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「ガルビスって好きだなァ」例えば、脳内にGoogle機能が搭載されているなら、“もしかして:ガルベス”って表示が出そうなシチュエーションである。誰だ、ガルビス。会話の流れ的には、巨人にいた感じではない。投手ということでもなさそうだ。当然、審判にボールを投げつけるわけもなく……。何より、男性ではなく、女性っぽい。尋ねてみると、プロゴルファーだという。「エェェェェェ、知らないの?」奇妙だ。そこまで驚くか。ナタリー・ガルビス。1983年、アメリカ生まれの24歳。何でも、水着カレンダーが話題の美人らしい。24日に発表された世界ランキングは29位。宮里藍(15位)より、大山志保(16位)より、上田桃子(19位)より、横峯さくら(20位)より、不動裕理(23位)より低い。ところが、世界の30傑には入っている。これは、世の常識としてどうなのか?知らねば恥なのか、知っている奴がマニアなのか。今から5年前、電車の中でこんな会話を聞いたことがある。見るからにサッカー部所属の中学生2人組。どうも、日韓W杯について話しているようだった。A「それにしても、アルゼンチンは凄いメンバーだよな」B「バティは4年前、日本戦で点を入れたんだって」A「そういえばさ、バティのフルネームって何だっけ?」B「え~とね、確か……」B「バティ・ストゥータだよ」……………………絶句。違うわ、小童どもォォォォォオォォォォ!ガブリエル! バティストゥータァァァアァ!コーヒーにストゥータ。ストゥータが1時をお報せしま……、って、それも違ァァァァァァァァァァう!あの時は、雑誌を読みながら眉毛をピクピクさせていたものだが、それって単にこちらがマニアだったのか?職場では、こんなこともあった。野球はよく知らないが、自称「巨人ファン」という女子。「スイマセン。あの~、これって何て読むんですか?」「う~んとね、これは“いわくま”って読むんだよ」岩隈。全国でランキング9651位に当たる苗字。確かに、楽天の記事以外で見る機会は少ないだろう。しかし……。木佐貫も読めないというのはどういうことだ。苗字ランキングでは3648位。珍しい部類ではあるが、巨人ファンじゃなかったのか。わからない。人によって著しく異なる常識の境界線。そして、後藤光尊である。この男、オリックスファンの間ではカリスマ。一方、それ以外では全くの無名。当方、オリックスファンである。もちろん、この名前は常識の範囲内。ところが……。試しにGoogleで“後藤”と打ってみる。関連検索に引っかかったのは、10人だった。“後藤真希”“後藤邑子”“後藤ゆきこ”“後藤理沙”“後藤麻衣”“後藤久美子”“後藤沙緒里”“後藤組”“後藤梨花”“後藤果萌”いない。一軍でバリバリ活躍しているプロ野球選手なのに、名前が、ない。ここまで、とは。正直、ショック。だって、後藤というと……。川崎製鉄千葉時代は、都市対抗で若獅子賞を受賞。ドラフト10巡目の遊撃手ながら、ルーキーイヤーはDHで開幕スタメン。奥さんは、明石家さんまとの密会が噂になった、元グラビアアイドル・斉藤ますみ。川口能活と同じ、神を降臨させる特技。それも、全能の神と笑いの神の両方をランダムに。この通り、キャラは立っているのだ。なのに、何故?……オリックスだからか。だが、そんな後藤にも知名度アップのチャンス。なんと、9月の月間MVP候補に名前が!頑張れ、後藤。世の常識に殴りこめ。最後に。彼のフルネームをGoogleで打ってみた。そこには“関連検索:後藤光尊 エラー”の文字。なんてこった(ToT)Please crick here !!
