全360件 (360件中 1-50件目)
姪が、スイミングスクールに通っていて。そのスイミングスクールは、20年前、わたしも通っていたスクールで、プールもまったく変わっていません。というのは、完全に関係のない話です。で、今日は、そのスイミングスクールの、大会とやらでした。その大会、ひとつのスクールだけじゃなく、系列の、セントラルスイムクラブの、神奈川県と東京南部の総合大会みたいなので、15か20かのスクールでおこなわれる地区大会みたいなので。出場選手、全544名という、なかなか大きな大会だったわけです。スゴイじゃない。その選手に選ばれちゃうなんて。小学校2年生なので、まぁ一番小さい子たちのクラスだけども。だがしかし、ですよ。その大会がおこなわれたのは、なんと普通の、極めて一般的な、スイミングスクールなんですよね。何十ものスクールから544人もの選手が集まるだけでも、そりゃもう、溢れるでしょう。そりゃ。さらに、子どもたちの大会ですから、そこには子ども×2くらいの親が、訪れるでしょう。息子や娘の晴れ舞台ですからね。つまり、544+544×2=1632人ですよ。ミニマムで。ついでといっちゃー申し訳ないですが、その親には、泳がない子どももいますわね。弟や妹もいるでしょうし、ジュニア世代を卒業した兄ちゃん姉ちゃんも。明らかに去年までそこで泳いでたでしょう?という、ストップウォッチ片手に妹の泳ぎを見守るお姉ちゃんとか、いるわけです。こちらは言わずもがなついでなわけですが、叔母とかもいますわね。わたしとか。なんで叔母が水泳大会みにいくの、みたいなね。んで、もちろん、コーチがいるでしょう。スクールですから。コーチたち、声はりあげて声からしてますからね。すると、そこには、ざっくり2000人くらいの人がいることになります。ひとつの、普通の、ごく一般的な、スイミングスクールに、ですよ。その状況を、どう表せばいいか、これ、まったく迷いませんね。もう、わかりやすいです。空気薄い。さて、その、高山か?と惑う空間に突入したママ(姉)と叔母(私)。娘の出番が直前に迫っていた姉は、人をかきわけかきわけ、必死に前に進みます。まるで、うっかり満員電車で真ん中辺りに押しやられたけど、その駅で降りなきゃいけなくて、すみませーーんーおりまーーすーーーと言うかのように、申し訳なさそうに、でも力強く、ガラスに貼り付ける位置まで、進んでおりました。母は強いのです。当然のことながら。一方、それほど強くない叔母。強くないというか、ただブーツを脱ぐのに手間取ったというか。叔母は、普通に階段をのぼり、姉のいるであろう親の塊へ向かっていきました。姉の姿、まったく見えず。でも声が、声援というよりは奇声が、姉のものだとわかった、その辺りの後ろの方に、そろりそろりと近づいていきました。まぁ、まだ泳がないな、と。姪が泳ぐぞ~という時に、身を乗り出そうと思っていました。すると、まったく知らない誰ちゃんかのママが、わたしの顔を見た瞬間、言ったのです。あっ!妹さんね!?はい、確かに妹ですが。誰の妹かとか、そういうのはどうでもいいですか?と思いながら、返事してみました。あ、はい。たぶん。ここで大事なことがあって、私と姉は、まったく似ていないのです。声だけは似ているのですが、顔は、本当に似ていない。似ているパーツもない。だから、妹さんかと問われれば妹さんなわけですが、かといって、姉のことをよく知る方が私をみて、一発でその姉の妹だとわける風貌は、していないわけです。なのに、妹さんね?と、完全断定型で訊かれたわけです。妹は考えました。選択肢は2つ。その1。姉がその誰ちゃんかのママに私の写真を見せたことがあった。これ、かなり可能性低め。だっていい年して、妹の写真もって歩かないでしょう。子どもの頃だって持ってなかったと思うし。仲はいいけども、確かに。その2。姪と似ているから。もう、これしかないでしょう。姉と私は似ていないけど、姪は驚くほど私にそっくりで、私の子どもの頃の写真なんかみると、もう、姪の写真なんじゃないかと思う感じで。セピアじゃなければ。ゆえに、選択肢を2つ考えはしたけど、答えが出るまでに、実際は2秒くらいしか要しなかったわけです。姪のことをよく知るママさんが、姉から妹が来ると聞いていたから、姪とそっくりな私を見て、妹さんね、と気付いてくださった。もう、完全回答でしょう。これは。そう納得して、無事に1つ目の競技を観戦しました。姪を、精一杯応援しました。そして、2つ目の競技までに時間があったので、途中で一度外に出まして、姉と、歩いていたわけです。そこで、なんの気なしに訊いてみました。そういえばミナミちゃんのママが、私の顔みた瞬間、妹ってわかったんだよね。そんなにナナと似てるかなぁ。すると、姉が言いました。あ、違う。キムタク。はぁ?朝ね、ミナミちゃんのママとメールしてて、妹と一緒に行くっていっといたの。で、あんた私とは似てないじゃん。だから、キムタクが来るって言っておいた。一発でわかったみたいよ。あ・・・そうなの。そう・・・それは・・・よかった・・・のだろうか?妹を説明するのにキムタクって、アリなのか?確かに、似てるんだけども。我ながら。だからって・・・。
November 23, 2008
コメント(1)
手を抜かない。ということだけは、なんとなく、決めてるんですよね。仕事の姿勢ね。コトの大小とか効果とか影響力とか関係なく、予定をひとつ登録するのも、むつかしい企画を立てるのも、経費精算すんのも、コラム書くのも、ぜんぶ同じ。同じく仕事のひとつの工程として、同じように手を抜かない。誰かにバレるから手を抜かないんじゃなく、仕事の成果を左右するから手を抜かないんでもなく、ただ、手を抜かないの。つまり、抜きたくないわけ。キレイに言えば、信念ですわ。だからだと思うんだけど、完ぺき主義にみられることがあるんですよね。私。でもそれは、違うんですよね~。だって私、気は抜くんだもん。そりゃもう、がんがん抜くよ。そんなにいっつも気ぃ張ってらんないから。だる~んと仕事してることもあるわけ。だから頑張らないんですよ。ぜんぜん。自信をもって言うことじゃないけど。ただ、それでも手は抜かない、というだけで。これを意識しはじめたのは、たぶん、激しく後悔した経験があったからですね。なにやってんだ、あたし。ナニサマなんだ、じぶん。って、自己嫌悪に陥ったからだと思います。かなり若い頃に。手を抜かずに全力を尽くしたとしても、自分の仕事が100点レベルであるはずがないのに、なおかつちょっとでも手を抜いてしまったら、それは、対価をいただくに値する仕事であるわけがない。それを、仕事とは呼べない。言ってしまえば、あたりまえのことですがね。手を抜くのって、ウソをつくのと一緒でしょ。ウソは、バレなければウソじゃない。っていうの、私は違うと思うんですよね。だって、自分には、必ずバレるもの。なんとなくわだかまりみたいなんが残るもの。ウソついたり、手を抜いたりしたら。それが一番イヤだもんね。気持ち悪い。手を抜くのに慣れちゃったら、そのうち手を抜いてる自分に気づかなくなって、手を抜かずにできる仕事のレベルが、下がっていくわけだよ。それはイヤ。だから、できるかできないかじゃなく、やったことがあるかないかじゃなく、手を抜かずにやるだけで、いいんだと思うんですよ。それが仕事だと思うんだ。
November 13, 2008
コメント(1)
そういえば、ファンクラブというものに入ったことがない。と、なぜかはさっぱり不明だが、ついいましがた自分で疑問に思った。冷静な大人としては、ファンクラブに入ったことがないことよりも、そこに疑問をもったことの方が、よっぽど不思議だ。つまり、冷静な大人じゃないことが判明した。我ながら残念だ。冷静な大人じゃないといえば、つい先日も冷静じゃなくなっていたことを思い出した。-----以下、8/26の日報メール。今朝、一瞬自分の耳を疑った。まさに消さんとリモコンに手を伸ばしたとき、テレビから聞こえてきた言葉。「ガルボチップス」私の半径2M以内の席にいたことがある方ならご存知かと思うが、私は日々、ガルボ・ミニを会社で2~3袋、自宅で1~2袋消費する。ガルボの登場は、私の1日あたりのチョコ消費量を飛躍的に向上させた。ガーナとクランキーに並ぶ、世紀の大ヒット商品(調査対象:私のみ)である。そのガルボのファミリー、新登場。それは聞き捨てならない。もう一度CMが流れやしないかと待っていたが、出てきたのは小倉さんだ。北京のトイレ事情などどうでもいい。今日のオープニングトークは、どう考えても「ガルボチップス」であるべきだろう。小倉さんのセンスを疑わざるを得ない。自宅を出て会社に向かい、電車内でケータイニュースをチェック。ガルボチップス新発売のニュースが踊っているはずだ。…踊っていない。会社に到着し、平常心でログインパスワードを変更してサンクスへ向かう。レジに人が並んでいる。見知った顔も並んでいる。いつも買わないコーヒーを選びに行ったような顔をして、ほしくもないラテをセレクト。誰のための演技なのか、もはや自分では判断できない。チョコゾーンで眼を見開くが、ガルボチップスは目に飛び込んでこない。なぜだ。これでは仕事が手につかないではないか。午前中で原稿を仕上げる予定なのに、どうしてくれるんだ。いや、私は大人だ。お昼にリベンジできることを祈って、ここは普通のガルボのみで我慢しようじゃないか。やればできるはずだ。時は過ぎ、ガルボがいかに私の人生に影響を及ぼしているかが明らかとなった。ガルボを1袋食べ、仕事はやったけど、できた気はしない。いじった原稿がおもしろくなったのかつまらなくなったのか、さっぱりわからない。何度も読み返し、迷宮入りが近くなってきた。いかん。サンクスだ。ガルボチップス、無事ゲット。大人とは、ゲンキンなものである。無事に手に入ったとたん安堵感に包まれ、気持ちは仕事に戻った。ガルボチップスを味わう前に、原稿は完成。ようやく手に入れたはずのガルボチップスの存在など忘れ、お昼も食べた。ガルボおよびガルボチップスを右斜め前においておけば、どうやらちゃんと、仕事に身が入るようだ。な~んだ。早く気付けばよかった。あ、ガルボチップスについてですか?感想なんて言うだけヤボですよね。そりゃもうベリーナイスなテイスティングだよ。-----以上、8/26のマジメな日報メール。いまさらだけど、人生初のファンクラブに入るなら、ガルボのだと思うよ、私は。結成されるかどうか、私以外に有志がいるかどうかは、別問題として。こんな日報を日々書いている人が、大人なのかどうかというところも、別問題として。
September 15, 2008
コメント(0)
最近、秘書でして。もちろん広報屋だし、企画屋だし、書き物屋だし、システム屋だし、よろず屋であることは変わらないのですが、何一つ担当業務が減ったわけでもなく(前年対比)、かといって、そんなにヒマなわけでもないと思う(当社比)のですが、私の知らぬ間に決まっていたらしく、つまりは欠席裁判で、いつの間にか、秘書という職務を仰せつかりまして。正確に言うと、特に仰せつかった覚えはなく、私以外の人は知っていて、私以外の人はそう認識されていたようで、知らぬは本人ばかりなり状態で、社長秘書と副社長秘書をしております。ご本人たちと、日々の業務ではお話しますが、秘書という仕事について話したことは1mmもないので、なぜ私なのか、まったくもって不明です。不思議です。謎は深まるばかりです。いや、別に、秘書って言ってもたいしたことしないわけですよ。むずかしいことがあるわけではなく、判断に迷うようなこともなく、手に負えなくて困る業務も今のところないし、たいしたこと、してないんです。まあ、唯一難しいといえば、役員の用事で他社の役員秘書の方と話すと、ほぼ100%に近い確率で電話を切るときにおっしゃる、「ごめんくださいませ」を、私はこれまでの人生で使ったことがなく、使ったら自分で笑ってしまいそうな気がして、未だ一度も言えたことがない、という程度で、それはつまり、手紙を、「かしこ」で締められない感じと似ていて、手紙は「草々」でいいんじゃないかと、電話は「失礼いたします」でいいんじゃないかと、割り切っちまえ、くらいのことで。ただ、その、たいしたことのない難しくも大変でもないことが、ものすごくたくさんあり、途切れることも特になく、いつ発生するかわからない、という…。なんていうか、自分の仕事ができない。というか、通常の業務時間内は、集中して取り組むべき仕事ができない。という…。ボヤいてる?わたし、いまボヤいてる?今、完全にボヤいてますね?いや、違うのです。秘書も仕事ですから、仕事をしてないわけじゃなくて、してるんですけど、本業というか、いや、秘書が副業だと言ってるわけじゃなくて、いや、やっぱ副業だとは思いますけど、そうじゃなくて、これまでもやってきた、これからもやっていくであろう、企画立てるとか、原稿書くとか、戦略考えるとか、そういう、いわゆる、考えるという仕事が、できないんですよね。できないというか、できないと言えてしまうというか。ただでさえサボリ癖のある、ただでさえ集中力のない、ただでさえ逃避しがちなわたしが、自分に言い訳できてしまう道具を与えられてしまった、という感じでして。それが唯一、いま、困っていることです。他の人に迷惑をかけなければ、どっかで帳尻合わせれば、それはそれでいいっちゃいい気もするのですが、仕事って、そういうもんじゃないですよね。仕事の時間って、そうやって使うものじゃない。本来は。1時間かけて80点のことができるとして、その80点を81点にするためにプラス3時間使うとか、80点の仕事を3つ生むための時間を、3時間じゃなくて2時間にするとか、そうやってスピードをはやめて、クオリティも高めて、生産性を上げていくものですよね。そういう時間の使い方ができない理由を、自分の、その仕事以外の仕事に求めるのは、ただの言い訳だと、わかっているのです。わかってるんだけど、やっぱり、自分に一番厳しいのは自分で、一番甘いのも自分だから、してしまう。自分に自分で言い訳してしまったら、おしまいだと思うのですよ。それを仕方がないとか言ってしまったら、もう最後ですよね。だから、たちの悪い言い訳は、できることがわかっているときこそ、したくないものです。そう思うとね、仕事力を高めるいい機会なのかな、とも思いますね。時間の使い方も、気の使い方も、優先順位の付け方も、だいたい同じようなもので、まったく違うこともある仕事を並行してやるというのは、思考の転換というか、本当の意味での判断力をつけるというか、本質を見極めるというか、そういう、ひとつの仕事だけやっててもみえないものが、みえるようになるのかもしれないです。って、そんなに力技でプラス思考にもっていかなきゃならんほどのこと、してないんですけどね。なんで今こんなこと考えたかっていうと、それはもちろん、原稿が、書けないからに、違いありません。企画の神よ、今こそ我に降臨せよ。あ、神様、できれば今夜中にお願いします。
