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春みたく暖かい日が続いて、もう冬が終わっちゃうのかってがっかりしていたら今日は北風が強いし日中の最高気温が0℃くらいだし、日差しはちょっとだけだったからかなり冷えて家の中も寒い一日になりました明日の天気予報も朝の最低気温予想が-7℃。どっかの日帰り温泉にあったまりに行こうかなぁ・・・・雪の中とかすごく寒い日こそ温泉が良いのよね
2023年02月15日
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昔から胃腸があまり丈夫だと言えない私ですよく食べるし、よく飲むし・・・、だけどすぐにお腹壊したり胸焼けしたり朝起きた時に「ここにいるぜ」と胃が主張するような感覚の毎日があって慢性胃炎の診断を受けた事があります。その少し後に次男が突然の下血で倒れて救急車で運ばれてピロリ菌による急性十二指腸潰瘍からの出血でした。なんとその時まだ15歳幸い投薬治療で完治しましたが、胃腸の専門医から「絶対家族にもピロリ菌がいるはず」と言われて全員で検査長男・次男と私の3人からピロリ菌が検出されて駆除をしました。(夫と三男にはいなかった)駆除した後びっくりした事に、あの不快な毎朝を届けてくれていた慢性胃炎がぴたりと治ってしまい、胃ってどこにあるんだろうと思える幸せな毎日が訪れたのでした・・・・・・と、それはもう20年も前の話この所再び私の胃は存在の主張を始め、以前にはなかった酷い胸焼けが度々起きたり、さっぱりする事の無い日々が続いていました。何かをやっていたり夢中になっていたりすると忘れていられるので、太田胃散やソルマックでごまかして過ごしている有様でした。だいたい私の家系はガン家系で、両祖父母も両親も叔父やいとこまでガン患者だらけ胃ガンは特に多く、胃ガンで4人が亡くなり2人が完治(これが両親)です。きっと全員ピロリ菌がいたんでしょうね去年の夏、区の検診でピロリ菌検査の通知が来ました。過去に駆除した人は対象外ですが、医師の指示があった場合は受けられるとの説明がありましたので、かかりつけのお医者さんに行ってお願いしてみました。20年も前に駆除したけど最近胃の調子がとても良くない事、胃ガン家系である事を考慮して、お医者さんがGOサインをしてくれました結果は思っていた通り、ピロリ菌の抗体が検出されました。これだけだと駆除したけど過去にいた時からの抗体なのか、新たに感染したからの抗体なのかは判りません。区からの結果には「弱った胃です」のB判定と、胃カメラでの検査を受けるようにとの指示書が来ました。20年前、次男の入院からの流れで胃カメラをやってピロリ菌と慢性胃炎が確認されました。その時は鎮静剤で眠った状態での検査でしたから、これっぽっちも苦しくなく終える事が出来ました。その少し前に早期胃癌が発見された母が受けた胃カメラ検査は、それこそ苦しくて辛くて、涙と鼻水とよだれでボロボロになったそうでしたので、胃カメラにはすごい恐怖を感じている私でした。私が検査を受けたのは香港の病院でしたが、苦しいのを我慢する検査なんて信じられないと言われましたよ去年胃カメラ検査を指導された私ですが、その母の凄まじい経験がトラウマになって棲みついているので、なかなかすぐに行動に移れませんでした。ちょうどその頃同時に子宮頸がんの方でも色々問題が起きていて、そちらの方が落ち着くまでは、胃カメラの事は見て見ぬふりを決め込んでいたのです子宮頸がん関係の治療(前癌状態の高度異形成でしたけど)が無事終わり、ホッとしたら酷い胸焼けが気になり出しました胃の重さやシクシクする痛みがあったり胸焼け・・・、私も両親みたく胃ガンかもしれないと不安が広がりました。両親の胃ガンは親戚中の不幸からやっと学んだのか(笑)、検診を受けて見つかったごく早期のガンでしたから、手術でふたりとも完治しています。怖いけど、怖いから知りたくないけれど、だけど早期なら治るんだし・・・悩んでいたのですが、夫から「今回は逃さない絶対に検査を受けろ」との絶対命令が発令されて、躊躇していた私も観念したのでした。胃カメラは昔の道具の事で、内視鏡と呼ぶのが今のは全くの別物だそうです。胃カメラと比べると内視鏡の太さがまるっきり違って細くなり性能もずっと向上しているそうですね。問題は眠った状態で検査を受けられるかどうか、です初めてその気になって調べてみると、今は日本でもちゃんと眠った状態で行ってくれる検査機関がたくさんあるのですね~それぞれのクリニックや病院をネットを駆使してあらゆる角度から調べて考慮して、東京の家から歩いてたった7分の場所に、3年前に新しく出来た胃腸クリニックがあって、新しいのでまだそれほど混む事はないけれど、医師やスタッフは明るくて親切丁寧だとの口コミがあるのを見つけました。眠った状態での検査はもちろんOKですが、鼻からの内視鏡検査が主流だとありました。2月22日、バスで帰京したその午後に初診で行って来ました(電話で検査予約を23日に入れてありました)先生はちゃんとこっちを向いて話してくれる人で、明るく快活な(そして小さな)若い人でした。私が恐怖心持っている事にもちゃんと耳を傾けてくれましたよ翌23日、午前中からクリニックへ行き、殆ど待たされる事無く検査室に入りました。身体が少しだるくなるような点滴をして、鼻の中に麻酔のゼリーを入れられました。だんだんとそのゼリーが鼻から喉に流れ込んで来て、更にそれを飲み込むとしびれたような感覚になりました。もう唾液を飲み込む事も不可能で、横を向いて全部ティッシュに吐き出すように言われました。お医者さんが来て、「今が一番つらい状態だけど頑張ってね」と言われましたよその後眠くなる薬を点滴に入れる予定でしたけど、私はなんだか大丈夫って思い始めて・・・。前日から詳しく細かく説明を受けて納得出来ていたからか、恐怖心が殆ど消えていたからだと思います。結局鼻からの内視鏡検査を、覚醒してモニター画面の説明を聞きながら受ける事が出来ました~なんだかすごく偉くなったような感じ(笑)とっても大人になったような自己満足(笑)懸念だった検査が思ったより楽に早く終わりに出来て嬉しかったんですピロリ菌は検出されず、駆除が成功していた事が判りました。数カ所赤く傷のようになった所が胃炎だそうで、これは普通の胃薬で治せる程度のものだとの事。一箇所だけ細胞診をするとの事でしたけど、見た目は怖いものじゃないからねとの説明です。(それはまだ結果を聞きに行かれてませんが、怖いものならすぐ電話するって言われて、、、電話来てません)胸焼けについては胃の入り口が少し緩いそうで、胃酸を抑える薬が処方されて飲んでます。胸焼けしなくなったら至極胃の調子が良くて快適になっています去年から健康問題が次々と起きて、年齢を感じていたのですが、胃カメラクリアは私的にはもう一つの大きな出来事で、自分に偉い偉いって思って気分上々なのですよ旦那は大腸ポリープ取って検査で良性で問題なしとなりましたけど、今度は帯状疱疹になり現在治療中痛くて痒いそうですもう当分身体の問題は起きて欲しくないですよ~、終わって欲しい(ため息)
2018年03月02日
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去年の12月4日、私は子宮頸部の高度異形成細胞の治療で、入院して手術を受ける事になりました。そこに至るまでの経緯を、悩んだり不安だったり怖かったり揺れ動いた気持ちの変遷と共に記録しておきたいと考えました。そして自分の症例に関してネット上で探し回って情報を集めようとした時に、年齢や症状などが合う情報がとても少なくて困った経験を、同じような状態の人への参考資料として活かしてみたいと考えました。ただ、このブログ上にそのごちゃごちゃを書く事で、今までのここの雰囲気に混同したくなかったので、新たに別ブログを開設してそちらに書き起こす事にしました。ブログタイトルも私のニックネームも全く変えてあります。あちらからここへのアクセスはいたしませんのでご了承ねがいます。一度に全部を書く事は無理なので、少しずつ書き綴って行くつもりです。ブログタイトルはそのものズバリ「50代終わりの高度異形成ブログ」です検索してもらう時に、そのまんまのタイトルの方が見つけて貰い易いからです。あちらでは私は「ぢんこω」じゃありませんから(笑)、そのへんよろしく向こうからこちらへはリンクして来て欲しくないので、ご配慮をどうかお願いいたします
2018年02月04日
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前回は何時どんなブログを書いたんだっけ・・・あまりにも色んな事が短時間にあったので、その目まぐるしい展開に翻弄されてしまってます追々細かく書いて行こうと思っていますが、少しだけ報告しておきましょう。27日に長野赤十字病院に紹介状を持って初診に行って来ましたとても安心して心開ける医師に会えて、全てが順調に進む事になり、やっと悩みに悩んだ事に先が見えてホッとしました。希望通りの治療法で、2月22日に手術日が設定されたのもこの日でした。1月22日に手術前検査の予約も入り、詳しい説明もして貰えました。急ぐ必要は無い事とは言え3ヵ月近くは結構長いので、一応キャンセル待ちに入れて貰いました^^ところがなんと次の28日に病院からの電話、12月4日の手術がキャンセルになったので良ければそこに入りますかですって僅かに逡巡したけれど、結局思い切って受ける事を決心したのでした12月4日が月曜日なので入院手続きが出来るのはその前の金曜日、つまり私は12月1日から入院する事になったのです27日に初診、28日に手術日変更の手続き、30日に家族同伴での説明と手術前検診、次の1日に入院、4日に手術で8日に退院・・・なんて慌ただしいのっ・・・と言うわけで、バタバタの日々を過ごしましたが手術も無事終わり退院、今は家で術後の回復療養中です。なんとも忙しい事でしたけど、終わってホッとしている毎日です。まだまだ普通の生活は出来ませんが、時間をかけて戻して行きます。年末28日に退院後の診察がありますが、それまでは入浴は出来ずシャワーだけです。重い物は持てないし疲れ易いので、当分は夫に手伝って貰う事ばかりの生活になりました。細かい事は自分への記録の為にもだんだんに書いて行こうと思っていますが、今はまだその気力や体力が充実しいません書ける時までゆっくりしますね悩んだ末に自分で動いて良かったと思います。色んな方からのアドバイスや情報は本当に有難く貴重でしたその全て一つ一つが今の結果につながったと感じています。思い切って病院を変えて良かった言いなりの治療を受けるのではなく、納得行くやり方を模索して自分で選択し行動する事の大切さをつくづく感じています。長野赤十字病院にして大正解でしたよ
2017年12月11日
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経過観察中だったものがちょい悪化して治療へと進む事になっています。紹介された大学病院、経験豊富な医者と沢山の症例、技術や設備に問題はありません。でも担当になった医師への信頼が築けません。とても明るくて声が大きく良い医者なのでしょうけれど、心開いて頼れるとの判断がつきません。私の身体、いいなりに納得いかない状態での治療は受ける事が出来ません。来週再度診察予約が入っていますけど、そこで引導を渡すつもり・・・・、って言ったらすごく聞こえてしまうかもしれませんが、別の病院に変える為の話をしなければなりません。どうやって話したら良いのでしょう、失礼は承知ですが人を傷つける物言いはしたくない。毎日ネットで色々しらべてはため息をつき、調べれば調べる程どうしたら良いのか判らなくなって悩みが深まるばかり。でも妥協は絶対にしません。納得いく説明も、心に届く説明もない状態では駄目なんです。もっとすんなり状況が進むのだと思っていましたが、まだ当分がたがたと長野~東京を行ったり来たりしながら悩む日々を続けます。高度異形成、これが今の状態です。ガンになる手前、だからこんないらんものは今のうちに取っちゃいましょうって話です。そのやり方が色々あって、どれを選択するか、悩み深き秋を過ごしています。
