いやはや、私はいまいろいろわけあって、ずっとバルカン半島の旅を続けております。もうすぐ新月には、ボスニア・ヘルツェゴビナのピラミッドにアンダラとシヴァのご奉納をさせて頂く予定です。ハートでご協力、ご支援いただける同志のライトワーカー、グリッドワーカーの皆様、どうぞ祈りのなかで共にあってくださいませね。
いや、そもそもこれは今月初めに始まったのでした。過労とストレスの日常から少しでも逸脱したいと切望する娘が、自分の稀有な休暇を利用して一家でモロッコへの旅行を計画したのです。私も随行要員に入れられてしまい(要はベビーシッター:苦笑!)旅が終わると、私はマラケシュで娘一家とは別れてひとり、グリッドの旅を続けているわけなのです。ここでモロッコやボスニアの話に入ってしまうと、ずっと続いているミャンマーからいつまでも出られないので(苦笑)、現行の旅は少しだけホールドにして後日共有させていただくことにしますね。だってアフリカを出てからも連日、実に刺激の多いバルカン半島の一人旅が続いていて、それはそれは・・・なかなか一気に語りきれそうにないから。
さて、そういうわけで軍政下のマンダレーを離れた私は、一日じゅうバスに揺られてミャンマーの奥地、インレー湖へと向かいました。朝7時半に乗ったバスがミャンマーの山岳地帯をどんどん高度を上げて走り続け、やっと降ろされたのは夕方6時半、もう陽がすっかり傾いていました。途中、バスが止まったな?と思って窓の外を見るとパンクの修理中だったり、あちこちでトイレや短い食事休憩などを入れながら、さらに山岳少数民族のシャン族の居住区に入るときには車両チェックがあったり・・・といろんなことが起こるから、決して退屈はしなかった。それどころか大自然の緑豊かな丘陵地帯は、先日までいた荒涼とした砂漠地帯とは違ってホッとしましたね。
バスはミャンマー奥地へとどんどん高度を上げていき、シャン族の居住地に入っていった。

一日じゅう走ったバスを降りた頃には、インレーの街は日暮れていき、やがて満月が夜空を照らしていた。着いた~~!
インレー湖畔にとった宿の主人は、美味しいお茶で迎えてくれた。でもいつも停電しているし、特に複雑な紛争が続いている最中なので、人々の日々の暮らしも何かと大変そう。電気がつかないから
Wifi
もないし、お湯も出ない。でも私の目的はインレー湖の夜明けを見ることだったから、そうした不便さはさほど苦にならなかったけど。
インレー湖までのバスで同乗したイタリア人の若い女性と、翌朝は一緒にインレー湖のボートに乗ることになり、そのつもりで朝6時にボート乗り場に行くと、あ、あの娘はもうポーランド人の男と出て行ったよと告げられる。Oh No ! ま、そんなわけで、そこには米国在住の韓国人男性がすでにボートに乗っており、私は期せずしてその彼とほぼ一日の湖上ツアーに繰り出すことになったのでした。彼はリタイアして世界中を一人旅しているという誰かみたいな人で(笑)、楽しい一日になりました。
夜明け前にインレー湖をボートが滑り出しました。
ナンパンマーケットはシャン族の人々の活気で賑わっていました。
湖上、族のお店にも立ち寄ってみました。
私が見たかったインレー湖の夜明けは、まさにこれ!これが見たかったんだ~~!と唸るほど素晴らしい感動のシーンが湖上に次々と展開されていき、やっぱり来てよかったなーと深く感じ入るのでした。ボートは湖畔のあちこちの村、集落に立ち寄るのですが、ちょうどその日はラッキーなことに五日市、ナンパンマーケットが開催される日だったので、シャン族のカラフルな民族衣装に身につけた人々で賑わう市場を楽しむことができました。私はできたら欲しかったものがひとつだけあって、それはロータス(ハス)の茎の手織りのストール。
’
以前ベトナムであまりにも高価で手が出せなかったものでした。でも旅の道連れとなった彼が持つ成功したビジネスマンの交渉術がみるみると功を奏して、私でも買えるところまで値段をどんどん下げてくれたのでした。いやー、ほんとにカムサハニムダでした。やっぱ、あのイタリア人の若い女の子が裏切ってくれたことにも意味があったのね。仏教寺院に立ち寄ったり、楽しい9時間ほどの湖上ツアーが終わって陸に上がると、彼は翌日、スリランカーインドへと旅を続けるらしい。旅の幸運を祈って感謝のお別れを言い合う。
まもなく、この世のものとは思えない神秘的な太陽が湖面を輝かせた!大感動!