June 22, 2008
コメント(1)
納豆昆布って、別に、納豆じゃないのね。ねばねばであるということで、納豆の冠がついているようで。納豆昆布を水に浸して、刻みネギ(うどんを取り寄せたらついてきた)を入れて、揚げ玉(うどんを取り寄せたらついてきた)を入れて、すり胡麻(うどんを取り寄せたらついてきた)を入れて、昆布ポン酢をかけると、劇的に美味しいのです。うどんにかけるわけではなく、そのまま食べるんですけど。うどんは、素うどんがすきなんですけど。納豆昆布、なかなかやりよる。
May 24, 2008
コメント(0)
なかなかやりよる、こやつ。発売当初の新食感ミステリーというキャッチコピーを、たとえ、たとえ世間が忘れても、私は忘れない。もはや新ではないが、食感はミステリーだ。ガルボの食感、フォーエバーだ。ガルボを、日々食す。家で食す。会社でも食す。今日も食す。ゆえに、コンビニで1回に10個ずつ買う。んがっ、なかなかストックにならない。減るの、早いんだもん。減るのが早いといえば、我が家のチョコレート棚in冷蔵庫。毎日寝る前に食すガーナ&クランキーは、箱買い。いわゆる、大人買い。4箱買い。おっとなー。これまたストックの期間が微妙である。平日の日中はチョコ摂取at会社のため、自宅で食すのは1日寝る前の1枚として、4箱あれば40日。んがっ、休みの日は1日min3枚なので、ストックは、だいたい1ヶ月持たない。ストックはフローのためにあるもので、フローするからストックが必要なわけで。とか、難しく考える必要ないんじゃないの?だって、チョコだし。ゆうても、チョコだし。食べるためにあるんだし。ガーナ共和国のみなさま、ありがとうございます。今日も美味しくいただいております。次はクランキーです。ありがとうございます。
May 6, 2008
コメント(0)
「足がすくむ」という言葉には、なんだか風情があります。高校生のときは、古文の「いとおかし」を、「しみじみとした趣がある」と訳していることに、それって現代語訳になっておりますか?と思ったものですが、今となれば、「趣がある」ほどおもむきのある言葉もなく、それ以上どう説明することもできないわな。と、いたく納得する次第です。他の言葉では、たとえどんなに単語を並べても、その意味や感覚や心情、つまり本意というか真意を、伝えることが難しい言葉。日本語ってやたらとややこしいけど、こういう言葉がたくさんある。「あお」色を何種類もの漢字であらわすのも、たぶん、日本だけなんだろうし、国民性が一番あらわれているのが、こういう言葉の存在なんだと思うのです。言葉は、理論を述べるためのもの。だけじゃない。というところが、「察してくれよ」を多めに含むというか、まわりくどいというか、言葉は文化だと考えている国民性の象徴なのではないかと。ラストサムライで、「侍としての本懐を遂げました」という台詞がでてきたとき、はて、これはどんな英訳がされるんだ?と思っていたら、(単語おぼえてないけど)私でさえ理解できちゃう程度の単語で、ものすごく単純に死んじゃってたとき、「本懐を遂げました」の結果は、「死にました」でしかないんだと、デス、だと、確かに死んでますわねと、あきらめざるをえない感じで。あきらめるというと語弊があるけど、なんというか、英語は、世界の公用語になれるほど、各言語の最大公約数をとったような、合理的に結果を説明する言葉なんだ。と、思ったのです。日本語がいろいろな、深かったり広かったりする意味を持つのは、四季があったり、階級があったり、島国だったり、そんな背景があるんだろうと思うわけで、それは、フランス語が男女で分かれているようなもので、各言語には、それぞれの特徴の所以があるんだろうと。英語のそれがなんなのかはわからないけど、個人的予測としては、英語のそれは、ない、んだけど、まあ、たいていの言語には、そのおもしろみが、あるんだろうと。日本語は、たぶん言語の中でもめんどうっちゃめんどうで、イマドキの日本人はまともに使うことも減っていて、言葉に合理化を求める風潮があるならば、解りにくい日本語は消え行く運命なのかもしれないけど、やっぱり、なくしてはならない文化なのではないかと、イチ現代人は、思うのです。その、多言語でも日本語でもなんとも説明しがたい言葉が、日本語なんだと、思うのです。ザ・日本語、だと。たぶん、方言って、そういう言葉が多いんでしょうね。古い言葉とか、そういうんじゃなくて、標準語では説明できないような、地方ならではの、その地方でおこることをあらわす、味のある方言。私には話せる方言がないけど、東北には東北の、九州には九州の、その方言を使ったことのある人にしかわからない感覚や心情を含んだ言葉が、たくさんあるんだろうと思います。冗談のように方言を話す人をバイリンガルといったりしますが、あながち間違いじゃないと思うのは、こんな理由なのでしょう。あ、「あながち」にも、風情がありますねぇ。しみじみとした趣が、あります。味わいがあります。
April 30, 2008
コメント(0)
私は作家か?と自問自答(答えは当然NO)せざるをえないほど、やたらと原稿原稿原稿、原稿。15文字のキャッチコピーもあれば、2000字のコラムもあって、10000字の冊子もある。印刷物もあれば、メールもあれば、WEBもあって、もう、よく、わからなくなるときもあって。書くということは、確かに、確かに大嫌いではないけれど、かといって大好きでもなく、好き、というよりも、嫌いじゃない、に近い気もして、もう、好きか嫌いかなんて、考えないほうがいいんじゃないかと思ったりもする。くらい、書いていて。好き嫌いなんて考えなくてもいいけど、全部考えなくていいということでは、やっぱりなく。話す、とか、書く、とか、ことばを使うということは、それが仕事じゃなくても、することなわけで、その、人として、そりゃするでしょう。ということを仕事にするということは、それがどんな意味のある、どんな価値をつくる、どんな存在であるのかということを、やたらめったら考えねばならないということで。ことばって、何だろう。ということを、人生って、何だろう。くらい、生きるって、どういうことだろう。くらいなにやら難しく、でも単純に、考えるということである。わけだ。何かを書く、とは、どこに、何を、誰に向けて、どのように、なぜ書くのかを、考えるということで、それを考える、とは、なんていうか、本当に、考える、という状態を必要とするもので。その書くものが、たとえばコレ、ブログみたいに、ほとんど考えて書いていません。と宣言しても支障のないものではなく、それが仕事、ビジネス、商品であるならば、やはり、それなりに考えて書いております。と、言えるものでなければダメで。そりゃ、人はいつも何かしら考えていて、今日の夕飯は何にしようかしらとか、靴下は黒にしようかしらとか、このゴミはリサイクル可能かしらとか、あの人私のこと好きかしらとか、と同じで、別に、仕事のことを考えるからって、その考えるという行動が難しくなったりはしないけど、条件反射とか、2秒とか、1分とかではなく、ある程度、本当に、考える、ということだけをする時間が、必要にはなるもので。ああ、もう、考えるってなんだよ、みたいな感じになってまいりました。まあ、なぜ、考えるってことを考えたかというと、本気で考えているときと、ボーっとしているときは、完全に同じ状態である。ということが、おもしろいな、と。今日、ふと、オフィスで思ったのです。ボーっと焦点を定めずに空間をみているとき、つまり、一番頭を使っていないときと、真剣に頭の中で考えをめぐらせて空間をみているとき、つまり、一番頭を使っているときが、まったく同じ状態に見えるということが、おもしろいのです。本当に頭の中で考えるということに真剣になると、ペンも持たないし、何もみないし、もちろんパソコンなんてどうでもいい存在で、できるだけ、無、であることが重要で、それはまるで、侍が精神統一するような、そんな感じなんだと思われるのです。ことばを仕事にするということは、考えるということがその根幹なので、その、ボーっとしているようにみえる状態のとき、一番ちゃんと仕事をしているということで、その、他人の視線と、自分の視点とが、最大の差となる瞬間が、仕事なんだと、思うのです。そして、その差に、恐怖感や罪悪感を抱くことなく、視線より視点を選ぶということでもなく、無意識に視点100%になるのは、その程度の仕事ができるようになった。ということなんじゃないかと、今日、ふと、オフィスで思ったのです。たぶん、その程度の仕事は、いつかボーっとしているように見える時間を使わずに、できるようになって、たぶん、そのときには、次の、ボーっとしているように見える時間を使う程度の仕事が、できるようになるんじゃないかと、思うのです。
April 25, 2008
コメント(0)
いまどき足の小指をタンスにぶつけやしないですが、ドアに挟んだりはよくして、それはもう七転八倒したりすると、歩くときって小指に負荷かかってんだなとか、気づきますよね。そんな平和な日よ、こんにちは。さて、今日は。新しいノートをひらき、表紙っていうんですか?ノートの扉を開いて、はじめての折り目をつけたわけです。真新しい表紙に、次からは抵抗せずにパタンとなるんだぞ、と言い聞かせるように、ツーーッとなぞったわけですね。すると、人差し指が、それは見事に切れたわけです。紙で切れたキズって、なんであんなに痛いのでしょう。敵が薄いから?私は百徳あって一害なしですから。みたいな風貌しといて、かなり痛いわけです。武器化すると。右手の、人差し指の、先っぽがパックリと切れたとき、まず、痛い。次に、新しいノートで切れた。しかも、ノートの書く部分ではなく、表紙で切れた。という事実に、びっくりするほど気分が沈む。その後、びっくりするほど気分が沈んだということに、なんとも新鮮な発見をしたような気持ちになる。という、実にめんどくさいステップを経て、あとに残ったのは、やはり、痛い。という現実だけだったわけです。ジンジンしてるんです。さすがにね、利き手の人差し指ですから、そりゃよく使っているだろうと、わかるわけです。大人ですから。そこにはドアにぶつけた小指のような発見はないわけで、今日は一日、予想通りペンは持ちにくく、字は早くかけないしヨレヨレになるし、キーボードを打つときも、UとかHとかよく使うキーが人差し指の仕事だから、なんとなくブラインド・イタッ・タッチみたいなことになって、マウスのクリックは痛いわ、マウスは痛いからポインタにしようと思ったらさらに痛いわ、まあもともとマウスよりキー操作派だから問題ないと思ったら、今日に限ってシステム設定が多くて要マウスだわ、つまり、痛い。という状態から逃げ出すことはできなかったわけです。でも、まあ、仕事ですから、影響範囲の小さい仕事を選べばいいわけで、右手の人差し指の先っぽをなるべく使わずにできる仕事を、今日はしていたわけです。なるべく。考えるとか、読むとか、考えるとか、探すとか。そして、帰宅です。帰宅して、箸も、痛い。ということを、まさしく痛みをともなって学んだ後、私は、今日イチの困った事態に直面することになるのです。ポテトチップス。これは困った。ポテトチップスを、親指+人差し指、ではなく、親指+中指、で食べたことがありますか?ないですよね。ない。私はない。だって必要ないから。親指+人差し指じゃないコンビネーションで食べる必要がない。だいたい、そんなこと考える必要がない。人生に。にもかかわらず、本日の私は、そんなことを考えてしまう状況にあり、親指+中指の慣れない手つきで、毎日食べていて慣れまくっているはずのポテチを、袋から落とさないように取り出し、食べたわけです。ポテチ一袋を食すのに費やした時間と集中力は、人生で、今日が、一番だったかもしれません。そんなこと考えるなら、ポテチ食べなきゃいいじゃない。というのはナシなわけですよ。そういう問題じゃない。これは、ポテチ側ではなく、右手の人差し指の先っぽを紙で切ったキズが痛い、という話なわけです。ポテチの問題ではない。つまり、紙で、右手の人差し指の先っぽを切ると、いろいろ不便はあるものの、中でも特筆すべきなのは、ポテトチップスが食べにくい。ということだという話です。これは、由々しき問題です。
April 22, 2008
コメント(1)
よく食べる、という感覚勝負な判定は、なんとなくニュアンス量的には全国共通的な空気がありますが、育った家庭環境によって、違いませんか、これ。まあ、デジタルに、米10000粒を並とする。みたいなことはできないわけで、結局ニュアンスなのはわかるのですが。自分はいたって普通である。もしくは、自分はちょっとよく食べるほうである。しかし、一般常識に重きをおくタイプであるため、あらためて世に問いたい。まず、大好物ゆえ、ちょっと大食いかも、を認めてもいいもの。ドーナツは、10個。ケンタッキーは、6ピース。好きだからしかたない。本題はここからだ。ポテトチップスは、一回一袋。あってますか?板チョコは、一回一枚。…を一日三回。あってますか?じゃあ、ロールケーキは一本でOK?ようかんも一本でOK?メロンは1/2個でOK?バームクーヘンホールを食べながら、ふと「ちょっとよく食べる」ラインに疑問をもち、いや、不安を抱く。もしかして私、ちょっと大食いラインまで、届いちゃってる?だから最近また太ってきたん?どれをやめればいいん?どれかひとつなら、やめられるかもしれない。もしかして、ピザあたり?