2017年11月04日
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前回のブログでご心配おかけしました、ごめんなさい。暖かいコメントありがとうございましたあれから帰京して再々度の精密検査を受け、その結果を待つ1週間・・・、蒸し暑い東京で、じたばたしてもしょうがないのに落ち着かない状態での毎日でした。まだはっきり無罪放免になった訳ではありませんが、結果から、経過観察3ヵ月での再検査となりました。ヘタしたら処置入院もあり得ると覚悟していたものですからホッとしました定期的に受けていた子宮頸がんの検査でした。がん細胞は今回も全く発見されていませんが、細胞が変化していずれ癌化するかもしれない「異形成細胞」が見つかった為の精密検査でした。他の臓器のガンと違って、子宮頸がんは、軽度異形成→中度異形成→高度異形成→初期がんと変わって行くのが発見出来る為、早期発見、予後の良いガンと言われています。今回もガン細胞は見つからなかったけど、その言葉はやはりドキッと胸に突き刺さる不安となって重く溜まっていた2か月でした。経過観察後にどうなっているか、免疫力で改善されて問題なしになる事もあるそうですが、老化現象による免疫力低下は普通にある事なのでそのまま何年もずっと経過観察となるかもしれませんあぁ面倒臭い・・・・検査とその結果待ちで2週間かかるので、東京の家の地区でのゴミ当番を7月に交代して貰いました。長く七二会に戻れないのならついでにやっちゃおうって今週は健康診断がある旦那が帰京しています。そして4日後から私が再び帰京して、ゴミ当番・健康診断・地元の祭り・同期会、と色々やって来る予定になりました。前回も次回も旦那は七二会に吟と残って畑の世話などをやってくれます。慣れない作業なのに結構一生懸命やってくれたおかげで、毎日トマトやズッキーニやナス、ピーマンなどが収穫出来ています。今日は今年初めて植えたトウモロコシの初収穫も出来ました(小粒だけど採り立ては甘くておいしかったです)彼が一番今回の私の状況に不安を抱いていたと思います。こんな事態にいきなり陥ると、様々な事を考えてしまいますよね。時には最悪の事も考えて・・・・、彼は一人残されたら生きていけないかもしれないとか(笑)やっぱり私は旦那をを看取る義務があるしと、悪い考えを打ち消してはいましたけれど、とっても重苦しい気分がモヤモヤと溜まっているような日々を過ごしていました。とりあえず肩の荷が下りたホッと一安心てところでしょうか、でもまた忙しない夏になってしまうようです。七二会は昼間は暑くても夕方から一気に気温が下がり肌寒いくらいになります。5時くらいから一斉にヒグラシの声が響いて、更に涼しさを呼んでくれるんですよ^^エアコン無しでぐっすり眠れる夜はとてもありがたいものです。4日後から再び猛暑の東京へ・・・、旦那と二人で七二会で穏やかに過ごせる夏は、3週間くらい後まで待たなければいけません
2017年07月18日
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定期的に受けている、区の検診でちょいと引っかかりまして明日から再び帰京して精密検査などなど(-_-;)老化現象だのぅ
2017年06月29日
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父の具合が良くなくて入院中。長野と東京を行ったり来たりの8月になった。先月は東京の家でゴミ当番で行ったり来たり。そのまま継続して行ったり来たりと落ち着けない暑い夏。誤嚥性肺炎で酸素吸入と痰の吸引が必要な状態になり、訪問医から、このままだと確実に熱中症にもなるので入院を進めると言われた。父は今91歳、自然と身体は老衰して来ている。最期は自宅で看取るのだと、母は以前からずっと言い続けてやって来ていた。何時か来るその時を安らかに迎えさせてあげられるように一時入院させて、状態が少し良くなったら退院して自宅介護の日々に戻る・・・それが母の描いた図だった。入院して抗生剤の点滴や補液で父は少し元気になったように見えた。流動食を一口ずつ飲み込むリハビリが始まったけど、結局飲み込む力が回復する事がなく誤嚥になってしまう。もう口から食べる事は出来ない、医者からはっきりと言い渡されてしまった。例え衰えていて少量だったとしても、何かを食べるという喜びを失った父。認知症も少し入って来て、色々認識するのに支障が出る事が増えて来た。テレビを観る気持ちも無くなり、一人で身動きする事も出来なくなった。痰の吸引の苦しさを見るのも可哀想だけど、それをしなければ息が苦しくなる。ずっと鼻に酸素のチューブをつけたまま、これ邪魔でいらないと時々訴えるけど取る訳にいかない。食べる事、味わう事、口に入れた物の香りを鼻に感じる喜び。これが人にとって生きるという事の中でどれ程大きな意味を持つのか。今の父の「Quality of Life・生活の質」、生きている質、それはもうマイナスの状態だと思う。病室のベッドの上でただ生きているという事実。話せるし手を強く握る力もあるけれど、ただそれだけの毎日を考えるととても辛い。実の父親に早く死んで欲しいと願う訳がない。それでもこんな毎日、苦しくなったり寝たきりで身体のあちこちが痛くなったり、それだけで過ごす時間を何と表現したら良いのだろう。病床の父に何を頑張ってと言うのだろう。頑張って何が得られるのだろう。全てが疑問に変わってしまう・・・・。毎日ベッドに寄り添う母にとって、父が生きている事実が重く大切なのだろう。手をつないで顔を寄せて話しかけながら2人の貴重な時間が流れて行く。幸せな夫婦なのだと思う。年齢から来る衰弱に勝てるだけの栄養は摂れていない。チューブに繋がれてただただ生き延びる事を私達家族は望まない。ただひたすら安らかに、痛くなく苦しくなく枯れて逝く時間が来る事を祈るしかない。その日が何時になるのか全く見えて来ないので、毎日枕元にいく母は別として、姉と私は自分たちの生活も営まねばならず、どうしたら良いのか途方に暮れてしまう。3日前、今生の別れを覚悟して「また来るからね」と言って長野に戻って来た。大往生と言われる年齢の父ともう会えなくなるかもしれない事は納得している。だけど子供の頃の思い出が湧き出て来るのがどうにも止められない。今の父に頑張ってとか元気になってとか願うのではなく、昔一緒に過ごした日々の記憶が思いがけず蘇って来て止まらないのだ。戻らない懐かしい過ぎ去った時間、父と共に永遠に去ってしまう「もっと聞いておけば良かった」記憶の束。私は今取り返しのつかない時を遠く離れたここで過ごしているのだろうか・・・・。次の帰京予定は27日。それまでこのままここにいても良いのだろうか。父の命の炎は今週で終わるかもしれないけれど、来月も再来月も消えないかもしれない。意識はあるけれどただ生きているだけの父を見るのは忍びない。でも、会いたい気持ちでいっぱいになってしまう。早く涼しい秋になれ!随分長い間見ていなかったような気がする裏山に、秋の七草のクズが沢山咲いていた。昼間はまだ暑いけど、朝晩の涼しさに季節の小さな変化を感じられる気がする去年はたしかピンクのツリフネソウが沢山咲いていたと思うのだけど、今年はキツリフネが少しだけ咲いている。昼間はツクツクボウシがうるさいほど鳴いているけど、夕方になると秋の虫が鳴き出している。小さな可愛らしい花なのに臭い匂いがするからとついた名前が「ヘクソカズラ(屁糞葛)」。可哀想だけど一度聞いたら忘れない名前ではある(笑)
2015年08月15日
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こんなタイトル書くと、きっと私が毎日酒を飲んでるって思う人が多いんだろうな違いますよ~去年に引き続きスベリヒユを摂取してます。今年は畑に生えて来るスベリヒユを抜いて捨てたりせずにちゃんと残しています。去年これが栄養価の高い植物だと知る前に、雑草として随分処分してしまったせいで、毎日食べる量を確保するのが結構大変な日課になっていました。参考: 気取った呼び名だとパースレイン(2014年7月12日) 証明・スベリヒユの効能(2014年8月29日)花が咲いて種が出来るろ葉は小さく硬くなるので、どんどん摘んで花がつかないようにしなければいけません。畑のあちこちに生えてくるので毎日のようにありがたく摘んではサラダにしている毎日です。さて6月8日の朝、「まれ」を見た後にそのままテレビをつけっぱなしにしていたところ、この日の「あさいち」で、ブロッコリーについての興味深い話しが耳に入って来ました。更にブロッコリースプラウトの素晴らしい効能と、その栄養素を壊す事なく摂取できるスムージーの作り方なども紹介していました。脂肪肝などの肝臓病を改善する効果も証明されていて、成分のスルフォラファンはサプリメントでも売り出されているのですねあさいちで紹介されたスムージーのレシピは以下の通りです。【材料・1人分】・ブロッコリースプラウト・・・10グラム・小松菜・・・2枚・レタス・・・1枚・バナナ・・・2分の1本・ヨーグルト・・・大さじ1・水・・・60ミリリットル・氷・・・60~75ミリリットルブロッコリースプラウト以外は全部揃っている状態だったので、早速スーパーで買って来て作ってみる事にしました私なりにアレンジ小松菜は一株、バナナは一本、ブロッコリースプラウトはパックの半分、キウイ一個、スベリヒユをブロッコリースプラウトと同量くらい、ハチミツ少々、スペアミントを少し・・・これにヨーグルトや水を適量入れて作って見ました。見た目は青汁みたいな色ですが、キウイとバナナの味が爽やかでとっても美味しいです少しだけ入れたスペアミントが仄かに香って嫌味じゃありません今日はハチミツと水の代わりに100%のりんごジュースを入れてみました^^味が判らないのなら効能あるものを足しても良いのだと思って、その日によってはセージの葉を少しちぎって入れたり(セージも強い抗菌・抗ウィルス作用を持っている)、レモンバームも入れてみたり(レモンバームは解毒や抗菌抗ウィルスや胃健作用がある)、手元にあるハーブを足して面白がっています毎日少しずつ違うアレンジも楽しんでいますスルフォラファンと言う優れた解毒作用と抗酸化作用のある成分を含むブロッコリースプラウトと、天然の抗生物質と呼ばれオメガ3脂肪酸含有量が全植物中最高なスベリヒユを中心にしたスムージーですから、きっと身体には良いだろうと信じて飲んでいますよこの2週間程、家の車寄せの部分の舗装工事を行っています。これは正確を期する土木作業ですから簡単に自分たちでやる訳には行きません。もちろんプロの建築業者にお願いしてやっています重機を自由自在に動かす職人さんがかっこ良いのと、大掛かりな作業が面白くて、旦那と二人で毎日つきっきりで見学しているのですが、職人さんは私と同じお祭り人だって判ってから更に親しみが湧いてしまいました話していたら肝臓の数値が良くないので、せっかくお祭でもあまり飲めないとの事。そこで善意の押し付け(笑)私達はどうせ毎日飲んでいるのだから、このブロッコリースプラウトとスベリヒユのグリーンスムージーを毎日一緒に飲んでいただく事にしました幸い味を気に入ってくれて毎日楽しみにしてくれています4日飲んだだけで代謝が変わって来たような気がすると話しています。頭くらいしか炎天下でもあまり汗をかかない方だっがのが、今日は全身に汗をかくようになったそうです。汗はデトックスの意味もありますからね、ほんのちょっとの摂取でもこのスムージーで肝臓機能の改善のきっかけになってくれたら嬉しいです。毎日昼間に飲んでいます。たっぷり緑を摂った事で体調の良い状態でいられる事を祈りつつ。このやり方の方がサラダで食べるよりも摂取し易いかもしれません。私の幸せは色んな事にこき使える旦那が健康でいてくれないと続きません(笑)当分続けてみるつもりです