私はといえば、インレー湖からさらに奥地へと入った秘境の村、パオ族らの居住地区にあるカックー遺跡にどうしても行ってみたかったのです。でも宿の主人に相談しても、いや、現在は危ないからやめたほうがいいと言う。いまや政府軍ばかりか、反乱軍も勢力拡大していて一帯を支配しているから、もし誘拐でもされて人質にとられたらどうするんだ?と。他の人達もみな口を揃えて
NO
と言うのです。私も実際、何軒かのタクシーと交渉してみたけど誰も行きたがらないし、普段の2倍の値段をふっかけてきたりする。この際、2倍でも行ってくれるなら仕方ないか?と一応、翌朝8時に宿に迎えにくるという予約を入れた。人に行くなと言われるほど余計に行きたくなるという悪いクセが私にはあるのですよね。
翌朝、8時。しかし誰も来ない。やっぱりなぁ。今度はトンズラかー。参ったなぁ。ところがそれが幸いした!宿の主人が、同宿した素敵な母娘らに話をつけてくれ、途中まで彼女たちの雇ったタクシーに途中まで同乗させてくれることになったのだ。ジャンクションまで出れば、もしかするとチャンスがあるかも?というわけだ。そこで私は何台かのタクシーらと交渉したのだけど、やっぱり誰も行ってくれそうにない。となれば、もうバイクしかない。バイクにまたがってでも行くぞと、私は腹を決めた。すると天はとても人の良さそうなバイクの運転手のおじさんを私に与えてくださったのです!しかも帰りは宿まで乗せて降ろしてくれると。しかもタクシーの半値で。
かくして私は寒い朝、ヘルメットをつけて頬に風を切りながらバイクにまたがったのでした。そして約3時間弱。いや~、タクシーなら楽々だったろうに、バイクで風を切りながらの3時間はかなりキツかった~~、いやおじさんだってもっと大変だったはず。ほんとに感謝しかないです。途中、バイクのガソリンを入れるというので止まった。私はその頃には身も冷えてトイレに行って戻ると、あれあれ、おじさん、どうやらガソリン代も持ち合わせてないようで・・・それで私が1万チャットをとりあえず建て替えて、と。それからおじさんは赤い噛みタバコで真っ赤になった口元を悔いしばり、上手で安全な運転で、あちこちにあった検問所も問題なくスルーして、やっとのこと晴れてカックー遺跡に到着しました!
バイクの後ろにまたがって寒い風を頬に切りながら、やっとカックー遺跡に近づいてきた!
すると、なんと予想外にそこはたくさんの観光客で賑わっていたのでした!大半はミャンマー人や近隣諸国の人々のようだった。え~~。だから実際に自分で来てみないとわからないんだよねー。外国人は入場料5ドル。ドル札でお支払いです。そこからは私は一人、もう素晴らしいとしか言いようのない遺跡を、じっくりと時間をかけて回ったのでした。おじさんはずっと外で待っていてくれた。
やっとのことでカックー遺跡到着! ものすごい繊細な仏塔群が見えてきた!感激の一瞬!
たくさんのミャンマー人らが遺跡を訪れていて、ある意味ホッと安心した!
寄進された無数の仏塔群が立ち並ぶカックー遺跡が際立って美しいのは、その仏塔の上の方にぶら下がった鈴の音が風に揺れるたびにシャンシャンという美しい音を奏でるから。その夢のような音色が仏塔の杜を渡り、まるで異次元に迷い込んだかのような不思議な感覚になるのでした。あれだけいろんな人たちにやめとけと脅されたけど、危険を冒しても私を乗せていってくれたバイクのおじさんも現れてくれたおかげで、このミャンマー秘境のなかの聖域にもアンダラ、シヴァグリッドを広げ、奉納をすることができました。もうひたすら心から感謝です!

この繊細な仏塔群の上にぶらさがった鈴の音がシャンシャンと風に鳴り響くとき、そこは異次元世界に迷い込んだような不思議な感覚があります。

ここまでグリッドを広げる旅の助っ人、バイクのおじさんはずっと外で待っていてくれた。感謝、感謝です!
そしてヤンゴンに向けて、今度はいろは坂をどんどん、くねくねと高度を下げながらバスは一日じゅう走ります。途中、一体何回の検問に合ったことか!高速バスとは名ばかり、いろんな物資の配送業務も兼務しているらしく、あちこち止まりながら、やっと首都ヤンゴンに着いて、ホテルにチェックインする頃には夜中の2時を回っていた。あーほんとに疲れた~。
翌日はヤンゴン空港へ。空港の建物は立派だけど何だか薄暗い感じで、人気もなくガラガラ。便数表示板にも3便くらいしかなくて、やっぱりこんな軍政下、旅をする人はごく少ないのだと納得。そんなこんなで、ようやくミャンマー出国スタンプを押された時にはちょっとホッとしましたね。それでも飛行機は1時間ほど遅れてタイへ出国。
バンコックに到着するや、夜中を回っていたというのに、その町の賑やかさと活気に驚いた!さっきまでいたミャンマーとはあまりにも対照的過ぎる。入国する物凄い数の旅行者らが空港を埋め尽くしていた。バンコックの喧騒と明るさ(薄暗くない)、街にはないものはないくらい何でも揃っているし、口に合う食べ物も豊富にあって、生きた青いカニとパパイヤのサラダを食した時には、ほんとにミャンマーを出たことが確信できましたね(笑)。
Wifi
も速くていろんな手配やらがスイスイと進む。ほっとするなぁ。
タイへやってきた目的のひとつはアユタヤ遺跡でした。今回訪れたアユタヤ遺跡は、カンボジアのアンコールワットと比べてしまうのがいけないのだろうが、何だかいまいち感激が少なかったかな。それともたまには楽してと、現地ツアーに便乗してガイドの後をついて回るだけだったからかな。あの有名な仏像の周囲にはたくさんの人々が群れていた。
アユタヤ遺跡、あの有名スポット、謎の場所にて!