April 17, 2008
コメント(1)
今年のお正月、1月2日の朝。愛犬・虎徹くんが、息を引き取りました。何年も、病気と闘って、何年も、もう寿命をすぎてて、でも、元気で、年末には、もう自分の足では立ち上がれなくなって、大晦日には、もうご飯を飲み込めなくなって、元旦には、もうお水も飲み込めなくなって、冷静に、きっと明日には息をひきとるだろうって、ちゃんと少しずつ覚悟をさせてくれて、最後まで、最後の最後まで、虎徹くんは、とっても家族思いの紳士でした。もちろん、何日も、何週間も涙が止まらなかったし、人が立ち直れるのって立ち直る必要があることからだけで、きっとこの哀しさとか哀しさとか寂しさって、一生立ち直る必要なんてないんだって思えるまで、頭にはいつも虎徹くんがいて、何をしてても虎徹がついてまわって、ハンドルネームとかIDとか、なにかと虎徹絡みの何かにしているから、何かするたびに虎徹の存在と向き合ってしまうわけで、一日生きて、涙がでなくなるまでには時間がかかって、写真をみることも、しばらくできなかったけど、時間がたって落ち着いてみれば、残るのはありがとうの円の中にあるものだけで、虎徹くんは、やっぱり家族思いの紳士だったんだ、と思うことしかなくなりました。まあ、一生立ち直らないと決めたので、虎徹の死から立ち直ったのかと聞かれればNOなわけで、今でもたまには涙することもあって、でもそれは悲しい涙ではなく思い出の涙にかわっていて、今日も写真をみて、虎徹にありがとうを言ったりしているのです。元旦の夜に見る初夢。虎徹が亡くなったその朝、目覚めた私が覚えていた今年の初夢は、虎徹の生まれ変わりである男の子を、私が産むというものでした。残念ながら今年中に産むことはできませんが、いつか男の子を授かったら、名前の第一候補は虎徹に決まりです。本気です。我が家では虎徹は愛犬の名前だけど、世の中で考えれば、虎徹はかなりかっこいい男子の名です。なんせ、刀鍛治の虎徹からとった名前ですからね。まだ見ぬ我が子、虎徹くん(人間)。君の名の由来、母(予定)は誇りをもって、虎徹(犬)からとったのだと言えますよ。虎徹くん(犬)は、そんな犬でした。わたしの虎徹くん、永遠に。ありがとう。
April 8, 2008
コメント(0)
髪は女の命。と、顔が命の吉徳。並に言われているわけですが、私はあまり髪型にこだわりがございません。痛みまくってぬいぐるみの毛みたいにキシキシにはならないように、くらいは気をつけるのですが、次はどんな髪型にしようかな~という気力が、ございません。でも、髪について、最近実に気になっていることがあります。髪は女の命。とまで言われる割には命として崇められる期間はやけに短く、まあ、頭皮にくっついて生えている間、なわけです。つい先ほどまで命であったはずの髪も、抜け落ちた瞬間にゴミと化し、間逆とも言えるほどの汚いもの扱いをされる。それはそれは、儚い運命を背負った命ちゃんです。花開く日を1億2千万人が待ち焦がれ、咲いている間は国花として愛でられ、日本中を宴会へといざなった上に、散り際さえも桜吹雪という美しき名を付けられている桜とは、同じく儚いカテゴリに属すものとは思いがたいほど、心無い扱いを受ける命ちゃんなのです。その儚い命ちゃん。近頃、部屋の掃除をしていて思うに、つい今しがた抜けてはかなくなってしまいました。という命ちゃんと、あたし、もう昨日からここにいるのよね。という命ちゃんが、明らかに様子を異にしていると思うのです。つい今しがた抜け落ちたばかりなのよ。という髪は、なんだかシャキッとしたたたずまいで、「俺の後ろに立つな」くらいの勢いを残してそこにいるのに対し、実は抜けたのは昨日だったんだよ。という髪は、もはや生気を失い、「おまえはもう死んでいる」と言われるにふさわしい様相を呈しているのです。頭皮から離れた瞬間、髪は命を失う。…わけではないのでしょうか。髪にもいわゆる死後硬直的なステップがあるのでしょうか。それを知ったらどうなのか。というのは、ポケモンは何種類いるのか。と同じくらい今の私には役に立たない情報ではあるものの、気になる度合いも同じくらいなのです。君は、抜けたばかりなんだね。と話しかけるでもなくコロコロで掃除しながら、残念ながらロングヘアのため、コロコロにコロコロコロコくらいまで絡んでしまう髪を、やはり汚いゴミとしてみてしまう私には、髪は女の命。という資格はないと思う夜です。
April 7, 2008
コメント(1)
ポストに届いていた郵便物を3つ持ち帰り、すぐにペーパーナイフで封を切る。そこには見慣れぬ東京都水道局からのものが。中を取り出すと「料金支払い依頼」である。(私はカード支払いなのでありえないのである)そこで初めて封筒の宛名を確認した。完全に1階違いの宛て名だった(私の1階上の部屋宛てである)。取り返しがつかない。
April 4, 2008
コメント(0)
原則として、完全に右脳型であるわたくし。あまりにも感覚のみを頼りに生きる自分が信用できず、営業を離れた頃から、意図的に左脳型へ仕事の仕方のシフトを試みました。それは、もう7~8年前からはじめたことです。もはや特技と化していた後付けロジックを捨て、論理性に優れたもの(主に三谷幸喜作品)に多く触れたことで、我ながら驚くほど、ONとOFFでの左右の切り替えが上手になったものです。がしかし、ここにきて弊害が。左脳型にシフトしようと意識するあまり、理屈っぽさが顕著にあらわれるようになってきました。昔は理屈がなかったはずの脳が、理屈に侵食されたようです。かつてとは違う意味でコントロール不全となったワタクシの脳。原因は、三谷幸喜(超理系の喜劇作家)であることを確信しています。前進することしか考えていなかったロジカル思考。後戻りする術は、未だ思いつかない。
April 4, 2008
コメント(0)
どんなにイヤだと言っても、コースデビューがくつがえされることはなく。かといってゴルフ的やる気は出ず。強引に練習に連れて行ってもらうも、一緒に行った後輩に驚かれるほどテンション低く。とはいえ、やはりコースに出る日は近づく。ドライバーで打っても、アイアンで打っても、たいして飛距離がかわらない。そのうえ、ドライバーで打ったボールは誰もが右ネットとお友達で、まっすぐ飛んだためしがない。アイアンで打てば、かろうじてまっすぐ飛んでいく。ドライバーって、いらないんじゃないの?という疑問は抱き始めたが、特にゴルフのおもしろさはわからず。とはいえ、やはりコースに出る日は近づく。そもそもスポーツというのは、上手になりたい、とか、気持ちよく汗をかきたい、とか、そういう欲求のもとに成り立つものであるはずだ。残念ながら、いずれも私が持ち合わせていない感情である。スポーツをして汗を流すことが気持ちいい。というのは、スポーツをして汗を流して気持ちよかった経験がある人の感覚で、スポーツだろうとただ夏が暑いだけだろうと、汗を流すことがストレスでしかない人にとっては、そこに差はなく、どれも不愉快である。岩盤浴の方が、まだマシだ。楽しくなる理由がない。とはいえ、やはりコースに出る日は近づく。もはや、私の力でこの現実を回避することはできない。ここまで準備をしてくださっているデビューを、仮病で放棄できるほど悪人にはなれず、かといって本当に病んでしまってはゴルフ以外にも支障をきたす。もう、腹をくくるしかない。コースに出る準備をせねばならない。さ、ゴルフウェアだ。練習場に行ったとき、チラリとショップをのぞいてみる。だ…ださ…ださい。ゴルフって、紳士のスポーツ、でしたよね?なのに、なぜ?なぜ、犬とか猫とかついてるんすか?しかたがないから伊勢丹に行ってみる。だーーーさーーーーいーーーーーっ。なぜなんだ。天下の伊勢丹をもってしてもこれか。街中ではダサイけど、ゴルフ場ではこれがおしゃれなのよ。なんて屁理屈はいらない。ダメだ…。水着くらい日常と違うならどんなんでもいいけど、日常着に近いゴルフでダサいウェアを着てしまったら、ただでさえやる気が無いのに、マイナスに振り切れてしまう。原たいらに5000点である。とりあえず、ウィンドブレーカーだけ購入だ。(意外と高いのね…)ふぅ。コースデビューまで、あと3日。ゴルフへの意欲はあがらない。練習不足のデビューだけど、200とかたたく体力もない。でも、もうわたしにできることは何もない。できたのは、ウィンドブレーカーは高くなかった、と感じるために、ウィンドブレーカーよりも高い買い物をして、気を紛らわせることだけだった。ゴルフがわたしの幸せアイテムになる日は、生きているうちにやってくるのだろうか。
November 18, 2007
コメント(0)
リカちゃん人形が欲しいとか、レゴが欲しいとか、子どもらしいワガママを言わなかったらしい私が、唯一、デパートで「買って~買って~」とダダをこねたのは、母の話によると、「すじこ」だったらしい。弱冠3歳にして、筋子。マイブームのスタートが、これ以上ない代物である。もちろんイクラ、タラコなど、魚卵は一通りのものを好む子どもだった。おそらく両親は、幼い私の痛風を心配したことだろう。三つ子の魂百まで、とはよく言ったもので、当然いまもって、魚卵好きである。たとえコレステロール過多になっても、魚卵はやめられない。筋子から始まったマイブームの歴史は、急激に洋物へと進化を遂げる。オムレツケーキに心酔。母お手製のオムレツケーキは、小学生時代に食べたものの中でダントツに美味しかった。オムレツ型に焼いたスポンジに生クリームとフルーツを挟み、ふわふわのワッフルのような形にして食べる。特に、バナナが大好きだった。そういえば、「まるごとバナナ」にちょっと似ている。残念ながらこのブームは、母がケーキをつくらなくなる、という実も蓋も無い理由で去った。中学生のとき、お小遣いの大半をつぎ込んだブームがクロレッツ。ガムは習慣化すると猛烈な量を消化してしまう。クロレッツを買うためにどれだけのものを我慢したのかわからないが、中学生のお小遣いで考えると、ものすごく偏った理由でエンゲル係数が高かったはずだ。未だになぜハマったのか、さっぱり思い出せないマイブームは、ザーサイ。しかも、高校生というちょっとオシャレな食に憧れそうな時期に。大量のザーサイを毎日むさぼるように食べるため、冷蔵庫にマイザーサイをコケシの顔型の容器に入れて常備していた。予想外のスピードでザーサイが減るため、母は中華料理屋かと思われそうな量のザーサイパックを買いしめ、ストックしていた。大学生になった頃、ココアの大ブームが到来する。筋子やらザーサイやら可愛げないアイテムに心酔してきたくせに、何をいまさら、と言いたくなる。ココアだなんて。がしかし、このブームはかなり長期にわたり、我が家には「森永ミルクココアお徳用」が常時5パックはあった。困るのは、マイブームはブームであるため、突如ブーム崩壊が訪れる、つまり飽きることだ。昨日まで大量摂取していたモノに、ある日突然興味がなくなる。特に食べたくならないため、存在を思い出しもしなくなる。ザーサイの時は仕方なく、両親がザーサイ消化に取り組んだ。ココアの時は仕方なく、姉にココアブームを押し付けた。逆に、マイブームが常習化し、これはブームではなく、強烈な好物であると気づくことがある。それが、ポテトチップス(うす塩)とガーナ&クランキーだ。高校生の頃に大マイブームを巻き起こしたこの組み合わせは、母にポテチの箱買いとチョコのファミリーパック買いを強いた。毎日ポテチ(しょっぱい)とチョコ(甘い)を大量食いする娘は、そのままの生活で成人をむかえ、オトナになったのを期にしたかどうかは定かでないが、そこにアイスクリームという最強アイテムも追加され、そのままの生活で社会人となり、そのまま現在に至ってしまっている。週に3度はポテトチップス(うす塩)を一袋ずつ食べるし、毎晩寝る前のチョコとアイスは欠かすことができない。もはや歯磨きをするくらいの感覚で、日常生活の一部と化している。マイブームとは、恐ろしい習慣をうむものだ。さて、そんな私の現在のマイブームは、ずばりトコロテンである。便利になったこの平成の時代、トコロテンは1パック100円くらいでどこにでも売っている。しばらくスーパーでトコロテンを買い続けていたが、夏が過ぎ、秋の気配が色濃くなってくると、なんとスーパーからトコロテンの姿が消えた。夏は終わったが、マイブームは終わっていない。即刻ネットでトコロテンを検索し、大量注文することにした。せっかくなので専門店ところてんの伊豆河童で、せっかくなので懐かしい「突き棒」で押し出すタイプを注文。ここ最近、毎日突き棒でにゅるっと押し出し、ところてんを堪能している。ところてんをにゅるっとするたびに、若干の不安が頭をよぎる。ところてんブームが去ったら、冷蔵庫の大量ストックは、どうすればいいのだろう。マイブームの歴史は、この葛藤を乗り越えることで積み重ねられていく。(っていうほどのことじゃないと思う)
November 13, 2007
コメント(0)
ようやく、安田さんの新刊、発売。『下を向いて生きよう。』って、ものすごいポジティブな言葉でして。ビジネスマンだからって、ビジネスだけを見つめていても成長できないし、ビジネスだけに生きても人生は幸せになれない。過去を含めた今の自分を心から認め、信じられる人は自分しかいない。上へ上へとあがることだけが成長ではない。上を見上げ続けることが幸せなはずもない。徹底的に自己肯定して、今ここにある幸せをかみ締めて、自分が自分であることに満足して人生を送って欲しい、というメッセージ。安田さんのことをよく知っている人と、安田さんのことをある程度知っている人と、安田さんのことをあまり知らない人と、安田さんのことをまったく知らない人。それぞれ、まったく違う感想になる本。おそらく「よく知っている人」に分類されるであろう私は、何度読んでも「ナチュル」と「志茂田景樹」で笑い、「安売り野菜」と「イエロースパットタートル」で泣きそうになる。ちょっと好きなのが「ハマちゃんは勝ち組」のくだり。読者がビジネスマンだとしたら、ここでこの本の本質がわかるのではないだろうか。どんな本を‘ためになる’と感じるかは、その人の本を読む目的によって違う。世の中のビジネス書はたいていHowTo本だから、ビジネス書を読む人の目的は、人が成功した例を学ぶことでビジネスや自身の成長を効率的にすることだろう。その目的だと、安田さんの本はためにならないのかもしれない。でも、もっと本質を考える人にとっては、HowTo本なんて非にならないレベルの気づきを得られるはず。どんな物事でもHowToの前に存在するWhy。そのWhyの重要性とその物事の本質を考える。この考えるという癖がどれほど人生を豊かにするか、もちろんビジネススキルを向上させるか、その事実を目の当たりにすることになるはず。なぜ、その仕事をするのか。なぜ、その人が大切なのか。『千円札は拾うな。』で徹底的な自己否定を考え、『下を向いて生きよう。』で徹底的な自己肯定を考える。今回の新刊は、そんな位置づけ。自己否定と自己肯定。この二つのバランス軸をどこに置くのか。そのバランスがビジネスも家庭も何もかもを支える土台を作る。意図してか意図せずか、安田さんはそんな人生哲学を、2冊に込めたのかもしれない。下を向いて、青空を見る。人間は、そんな生き方をする動物なんだなぁ。
November 10, 2007
コメント(0)