2015年06月25日
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8月30日に東京から高速バスで七二会に戻った日。駅まで迎えに来てもらい、小雨降る家に一週間ぶりに着きました。畑の野菜が元気でいるか気になって・・・、ちょっとチェックに行ってみました。見まわって家に戻るその時、畑からのほんのちょっとの傾斜だけど雨で濡れた粘土質の地面、なのに軽率にもサンダル履きだった私は盛大にすべって転んだのでしたその瞬間左脇腹を思い切り畑の土留め板に打ち付けてしまい、暫くうずくまったまま痛みで動けませんでした痛みは段々ひどくなり、寝返りを打つ事も困難で深呼吸もままならない・・・次の朝、慣れない長野で初めて整形外科を探して診察を受けたのでしたレントゲンを撮ったのですが、肋骨あたりはなかなか鮮明に写らない場所なのだそうで、その時は骨折がみつからず、恐らく肋骨軟骨の損傷でしょうと、コルセットと湿布薬や痛み止めを出して貰いました。大体3週間から1ヶ月くらいで治るので、それまで無理しないようにと言われて帰りました。七二会に戻ったら毎朝ウォーミングアップに体操でもしようと決心していたのに、腕を上げるのも不自由な生活が続く事になりました。でも痛みは1ヶ月過ぎても、1ヶ月半が過ぎても治りません。そりゃぁ初期症状の激しい痛みは収まりましたけど、相変わらずずっと寝返り時には「ウッ!」と言うくらいでした長野で行った整形外科のお医者さんを信用しなかった訳ではありませんが、東京で子供の頃からのかかりつけのクリニックに行ってみたのは、怪我してから2ヶ月が過ぎた頃でした。再びレントゲン撮影。でもやっぱりはっきりした怪我は写りません肋骨骨折は、直後だと写らなくても後で見える事があるそうですから、折れていたのかもしれない、という診断でした。再びコルセットと痛み止めの日々・・・はっきり折れていたとしても、自然に治るのを待つしか出来ない場所なので、なるべく温めるように、そして無理をしないようにとアドバイスを貰いました。実はその痛みがずっと続いていたのです。何か挟まっているような違和感や、前屈する時(靴を履く時など)や寝返りの時の痛みはずっと残っていました。だんだん不安になって来ました。肋骨や軟骨じゃなく横隔膜とか肺などに何かあるのじゃないか、と怖くなったのです2ヶ月前に同じ年の従兄が肺ガンで亡くなった事もあり、だんだん不安が大きくなって来ていました。12月の初めに一時帰京した時に、再び地元のクリニック(整形外科)を訪ねて相談しました。人によっては治りが遅い事もあるけれど、3ヶ月も過ぎているし不安そうなのでCTを撮ってみるかと聞かれて即お願いしました今日、そのCTの結果を聞きに行って来ましたなんと肋骨が3本も折れていたんですってすでに骨は付いているのですが、その痕が3D画像ではっきりと鮮明に写し出された映像を見せて貰いました。ちょっと後ろ側に近い方で、普通のレントゲンだと色々内蔵もある場所だから余計に見つからなかったのだと思います。ついでにチェックされた肺や横隔膜は何も問題無し結果、痛みは長引いているけれど、やがて薄れて無くなるだろうから無理せず温めるようにとの事。でも検査をここまで受けた事でものすごくホッとしましたはっきりした理由を知る事の大切さを確認出来た「痛さ」でしたすべって転んだだけでも3本も肋骨折れて4ヶ月近くも痛いもんだって、よ~ぉく判りました皆さん、足元はくれぐれも気を付けましょうね旦那は、重過ぎるから体重がかかって3本も折れたって笑うんです・・・
2013年12月26日
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一昨日から両手の肘から下と、両足の膝から下のあたりになんと50箇所も虫刺されが痒いのなんのって夜眠れない程でした最初ポチッと赤い点があるなって気付くと、見る見る内に赤みが増して痒くなるここにも、ここにもって数えたら本当に50箇所蕁麻疹用の痒み止め(医者処方)が残っていたので(古くはない)、それを次々と塗るのですが痒いっ掻き毟りたい衝動に駆られるけど掻いても掻いても更に痒くなるだけだから我慢して叩いたり畑仕事の時はしっかり防備をしていた筈、いきなりこんなに酷い被害を受けるとは恐ろしい薬が効いたのか時間が経つと少し痒みが治まったりします。そんな時は赤く腫れ上がっていた箇所が小さな赤いポチに戻ってる不思議。そして再びどこか一箇所が痒くなり出すと、他もみんな赤みが増して痒くなる悪循環です思い当たるのは・・・、3日前に畑に敷く藁束をご近所さんから貰って大喜びで抱えて帰って来たって事。その後藁を畑に敷いてからしゃがんで雑草を抜いていたのです。何時もよりちょっと薄めのズボン、綿のトレーニングパンツで・・・。この痒さと痕はどう見ても「ノミ」ですきっと藁についていたのだと思います。藁を貰って来た畑の方は、時々イノシシが出る事があるとか・・・。野にいる生き物にはノミが多いし、普通に草むらにも生息して人や獣を待っています。私がそれを家に持ち込んでしまったのです吟は家猫でノミはいませんだから人から猫にノミを移してしまう調べてもまだノミが見えるような状態ではありませんが、毛の間に隠れているかもしれません。吟のお医者さんから出して貰ってあるフロントラインというノミ取りの薬を、急いで吟の首の後ろに垂らしました。首の後ろだと舐める事が出来ないからです。皮膚から血液に浸透してノミを駆除出来る薬、でも猫には害が無いという優れ物です。ノミは人の血を吸うけれど、人にくっついて繁殖はしません。吟でノミを殺して貰って私が掃除する念の為、昨日夫を急かしてアマゾンで電子ノミ取り機ってのをオーダーして貰いました夫はこの時期たまたま健康診断で帰京中でした。普段かかりつけのお医者さんなので、説明して頼んで痒み止めの塗り薬と飲み薬を出して貰いました。薬は今ちょうど高速バスでこちらへ戻って来る途中です(待ち遠しい・・・薬が)吟の頭に今朝黒い小さな点を発見やっぱり毛の間に潜り込んでいたようですが、薬のせいで弱って出て来たのです。急いでつまんで水の中に夕べは何か黒い小さな物を見つける度にセロテープで取って虫眼鏡で観察。悲しいかなメガネかけて虫眼鏡で見ても小さくてノミなんだかゴミなんだか判らないとにかく毎日徹底的に掃除機をかけ、毛布や布団を干したり続けなくてはなりません。あ~なんて面倒臭いのよっ以前やっぱり外からノミを持ち込んで吟に沢山ついてしまった事がありました。その時私も刺されたのですが、数カ所だけでこんな50箇所も刺される大事件は初めてです痒い痒い痒い痒い頭の中に痒いの字が破裂しそうに充満しています私ってこれ程美味しかったんですかねぇ
2013年07月18日
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実は今月始め頃から、右側の顎関節が痛くて、口を大きく開けたり、噛んだりにとても不自由している(ーー;) おまけに首も痛いし、あちこちガタが来てるみたいな感じ。 不便だし不自由で辛い。 枕が合ってないのが一番の原因の気がする。胃炎に二回もなるし、そのせいでまだ今回シャトレーゼ行かれず(/ _ ; )かと言って一日中ずっと調子悪い訳じゃないんだけどね。何だか身体があんまりスッキリしない毎日。老化現象と太り過ぎがいけないんだよね、きっと!(−_−#)判っちゃいるけど、、、難しい問題だぁ〜! σ(^_^;)
2013年02月21日
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左側下半身の後ろ側、つまり左側のお尻の辺りから太腿の後ろへとずっと痛みが続いていた。何回か同じ痛みを経験していたのだけど、以前は数日で治ってしまっていた。それが今回は何時までも鈍痛が治らない。整形外科へ行って坐骨神経痛だと診断され、抗炎症剤と湿布薬などを貰い、様子を見るように言われたので素直に薬を飲んでいた。しかし痛みは一向に消える事が無かった。不思議な事に歩くと一番調子が良く、痛みも軽くなり殆ど感じない程になる。昨日、買い物から戻った時には結構調子が良かったので、夫に言われるままに一昨日二階に上げた家具を下へもう一度おろしたりを手伝った。一つ結構重い家具を二階に上げるのに階段の上側を担当して、かなり辛い状態で引き上げたのだけど、それがいけなかったようだ。明け方からかなりの痛さで、どんな格好で横になっても辛くて堪らなくなってしまった。椅子に座っても床に座っても、横になっても痛くて堪らない。何もしない状態で痛みがずっと続くのに疲れてしまいそうだった。もう駄目、私が一番頼りにしている鍼治療に行くしかない。上手い事に今日の予約が取れたのだけど、マッサージと鍼治療と両方のために時間を長く取る必要があり、空いているのは夕方6時からとの事だった。6時までの一日がとても長く感じる日だった。以前ぎっくり腰をやった時にも治療してもらったのだけど、私にはここの治療法がとても合っていると思う。ソフトバランスという治療法で、内臓が弱ったり疲れたりしたのが原因で起きるのが痛みであるという考え方。私の場合は以前むくみで通って治療してもらった事もあるように、腎臓が欠点になっているそうだ。今回も腎臓が弱りその周りの筋肉が収縮してしまっている事から坐骨神経が圧迫されて起きている痛み、との解釈で治療をして貰った。腰にある腎臓の反射点とその周囲を丹念にマッサージしてもらっただけで、すぐ痛みは殆ど感じられないくらいになった。足の全体、足の裏も、そして背中だけじゃなく仰向けになって骨盤やお腹なども全体にマッサージしてほぐしてもらう。それが終わってから、やはり腎臓の反射区に重点をおいて鍼を打ち、その鍼に電気を通して刺激して貰った。治療はマッサージも鍼も決して痛いと感じる強さでは行わない。適度な強さで実に気持良く、眠ってしまいたくなる程だった。行く時は膝から下、フクラハギも攣るような感覚が少し出て来ていて、時々ぴくぴく痙攣したりして、左足は全体に重くしびれたような痛さが続いていたのだけど、帰りは随分と楽になっているので助かった。帰宅後、夕飯の時とか座っていたらまた痛みが少し出て来ているけど、明日には少し違って来ると思う。木曜日にもう一度治療に行って体調を整えて貰う予定にしている。今度の日曜日は日暮里のお祭である。毎年一番の楽しみの一つになっている盛大なお祭だ。今年も参加する予定だけど、今の調子じゃちょっとの無理も後々が恐いかもしれない。祭衣装に半纏を着て、担がずに神輿の周りで囃して楽しむ形にしておこうかと考えている。さて、こうやってブログを書いている間吟はPCのモニター前に乗ってきてぐっすりと熟睡している。夫がPCを使っている時に乗ると叱られるので絶対に乗らないのだが、私は甘やかしているので吟もちゃっかり乗って来る。でもモニターが見えないよ、と言うとちゃんとペタンと伏せてくれるからおりこうさんでしょ?あんまりぐっすり眠ってるから、足がキーボードの上に落ちて来た。何度上げても滑って落ちてくる。夢を見ているのかプルプルッと震えたりムゥンとうなったり暢気なもんである(笑)眠れ良い子よ嫌ん、デブって呼ばないで!ママと同じにしてるんだから(爆)
2008年08月18日
