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カフェバタビヤを出て、駐車場で待っていた運転手さんと合流。運転手さんの横に1人のインドネシア人が立っていた。運転手さんが私に言った。「この人はワヤン(伝統的な操り人形芝居)博物館の人でワヤンを見せてくれるって言っている」私は答えた。「今日はコタ地区にあるワヤン博物館は休みのはず。」「そうそう、知っている。だけどこの人が特別に横のガレージで見せてくれるって」私の心が「ちょっと大丈夫かな」と言っていた。でもわたしに当てがわれた運転手さんはやたら押し売りの手引きをする観光タクシーとは違うし、身元がしっかりしている。誠実そうな人だし、運転手さんがせっかく言ってくれているからと、横のガレージに行ってみた。入った瞬間、やっぱりね。大きな倉庫のほんの片隅にガラスケースが有って、ワヤンが並んでいた。彼は一生懸命ワヤンについて、ワヤンの作り方について英語で説明を始めた。うんうん、そうなの?説明を聞く。そのうち、説明がワヤンの作り方や材質の説明ばかりになってきた。ほら来た。そして、ついに「これ本物で良いものだから買わない?普段は博物館で売っているものだよ」ワヤンはお土産で買ってもいいかなと思っていたリストに中に入っていたから。買ってもいいかな。「いくらなの?」「日本円で2, 000円」しまった。今まで英語での説明にうなずいてしまった。ここで英語が分からない風はいまさら装えない。「高いからいらない」「本物の水牛の皮なのになあ、じゃあいくらなら買う?」「1,000円」「いやあ、それは無いよ。じゃあこうしよう。僕に1,000円。このガレージを掃除している人に300円。」「掃除?それは私に関係ないよ。床だってきれいになってないし」このやり取りを見ていた人のいい運転手さん、わたしをここに連れてきてしまったことをすまなさそうにうろうろしている。彼も今頃しまったと思っているに違いない。さて私はそのワヤンのミニチュアをいくらで買ったでしょうか?写真街を車で走るとびっくりすることがいっぱい。オートバイは2人乗りは当たり前、真ん中に子供を乗せたり、赤ちゃんを抱いて乗ったり、荷物をたくさん足の間に挟んで乗ったり。駐車中、車から覗いたら横に止まったオートバイはなんと5人乗り。
September 15, 2012
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別荘地の入り口を入り、管理棟の角を曲がるとき、大きな立て看板を見た。「熊に注意!散歩は2人以上でしてください。」え、今年も熊の目撃情報が有ったのかしら。山の家から帰ってすっかり虚脱感、ブログUPもさぼってしまった。旅行記なんて新鮮なうちでなきゃガングロギャルみたいなもの(面白くない)。さっさとインドネシア旅行記を終わらせよう。次の旅も控えていることだし・・。ジャカルタの朝、4時には目が覚めた。いやいやだけど・・。毎朝4時になると町中のモスクの拡声器から大音量のコーランのお祈りの音が聞こえるのだ。そしてまた一眠り。7時ちょっと過ぎに友人が出社する。ボロブドゥールで買った絵葉書(物売りからではなく土産物屋で)を書いたり、その日の計画を立てたりしていると、英語を話さないメイドさんがやってくる。飛んで火にいる夏の虫。待ってました。運転手さんが迎えに来るまでにはちょっと時間が有るので、メイドさんの仕事の邪魔をする。「あなたはどこに住んでいますか?」「ここまでどのくらい時間がかかりましたか?」「ここに来るのに何に乗ってきましたか?」そう、メイドさんを実験台にインドネシア語の練習。「今日は私はコタ地区に行きます」とインドネシア語で告げてアパートのフロントに行くと、運転手さんがちょうど来る。「今日は博物館が休みだから、コタ地区に行きたいです。その前にポストオフィスにお願いします」ここでもインドネシア語の練習。すっかり私のへんてこなインドネシア語に慣れた運転手さん、語彙の順序が逆だとちゃんと言い直してくれる。「ああ、そうなの?」私は言い直す。「郵便局の次はカフェ・バタビアに行くから、1時間後にそこで待っていてね」なんてスラスラは出ない。「郵便局行きます。そしてカフェ・バタビヤに行きたい。11時にそこで会います」なんてね。オランダ統治時代の建物が残るコタ地区のだだ広い郵便局で切手を買って、さてどうやって貼ろうかと思案していたら、どこかで見ていたらしいおじさんが、水スポンジを持ってきてくれた。カフェ・バタビヤに行くと言ったら、友人に「トイレにも入って来てね」と言われた。言われた通り2階の窓際に席を取り、バリコーヒーを飲んで、トイレに入って来た。上の写真はトイレの中の洗面台回り。もちろん便器のある個室の中でも、額の中のたくさんの人物にお尻を見られた。
September 13, 2012
