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2011.05.05
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カテゴリ: 日本全国バスの旅
皆様、おはようございます。いかがお過ごしでしょうか。
今日は少し、シリアスな話をしたいと思います。

飛水峡から国道を少し行ったところに、 「天心白菊の塔」 という慰霊塔が建っています。



ちょっと時計の針を、1968年(昭和43年)8月17日に戻してみる事にしましょう。

この日、名古屋で発行されていたフリーペーパー 「奥様ジャーナル」 が、名鉄観光サービスと共催で主催した 「海抜3000メートル乗鞍雲上大パーティー」 というツアーが、名古屋を出発しました。ツアー代金が安かった事もあって、予想を超える750名もの申し込みがあり、貸切バスも1社だけではだけではまかないきれず、4社から15台のバスがかき集められた程です。

1号車から16号車 (4号車はゲンを担いで欠番でした) の合計15台のバスはツアー参加者725名、主催者、添乗員、乗務員合わせて総勢773名を乗せ、犬山市の成田名古屋別院に集結します。

(畳平) までは、運転士さんにとっても走り慣れた道でした。

ところが出発すると雨が降り出し、岐阜県に入った頃には土砂降りとなって雨脚は強くなるばかり。岐阜気象台ではこの時大雨警報が出されていました。この時は台風7号が日本海中部を北上していて、岐阜気象台では午前中に大雨・洪水注意報を出していました。その後雨は上がって青空が出たので午後5時に注意報を一旦解除したものの、再び雷雨が発生し、午後8時に雷雨注意報、午後10時に大雨警報が発令されていました。

ツアー一行が休憩地である益田郡金山町 (現・下呂市) にさしかかった所で 「前方に土砂崩れが発生した」 という情報をつかみました。そこでツアーは翌週に延期、という事で名古屋へ引き返すことにしました。言い方を変えれば、再びまた危険地帯に突入したのです。

15台のバスは、今走ってきた国道41号線を名古屋方面に南下していきました。5号車が白川町の飛泉橋にさしかかった時、飛騨川の水位を警戒していた地元消防団員からこの様に言われました。

「この先は落石や溢水で危険です。ここで待機した方がいいですよ。」

しかし団員は既に通過した1~3号車を見過ごしていました。これに対して5~7号車の乗務員は、

「3台が先に行っています。早く帰りたいので。」

とこの警告には従わず、先を急ぎました。その後やってきた8~16号車の9台はこの警告に従い、国鉄高山本線 「白川口」 駅近くに退避し、何も知らずに朝を迎えています。言わばこれが、運命の分かれ道でした。

帰路を急いだ岡崎観光バス担当の6台は、白川町河岐地区でがけ崩れの落石に気が付きました。危険を避けるために1号車はバックして、6号車の最後尾にまで下がりました。続く2号車、3号車もバックして5号車が先頭になる形になりました。

ところがこの6台のバスの後ろでもがけ崩れが起きてしまい、6台は立ち往生してしまいました。乗務員や主催者が右往左往していた中、40分ほどが経ちました。その時です!

(犠牲者の付けていた腕時計から判明) 、左側の山からガガーッという大きな音が聞こえたとたん、沢から怒涛の様な土石流が押し寄せたのです。その量は、ダンプカーにして約250台分と言われていました。

その土石流が、3台のバスを襲いました!7号車はガードレールにかろうじて横っ腹を衝突させる様な形で停まりましたが、5号車と6号車の2台はゴーゴーと渦巻く飛騨川の濁流へ飲みこまれていったのです!


2台のバスが転落したと思われる地点


かろうじて難を逃れた残りの乗客たちはバスを降り、ずぶぬれになりながらその場を避難していきました。

飛騨川は普段の時でも激流なので、遺体の収容は難航をきわめました。そのため下流にある上麻生ダム湖や川辺ダムに水を流して飛騨川の水位を下げて遺体を捜す、という別名 「水位ゼロ作戦」 という方策がとられました。



遺体の多くは激流に流された事もあって、中には正視に耐えないほど損傷を受けた物も少なくなかったです。中には知多半島にまで流れ着いた遺体もあり、結局9人の遺体が見つかりませんでした。

この2台に乗っていた乗務員と乗客は合わせて107名。助かったのは、割れた窓から放り出された乗務員1名、添乗員1名、乗客の中学生1名の計3名だけ。104名の尊い命が飛騨川の激流に飲み込まれていったのでした。

その事故の慰霊塔が、この 「天心白菊の塔」 です。






この事故の補償は後に二転三転しました。当初政府は自動車損害賠償保障法を適用して、一人当たり最高300万円の支払いを決めました。ただこの法律を適用した場合、運転士の過失の証明が必要となります。警察は運転士に過失はない、としましたが、当時の運輸省の判断で無過失とはいえないと判断して支払いを認めました。

しかし遺族は、道路管理者である国を相手取って国家賠償請求訴訟を起こしました。一審では原告側の求める総額約6億5,000万円を14%に減額した約9,300万円を国が遺族に支払う判決が下りました。遺族側はこれを不服として控訴し、二審の名古屋高裁で 「事故は全面的に人災である」 という判断が下り、国に4億円の支払いを命じる判決が出て結審しました。

その事故現場を見ているかのように、高山本線の列車が通って行きました。




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最終更新日  2020.01.26 21:42:51
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