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おととい実家の庭の梅の実を採りに行った。去年枝を下ろしたり手入れをしておいたので、今年は大きな実が沢山生っていた。夫が高い所の実を棒で落としてから、下生えの中や庭木の下を二人で入り込んで拾った。私はちょっとの間に伸び出して来ている山芋や藪枯らしも引っこ抜こうと、庭木の裏側にまで廻って珍しく働いて来た。その夜からなにやらあちこちが痒くなってきた虫除けスプレーをかけていたから蚊に刺されたとは思えないし、小さく赤いポチポチは蚊に刺された痕とは思えない痒くて掻いているうちにだんだん発疹は広がってしまい、手の甲や腕や背中まで全部真赤にかぶれたようになってしまったこれは何かの虫にかぶれたに違いない今までこんな事は無かったし、私自身こんな痒い思いをしたのは初めての事である。昨日一日痒みは増し、背中一面が真赤になり発疹は一向に収まる様子が無く、一旦痒みがひどくなると体中が痒くて痒くてどうしょうもなかった。鏡で背中を見るとゾーっとするような状態になってしまっているちょうど今日、私は区で毎年行っている健康診断の予定が入っていて医者に会う事になっていたので、その時に診察して貰う事にした 原因は「茶毒蛾」によるかぶれだった茶毒蛾は主にお茶の木や椿、山茶花などにつく害虫との事。そう言えば実家の庭には沢山の椿があちこちに植えられていて、確かに虫食いになっている葉があったのを思い出した小さい虫でもこんなに大きな害を与える力があるのだと、却って感心してしまうほどものすごい痒さであるこの時期茶毒蛾の被害は結構多いそうで、何人か患者が来ているとナースが教えてくれた。痒み止めの薬と軟膏を処方してくれたけど、治るには1週間くらいかかるそうだ皆さんもこの季節の庭仕事には要注意この痒さは生半可じゃありませんぞ
2008年06月18日
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今日はまだ風が少し強めだけどやっと天気が回復した明日からはまた下り坂と言われているけれど・・・。一雨毎に木々の緑がほわほわとした芽を吹き、命の息吹が謳歌しているように明るい そんな中、区民検診の一つ子宮がん検診に市谷の予防医学研究所まで出かけて来た。ただで受けさせて貰える検診は全部頼もうじゃないかと言う区民の立派な心意気である v( ̄∇ ̄)v区民検診は馬鹿に出来ないと言うのが我が家の信条である。15年程前と13年程前に私の両親は揃って区民検診で極初期の胃がんを発見され、見事完治した経験があるからだ。自覚症状が出てからでは治る病気になった癌治療もとても複雑になると思う。午後1時からの検診、グリーンルームという婦人科検診専門の部屋があり、入り口には「男性の方の入室はお断りいたします」という貼紙がしてあった 明るく清潔な待合室にナースが数人受付を担当していて、手際良く2人ずつ検査室へと導いてくれた。検査前に試着室のような所で使い捨てのスカートに履き変えるように言われた。私でも充分な余裕のあるゴムウウェストでちょっと安心次に、呼ばれてから検査室へ入ると、大きな歯科にあるような椅子があってスカートの下を脱いで腰掛けるように言われる。下半身がスースーした心許ない感じで動いた ( ̄▽ ̄*)でぇ大きくて座り心地の良い椅子に上がると、天井から下がったカーテンが目前にあり前方の視界は遮られて見えなくなっている そして背をもたれてゆっくりしてくださいの声で椅子が後ろに静かに傾斜を始めた。同時に膝をかけていた部分が左右に開き、腰の下の部分が下がって、あの産婦人科定番の形に自然と体が移行して行った。カーテンは引かれたままなので、向こう側で検査の準備をするナースも声をかけて入って来た医師の姿も全く見えない状態にされている。医師の声は男性で安心した。私は同性にあんな格好であんな良い部分を見られるのはとても嫌なのだ、あれはやっぱり男にしか見せたくないという強い信念があるからだ ♪( ̄^ ̄)b検査する場所や姿勢から羞恥心に耐え難い思いをする人に出来るだけ精神的負担をかけないようにとの心遣いなのだろうが、何とも良く出来た椅子の仕掛けには驚いた 何も考えずに体を預けてさえいれば椅子が総てを取り仕切ってくれているのだもの・・・ ( ̄◇ ̄;)すげぇ完全なおっぴろげのご開帳、私はまな板の上の鯉でござりまする ヽ(*^。^*)ノわ~い実は30歳になった時から毎年欠かさずに検診を受けて来た私には、医者やナースには遠慮してもしょうがないという度胸がついているので、恥ずかしいとか余り感じなくなってしまっているのであった検査は簡単である。膣内の粘膜細胞を綿棒のような物でススッと採って細胞診(Pap smear)に回すのと、内視鏡で子宮口付近の異常を調べる(Colposcopy)だけで終わりである。細胞診の結果は2~3週間後に郵送されて来るので待っていれば良い。お股おっぴろげの検査が終わり、椅子が元の状態にゆっくりと戻ると、下着を着けて隣の部屋で初めて婦人科医師と対面する。なぁんだ先生結構可愛い坊やぢゃんそこで細胞診以外の所見をアドバイスして貰い(私は問題外無しだった)スカートを履き変えて検査完了である。子宮がんには2通りあり、一つが今回の検査でチェック出来る「子宮頚がん」でもう一つが「子宮体がん」である。経産婦には頚部のがんが多いそうだが簡単な検査でがんになる以前からチェックが出来るので、心がけてさえいればかなりの率で避ける事が可能である。細胞診によって頚部に異形細胞が発見されれば、その時点で液体窒素による冷凍術(Crio surgery)で異形細胞を死滅させる事が出来る。粘膜も上皮と同じく再生するので何も心配の無い簡単な治療法である。異形細胞の段階として: CIN 1・・・・・軽度異形成 CIN 2・・・・・中等度異形成 CIN 3・・・・・高度異形成 CIN 4・・・・・上皮内癌と判断されるので、初期の異形成細胞は前がん状態とも呼ばれている。異形成が高度になりつつあれば子宮口の部分を円錐状に切除する手術(Cone biopsy)などが行われるが、それ以上まで浸潤が進んで行くと切除する範囲が大きくなって行く。最近の医学はどんどん発達して来て癌は治る病気の内に入ってきているが、子宮という臓器は血管が多く集まっている場所なので、予後の事を考えると、定期検査で早々期に異常を発見する事がとても大切なのだ 香港滞在中に病院で働いていた事もあり、私にとって病院や医者に行くのはとても気軽な事である。現在は夫も引退し年金暮らしなので医療費に対してシビアにならざるを得ないので、無料で受けられる区民検診はとてもありがたい。以前は駐在員の家族として医療費に関してはかなり余裕があった為、生半可な知識で売薬を買うより医者に診察を受けた方が早くて良いと気軽に行動出来た頃が懐かしい。帰国して2年が過ぎたがこの間に、血液検査を含む全身の健康診断・乳がん検診・胃がん検診・子宮がん検診、と受けられる検査は総て受けて来た 今のところ、体脂肪が多いだの体重が多過ぎるだの以外は異常はがみつかっていない健康オタクではないが、病気には予防と早期治療が一番安上がりだと考えている。
2008年04月09日
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家の前にある階段とそれが通じる公道の階段とが落ち葉などで結構散らかっているのが気になっていました階段両脇についている溝は落ち葉で埋まってしまい雨が降ると流れないくらい。雨が止んですぐの日では濡れていて掃除が出来ないのと気になっていながら今一お尻が重くてなかなか果たせなかったのですが今日天気が良かったので思いきって掃除をしてしまいました。溝に溜まった落ち葉は晴れていても下側の物は濡れた土みたくなっていて箒で掃いてもとれない有様でしたから、シャベルを使って一段一段取り除いて掃除をしました。全部の段に散り積もった落ち葉は泥状になり下の方には必ずと言って良い程威勢良くクネクネとした元気で太ったミミズが数匹必ず出てきました。←クネクネ(笑)ミミズは土を肥やしてくれる大切な大地の守り神です。土や落ち葉と一緒にシャベルで掻き取って階段横の木が生い茂った場所へ移してあげました。いくら私でも直接手で触るのはちと気持ち悪いけれどきゃぁ~っと騒いで逃げる事はありません(えっへん)小さいこんな生き物でもこの世で大切な役割を果たしてくれている命の仲間ですからねかがんで掃除をしていたら腰が痛くなってきたので私は一先ず買い物へと逃げて乾いた枯葉や砂は風があまり吹いてない日にまたやろうと夫に声をかけて出掛けたのですが買い物帰りに階段を通ってびっくりなんともまぁ綺麗に掃き清められているではありませんかさすがに中途半端で終わらせる事が出来ない凝り性のB型夫はあれから1時間以上もかけて全部掃除を終えてしまっていました。・・・で、今腰が痛いと横になってたりする訳で私でさえまだ痛いのですから彼はかなりのものではないかと思われ夜に歯医者さんの予約が入っているのですが夫は治療用の椅子の上でもさぞ痛い事でしょうその頃私はは久し振りの久し振りに地元のネット仲間とのオフ会です
2007年06月01日
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今日はこれから見知らぬ人に乳を揉まれに行く私どんな風に揉みしだかれるかと思うと胸が期待でドキドキ ((o(^o^)o))ワクワクキューッと強く挟みつけてついでにツンツンされちゃうのかしら あんな事やこんな事もされるかもしれないし・・・ (~~)。o0○ ←妄想中もう楽しみったらありゃしない ( ̄▽ ̄*)でぇたったの1000円ポッキリでそんな良い事してもらっちゃっても良いのかしらん ヽ(^0^)ノ今日は区の乳癌検診ですマンモグラフィーを受けるのは初めての経験なので興味津々板でおっぱいを強く挟んでのX線撮影検査です。 こんな時やっぱり小さすぎない胸は便利だと思いながら優越感に浸る私 ( ̄▽ ̄*)でぇ半分以上がただの脂肪という噂もあるがこの場では内緒にしておこう・・・。 興奮して息が荒くなってしまったらどうしませう ヤ~ン♪(/。\)(/。ヽ)恥ずかしい検査する技師さんが女性だったらがっかりだなぁ これだってやっぱり女に見せるモノじゃないと確信している私って、カ・ワ・イ・イ
2007年05月07日
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去年の10月7日に盛大に道で躓いて転んでから(参照「その後の顛末」)すでに5ヶ月近く過ぎる。痛くて曲がらなかった足も医者の言う通りに大事をとって無理しなかったせいで2ヶ月過ぎる頃のはもう痛みもなく膝の表皮の違和感が残る位になっていた。それでもなんとなく怖いというか癖になったというか左膝を庇っていたのだがこの2週間ばかり膝の内部で鈍痛というか違和感痛を感じるようになった。歩いている時とか何も痛みは感じないのだけど床に座っていたりして立ち上がった時に痛いし最近では朝起きた時、つまり曲げていない時でも痛みがあった。億劫に感じたけれど祭りで神輿が担げなくなったら困るのでオフシーズンのうちに治さねばと思い昨日再び医者に行って診て貰って来た。左膝が関節炎、炎症を起こして少し水がたまってしまっているそうだ。水は炎症が治らなければ抜いても抜いても溜まるものだし炎症が治まれば自然と吸収されてなくなるものだといわれて薬と湿布をしてくれた。また当分長距離を歩かないようにあまり曲げたりしないようにと言われてしまった(^^;抗炎症剤については以前病院で働いていた頃からの因縁で非常に興味があって以前別に頼まれた訳でもなく成分を調べたり効能や副作用など色々調べて楽しんでいた。今度もらった抗炎症剤は初めてもらった種類である。さっそくネットで検索して色々な事を探して読んでみる。日頃慢性化している持病の為毎日薬を飲む生活が8年も続いているので違う薬同士が拮抗して効能が落ちたり反対に亢進してしまう危険性についても調べた。面白いのだこれがすごく!そうして思った事は、医者とは薬の専門家であるべきだという事。そして意味無く薬を使うのは止めて自然治癒に任せる方が良いと思い込まない事。