約4年間、断り続けてきた。ゴルフだけは、ゴルフだけは、本当にがんばって断り続けてきた。かたくなに。なのに。約4年間の沈黙が破られた。力づくで。副社長と恵比寿オフィスで打ち合わせをしているときのこと。翌日の名古屋での講演プログラムを話していたら、突如、副社長は立ち上がった。本当に、物理的に立ち上がった。おまえ、ちょっといいか?ちょっといいかって、ちょっと話してますよね?聞いた割には私の返答など微塵も求めていなかった。有無を言わせぬというのはこういうことを言う。書類をジュラルミンにしまい、私のかばんを勝手に持ち、歩き始めた。いくぞ。どーちーらーへーーーー?超早歩きでオフィスを出ると、タクシーを止めた。私を押し込み、本当に、物理的にタクシーに押し込み、自分が乗り込むことで出口をふさいだ。もし私がキャーの一言を発していれば、拉致の現行犯で逮捕である。運転手さん、碑文谷いってくれる?タクシーが走り出すと、副社長は言った。おまえ、こんくらいせんとやらへんやろ。まさか、こんな不意打ちとは。いつも気をつけていたのに、まさか、こんなマジメに仕事の打ち合わせをしているときとは。負けである。間違いなく、恵比寿で打ち合わせしようや、という電話から、計算ははじまっていたはずだ。恵比寿で打ち合わせ→買い物→私の家→自分は出張に出る、である。完全に負けだ。タクシーが到着したのは、碑文谷のVictoriaGOLF。もはや私には1mmも選択権が残されていなかった。私をほったらかしにして、副社長はゴルフクラブやらボールやらなんやらかんやら、買うものを決めて店内を歩き回っていた。呆然としている私はレジに呼ばれた。これ買えや。あ、やっぱり、買ってくれるわけじゃないんですね。カードのサインをしながらも、店員さんに本気で心配されながらも、まだ現実のものとして受け入れられずにいた。副社長は買ったばかりのゴルフセットをかつぎ、さっさとVictoriaGOLFを出て行く。タクシーを止め、再び私を押し込み、自分も乗り込むと、ホッとしたように言った。やっぱりおまえとゴルフしたいねん。残念ながら、そんな甘い言葉にはだまされない。そんなこと言われなくても、心から敬愛している。私の自宅に到着するまで、とうとうとゴルフをしなければならない理由を話す副社長。とうとうとゴルフができない理由を述べ、すべて却下される私。もちろん、それでも現実を受け入れられない。自宅に到着し、タクシーを降りる私。トランクからゴルフバッグを取り出し、勝ち誇った顔で私に渡す副社長。平日の真昼間、自宅前でゴルフバックをかついで呆然とする私。笑顔でタクシーに戻る副社長。週末迎えにくるから。迎えに、こなくていいです。あれから数ヶ月。もちろんまともに練習などするわけもなく、過ぎ去る日々。豪腕副社長がまた動いた。私は今月、コースデビューをしてしまう。まだ、現実は受け入れられない。
November 4, 2007
コメント(1)
目黒の駅ビルにある「果実園」。実は10年以上前、大学時代から気になっていたのに、しかも6年以上目黒に住んでいるのに、未開の地だったところ。行ってみた。想像を絶するほどイケてる。果実園というくらいなので、フルーツ三昧である。驚くほど新鮮で美味しい。しかもなにかとお安い。なんせ、マスクメロン1/2が980円である。メロンって半分とかいう単位で食べるものだっけ?という疑問はさておき、イケてる。なぜか大量のアケビもある。アケビなど、小さな頃に遊んだ山でしか見たことがなかった。メニューもイケてる。誤字脱字が多いところも愛嬌があっていいのだが、なにより店主の自由奔放さがうかがえる。ちなみに前途のマスクメロン1/2の欄には、「1/4にはお切りできません」との注記あり。どちらの気持ちもわからないでもない。そして私の心をがっつりつかまれたのは、この記載。 なるほど。先手必勝方式である。既知の地となった果実園。しばらく、目が離せない。
October 8, 2007
コメント(0)
今日スーパーのレジに並ぼうとしているとき、目の前に2歳くらいの可愛い女の子がいた。隣のレジに並ぼうとしているママを追いかけて歩いていた。その子が動くのを微笑ましく見ながら待っていたとき、後ろにいたパパが言った。「ゆきちゃん、うしろあけて。」私が通れるように、気を使って言ってくれたのは分かる。わかるけど、違うの。パパ、そうじゃないんだよ。いいの。レジに1分でも早く到着したいほど、忙しくないから。子供が自分で後ろにいる恐いお姉ちゃんに気付いて、逃げるまでほっといていいの。いい子にしてる子供にイラつくことなんてないから。微笑ましくて、サングラスの奥の目は優しくなってるの。それに、ダメだよ。子供に、まだ言葉を覚え始めたばかりの2歳の子供に、「うしろあけて」だなんて、オトナ語を使っちゃダメ。子供にとって「うしろ」は、見たり触ったりする場所であって、空けるものじゃないの。まだそんな応用、わからないの。ほら、見て。ゆきちゃん、自分のリュック見ちゃってるじゃない。一生懸命いい子にしているんだもの。そんなオトナな気遣いを覚えるのは、まだまだ先でいいんじゃない?そう。日ごろ仕事が忙しくて、子供と長時間一緒にいられない優しいパパは、こうやって小さなズレを起こす。姪っ子が4歳くらいのとき、スーパーで一緒に買うものを決めてレジに並ぼうとした。同時に列に並びかけた若いパパが、姪っ子を見ながら話しかけてくれた。「先にどうぞ。」その優しい気持ちは分かる。わかるけど、違うの。そのときは私が断った。「ありがとうございます。でも、順番というものを教えなきゃいけないので。」優しいパパたちに、お願いがある。その優しさが子供の教育上アリなのかナシなのか、ママに聞いてみてほしい。なんならママじゃなくてもいい。たぶん女性は、たいてい感覚でわかると思うから。子供のいない私がそうだから、きっと。ただし、公共の場でありえない行動をしている子供には、いや、その子供を野放しにしている親には、昔の人のように怒りをあらわにしてほしい。分別のない行動をしてもいいのは3歳か4歳まで。ウソもつけるくらいの子供になってきたら、もう許されない。自由すぎる子供をそのままほったらかしている親ほど、外出中に許せない人はいない。優しすぎるパパには激励を。非常識な親には成敗を。こうして、いい子が育っていくんですから。ま、子供、いないんですけどね。
September 9, 2007
コメント(0)
ダイエットしなきゃ。と、ヘルシア緑茶を2ケース飲みきったのはもう去年の話。特に、痩せず。ダイエットと体中のコリをほぐすため、リンパマッサージに通いだして数ヶ月。劇的に、太った。どーゆーことだ?どうやら、ちゃんとダイエットを考える人は知っているらしい。マッサージなどをした後、つまり血流がよくなり、吸収率が高まっているとき、思いのままに食べるとよけい太る、ということを。知らなかった。毎回バカ食いである。結果、体重増である。間違いなく体重増とはいえ、日ごろ体重など量ることはない。体重の増減は服の着心地ジャッジメント派。だがしかし、近頃スーツがパツパツである。屈伸で裂ける日も近い。これはもう、体重に目を瞑っている場合ではない。受け止めなければ。体重を目の当たりにして、落ち込め。そこからやる気を奮い立たせるんだ。体重計に乗ると心に決めたものの、さすが私。自分の意思ほど信じられないものはない。決心から3日がたち、ようやく決断した。体重を目の当たりにしてしまおう。しまい込んでいた体重計を取り出し、誰にも見られないのに少しでも軽くするためにジャージを脱ぎ、パンツいっちょで深呼吸しながらスイッチオン。電池が切れていた。電池のストック、ナシ。でもそんなのかんけーねー、そんなのかんけーねー。そう、関係ないのですよ。だがしかし、だ。揺らぐ決心。薄まる本気。むさぼるチョコレート。取り出すアイス。遠のくダイエット。ダイエットのスイッチは、まさに電池が握っている。
September 4, 2007
コメント(1)
大人になると、モノが減らない。子供なら、服や靴はサイズが小さくなるから入れ替わる。でも、もう背も伸びなくなると、基本的に服のサイズが変わらないわけで。まぁ、サイズが変わるときは、喜ばしいか嘆かわしいか、いずれかの理由があるわけで。子供の持ち物は、フローからストックに切り替わる。教科書や教材、着れなくなった服は、ストックになると置いておく場所が変わる。でも大人には、今年1年だけフロー、みたいなモノがほとんどない。あるとしたら、半消耗品である服や靴くらい。大人の持ち物のほとんどはストックなわけだ。中でもやっかいなのは、DVD、CD、本。この子たち、増える一方で一向に減らない。床に平積みされていく本。DVDが増えるたびに増える無印良品の(安い)引き出し。限界が訪れた。我が家にやってきてから一度も、ただの一度もどこに収納されることもなく床に転がるモノたちが、あまりにも増えすぎた。引っ越すか…。真剣に検討したが、二度目はダメな気がしたので、ベッドの脇にこっそり収まる程度の小さめの書棚を購入。思い切って模様替えでも~と言いたいところだが、模様を替えるほどのスペースはない。予定通りにそつなく書棚を置き、散乱した本をしまい、DVDもしまい。おぉ、ぴったり収まったじゃない♪そして気付く。今ぴったり収まっているということは、またDVDや本を買ったら、いったいどこにしまうのかね?減らないモノの収納に、安泰は訪れない。
August 26, 2007
コメント(0)
夏季休暇に突入する前日、会社での仕事を早々に、ホントに早々に終わらせて帰宅。15分で荷造りして、超特急で実家へ。いや、別に飛行機とか新幹線の予約時間などまったくなく、横浜に帰っただけなんですが。虎徹くんが待ってるから~♪一人暮らしをはじめて6年半。実家に帰るとは言ってもドアドア1時間の距離だから、帰るときはいつも無計画。時間を気にしたことなどまったくなかった。でも今回は特別。なるべく早く、1分でも早く、到着したかった。虎徹くんが待ってるから~♪コテツ15歳、ダックスフントスタンダード。11~12歳が平均寿命の犬種だから、虎徹は超長生きさん。ちなみに横浜市では、犬が16歳になると長寿で表彰してくれるらしい。たぶん、人が100歳になったら表彰されるのと同じ感じで。虎徹は今、その表彰を目指している。あと9ヶ月で表彰状ゲットだ。老衰による病気で倒れ、入院したのが2年前。もう死期が近いと家族は覚悟したけど、それから2年、たびたびの発作に苦しみながらも、元気に楽しく生きている。が、やはり老犬。人間の歳に換算すると105歳。かなりの老犬。金さん銀さん的な感じである。虎徹はもうあまり目が見えなくなってるし、鼻もあまり利かなくなってきている。もう走れないし、歩くときはポテポテって感じ。長距離移動はムリ。そこにお盆である。田舎に住む祖母二人のお盆を手伝いに、両親は帰省した。祖母たちも虎徹に負けない年寄りである。なにかと大事な感じの田舎のお盆を一人では乗り切れない。父は父の実家に、母は母の実家に泊まり、母は毎日食事を作って父の家に運び、父は毎日掃除や力仕事で両家を行き来したらしい。というわけで、横浜の家から人がいなくなったわけだ。こりゃ一大事だ。虎徹は一人じゃ生きられない。かくして私は、虎徹以外誰もいない実家へ帰省し、長い夏休みをまるごと実家で過ごした。虎徹と二人で。ま、正確に言うと、虎徹は犬だから私は一人暮らしである。実家で、一人暮らし。初体験である。毎日毎日、お庭で食べごろになったプチトマトを摘み、猛暑でぐったりしている草木に水をたっぷりまき、みかんとブルーベリーの育ちを確認して、全部の部屋に風を通すために窓を開け、夕方になったら門灯をつける。もちろん、お洗濯して、お掃除して、ときにお買い物に出て、自分用と虎徹用のご飯を作って、食器洗って、洗濯物をたたんで、虎徹とお散歩に行って。そんな当たり前の日常生活を、人生で初めて経験した。誰かがいるということは、自分がやらなきゃどうにもならない相手がいるということは、こういう生活をするということなんだ、と体感。子供がいたらこんな感じなんだろうな、と実感。虎徹は犬だけど、私にとってはかけがえのない家族。自分ひとりなら絶対にこんな健康的な生活をしない。できない。でも、とても幸せ。これが、人の幸せというものなんだ。豊作で毎日収穫できちゃうプチトマトをどうやって食べきるか。そんなことに奮闘する。今日は虎徹くん、なかなかお夕飯を食べない。そんなことに悩む。お庭の花が咲き、メダカが元気に泳ぐ。そんなことに微笑む。人間として当たり前の感情と、日々向き合う。この上ない幸せ。この夏の初体験。母はせっかくの夏休みをつぶしちゃってごめんね、と言う。確かに旅行どころか、友達とも会わない夏休みなんて初めてだったけど、これはこれで、なかなかいい時間だった。たぶん私が結婚していたらできないし、もっと若かったら遊び歩きたかったかもしれない。今の私と、今の虎徹でしかできない生活だった。虎徹くんとの愛も、さらに深まった。ハンドルネームに名を借りている偽者(私)は、一緒に住んでいる頃からいつも虎徹の存在に癒されてきた。離れて暮らす今も、なお。まだまだ虎徹からもらったものの方が多い。まだまだ借りを返しきれていない。あと1年、虎徹が生きられたら、来年の夏休みも二人で日常生活の幸せを堪能しよう。プチトマトを収穫して、虎徹のご飯を作って、一緒にお散歩して。
August 19, 2007
コメント(1)
美容院のあと、銀座カネマツにいったんですよね。靴のお直しを4足お願いして。新作をチラチラ見てまわって。もうブーツが並ぶ季節かぁ。猛暑なのにねぇ。なんて思いながらね、見てたんですよ。ここ最近「ふつーのお姉さん」がマイブームでして。靴もふつーのものを買ってみるか、と探したりして。キラキラとかヒラヒラとかしてない靴で。いわゆるフツーのパンプスっていうか。ちょっとベージュっぽい白い靴をね、履いてみました。すると、クリーナーを持ったお姉さんがやってきて。お試しの間に少し磨きますね、なんて。履いてきたサンダルをふきふきしてくれたわけです。カネマツではいつもこうして磨いてくれるわけです。それはとてもうれしいサービスなのです。がしかしですね。そのお姉さん、ベテラン店員さんになにやら相談していらっしゃる。ベテランさん、私のサンダルが壊れかけているとおっしゃる。お預かりしてサービスで修理します、とおっしゃってくださる。あら、かたじけない。ではこのベージュのを買って、履いて帰りますから、と。我、申したわけです。ありがたや、と。担当のお姉さんにカードを渡して、お会計を待っていたのですが。いま購入せんとしている靴を履いて、待っていたわけです。数分して、気づきました。ものすっごく合わない。今日の服に合わない。ひっじょーに合っていらっしゃらない。ジーンズにTシャツです。さらにヒップバックっていうんですか。ウエストポーチっていうか。それですよ。ジーンズにTシャツにヒップバックで手ぶらです。で、買おうとしているのはパンプスです。ベージュの、ふつーのお姉さんな感じの、優しい感じの。合わないじゃないですか。借りてきた靴、みたいな。せっかく買ったばかりなのにダメ靴に見えるっていうか。だいたい、履いてたサンダル、ムラサキですよ。ムラサキと白と青のヒモのサンダルですよ。それがベージュのパンプスになるってどうですか。おかしいでしょ。おかしいんですよ。おかしい。ダメなんですわ。服と靴が合ってない状態って。靴マニアとしては、許せないわけです。確かに、帰るだけ、です。銀座から30分もあれば帰宅です。どこにも寄らずに帰るし。でも、ダメなものはダメ、ですよね。ダメでございます。しかたがなかったんです。しょうがないから、しょうがないから、合う靴を探しました。必要に迫られて、です。キラキラしてるサンダル、買っちゃいました。ベージュのパンプスに追加で。たまたま履いてたサンダルの手入れをしてくださったから、たまたまそのサンダルが壊れかけていたから、たまたま買ったのが今日履けない靴だったから、たまたまそこにあった今日履けちゃう靴を、買っちゃいました。まぁ、偶然って重なるのね。偶然だけど、これは必然だから衝動買いではない、ですよね。うん、違うと思う。あぁ、もう靴しまう場所ないな。引っ越すかな。
August 18, 2007
コメント(1)
