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群馬県高崎市のかみつけの里博物館で現在「第24回特別展 ゆくもの くるもの」が開催されている。北関東の後期弥生文化をテーマとしており、特別展に関連した講座も開催される。去る平成27年12月13日に群馬県教育委員会文化財保護課の深澤敦仁氏による講座『新たな時代の到来を予感した“樽の人々”』を聴講したので覚えを残しておこう。行きつけのラーメン店が閉店して「この味ももう食べられなくなるのか」という感慨で一つの時代が終わる時代の変化を感じたという話から始まった。群馬県の後期弥生時代の人々も古墳時代に移り変わる中で時代の変化を感じた筈ということで話は進む。以下の四部構成で講座は進行。1 “樽の人々”が使った土器2 “樽の人々”が感じた変化3 新たな時代の到来を予感した“樽の人々”4 新たな時代の中で生きた“樽の人々”ここでいう“樽の人々”とは群馬の弥生後期の土器で櫛書文を多用した樽式土器を使った人々のこと。実年代的にはA.D.100~250くらいに盛行した土器という話だった。配布資料1枚目表より(「図2 樽式土器の編年」は若狭 徹『古墳時代の水利社会研究』p.36 による)配布された資料のように編年も研究されて1~3期に画期されている。各期は以下のように性格づけられるという話があった。1期 成立2期 定着3期 展開この時代の文化流入ルートとして半島系鉄剣などが出土している長野県との結びつきが元々あり、北陸そして丹後に繋がる人・物の交流ルートがあったという話があった。また、大風呂南一号墓の例を挙げて卑弥呼の時代(その少し前か?)に日本で最も盛り上がっていた地域は丹後という話もあった。丹後はおぢさんはノーマークだったので今後注目してみていきたい。樽式土器に混ざる外来系土器の話もあった。おぢさんが気になったのは下図では左から2番目の南東北系の土器。東海、北陸など西側はなんとなく共伴の例は知っていたが、常陸、南東北など東側とのつながりはどうだったのか気になった。後で知ったのだが南東北系統の流入も結構あることが分かった。配布資料1枚目裏より有馬遺跡の鉄剣や銅釧など金属器の輝きに当時の人々は時代の変化を感じたかもしれないという話に確かにそうかもしれないと思った。その後配布資料には無いが会場ではプロジェクターで弥生後期と古墳前期(樽式期と石田川式期?)の遺跡の分布が地図で示され、この時期の遺跡が丘陵部から平野に移動している様子が一目瞭然に示された。下の図13の円の大きさは感覚的なものだが土器質量をもとに平野部の高崎地域は発展するのに対して山あいの渋川地域はさびれてしまう様子が示されている。配布資料2枚目裏よりその平野部で目立つ古墳時代の土器は東海系の石田川式土器であり、平野部の開発に長けた東海人が流入したのではないかという見方が示された。東海を示唆するものとしてS字甕・前方後方系周溝墓の言及があった。石田川式土器の例配布資料2枚目表より石田川式の遺跡として玉村町砂町遺跡と徳丸仲田遺跡が挙げられていた。
2016.01.01
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庄内期から布留期にかけての中河内地方の甕A~Gの変遷。「II久宝寺遺跡第1次調査(KH84-1)」(『財団法人八尾市文化財調査研究会報告37』)を再構成して作成。〔甕A〕 弥生V様式の系譜を引く甕 A1 胴長の体部に突出する平底が付く。体部は三分割成形。 A2 体部上位に最大径を持つ。底部は突出気味の平底。体部は二分 ないし三分割成型 A3 球形の体部に小さな平底が付く。体部は二分ないしは三分割成 形。一部体部外面にヘラケズリを行うものがある。〔甕B〕 いわゆる河内型庄内式甕。 B1 体部上位に最大径を持つ。体部外面は三分割成形に沿ったタタ キ(太めのタタキメ1cmあたり3、4本)の後、縦方向に上位と下位を中心に ハケナデを粗く施す。体部内面はヘラケズリ。底部は尖り底な いしは小さな平底。 B2 体部中位よりやや上部に最大径を持つ。体部外面は右上がりの 連続ラセンタタキ(中細のタタキメ1cmあたり4、5本)。体部外面のハ ケナデは中位以下に粗く施される。底部は尖り底ないしは小さ な平底。 B3 体部中位に最大径を持つ。B2に比してタタキメの幅がやや細く (1cmあたり5、6)なると共に、体部外面の中位以下は密なハケナデに よリタタキメが消されている。底部は尖り底ないしは丸底であ る。 B4 体部はほぼ球形にちかくなる。体部外面のタタキメは極細(lcmあたり 7、8本)になり、中以上ないしは上位のみに施される。ハケナデも タタキメが施されている部分のみで、中位以下には施されなく なる。底部は丸底である。〔甕C〕 いわゆる大和型庄内式甕。〔甕D〕 布留式影響の庄内式甕。形態は甕B4と同様であるが、体部外面 がハケナデによる調整が行われるもの。内底面に指頭圧成形を 行うものがある。〔甕E〕 布留式傾向甕。布留式甕の属性の一部を持つ甕を総称した。他 地域からの搬入品も多く、形態はバラエテイーに富む。〔甕F〕 いわゆる布留式甕。 F1 口縁屈曲部の彎曲化と口縁端部が丸味を持って肥厚するほか、 体部外面上位の水平方向のハケナデを特徴とする。内底面に指 頭圧痕を残し、ケズリが屈曲部に及ばない。 F2 口縁端部の内部肥厚が内傾し面を持つ。 F3 口縁部が上外方に伸びる。体部外面全体に不整方向のハケナデが 行われるものが多くなる。〔甕G〕 甕F3と形態は同様であるが、口縁端部が肥厚せず直口のもの。関連記事: 土器―弥生中期後半~古墳前期の近畿の土器の様相(資料) 土器―弥生中期後半~古墳前期の近畿の土器の様相(資料2) 土器-近畿地方(中河内)の庄内期から布留期―壺類 土器-近畿地方(中河内)の庄内期から布留期―小型壺 土器-近畿地方(中河内)の庄内期から布留期―高坏A~D 土器-近畿地方(中河内)の庄内期から布留期―高坏Eと器台にほんブログ村
