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DWEのウェブリングを立ち上げました(;´▽`A``以前にもDWEのリングがありまして、その時は一登録者としてお世話になっていましたが、その時のリングサイトが閉鎖されてしまい、その後DWEのウェブリングを探していましたがなかなか見当たらず・・・昨今はSNSのコミュニティなど、情報交換や仲間を見つける場がたくさんありますが、ブログも平行して運営されている方も多いはず・・・ぱっと一目でDWEユーザーだって分かる目印があったら嬉しいですよね(*´ω`)そんなわけで自分で立ち上げてしまったしだいです。(;´▽`A``登録数が増えましたら、またいろんなコンテンツも増やしていこうかと思っています(*´ω`)
2008.01.08
こんにちは(-ω-)/久しぶりすぎて、楽天でワタクシのことを覚えてくださっている人は、いなくなったと思いますがwww長女は小学四年生、次女は幼稚園の年少さんになりました凹o バタッここの日記開設当時はたくさんのDWE友達にめぐり合えて、DWE情報など交換しながらとても楽しく過ごすことができました。ここで知り合ったDWE仲間とは、今でもDWEの話題を超えて仲良くさせてもらってます。しかし長女の小学校入学とともに当然ながら生活環境も変わり、先輩DWEママから聞いていたDWE離れ、それに子供達も小さな頃とは違って「我」を通すようになり、そしてママもやさぐれちゃったりしてwwwま~なるようにしかならんわ~なんてお気楽に過ごしておりました。子供達も大きくなり自分自身の生活にも少し余裕がでてきたので、ここでまたちょっとブログでも!と思って、心機一転ブログを引越しすることにしました。ココはまだしばらく置いておくつもりですが、お暇があればお引越し先、にでも遊びに来て下さい!テーマも幅広く、一日一回以上の更新を目差しておりますヽ(´∀`)9 ビチッ!!
2007.05.27
贅沢な悩みだと言われそうですが、食べても食べても太れない人にとっては、結構深刻なものです。私は子供の時からずっとやせ気味体系でした。だからといって特にそのことに対してコンプレックスを抱いたりといったこともありませんでした。特別スタイルがいいとかそういうわけではないんですが、結構ありのままの自分が好きというか(ナルシストではありません)人にどう思われようと気にならないといったような、自己中な性格が自分のそういった体系と向き合おうとさせなかったのだと思います。ただそんな私も、年頃になった頃だったでしょうか、既製品の服は何を着てもさまにならないというのがちょっと嫌だな~なんて思う時期がありまして、体重増加に向けてがんばったこともあります。その時友人(男)に教えてもらったのが、運動せずにプロテインを飲むことということでした。その時はいきなり2kgものプロテインを買ってきて意気込んだのですが、なんとも飲みにくい、まずい……で三日にあげず挫折してしまい、残ったプロテインは何年もの間放置されたままになってしまいました。所詮太りたいという気持ちもそんなもんだったのかもしれません。今から十年以上も前の話です。ところがここ最近、どうも食が細くなってきて、平均体重より少し下回ってきました。食べなきゃ食べなきゃと思いつつも、もともと食べることに執着のない人間なもので、じゃあ、豪華な料理でも作ってとか、美味しいものを作ってなんていう気にまでなりません。ものぐさなのです。しかし若い時とちがって、体重減少はもろ顔に表れてきます。人からみればそうでもないかもしれないんですけど、半年前の写真の自分と比べると若干ふけて見えるわけなんです。それにはさすがに私も焦りを感じてしまいます。そこで思い出したのがまたあのプロテインでした。早速ネットで注文して、今日届いたのですが、見ると食事後か、就寝前が効果的だと書いてあったので、毎日就寝後に飲もうと決め、早速今作って飲んでみました。びっくりしました。美味しいです。粉もよくとけます。昔のはまずくて粉っぽくて、どうしようもなかったんですが、はっきり言って美味いです。これなら続けられそうです。今日からのスタートですが、今後の経過を日記にしていこうかと思います。といっても私のことですから、この日記さえも続くかどうか怪しいんですけどね。
