さて、今日も 前回 の続きから
家庭は、自己中を封鎖する最後の砦(性の規範)をも失いつつある
>実家に彼氏・彼女を泊まらせるって普通?
親の前で性の話はタブー
という家庭が大半だった。 性=非行
とでも言わんばかりに、親は子供に、 性のマイナスイメージ
を植え付けていた。それは、恋愛なんかにうつつを抜かしていては、私権獲得
もままならない、という親の算段だったのか。多少なりとも 親に同化した子供たちも、 後ろめたい気持ち
で彼氏・彼女とセックスすることの方が多かった
。
だから、性がオープンになることは、一見すると可能性に見えたりする。...でも、
実家に彼氏・彼女を泊まらせるって普通?
の事例は、何かおかしい。
本来、男女の和合は、 集団内
における充足源。
すなわち、生産課題と同じように「 みんなの課題
」の一つであった。だから、みなが充足を得られるように、何がしかの規範も存在しただろう。 性は、みなの認める規範の元で営まれてこそ、 最大の充足基盤
(安心基盤)となる
。
現代でも、私権・自我の
性が衰弱したとはいえ、まだまだ本源の性が実現されていない背景には、「性」が集団課題として皆に開かれるに至らないから。逆の言い方をすれば、 皆に開きだすまで、最も時間が掛かる(自我の
温床になりやすい)のが「性」の課題なんだと思う。
翻って、上記の
ような事例。親の承諾を得た=認められた性のように感じるかもしれないが、それは誤りではないか。
規範の崩壊した
(ルールのない) 家庭内
で、子供が自由に振る舞っているだけであって、その 性の自由
は、ただ 自我の温床
、 自己中の温存
にしかなっていない。
つまり、この事例から見える事実は、開かれた性が実現しつつあるというよりも、むしろ、親も心底私権獲得
という目標に収束できなくなった結果として、
「課題もなにもない家庭は、自我を封鎖する最後の砦(性の規範)をも失った。」
ということではないだろうか。
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なるほど~
確かに、昔の家庭のイメージって、学生なのにセックスしてることがバレたら「このふしだら娘!」とかって、グーで殴られそうなイメージ。
我が家の場合は・・ (自分で言うのもなんですが‥) 規範の崩壊した自我の温床家庭 でした
私(24才)が高校生の時は、首にがついていようが、 部屋にコンドームが落ちていようが、特に何もいわれなかった。 というか、そのころは、性に限らず、規範という規範を破りまくってたなぁ・・
最初は、「夜中までどこほっつき歩いてんの」とか「帰ってきなさい」とか怒られてたけど、あんまりにも破るもんだから、最後にはあきらめられてしまった。(お母さん、ごめん~)
こうやって(子どものわがままとか親のあきらめ?)、自我の温床ができてた(むしろ、作ってた!)のか~。
さて、ここまで規範の崩壊した家庭をどうするか?
みんなで追求していきましょう!→ 密室家庭は人間をダメにする
言葉のチカラ☆.。.:*・° 2006.10.04 コメント(3)
『いい男♂の条件』と『いい女♀の条件』 2006.10.03 コメント(2)
一緒にいるだけで☆.。.:*・° 2006.09.27 コメント(5)
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