2017.01.20
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信濃国分寺跡に近接して建つこちらが信濃国分寺資料館。上田市立信濃国分寺資料館(公式ホームページ)ここにもいいお宝ありまっせ。国分寺資料館という名前からして、原始は殆どなくて古代ばっかりだろうと期待していなかったのですが、原始も充実していて、予想を裏切られました。上田市浦野 下前沖遺跡出土石器(縄文後晩期)殆んどが有茎鏃。黒曜石以外の方が多い。左手前:皿 前浦田B遺跡(弥生時代後期)右手前:鉢 上田市琵琶塚遺跡奥:甑 上田市琵琶塚遺跡割れているが、元はお洒落な四角い盛り皿か。鉢、甑は樽式で見かけるものと変わらないようだ。左:匙 岳の鼻遺跡(26号住居跡)(弥生時代後期)右:土製スプーン 上田市和手遺跡(弥生時代後期)樽式でもたまに見かける土製スプーン。甕(弥生後期)遺跡名の表示はなかった。写真では見難いが箱清水式の特徴T字文が見える。なめらかな茎部から肩部への曲線は、やはりこのあたりの特徴だろう。もう一つ写真を見ていて思ったのだが、目立った突出をしない小さめの底部もこの地域の特徴かも知れない。甕は他にも幾つかあった。左はT字文と、その下に波状文が胴部最大径あたりまで施されている。T字文の上にも少し波状文が施されているようだ。右は波状文のみが口縁部から上半全体に施されている。このあたりの甕の傾向が大体つかめた。小型器種。遺跡名等表示はあったが失念。ミニチュア土器 上田市法楽寺遺跡(弥生時代後期)おちょこにも使えない大きさということで、明らかに祭器。現代の仏壇の仏具を彷彿とさせる。【仏具】【モダン】【小型】【ミニ】【モダン仏具セット】【陶器】 ほのかミントグリーン ★ゴクラク堂★価格:6696円(税込、送料無料) (2017/10/15時点)鉄鉾 上田原遺跡(弥生時代後期)写真がぼやけているが、前掲公式ホームページの「ZOOM INDEX」でいい写真が見れる。実用的な鉄鉾ということで当時の白兵戦の最新の武器となる筈だが、鉄の普及状態からするとこれを使えたのは限られた一部だろう。毛野でも一ノ宮押出遺跡で鉄槍の穂先が出ているがやはり科野の金属器の普及状況は毛野よりワンランク上だ。古墳時代であれば富岡市北山茶臼山西古墳から鉄鉾が見つかっている。巴形銅器 上平遺跡(弥生時代終末)説明版から:「弥生時代終末の小集落跡から発見されたものとして伝えられてきました。呪術的な装身具で、衣服に縫いつけたり、盾につけたようです。東日本では大変珍しい資料です。」毛野では高崎市の新保遺跡の巴形銅器の刃の部分の破片が出土し、垂飾に転用されていたと推定されている。『天引狐崎遺跡Ⅱ』ではその材料の鉛同位体比分析などによる産地推定が掲載されている。左奥:器台 浦田A遺跡中央:S字甕 浦田B遺跡科野も北陸、東海系の土器が入ってきて古墳時代を迎える。他にも弥生時代の遺物には石包丁、磨製石鏃、土製勾玉、ガラス小玉などがあり見応えがあった。にほんブログ村
2017.10.15
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坂戸市歴史民俗資料館を最近見学した。坂戸市立歴史民俗資料館(坂戸市)古い校舎(昭和13年建設 勝呂小学校)を移築したこの建物が坂戸市歴史民俗資料館。あまり目立たないので2度建物の前を素通りしてしまった。弥生時代から古墳前期では上の地図に示した遺跡の土器が展示されている。今回おぢさんが注目するのは く・ち・び・る?弥生中期の木曽免遺跡の高坏と壺。器形は弥生後期の樽式土器とそれほど変わらないように見える。頸部に簾状文と波状文を付ければそのまま樽式として通用しそうだ。高坏の口唇部には細かい刻み目が斜めに施されている。壺の口唇部には指抑えが規則的に施されている。下の写真は弥生後期前半に比企丘陵を中心に分布した岩鼻式土器。岩鼻式は群馬を中心に分布する樽式の一部と思っていたので、群馬からかなり離れた坂戸の方までしっかりと岩鼻式が分布していたのはやや意外だった。柊遺跡の甕。左の甕の波状文は波というよりm字の連続に近い。右の甕には簾状文はなく非常に整った波状文が施されている。柊遺跡の壺。長い頸部がほぼ直立する、あまり見かけない形の壺。口唇部に施された様々な刻み。細い線の刻み、非常に整った刻み、折返し口縁下端の刻み。口唇部にとても神経を使っているのが分かる。大河原遺跡の高坏と甕。西窪遺跡の壺。吉ヶ谷系と外来系が共伴する古墳時代初頭の興味深い時期。可愛い埴輪さん達もいました。にほんブログ村
2017.06.09
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