葉子の日常

葉子の日常

2014年12月04日
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高校生の頃、ユースエクスチェンジでカナダにショートステイに行ったことがある。たった6週間を半分づつ2家庭にホームステイした。私が15歳のとき。

最初のステイファミリーは田舎のお家。隣の家まで歩いて30分ほど掛かるような場所。一番近い町まで車で20分くらいで、メインストリートはたった100mほど。スーパーは一軒あったけど、その他の店舗は営業週5日、一日7時間営業くらいの小さな個人店。ガソリンスタンドも1件あったな。そのくらい郊外の小さな町はずれのお家。サラリーマンを早期退職したお父さん、専業主婦の母さん、高校生の娘に、養子の大学生の長男。本当の長男は幼い時に事故で亡くして、同じ年の養子を迎えたんだって。長男は自立して家を出ていたから3日ほどしか会っていない。でも全体的には穏やかな家庭だった。お父さんはロシア系、お母さんはドイツ系。

二件目のステイ先はお父さんは大型トラックの長距離ドライバーで、市街地にある家には帰ってこない。少し離れた郊外に小さな規模の放牧の農場があって、そこがお父さんの生活基地。市街地にトレーラーヘッドは入れないんだって。だから長距離で帰ってきたときはその農場に帰って、家はコンテナハウスだった。馬2頭と牛を数十頭放牧していたな。ネイティブアメリカンの2世でとっても濃いけど、気心はやさしいひとだった。お母さんは市街地にある家に息子と娘二人と4人で住んでいた。私がステイしたのも市街地のほう。お父さんが帰ってきたときは郊外の家に泊まりにいったけどね。お母さんはバリバリの看護師さん。当時は息子大学生、長女高校生、次女中学生だった。私も15歳だったのでもっぱら長女が面倒を見てくれた。お父さんはネイティブアメリカン系(要はアメリカンインディアン)お母さんはロシア系。

移民の大国のカナダなのでみんなルーツを聞くと多国籍。そしてそれぞれのルーツを愛している感じだった。島国の日本人としてはあまり日常では感じないこと。でも多感な年頃だったのもあり、人種やルーツ、宗教、それに伴う摩擦にも大変に興味はあった。学生時代に聞き覚えた人種差別やアパルトヘイト、同国内での宗教戦争も。洋楽が好きだったこともあり、好きなアーティストの歌う歌詞が差別や内戦とか、現代日本ではあまり接触の無い人類の摩擦だったりしたことも大きかったと思う。

当時の私、肌の色でこんなにも歴史的にも世界中で摩擦が起こっていることの実感がなかった。情報は見聞きしたことがあってもあからさまな人種差別を目の当たりにすることがなかったから。

ショートステイの間、ホストファミリーのお父さんの友達のホームパーティーがあるといって連れていってくれた。州議員の家のパーティーだったけど、お父さんとお母さんはイタリア系の白人。当然息子も白人。そしてアフリカンの男の子二人を養子にしていた。アフリカンだと二人が言うだけあってもちろん黒人。で、びっくりしたのが、地下にプレイルームもある大きな豪邸に、当然実の息子は大きな部屋をあてがわれ、そのほかにゲストルームも三つ。普段は使われない部屋。で、養子の息子二人の部屋はプレイルームの隣の地下のランドリールーム。ベッドは無くて、寝袋のような寝具だった。ランドリールームというだけあって、ちょっと洗物用のシンクと大きな洗濯乾燥機がある。あちらの家に良くある半畳ほどのシャワールームがあって、あとは日本で言う8畳ほどのスペースが二人の部屋。最近買ってもらったと喜んで見せてくれたのは、テントだった。部屋の中でテントを張って、その中に寝袋のような寝具があった。1人一個づつね。テントの中がそれぞれの居室ということ。あまりの落差に愕然とした。でも、二人は<養子になれただけでも幸せ>と言っていた。本心か否かはわからない。施設よりはいいということ?それも私には実感としてはわからなかったし、今もわからない。ちなみに養子の二人も兄弟では無いです。養子に来たじきもバラバラだって。実の息子は当時大学生だったけど、二人はまだ小学生だったな。
で、さらにね、住み込みのハウスキーパーさんがメキシコの女性だったよ。1家庭の中でこれだけバラエティー豊かな肌色・・・当時私の肌色が黄色で各色そろったねと笑ったね。

養子縁組が日本よりはるかに進んでいるとは思ったけど、待遇を思うと複雑な気分だった。と、いうより憤りも感じた。当時は大人の事情なんてわからんと思った。最初のステイファミリーの養子のお兄さんも何気に言った。もらってもらった立場だからがんばって奨学金制度で大学に通っているって。早く一人前になりたいといっていた。感謝はしているけどまた違う次元で甘えられないと明るく語る彼の顔はいまだに印象的。

不思議。養子縁組はとてもいい制度だと思う。でも、私が体感した家族はふた家庭とも実子との扱いの違いが著しかった。それがスタンダードだとは今は思わないけど、当時の私にはカルチャーショックだったな。



肌の色。アパルトヘイトの歴史もごく最近だけど、いまだにこんなに根強く残っているんだもんね。島国の頭の弱いおばさんの私だけどだからその辺はとても疎いけど、素朴に色や国や思想も・・・全て<ひと><いきもの>としての個人があってのものだとおもうんだけどね~そんな単純なことでは解決しないのだろうけど。

ただただ、そんなしがらみだか何だか関係なくみんな少し相手を思いやって、認めることが出来ればもう少しハッピーに過ごせる気はするけど。

って、ただ自分の思い出と単純な思いをたれながしてみましたー





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最終更新日  2014年12月04日 21時34分21秒
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