2005.02.12
この間DEAD LINEを手に入れてから、すっかりDEAD ENDにはまっている。何がって、やっぱりMORRIEの声と歌詞には相当酔える。あとYOUのギター。当時、バンドメンバーがラウド信者だったり、パワーメタルに走ったりと、よりヘヴィな路線を求めていたせいか、DEAD ENDはGHOST OF ROMANCE止まりになってしまっていたので、今更ながらその後の彼らを知りたくて、CDやらDVDを買いあさっている。「shambara」いい!なんで当時DEAD ENDにもっと注目しなかったのか、すごく後悔する。バンドメンバーも恨む。ま、流されてた自分も悪いが。その後、違うメンバーとDEAD ENDを何曲かコピーしたのも覚えてるが、どこの誰とやったのも覚えてない程度。てか、昔すぎて覚えてない。あの頃の自分に会えたら、言ってやりたい、「もっとDEAD END聴きない!」って。同じ関西出身なのに、ライブも行ってないなんて、まじ自分がむかつく!ふとSpider in The Brainのソノシートとスコアが載ってる某音楽雑誌が実家にあったのを思い出して、押入れをあさりにいったのだが、こちらも既に処分されていた。されていたというより、自分でしたような記憶もなくもない。へこんだ。そんなわけで、余計に狂ったように聴いてるわけで、その為に昨日iPodまで買ってしまった。四六時中聴いていたい気分で既に病気である。ここ暫くで、DEAD ENDのためにいくら使っただろう。この年になって、こんなにもなにか夢中になれるのも、嬉しいものだ。髪型も、メタルに戻ってきてるし、ヤバイ。
2004.09.28
先日、とうとうオークションで落札した。80年代メタル人生を送ってきた人なら、この苦労がわかると思うが・・・最近またメタル熱が沸々湧き出して、あれやこれやとCDを引っ張りだしてきたはいいが、「GHOST OF ROMANCE」を聴いてるうちに、どうしても聴きたくなった。DEAD LINEはLPでしか持っていないかった。(歳ばれる!)テープもどこへいったか分からない状態だった。この時代、デジタルでないと、やはり何かと不便だ。オークションで何年も前からチェックしてたが、一万円超えるとやはり尻込みしてしまう。しかし今回7350円で落札できて、まあまあ満足だ。CDが出た当時、高校生だった自分は、たった3000円が出せなかったのだ。今でも覚えている。レコード店でDEAD LINEのCDを目の前にして、LPもあるしまた次の機会に・・・と店を出て行ったことを。実は、あの当時、CDという新しい媒体が少々受け入れられなかった。初めてCDで聴いたアルバムが、リアクションのインセインだった。インセインも勿論LPを持っていたが、雑音が入らないからと、バンドメンバーがテープにまで撮ってくれたのだが、重厚感が全く感じられなかったのだ。リアクションであの重さを取っ払ったら、何が残る?そこで、自分が好むジャンルをCDで聴くもんじゃないと決め付けて、その後何年もわざわざLPを買ったのを覚えている。結局、先日インセインのCDも落札したのだが、やはり軽い。どうもあのCDだけなのか・・・その後、最近再販されることを後で知って、少々がっかりした。再販されるのはちゃ~んと重いんだろうか・・・DEAD LINE、やっぱりカッコいい!久々に聴いたのに、歌詞が口をついてでてくる。子供には聴かせられないな(苦笑)・・・と思いながら、ひっそり聴いていたら、横で三歳の娘が一緒に「Frenzy bites!Frenzy bites!」と歌っていた。(汗)
2004.09.05
