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ノンアルコール飲料が市場で盛り上がっている、という報道を耳にすることが増えた。確かにビールばかりでなく、ワインやチューハイ、カクテルに至るまで、アルコール各社からたくさんのノンアルコールの新商品が出ていて、テレビコマーシャルも結構流されている。でも本当にそうなんだろうか?ノンアルコール商品というのは、その位置付けがかなり微妙だ。その発端は言わずと知れた「ノンアルコールビール」、これは飲酒運転罰則強化を追い風として、急激に認知度を上げた。ただ本来ビールを飲みたい人が、好んで飲むものではないことは確かだ。要はあくまでも「仕方なく飲む」という範疇を超えないものだ。しかしながら今のビールメーカーなんかの売り込みようを見ていると、ノンアルコール飲料のニーズを無理やり仕立て上げようとしているように見えてならない。確かに今のところ「未開拓」に等しい市場だけに、今ここで覇権を取ることは、我々が思う以上に重要なのだということは、よく分かる。ところで私の店では、ノンアルコール商品といえば今のところ、ノンアルコールビール2種と、ノンアルコール・スパークリングワイン1種だけしか取り扱っていない。これは店頭ではまったくと言っていいほど売れず、主に飲食店向けの販売だ。ただこれとて、そんなに爆発的に売れているかといえば、そんなことはまったくない。一応ほとんどの飲食店には一度は商品を卸してはいるが、なかなか回転していないのが実情だ。ごくたまに、やたらよく売れているというスナックがあったりすると、実はその店の女の子が飲んでるのがほとんどだったりする(笑)。そりゃそうだろう、私だってアルコールを飲めない状況で飲み屋に行っても、ノンアルコールビールを飲むくらいなら、むしろ烏龍茶にする。ノンアルコールビールを飲むことで、かえって「ビールが飲みたい」というフラストレーションを抱えることになるからだ。もっとも味自体もずいぶん向上したとはいえ、とてもビールの代替品になり得るレベルではないからね。要は、巷でそれほど飲まれていないものに対して、無理やりニーズを仕立て上げて売っていこう、というメーカー側の思惑が透けて見えるのだ。でも、本当にそれでいいのか?売れさえすれば何でもいいのか?私としては、アルコールメーカーの矜持というものを大切にして欲しいと思う。一時的な“売れる・売れない”というのはあるかもしれないが、そんな刹那的なことは超越して、「日本のアルコール文化を牽引していくのだ」という矜持を、だ。なにもノンアルコール商品を出すな、ということではない。あくまでも“亜流”の範疇を出ないで欲しい、ということなのだ。もっとも今は各ビールメーカーも、「総合飲料メーカー」なる称号を手にしてしまっているから、こんなこと言ってもムダなのかもしれないが。
2012年08月22日
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私の祖父(もう30年ほど前に他界しているが)は、明治生まれだったので、バリバリの戦中派だった。で、その祖父が生きている時は、毎年8月15日の正午には、家族そろって黙祷を捧げていた。子供だった私は、それがさも当然のこととして受け止めていた。だって甲子園の高校球児だってやってるわけだから。さて話は変わって、私が確か小学校の3~4年生くらいの頃、お盆にたまたま店を休む機会があって、この地方では有数のレジャー施設である「ナガシマスパーランド」のプールに家族(両親と兄)で出掛けた。ただその日は8月15日であった。私は当然の如く、この大レジャー施設でも一斉に黙祷が捧げられるものと思っていた。しかしそれを親に確認することはしなかった。なぜなら、この非日常的な空間に一瞬にして緊張が走るのを、事前に親からの情報として耳に入れたくなかった、という気持ちがあったのだ。私なりの「サプライズ」を期待していたのだと思う。さてそろそろ正午を迎えようという頃、私はプールの水と戯れながら、運命の時を待った。.....................しかし何も変わりは無く、「ナガシマスパーランド」のプールは人々の歓声に包まれたままだった。なんでみんな黙祷しないの!?おじいちゃんに怒られちゃうよ!?そうやって両親に聞いたわけではない。なんだか聞くのも憚られるような気がしたのだ。その時はじめて知った。日本の国民が一人残らず黙祷を捧げているわけではない、ということを。あれからン十年.....。今の私は黙祷を捧げたり、あるいはうっかり忘れていたり。
2012年08月15日
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明らかに収入を得ることを目的としている「プロスポーツ」に比べると、「アマチュアスポーツ」というのは、その位置付けが難しい。スポーツである以上、他の誰よりもいい成績を収めること、勝つためにあらゆる手段を講じることは当然だ。それと同時に、「フェアプレー精神」だとか「スポーツマンシップ」といったものも、無視して通るわけにはいかない。このふたつが両立されれば一番理想的ではあるが、なかなかそうもいかないこともあったりする。だからこそ、どんな競技でもルールというものが明文化され、それが絶対的な規範となっているわけだ。ところが現実には、それだけでは説明のつかないこともあったりする。いろいろとややこしいことを書いたが、最低限のルールに則ってのプレイであれば、勝つために何をしても良いのか、ということが時折り議論の焦点となることについて、そのたびにうんざりさせられるのがたまらなく嫌なのだ。例えば今回のオリンピックでも、バドミントン予選リーグでの「無気力試合」とか、なでしこジャパンの「ドロー狙い」の試合なんかが槍玉に上がっている。確かにバドミントンの場合などは、映像を見る限りではかなりヒドイ。しかしそれは、観客の立場からどうこう言われることはあっても、失格処分にまでするべきことなんだろうか?プロならば、それを観る観客の意に沿わないプレイは、カネを払う価値のないものとして責められるかもしれないが、観客の目よりも、とにかく勝たなきゃいけないというアマチュアの場合まで、同じことは言えない。「フェアプレイ」や「スポーツマンシップ」の観点からどうか、という意見もあるだろう。しかしそれとて、どこでどう線を引けばいいのか、誰にも明確に答えられるはずもない。もともと曖昧なものをあえて規定すること自体、後で物議を醸す火種になるのは必至だ。もっとも当の本人たちも叩かれるくらいの覚悟はしてるだろうから、観客からのブーイングくらいは気にしたところでしょうがない。かつて甲子園で勝つために、星稜・松井の全打席敬遠を指示した明徳義塾の馬渕監督だって、各方面でさんざん叩かれたが、勝つための戦術としては何も後ろめたいものは無いはずだ。ともかくこういったことを無くしたいのなら、ルールで成文化するしかないだろう。あとは運営方法の見直しだ。決勝トーナメントの組み合わせなど、進出チームが出揃ってからくじ引きにでもすれば良い。もっともなでしこのケースのように、ロンドンから8時間の移動を余儀なくされる試合会場なんてのは、それ以前の問題だが。
2012年08月05日
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