2007.09.27

前回、セイバーメトリクスなる分析方法を見て、心の中で「そんなの関係ねぇ!」と拳を振り下ろした貴方。ぶっちゃけ、正しい。実は、当のビル・ジェームズ本人も認めているのである。曰く「野球はあくまでも筋書きのないドラマ」だと。そう、統計も計算も絶対ではない。時に“人”の意思とか力によって覆されるものだ。キャサリンの予測だって1つも当たらなかったじゃないか。……キャサリンって誰? うんうん、もっともだ。ボクシング漫画『リングにかけろ』の登場人物で、アインシュタイン・アカデミーとかいう如何にも偏差値の高そうな学校で首席を争った女性である。物理学的な見地から主人公たちに危機を呼びかけたが、全てが杞憂に終わった。そんなわけで、今回は“予報”のお話。米国では、選手の成績を予測する「活躍予報」なるものがあるそうだ。2003年以来毎年、シーズン前に発表されるこの数値は、セイバーメトリクス専門のシンクタンク、ベースボール・プロスペクタスが開発したシステムによって解析されている。その名も、PECOTA。理屈としては、天気予報に近い。成績がよく似た過去の選手と比較し、未来を予想する。ただ、選手の1年を読みきるなど、なかなかに難しいものなのだ。実際に日本人選手の数字を見てみよう。まずは、今年1番の注目を集めた1億ドル男・松坂。松坂大輔(予報)14勝7敗 防御率3.83 VORP 42.2 (現在)14勝12敗 防御率4.41 VORP 34.1ここで注釈。メジャー経験のない選手の予報は、日本での成績をもとに「ダベンポート変換」なる方法でメジャーの成績に換算した上で出している。そしてVORPとはValue Over Replacement Playerの略。訳すと「控え選手を上回る価値」という意味である。つまり、松坂は控え投手よりも42.2ポイントだけ活躍をするだろうと予想されていたわけだ。21日現在、松坂はやや期待を裏切っていることになる。チームメイトの岡島はどうだろうか。岡島秀樹(予報)2勝2敗2S 防御率4.54 VORP 6.0 (現在)3勝2敗4S 防御率2.28 VORP 27.9こちらは嬉しい誤算。大活躍である。ルーキーはもう1人いる。デビルレイズ・岩村。岩村明憲(予報).275 15本塁打 59打点 VORP 18.0 (現在).282 7本塁打 30打点 VORP 12.2こちらは、セイバーメトリクスで重視される長打力の点で少しだけ物足りなさが残る。……なに? 井川はどうした?マイナー調整が長かった井川は、VORPが7.0と予測されていたが、実際は-7.1。控え選手よりも価値が低いという評価。当たり前か。同じく大家と桑田もマイナス評価。それぞれ-0.7、-9.6という数字が出ている。彼らは解雇されてしまったけど。メジャー定着組に話を戻そう。大塚、斎藤の中継ぎ2人はどうだったのか。大塚晶則(予報)3勝2敗4S 防御率3.60 VORP 15.2 (現在)2勝1敗4S 防御率2.51 VORP 11.7斎藤 隆(予報)3勝4敗20S 防御率3.70 VORP 11.8 (現在)1勝1敗39S 防御率1.49 VORP 29.3両者に共通しているのは、シーズン前に防御率の面で甘く見られていたこと。あと、読めなかったのは大塚の故障離脱と斎藤のオールスター選出か。続いては、稼頭央と井口の内野手2人。松井稼頭央(予報).274 7本塁打 49打点 VORP 3.6 (現在).292 4本塁打 34打点 VORP 17.3井口 資仁(予報).288 15本塁打 62打点 VORP 24.3 (現在).251 6本塁打 31打点 VORP 6.4 .309 3本塁打 11打点 VORP 9.1 ※ 上段がホワイトソックス、下段がフィリーズ昨年、大減俸を食らった稼頭央は、故障に苦しみながらも予想を上回る活躍を見せている。予報では12だった盗塁数も、31まで増やした。一方の井口は今ひとつ。VORPの上では、随分と期待を下回っている。……なになに? 田口だって内野手だ?凄いな、アンタ。昔のことをよく覚えている。確かに、今でも年に1回くらいは二塁を守るんだが。では、その田口。田口 壮(予報).266 3本塁打 26打点 VORP 2.4 (現在).287 3本塁打 24打点 VORP 5.6著書で自らを「取材対象としてヘリウムより軽い存在」と書いた田口。