しくて整っているからねなんかハズレのない感じでも遥か未来を夢みてた少女の頃のなまなましい想いは完結したひとがいくら息を吹き込んでもかなわないくらいに光っているずっしり重たい感情を胸に抱えスケッチブックに強く記された4Bのエンピツの軌 跡たとえ理にかなってなくたってぐちゃぐちゃでハズレばかりでもその 「毒」 が無性に美しかったり愛おしかったりする*スカスカになって風通しの良くなった胸にいくら息を吸いこんでも混ざらない完結してしまうと見えなくなってしまうものがあるような気がする
September 2, 2008
意 味 あ る 偶 然 は 、 人 生 を 切 り 拓 く 。そう実感する出来事があった。*わたしは月曜スタートの、とある講義へ出席していた。そして6日後の土曜、ある女性と会う約束をしていた。(彼女は私が尊敬する大学の先輩で、彼女もその講義に土曜だけ出席する予定だった)月曜日、彼女は普段通り仕事へ行くため、朝電車に乗った。しかし、会社へ行くはずの彼女の足は、田町で下車 ・・メールを見ると 「今日そちらへ行くことにした」 とのこと。そ し て 彼 女 は 、 こ こ に 居 た 。彼女には、ひとつ迷っていたことがあった。その迷いはとても深く、それにより人生が変わるほどの大きな選択。と同時に、実はとても時間がなかった。それが、ここに来たことにより、一気に覆された。そして僅か3日で、彼女の人生は一変することとなったのである。ここに来たという、 「意味ある偶然」 。鋭い何かが、彼女の中でうごめいた。そして、流れに身を任せる感覚が、魂の安らぐ感覚を導いたのである。もう、何もいらない。迷うことなんてない。彼女をそうさせた、自らのコタエがそこにあった。まさに、直観的な意識と行動が、調和するプロセス。*わたしはユングのシンクロニシティを思い出した。何か2つの事象が、 「意味・イメージ」 において 「類似性・近接性」 を備える時、このような2つの事象が、時空間の秩序で規定されているこの世界の中で、従来の因果性では、何の関係も持たない場合でも、随伴して現象・生起する場合、これを、シンクロニシティの作用と見做す。 (Carl Gustav Jung)集合的無意識による個体化された意識のコミュニケーション。*何かに挑戦しようとしている人は、人生という冒険に挑んでいる。今、生きているという冒険である。それは、川に流されまいとして、岩にしがみつくのではなくて、手を離したらどこへ行くのか分からない、その流れに、身を任せる。人間、そういう冒険が必要ではないかと思う。形式的に整ってなくたっていいんだ。早いも遅いもない、ただ自分が求め感じる、揺るぎない直感を、つかみ、離さない。努力するより、夢中になること。彼女の眼は、ギラギラしていた。思い出すと、喉の奥が熱くなる。わたしは彼女の大きな選択を、心から応援したい。直観的な意識と行動。意味ある偶然こそが、人生を切り拓く。彼女から学んだこと。「 カベは、トビラにも成りうる 」
August 27, 2008
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