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【旅行14日目】2025年5月30日(金)夜、ポルトガル・ポルト空港を出発した飛行機はイベリア半島を通過した後、トルコ・イスタンブール空港まで進みます。途中で撮った、メノルカ島、サルディーニャ島のアルゲーロ、オルビア、イタリア半島のサレルノ、ターラント、アルバニアのフローラ、トルコ・マルマラ海沿岸、そしてイスタンブール空港までの写真を紹介します。(夜なので、はっきりとは写っていません)↓ メノルカ島付近。↓ メノルカ島北側の入り組んだ海岸線が見える。↓ メノルカ島がうっすらとなった。↓ 夜食が出た。↓ 日が沈み、水平線のオレンジ色が、徐々に見えなくなってきた。↓ デザート。↓ サルディーニャ島を通過する。↓ サルディーニャ島西側のアルゲーロ(Alghero)海岸。↓ アルゲーロ市内。↓ アルゲーロの港。↓ サルディーニャ島のオルビア付近通過。↓ サルディーニャ島東海岸のオルビア海岸。↓ 機内でコーヒーが出た。↓ 飛行機はイタリアのソレント付近を進んだ。↓ イタリア・ソレント付近。↓ 半島の手前がソレント。反対側はアマルフィの海岸が続く。↓ アマルフィからサレルノへ続く海岸。↓ サレルノ(Salerno) の港。↓ サレルノからアグロポリへ続く海岸。↓ 飛行機はイタリア半島のアルタムラ(Altamura)付近を通過。↓ アルタムラ(Altamura)。↓ 飛行機はイタリア・ターラント(Taranto) 付近を進んだ。↓ ターラント(Taranto)の港。↓ イタリアの小都市。↓ アルバニア・ドゥラス(Durres)の海岸。↓ トルコ・マルマラ海の街。↓ 飛行機はイスタンブール空港へ進む。↓ ポルト空港からイスタンブール空港までの飛行ルート。
2026.06.23
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【旅行14日目】ポルト空港→バルセロナ上空2025年5月30日(金)、ポルト空港から、TK1452 ポルト18:05→イスタンブール00:48に乗り、移動しました。上空から見る地上はすでに暗く、はっきりしない場所も多かったのが残念です。途中で「ギマランイス」上空の写真を撮りました。ギマランイスは初代ポルトガル国王アフォンソ・エンリケス誕生の地として有名です。途中から雲に覆われてしまい、イベリア半島の半分は地上を見ることが出来ませんでしたが、地中海そばのバルセロナにあるカタルーニャ・オリンピック運河が見えてきました。↓ ポルト空港(フランシスコ・サー・カルネイロ空港:Aeroporto Francisco Sá Carneiro)。↓ ポルト空港。↓ ポルト空港。↓ (中央)FCペドラス・ルブラス・スタジアム(Municipal Stadium FC Pedras Rubras)。↓ キレス(Quires)。↓ ヴィラル・デ・ピニェイロ(Vilar do Pinheiro)。↓ アヴェレダ(Aveleda)。↓ ヴィラル・デ・ピニェイロ(Vilar do Pinheiro) 駅付近。↓ モステイロー(Mosteiro)。↓ ヴィラル(Vilar)。↓ ヴィラル(Vilar)。↓ モディヴァス(Modivas)。↓ モディヴァス(Modivas)。↓ ヴァイラン(Vairao)。↓ ヴァイラン(Vairao)。↓ マシエイラ・ダ・マイア(Macieira da Maia)。↓ アーヴェ川(Rio Ave)。↓ フェレイロー(Ferreiro)。↓ フェレイロー(Ferreiro)。↓ フラデロス(Fradelos)。↓ A7高速道路。↓ トランスフラデロス・トランスポルタドーラ・デ・カルガ(Transfradelos-TransportadoraDe Carga, Lda)↓ トロファ(Trofa)、ボウガド(BOUGADO)。↓ ロウザド(Lousado)。↓ ヴェンダス(Vendas)↓ ポルテラ(Portela)。↓ クルース・ド・ロメウ(Cruz do Romeu)↓ シルヴァレス(Silvares)。↓ ギラマンイス(Guimarães)。* ギラマンイスは、初代ポルトガル国王アフォンソ・エンリケス誕生の地として有名。↓ 中央:ギラマンイスのD・アフンソ・エンヒーケス競技場(Estádio D. Afonso Henriques)。↓ オリヴェイラ・ド・カステロ(Oliveira do Castelo)。↓ ファフェ(Fafe)。↓ サン・ジェンス(São Gens)。↓ ラゼル・デ・ヴィーラ・ポウカ公園(Parque de Lazer de Vila Pouca)。↓ A7高速道路と、ラゼル・デ・ヴィーラ・ポウカ公園。↓ カネド・デ・バスト(Canedo de Basto)。↓ シリンドロ(cilindro)。↓ カバニーニャス(Cabaninhas)。