2026年05月05日
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ツーことで、今日は二十四節気の立夏で、こどもの日の祝日です。 こよみのページ によると、「夏の立つがゆへ也(暦便覧)この日から立秋の前日までが夏。野山に新緑に彩られ、夏の気配が感じられるようになる。かえるが鳴き始め、竹の子が生えてくる頃」で「「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」。端午の節句に当たる。1948年(昭和23年)に制定された国民の祝日で、こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する日とも規定されている。最後の「母に感謝する」の文言は忘れられて久しい。「父」にいたっては、はじめから忘れられている・・・」だとか。今日も多少薄雲が浮いているものの、陽射しが降り注いでいる?(^^ゞ 都心のアメダスを見ると、明け方の気温は15度で昨日よりも6度も低く、北寄りの風が吹き、日照はあるものの、午前10時の気温は20度と昨日よりも6度くらい低くなっている?(^^ゞ 昨日が暑かったからまずまずともいえるのかな?(^^ゞ ただ、昨日は風が強くて熱を奪っていく感じだったけど、今日は風はさほどでもないから体感的にはどうなんだろう?(^^ゞ そんな今日は「端午の節供(菖蒲の節供)…五節供の一つ。邪気を払う為に菖蒲や蓬を軒に挿し、粽や柏餅を食べる。「端」は物のはし、つまり「始り」という意味で、「午」は「五」に通じることから元々「端午」は月の始めの五の日を意味した。その中でも月と日の数字が重なる5月5日特にめでたい日として「端午の節供」と呼ぶようになった。 日本では、男性は戸外に出払い女性だけが家の中に閉じ蘢って田植えの前に身を清める神聖な儀式の日だった。 しかし「菖蒲」が「尚武」と同じ読みであることから、鎌倉時代ごろから男の子の節句とされ、甲胄・武者人形等を飾り、庭前に鯉のぼりを立てて男の子の成長を祝う節供となった。因みに「節句」ではなく、「節供」と書くのが本来である」、「自転車の日…1998年(平成10年)に自転車月間推進協議会が制定。5月1日〜31日までの1ヶ月を自転車月間として、さまざまなイベントが行われる。期間中の祝日を自転車の日に当てたもの」、「わかめの日…日本わかめ協会が1983(昭和58)年に制定。「こどもの日」に因み、子供の成長発育に欠かせないミネラル、カルシウム等を含んだわかめをたくさん食べてもらおうと設けられた。また、この時期は新わかめの収穫時期でもある」、「薬の日…全国医薬品小売商業組合連合会が1987(昭和62)年に制定。 611(推古天皇19)年、推古天皇が大和の兎田野で薬草を採取する薬狩りを催し、これから毎年この日を「薬日」と定めたという故事に因みます」なんて日でもあるらしい。

ところで、イラン情勢についてはまたぞろトランプさんが余計なことをやっておかしな方向に行く危険性が増した気がするけど、情報が正確じゃないからコメントは差し控えるのが良いのかもしれない。で、そのトランプさんやプーチンさんや習近平さんなどは覇権主義的な行動をしているようで、自らの周りを固めて安全にするために「安全地帯」を拡大しつつあるような?プーチンさんはウクライナを引き入れるためにかなり強引なことをしているし、トランプさんはベネズエラやグリーンランド、パナマ運河などをわがものにしようとしているし、習近平さんは「異物」だった香港を同質化しつつあり、次は台湾に標準を合わしている感じだよね?互いに敵対しているようで、テーブルの下では手を握り合っているような、傍からは知りようがない関係が周りを無視して続けられているような感じじゃないか?仲間を増やすことで自分のやりたいようにしているようだけど、最終的に何がしたいのかは全くわからない。

3つの超大国を掣肘することはできず、国連も国際法も何ら止める手立てを持たず、ローマ教皇ですら言葉で訴えることはできてもそれ以上のことは難しいでしょ?結局、3つの超大国でそれなりの力を保持したら好き勝手なことができるという時代になってしまったようだよね?他の国は周りで右往左往しつついかにして自分たちに被害が出ないかを模索しているような感じでしょ?鎖も首輪もつけていない猛獣が互いにいがみ合っているわけではなく、周りに対して威嚇している状態で、戯れに襲われることもあるから、どうやって身を守るかってことになっている。ちょっと前までは互いに牽制し合っていたのに、今では牽制なしに周りに対して牙をむきそうになっているからなぁ…