地味に頑張っている。続いては、ゴジラ・松井。松井秀喜(予報).288 18本塁打 77打点 24.0 (現在).286 25本塁打 99打点 31.5予想を上回る活躍と書きたいところだが、これは、むしろ予報の数値が低いのでは?特に打点。健在なら100は固いはずなのだ。日本人唯一の捕手・城島はどうか。城島健司(予報).296 11本塁打 60打点 VORP 23.2 (現在).294 14本塁打 59打点 VORP 25.6ををを、ほぼ予想通り。凄いぞ、城島。否、ジョージ・マッケンジー。では、そのチームメイト・イチローは?イチロー(予報).312 6本塁打 58打点 VORP 15.5 (現在).353 6本塁打 67打点 VORP 60.8オイィィィイィィィイィィ! 別人だろ、これ!実はイチロー、毎年VORPを低く見積もられている。昨年もシーズン前は17.6を付けられていたが、実際は46.4を記録した。無理もない。過去に似た選手がいないのだ。というわけで、わかっただろうか?統計はやっぱり難しいと。最後にもう1人だけご紹介しよう。日本人ではないが、日本に縁のある男だ。ステアーズ(予報).261 14本塁打 52打点 VORP 7.8 (現在).293 19本塁打 59打点 VORP 29.2元中日のマット・ステアーズ。1993年の途中入団で、目立った成績も残せないまま解雇されてしまった助っ人である。しかし、メジャーに戻ってから素質が開花。38本塁打を打った年もある。1968年2月生まれ。まだまだ力は残しているようだ。てなわけで、今回はここまで。Please crick here !!
2007.09.21

世の中には、夢分析なるものがある。何でも、無意識に潜む心理がわかるのだという。……クロマティを実家に招待し、靴をあげる夢を見た。これは、どう解釈していいものか。クロマティという部分に何か意味はあるのか。そもそも、これは善い夢なのか、悪い夢なのか。まさか、正夢じゃあるまい。謎だ。誰か分析してくれ。さて、ここから本題。今回は野球界(特に米国の)で近年、飛躍的に研究が進んでいる“分析”のお話。“セイバーメトリクス”膨大なデータを統計的に処理し、選手の評価を判断しようというものである。考案者は、ビル・ジェームズという人物。大学で経済学を修めた彼は、食品会社で夜警の仕事をしながら、この理論を構築していったという。日本でも話題となったアスレチックスのマネー・ボールも、この理論を取り入れている。攻撃では出塁率&長打率重視。守備では奪三振率重視、四死球&被本塁打厳禁。とにかく、主要3部門に価値を見出さないのが斬新だ。その他、このセイバーメトリクスは、戦術面でも従来のセオリーに疑問を投げかけるような分析結果を出している。例えば、送りバント。結論から書くと、これは得点の可能性を下げる行為である。ジェームズ曰く「アウトを防ぐことは、走者を次の塁に進めるより3倍重要」なんだとか。具体的な数字で説明しよう。無死一塁の場面、膨大なデータを統計処理してみると、その回に得点が入る平均期待値は.953。ここで、送りバントを成功させる。走者が進み、得点の期待値は上がるかと思うだろう。しかし、実際は.725に下がるのだ。まして、バントには失敗の可能性がある。無死一塁が一死一塁になると、数値は.573に、併殺打なら.117まで落ち込んでしまう。逆に、強攻策でヒットが出た場合は、1.573。……あァ、ウチのコリンズ監督ったら、初回から送りバント好きだよなァ。本塁打の割に得点が低いのはそういう理由なのか?投手の方でも1つ。クローザーの起用方法。セーブが付く場面での守護神投入は、愚の骨頂だというのだ。ジェームズはアウトカウント、出塁状況などのデータを統計・分析し、勝利確率(Win Probability)という計算を編み出した。これによると、なんと最終回、味方がリードしている状況では、95%もの勝率が約束されているという。しかも、どんな投手が投げようとも!ならば、優れた投手をわざわざ最終回に登板させることはない。最も効果的なのは、同点か1点ビハインドの7回らしい。……だからロッテファンの諸君、小林雅がコールされてもブーイングなどしないように。さァ、今回紹介したセイバーメトリクス。次回はこの理論を応用して考案された、選手の「活躍予報」というものを紹介しよう。Please crick here !!