↓ アルバディア(Alvadia )↓ メロイチ―ニャ風力発電所(Parque Eolico de Meroicinha Ⅱ)。↓ ヴィラリーニョ・デ・サマルダン(Vilarinho de Samardã)。↓ ポルト空港からの飛行機空路。↓ キンタン(Quintã)。↓ IP3とキンタン(Quintã)。↓ ピンハオン川ダム(Barragem do Rio Pinhão)。↓ ムルサ(Murça)上空。↓ ムルサ(Murça)。↓ パリェイロス(Palheiros)。↓ ミランデラ(Mirandela)上空。↓ キンタ・ド・チョウピム(Quinta do Choupim)。↓ ミランデラ(Mirandela)。↓ ヴァレ・デ・アスネス(Vale de Asnes)。↓ ヴァーレ・ベンフェイト(Vale Benfeito)↓ ボルネス(Bornes)、風力発電施設。↓ ボルネス(Bornes)、風力発電施設。↓ ソエイマ(Soeima)。↓ クオータ700(Cota700 Pedreira Gralhos: ブラカンサの採石場)。↓ タリーニャス(Talhinhas)。↓ サボル川(Rio Sabor)。↓ サルト・デ・カストロ(Salto de Castro)。↓ サルト・デ・カストロ(Salto de Castro)。↓ ロサシノ(Losacino)/ムガ・デ・アルバ(Muga de Alba)。↓ ロサシノ(Losacino)。↓ マンサナル・デル・バルコ(Manzanal del Barco)。↓ マルティン・ヒル高架橋と、エスラ川。風力発電施設。↓ サン・ペドロ・デ・ラス・クエバス(San Pedro de las Cuevas)。↓ ラ・エンコミエンダ(La Encomienda)。↓ ラ・エンコミエンダ(La Encomienda)。↓ カストロトラフェ(Castrotorafe)。↓ カストロトラフェ(Castrotorafe)。↓ カニソ(Cañizo)。↓ カニソ(Cañizo)。↓ モンテ・エル・ラソ公園(Monte el Raso)。↓ 雲に覆われてきた。↓ お祈り用にメッカの方角が示されている。↓ 地中海近くで雲が切れた。↓ スペイン・プラタハ・デ・カステルデフェルス・ビーチ(Platja de Castelldefels)。↓ カタルーニャのオリンピック運河(Canal Olimpic de Catalunya)↓ カステイダフェルス(Castelldefels)。スペイン・カタルーニャ州バルセロナ県。↓ 地中海上空を進む。
2026.06.22
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【旅行14日目】ポルトガル・ポルト空港2025年5月30日(金)、メトロに乗ってポルト空港に14時20分に到着しました。トルコ空港(ターキッシュエアラインズ)TK1452便 ポルト空港16:50発、イスタンブール空港23:35着に搭乗する予定でした。検査場を通り、土産屋で土産を購入した後、飛行機を待っていると、トルコ航空からスマホにメッセージが入り、ポルト空港18:05発、イスタンブール空港00:48着に変更になったとの事でした。飛行機の窓から地上の写真を撮ろうと思っていましたが、2時間遅延すると、日が沈み、光が不足する写真しか取れなくなるのではないかと思い、がっかりしました。↓ ポルト空港。↓ トルコ航空イスタンブール行きTK1452 16:50発。↓ トルコ航空の窓口でカバンを渡す。↓ 免税店。↓ お土産を探す妻。↓ 当初は16:50発だった。↓ 最初の案内。トルコ空港(ターキッシュエアラインズ)TK1452便 ポルト空港16:50発、イスタンブール空港23:35着。↓ 時刻変更案内。ポルト空港18:05発、イスタンブール空港00:48着に変更↓ 飛行機がイベリア半島のどこを進むか確認した。↓ ポルトガル・ポルト空港からトルコ・イスタンブール空港までの飛行ルート確認。
2026.06.21
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【旅行14日目】2025年5月30日(金)午後、ポルトガルのボリャオン(Bolhão)駅からポルト空港のあるアエロポルト駅まで、メトロで移動しました。その区間の風景を紹介します。↓ 地球の歩き方2024~25 ポルトガル/Gakken p238 ポルト メトロ路線図。↓ オレンジのマーク。ボリャオン駅からアエロポルト駅まで、E線メトロライン(紫色)を移動する。↓ ボリャオン(Bolhão)駅とトラム。↓ この車両に乗車する。↓ 乗車した。現地時間13:45。↓ トラムが地上に出た。↓ フランコス(Francos) 駅。↓ A20高速道路。↓ セニョーラ・ダ・オーラ(Senhora da Hora) 駅↓ フォンテ・ド・クーコ(Fonte do Cuco) 駅。↓ このフォンテ・ド・クーコ駅から、メトロのⅭ線(グリーンライン)が分かれていく。