薬はちゃんとした用法と容量でキチンと必要な期間だけ使用すればこれ程便利でベネフィットがあるものは無く、勝手な素人療法的にとにかく薬に頼るなという迷信に近い考えは捨てた方が良いという事。もちろん薬の乱用はいけないけれど薬に頼らねばどうにもならない症状病状の人にまで薬はあんまり飲まない方が良いのじゃないかなどと言うべからずだ。そういう勝手な何の裏づけもない事を言う人はまず絶対に医者じゃない人だ。それなのに世間で言われるように薬は悪いという間違った概念で医者から処方された薬でなんとか少しずつでも快方に向かっている病人に何の権利があって薬止めた方が良いよなどと無責任なことを言うのだろうか。8年も薬漬けでいるとそういった類の言葉を嫌と言う程聞かされて来た。気分を変えれば治るとかそう自分で思い込んでいるだけの病気だろうとか・・・・。その度に薬に頼らねばどうしょうもない状態からやっと這い上がってきた心は傷ついた。薬は悪いと言う人達がもう一つ良く言う言葉、漢方薬は体に優しい。実はこれは大きな間違いである。漢方の種類にもよるけれど薬草の持っている成分とは結構強い物も多くそれこそ普通の処方薬と同じように漢方の専門医から処方してもらわないととても危険な事になりかねないとあまり思われていないのが恐ろしい。普通に処方された薬を信じられなくなり急に途中で自分の考えで漢方薬にしてみたり薬は増やす時よりも減らす時の方がずっと危険であると意識しているべきだと思う。抗生物質は単位が決まっていてもらった分全部を必ず飲みきらなければ菌を殺せない。たとえ具合が良くなっても必ず飲み切らなければ菌は再発したり抗力をつけてもうその抗生物質が効かない強い菌になってしまったりする。勤めていた頃、風邪を引いたのですが以前もらった抗生物質がとってあったので今回その残りを2日間飲んでみたけど治りません、などという患者が非常に多かった。個人の判断ですべて出来るのなら処方箋は必要ない事になってしまう。毒薬の範囲に入る薬を出す事があるからの処方箋だけじゃなく出した薬をきちんと飲んでもらう為の指示に則っての処方箋なのだ。あぁ手がかじかんで来たヒーター入れてない。なんだか薬擁護論を一人で熱くなって書いていたら寒いぞこれは。今夜はお通夜に行かなければなりません・・・・・。春はよく人が亡くなります、長い冬を乗り切ってホッとするかの如く亡くなる方が多いです。
2007年03月01日
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皆さんご心配おかけいたしました、またまた暖かいお言葉ありがとうございます夕べ遅くに予約メモを入れておいて今日は午前中から早速治療に行ってきました。私が行った治療院は「ソフトバランス」という治療法を行っている場所でしてそこの院長さんが以前学生時代地元に住んでいた方で飲み友達というか神輿友達の人なのです。当時から彼は本当に一生懸命に勉強していて誠実な人柄で信頼出来る人でした。数年前に足の浮腫みがどうしても治らなかった頃、一夏通って治療してもらった事がありました。ソフトバランスの定理は痛みの原因になる内臓の弱点を治すという形ですのでマッサージや鍼灸治療が取り入れられていますけれど痛い程揉まれるような治療ではありません。ソフトバランス治療院 http://www.soft-balance.com/院長の人柄を知っている事や前回の治療の成果が確かだった為に今回も躊躇わずにこの院長のいる治療院に出かけたという訳です。まず治療台にうつ伏せになるのすら大変な思いの痛さでしたけどざっと全体をマッサージして下された診断は腎臓が弱っている事が大きな原因だとの事でした。そして肝臓や心臓も少し疲れているって・・・。太り過ぎが原因だって解ってますと言うと、院長は太り過ぎは原因のほんの少しで私の精神的なストレスが一番大きな原因だと言われてしまいました皆こんなに傍若無人でわがまま放題、やり放題のし放題でどうしてって思うでしょ私だってそう思いますもの実は人からは感じて貰えないだろうし気がついては貰えないでしょうけど内心私はとても小心者で周りに四六時中気を遣う方なのです。たとえそれが周囲では解らないくらい下手で気が利かない位に思われている私でも自分としては何時でも周りに嫌な思いをさせたくないと気になって喋ったり行動したり色んな人がいても全員の和を取り持ちたいと一生懸命になったり。でも何時も周りに嫌な思いをさせているんだけど・・・・・そしてそんな自分の稚拙さが許せないくらい思い悩むような根暗な性格なのが本当の私(爆)八方美人になりたがってると言われた事もあります。実は本当に実際の美人なんだけど・・・・・この所実家の両親への自分の対応の悪さや親からの優しさへ返せない自分の意地悪さ。子供達が成長して独立している寂しさは両親の私に対する寂しさと同じじゃないかという悔やみ。良く尽くしてくれる夫への優しさへの苛立ちや甘えたい気持ちが反複していたり、年に何回も一時帰国していたのにずっと住んでみると戸惑ってしまう生活の違い。なんとか打開しなくてはいけない自分自身への嫌悪感。院長に言われて思い当たる事が沢山あったのに気がつきました。痛みは防御反応だから今痛くなって良かったのだと言われました。原因が治まるまで痛みだけを治す対処療法は避けた方が良いのだとも言われました。でも実はトイレに座るのも痛いの~!と訴えてとにかくちょっとだけでも痛みを和らげてとお願いして鍼を打って低周波を流す治療をしてもらって来ました。完全に痛みが無くなってはいませんが、帰りにはしゃがんでスリッパを仕舞う事が出来ました。明日の朝にはかなり楽になってると思うと言われて喜んでます。もう一度治療に月曜日に行くのですがその時にと言っていた鍼を無理にも打ってもらったから約束通り月曜日までは安静を第一にしている事にします。今年こそはと楽しみにしていた羽子板市は来年までお預けでも待っていれば年末はまた必ず来るのですから我慢しましょう。だってちゃんと治しておかないと来期のお神輿シーズンに泣く事になりますからね
2006年12月15日
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一昨日なんだかちょっと右側の腰の上あたりが痛いと思ってました。昨日になったらなんだかとっても痛くて立ち座りが辛い事もありました。夕べにはなんだかすごく酷く痛くなってきていました。炬燵に座っていると立つのが大変なくらい痛くなっていました。今朝は起きた時には良いのですが腕の動かし方やちょっと腰を曲げるだけでも痛い!冷蔵庫の一番下の引き出しが開けられませんから野菜が出せません(爆)お手洗いに座る時も痛くて声を上げてしまうくらい痛いです座っていても座り方で痛くなるし立ち上がるのが大層辛いので椅子に座ります。椅子に座る時でさえ痛いの (/>
2006年12月14日
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昨日からなんだか痛かった右目さっき原因がはっきりした。ぷっくりと小さい腫れが見える。あぁぁぁぁぁぁぁ~! おこもさん!じゃなかったものもらいだ今書こうとして気がついたけど本当に「ものもらい」なんだろうか?「ものむらい」なのだろうか?皆さんは何て呼んでますかとにかく鬱陶しいし痛いし困ったな困る理由の最大のは化粧しにくいという事特に目の化粧は私には大切な事目に力を持たせて視線に物を言わせないとホホホ目医者に行かないといけないのかな面倒臭いどうしてこうあちこちに齟齬を来たすのだろう(歳だからでは無い)右肘や右膝はずっと以前から時々痛い事があるし左膝はこの間転んだのがまだ完治してないし昨日前歯のインプラント治療が終わったばかりで残りの半金15万円払ったばかりだし今度は目がいかれちまったのか?????あぁなんだか痛くて鬱陶しいよぉ
2006年10月26日
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昨日の顛末その後という日記にも沢山のコメントありがとうございました。一つ一つ全部のコメントにレスを入れるのがちょっと辛いので(理由は後述)申し訳ありませんがまとめてここでお礼を述べさせていただきます。本当にありがとう 次のチャンスには躊躇せずに飛び込みますさて昨日は夜になって駅で息子達と待ち合わせをしていましたからといそいそと家を出かけた私達、家の横には昇る階段が少々・・・・、そしてその上にある道を5m程歩いた所で、なんと私はつまずいて転んでしまいましたそして道路に左膝を全体重かける如くの衝撃でぶつけてしまったのです初めの数分間はあまりの痛みで声が出ません道路に出来た舗装の亀裂の段差はほんの2cmくらいのものなのですが引っ越してきて初めてそれにひっかかってしまったのです(爆)転んだ後に初めて出た言葉「もう今日はいったいなんて日なのよ~!!」です。ようやく立ち上がっても一人で真っ直ぐ歩けないので腕に掴まらせてもらい左足をびっこひきながらゆっくりゆっくり痛みを堪えて歩いて出掛けました。待ち合わせの場所からは次男に掴まってレストランまで歩いて行ったのですが次男は長男よりも体格がしっかりしているのでそして夫よりも背も高いので安心出来ました^^まさか半月板の損傷とかは無いと思うのですがレストランのトイレでズボンをまくって左膝を見てみると血は既に固まった状態でした。かなり腫れた状態でちょっとでも押すと痛くて声が出そうになりましたレストランでのディナーは本当に素晴しく美味しくて楽しくて最高に良いお祝いになりました。座って足を動かさなければ痛くないので皆で楽しく食べて沢山飲んで・・・・。長男の結婚相手にほぼ決まっている可愛い子も来てくれて3人からプレゼントまで貰いました。夕べ私が飲んだ美味しい日本酒は飛翔蔵冷やで3合、あとはビールやワインやかなり飲んで帰る頃は出来上がってました帰りも次男に掴まって歩いて帰宅しました。PCをちょっと覗いたのですがとてもじゃないけど書き込めるような状態じゃありません(笑)シャワーで洗った傷を消毒してからすぐにぐっすりと眠りに就きました足は今日も痛くて曲げられません。でも足首を自由に動かせるので骨折とかではないと思います。医者に行きたくても明日も連休でお休み(爆)傷の部分に小さくガーゼを乗せてから膝全体を覆うようにシップをしています。実は今夜は実家の母と姉夫婦と一緒に歩いて3分のお風呂ランドに行く予定なのですがどうしましょう・・・行って出てくるのを待って一緒に食事だけしようか、それともちょっとだけぬるいお風呂に入って来ようか迷ってます。しかも来週は水曜から1泊で温泉旅行の予定もあり本当に自分の不注意を悔やみます。28年間の生活に悔やまないのに昨日の転倒事件にひどく悔やむ私って・・・・(自爆)
2006年10月08日
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皆さん沢山の励ましの言葉、暖かいメッセージをありがとうございます。コメントを読んでどれ程勇気付けられた事か言葉になりません。一人一人のメッセージが砂に蒔いた水のように総て私の心へと染み通って来ました。あれからドキドキ考えて考えて呼吸が苦しくなるような焦燥感に陥って涙は出るしずっと持っていただけの落ち着く為の薬を飲んだりする程になりましたのに、メッセージを読んだら肩に入っていた力がすぅっと抜けるように楽になりました。今日やっぱりかなりドキドキしましたけれど電話をしてみました。日曜日に出た募集広告でしたから既に決まっているかもしれないけれどまず一歩何かをする事が大切だというアドバイスの通りに感じましたので勇気を出して電話をしてみたのです。私の他に3人の応募者がいるそうで、明日の午後それぞれの面接が行われる事になっています。私の面接は午後3時半から。履歴書もその時に一緒に提出する予定です。本当に声を沢山掛けてくださってありがとうございます。明日、たとえ採用されなかったとしても後悔をしないで済む事になりそうです。この結果はまたここでお話いたしますね!