2007.09.11

つづきである。次の目標は、メキシコ五輪。クラマーは契約満了により、帰国。彼の戦術は、長沼監督と岡野コーチが継承していく。クラマーの戦術、それは走りまくるサッカー。そう、今、オシムが提唱しているものと同じである。この頃、エースストライカーの釜本は渡独。ボールをもらってからの動きを徹底的に磨いた。結果、杉山とのホットラインは、破壊力を増した。横山もまた、正GKの座を確固たるものとした。さァ、いよいよメキシコ五輪本番。スタンドには、かつての恩師・クラマーの姿。なんと彼は、FIFAの役員として現地入りしていた。「昼寝をしていれば『ちゃんと寝ているか?』とか 言って部屋の中にでも入ってきましたし(笑) 年がら年中一緒にいたような感じだったですね」公平な立場なのに、日本にぞっこん。その甲斐あってか、日本は初戦でナイジェリアに快勝、ブラジル、スペインと引き分けて予選リーグ突破!準々決勝でもフランスを破る快進撃を見せた。しかし、準決勝はハンガリー相手に0対5の惨敗。日本は3位決定戦でメキシコと戦うことになった。ここまでで選手たちは疲労困憊。頼みの釜本も足をしこたま痛めていた。その上、相手は地元・メキシコ。過去には0対4で負けたこともある相手だった。ピンチ。少なくとも、長沼監督は勝てないと思っていたらしい。ところが、横山はそう考えていなかった。「その時は、いきなりメキシコシティに 行きましたものですから、 酸素が全く摂れずにパクパクしながら、 ただ試合をやっていたというだけで」つまり、酸素の薄い高地で戦ったものだから、持ち味である「走るサッカー」ができなかったと。言い換えるなら、対策万全の本番は勝てる、と。確かに、日本は2対0で折り返した。しかし、点差とは裏腹に、日本は誰も安心していなかった。選手心理として、1点を返された時、浮き足立ってしまうのがわかっていたからだ。そして、嫌な予感は的中した。後半10分、痛恨のPK献上。横山の出番だ。「もちろん、PKになった時には 具合悪いなという風に思いましたけどね。 ただ、PKを蹴る選手もよく知っている選手で、 やっぱり最後は自分の得意なところで 決めてくるだろうと思っていましたから」横山は、キックの方向を予測した。自分から見て左。思いっきり飛んだ。「ところが、ミスキックだと思うんですけどね、 だいぶ狙ったところよりも中へ来たんですよね。 ですから、派手に行き過ぎちゃったかな という感じでね、慌てて。捕れましたけどね」多少の狂いはあったものの、好セーブ。日本の誰もがこれで勝ちを確信した。「ヤマを、完全にヤマを張っていましたから、 あんまりヤマかけ過ぎて行き過ぎちゃってですね」ええい、そこはせめて「読み過ぎて」と……。残り30分以上を懸命に守る日本。守備は免除されていた釜本も杉山も守備に回った。いつしか、メヒコ(メキシコ)一色だった歓声は、ハポン(日本)へと変わっていった。面白かったのは、ボールが観客席に飛び込んだ時。時間稼ぎをしようと、観客がそれを渡さない。当時はピッチ傍にスペアのボールを用意していなかったので、試合再開ができなかった。そんなこんなで時間は過ぎていき……、タイムアップ。日本、銅メダル。日本代表の面々、走るサッカーを極限まで体現し、精根尽き果てていた。しかし、その中に例外が1人だけいた。「僕らはね、ただ立っているだけですから、 あんまり疲れるわけないんでね(笑) GKはあまり疲れないんですけど、 疲れたような顔して(笑)いましたけどね」今明かされる、横山の真実。試合後、クラマーは記者たちにこう言っている。「あなた方は私が初来日した時、 『大和魂』と発言したことを覚えていますか。 それは、まさに今、目の前にある」消耗しきって横たわっている選手たち。それこそが、大和魂の証だと。でも、1人だけ消耗しきってない奴がいたのです。伝説のGK・横山。彼はこの時の栄誉を胸に今もサッカー人生を歩んでいる。「最近になってクラさんから学んだことが 多いような気がしますよね。 ちょっと、遅かったですけどね。えへへへへ」この、お茶目さんめ。Please crick here !!
