Laub🍃

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2017.02.08
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カテゴリ: ●少年漫画
「人は自殺すると最低六人の人を不幸にする」
なので、自分が不幸にした人間を幸福にしなさい。
でないと貴方は零体のまま永遠に時間の狭間に閉じ込められます。

そう言われたいじめ自殺系幽霊男子の、最初からクライマックスなお話。

洒落にならない虐めばかりを受け続け、この世の全ての人間が敵や他人に思えてしまった主人公は飛び降りる。
これで全部終わりだと。

しかし、気が付いたらその翌日になっていた。
自分は自殺に失敗したのかと思った主人公だったが、どうやらそうではないらしい。
変な恰好をした「女神」が目の前に現れる。冒頭の言葉を自分に放ってくる。うかうかしている間に目の前で事は進み、自分の「せい」で不幸になる人物が意外な相手だということを知る。


それは、主人公が大嫌いないじめの主犯格達ではなく、

例えばそれを止められなかった者。
例えば自分が口を出すと悪化するかもしれないと思っていた者。
例えば、それに気が付けなかった者。

主人公が手を出せるのは物を動かすことと、失敗して誰かが不幸になった時一時的な時間の巻き戻しをしてもらうことのみ。

…その力で、6人中5人を2巻(引く説明回)というハイスピードで主人公は救っていく。
短い中でそれを可能にしたのは、様々な関係同士を結び合わせること。
この結び方が非常にかっこよくて面白い組み合わせなのもまたいい。
それはまるで、自殺しようとする人間と、その人間と繋がりを持つ人との糸の結びとも重なって思える。
女神は、酷い展開の中でも感動の展開の中でも

「死んだことに後悔してる?でも、もう生き返ることは出来ないのよ」



けれど、5人を救った主人公はなおも問う。

「教えて下さい。それでも自殺してはいけないんですか?」

「死にたいから死んだんじゃなくて、生きることから逃げた」
「そんな人生で何故生き続けなくちゃいけないんですか」



……その答えが、6人目の「不幸」に現れる。


そんな人間が、
「生きたくないという人に、それでも生きて」
と言えるのか。


ーーーー他の5人と違って、立場も何もかも違うような関係の結びも出来なさそうな彼が、
主人公と同様に誰にも相談出来ず口をつぐんだ彼が、どうやったら救われるというのか。

主人公はそれを救えるというのか。

最後のループ。

彼は、一つだけあった「物で言葉を伝える」手段を見付ける。


**********

煉獄のカルマ 2/廣瀬俊/春場ねぎ
オンライン書店boox
**********

→三巻へ。



個人的には絵柄の青春と臓物がまじりあってる感じがとても好きです。
2巻の表紙:満面の笑みのいじめっ子が泣きそうな無表情のいじめられっ子の遺影を抱えている様子。これはひどい。このいじめられっ子が実はまだ現世に留まってて、他の人を救いがてら制裁展開に持っていくーという内容でなければ許されないこの表紙。
というかこのいじめっ子君がいじめっ子攻めによく居るタイプ過ぎる。
個人的にはドMや共依存が相手でない愉快犯いじめっ子攻めは喩え蝉の調理に手間暇かけていようと蝉におしっこかけられていようとあまり可愛くは見えないかな…。

いじめっ子の裏話(話しかけたいと思ってた相手が他の奴とヒーロー番組について話しはじめたから入っていけなくて拗ねてぐれた)もちょっと気になるには気になるんだけど。

主人公が死んでからするヒーロー的な行動が、主人公がこれまでしてきた色々な行動と繋がっているとなれば。主人公は無自覚で色々な人と関わって、助けてきたとしたら。もしかしたらいじめっ子も実は助けられたことがある、その一人だったんじゃないのか…なんてね。料理に使う手間を何故普通に接することに生かせないのか。その歪みはどこから来ているのか。怖いもの見たさで気になる。

一方、遺影を抱えられなかった人。
六人目のその人は遺影を抱えることも意志をうけつぐこともできずに、つぐないの方法を一つしか知らず、口をつぐんだまま。

償いを全身で示すその人に主人公が言う、

●●は何の為にそんな恰好をしているんだ

は重い。

その人は唯一、ある意味で加害者な人だから。
…こうした、「何の為に償っているのか」分からないようなポーズというのは、案外世の中に沢山あるものだろうとも思う。
本人も分からなくなっているのかもしれない。​


**********追記。



こういう場合に蝉ご飯っていうのはどっちにもダメージ掛けてそうだよなあ…。
どっかでご飯&虫だかGだかを何の躊躇もせずいただきますした漫画あったな。
寄生獣かな。夏Aかな。


**************追記。345読みました。
正直「笑顔の道徳は強い」以外はちょっとしっくりこない部分が多かった。

「貴方は自分が天国行きと思うか?地獄行きと思うか?」といったくだりで
「スカイハイ」という話を思い出した。だけどなんとなくイメージが違うのは、
スカイハイは死と裁きの道徳の面が強く、煉獄のカルマは赦しと生に重きを置いた道徳の話となっているから。
「悪になる覚悟」的なもの、「殺す覚悟」「死ぬ覚悟」を「カルマ」は徹底的に認めない。
それは確かにある面では正しいんだけど、生物としては認めてはいけないんだろうけれど、それでも最後に出てきた「それでも俺は死にたい」を選びきった人には、どこか共感してしまう。

煉獄のカルマのやり方で救えない者も確かに居る。
スカイハイ形式がいい、殺させろ、楽に死なせてくれ、生き返らせないでくれという者も居る。
生かし、生きてさえいればどうにかなるの話は、正直あの短期スパンでこなす問題ではない気がするし。……だから2巻・3巻まではともかく、45巻はちょっと半目で読んでしまった。
というか世の中に認められなくても普通に、仲の良い相手を幸せにだけしたいっていう一部の主人公と、世の中に認められるアイドルになりたがる二部の主人公では色が違い過ぎるというか……。

嫌いじゃないけど、でも一部の雰囲気カムバックってちょっと思っちゃった部分があるかな。
第三者の価値観に影響されて生きようと決める所はかっこいいと思うけど、でも信じようとして裏切られた時も、生きようとして死にたくなる時もそれはずっと支えとして機能してくれるのかな?

……それについての説得できるだけの条件が、あまり4・5では満たされていないように感じてしまった。





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最終更新日  2017.02.27 08:39:24
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