このC線はイスマイ駅が終点。↓ A4高速道路。↓ エスポサーデ(Esposade) 駅。↓ クレスティンス(Crestins) 駅。↓ ヴェルデス(Verdes) 駅。ここで、空港行のE線(紫色)とB線(赤色)が分かれる。↓ SOLAR ANTIGO LUXYRY HOTEL AEROPORTOソラ―ル・アンティゴ・ポルト・ホテル。↓ ボティーカ(Botica) 駅。↓ 終点 アエロポルト(Aeroporto) 駅。↓ アエロポルト駅 プラットフォーム。↓ AEROPORTO FRANCISDO SA CARNEIRO (アエロポルト・フランシスコ・サーカルネイロ空港)。↓ カルゼドニア。(イタリアのビキニ会社)。↓ 出発3階。↓ 3階へ移動。↓ 出発のフロア。
2026.06.20
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【旅行14日目】ポルトガル・ポルト2025年5月30日(金)、ドン・ルイス1世橋を戻り、宿泊所の「デカンティング・ポルト・ハウス」にて預けていたカバンを受け取りました。近くのボリャオン駅から、飛行場に行くためアエロポルト行きゾーンEメトロに乗車します。乗車券「アンダンテ」を購入機で買おうとするのですが、上手くいかず、妻が駅員に相談して券を出してもらいました。↓ メトロが地下に入る部分。↓ 宿泊所「デカンティング・ポルト・ハウス」に預けていた荷物を受け取った。↓ アルマス礼拝堂。↓ ボリャオン駅入り口。↓ 妻が切符を買おうとする。↓ 上手くいかず、駅員の方に相談した。↓ メトロ切符「アンダンテ」を購入した。↓ プラットフォーム。↓ ボリャオン駅。↓ アエロポルト駅行き。
2026.06.19
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【旅行14日目】ポルトガル・ポルト2025年5月30日(金)昼、セラ・ド・ピラール修道院の展望台で、晴天の中、同じような写真を沢山撮りました。妻は急いでホテルで荷物を取って空港に行きたいというので、駆け足で丘を下り、ドン・ルイス1世橋を戻りました。もしかしたら、もうポルトに来ることは無いかもしれないと思い、橋の上から心置きなく同じような写真を沢山撮り、十分満足しました。ブログに同じような写真を載せます。私の心象です。↓ セラ・ド・ピラール修道院の展望台からの景色。↓ 丘を下る妻。↓ ブラシの花。↓ トラム。↓ ドン・ルイス1世橋を歩きながら、どんどん写真を撮っていく。同じような写真が続きますが、ご容赦下さい。
2026.06.18
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【旅行14日目】ポルトガル・ポルト2025年5月30日(金)、午前中に曇りと霧の中、ドウロ川のドン・ルイス川を越えてセラ・ド・ピラール修道院の展望台から写真を撮りました。私としては、この場所から晴れの写真を撮りたかったのにと忸怩たる思いでした。ところが昼になり、急に快晴となったので、妻にもう一度展望台で写真を撮りたいと懇願しました。妻は一度行ったところだし、暑い中再度歩いていくのは嫌だし、ホテルで荷物を取って空港に移動する時間だと主張します。結局、ご立腹の妻と一緒に展望台に行き、記念写真を撮りました。晴天の中、ドン・ルイス橋、ドウロ川を進む客船、そして橋を走るトラムを撮影しました。撮影できて、本当に満足しました。妻は「同じような写真をバシャバシャいっぱい撮って、どうするの」とますますご立腹でした。↓ 晴天のポルト。セラ・ド・ピラール修道院の展望台にて記念撮影。↓ 妻が指摘したように、「同じような、似たような写真」をいっぱい撮りましたが、当時天気が急に晴れて、晴天の中でポルトの景色を撮影できる私のはしゃぐ気持ちが表れているので、そのまま、「同じような、似たような写真」を載せます。
2026.06.17
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【旅行14日目】2025年5月30日(金)、世界で最も美しい書店といわれる「リヴラリア・レロ:livraria Lello」を見た後、通りに出ると快晴でした。朝から曇ったり霧が出ていたので街の写真を撮りながら残念に思っていたのですが、晴れになれば、是非晴れの街を撮りたくなりました。妻に「もう一度、セラ・ド・ピラール修道院の展望台に行って写真を撮りたい」と言うと、「さっき行ったところだから行かない。飛行場まで3時間前までに行きたいので早くホテルに預けた荷物を取りたい。もし展望台に行きたいなら、一人で行って」とつれない返事です。何度も妻にお願いし、妻は渋々ですが一緒に展望台に行ってくれることになりました。【晴れのポルトです】↓ カテドラル。↓ ドン・ルイス1世橋↓ セラ・ド・ピラール修道院。↓ ドウロ川に架かるインファンテ橋(手前)、ドナ・マリア・ピア橋(奥)。↓ トラム。↓ ジャルディン・ド・モーロ駅。↓ セラ・ド・ピラール修道院の坂を登る。↓ 礼拝堂。↓ 展望台に到着。↓ 晴れのポルト。
