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わらづと納豆を見つけた! 九州の大豆を本物の藁でくるんである! おお~これは久しぶりじゃなぁ~ 本物の納豆じゃ! 結び目を見ていていただきたい。 結ぶ紐まで藁である。 開ける。 直接藁に納豆がくっついているではないか! いよいよ本物じゃなぁ~! 実は藁には大量の納豆菌が含まれていて、こうやって直接くるんで作るのが本物だ。 ただ単に容器として藁をつかった、ナンチャッテではない本物の藁づと納豆だ。 無農薬で栽培された稲わらに地元で調達した大豆で、わら納豆菌で発酵させたそうだ。 量もたっぷり。 どんぶり鉢いっぱいだ。(ちなみにこのどんぶりは私が作った) まぜる。 すぐに粘りがでる。 この粘りがいいのだ。 飯にかけて食う! このねっとりとしたコク。 まろやかなでしなやかな粘り。 うまい。 この時は山芋をすりおろして、山芋納豆丼にして、ひとりで全部かきくらってしまった。 しかし普段は一人で食べるには多いといえよ~ ぜひ家族のそろう食事の時に、ドンとどんぶり鉢にこの納豆を練って出しておいて、みんなでわいわい食べたい。 そして最後はこの藁づとは土に還る。 うちでは野菜屑はみんな醗酵させてプランターの肥料にしている。 本当はその中に一緒に入れて発酵させるのだが、それではあまりにも絵にならないので、今回は直接土に入れて写真を撮った。 今まで納豆を食べる度に、発泡スチロールの容器やビニールがでて、一般ごみに出すわけだが、これなら容器をゴミに出す必要はない。紐まで藁なのでそのまま入れればいい。 土壌にも納豆菌は大変いいのだ。 野菜くずやプラスティック容器などをわざわざ石油を使って焼却炉でもやすことはない。そんなことをしながら税金が高いと嘆いている。 みんな自宅でこうして肥料にしたらいい。 毎年肥料を買わなくてもおいしいトマトなどがどんどんなる。 これからは世界で20億人死んぬほど食料不足になる。 みんな今からこうやって楽しみながらプランターで野菜を作っておくといい。 話がずれた。 この地元九州の大豆を地元の無農薬の藁でくるんだ納豆は熊本県で作っているが、私の住んでいる大分県で200円で買える! これが200円ですよ! 私なら、藁をとってきて編むだけでも200円くらいお駄賃がほしい(笑) どうして、こんな地元国産大豆を手間暇かけた本物の藁づと納豆が200円で売れるのか。 輸送コストと小売りの利益を考えれば、百何十円かで作れるのだろう。 不思議でならないが、大変に立派な企業家精神だ。 こういう地元の大豆を、本物の納豆にして、おいしく、安価に提供してくれることほどありがたいものはない。 こういう納豆と野菜と米さえあれば、どんなに食料危機になっても生きていける。 ぜひこういう事業を軌道に乗せ発展させてもらいたい。 みなさんも身近に藁づと納豆を見つけたら、ぜひ応援してあげてくださいね~
2011.01.29
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広島大学出身で放射能被害調査の専門家、札幌医科大学の高田純教授が2009年七月九日発売の週刊新潮(七月十六日号)に「シルクロード『核汚染』を隠蔽し続けるNHKの『大罪』」と題して寄稿していた。 一九六四年から九六年までの四十六回にもわたる核実験によって広範囲の「核の砂漠」が現出し、ウイグル人ら十九万人以上が急死し、百二十九万人以上が白血病、癌などの急性放射線障害に罹ったと推定されるそうだ。 以前の情報で知っている人もいると思うが私は知らなかった。 どうして毎日つまらないニュースばかりやらないで、こんな人類史上の最大級の放射能被害をもっとマスメディアは伝えないのか。 高田純教授はチェルノブイリに放射能被害調査に入り、そこでカザフスタン保健省から、カザフスタンの中国国境の町で放射能被害らしい症状の増加について調査を依頼される。 カザフスタンのその町は中国の核実験場から1000kmも離れているのにも関わらず、胎児に影響を受けるレベルの放射能汚染があったとわかった。 中国の核実験場周辺地域には多くのウイグル人が生活しており、大変な被害が出ているはずだと調べた結果がこれだという。 こちらが高田純氏がこの内容を説明した番組。1/2【高田純】もう一つの「NHKの大罪」2/2【高田純】もう一つの「NHKの大罪」 こちらはイギリスBBCがこの地域の放射能被害を潜伏取材した番組。ウイグルでの中国の核実験 1/3ウイグルでの中国の核実験 2/3ウイグルでの中国の核実験 3/3
