Laub🍃

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2012.09.18
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カテゴリ: .1次メモ
「えー、いらんかね、いらんかね。自己灯影はいらんかね」

 灯篭売りの声が夕暮れの街に響き渡る。

「ひとつくださいな」
「わたしにも」

「まいどありー」

 薄紫色の風呂敷。そこに座す小さな樹に成るいくつもの光る珠。そこからぷち、ぷち、と小さな音が連続する。遠くから聞く子供の笑い声のように、少し耳障りで、少し楽しげなそんな音に、客足が吸い寄せられ、途絶えることはない。
 灯篭売りは、金を受け取っては、珠をもぎ取り客に手渡す。
 暮れなずむ街、そこに棲むすべてが共犯のような世界で、一つの違和。

「……何、それ?」


 本来なら数分前に、彼は家の中に入りその暖かな承認された灯りの中で晩御飯が出来るのを待つ筈だったのだが、太陽の沈む方向の斜め前に、ふっと過った灯りがどうしても気になってしまったのだ。

「おや、お客さん自己灯影は初めてかい」
「うん。それ、いったいどんなものなんだ?」

 無防備な子供らしい好奇心に輝いた目を覗き込んで、灯篭売りは口の端を穏やかに釣り上げた。

「そうだね、この珠は、はじめはただの灯りだよ。見れば、どこか安らげるだけの。けれどね、少し、後ろを見て見な。」

 お代も貰っていないのに、灯篭売りはぷちりと一番小さな珠をもぎ、少年に手渡す。

「……影だ」
「そう。そこには、きっと光の輪郭の内側に、君の姿が映し出されるはずだ」
「懐中電灯を当てられた時みたい」
「ああ。目を凝らさなければ、同じことだ。じぃっと、その影を見てごらん」
「渦……?なんだか、いくつもの塊が見える。それと、一つの川みたいなモヤモヤ…」


 にこりと笑う灯篭売りの瞼の裏の目は、若い者に対する僅かな嫉妬と、それを上回る親心に似た気持ちで満たされていた。

「うん」
「何か悩んだ時に、その影を掴んでみな。それが、珠に削り込まれていくから。きっとそれはお客さんを沈ませもするし、浮かばせもする。けれど、いつかお客さんを救う筈だ。持っておいて損はないよ」
「…じゃあ、買う!お題いくら、おっちゃん!」

 また笑った灯篭売りは、元気な声が夜闇に吸い込まれ、初雪のように地上に落ちるのを聞き届けてから、喉を働かせる。

「…あれ!?」

 少年の手の平には、いつのまにかぴかぴかと珠の光を反射して光る硬貨が載っていた。

 少しいつも使うそれとは違うような気もしたが、見ているだけで目を射られるそれをよく観察することもなく、少年は灯篭売りに渡した。

「これは、お客さんの『純粋さ』の一部の値段。後は、その珠が成長した時に見せてくれるだけでいい」
「純粋?」
「自己灯影というものに気付いてしまった時点で、お前さんはそれを見ない世界を少し失ったのさ。……いずれ、分かるよ」

 そうして少年は光を見ては、影遊びをして、そうしながら歩いている内に家に辿り着いた。


 そうして見る世界は、見る物語は、見る自分は今までとは確かにどこか違っていた。
 自己投影自己観察自己肯定自己否定……翻って見る自分以外の存在。


 もはや彼は灯影で見たものと似たものは全て受容し、似ていないものは全て恐怖の対象にしていた。


「……なあ、どうすればいい?」

 問う相手は珠。自分自身。
 それは運よく答えてくれることもあればそうでない時もある。

 他人の自己投影である珠を見て、それと自分自身を重ねることで足りない部分を補う日々。でなければ、体当たり。

 かつての少年は自己灯影を見るのをやめたかった。
 けれどいつの間にか少年はすっかりそれにのめり込んでいて、抜けることなどできなかった。

 ある日灯篭売りが帰り道に座っていた。あの日のように茣蓙を敷いて、薄紫の風呂敷に光る球を携えた樹を置いて。

「なあ、灯篭売り。新しい自己灯影をくれないか。これはもう淀んでしまった」
 思わず話し掛けた彼に、灯篭売りは、あああの時の、という顔を一瞬浮かべ、直後に顔をしかめた。

「それは、お客さんの勘違いだ」
「え?」
「それも、立派な色で形だよ。……だども、まあ、それでは新しい色も形も霞んでしまいやすいかもしれん」

 そう言って灯篭売りは、新しく実をもぎとった。昔の少年は、昔と寸分たがわず、成長した手の中にある硬貨を彼に渡した。

「……これも、育てな」

 昔よりも口数少ない灯篭売りのもとを後にして、彼は少年の頃に見た球をもう一度見詰めた。ポケットに入った一つ目の自己灯影がさきほどからぷるぷると震えているが、今はこちらに集中したいのだ、と抑え込む。

 白い珠は、未来を象徴していると思えた。そうしてそれが彼を通し生み出す影は、彼の過去を。
 けれど白い珠は、彼の思う未来、彼の想像の先にほかならなかった。

 結局は白い珠の導きではなく、自分自身でそこから読み取らねばならないのだ。己が世界との共通点を見付けるための手助けとなるそれだけで、絶対的に強制的に先へ導くのはもっと違うもの。

「これから、お前は増えるんだろうな」

 かつての夢。野球選手になるという夢。それは、もぞもぞと動くポケットの珠のはじめに育てられた場所にあった。

 それはいつにか新しく育てられた絶望に浸食された。

 そうして生まれた笑い声は絶望した彼の声であり、野球選手を目指していた彼の断末魔だった。

「今度は、好きな珠にできるかな」

 爺さんになっていつか珠を縁側にでも並べて眺められたら。そうしてそれを一緒に見詰められる、自己以外の誰かが居たなら。……その誰かの自己灯影も、見せてもらえたら。

 そうだ、この夢を次の自己灯影にはじめに刻み込むとするか。





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最終更新日  2015.08.17 03:03:45
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