2026.06.16
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【旅行14日目】ポルトガル・ポルト2025年5月30日(金)12時、ポルトにある「世界で最も美しい書店 リウラリア・レロ:Livrarial Lello」に入り、内部の美しいアールヌーヴォーの建物を見ました。中央の螺旋階段は、天国への階段と呼ばれています。ハリーポッターシリーズの作者であるJ・K・ローリングは、ポルトで英語教師として働いたことがあり、小説はポルトの景色に影響を受けたとされています。ポルトで一番見たかった書店だったので、駆け足でしたが満足しました。↓「世界で最も美しい書店 リウラリア・レロ:Livrarial Lello」↓ 入口で入店確認を受ける。
2026.06.15
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【旅行14日目】ポルトガル・ポルト2025年5月30日(金)、ポルトにある世界で美しい書店と呼ばれる「リヴラリア・レロ」に行き、店内を見学しようと思いました。ところが、書店のある通りに入ると、いきなり長蛇の列が見えてきました。書店入店待ちの人たちの列でした。11時頃、書店の入口の横に立っている人に、入店チケットを購入したいと相談したところ、看板を指さして「このQRコードをスマホに入れて申し込みをしたら、入店指定時間のメッセージが届き、入場料金の決済ができるし、入店用QRコードが出る」と言われました。早速QRコードを読み込み、必要事項を登録し、10ユーロの支払いも完了させました。入館時間が表記されている時間は、なんと12時50分でした。1時間50分後です。その時間を見た妻は、「空港に行く時間が心配なので、私は入店しない。一人で駆け足で中を見て」と言い、結局私が一人だけで入ることになりました。この日はポルト空港16時50分発、イスタンブール空港行きの飛行機に乗る必要があります。妻は今回の旅で20カ国旅行したことになりますが、海外旅行の経験から、空港には3時間前には絶対に到着するという信念を持っています。ホテルに戻って荷物を取り、空港に移動する時間も必要なので、全然余裕が無いと言います。12時50分の入店チェック用QRコードがスマホ画面に出てきません。モバイルWi-Fiの調子が悪いのか、案内が来ないので困っていると、ポルト大学の学生さんが、「May I help you ?」と言ってくれました。入店QRコードがスマホに来ない点と、夕方には飛行機に乗るため、早く入店したいと訴えると、店の人と交渉して、12時入店という手書きの紙を渡してくれました。時間が12時50分から12時になったので、とても助かりました。本当にその大学生の方に感謝しました。12:00と書いてあるプレートの列に並び、入店まで1時間待ちました。妻はその間にホテルに行って荷物を取りたかったらしいのですが、夫婦でモバイルWi-Fiの機器を1台で共有していたため、別行動ができず、妻はそばのベンチに座っていました。今回の反省として、モバイルWi-Fiは夫婦で共有しては駄目で、それぞれ別々のWi-Fiにすべきでした。金額をケチったので、失敗でした。↓ 書店「リヴラリア・レロ:Livraria Lello」の入店待ちの人々の列。↓ 右が本屋「リヴラリア・レロ:Livraria Lello」入口。入口の横の黒い板の部分にチケット窓口があったはずなのだが、閉められていた。↓ このパネルのQRコードをスマホで読んで、入店申し込みと10ユーロ支払いをするように言われた。↓ 店の前と入店を待つ人たち。↓ QRコードを読み込んで、必要事項を入力すると、5月30日 12:50から入店とのメッセージが出た。↓ 10ユーロ支払いが済んだことも画面に出てきた。しかし、入店入口で入口の人に見せるQRコード画面がでてこなかったので、大いに焦った。↓ 困っているとポルト大学の大学生が助けてくれた。紙に「12h00」と書いて、12時に入店できるようにしてくれた。この紙を店員に見せたら入れると言われた。↓ 朝から曇りだったポルトだが、12時近くに急に太陽の光が射してきた!!↓ 12時入店の列に並ぶ。↓ リヴラリア・レロ書店。
2026.06.14
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【旅行14日目】ポルトガル・ポルト2025年5月30日(金)、曇りで霧が流れる中、セラ・ド・ピラール修道院を下り、ドン・ルイス橋を通って、サン・ベント駅近くまで戻りました。次の観光ポイントは、世界で最も美しい書店と言われる「リブラリア・レロ」です。雑誌でその本屋の内部写真を見て、是非訪れたいと思っていました。↓ セラ・ド・ピラール修道院の展望台から撮影したカモメ。↓ 修道院の坂を下っていく。↓ トラム。↓ 横断歩道。↓ ゴンドラ。↓ プールが見える。↓ カイス・ダ・リベイラの河畔。↓ ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア河畔。↓ 紺色のトラム。↓ Galaxy S25 Series Galaxy AI のCMラッピングトラムだった。↓ クリスティアーノ・ロナウド。