2011.01.25
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自然の力には組織がない、上下関係もない、誰も指示する者はなく、される者もいない。すべてが自律的である。 では誰に教えてもらうのか? 自分自身の経験に学ぶのだ。 自然の力では誰もが、一人ひとり自分の経験を通じてのみ学んでいく。 誰もが自分で自分の行動を決め、その経験によって学んでいく。 私たちの人生を振り返ってみるといい。 無理やり机に向かわされた勉強で何か覚えていることがあるだろうか。 そんなことはすべて忘れ去ってしまった。 しかし、自分でやったこと。 昼休憩の鬼ごっこ、放課後体育館の裏でやった演劇、自分が好きで入った部活での日々・・・。 そういう自ら望んでやった経験のみが、今も記憶に生き生きとよみがえる。 そういう経験のみを通じて私たちは真に学んでいく。 自然の広場を読める方は1月17日の「自分に勝つ・・・」参照。 今年最初の天光地セミナーでこのことを南先生に教えてもらった。 レオナルド・ダ・ビンチは自ら「経験の弟子レオナルド・ダ・ヴィンチ」と言っていることを。 誰の弟子にもなる必要はない。ただ自分の経験にのみ学べばいい。 レオナルド・ダ・ビンチの天才はそこから来ていたのだ。 レオナルド・ダ・ビンチの言葉を他にもいくつか紹介したい。「食欲なくして食べることが健康に害あるがごとく、 欲望を伴わぬ勉強は記憶をそこない、記憶したことを保存しない。」 なるほど! その通り。 「十分に終わりのことを考えよ。 まず最初に終わりを考慮せよ。」 これも南先生がよく言われることだ。 「ケツを見ろ」と。「ケツを見ろというと、時々お尻の穴を見る人がいますが(そんな人はおらん!※注)榎本)そうではなくて結果を先に見るということです。」などとジョーダンを飛ばしながら説明をされるのだが、まさかレオナルド・ダ・ビンチが同じことを言っていたとは。「よい文学はよい自然人から生れる。 しかして結果より原因のほうがより賞賛すべきものである以上、 自然さのないりっぱな学者より 文学を知らぬよい自然人の方を賞賛すべきであろう。」「その理論が経験によって確証されないあの思索家たちの教訓を避けよ。」 これが南先生が本を読んでも役に立たないと言われる意味だろう。 ちなみに1月9日の天光地セミナーに参加していた中では「経験の弟子」でYESになる人は3人しかいなかった。 私も自然の力を毎日使って実践しているなかで、例えば現在の自己実現方法の最先端の方法と同じことに出会う。 自然の力で、人に触れずに痛みなどをとることはすごいことだが、最先端の自己実現方法や、レオナルド・ダ・ビンチの叡智などを知らず知らずのうちに導かれていることも本当にすごいことだと思う。 最後にレオナルド・ダ・ビンチの言葉をもう一つ「自然は、経験の中に いまだかつて存在したことのない無限の理法にみちている。」
2011.01.19
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今朝起きると、自宅の駐車場や近くの公園まで一面雪で真っ白だ。私の住む大分ではこんなことはめったになく、うれしくなって雪遊びをすることにした。 い~ぬは喜び庭駆け回り~♪のタイプだ(笑) 別府市には市内から鶴見山に一気に登る道がある。 公園も違った景色に見える。(南立石公園) 道路わきの側溝から、ところどろこ温泉の湯気が噴き出ているのが別府らしい。 (堀田地区) 住宅地を離れてしばらく歩くと美しい清流が。 ここの水は飲めるらしい。 人が住んでいるところからこんな近くの自然の流れが飲用可であることにいたく感動してしまった。 バージンスノーの中を歩くのはとっても気持ちがいい。 え~ん。 雪が深くなってきたよう~ しかし山頂はもうすぐだ! 山頂着。 樹氷が美しい。 マイナス10度かいな! 寒いはずやんけ~ 帰りはロープウェイで一気に下る。 山頂駅で切符売りの人に「片道ください」というと、「えっ」という表情で、あらためて全身を見られてしまった。(笑) 登り5時間の雪遊びでした~(ちょっと庭駆け回りすぎじゃ>自分>反省!)