2006年10月06日
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おとといあたりからお腹の調子がよろしくありません。完全に直通激流水溶性状態であります(汚爆)何時も比較的ピーになり易い質なのですが今回のはちと酷い。体質上いつもなら気にせずに何でも飲むは食べるわをしているのですけど今回のはちと様子が違うのでお粥なんぞを作って食べています。しかし一向に良くならない薬を飲んでもあんまり効いていないようであります。医者に行くのは暑くて億劫で気が進みません。吐き下しではなくただの下痢なのですから・・・・。これが吐き気や胃痛が伴っていたらウィルス性急性胃腸炎だと判断が出来るのですけれど吐き気は全くなく胃よりもちょっと下の腸の部分が少し痛いだけ。おそらくクーラーで冷えたのが原因だと思われるのですが、やっぱり暑いと眠れませんから相変わらずクーラーかけて寝ています(笑)体力が減っているのが解るような気がします。だるくてしょうがないしちょっとでも横になるとすぐに眠ってしまう。でも今日は買い物に行かないと冷蔵庫が空になって来ています。商店街の何処と何処にお手洗いがあるか頭の中に描きながら出かける事にいたします。日頃から痩せたいと叫びまくております私にすれば下痢が続こうが100gでも体重が減るのなら気にしないのですけれど今回のような酷い下痢にはお手上げです(爆)こんな酷い下痢に最初になったのは・・・・・・新婚旅行の時でした(爆死)昔っから尾篭な話に縁のある私にございます
2006年08月20日
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気持ち良く涼しいからか何だかとても眠くて眠くてしょうがない。ぐっすり眠るのじゃなくずっとうとうとするのが止まらなく周りの音も聞こえるし時々起きなくちゃとあわててみるのだけれど、やっぱり眠い日記なんて考えられる訳ないし、そうだ写真でごまかそうあぁぁぁぁぁ~、涼しいのって大好きzzzzzzzz
2006年07月19日
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口腔手術が終わってから日数が過ぎるにつれ痛みが増しているような気がしてる。痛み止めの薬の量が減っているからもあるだろうけれど始めの頃の痛みの場所とまた違う部分が痛いような調子で私はダウン状態。冗談にも今日は酒飲むなんて言えません 四六時中ずっと口の中の上下左右奥深くまで全部がミシミシと痛いのは気が滅入るあぁ普通の物が食べたいよ トマトがたっぷりのスパゲッティとかイカ墨のリゾットとか生タコカルパッチョ(何故かこれにずっと凝ってる)とか串焼きとか歯ごたえのするうどんとかぁぁぁぁぁバリバリもぐもぐと噛んでみたい 痛い、また薬が切れたのかな、でも随分我慢して減らしているのだけど・・・。早く寝ちゃおう今日も。とってもじゃないけどこれじゃワールドカップどころじゃありません
2006年06月11日
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今日は朝9時半から歯の手術を受けてきた。上側の前歯の一つとなりの目立つ歯、これがダメになってしまっての処置だ。既に差し歯みたくなっていたのだけど残っていた根の部分が割れてしまいそこへ支柱として立ててあったポストの部分もダメになっていたので大掛かりになってしまった。治療はインプラントというやり方で処置をする。インプラントは歯のポストになる金属支柱を顎の骨に直接埋め込むのだが私は以前の差し歯の治療でその骨がすでに退化してしまっていた為下の奥歯の下の顎骨を削って取り、それをインプラントする支柱の周りに移植して数ヶ月使ってしっかりと歯の骨として支えられるようになるのを待ってから最終的に合成素材の歯を被せるというやり方になった。今日は残っていた古い支柱を抜いてその周りの骨の状態も完全に調べる為歯の内側を横にずっと切り開いたので今そこは何針も縫ってありかなり痛む。そして下の親知らずが上の歯とちゃんと噛み合っていない場所にあったのでそれを抜歯してその根元の骨を移植に使う為に削り取るというかなりすごい処置を受けた。親知らずを抜いた後の穴から更に骨を削り取ったのでそこもまた数針縫ってある。口をゆすぐ度に真っ赤な血を吐き出していたけれどまだ血がのこっているようで不味い。結局4時間くらいかかった処置だったけど人の出入りによる感染が恐ろしいとの事で歯医者さんが休業の今日貸切状態での予約となった。今まだ頬から顎や喉にかけてかなり腫れ上がってしまっている。まるでおたふく風邪か片方だけ太ってしまったかのようでみっともない。しかもそこに冷やす為にひえぴたを貼りうつろな目をして歩くのだからどうしょうもない。痛み止めの薬と抗生物質を医者から言われた通りに飲んでいるけれどなんと正直な事か薬が切れればすぐに痛みが酷くなってくる。頭の方まで痛いし喉も飲み込みが辛い位痛いし・・・。そして何故かものすごく眠い。処置が終わって帰ってきてから殆ど寝ていたような気がする。眠くなる成分の薬は飲んでいないのだから体が求めている休養なのだと思う。さっき飲んだ痛み止めが効いているうちにもう今日は寝てしまおうと思う。朝医者に出かける時はまだ涙目で歩くのが辛かったのにこの肉体的な直接的痛みが心の動きを忘れさせてくれているようだ。これで当分禁酒なのがめんどうくさいけど何よりも明日朝起きたらきっと今日よりは痛みが減っていると思う(希望!)ではおやすみなさい、良い夢を見てくだされや・・・。
2006年06月08日
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今日は夕方5時過ぎから東京地方に雷注意報が出ていたが、結局ここでは雨が降っただけで「ゴロ」とも聞こえずに終わってしまったようだ。代わりにゴロゴロと聞こえたのは私のお腹からだった(爆)夕べから急に胃の痛みが始まり一時は動くのも辛いくらい痛かった。胃痙攣などの痛みも止めるブスコパンという薬を2回飲んで何とか痛みを抑えたけれど周期的に戻って来る痛みには薬が効き出すのに時間がかかった。胃の痛みは吐き気も伴い背中には鉄板が入ったような重さと痛さがずっとある。横を向いて膝を曲げてじっと痛みを堪えるしかないあの辛さが再び来たのだった。以前ピロリ菌の駆除をする前は私には慢性の胃炎があった。しょっちゅうこのような痛みに悩まされていたし、朝起きた時に胃がどこでどんな形であるのか主張しているような感じを毎朝持っていた。ピロリ菌の駆除に成功してからはあんなに気になる状態だった胃の姿が見えなくなっていた。ただ年に1~2回だけ急性の胃炎状態になると夕べからのような苦悶の時間が戻ってきていた。ブスコパンは処方箋で貰える薬なのだが、香港という国は薬局で買えたりする不思議さがある。一応主治医にはきちんを申告はしたけれど便利と言うべきか危険だと言うべきか(爆)今回は何も特別変わった物を食べた訳じゃない。疲れと冷えと日曜日のアルコールからだろうと思う。胃の痛みが時間をかけて下がって行き下腹部の痛みに変わり出すとやがて下腹部からゴロゴロという地鳴りのような音と腸がうごめくようなのを感じる。そしてあとは体内にある「痛みの原因」のものを体から出して出して出し切ってしまえば良いお腹は痛いし体に力が入らないし・・・だから薬を飲むか?となるのだが飲まない!本当はこういう症状があると辛いから薬が欲しいのだけど胃痛は止めてもゴロゴロは止めたくない心理が働いてしまうのだ。どうも私の頭から「ゴロゴロ」はお手軽ダイエットという言葉が抜けて行かない。どうせ痩せられないならゴロゴロくらい止めずにちょっとは軽くなれよっ!・・・と自分を呪うような気持ちで横たわってお腹痛いのを我慢している。馬鹿だなぁとも思うんだけどどんな事でも利用出来ないかやるだけの価値はあると思う
2006年06月06日
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今日は予約してあったので歯医者さんに行った。前歯の治療に35万円かかると言われました。見積もりですから止めても良いのですが前歯は目立って困ります(^^;なんでこんなに歯ってお金かかるのでしょううちは夫婦揃って今は無職なんだよぉでも結局OKする事になりそうです。・・・・・・・・くそぉ、アタシ
2006年05月23日
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急かされて少しだけ片付けしたけれど、今日はとにかくかったるくてかったるくて眠い一日だった。体調がおかしいのは睡眠不足から来ている。大体いつも寝るのは夜中の1時から2時の間で起きるのは朝6時と決まっている。7時に会社に送り出してから仕事があった時はそのまま準備して出掛けたけれど休みなどは8時くらいからもう一度3時間くらいリビングのクッションにつっぷして寝ていた。私は5時間の睡眠だと一番気持ち良く目覚める事が出来るのだけど本当はこれはいけないらしい。PCの前から離れられなくて寝る時間がどんどん遅くにずれ込んだりするとさすが次の日は辛い。こうやって寝不足をどんどん溜め込んで生活していると数週間に一度くらいの割合で一日中寝ては起き寝ては起きが夕方まで続いてしまう日が出てきたりしていた。自分の都合で睡眠不足になるのだがそれが続きすぎて過労になると、早朝覚醒してしまったり寝付くのにひどく時間がかかるようになったりする。そしてそれが精神的神経的な不安定を引き起こして体調が崩れてしまうようになる。丁度先週こんな感じになっていたのだけど医者が薬を調整して処方してくれた為、この薬の作用でだるいし眠くてしょうがないのである。家の中は片付けても片付けても全然引越しに近付いているように思えない。気持がすごく焦っているのだけど体が重くて(だるいから!)何もする気がしない。引越し業者がやってくれるとは言えその時点まで私がやっておかねばならない事は多い。ちょっと物をひっくり返せば埃が舞い上がり丸めた紙屑さえ出て来る始末。子供が小さい頃に描いた絵や書いた文があれば一々読み直して感動してしまう。古い写真が落ちていればじっくりと見入って懐かしんでしまう。大きな家具や電化製品などよりこんな小さい「物」のそれぞれが片付けの手を止めてしまうのだ。14日まで毎日逃げる事が出来ない辛い日々がやって来る、いやもう来ているのだ。逃げたい逃げたい、本を持って喫茶店に逃げて物語の中に入り込んでしまいたい!明日は絶対数時間だけでも逃げてみせるぞ!一日に一度そうやって現実逃避をしないと活力が湧かない性格なのだ(爆)あぁまただるくなって来ている....(ρ_・).。o○ ネムイ・・
2006年03月05日