2026.06.13
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【旅行14日目】ポルトガル・ポルト2025年5月30日(金)朝、ポルトのドン・ルイス1世橋を渡り、坂を上がってセラ・ド・ピラール修道院に行きました。このセラ・ド・ピラール修道院は1537年に建てられ、ドーム型の礼拝堂が特徴ですが、もう一つのポイントは、この敷地が絶好の展望台になっており、ドウロ川の両岸とドン・ルイス1世橋を一望でき、絶好の写真撮影場所です。残念ながら街は霧に包まれ、美しい写真にはなりませんでしたが、記念写真は撮りました。ポルトに来て、これが一番の心残りでした。妻は写真を撮ったんだから良いでしょうと言うのですが、それは違うだろと突っ込みたいところでした。ドン・ルイス橋を走るトラムを見ていると、基本の黄色の車体以外に、紺色や複雑な模様の車体も見ることができました。特に複雑な模様の車体は、昆虫の擬態模様のようで、遠くから見ると芋虫に見えました。↓ ドン・ルイス橋の道路から崖の道を上がっていく。↓ ゴンドラのワイヤー。↓ 家の屋上でサボテンを育てている!↓ セラ・ド・ピラール修道院。↓ ドン・ルイス橋を走るトラム。紺色の車両と黄色の車両が見える。↓ 歌を歌う人。↓ ドン・ルイス橋の下流側から見たカイス・ダ・リベイラ地区。↓ トラムの連結部分。カバーが上に上がっている。↓ シャルディン・ド・モーロ駅。↓ セラ・ド・ピラール修道院の坂を登っていく。↓ セラ・ド・ピラール修道院の丸い礼拝堂。↓ メトロの天井部分が見える。↓ 展望台から見たドウロ川河畔の景色。霧に煙って残念だった。↓ 複雑な模様のメトロを見た。遠くから見ると、まるで芋虫が走っているようだった。↓ 芋虫みたい。↓ 私が天気が悪くて写真がいまいちと言うと、妻はこの場所に来ただけで十分と言って、天気について気にしなかった。↓ 天気が悪くて、内心忸怩たる思いだった。朝ホテルで天気予報を見た時は、晴れていくという事だったのに、晴れず残念だった。
2026.06.12
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【旅行14日目】ポルトガル・ポルト2025年5月30日(金)朝、ポルトのドン・ルイス1世橋を渡り、対岸のヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアの道を散策しました。ここから見るカイズ・ダ・リベイラ地区の景色が、もし晴れていれば素晴らしかったのですが、天気は曇りでガスっぽく、とても残念でした。ロープウェーがストップしており、ゴンドラを修理している作業員の姿が見えました。気になって何度も作業員を眺めていました。ケーブルカーは順調に動いていました。↓ ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア地区と、ロープウェー。↓ ロープウェーは止まっており、作業員がゴンドラに向かう。↓ ゴンドラで修理する。↓ ロープウェーの駅。↓ ドウロ川とドン・ルイス1世橋。↓ カイス・ダ・リベイラ地区。晴れていれば、建物に日が当たり、カラフルな写真が撮れたのに残念。↓ メトロが橋の上を進む。↓ ケーブルカーが動いていた。↓ 修理中。↓ 妻は坂を登り始めた。
2026.06.11
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【旅行14日目】ポルトガル・ポルト2025年5月30日(金)朝。ドウロ川に架かるドン・ルイス1世橋です。パリのエッフェル塔を設計したギュスターヴ・エッフェルの弟子であったテオフェロ・セイリグが設計し、1886年に開通した橋です。長さ395mで、174mの高さがある橋の上はメトロと人が渡れます。橋の下は自動車と人用です。↓ ドウロ川とドン・ルイス1世橋。↓ 丘から下る階段。↓ この右側の道を下りてきた。↓ 橋の下の道路。↓ 自転車のグループが走る。↓ 橋のたもとにあるポルト・ケーブルカーの乗り口。↓ 対岸にあるセラ・ド・ピラール修道院。↓(手前)インファンテ橋。(奥)ドナ・マリア・ピア橋。↓ ドン・ルイス1世橋を歩く。↓ セラ・ド・ピラール修道院。↓ ロープウェーのチケットオフィス。↓ 橋を渡った。
2026.06.10