初めて買ったレコードはチェッカーズだったか…な。我ながら可愛いセレクションだ。初めて買ったCDはRCサクセションだったかな。我ながら渋いセレクションだ。中学生のとき、ロックに目覚める。きっかけはサッパリ記憶にない。サッカー部のエースと同じくらい、ギターを弾けるちょっとワルい男子がモテた時代である。バービーボーイズあたりの全盛期だから、あれが第一次バンドブームだったのだろうか。キリンが逆立ちしたピアスである。高校生のときはハードロックに心酔。メタル系にも手を出していた。ガンズアンドローゼズやボンジョヴィをカバーするバンドが溢れていた。高校のロッカールームにはプロテインとギターが並び、みんながみんな、ヘブンヘブン言ってた気がする。冷静に振り返れば、なんでロックで天国やねん。しかしその頃はそれがかっこよかったに違いない。ご多分にもれず、わたしも好きだった。リッチーサンボラが。尻あごは嫌いだが、男のロングヘアも嫌いだが、リッチーはかっこよかった。ざっつヘブンズドアである。大学時代には音楽の好みもすっかり落ち着き、洋楽の老舗どころにハマる。QUEENやらCARPENTERSやらBEATLESやらクラプトンやら。あの頃好きになったものは今も好き。ABBAも好き。大学卒業後、音楽を人で選ぶのがめんどくさくなったらしく、やたらめったらオムニバス系CDを買いまくる。DiscoFeverやらLoveLightsやら。ImageやFeelなどのヒーリング系を聞きまくったのも20代前半。そんなに癒されたかったのか、わたしは。こうして、かつてウォークマンを手放せず、ディクスマンなくしては出かけられず、家には5.1chサラウンドシステムまで完備して、音楽なくしては生きていられなかったはずの私、いずこへ。2本のCDタワーが埃にまみれている。一番最近買ったCDは…もはや思い出せない。もう一度、癒されようじゃないか。いい音に、浸ろうじゃないか。iPod nanoを手にしてはや1年。ようやくビニールの衣を脱いだまいあいぽっど。CDを読み込むの…ダルい。3枚で飽きる。iTunesStore楽しい。買ってしまえ。「オリビアを聴きながら」いいじゃない。やっぱり名曲じゃない。「大都会」いいじゃない。果てしないじゃない。リメンバー阿久悠?いいじゃない。地球の男に飽きたところですよ。年を重ねて感じる昭和の音の優しさと完成度。まぁ、生まれる前の歌も多いけど、それでもいいのです。懐かしいもんは懐かしい。いいもんはいい。昭和の名曲よ、永遠に。
August 17, 2007
コメント(0)
『あさきゆめみし』受験生の必読書とも、受験生が唯一読んでも怒られないマンガとも言われているらしい。小難しい古文がちょっと読めなくても、あさきゆめみしを読んでいると、平安時代の全体の流れを知ることができるから問題は解けるそうで。日本史の勉強をまともにせず、大学受験もしなかった私は、「源氏物語」という言葉と「紫式部」という作者くらいしか記憶になかった。かくして『あさきゆめみし』を読んでみたわけですが。光源氏は、たいそう女好きでした。ということ以外に何か書いてありましたっけ?いや、ちゃんと読んだんですよ。いろいろおもしろかったんですよ。作者・大和和紀氏の絵はとてもとてもキレイだし、当時の着物とか、身につけるものとか、行事とか、しきたりとか、平安時代ならではのことと現代に通じることとか、ほほぅと思うところも多々あったんですよ。でも、ですね。物語としては、ですよ。物語としては、つまりそういうことですよね?光源氏という、現代に生きていたら女で身を滅ぼすタイプに分類される感じの、不倫は文化だとか言っちゃう感じの、浮気癖という不治の病にかかった男の一生、ですよね?しかし、平安時代。突っ込みどころが満載である。御簾越しに顔も見ずに話すって状況、おかしくないですか?顔も声も知らない人に恋するって、動機がなくないですか?名前も知らない人に手紙出すって、勇気ありすぎじゃないですか?初めて顔見た瞬間エッチは、ちと早すぎやしないですか?光源氏も息子も父親の嫁さんに惚れるって、節操なくないですか?ぶっちゃけ、近親相姦しすぎじゃないですか?あと。あんなに重そうな着物を着てヒザで歩くって、しんどくないですか?身長より長い髪の毛って、乾かすのに1日かかるんじゃないですか?生き霊っていつの時代まで本気で信じられていたんですか?出産のときってそんなに亡くなる方がいたものなんですか?名前が数字連番の宮姉妹が何組もいたら呼び分けられなくないですか?嫁さんを女房と呼ぶようになったのは一夫一妻制になってからですか?季語を手紙に入れるのってこの時代がはじまりなんですか?んん。この光源氏女好き伝説、日本史を学ぶ土台さえなかった私に、歴史の一端を教えてくれたようだ。子供の頃ほとんど手にしなかったマンガで、学生の頃ほとんど勉強しなかった歴史に触れる。なんだかいいことしている気分。日本の歴史に触れたら、次は海外に進出だろうか。とりいそぎベルバラあたりに手を出してみるとするか。
August 3, 2007
コメント(0)
『負け犬の遠吠え』が超ベストセラーとなったのは、もうかなり前のこと。負け犬。30代、非婚、子ナシ。そもそも勝ち負けで区分しようとするのは男性の習性で、女性は表立って勝敗を決めることを避ける動物。だから、面白いとおもった。作者が自らを負け犬と表現していることも、女性を勝ちと負けに区分していること自体も。とはいえずっと本は読んだことがなかったのだが、先日実家へ向かう道のりの暇つぶしに買ってみた。読んでみた。驚くほどおもしろかった。いや、すごい。娘の人生を心配してやまない両親に、あなたの娘の心情は8割がたここに書かれております、と贈呈したいくらいだ。筆者酒井氏ご自身の話を書かれていたが、ご自身、まったくもって「負け」感がない。世間が女性の幸せを定義し、その姿を勝ちとするなら、私は負けですけど何か?といった感じ。そんなに哀れむなら、こっちから負けを認めますよ、ええ。といった感じ。実に潔い。執筆の思考が、ダンディズムである。だから負け犬なわけだ。なにより響いたのは、負け犬になってからの10か条のひとつ。「産んでない子供の歳は数えない。」撃沈。まさにそれ。それです。女性、特に20代の女性には、選択肢が多すぎる。仕事、家族、結婚、出産、友人、転職、えとせとら。常に人生の選択肢は無数に用意されていて、どれをとっても誰にも責められず、誰からも助けられる。どんなに悩んでいても、どんなにストレスがあると言っても、結局は世間からも親からも彼氏からも甘やかされている。たとえ選択した道で失敗したとしても、なんとなく誰かのせいにして、悲劇のヒロインになる。はたから見ると、そんな感じ。それが女性という生き物。でも本当のところ、世間や親や環境より、自分を責める。で、勝手に後悔し、勝手に落ち込む。この外見と内面のギャップが、女性がめんどくさい理由。言葉では私が悪いんです、と言い、でも頭では誰かのせいだと確信していて、さらにその心の奥では自分の選択や判断のミスを嘆く。あぁめんどくさい。中でも一番めんどくさいのが、「産んでいない子供の歳を数える」的な発想。もちろんそのままの意、あの時の彼氏と結婚してたら今頃子供は小学生かしら…の妄想もあるし、日常生活のいたるところにこの発想のめんどくささが顔を出す。あの時上司があの企画を通してくれたら。あの時パパが彼氏の電話に怒らなければ。あの時信号が青だったら。だったら今頃こうだったのに、という考えは、たいてい何の根拠もなく、ロジックもない妄想だが、今現在の自分よりいい状態にいるであろう自分を想定し、過去に怒る。なぜか自分以外の何かに怒る。女性のこの手の発想は、極めてめんどくさい。そして非常に見苦しい。でも、無意識にしてしまう。そこが女性の可愛らしさなのかもしれないが、弱弱しく見えて強い理由こそ、ここなのではないかとも思う。30代になってから20代の女性をみると、当然自分が歩んできた道を歩いていることもあり、とても愛おしくなる。この感覚、負け犬になってからの楽しさである。でもこの楽しさこそ、世間から哀れまれる遠吠えだ。若い世代に伝えるべきは勝ち犬の幸せであり、負け犬の楽しみ方ではない。とはいえ私はその幸せを体験談で伝えることができない。せめてもの償いとして、負け犬にならないための10か条を、予備軍みんなに伝えたいものだ。私が言うと説得力がなくなるけど、そこは目をつむっていただくとしよう。
July 22, 2007
コメント(4)
「カッコイイとは、こういうことさ。」はい、そういうことです。そういうことなんだと思われます。酔いしれます。マルコ、かっこいいです。ポルコ・ロッソ、最高です。『紅の豚』はジブリの中でも群を抜いてキザなトーク炸裂。マルコはズバリ、ニヒルなダンディである。ニヒルて…古い。古いが、これ以上ぴったりな表現は見つからない。ニヒルなんて言葉が似合うのは、この平成の世にはマルコと田村正和しかいないと思う。マルコは、ニヒルな元祖ちょい悪ダンディである。ジローラモ氏も意識しているはずの存在だ。表参道にショップができるほどの影響力だ。マルコは世界最高のカッコイイ男なのかもしれない。DVDを観るたびに、いつも同じ。マルコに心底惚れこみ、ジーナがうらやましくなる。そして30分ほどすると冷静になる。豚でしょ?「飛べない豚はただの豚さ」ほぅっ。やっぱカッコイイじゃないの。ん?飛べても豚なんじゃない?そして疑う。カッコイイとはそういうことってことで本当にあってますか?いや、間違いなくカッコイイんですけど、やっぱ豚さんですよね?ものすっごいカッコイイんですけど、やはりピッグ的な…。その疑いがいつもに増して濃くなった休日。原因は『007カジノ・ロワイヤル』。今回のジャームス・ボンド、すごすぎる。かっこよすぎる。豚でも、妖怪でも、魔法使いでもなく、人間。たぶん生身の人間。そしてこれまでの進化した007シリーズのように、深海に帝国があったり、宇宙船に乗ったりもせず、地球人の生きる範囲内で戦うジェームス・ボンドだ。カッコイイとはこういうことなんじゃないかと、マルコに尋ねたいところである。ジェームス・ボンド、ラブ。あなたこそ、カッコイイ。しかしなぜ、カッコよさの象徴とされるキャラクターはみなワルなのか。マルコは賞金稼ぎで堅気じゃないし、ボンドはスパイだし、ルパンたちは泥棒だし、ハウルは怪獣だし(ワルではないがヒトでもない)。ま、今日のところはヨシとしよう。なんせボンドがカッコよすぎる。カッコよすぎてDVDマラソン大会になっている。ボンド→ハウル→ボンド→紅の豚→ボンド→ルパン…またジェームス・ボンドに酔いしれよう。
July 15, 2007
コメント(0)
気象衛星ひまわりさん、こんにちは。今活躍中の気象衛星ひまわりさんは7号。初代ひまわりさんは1977年に打ち上げられたらしいので、もう30年もひまわりさんがお天気情報をゲットしてくださっている。ということは、気象庁が天気予報を発表しはじめてから、少なくとも30年はたっているということなのではないか。お天気予報は確率論だから、時間を経るにつれ、その予報的中率は高まっていく。たしかに近頃、予報で晴れると言えばピーカンで、雨が降ると言えばちゃんと降ってる気がする。気象庁、やるじゃん。気象衛星ひまわりさんもなかなかやり手なら、主である気象庁もやり手だ。そんな気象庁さまに、お願いがある。降水確率に、降水量を加えて予報してほしい。降水確率80%の小雨と、20%のどしゃ降り。どちらを知っておきたいか。降水確率80%でも、小雨なら我慢して走り抜けられる気がする。降水確率20%でも、土砂降りなら傘を準備しておきたい気がする。そもそも、家を出るときに雨が降っていなければ傘は持ってでない。たとえ午後にむかって降水確率が高まるとしても、持って出ない。でも、降るとしたら絶対どしゃ降りでございます、と分かっていれば心変わりするかもしれない。傘を持ってでかけるかもしれない。今ほど傘を買わなくてもよくなるし、風邪もひかない。無尽蔵に増え続ける我が家の傘。一人暮らしなのに混み合っている我が家の傘立て。助けてほしい。気象庁にはお天気データベースがたんまり貯まってるはず。そろそろ、降水量もいけるに違いない。東京、明日のお天気は、最高気温27度、最低気温15度。降水確率20%だけど降ったら超どしゃぶり注意。みたいな感じ、希望。超ド級の雨におびえない生活、希望。
July 12, 2007
コメント(0)
ダイエットしなきゃ。たいていの女子はコレが口癖だ。推定8割。世の中の8割が癖ならもはや普通である。わたしもいたって普通の女子である。毎日のようにこれを思い、3日に1回は口に出している。残りの2日は何を口に出しているかと言えば。ダイエットは明日から。どおりで明日が来ないわけだ。1歩すすんで2歩さがっている。永遠に明日が来ない。このままではいけない。週に1回はそう思う。そしてダイエット方法を考える。考えるだけ考えて何もせずに終わる日が続く。自分の意志ほど信頼できないヤツはいない。でもたまに意を決するときがある。今度こそ成功することを祈って何かを買う。例えばコントレックスをダースで。まずい…。この水まずすぎる。ボルヴィックと交代で飲む感じでもいいでしょうか…。例えば高額なダイエットサプリメントを。暑い…。生きてるだけで汗をかいてたら生活に支障をきたす。冬が来てから再開するということでいいでしょうか…。例えば豆乳クッキーダイエットを4箱も。美味しいから続きそう…いや、まて、わたしはほとんど外食だ。コレに置き換える食事がない。お義兄さんにプレゼントしちゃうっていう消却でいいでしょうか…。ダイエットに本気じゃないわけじゃない。ちゃんと本気だ。でも、これが自分の本気なのかと思うと実に悲しい。極めて信用性の低い本気である。自分の本気が信用できないままじゃ困る。これは精神論ではない。困っているのは脂肪である。くじけている場合ではない。次だ、次。ヘルシア緑茶をケースで買ってみた。んーこりゃ実にシブい。急須に残った出がらしのお茶だ。でもオフィスにおいて1日1本なら続けられるに違いない。あるのかないのか知らないが内臓脂肪は燃えるらしい。燃えろ、脂肪。消えろ、脂肪。ヘルシア緑茶24本飲みきって脂肪が消えなかったら…。もう1ケース買って飲み続けるか否か。そのとき本当のダイエット本気度が計られる。
November 5, 2006
コメント(3)
今はワールドカップでさえ熱くなれないほどサッカー音痴だけど、昔はけっこうサッカーファンだったんだよな。サッカーファンというか、井原正巳ファンだった。そう。Jリーグが始まる前。アノ頃が一番サッカーに、いや、井原氏にハマった時期だった。昔過ぎる…。TVでやっててもみないのに、サッカー観戦に行った。横浜Fマリノス×鹿島アントラーズ戦。大丈夫。この2チームくらい私でも知っている。トリコロールと赤でしょ?選手は一人も知らないけど。何かお仕事でご一緒できれば、と、横浜マリノスの方とお話を進めていたらご招待いただいた。ロイヤルボックス席御招待カードを。ロイヤル…ボックスっすか。なんか緊張する文字っすね。ありがとうございます。お言葉に甘えてお邪魔いたします。お邪魔いたしました。グラウンドにすっごい近かったです。ロイヤルボックス席と一般観客席の間には警備員さんがおいででした。ね、ね、ねらわれやしないですよね?でも、至れり尽くせりのサッカー観戦というのは素敵なものですね。大人になった気分です。(いや、十分オトナです。)サッカー音痴な私ですが、日産スタジアムで観戦するサッカーは、驚いたことに…むっちゃおもしろかったです。スタジアムの中にケンタッキーがあったことも、日産スタジアムの超プラスポイントです。ケンタッキーのチキンをほおばりながらのサッカー観戦、最高っす。マリノスカラーのひざ掛けも貸していただいて、さすがロイヤルボックス席です。プロスポーツのスポンサーになるのって、純粋にスポーツを応援する気持ちが一番だと思っていたけど、いや、今でも思っているけど、オトナなスポーツ観戦を楽しめるっていう特典もついてくるのね。素敵なことじゃないですか。だがしかし、オトナなスポーツ観戦にはオトナに車で向かうべし。新横浜駅から日産スタジアムまで、徒歩15分。ピーカンで気持ちのいいお天気に負けて歩いてみたわけです。帰りも、2万4千人の人波に流されるままに駅まで歩いてみたわけです。これはいかんかった。良くない選択だった。オトナはやっぱり車で乗り付けるべきだった。往復30分の徒歩で、筋肉痛とはこれいかに。次にお邪魔することがあったら、絶対に車で行こう。…と心に誓う筋肉痛の夜だった。