2011.01.16
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私たちは症状を悪いものと消すべきもの考えがちだが本当は愛すべきものだった。 愛するということは向き合うことだ。 その痛みを無視したり、忘れようとしたり、鎮痛剤でごまかしても必ずまたやってくる。もっと大きくなって戻ってくる。その痛みは気づいてほしいことがある。 子供がグレるのも同じだ。 子供が手に負えないことをやり始めたら、それは何か気づいてほしいことがある。 親が忙しさにかまけて子供に関心をもたないので、子供は無理やり親が関心を向けざるをえないことをしはじめる。 それを何かモノを買い与えてごまかしても、再び必ずやってくる。 もっと派手なことをやり始める。 親がきちんと向き合うまでは。 何か調和が乱れることが起こったら、それに正面から向き合うことだ。 体のどこかにコリや炎症が起こったら、無視したり我慢するのではなく、なぜ調和の乱れが起こったのか、きちんと向き合って体に耳を傾ければいい。 そして自分の体に対する無関心をわびて、愛し大切にしてあげるといい。 その愛と気づきによって、グレた子供は落ち着きを取り戻す。 もう妙な方法で関心を引く必要はなくなった。 関心を引こうとするものは、消したり誤魔化したりする対象ではなく、愛すべきものだった。
2011.01.11
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昨日(1月5日)の日経新聞のマーケット欄に「残された時間は1年」と題して以下の記事が掲載された。「・・・ 2012年は世界も日本も変化の大波に洗われる年になる。 サブプライムローン(信用力の低い個人向け住宅融資)問題に端を発する金融危機は、各国の空前の財政支出と金融緩和で何とか大禍を逃れてきた。だが見方を変えれば、民間の証券化商品が負ったリスクを政府債券、つまり国債に移し替え急場をしのいだのが実態で、リスクは国債バブルの形で温存されている。 当面の焦点は欧州と米国。国債が格下げされ信用力が低下したポルトガルとスペインは、11年から12年にかけて大量の国債償還が必要になる。米国も危機後の09年4月に米連邦準備理事会(FRB)が購入した70億ドル(約5,700億円)の国債償還が12年から13年に集中するなど「ツケの清算」へ長い道のりが始まる。 日米欧主要国の国債発行額は09年からの2年だけで10兆ドル(約820兆円)に及ぶ。それぞれ財政赤字を抱えながら、押し寄せる償還の波にどこまで耐えられるのか。米国債の暴落はそのまま日本の国債・財政危機に直結する。 ・・・・ 日本では12年に団塊世代の大量退職が本格化。世界でも例のない生産年齢人口(15歳以上65歳未満、生産・消費と社会保障の主な担い手)の急減と老年人口(65歳以上、社会保障の主な受け手)の急増の同時進行が現実になる。 ・・・・」 今まで働いて給与から年金を天引きされるれることによって日本国債の主要な引き受け手だった団塊世代が、年金受給者になる、すなわち国債を売却する側に立場になる。 非常にまともなことが書いてある。 この通りだ。 今米国株が買われ、日本株も連れて小高くなっている。これは12月15日に成立した米国のブッシュ減税の2年間延長によって本来財政赤字を増税して借金を返さなければいけないところを、無理して減税して借金を積み上げ、2年後に先送りしただけの話だ。 私の記憶する限り、米国債の暴落、日米欧の財政破綻があと1年とはっきり書かれたものは日経新聞ではこれまでになかった。 もちろん他の大手新聞やTVニュースなどで取り上げられたことはなかったのではないか。 いよいよ経済崩壊へのカウントダウンの音が大きくなりはじめてきた。
2011.01.06
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