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【旅行14日目】ポルトガル・ポルト2025年5月30日(金)朝、カテドラル(ポルト大聖堂)に行き、側面のアズレージョ(青いポルトガルタイルの絵)を見ました。ポルト大聖堂は、市内で最も古い建造物で、ロマネスク様式です。1110年頃に建立が開始され、13世紀に完成しました。中の回廊のアズレージョがとても有名ですが、9時から入場可能で、私たちは8時台に訪れたので入場は諦め、ドウロ川に架かるドン・ルイス一世橋まで細い坂をくねくねと下りました。↓ カテドラル(ポルト大聖堂)↓ 側面のアズレージョ。↓ 9世紀のガリシア貴族であるヴィマラ・ペレス伯爵像。↓ 広場から見たエスクラ通り。修繕中、解体中の建物が見える。↓ 解体中?↓ クレリゴス教会の塔が見える。↓ グレリゴス教会の塔。(ズーム撮影)↓ カテドラル(ポルト大聖堂)正面。↓ サン・ロレンソ教会。↓ インフォメーションセンターは閉まっていた。↓ ドン・ウーゴ通りを進む。↓ セニョーラ・ダス・ヴェルダーデス通りの坂を下りていく。↓ ドン・ルイス1世橋が見えてきた。↓ ドン・ルイス橋の上を走るメトロ車両。↓ ドウロ川が見えてきた。↓ ドン・ルイス1世橋。
2026.06.09
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【旅行14日目】ポルトガル・ポルト2025年5月30日(金)朝、天候は曇りでした。ホリャン市場を見た後、カテドラルの方へ歩いていきました。途中で、修繕をしている古い建物を見ました。天井も床も取り払われており、曲がった横木がむき出していました。この横木で床を支えていたのならば驚きです。すぐに床が抜けそうで、他の建物も同じような造りなのかなと考えると心配になりました。↓ ホリャン市場を見た後、街を散策した。ーーーーーーーーーーーーーーーーー↓ 天井や床が無い建物。修繕をしているのだろうか。↓ 横木。これで床を支える。↓ 天井、屋根が取り払われている。↓ レストランがあった。↓ 階段。↓ 建物の造りが分かって面白かった。ーーーーーーーーーーー↓ サン・ベント駅。↓ グレリゴス教会と塔。↓ サント・イルデフォンソ教会の青いタイル(アズレージョ)が見える。↓ サン・ベント駅。↓ ドウロ川に向かって下る坂。(ドン・アフンソ・エンビーケス通り)↓ ロータリーの案内。↓ ポルト大聖堂が見えてきた。↓ Museu do Vitral (ステンドグラス博物館)。↓ Statue of Vimara Peres (ヴィマラ・ペレス像)ヴィマラ・ペレス(820ー873年)は、9世紀にムーア人(北アフリカから来たイスラム教徒)の支配からポルトとガイアを奪還したガリシアの侯爵。そしてポルトガルの都市ギマランイスの創設者とされており、彼の名前ヴィマラが時を経てギマランイスになったと言われている。
2026.06.08
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【旅行14日目】ポルトガル・ポルト2025年5月30日(金)朝、早速ボリャン市場に行きました。1879年に市場になり、1914年に鉄筋コンクリートで造られた二階建ての建物ができて、2022年に改修工事が行われました。妻は市場、スーパーマーケットを見るのが大好きで、ボリャン市場も絶対見たいと言っていたので訪問しました。↓ ポルト市内にあるボリャン市場入口。↓ 2階建ての市場。↓ ボリャン市場の外側。
2026.06.07
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【旅行14日目】ポルトガル・ポルト2025年5月30日朝、ポルトの宿泊所「Decunting Porto House:デカンティング・ポルト・ハウス」で荷物を整理し、チェックアウトしました。ポルトガル最後の日です。この2週間の旅行中、快晴が続きましたが、この日は初めて曇りました。ホテルに荷物を預けて、街に出ました。↓ ポルトの宿泊所「Decunting Porto House:デカンティング・ポルト・ハウス」の中庭。↓ グレリゴス教会の「グレリゴスの塔」。76mの高さ。↓ Via Catarina Shoppinng (ビア・カタリナ・ショッピングモール)の立体駐車場。↓ 残念ながら天気は曇り。↓ 部屋で自撮り記念撮影。↓ 壁の木製パネル。ーーーーーーーーーーー↓宿泊所を出て、街を散策する。↓ ヴィア・カタリナ・ショッピングモールの立体駐車場入り口。↓ スペインの雑貨屋「ALE-HOP」の牛の人形が2階の窓から顔を出している。↓ ポリャン市場。
2026.06.06