October 22, 2006
コメント(0)
土曜日から2日間、胃痛で全ての予定がおじゃんになった。久々の激痛で、久々に自分の体に不安を感じた週末。このまま3連休を胃痛との闘いで過ごすのか…と思っていたが、愛は胃痛にも勝ることを知った。月曜日は、実家へ行って虎徹(愛犬)に会い、姪のピアノの発表会を見に行く予定があったから。だから、治まったんだと思う。愛は勝つ。胃にも。ピアノの発表会で、4歳から18歳まで、たくさんの子供たちが演奏するピアノを聞きながら、ピアノを習っていた頃のたくさんの思い出がよみがえった。3歳から12年続けたピアノ。どうしても好きになれなかったピアノ。幼稚園の頃、紺色のワンピースで発表会に。人生初の本格的‘緊張’と出会ったのはあの時だったんだろうな。お姉ちゃんだけが出ればいいのに、って思っていた。10歳くらいのときだったかな。演奏曲は「トルコ行進曲」。練習中いつも同じ小節でトチッてうまく弾けず、本番を迎えるのがイヤでイヤで仕方がなかった。発表会当日に風邪ひいたりしないかな…なんて、ズルを考えるようになったのがこの頃。でも結局風邪なんてひかなくて、本番はやってきて。練習のときトチッたところでやっぱりトチッて、たしか1小節分、多く弾いちゃったんだった。中学に入ってからだっただろうか。ピアノ好きな姉とピアノ嫌いな妹の連弾。それなりに弾ける二人の連弾だけあって、なかなかの大作だった記憶がある。ピアノは一番長く続けた習い事。一番最初に始めて、一番最後まで続けた習い事だった。それなのに、どうしてもピアノ好きになることができなかった。でも、今でもピアノをやっていてよかったと思う。音に対する絶対感覚は、ピアノのおかげ。和音の聞き分けができるのは、間違いなくピアノのおかげ。狭い部屋なのに5.1chサラウンドシステムなのもピアノのおかげ。足音や呼吸音を人の認識材料とするクセもピアノのおかげ。3歳から音に触れ、自分で奏でる音を聞き分けてきたおかげで、わたしは何かと音に敏感な人として育つことができた。ピアノを弾くことは好きになれなかったけど、人生を豊かにする素質を、手に入れることができたのだと思う。好きなことを続けることが血肉になるのは当たり前。嫌いなことを続けることで手に入れる血肉こそ、人生に深みを出す要素となるに違いない。これは大人になっても同じことだけど、子供の頃にしか手に入れられないものもある。大人になってからはじめても、幼少からの経験者にかなわないもの。芸術とか、スポーツとか、しつけとか。人格の軸となるものでもあり、才能の発掘にも趣味の形成にもなる土台。たとえ嫌いでも続けることに価値があるものには、そんな土台になるエッセンスが秘められているのだと思う。私が好きじゃないのを知りながらピアノを12年も続けさせてくれた母、ありがとう。私が練習嫌いなのを知りながらピアノを12年も教えてくれた小畑先生、ありがとうございました。姪のピアノの発表会を見ても弾きたいと思えないくらいなので、私は未だにピアノ好きにはなれていないようです。でも自分の子供には、絶対にピアノを習わせようと思っています。はい。目下の不安は子供に弾いて聴かせてあげられるかどうか。この1点です。その前に早く子供を産めよ、と思っています。はい。
October 9, 2006
コメント(2)
F1日本GP鈴鹿サーキット、ミハエルシューマッハ、エンジントラブルでリタイヤ。ありえない。ありえない。ありえない。もぅっ!神様のイジワル!!あと1レースで引退するMシューマッハ。今シーズン逆襲の赤き皇帝と言われたシューマッハを、F1界に1時代を築き上げたシューマッハを、私は12年間、心ひそかに応援してきた。セナがサンマリノのレース事故で亡くなって以来、セナの魂を背負って走るシューマッハを見続けてきた。90勝もしてるのに、優勝すると少年のようにはしゃぎ、喜ぶシューマッハを。セナが好きだったから。男の夢を追いかける本田宗一郎氏の意志を形にしたセナが、ホントに好きで、憧れだったから。だから、シューマッハが好きだった。セナが事故で亡くなったサンマリノGPで優勝したとき、追いかけてきたセナの記録を越え、F1史上最強ドライバーになった優勝会見で、涙を流したシューマッハが好きだった。だから、だから、だから…アロンソが嫌いだ。世代交代とか言われているけど、確かにアロンソは新しいドライバー時代を築くだろうけど、そんな理論的な問題じゃない。とにかく皇帝シューマッハを敵視するアロンソが嫌いだ。存在が嫌いになってしまったら仕方がない。顔も嫌いだ。顔が嫌いになってしまったらもう取り返しがつかない。どんなに強かろうと、どんなに速かろうと、嫌いなものは嫌いだ。早くアロンソの次の王者が誕生して欲しい。F1は、男の夢、男の浪漫だと言われる。それはつまり、現実離れした競争の象徴だからだ。血を流さない戦争だからだ。冷静に考えれば、F1は世の中に不要である。道路交通法的に時速300キロが許可される時代はやってこないし、20インチを越えるタイヤの開発が一般車に役立つとは思えない。車が速く走ったからなんなの?という疑問だけは持ってはならない。それがF1というモータースポーツだ。でも、間違いない。F1は男の浪漫だ。浪漫を求めるたくさんの男の、夢の結晶だ。年俸100億円以上を稼ぐのなんて、スポーツ選手といえどタイガーウッズとシューマッハくらいだ。好きだろうと好きじゃなかろうと、誰もが世界の頂点だと認めるスポーツだ。F1での対決は、男の夢度合いと浪漫への本気度の戦いだ。ざっつ、男の浪漫戦争。だから、神様もイタズラをする。エンジン止めたり、タイヤバーストさせたり、シューマッハを倒すためだけにアロンソを育てたり、神様も忙しい。有終の美は、そう簡単には飾らせてくれない。だからこそ、飾って欲しい。超音速の男の浪漫戦争で時代を作った男シューマッハに、奇跡の勝ち逃げを、成し遂げて欲しい。ブラジルGPはシューマッハが優勝、アロンソがリタイア。これで奇跡の逆転優勝、逆転ワールドグランプリ王者になる。だから神様、もう一度。今日シューマッハにしたイタズラを、アロンソにも。これで来週アロンソが完走したら、もっと嫌いになっちゃうんだから!
October 8, 2006
コメント(0)
焼肉を食べに韓国へ。ジンギスカンを食べに北海道へ。お好み焼きを食べに大阪へ。じゃあ、アリでしょ。むしろ近いでしょ。ラーメンを食べに宇都宮へ。餃子じゃないよ。ラーメンだよ。行ってまいりました、100キロ彼方のラーメン屋さんへ。あぁラブ。2年前まで目黒にあったラーメン屋さん。目黒のときは「麺たま川」。宇都宮では「麺玉」というお店になっている。ここのラーメンがもう、ホントに、うまいんだ。目黒から宇都宮へ移転してから2年。2年ぶりに食べた玉ちゃん麺はパワーアップしていた。一層美味しくなって、待っていてくれた。この写真を撮り、箸を入れ、スープを飲んだとき…泣きそうだった。新幹線で宇都宮へ向かい、宇都宮駅からタクシーに乗ること20分。最寄の駅に寄ってないんですけど…。でも、辿り着くまでの苦労なんてもはやどーでもいい。この味に会えるなら。さらに泣きそうになったのは、オヤジさんと女将さんの暖かさ。目黒のとき以来であることに気付いてくれて、感動する私たちを見て、女将さんも感動してくれた。新幹線に乗り、宇都宮駅からタクシーできた私たちを気遣い、なんと帰りはオヤジさんが駅まで送ってくれた。しかも女将さんが「これ持って行って!」と大きな梨をお土産にくれた。あぁ…なんて素敵なご夫婦なんだろう。「また来ます。」そう言って感動の別れをしてきた。行く。絶対に行く。ラーメンを食べに宇都宮へ。しゃぶしゃぶやら焼肉やらお寿司やら…。食事をしたら1万円を越えることだってあるじゃないか。往復交通費に1万円かけて1000円のラーメンを食べたっていいじゃないか。ラーメン1杯1万円。安いもんだ。
September 29, 2006
コメント(4)
携帯を発売間もない新機種にして、改めて実感。まったくついていけてない。進化に。最新機種を手に入れてはみたが、あまりにも高性能&機能充実っぷりに、機種変当日に諦め始めた。いや、まて。機種変した理由を思い出せ。モバイルSuicaにしたかったんだ。飛行機に乗るとき、空港に向かいながら携帯でチェックインして、空港に着いたらチェックイン機に携帯をピッとかざす。クレジットカード+タッチパネルの操作がなくなっただけで、なんて便利なんだろう…と浸った。もう、ケータイでチェックインせずに飛行機に乗るなんて考えられない。ただこれだけのことで、ケータイの進化をありがたく思った。Suicaもケータイになったら、きっともっと便利になる。わたし、ちょーモバイラーになっちゃうかも。モバイルSuica、設定完了。1度だけだけど使ってみた。電子マネーEdy、チャージ完了。ampmでもソニプラでも買い物してみた。マイルをEdyに替えたりもした。ちょっとちょっと、わたしったらちゃんと使いこなせてんじゃないの~?若いっって感じじゃん?モバイラーじゃーーーーん♪あの…BlueToothってなんすか?青い歯…じゃないっすよね。あきらかにね。違うね。違う。ダ、ダメかもしれん。。。やっぱりモバイラーにはなれないかもしれん。いや、諦めちゃいかん。戦うんだ。BlueToothを味方につけろ。はっは~ん、なるほどね。ワイヤレス操作ができるヤツね。ワイヤレス…つかわねーな、こりゃ。いや、いかん。つかわにゃいかん。イマドキのケータイを使いこなさにゃならん。買ったぞ。BlueTooth用ヘッドホン買ったぞ。GBサイズのminiSDも買った。さて、何をどうすればココで音楽が聞けるんさね?・・・。まってろ、マイケータイ。君が得体の知れない機械から味方になるまで、わたしは進化と戦うぞ。
September 3, 2006
コメント(1)
山形県酒田市。山に囲まれた庄内平野にある酒田は、果てしなく真っ直ぐ、地平線がまーっすぐみえる。(車を運転しながら写メできちゃうほどいなか @宮海)この極めてマイナーな都市…いや、都市じゃない、田舎町だ。この田舎町は、私にとって唯一の身近な本物の日本のいなか。横浜生まれ横浜育ちだけどの私が、間違いなく都会の人なんだ、と実感してしまうほどのいなか。ちょっと車を走らせれば突然ハスが一面に広がってたりする、いなか。(車を突然止めて写メできちゃうほどいなか @国道7号線)両親が生まれ育ったこの田舎の、町側…田舎の中でもまだもって町っぽくお店が立ち並ぶ辺りに父方の、海側…田舎の中でも特に田舎であることを楽しめる海辺の村に母方の、両方、今となっては一人暮らしとなった祖母が住んでいる。二人とも80代半ばでありながら大病もせず、元気に自分の足で歩き、早く嫁に行け、早く曾孫を抱かせろ、とうるさく言い続けている。それは甚だ勝手な祖母たちの希望だが、大切な祖母たちの希望だと思えば叶えてあげたくもなる。ここ5年ほどは、お盆の時期には家族揃って二人の祖母に会いに行っていたが、でも今年は揃えることができず、バラバラに行くことに。元気でピンピンしているとはいえ、84と86の婆さまである。なんだか色々と忙しい田舎のお盆を一人でこなすのは一大事。せめて婆さまたちの足になろうと思い、一人で酒田へ行くことにした。とはいえ、2つの家のお盆を一人で乗り越えるのはチト大変だと思っていたところ、同じく独身貴族(・・・。)である母方の伯母も休みを合わせて取ることができ、めでたく二人で酒田へ赴くことに。なにかと、お金はかけられても時間をかけられないのが独身貴族。通常の倍近い料金に変貌している飛行機を予約し、婆さまたちがラクに乗り降りできるレンタカーを予約し、時間をお金で買う手はずをバッチリ整えて出発した。しっかし、田舎のお盆ってのは忙しいものだ。お仏壇も神棚もない家で育った私には、手伝いをしながらも、お盆の意味はよくわかっていない。茄子で作った牛と馬は何の役でそこにいるんだ?お数珠は何のために手に持つんだ?お参りするお墓は、一体いくつあるんだ!そんな疑問を持ちながら、お墓参り、お稲荷さん参り、お寺さん参りを着実にこなしていく。こなしていく…まさに、そんな感じだ。なんせ、同じ市内の車で10分の距離に両親の実家がある。同じスケジュールでお盆という行事が行われる2つの家を、3日間行ったり来たりするのが、オトナになった孫の勤めである。4日間、2つの家を行ったり来たり…しまくった。両家ともいくつものお墓をお参りするから、もはや、一体誰が入っている墓なのか、さっぱり不明だ。ご先祖様には申し訳ないが、私がお墓参りをするのは、そこに眠るご先祖様たちではなく、今ここに生きている祖母のためである。祖母たちのため。祖母たちが喜んでくれるなら、元気なうちに、できるだけ、顔を見せに行きたいと思う。茄子の牛と馬も、作り続けようと思う。
August 15, 2006
コメント(1)
なんせ健康のためには死ねないタイプだから、体に悪いことは止められず、体に良いことは苦手。もはや、私には健康という言葉が似合わないレベルにまで達している。友人に誘われて行ったゲルマニウム温浴は1回ぽっきりで終了。野菜ジュースを飲む習慣も半年足らずでなくなったし、数々のサプリも買うだけ買って放置してしまう。今度こそ真剣に通えるだろうと入会したスポーツクラブも、入会した日以来行かないまま半年以上が経過し、退会した。岩盤浴にも行ってみたが苦痛でしかなくて、だいたい、なんでわざわざ出向いてお金を払って汗をかかにゃならんのか、意味が分からない。マッサージは、必要だから行くわけじゃん。でも、汗をかきに行くのはなんでなんだ?デトックスなんて言葉が流行ってるけど、早い話が解毒でしょ?体内の毒を感じるの?あー今、毒たまってるって感じぃーってことがあんの?なんて天邪鬼なことを考えていたけど、これがいかん。そんな疑問を持たずとも、間違いなく私の体は毒されている。酒飲みだし、タバコ吸うし、基本外食だし、あんま日に当たらないし、なるべく汗かかないように生きてるし、貧血持ちだし、すぐ胃潰瘍なるし、寝付き悪いし。きっとドロドロ血だし。さすがに三十路を越えた身でこれはマズイ。そんな時、知ってしまった。酸素カプセルの存在を。カプセルに入って数十分、寝転がってるだけ。汗もかかず、着替えもせず、携帯とかいじりながら、転がってるだけ。こんなラクチンなのに、効果はすごい。まず、二日酔いが一発で治る。さらに、酸素カプセル後2日くらいは二日酔いにならない。寝つきが悪いハズなのに、カプセル内では昏睡できる。夕方カプセルに入ると足のむくみがとれる。そして、肌の調子がよくなる。これは間違いなく体にいいはずだ。さすが、ベッカムが愛用するだけある。さて、酸素カプセルに入ってれば健康になれるのか。しばらく通って体がラクになってきたら、ちゃんとデトックス的な何かに通う気にもなるかもしれない。がんばろ。(いや、酸素カプセルは何もがんばる要素がない。)
August 6, 2006
コメント(0)
私じゃないですよ、えぇ。自分の部屋のカーテンじゃないです。我が家の玄関の目の前に引っ越してきた新婚さんですよ。新婚さん、とうとうカーテン購入ですよ。もう、ほんと、拍手を贈る!よくやった!!よく買った!!これで不本意にも覗いてしまう生活から開放される。拍手!なんなら握手!誰だか知らないけど、ようやく心からおめでとうだよ。祝・結婚!祝・カーテン購入!幸せな新婚生活と私の平穏生活に乾杯!
