
武内宿禰、東国より還《かえりまうき》て言《まう》さく、「東夷の中、日高見国あり。その国の人、男女並に椎結《かみをわ》け身を文《もどろ》けて、為人《ひととなり》勇み悍《こわ》し。是を総べて蝦夷と曰ふ。亦土地沃壌《またくにこ》えて曠《ひろ》し。撃ちて取つべし」とまうす。
景行天皇二十七年『日本書紀』
東夷といういいかたの中では、両者《毛人、蝦夷》ひとしくひなびとであった。東夷の中で毛人だけが問題になっている段階では、かれらものちのエビスとほぼ同じ異人《けひと》扱いだった。しかし、その毛人なる夷人《ひなびと》、すなわち東夷一般から、その奥の日高見国人が、いっそう強力な異人すなわち蝦夷として区別されてからは、毛人はこれと異質の夷人として扱われる。その体制組み込みと相まって、毛人はむしろその日高見蝦夷に向けての辺境防衛の勇者たる位置づけを与えられるに至るのである。
p.54 高橋富雄『古代蝦夷を考える』
東北南部から九州まで、すなわち前期古墳が築造された領域において、古墳がほぼいっせいに出現したことが明らかになってきたことである。列島東北部でも、もっとも古い古墳から出土する土器が箸墓古墳から出土する土器とほぼ同時期のものである、ということが考古学的な方法にもとづいて言えるようになった。
p.80
青山博樹「古墳出現期の列島東北部」『倭国の形成と東北』
「畿内化」というキーワードの切り札だった小型精製土器郡は、弥生後期後半から古墳出現期にさかのぼり存在することは確実となり、赤塚次郎(2001)の説くように東海系土器の関与が濃厚である。いわば東日本における小型精製土器群は、広く「東海系土器の一種」といえる。
p.114
西川修一「土師器の編年⑤関東」『古墳時代の考古学Ⅰ 古墳時代史の枠組み』
この間《東日本で小型の鉢や椀が普遍化した期間》に明らかになった点は、むしろ布留式の小形丸底土器や高坏など「そのものの搬入」の希薄さであり、その点のほうが注視されるべきである(西川 2003)。
p.114-115
西川修一「土師器の編年⑤関東」『古墳時代の考古学Ⅰ 古墳時代史の枠組み』
竹沼(藤岡エリア)古墳前期土器編年 2020.02.11
鏑川上中流域古墳前期土器編年(暫定版)… 2019.10.26
鞘戸原Ⅰ・鞘戸原Ⅱ(中高瀬観音山エリア)… 2019.08.11
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