2007.09.06

横山謙三という人物がいる。サッカーファンにはお馴染みだろう。浦和レッズで監督、GM、取締役を歴任。日本代表監督時代(1988~91年)は、カズ、ゴンら「ドーハの悲劇」世代を見出したことで知られている。だが、最大のハイライトは1968年のメキシコ五輪。銅メダルの快挙を成し遂げたあのイレブン、ゴールマウスを守っていたのが、横山だった。ピッチの最後列で、彼は何を思っていたのか。GKが見た、日本サッカーの原点。☆☆☆話はその8年前に遡る。ぶっちゃけ、当時の代表チームはダメダメだった。パスが思った方向に出せない。ヘディングを叩きつけることもできない。リフティングにいたっては存在さえ知らなかった。そんな状態で決まった東京五輪の招致。弱小アジアでも勝てる国がなかった日本は、「このままでは大恥だ!」と、外国人コーチの招聘を決めた。デットマール・クラマー。先進国ドイツにあって、屈指の理論派コーチとして知られた人物だった。来日第一声の「ヤ・マ・ト・ダマシィ」は、周囲をしこたま驚かせたものだ。その指導は、とにかく厳しかったという。来る日も、来る日も、基本、基本、基本、基本……。反復練習だけがひたすらに行われた。そんな中、横山が代表に呼ばれた。1963年のことだ。高校3年でGKに転向し、僅か3年目での招集。キャリアの浅い彼は、やはり基本から叩き込まれた。「とんでもない(厳しい)親父でね、参りました」しきりに言われたのは『遮断機』――。オマエは踏み切りの遮断機だ。横に飛ばないで、ただ上に上がっているだけだ。だから、みんなボールが下を通っていくんだ。今では当たり前のことだが、当時の選手たちには斬新だった。更に、横山は驚いた。代表合宿での宿舎、クラマーが一緒に生活をしている。そして、何かと口うるさい。ジュースやアイスクリームを買うと……。「幼稚園児みたいな真似をするな。 日本にはお茶や牛乳があるだろう」ビールを飲む。一口目で「くぁ~」となると……。「冷たいものを一気に飲むなんて子供だ。 胃をびっくりさせないためには、 まずウイスキーを一口だけ飲んでおくんだ」公私共にあくまでも厳しいクラマー。それでも、選手たちは一生懸命なコーチを尊敬していた。ところが、横山ったら。「皆さんどうかと思うんですけど、 僕なんかは尊敬の念なんかはあまりなかったですね。 『このヤロー』っていつも思っていまして、 本当にね、いつも苛められているみたいなね」1人だけ別の意見。東京五輪直前の2ヶ月間、彼は「人生で最も辛い」時期を過ごしたそうな。「正GKの保坂さんという方が、 骨折、手の骨折をされましてね。 それで、急遽私に回ってきたものですから、 そのときの特訓は、今までの私の……ぶふっ(笑)」何故か、吹き出した。「皆さんほかの人が休みでも、私だけは練習。 よくクラさんもあんなにべったり引っ付いて 練習するなと、それぐらいやりましたですね」そして迎えた1964年、日本は東京五輪でベスト8という大躍進を見せたのだった。つづく。Please crick here !!
2007.09.03
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