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昨日からなんだかかったるくて集中出来なくていたから今日は一日中のんびりしていた。のんびりどころか昼間一回買い物に出た以外は殆どずっと寝ていたようなものだった。ベッドでしっかり眠るのではなくPCやってて眠くなったらそのまま居間でごろ寝である。しかしそれが滅法気持が良い。眠い時にそのままゴロンと横になって眠るというのが体の欲求に合っているからなのか?夜に眠ろうとしてなかなか寝付けない事があるのに昼間はすぐに眠くなるしすぐ寝付ける。そして何故かはっきりした夢を見る事が多い。瞼を閉じていても明るさが感じられる部屋での居眠りだからなのか、それとも朝起きてからまだ数時間しか過ぎていないという間隔の短さが原因なのだろうか?今日の午前中に見た夢は祭りの仲間が集まっているという店に遅れて数名で着くのだがもう最高潮を過ぎてひどく静かな宴席になってしまっているという夢。酒の一杯も飲めないでそのまま終わってしまう。なんだかつまらないよ、というがっかりした夢だった。午後に見た夢はなんだか高い場所にある住宅地から坂をどんどん下りて大きくて綺麗な近代的な街に出ようとしている私。どうやら子供達(まだ小さい)と夫を田舎に置いて買い物しながらぶらぶらとそんな場所まで来てしまっていたらしいのだが帰らなくちゃとやけに焦っている。坂の途中の商店街で近道を聞いたりした後に何故か喫茶店に入って休んでいる自分。覚えているのはその後の光景がまた同じお店、今度は何故か居酒屋になっているのだが(爆)夫と一緒に入っていくとさっき(?)と同じマスターがカウンターの向こうから見ている。夫にはビールが出るけれど私がオーダーしても完全に無視して何も出てこないのだ。何回頼んでも私をじっと見て動かないし喋りもせずに見てるだけ。知ってる人ではないのだがとても嫌われているのが解ってやりにくい思いをしていた。隣にいた板前さんが気を利かせて運んできてくれるのだが何故か味噌汁とお吸い物とお茶漬け。ここでもとうとう私は酒が飲めなかった ウゥ (-_\)(/_-)ウゥ今日の夢は飲みたいのに酒が飲めないというのばかりだった ( p_q) シクシクそこまで飢えてやしないのに何でだろう?そして今日の夢の中では誰も彼もが私に優しく無かった。ショックな夢ではなかったからアァそんなもんか、と思っていられるけれどいったい夢は私の何を象徴していたのだろうか?潜在意識からとも予知の部分があるとも遠い記憶に関係があるとも言われているけれど酒が飲みたい、飲めないよ...なんていったい何に関係があるのだろうか?そうか!きっと愛に飢えているのだ!愛が欲しくても与えられないという飢餓の表れだ! ( ̄□ ̄|||)がーーん!ここまで読んでみんな私を笑ったな?...きっと笑ったな? (ーー;ちゃんと見えているのだから...笑っただろ? (-_-#)ほら笑った! \(`o'") コラーッ
2006年02月16日
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今日はなんだか集中力無し。ブログを読んだりする事はできたのに自分のが書けません。眠くてしょうがないから諦める事にしました。いつも拙い日記を読んでくださる方々ありがとう!でももう寝る用意しますね。またちゃんと書けるまでおやすみなさい~♪ (*^・^)CHU~☆
2006年02月15日
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もうこんな感じの私...救い様がありません(号泣) sigh...sigh...sigh..........., ...no I'm hippo! ダサいっす《;~Д~》
2006年02月05日
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あと9日したら飛行機に乗れます。でも今は水面下。何もしてないのに疲れてる。寝ていたいのだけど今日は仕事(爆)Nothing has been changed yet.焦燥と嫌悪。
2006年01月06日
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最近は、ってここ何年もだけど何も運動らしい事をしていない。家から近くのスーパーまで買い物に行くくらいだけだ。仕事の日はマンションの下からタクシーで通ってしまっているし仕事自体も肉体労働では無いので極端に運動不足なのは自覚している。だからクリスマスからお正月にかけての季節は毎年鬼門なのである。普通より少しだけ(?)食べる量が増える時期であるし何時もと違って毎日のようにビールなどを手にしてしまう時期でもあるからだ。そうすると胃も大きくなってしまうし喉も渇いて冷たい缶を開けたくなる癖がついてしまう。気がつけば鏡の中の顔はまん丸になっている ( ̄□ ̄|||)がーーん!怖いから顔から下は見ないようにしているけれど(爆)なんだか必要以上に膝に負担がかかっている感じだし動くのが更におっくうになっていたりするのだ。食べたいから食べておいて後になって痩せたいなんて我儘で贅沢だ。良く解っているのだけれど太らない人ってどうして存在するのだろう?新陳代謝が著しく悪くなっているからどんどん悪循環になっているのだけど飲んでる薬もいけないとか色々な言い訳があるから却っていけないのかもしれない。あぁ恐ろしや恐ろしや!肉地獄、贅肉地獄、この煩悩の炎をどうやって鎮めたら良いのだろう 炎炎炎> (~Q~;;)いらない贅肉をお米の袋に代えたならすんごく沢山の量になるだろう。あぁもったいなやもったいなや!全世界の飢えに苦しむ人達よごめんなさい!出来る事ならこのだぶついた肉を切って分けて差し上げたい!今年こそ何とかしようと思いながら何年も出来なかったのよぉ! (ノ_・。) 急がねばならないのに!しっかり自覚して減量しなければこのまま贅肉をあの世まで持っていかなくちゃならなくなる!どうする?いったいどうする??どうするの? あたし!! 。・゜゜・(>_
2006年01月04日
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気分が不安定な感じがしている。クリスマスツリーを飾ったからに違いない。昨日一人でツリーを飾った。5年ぶりくらいでやっと飾る事が出来た。オーナメントは25年前から少しずつ毎年増やした物だ。みんな木で出来たオーナメントで暖かく優しい。毎年子供達に手伝わせて賑やかに飾ったものだ。彼らが大きくなり家から離れる頃から気分の安定を欠いた私。クリスマスツリーはここ数年出す事が出来なくなっていた。今年は本当に久しぶりに飾る事が出来た。でも本当はやっとの思いで飾りつけたんだった。オーナメントは120以上もあるしツリーは180cmの物で結構時間もかかる。来年も再来年もこうやって一人で全部出来るのだろうか?そんな気力が残っているだろうか?飾っていても全然気持ちが浮き立たなかった。楽しくて嬉しくてなんて全く感じなかった。飾るのが実はひどく辛かったのを隠している。あれほど毎年うきうきと飾りクリスマスを心待ちにして楽しかったのに。無理して頑張って飾った自分をそのまま表現するのが済まないような気がしているから。数年間毎年12月になると心粟立ち焦り窮屈になりストレスが溜まった。今年こそはツリーを出さなくては、出すのだという切迫感に自ら潰れた。不安定な心で過ごして来た7回のクリスマスは本当に惨憺たるものだった。まともに祝えない自分を呪い貶めて更に苦しい思いで新年へと続いた。今年はかなり気分が変わってきているから例年のようにはならないと思いたい。それでも同じ季節の流れに辛かった過去がフラッシュバックして来る。今日の不安定の理由はそれだけなのだろうか?押し隠して潰してしまおうとしている一つのわだかまり、完全に閉じ込めて封印出来たと確信している事があるのだけどそこから密かに臭気が漂って来ているのじゃないだろうか?歯が何かを噛み切りたいように力が入る。手を噛む、腕を噛む。手や指に力が入る、爪を手のひらに食い込ませて硬く握る。その感覚に心の重い感覚が散らされて楽になる。このくらいで止まれるように頑張ってみよう・・・。明日は仕事だし。
2005年12月13日
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薄暗くした部屋のゆったりとしたリクライニングソファーに横になり催眠療法は静かに始まった。therapist chaskaさんの声が静かに私を意識の内部へ内部へと導いてくれていった。催眠術というのは全然意識がなくなるようなものかと思っていたので驚いたのだが意識はしっかりとあるものである。外を通る車の音などもちゃんと聞こえているのだ。だけど体はソファーに埋もれるように同化してしまったみたく感じる、いや体があるような感覚は薄れていたような気がする。導入から色々な道を辿って行き最後に前世の扉を開けるのだが私は一度目はどうもうまくそこに入れなかったというか入っても集中が出来なかったようで遠慮なくtherapist chaskaさんにお願いしてもう一度最後の部分の導入だけを繰り返してもらった。彼女の静かな声が「どんな所に立っていますか?」と聞こえた途端自分の足をみている別の自分がいるイメージになった。それは想像していたのとはまったく違い、これっぽっちも思いもしなかったような心象だった。素足でサンダルを履いた自分の足が硬い平らな岩の上に立ってた。断崖絶壁ではるか下の方に川が流れているのが見える。そして向かい側にはおなじような岩の絶壁がありそれははるか彼方まで地平線のようにつながっていた。まったく緑などない不毛の地のような荒地。確かに岩石砂漠だという認識が自分にあるのが不思議だ。ずっとその心象を見ているというよりも最初に頭に浮かんだ瞬時の景色を「自分」がどのように認知しているかという世界だった。そこにいる「私」は自分が見えないし、外側から他の目でその「自分」を見ていたのでも無い。だが確かにその「自分」は足首まである長い衣装をつけてサンダルを素足に履いて頭には何やら布で出来たものをかぶりその布は肩まで覆っていると解るのだ。首筋に外気があたっている感触がないから、そして自分の事だから解るという感じだ。「私」は髭を生やしている40代と思われる男性だった。それは様々な文明の起こる以前の時間のようであった。一番似ていると言えるのは、2000年くらい前のヨルダンやイスラエルの荒涼とした岩石砂漠の崖の上に立っている民族衣装を着た40代の男、というものだ。まるでオサマヴィンラディンみたいな(笑)心の中には家族とか生活とかについては何もなく目前に広がる広大な夕暮れの空:一番上は濃い群青色でだんだんと明るい青に変わりそこから今度は鮮やかなオレンジ色にそまってやがて暮れて行く空、と悠久の大地に向かい母なる大地と大いなる自然そして流れる時間に対する深い畏敬の念と感動と感謝、人間の生活がいかに短く小さい事だろうという覚悟、人生の中の悩みなんて何て小さい事なのだろうという達観のような感覚をその時の「自分」が感じているのが解った。まるで取り越し苦労ばかりして色々悩む自分に対する教えを授けられたような感覚だった。足元を見た瞬間からそれだけのイメージが総て説明できるくらい理解出来る自分が不思議だった。そしてそのイメージの中の「自分」は確かに私だったと思う。私は前世の一人がそのヨルダンの男だったと信じる。あの時見た荘厳なまでの空の色は今でもはっきりと自分の感覚の中で確かめられる。何時でもあの風景の中の「自分」に自分を重ねて思い浮かべられる。-続く-
2005年11月26日