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【旅行13日目】スペイン・ポルト2025年5月29日(木)夕方、妻がポルトガルエッグタルト(パステル・デ・ナタ)を買いたいというので、一緒に店に行きました。妻はスマホで、ポルトの有名な店を検索しており、「Confeitaria Santa Catarina:コンフェイタリア・サンタ・カタリナ」でパステル・デ・ナタを購入しました。店名のコンフェイタイアは菓子店を意味しており、砂糖菓子を意味するコンフェイトが日本に入り、「こんぺいとう」になりました。その後、他にも気になる店があると言って「FABRICA NATA:ファブリカ・ナタ」でも菓子を購入しました。ホテルに帰る途中、店で水とジュースを買い、ホテルで2つの店のポルトガルエッグを食べ比べました。確かに店によって味が違うことに気が付きました。↓ 最初の店「Confeitaria Santa Catarina:コンフェイタリア・サンタ・カタリナ」。↓ 店に入る妻。ーーーーーーーーーー↓ 妻が別の店でもポルトガルエッグタルトを買いたいというので、移動した。↓ 2件目の店「FABRICA NATA:ファブリカ・ナタ」。↓ パステル・デ・ナタを買う妻。↓ パステル・デ・ナタの歴史。ーーーーーーーーーー↓ ホテルへ向かう。↓ アルマス礼拝堂とアズレージョ。↓ 飲み物を買うと言って妻が店に入る。↓ 飲み物を買う妻。ーーーーーーーーーーーーー↓ ホテルに戻った。↓ 最初の店「Confeitaria Santa Catarina:コンフェイタリア・サンタ・カタリナ」で買ったパステル・デ・ナタ。↓ 2件目の店「FABRICA NATA:ファブリカ・ナタ」のパステル・デ・ナタ。
2026.06.05
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【旅行13日目】ポルトガル・ポルト2025年5月29日(木)、「アバディア・ド・ポルト」というレストランで食事をした後、アルマス礼拝堂の外壁のアズレージョ(ポルトガル青タイル)の絵を見ました。アルマス礼拝堂(Capela das Almas)のアズレージョは18世紀のものではなく、1929年に画家エドゥアルド・レイテが設計し、約16000枚のタイルで制作されました。アズレージョの絵は次の内容が描かれています。①聖フランチェスコが聖痕を受ける場面。十字架上のキリストが聖フランチェスコのもとへ現れ、キリストの傷(聖痕)がフランチェスコの身体に刻まれるという有名な場面。フランチェスコがキリストと同一化することを表わしている。②聖カタリーナの戴冠。聖カタリーナが天上的な栄光を受け、冠を授けられる場面。③聖カタリーナがアレクサンドリアの学者達と論争する。聖カタリーナは非常に優れた知性によってアレクサンドリアの18人の学者を論破し、キリスト教に改宗させた。④聖カタリーナの勝利を天使が告げる。カタリーナが学者との論争に勝ったので、天使がそれを確認し、聖カタリーナの信仰による勝利を喜んで告げた場面。⑤聖カタリーナの殉教。カタリーナが処刑されることになり、斬首される直前に祈る聖カタリーナの姿。⑥十字架上のキリストがアッシジの聖フランチェスコを抱擁。キリストが十字架から離れてフランチェスコのものへ身を寄せる印象的な場面。⑦聖フランチェスコが教皇ホノリウス3世の前で説教する姿。フランチェスコの修道運動が教会によって認められていく。⑧聖フランチェスコの奇跡フランチェスコが岩から水を湧き出させる様子。⑨聖フランチェスコの死。フランチェスコが死を迎え、周囲に弟子たちが集まっている。⑩天使たちが聖フランチェスコを天へ運ぶ。ーーーーーーーーーーーーーーー↓ アルマス礼拝堂(Capela das Almas)のアズレージョ(ポルトガル青タイル)。↓ 正面。↓ 正面:聖カタリーナと聖フランチェスコ。↓ ①聖フランチェスコが聖痕を受ける場面。十字架上のキリスト(右上)が聖フランチェスコ(左下)のもとへ現れ、キリストの傷(聖痕)がフランチェスコの身体に刻まれるという有名な場面。フランチェスコがキリストと同一化することを表わしている。↓ ②聖カタリーナの戴冠。聖カタリーナが天上的な栄光を受け、冠を授けられる場面。下は煉獄の炎。↓ 角を曲がった右画面のアズレージョ。↓ ③聖カタリーナがアレクサンドリアの学者達と論争する。聖カタリーナは非常に優れた知性によってアレクサンドリアの18人の学者を論破し、キリスト教に改宗させた。↓ ④聖カタリーナの勝利を天使が告げる。カタリーナが学者との論争に勝ったので、天使がそれを確認し、聖カタリーナの信仰による勝利を喜んで告げた場面。↓ ⑤聖カタリーナの殉教。カタリーナが処刑されることになり、斬首される直前に祈る聖カタリーナの姿。(信号機の部分)↓ ⑥十字架上のキリストがアッシジの聖フランチェスコを抱擁。キリストが十字架から離れてフランチェスコのものへ身を寄せる印象的な場面。↓ ⑦聖フランチェスコが教皇ホノリウス3世の前で説教する姿。フランチェスコの修道運動が教会によって認められていく。↓ ⑧聖フランチェスコの奇跡フランチェスコが岩から水を湧き出させる様子。↓ ⑨聖フランチェスコの死。フランチェスコが死を迎え、周囲に弟子たちが集まっている。↓ 天の聖フランチェスコ。↓ ⑩天使たちが聖フランチェスコを天へ運ぶ。