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ブランバナンやボロブドゥールが有るジョグジャカルタはインドネシアの特別州でありその知事を代々務めるのはジュグジャカルタの王家の王様。ジョグジャカルタの王宮には被っていた帽子さえ取って礼を尽くせば、観光客でも自由にその敷地に入れる。ロイヤルファミリーとして日本の王室と交流が有る王家の王宮の庭には、ガムランの演奏場、練習場、美智子妃も食事をしながら民族舞踊を楽しんだというレセプションルーム、盗みに入ると天罰が下るから泥棒が入らないという宝物館、王様の居住する建物など点在していた。中でもウサギが興味を持ったのは、そこに日がな1日座っているだけだけど、それが自慢になるのだという、リタイアしたおじいさんたちが民族衣装の正装で王宮の一角に並んで座っている風景だった。ジョグジャのバティックは言ってみれば箱根細工の文様と色合いが良く似ている。その独特のバティックのサルーン(腰巻)と帽子を被って、じいっと置物のように座っているのだ。観光客が通っても、覗いても平気で座っている。たぶん彼らの着ているのは最高級のバティックに違いない。素晴らしい文様に目が吸い付けられた。ちょっと触らせてもらいたかったけれど、さすがにそれはね。写真も撮りたかったけれど、何と言っていいかその雰囲気に気圧されて撮れなかった。1日そこに座り、家に帰って「王宮に行っていた」と自慢し。明日またそこに座りに来る。長閑な風景。写真は王宮の庭の東屋
September 6, 2012
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ここはアマンジオアマンとは世界に展開する高級リゾートホテルグループ。それぞれの国のアマンに共通しているのは、特異な美しさを誇る自然環境や、シンプルでスタイリッシュな造り、また伝統に彩られ品格を備えた施設、プライバシーの保たれた小規模の客室数など、なんだそうだ。ブータン旅行の時は、基本1日の費用がどこに泊まってもほとんど一緒なのだが、アマン・コラ(ブータンではコラ)とウマだけは別格で1日10万円かかると言われた。どんなものかとその時の皆で、人里離れた田んぼの中に伝統家屋を模したのに中は超豪華なそのホテルに興味本位でお茶だけ飲みに行ったことが有る。食べたケーキとコーヒーは東京のウェスティンホテルと変わらぬおいしさ。そこだけはブータンに有ってブータンではない世界だった。ジョグジャカルタのアマンはアマンジオ。ブロ友のもあさんが、宿泊記事を上げていたのを見て、いつか行ってみたいと思っていたが、なんと友人が頼んでくれたボロブドゥールツアーに、泊まりではないが、アマンでの昼食というのが付いていた。なんとラッキーな。憧れのボロブドゥールに憧れのアマンジオがもれなく付いて来た。そういうわけで、ブランバナンの後、ボロブドゥール観光の前にアマンに寄ったのである。上の写真は、アマンのレストランの入り口。ボロブドゥールの石積みを模した建物の階段を昇り、ガラス窓のない吹き通しの大理石のレストランを抜ける。白く光っているその先に有るものは?わかるだろうか。大理石の柱と白い傘の間、空と遠くの山と緑の森の間に見えるのがボロブドゥール。「すごい!なんという景色、なんと素晴らしい居心地」2人の演奏者が奏でるゆっくりしたガムランの音楽が流れるレストランで、ボロブドゥールを見ながら食事をした。レストランにいるのは2、3組の欧米人家族のみ。ここはお金持ちの世界なのだろうなあ。「もうここに居たい。ボロブドゥール行かなくてもいい。泊まれば良かった」友人がこれまたホテルオークラと変わらぬおいしさのケーキを食べながら夢心地でつぶやいた。「私もここでツアー終わってもいいかな」と思わず言ってしまってから、はたと夢から覚めた。だめ、だめ。友人はボロブドゥール2度目だけど、私はまだ行ったことが無い。何の為に500円玉缶開けたのだ。インドネシアとインドネシアの狭間に有ったヨーロッパ。異次元世界。
September 5, 2012
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ブランバナンがヒンズー教の寺院なら、そこから車で1時間ほどのところにあるボロブドゥールは仏教の寺院である。しかし、同じ石で出来ていても、ブランバナンがその中に祈りの部屋や日常的な儀式のための部屋を持つのに対して、ボロブドゥールは外から祈るシンボルとしての場所なのである。だから、その巨大な石の中はただの土、空間は無い。掘っても掘っても土(もっとも掘ったら石が崩れるだろうけど)。奈良の中宮寺や日本のあちこちのお寺にある曼荼羅の、立体曼荼羅なのがボロブドゥールである。3層になった曼荼羅をハアハア言って歩幅の大きい階段を登り、第1層を時計回りに回る。また階段を昇って第2層をストゥーバ(仏塔)の間を時計回りに回る。