July 31, 2006
コメント(0)
日テレの「真相報道バンキシャ!」に出ました。安田さんが。(生放送のスタジオで写メはサスガに自粛したため画像はないが)7/30(日)放送当日、特集企画が変更になった。当日だよ?報道番組ってスゴイなっ。…と思っていたけど、現場に入ってその考えは吹っ飛んだ。吹っ飛んだっていうか、もっともっとスゴイことがわかってしまった。キャスター福澤氏、打ち合わせ部屋に現れる。「どーも皆さんこんばんはっ!福澤ですっ!」(えぇ知ってますとも…)「あっ誰かのケータイ置きっぱなし。とりあえずメモリー消去しとこっか(笑)」(な、なんて自然でサワヤカなんだ…)続いて、キャスター菊川氏、登場。「始めまして。菊川です♪」(おいおい可愛いなこりゃ)「今日はよろしくお願いしまーす」(あぁもうホント、よろしくお願いします)ものの5分で事前打ち合わせは終了し、スタジオへ。スタジオってこんなにサッパリしてるもんなん?ざわざわ人がうごめいた状態のまま、いつの間にやら放送スタート。(ちょっとみなさーん、始まってますよー)VTRが明けてスタジオに切り替わる5秒前、ディレクターさんがカウントを開始。(おぉぉっと。福澤さんの顔が変わった!)台本の通り、正確に進行されていく現場。驚くほどピッタリに、進行されていく。驚くほど…ってか、驚く。ご意見バン二人のコメントの長さに応じて、福澤氏や菊川氏が次のVTRやCMまでの残りの秒数を調整する。台本通りの台詞で、ちょっとしたコメントを添えて、調整する。20秒を25秒に、5秒を3秒に…ほっんとに正確に。現場対応力、スゴイなっ。そりゃね、彼らはそれが仕事なわけですけども。そうなんですけども。でも、やっぱスゴイって。1秒も余らせることなく、ピッタリに台詞を終える。VTR中もCM中も、同じテンションで場を盛り上げる。「愉快なひと言」って台本に書いてあったら、愉快なひと言を言えてしまう。あぁプロフェッショナル。プロって、こういう人のことを言うんだな。まだ日テレが麹町にあった頃、朝出勤時に日テレ前を通りかかったらちょうど、「ズームイン!」とあのポーズをしている福澤さんを見かけた。あのとき、この人朝っぱらから熱いな、とか思ってゴメンナサイ。あのとき、あぁジャストミートじゃんね、くらいに斜め見してゴメンナサイ。福澤さん、私はいま貴方様を猛烈に尊敬しています。これぞ本物のプロフェッショナルだと、心酔しています。あぁでも、でも、でも、今週ちびまるこちゃんを見ちゃったらゴメンナサイ。たとえちびまるこちゃんをみちゃったとしても、福澤さん、私は貴方様を心から尊敬しています。たとえちびまるこちゃんをみちゃったとしても…。
July 31, 2006
コメント(0)
日テレの「真相報道バンキシャ!」に出ます。7/30(日)18:00~の生放送。ご意見バン!というコメンテーターで。あ…私じゃなくて、安田さんが。番組サイトの「次回のご意見バン!」にも出ちゃってます。安田さんが。私は…一緒に行くだけ。生放送の報道番組に出るのは初めて。しかし、TVってのはスゴイ。当初予定していた企画が最新の話題に変更された。1時間のゴールデンタイムの報道番組。その特集企画が、2日前に変わるもんなんだ…。企画が変わったってことは、2日間で取材とか撮影とか編集を全部やるってこと。TV局の方々が眠らないというのもうなずける。さて、どんなあんばいになることやら…。おっきな楽しみとちょっとの不安。わくわく。
July 29, 2006
コメント(0)
10人いたら10人が「超美人」だと思う美人は、そんなにいない。私も人生30年で出合った美人は数多くいるけれど、人それぞれの好みによって、そのレベルは分かれるのが普通。超美人>けっこう美人>美人>まぁ美人くらいの段階に分けられるのが普通。だから、100%の人が最上級の「超美人」に位置付ける美人は、希少なわけだ。で、一人だけ、私が知っている100%の超美人がいる。ジョヤンテの川崎社長。これ。ジョヤンテ川崎社長の処女作『上司の頭はまる見え。』。参考までに、帯の写真がものすごくキレイだが、本物はココからは推測できないほどに、見惚れて卒倒するほどに美しい。で、この『上司の頭はまる見え。』がまた、おもしろい。いや、友人(というのはおこがましいものの…)だから言うのではなく、本当に、純粋に、面白い。難しいことは何もなく、女性という生き物についての解説書的なもので、とても易しい言葉で分かりやすく、読みやすく書かれている。読むと、その外見からは予想もできないオヤジ気質がうかがえる。(だから…分かってるって。失礼だってわかってるんだって。)何より、第一章のタイトルが素晴らしい。「男は女の9割を知らない。」これは私の推察だが、世の中の女性の9割の人を知らないという意味でもあり、女性という生き物を構成する成分の9割を知らないという意味でもあるのだと思う。この本が、その9割を知る術を教えてくれる。なにも女を味方に付けろ!ってわけではなく、‘女だから’アレルギーから開放されてラクになって欲しい、というメッセージ。女性を部下にもつ男性管理職はもちろん、男性上司を持つ働く女性にも、女性社会で働く女性にも、家庭という場所で過ごすご夫婦にも、自信をもってオススメしたい。コミュニケーションのすれ違いは、お互いへの思いやりが足りないから起こるのではない。互いを思いやる土台がないから、つまり相手の特性を誤認識していることで起こるもの。男性女性という性別の差だけでなく、人はそれぞれが性格という個性を持っている。コミュニケーションが100%成立することなんてありえないけど、100%に近づけようとする努力が、そのすれ違いの幅を狭めていく。その努力とは、まず自分が「知らない」こと「分からない」ことを認めること。人間は、自分のことを理解している人ではなく、理解しようと努力してくれる人に、心を開く動物だから。知ってるつもりで突っ走るより、知ろうと努力する自分を認める方が、今は知らない自分を認める方がずっと素敵。そして、それが知りたい相手の心をも動かす動力になるということを、川崎さんの本が教えてくれた。社長が書いた本だからジャンルはビジネス書だけど、タイトルに「上司」ってついてるから余計ビジネス書っぽいけど、ビジネスや会社に限らない‘人間関係’の鉄則本として、老若男女問わず、オススメしたい。
July 21, 2006
コメント(3)
3歳のとき、愛媛に住む親戚のお宅へ遊びに行ったことがあるらしい。あるらしいが、もちろん記憶はない。だから、私は四国へ行ったことがない。というのも、あながちウソではない。昨日、徳島へ行った。行ったは行ったが、徳島県滞在時間は4時間半だった。徳島空港→ホテルクレメント徳島(徳島駅):豪雨の中タクシーで移動(30分)ホテル内で昼食(1時間)仕事(2時間)ホテルクレメント徳島→徳島空港:さらなる豪雨の中タクシー移動(30分)空港で搭乗待ち(30分)以上。以上である。豪雨のため、タクシー車内から景色は見えなかった。唯一覚えているのは、四国一の河川だという吉野川の濁流。唯一口にした徳島っぽいものは、空港で飲んだすだちジュース。以上。以上である。これは‘四国へ行ったことがある’カウント的には有りか無しか。無しだろ。どー考えても無しだ。ということで、私は四国へ行ったことがない。というのも、あながちウソではない。珍しく日帰り出張をしてみたのは、日経ベンチャー経営者クラブ主催経営セミナーでの講演のため。もちろん講演したのは私ではなく、安田さんなわけだけど。今年1月にこの新作『千円札は拾うな。』が出てから、やはり例年よりも講演依頼をいただく件数が増えている。とても嬉しく、ありがたいことではあるものの、やはり本業は経営であって、講演や執筆ではないのが社長という職種。ゆえに年間講演回数はある程度制限していて、全てのご依頼にお応えすることは難しいのが実情。まだまだ小さな会社ながらナマイキだとは思いながらも、地域や規模、参加者属性などによって、お引き受けできるかどうかを判断させていただく。もちろん安田さん以外の講演者で対応する場合も、ある。でも今年は、その制限回数をちょっと増やさないと…と思うほど、途切れなく様々な講演依頼をいただいている。嬉しい悲鳴とはこのことだ。嬉しい悲鳴は講演以外にもいろいろあって、近頃この悲鳴たちが、広報屋である私の心を俄かに揺らし始めている。果たしてこれは、本当に嬉しい悲鳴なのか。かつて目指していた状態が現実になっているだけなのではないのか。これは、新しいステージの始まりなのではないか。コーポレートPRを本格的にやり始めて、3年。少しづつの変化ではなく、大きな変化のときがやってきたのかもしれない。変化の時とは、今までの何かを捨てて、新たな‘目指すべき姿’を明確にすべき時。新たな失敗と試行錯誤を始めるときが、いや、過去の成功体験と単純な喜びを捨てるときが、やってきたのかもしれない。
July 21, 2006
コメント(0)
お隣のマンションに新しい住人さんがお引越しされてきたようで。2週間前。玄関のドアを出ると、ちょうど目の前にそのニューカマーさんのお部屋があって。たぶん、新婚さん。たぶん、サッカー好き。たぶん、派手な服が好き。いや、違うの。覗いてるわけじゃないの。見えちゃうの。だってね、カーテンしてないんだよな~。しかもね、片付かないんだな~。2週間も。毎日ね、私が玄関出るじゃん?カギ、かけるじゃん?振り返ってエレベーターに向かって歩くじゃん?そうするとね、いやがおうにも視界に入るわけですよ。そろそろ進歩を見せてくれないと、強行手段に出ますよ。「カーテンを買おう!」とか、張り紙しますよ。いや、そんなことしたくはないんだよ。んなことしたら、わたし頭おかしいじゃんね。でもさ、気になるんだよね。そこのニューカマーよ、カーテン買おうぜ。頼むから。
July 2, 2006
コメント(0)
ここ数週間、めっきりハマっている。「古畑任三郎」に。かれこれ10年以上前に始まったドラマ「古畑任三郎」は、開始当初から見逃したことがなかった。もともと三谷幸喜さんのファンだったし、刑事コロンボも好きだし、田村正和さんも好きだし、連続ドラマは苦手で1回完結型が好きだし、ばっちりストライクゾーンにハマっている。ドラマの初回、犯人は小石川ちなみ。中森明菜が演ずるコミック作家だった。その後の犯人役もストーリーもトリックも、ほぼ完璧に記憶している。桃井かおりさん、明石屋さんまさん、菅原文太さん…。印象深い回がいくつもいくつもある。今年のお正月、3夜連続で「古畑任三郎FINAL」の放送があった。その2夜目の犯人役はなんとイチロー。この組み合わせ、卒倒寸前。お正月早々、TVに張り付いていたことは言うまでもない。同時に何年ぶりかで「古畑任三郎」熱が再発した。当然「古畑任三郎FINAL」のDVD-BOXは発売と同時に購入し、3話を5回づつ…いや、イチローの回だけはもっと多めに見まくった。そしてとうとう、やってしまった。全シリーズのDVD、大人買い。そして今、連日連夜、夜な夜なDVDを見まくっている。そろそろ夢にまで黒い服の男が出てきそうだ。40話以上にわたる全シリーズを見て、すっかりその世界に浸っている。未だ解決できないアノ1点のナゾを除いて。男はなぜ赤い洗面器を頭に乗せて歩いていたのか…。もっかい全部みよ~っと。
June 25, 2006
コメント(1)
添い寝で姪を寝かしつけた後、スヤスヤ眠る姪の横でなかなか眠れない夜。部屋の中で片付けたい部分を考えてみた。まず、クローゼット。もう入らない。クリーニングに出している服が戻ってくると、いつも入らない。こないだ可愛い後輩たちがタラフク服を持って帰ったのに、入らない。服、また捨てるかぁ…。おっ!名案がっ!ベッドの下の引き出しの反対側が空いている。あそこにコートや結婚式用のドレスを入れてしまえば、だいぶ空く。必要なものは…そうだ。防虫剤と防虫シートだ。これさえあれば、クローゼットの中がかな~り空く。バッチリだ…。バッチリ過ぎる…。よしっ!明日決行だ!!次、下駄箱。靴が溢れている。こないだ9足あげて、2足捨てたのに、溢れている。そういえば、3足お直しに出したとき新しく2足買ってしまった。その前に買った2足も履いてない。どんな靴買ったんだっけ…?おっ!名案がっ!チェキだ。チェキ。靴の写真を撮って、箱に貼ればいいんじゃん?1枚箱に貼って、1枚棚に貼って、完璧じゃん?すごーい。これで下駄箱整理もバッチリだ。ん?靴が減ってはいないな…。んーーーーーま、いっか。お直しの靴を取りに行った時は新しい靴を買わないようにがんばろーっと。よし、次だ。次、本棚。本は…減らない。いい勢いで増えるけど、減らない。すぐ買うけど全然読まないから、減らない。どうすべきか…。とりあえず、ドデカイ本たちだけは棚の上に並べたままに。普通サイズの本たちは…ま、床に積み重ねてしまえ。片付いてないな。これじゃまったく片付いてない。んーーま、いっか。読んでないから捨てられないしな。うん。よーし、次だ、次。次、洗面台。洗面台、混んでる。もう使わないかな~と思った化粧品とかクリームとか、捨てたのに。引き出しに入りきらないシャンプーとかトリートメントとか。あーあと、ティッシュとコットンと綿棒。これだ。よしっ!決めたっ!イケてるティッシュケースとチビゴミ箱を買おう。それを洗面台に置けば、余計なモノをバシバシ置かなくなるはずだ。うっし。とりあえずフランフランでも行くか。次は?つぎ…おっと、次、あった。次、DVD。今の部屋に引っ越して1年以上、そのまま。