2026.06.04
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【旅行13日目】ポルトガル・ポルト2025年5月29日(木)、宿泊所のデカンティング・ポルト・ハウスで荷物を置いて、街で食事をすることにしました。妻が携帯でホテル近くのレストランを検索し、書き込みを読んで、「アバディア・ド・ポルト:ABADIA DO PORTO」に決めました。坂を下りていき、「アバディア・ド・ポルト」に着きました。妻が酒と料理を注文し、楽しい時間を過ごすことができました。↓ ホテルを出て、レストランまで歩いていく。↓ 坂を下りていく。↓ アバディア・ド・ポルト(レストラン)。↓ 食事が終わり、レストランを出た。
2026.06.03
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【旅行13日目】ポルトガル・ポルト2025年5月29日(木)夕方、ポルトのサン・ベント駅に到着し、宿泊先のデカンティング・ポルト・ハウス(Decunting Porto House)まで歩いていきました。途中で、美しいアズレージョ(ポルトガルの青タイル)で飾られたサント・イルデフォンソ教会の写真を撮りました。この教会のアズレージョは、サン・ベント駅のアズレージョも手掛けた画家ジョルジェ・コラコの作品です。通りにある雑貨屋を覗いたりしながら、坂道を登っていき、妻が予約していたデカンティング・ポルト・ハウスに到着しました。とても清潔感のある部屋でした。↓ ポルトのサン・ベント駅を出た。↓ 仮設の通路を歩いていく。↓ クレリゴス教会。ポルトのランドマーク。↓ 坂道を登っていく。↓ 路面電車軌道に置かれた、店の机と椅子。奥はサント・イルデフォンソ教会。↓ 美しいアズレージョ(ポルトガルの青タイル)で飾られたサント・イルデフォンソ教会。この教会のアズレージョは、サン・ベント駅のアズレージョも手掛けた画家ジョルジェ・コラコの作品。↓ 途中で雑貨屋に入る妻。↓ 宿泊先のデカンティング・ポルト・ハウス(Decunting Porto House)に入る。↓ 店の受付。↓ 部屋。↓ 窓からの景色。
2026.06.02
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【旅行13日目】ポルトガル・ポルト2025年5月29日(木)、ポルトのサン・ベント駅に到着しました。この駅のホールには美しいアズレージョ(ポルトガルの青タイル)の絵が壁にあり、妻はこれを見るのをとても楽しみにしていました。一部のタイルは保護シートが被せられており、青タイルを直に見れないものがあったのがちょっと残念です。アーティストのジョルジェ・コラコ(Jorge Colaço)が2万枚の青タイルを使用して、11年掛けて作成し、1930年に完成したそうです。ポルトガルの有名な歴史の場面、庶民の生活の風景が描かれています。ゆっくりとタイルを見た妻は、満足と言っていました。↓ ポルトのサン・ベント駅プラットフォーム。↓ サン・ベント駅のホールに進む。↓ サン・ベント駅のホールの壁を飾るアズレージョ(青いタイル)。↓ アズレージョを見て喜ぶ妻。↓ 船でワインや人を運ぶ。↓ アルコス・デ・ヴァルデヴェスの激戦。(保護シートがかけてある)1140年にアルコス・デ・ヴァルデヴェスでアフォンソ・エンリケスが、レオン・カスティーリャ王国のアルフォンソ7世と戦い、1143年に休戦した後、アフォンソ・エンリケスが独立を宣言してポルトガル王国が誕生した。↓ 騎士が槍で決闘した。(保護シートがかけてある)↓ エガス・モニスの忠誠。(保護シートがかけてある)12世紀、ポルトガル独立を画策していたアフォンソ・エンリケスの家庭教師であり騎士だったエガス・モニスは、レオン・カスティーリャ王アルフォンソ7世に「アフォンソ・エンリケスには反乱は起こさせない」と約束したが、アフォンソ・エンリケスは独立の反乱を起こし、約束が守れなくなったので、自分と家族を裸足・首に縄を巻いた罪人の姿でアルフォンソ7世の前に出たが、王はその忠義、勇気に心を動かされ、エガス・モニスと家族を許した。↓ 聖女レメディオスの祭りの様子。↓ ジョアン1世とランカスター公女フィリッパのポルト入城。(保護シートがかけてある)1387年、ポルトガル王ジョアン1世とイングランド王家出身のフィリッパ・オブ・ランカスターが結婚するためポルトへ入城する様子。↓ セウタ攻略。(保護シートがかけてある)1415年、エンリケ航海王子率いるポルトガル軍が北アフリカの港湾都市セウタを攻略した。ポルトガルが海外進出を始める象徴的な絵。↓ 市場。
2026.06.01
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