回りながらブータンでマニを回したように、石の壁に掘られた、釈迦の生涯の物語をたどって行く。ルンビニの木の根元のマヤ婦人、釈迦の誕生、城の四方の出口の物語、出家、涅槃。日本語ガイドさんの説明を聞きながら回る。それでもきっと彼はイスラム教徒。回りにいる観光客も女性はかなりジルバブを被っているのでイスラム教徒とわかる。石に掘られた物語ももちろん興味の湧くものだったが、どうやってこれを作ったの?という疑問は少し分かったような気がした。やっぱり奈良の大仏と同じ、作っては土で埋め、作っては土で埋め、最後に土を取り除く。それなら可能かな。ブランバナンでは解けなかった謎が此処では解けたような気がした。それにしても途方もない作業だ。ボロブドゥールの巨大な石段を降りて、出口に向かう時、絵葉書が買いたいと思う私の心を見透かしたように、たくさんの物売りがガイドブックや絵葉書を持ってわたし達を追いかけて来た。「絵葉書1枚100円、5枚で500円になるよ」ちっとも安くなってないじゃない。こんな所で誰も買わないよ。友人がつぶやいた。「ガイドブック1,000円にするよ」いや、全然安くないし、日本より高い。「良い写真、良い写真」要らないと言っているのに金魚の糞のように、何百メートルも追いかけて来る。ものすごくたくさんの観光客がいるのに、日本人のわたし達ばかり追いかけて来る。半分速足で逃げて歩く途中、子供だましの落下さんのようなものを50円で売っていた。子供を日本に置いて赴任している友人。「50円なら安い。買ってもいいかな」え?イギリス人のラッフルズに発見されるまで1,000年もの間火山灰に埋もれていたという神秘の遺跡も、今じゃ白日の下に曝され、物売りと観光客と異教徒の喧噪の中。
September 4, 2012
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昨日の日記で初日に両替えでだまされたと書いた。とんだ災難できっと意気消沈しただろう、と読んでくださる方は思っただろう。とんでもない。インドネシア大好き。筍のようにどんどん成長しているジャカルタ。とんでもなく汚いところと日本と全然変わらないビルの中と、巨大な洗濯機の渦の中の衣類のようにごちゃ混ぜになった街ジャカルタはとっても魅力的でわくわくする街だった。もちろんまた行きたい。さて本題戻って2日目。私の娘と同じ年の若くて美人な友人は有能なエンジニアなので単身赴任で来ている会社に朝、アパートから出勤して行った。私のお迎えの車は9時。その時刻にその日付き合ってくれる私のインドネシア語の先生のお姉さんフェリさんが姪御さんのララさんを連れてアパートにやって来た。密かに、習ったインドネシア語を話すチャンスだとほくそ笑んだ私であったが、初対面の挨拶から2人ともよどみない英語で話し始めた。負けた。これで今日の会話は英語に決定させられた。インドネシアには26以上もの州が存在し、当のインドネシア人達もわからないほどその州が増え続けているらしい。そしてそれぞれの文化も言葉も時には宗教も違う。そしてもちろん民族衣装もまるで違う。その民族衣装の模様の大多数はバティックと呼ばれるその地方独特の模様を持つろうけつ染めなのである。自分の学生時代の専攻が家政科だったからだろうか。民族衣装とか布の模様とかにすごく興味を覚えるウサギ。バティックの宝庫であるインドネシアでこれを追い求めない手はない。今回の旅のテーマはバティック。もちろん友人にも、2日目に案内してもらうフェリさんにも、自分の行きたい所を事前にfacebookで伝えてあった。先ずは下勉強のために、運転手さんにバティック博物館に連れて行ってもらう。ソロ地方のバティック、ジョクジャカルタ地方のバティック、バンドゥンバティック、織物のイカット等、ほれぼれするような布の芸術がゆったりと展示されている。博物館にはアメリカ人のグループがいるのみ。昔懐かしい日本のろうけつ染めに良く似た懐かしい藍色のろうけつや文様も有った。そういえば、この頃日本でろうけつ染め見ないなあ。昔は風呂敷とかいろいろなところに有った気がするのに。ふるさとを探すような気持で私のインドネシアバティックの旅が始まった。その日は金曜日。ジャカルタではバティックデーなのである。出来る限りバティックを着ましょうデー。スタイル抜群の友人もその日の朝、ジャカルタで買ったという素敵なバティックワンピースを着て出社したのだった。そんな日に出会ってラッキー。運転手さんも、街行く若者も、暴走バイクのお兄ちゃんも、レストランにいるジルバブ(イスラムの被り物)をかぶったご婦人も、みなバティックを着ているじゃないか。バティック博物館を出ても、町中がバティック博物館。博物館にいた猫の模様までバティックに見えてきた。そんなわけないか。
August 31, 2012
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