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昨日太陽と月の家というtherapist Chaskaさんの主催するカウンセリングルームにて前世療法というのを受けてきた。これについて詳しくブログで紹介したいのだがまだ強烈な印象が頭の中に残っていて上手くまとめられないでいる。太陽と月の家に関しては楽天ブログで偶然知ったサイトで内容と説明を読んでとても惹かれるものがあったのと興味深かったのでまず主催者であるtherapist Chaskaさんにメールを出してみた事から始まった。すぐに丁寧な返事と質問に対する答えをくださった。帰国までに何通かのメールのやり取りがありその間に私は文から感じる彼女の人柄をとても好きになっていた。24日午後2時が予約の時間だった。場所はJR 立川駅から歩いて15分くらいの所にあった。初めて顔を合わせたtherapist Chaskaさんは暖かく優しく可愛らしい感じの人だった。彼女は全米催眠療法協会認定セラピストであり日本での臨床心理療法士の資格も持つ医学の人である。前世と言っても決していかがわしいいんちきな占いとか何やら怪しいカルト宗教的な事は一切関わり無い。私がカウンセリングを受けて見たいと思ったのも太陽と月の家のサイトに前世と言ってもそれが必ず本当の前世とは限らないのです、と正直な言葉が書いてあったからだ。そうだと信じるのも自由であり深層心理から来る自分で作った心象だと割り切るのも自由という。彼女は何も押し付けたり決め付けない態度を終始変えようとしない。そんな姿が私には何よりも信頼出来ると感じられたのだった。カウンセリングの初めに問診表を渡され記入して、それを元に向かい合って座ってのカウンセリングから始まった。質問は多岐に渡り私の過去から現在までの体験や思想的な事まで広がっていた。話したり質問したりする彼女の声の調子や話し方、すべてが私には好ましい印象を与えてくれ安心して信用できると感じた。最後には意識の底に隠してある自分のすべてを話してしまっていた。そしてそんな事まで素直に話せてしまったという事実が心をとても軽くしてくれているのに気づいた。- 続く -☆太陽と月の家☆太陽と月の家・プライベートルーム(楽天ブログ)
2005年11月25日
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急に何となく何するのも嫌になってゴロゴロしている。何年も集中力無くなってるし夢中になる事が殆ど無いのだけどブログを始めてから久し振りに面白くて熱中する日々が続いてた。ネットやブログに飽きたのじゃないけれど今ちょっと気力が充分じゃないのか何もしたく無い感じ。コメントを入れてくださる方や訪問してくださった方々、お返事もしないでごめんなさいね。ちょっと時間かかりますけれどちゃんと読んでレス入れます。失礼をお許しくださいね!今はあちこち訪問しても字が踊っちゃって頭に文が入りません。明日になったら良くなるかもしれないしあさってになっても治ってないかもしれない。ちょっと何時もよりも惰性で過してる週末になりました。
2005年10月23日
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少しだけカミングアウトしてみよう。すべての友情も愛情も興味も希望も無くなるという経験をした事がある。感情が全く平坦になるというか「無」に帰してしまったような気分。ちょっとでも感情が動くと息が切れる程疲労してしまう。体は動かない、瞬きするのも辛い、自分が生きている感覚も無い。私の場合このような状態は一番気分が下がっていた時期にあった、鬱病である。初めに来た変調はいきなりの不安と体の中からの焼け付くような痛みを伴った悲しみと不安だった。自分でも何が起きたのか解らなく、ただただ体中の激しい痛みに泣き叫んで苦しんだ。その痛みは心の痛みだったのだろうと今なら考えられるけれどその時は本当に訳が解らず焦って苦しかった。医者に行くなんて家族に言われなければ思いつかなかったと思う。それほどの混乱期。痛みから逃れる為に窓から飛び降りたいと思った。体はどこも悪くないのにあれほど激しい痛みを感じさせる鬱病の恐ろしさは今も絶対に忘れられないでいる。次に来たのが最初に書いた停滞期。動けず自分を責め呪い自己嫌悪の中に完全に埋没してただじっとしたまま涙だけ流していた。動けないから何も出来ない、そして出来ない自分が情けなくこんな迷惑ばかりかける自分は消えるべきだとひたすら考えた。でも動けないから何も出来なかった。頭の中はあらゆる事が次から次へと湧いて来て動いていないのに毎日考え続ける事で疲れきってしまっていた。この時期の重苦しい辛さは今でもフラッシュバックして私を苦しめてくれる。治療により少しずつ動けるようになって来た時そのフラッシュバックは私の手に剃刀を持たせるようになった。自傷。リストカットとは言い難い。手首だけじゃなく腕も太腿も脛も胸も肩もお腹もみんな切った。苦しくて泣いていた時に思わず両手の爪で首の後ろや両腕を掻き毟ってその時だけ苦しみが少し楽になったように思えた事が始まりだった。爪だけじゃ満足できなくて、血が流れないと満足しなくなって何時の間にか苦しい時、生きて行く為に切らないといられなくなっていた。家族に剃刀を全部隠された時はステーキナイフを使った。そのナイフも隠された時は料理用の包丁を使った。刃が大きくなるとちょっと恐くてそうっとそうっと切ってみる。皮膚に白い線が付くと、同じ線の上をもう一度なぞる。何度かなぞると細い赤い線が出来る。さらに続けてなぞっていると赤い線に小さい小さい赤い玉が出来てきてそして更になぞった時にその赤い玉は大きく膨らみつつっと流れ出す。流れてきた赤い玉が落ちる前に口で吸い、舐め取った。痛みは殆ど感じられず、膨れ上がった風船が破裂する前に中の空気を抜いたかのように張り詰めていた苦しみの緊張感がスーっとやわらぐような気持ちがした。時には思わず力が入り普段より深く切れてしまい血が止まらずに医者に縫ってもらわなければならない事も数度あった。今でも実はあまり理解出来ていない事がある。それはどうして自傷がいけない事なのか、という事。自殺しようとして切るのではなく生きる為に切る行為なのに。他人を傷つけるのではなく自分自身を傷つけて納得して満足するのに。誰にも迷惑をかけていないと思うのに。どうしていけないの?今はかなり回復した状態だから切る事はほとんど無い。医者や家族が切っちゃいけないと言うから、悲しませるから切らないだけ、我慢できるからしないだけ。でも本心は切りたい日は沢山あるし、切ってはいけない事を完全に理解できた訳じゃない。回復途上は動ける分だけ色々無茶したかもしれない。睡眠剤で死ねないのが解っていてのアルコールでのOD。一日に飲む量の14倍くらいを飲んでみたけれど、ちゃんと次の朝目が覚めた(笑)但し一日中頭が重くて吐き気がしてとんでもない位悲惨だったけど、結局数回こんな事も自分への面当てのようにやってしまった。医者には再発を繰り返す慢性のやっかいなタイプとまで言われた。これは!という位効いた薬も数ヶ月するといきなりのダイブ状態で全く効き目がなくなってしまう事の繰り返しだった。発病から5年半も経った時の再発は自傷が止まらなくなった時だった。どんどんエスカレートして止める事が出来ない。自分でもどうにもコントロールがつかない。消えてしまいたいのに何もそんな行為は出来なくただただ自傷しては泣いていた毎日だった。最後にはODしてから体中に剃刀を向け、首にまで切り付けても止まらなく自分から医者に電話して緊急入院させてもらう始末だった。それが大きな山だったのかと思っていたけれどまだまだ自分に自信が持てないから何とも言えない。この所その入院以降自傷はしていなかったのに夏からまた時々切ってしまう自分がここにいる。切りたい気持ちを出来るだけ抑えるように努力はしているけれど切ってはいけないという事が理解の外にある以上どうなるか解らないのが今の私。誰かに読んでもらいたかった。慰めや同情はいらない。こんな人もいるんだねって読んでもらいたかっただけ。ごめんね読んじゃった人。
2005年09月26日
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眠くてしょうがない。毎晩遅くまで起きているからだって言われるけれど、確かに(^^;夜遅くなればなるほど何だか自由な気分になって嬉しくて眠れない。自分が眠るという事以外の仕事は全部済ませてあるから何をしても良い自分だけの時間がもったいなくてしょうがなくなる。あんまり建設的な事をする訳でもなく、ただ何となく時間を過す事が多いけどこの「私だけの時間」が堪らなく大切に感じている。時にはそんな自由な時間をリビングでのぐてぐて居眠りに費やしてしまう日もある。それでも何故か好きに使ったって感覚で満足するんだよね(笑)寝付きが悪い上に寝不足が溜まるとすぐに精神的に不安定になるので眠れるように薬を処方してもらって毎晩飲んでいる。それを飲めば眠りに逆らえないのが解っているからなかなか飲まずに夜を楽しんでいる。暗闇が好き。 夜が好きだ。安心して深呼吸が出来るような気がする。夜が深く更けた頃には外の電気の灯りもかなり少なくなる。そこここの暗がりがとっぷりと底なしになると灯りを恐れて隠れていた魑魅魍魎たちがそっと息づき始める。彼らの存在は全く恐ろしくはなく一番悪どくて質が悪いのは生きている人間。自分だってその内の一人なのに夜の暗さはそんな事も忘れさせてくれて自由な空間を飛び交う妖怪に変えてくれる。自分が実は本当にそんな魑魅魍魎の仲間の一つだったらどうだろう?いるけれどいない存在でこちらからは見えても姿を見られる事はまずない。時間を越えて居続ける不思議なら消滅の無い苦しみがあるのだろうか?人は他人と違う事を喜ぶよね。自分を変わってるとか言って紹介する人って多いよね。皆と同じ事をしていないと気が済まなくて不安になるくせに他人と違う部分を強調して自分の個性を認めて貰いたがる。普通と言われる事を嫌って真面目と言われる事も嫌って、当たり前の平凡が一番素敵なのにどうして認められないんだろう?虚栄心・見栄・人を見下して初めて作れる自我、比較して納得する自尊心妖怪変化の方がずっと素直で素敵に思えて来る。夜の深い闇の中だけに存在する謙虚な精霊たちにあこがれすら感じるよ。夜が好きだもの。
2005年09月18日
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この一週間くらいずっと胃腸炎で調子が悪い。何か食べ物にあたったのがきっかけだと昨日医者に言われた。薬のせいで下痢やひどい腹痛はおさまってきたけれどまだお腹が重苦しく鈍痛が残っている。下痢するとそのままにしておいて少しでも体重が減ったら良いなんて思う。さすがに今回のはあまりにも長引いたのと腹痛の為に望まないながらも医者にかかってしまった。 意志弱いな私。あんまり自分の健康に感心が無い方だと思う。ひどい病気をしている訳じゃないから言えるのかもしれないが。でも健康の為にこんな事しているとか工夫してるとかそういうのって自分は恥ずかしくてとてもじゃないけど言ったり行ったり出来ない。貪欲に長生きしたいと言ってるようで恥ずかしい。普通に生きていて健康ならそれで良いんじゃないかと思う。だからやっぱり普段から自分の体の事を省みないで行動しちゃってる。タバコもお酒もほどほどというのを知らないし知ろうとも思ってない。次の日に記憶が無くなってるほど飲むし寝ている時に咳が止まらなくなるほどタバコも吸う。ちょっとだけでも体重が減ったら嬉しいからという意味で食べる物を気にしてはいるけれどその時に食べたければカロリーの高い油っこい物もたくさん食べる。寿命が尽きたら死ぬんだからそれだけだと思う。人は生まれたその瞬間から終わりの時に向って生きている。いつかは誰でも必ず終焉を迎えるのさ。幼い頃はそんな「事実」が恐かった。夜の暗さが近づくと恐くて恐くて泣いて親を困らせたと言う。親は外が暗くなる前に雨戸を立てて夜に移行するのを見えなくしてくれていた。大人になってから死は全く違った顔を見せてくれるようになった。最後に死があるからこそ人は思いっきり生きられるんだと思う。終わりがあるからこそ楽しみがあるのだと思う。最後があると決まっているのは大きな安らぎだ。どんな人にも分け隔てなく平等に訪れてくれるからありがたい。愛する人にも憎む人にも愛した人にも憎まれた人にもね。
2005年09月17日
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