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現在襲来中の台風にフランシスコという名前が付けられたため
ザビエル神父が話題になってますが
ドン=フランシスコ、こと大友宗麟も、お菓子共々話題になってくれたら
嬉しいなと思う豊後国民です。
【送料込価格】菊家セット【ドン・フランシスコ6個入、豊後手焼煎餅9枚入】
さて、このフランシスコという洗礼名。
もう一人大友氏ゆかりで名乗った人間がいます。
それは、宗麟の孫にあたる人間で
16.7世紀イエズス会書簡集 1期3巻のP213
筑後国について という項目を見ると、
宗麟の4女マセンシアという女性が小早川(毛利)秀包と結婚して1600年には久留米城主として
暮らしていたようですが、彼女はキリシタンとして活動し、子供にも祖父の洗礼名
フランシスコの名前をつけたようです。
そんな彼は彼女の教育で
『息子のフランシスコは10~11才で刀で仏像を切り付け火で燃やした』
と記録される位、バリバリのキリスト教徒として将来を有望視されていました。宣教師に。
ですが、関ヶ原の戦いで西軍だった毛利輝元に味方したので久留米藩は改易。
久留米のキリシタンは追放されてしまいます。
領地を失った小早川秀包は長門国豊浦郡川棚へと移り、翌年死去。
毛利秀元の毛利輝元への言上によって元服し、7,000石を与えられて長州藩内で長門国阿川・滝部・殿居を領したそうです。
移住後は宣教師の保護も難しくなったのか、宣教師による記録はありませんが
毛利元鎮という名前で輝元に仕え、吉敷毛利家第2代当主として活躍したそうです。
祖父の大友義鎮の鎮の字と、フランシスコという洗礼名を継いだ大友家ゆかりの人物がいた事を
とりあえず記録しておきます。
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