翌日はもうひとつの目的地、チェンマイへ向かいました。ミャンマーでは一度もネットが使えなかったので、タイに入ってギリギリになって列車を予約したため、もう
3
等の夜行列車しか残っておらず、これがまさにヒッピー車両でいやはや大変だった!外国人のヒッピー風若いバックパッカーらばかりがひしめいていて、ほぼ満席。タイ人はほぼいなかったな。いまでもまだヒッピーはいることを知って嬉しくなった。いま日本人の青年は、もはや荒野を目指さなくなっているからね。もちろんエアコンなしで列車の窓は大きく開け放たれたまま。そこに音の煩い大きな扇風機が天井からぐるぐると熱風をかきまぜてくる。荷物棚は見渡す限りバックパックがぎっしり占領していて隙間もない。車両の電灯もギラついたままで、夜中じゅうこの状態なのか!とショックでパニクるも、こうなったら仕方ない。カンネンして目をつぶっていくしかないではないか。夜
8
時
20
分にバンコックのドンムアン鉄道駅を出た夜汽車は、こうして夜通しタイを北上し続けたのです。思ったより早く最初の
3,4
時間がたち、勇気を奮い起こしてトイレに行ってみたが、それほど悪い状態ではなくてホッとした。眠れるはずはないけど周囲の誰もが同じくカンネンして目を閉じている。夜中の
2
時を過ぎる頃には天井の扇風機が止まった。気温もぐんと冷えてきた。私もウインドパーカーを羽織って、またカンネンして目を閉じてみる。そのうち次第に夜が明けていき、朝食やチャイを売る車内販売が車両を行き来するようになった。もうすぐだ。朝
9
時過ぎにチェンマイ駅に到着。駅を出て街で美味しいコーヒーにありつけた時は生き延びたと思った。チェックインの時間になり、ホテルに着いてそこでタイでは珍しい浴槽に浸かったときは、本当に生き返った気分になれた。いつもシャワーだけで、浴槽につかったのはンヶ月ぶり?やっぱり日本人はお風呂に入らないと駄目なんですよね。シャワーでは癒やされない。
バンコクからチェンマイ行きの夜行3等列車、私は横になることもできず、ひたすら翌朝まで耐え忍びました・・・
チェンマイは大好きな街だ。特に嬉しいのは、あちこちの仏教寺院内で、手頃な値段でマッサージを受けられることも有り難いことだ。街に滞在中、近くのお寺でトーンセンという木で体のツボをトントン、ポンポンと叩くマッサージとか、いろんな種類のマッサージを受けた。こんな贅沢、日本やアメリカでも決してできないよねー。あくる日はツアーに乗ってタイ最高峰の山岳地方へ出かけ、カレン族の住む村で織物を見て歩いたり、楽しい時間があっという間に過ぎていきました。
この後、私は所用のためいったん日本経由でアリゾナに帰国し、またすぐパート2のアジアの旅を、今度はインドネシアから開始するのでした。旅はさらに続きます。ここからはまた次回にしますね。
いよいよ
11
月、霜月も後半になり、気がつけば師走は目の前。目が回るような、いや実際に回り続けた
2025
年ももう最終コーナーにさしかかっているとは、まさに驚きです。
2026
年のカレンダーも入手したけど、午年はどんな年になるのやら?いや、どんな年にしたいのか、冬至に向けてもう今から気持ちを向けていかないと、ですよね。
私はここからあと少しだけバルカン半島の旅を続けてから帰宅し、ばーちゃん行に復帰する予定です。孫ちゃんたちも日本食が恋しいらしいし(笑)。
さて当方の 純正アンダラのペンダントは、ショップ
に載っているものが大半で、
もうほとんど在庫がなくなってきているのが実情です。これまで気になっていた方、本物志向の方は、無くなる前にどうぞお早めにご注文くださいね。なお再度のお知らせですが、当方のメルアドも
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ここに
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に変わりますので、更新をよろしくお願いいたします。
どんどん寒くて暗くなる一方の季節ですが、この一年のまとめ、総仕上げに専念し、もうすぐやってくる新年を視野に入れて充実した日々をお過ごしくださいね。そしてご自愛されてくださいませ。ナマステ~!
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