使わなくなった衣装ケースに押し込めてある。そのケースはベッドと壁の隙間にこっそり置いてある。観ようと思ったときに取り出すのが大変。引っ越して、1年。棚を買おうと思って、1年。通販カタログを見まくって、1年。そろそろちゃんと棚に収めないと、映画を観るたびに腰を痛める。わかった。通販カタログとにらめっこしてるのがいけないんだ。手っ取り早く、無印に行こう。行ってよさげなモノがなかったら、また考えればいい。よーしっ。無印へGOだ。GO!あ、あとアレ。アクセサリーたち。お洋服に合わせて付け替えればいいのに、毎日一緒。たまに替えるとしたらネックレスくらい。カゴにガシガシ入れてあるからグジャグジャになってる。あーそういえば、チェーンが切れちゃってるんだった。切れちゃってるのが2つあったな。あれ、直したいな。チェーンのお直しってどこに持っていけばいいんだろう?とりあえずむき出しのアクセサリーたちを引き出しにしまおう。んで、ちゃんとお洋服に合わせて付け替えるようにしよう。お直しは…駅ビルでも歩いてみるかな。あとは…。あとは…。ぐっ・・・ぐぅ・・・ぐぅぅぅ・・・。(就寝)ん…寝覚めが悪い。んん…帰って部屋のお掃除でもするか。かくして、今日やったこと。お洗濯。お風呂場のお掃除。洗面台のお掃除とティッシュケースとゴミ箱の設置。ついでに買ってしまったお部屋用のティッシュケース入替え。読んでない本の積み重ね(だけ)。防虫剤一式の購入。コートとドレスをパッキングしてベッドの下へ。(冬になってコートを出すときはどこに掛けるの?)クローゼットのお洋服並び替え。切れたネックレス修理。(なんと無料だった…申し訳ない気分でいっぱい)無印良品でDVDケース購入。DVD入替え。(4ケースでぴったり…ということはまたすぐ買わねばならん)衣装ケースの廃棄。ゴミ箱の新旧入替え(新しく買ったゴミ箱を半年くらい放置していた)。ベルト引き出しの追加。(ベルトもこれまた増え続けるアイテムだ…)お部屋全体のお掃除。バッチリすぎる…。今日のわたくしったら完璧だ。おおぉぉっと。チェキを忘れた…。また今度やる気になったときのために、チェキはとっとこう。うん。そうしよう。完璧だ。今日のわたくしは完璧だ。これだけいろいろやったのに、部屋の見た目が一切変わっていない。いいのか?見た目が変わらなくてもいいのか?んーーーーーーーーーーーま、いっか。いい。完璧だ。今日のわたくしは完璧だった。だったんだ。
May 7, 2006
コメント(0)
宇宙と交信している人に出会った。名刺には「宇宙システム部通信システム課」とある。見慣れた言葉で構成されてはいるものの、さっぱり理解できない。宇宙システムって、なんやねん。こっちの方がやってることがわかりやすいよ、と英語版の名刺をいただいた。Communication Payload Systems SectionSpace Systems Departmentpayload?なんか搭載してる感じ?さっぱりわかりませんけど?「衛星つくってます」はっは~ん、なるほどね。ん?なるほど?なるほど撤回。衛星つくってるって何よ。人工衛星ってやつよね?ソレつくるってなぁどーゆーことよ。いろいろ聞いてみた。なんとなく、わかってきた。たぶん気のせいだけど、わかってきた気がする。「衛星」ってものは、いろんな用途で宇宙空間に浮かんでいる。気象衛星とか、放送衛星とか、通信衛星とか、そーゆーの。地球の周りを、赤道沿いっていうか赤道上っていうか赤道にあわせてというか、とにかく赤道を軸として、静止衛星が浮かんでいるらしい。だから、静止衛星を打ち上げる先の緯度は常に0度らしい。静止衛星ってのは止まってるわけじゃなくて、地球と同じ周期で自転しているから、地球から見ると静止しているように見えるらしい。地球の円周である赤道は約4万キロ。そこから約4万キロの高度に衛星はいるらしい。その数、約200個。衛星と衛星の間は角度にして約2度あけて打ち上げないと、その衛星から情報をゲットするアンテナが別の衛星と交信してしまうらしい。ほら、よく見るあのでっかいパラボラアンテナ。と言われたが、残念ながらパラボラアンテナなんて、そんなによく見かけない。ってことは、あの巨大なアンテナも200個なん?いやいやそれは、もっとたくさんあるらしい。アンテナにどの衛星が飛ばす情報を受信するかを設定していて、テレビとかの衛星放送は、たくさんのアンテナが受信したヤツで成り立ってるらしい。地球はほぼ円だから、単純に考えると360度。2度の間隔で衛星を浮かべるなら、180個しか打ち上げられないよね?残りの20個はどうしてんの?だから「約」2度であって、厳密な角度は違うらしい。その計算なんかをすることも、「衛星をつくる」に含まれるらしい。その打ち上げ先の経度によって使い分けられる衛星打ち上げ場所が世界中にあって、そのひとつが、種子島なのだそうだ。ここから打ち上げられる一番有名な衛星と言えば、気象衛星ひまわり。今がんばってるひまわり君は7号で、8号は既に作られているそうだ。ちなみに衛星の寿命は約10年で、だいたい10年ごとに入れ替わっているらしい。ちょっと前まで作ってた衛星は今TV放送に使われてるらしい。いま作ってる衛星は3年後に打ちあがるらしい。その次につくる衛星も、もう決まっているらしい。で、結局「衛星をつくってる」ってのは何をさしているのか。宇宙空間=無重力で、衛星が地球と同じ自転をするようにするとか、通信衛星なら通信するためのデータの送受信機能をつくるとか、その衛星を宇宙空間の決めた位置にぴったりハマるように打ち上げるとか、そういうことを、計算してるそうだ。やっぱり、さっぱりわかりませんけど?宇宙と交信している人は、宇宙人だった。Communication Payloadって言うからにゃ、地球人との通信機能も搭載しておいて欲しい。
April 30, 2006
コメント(0)
宅急便やクリーニングの宅配をお願いすると、たいてい、2時間くらいの幅での時間指定をすることになる。午前中に荷物を受け取ってから会社に行こう、とか、夕方クリーニングを集荷してもらってから出かけよう、とか。この時間帯、迷う。迷いが続く。お風呂に入ってる間にピンポンが鳴っちゃったら困る。歯磨きしてる途中だったら急いで口を濯いでもう一回やり直し。トイレに行ってる間だったらどうしよう?ピンポンがいつ鳴っても出れるように、準備万端でいねばならない。でかける前でなければ別に準備もないけど、おでかけ前だと準備がいろいろあるわけだ。かといって、宅配のお兄さんのためにバッチリ準備をするほど人間ができてはおらず、だいたい中途半端な状態でお迎えすることになる。お化粧の途中で片目だけアイライン入りだったり、お化粧だけ終わって頭にタオルを巻いてる状態だったり、髪も乾かし終わってるのにジャージだったり。お兄さん、ごめんなさい。毎回毎回、同じコトを思う。じゃあお願いしてる時間帯前に準備を終えておけばいいじゃない。いやぁこれが、できない。ゆえにいつも、毎回同じく、ハラハラ迷うことになる。今まさに、迷っている。歯磨きのタイミングを、狙っている。あっ!ピンポン鳴った!
April 22, 2006
コメント(1)
いろいろな人にいろいろな場面で聞かれる。こだわりはナンですか?こだわりがあると言う人のこだわりは各論で、こだわりがないと言う人のこだわりは総論だ。というのが私の見解。じゃあカテゴリを仕事に限定してみると。こだわりが何かと聞かれたら、美しさ、と答えている。美しい仕事というのもまた総論ではあるけど、ひとつひとつの思考や作業が、美しいかどうかということだ。新しい企画を立てるときで言えば。その企画はビジネスとして成り立つのか(つまり儲かるのか)、社会の役に立つのか、プラスを生むためにマイナスを背負う人が生まれないか、誰が幸せになって、その量はどれほどか。たとえ新商品のPR戦略だって、これを必ず考えるべきだと思っている。会議の議事録を取るときで言えば。会議出席者や目的がわかりやすいか、議題と討議内容と結論が見やすく整理されているか、日本語が正しいか、誤字脱字がないか、この会議が何を生み出すことにつながるかわかるか、次のアクションが明確か。身内の他愛もないミーティングでも経営会議でも、同じことだ。当然のこととして美しさを求めているけど、最近この美しさの難しさを感じることが多々ある。美しいことは、正しいことよりも難しいから。正しいからといって美しいとは限らない。でも、美しければ正しい。スポーツのフォームが、美しければ正しいように。だからこそ、やっぱり仕事には美しさを求めたい。正しいことを正論で証明しようとすると論破せざるを得なくなりるけど、美しいことを通すためには単純な正論や論破は必要ない。美学を共有できる人となら、もっとも分かり合える方法。それが、美しい仕事をする、ということだと思う。美しく、厳しく、優しく、楽しく。欲張りに、美しい仕事をしようと思う。
April 16, 2006
コメント(0)
どうしても、どうしても、カレーとポトフが食べたくなった。どっちも優劣つけがたいくらい食べたかったから、同時に食べる方法を考えてみた。ポトフみたいなカレーとか?スープカレー?いや、カレーライスがいい。カレーとポトフが両方あるお店は?カレー屋さんではないな。ポトフって何屋さんにあるの?思い当たらない。カレーとポトフを両方作る?どちらも少量作れない系統のお料理だしな。カレーだけ作るか?いやまて、今我が家にはお米がない。じゃあカレーは外で食べるか?いやまて、ポトフを先に食べたかったと後悔するやもしれん。ポトフを作る材料を先に買いに行くか?いやまて、カレーは買うってことか?カレーを買ってきて、ポトフを作ればいいのか。結論の出ない葛藤をしているうちに、2時間が経過した。とりあえずスーパーに向かってみることにした。家を出て1分。Coco壱番。入ってしまった。初めて、入ってしまった。生まれて初めて、入ってしまった。食べた。カレー、終了。なぜか安心した。お店を出て歩き出した途端、思わずはにかみ笑いをしてしまった。怪しかった。これで安心してポトフだけを作れる。スーパーで野菜を購入するなんていつ以来だろう。じゃがいも。にんじん。たまねぎ。春キャベツ。さあポトフを作ろう。あ、肉類がない。忘れていた。ウィンナーとか入れるもんじゃなかったっけ。なかったことにした。ただの、野菜煮込みになった。美味しい。カレーとポトフへの湧き上がるような恋が終わった。あっけなく、終わった。恋って、こんなに儚いものだったかしら。
April 16, 2006
コメント(0)
伯母が下北沢から銀座に転勤した。伯母が勤める会社(美容院)は、松本平太郎美容室という。松本平太郎。もちろん、社長の名前である。ヒトゴトながら、なんだかスゴイ名前だ。そういえば、十数年前に一度お会いしたことがあった気がする。この松本平太郎美容室、なかなか大きなグループらしく、銀座には5店舗ある。伯母が転勤したのは銀座本店。銀座中央通りの銀座カネマツ本店のすぐ隣、PRADAの前にある。この銀座本店、完全個室制なのである。予約の時間に行くと、部屋に通される。完全予約制で部屋数以上の予約が入ることはないから、フロント周りで待つこともないし、他のお客さんと顔を合わせることもない。お部屋には大きな鏡とテーブルと椅子がひとつ。ガウンに着替え、スリッパを履き、荷物をしまう。椅子に座って、髪いじり開始。タオルやケープなどもすべて個室の中に用意されているから、美容師さんがあっちこっちに歩くこともない。部屋を出るのはシャンプーのときだけ。これまた個室になっているシャンプー台も普通の美容院のものとは違い、背を倒すアノ椅子ではない。普通に座った状態で、美容師さんも腰をかがめずにシャンプーができる。だから、カオにヒラリと布をかけられることもない。お客さんにも美容師さんにも優しいシャンプー台だ。ココで、フットバス登場。シャンプーしながらフットバス。なかなか気分がいい。個室では、ペリエやボルヴィックとゴディバのチョコを出してくれる。ついでに、ボルヴィックを飲むグラスはバカラだった。ん、どこまでもセレブリティなんだな。伯母が勤めていなければ行くことのない空間だ。美容院に行くと、鏡越しに人間観察をしてみたり、普段は読まないレタスクラブなどの雑誌を読むのが楽しみだったわたしは、完全個室と聞いて、ちょっと不安になっていた。超ヒマでつまんないかもしれない、と。いやしかし、個室というのはなかなか良いものだ。周りの美容師さんやお客さんのことを気にせずに伯母と話せるし、担当するお客さんが重なることもないから無駄な時間もかからない。もちろん、美容師さんと話すのが好きでなければ、無言で静かに雑誌や本に没頭することだってできるのだろう。なかなか、いけてる。さて、どんなお客さんがいるのか、聞いてみた。遠くからはるばる来店するご令嬢。(セレブってやつか)いろんな会社の社長。(周りの人の目が気にならないからかな)普通のおばさん。(なぜ?)銀座が好きなお姉さん。(憧れかな)世の中には、いろんなニーズがあるもんだ。私はたまたま伯母がいるから行ってるだけだけど、お買い物は銀座に行くことが多いし、なんせ愛用する銀座カネマツ本店の隣だし、伯母とは気兼ねなく家族の話に没頭できるし、フットバスは気持ちいいし、美容院へ行くのが今までよりも楽しみになりそうだ。完全個室の美容院。美容院で周囲にやたら気を配ってしまう方には、オススメ。
March 26, 2006
コメント(1)
全360件 (360件中 1-50件目)