アイダ

アイダ

2007.01.01
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カテゴリ: 詩以前のコトバ
音楽も自動車も最終的には、そこに運ばれた行為する身体による快感・快楽が成り立つ。

1・しかし、身体性の共感なしで語り得る倫理を、恐らくまだ持っていない。社会環境として倫理が固まるまで待っていられない。法律の国家権力の身体拘束力・身体強制力は身体性あるコトバ。倫理は社会規定だから社会構成員として発言可能。
2・倫理はコトバで語られざるを得ないのに、身体性を喪失したら倫理が機能しないから。
3・また、倫理は快楽原則に縛られる身体性を否定・抑圧するものであるのに(ごく一部の倫理・道徳等を内面化した者をのぞく)、コトバで身体に語り掛けられないから。

4・また、音楽は一種の富裕階級の教育の一環として(おピアノのお稽古等)、近代教育は知育・徳育とともに体育を必須のものとして扱う。つまり社会的に身体性の回復・向上が組み込まれている。
しかしコトバの身体性の回復・向上については、まだ社会的に組み込まれていないから。
(手書きポップの目論みはココ)

5・絵に描いたバナナに感動できる猿はいない。人は記号に感動できる存在。感動は身体性。コトバは記号。コトバの身体性の希薄化は人間性の希薄化につながる。





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Last updated  2007.01.01 18:57:51
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