まぁ、こんな状態だからってわけでもあるけど、そもそも、世界は飽和の時で、成長にも限界が見えてきている。ある意味、それ故に世界のあちこちで戦争や紛争が起こり、多くの無辜の者たちが殺傷されているのかもしれない。スクラップアンドビルドといえば聞こえはいいが、大きな戦争で多くの人が死ぬことでそこに成長の余地が生まれたりする。戦争という大量消費と破壊の先にあるのは復興復旧というフロンティアなのかもしれない。そういった意味からすれば日本は戦争ではなく、自然災害に見舞われることで何度となく復興復旧を余儀なくされるわけで、このスクラップアンドビルドで潤ったりもするのだ。まぁ、それだけでは足りないから「都市再開発」とか「インフラ再構築」などで需要を生み出しているともいえるのだ。ただ、問題はそれに見合った資金がないということかもしれない。自然災害からの復旧復興が進まないのはもっと儲かるようなことに資金が向かってしまっているからかもしれないよね?オリンピックとか万博とか再開発の方が絶対に儲かりそうでしょ?だから、復旧復興はどんどん後回しにされてしまうのだ。

また、少子高齢化もかなりの問題になりつつある。これは動物の本能的なものかもしれないけど、ある程度の密集が生まれると自然と出産しなくなるのだ。密集ができるまではドンドン子供を産んで増えていこうとするけど、人口密度があるラインを超えるとそれ以上は増えないようにブレーキがかかるんじゃないかな?日本の子供の数はずっと減り続けており、50年前の半数以下にまで減ってしまったそうだ。子供の数が減っている分だけ高齢者の数が増えているのだ。ツーか、高齢者が増えているからこれ以上人口を増やさないために子供の数がおのずと制限されるのだろう。乱暴な考え方をするなら、高齢者の数が減ればおのずと子供の数も増えるんじゃないかな?日本の国土に丁度いい数にするために本能的に出産が控えられてしまうんじゃないかな?それくらい日本人は長生きし過ぎじゃないのかな?

日本の人口は最近は少しずつ減っているようだけど、それでも1.2~1.3億人くらいでしょ?ある意味、無理やり長生きしなくても自然と生きていられるくらいで十分だってことになればって思うのだ。医療費がどうのって話にもなるけど、どちらかといえば「緩和ケア」とか「健康医療」「予防医療」をメインにし、無理やり生かして置こうってのは考え直した方がいいと思うのだ。意思疎通もできず死んでいないだけの状態で生きているのはその人にとってどうなんだろうって思うのだ。意思疎通ができて人間らしく振舞えるなら生きる意味はあると思うけど、人間らしく振舞うことすらできなくなったならその後は痛いか苦しいかで、楽しいことを感じることすらできないのは生きていることになるのかなって思うのだ。回復の望みがあるならそれにすがる気持ちもあるけど、そうでないならって思うんだよね?

話がドンドン暗くなってしまうんだけど、他者との意思疎通の可否が生きていることの境界線のように思えるから、そのあたりで覚悟を決めてもいいと思うのだ。ツーか、そういう状態を見ている方もかなりつらいものがあると思うので、「死んでいない」ことで執着するのはどうかと思えてならないのだ。こういうことの負担はかなり大きく、この分を子育てなどに回せれば出生だってかなり違ってくるんじゃないか?意思疎通の有無、回復の有無などで「生きている」と「死んでない」の線引きは可能だと思うので、このあたりについてキチンと議論し、「あとは若い人たちで」ってことでもいいと思うのだ。死ぬまで元気で、ある日突然ポックリなんてのが理想だと思うんだけど、まぁ、ずっと寝たきりってのよりは絶対にマシだと思うのはおかしいのかなぁ…(T_T)





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最終更新日  2026年05月05日 12時15分18秒
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