一週間ほど前、左の肺の下あたり、肋骨の下あたりというのか、その辺が傷み、えらいことになった。そもそも発端は、悪い姿勢で長時間PCに向かっていたこと。最初は腰が痛いなと感じ始め、そこからだんだん胸の痛みに変わってきた。この痛みは、昔からよくあり、20歳くらいに一度精密検査をうけたのだが、なにも異常はなかったので、そんなものだと思ってきた。夜になり、痛みはだんだん増して、息を吸うのも苦痛になってきたので、その日は早めに床についたのだが・・・夜中バチッっと目が覚め、なんじゃ!と思い起き上がろうと思ったら、上半身に激痛!一ミリたりとも動かせない。指はかろうじて動かせるが、腕を上げることもできない。息を吸うと痛いので、小さく小刻みに呼吸することしか出来ない。「死ぬ!」と思った。とりあえず救急車!しかし近所にかっこ悪!とか思いながら、せめて最期を旦那にみてほしくて、かろうじて動かせる足で旦那を蹴った。しかし旦那は起きない。(ごら!)あまり大騒ぎして、子供を起こしたくなかったので、そこから約三十分かけて、なんとか上半身を起こすことができた。リビングのソファに座り、考えた。「このままもう一度目を閉じて寝てしまったら、もう起きてこられない、この世に帰って来られない・・・」朝まで起きておくことにした。このまま朝まで起きておけたら、病院に行くこともできる。結局眠くなり、また寝てしまったのだが・・・朝目覚めて、神様に感謝した。とりあえずかかりつけの内科に行ったのだが、症状に一貫性がないので、ストレスから来る、自律神経失調症だろうと言われた。ストレスには覚えがなかったが、精神的なものから来てるなら、じっとしててはいかんと思い、鈍い体を引きずって、娘とスイミングに行った。(普通あの痛みでは行かんな)晩が来て、また鬼のような痛みが!また悪夢の夜を過ごすことになった。次の日、ふと思いつき、整形外科に行ってみた。レントゲンを撮ってもらったのだが。どうやら側湾症からくる神経痛みたいなもの?そういえば私は微妙に背骨が歪んでいた。そんなにひどいものでもないが、おそらく、機械体操をしていた時の筋肉のつき方の偏りから来るものだとろう。そういえばそうだった。長い間子育てに追われ、自分の体のことなんか忘れていた。いろいろと、若いときのことを思い出した。卒業アルバムを見たり、昔好きだったCDを聴いたり。下の娘も3歳になり、何気に一区切りかと思われ、これからちょっと自分の好きだったものを思い出して、自分にも意識を向けなきゃならんと思った。
2004.07.01
長女がとうとう卒園しました。先週の木曜日、雨のしとしと降る日に卒園式がありました。今日は謝恩会で、本当に本当に最後の幼稚園での行事でした。担任の先生は3年目の先生で、今年初めて卒園児を送り出すということで、2月以降の行事ではずっと泣きっぱなしで、私も必死でこらえた涙がこぼれてしまう事多々アリでした。入園させる時も寂しかったけど、卒園は本当に寂しい。まだもう一年くらい幼稚園児でもいいのにな~。
2004.03.22
しばらくほったらかしになっていたFF-Ⅹ、最近またがんばっている。何故ほったらかしになってしまったかというと、捕獲可能のモンスターを各10体づつ捕獲するのが面倒になってきていたからだ。ビサイド島から、キーリカ、ミヘン街道、キノコ岩の街道、ジョゼ街道、雷平原、マカラーニャ、ビーカネル島、ナギ平原・・・最初はワッカ1人に捕獲用の武器をもたしていたが、強いモンスターになると、とどめをワッカにさせる計算が面倒になってきて、ティーダ、アーロンにも持たせがんばっていた。なかなかエンカウントしないモンスターがいたりして、エンカウントとんずら、エンカウントとんずらばかりしている日もあり、それで嫌になってきてしまったのだ。それでしばらくほったらかしにしていたのだが、FF-ⅩⅡが出るのを知って、FF-Ⅹ-2さえまだやっていないのにこりゃ本腰いれにゃいかんと思い、またがんばりだしたというわけだ。谷底の洞窟でトンベリだけにはどうしても会えず、先にガガゼト山を先に制覇し、昨日はオメガ遺跡を制覇するべくがんばっていた。モンスター捕獲に飽きたとき、訓練所のオリジナルモンスターを倒したいためにオメガ遺跡にはS.Lv稼ぎにちょくちょく来ては、宝物イベントをやっていて(とにかくL4スフィアが欲しかった)、キャラの能力だけは上がっていたので、エンカウントなし武器を持っていきなりアルテマウエポンのところへ行った。いくら能力値が上がっているとはいえ、相手はアルテマウエポン。ユウナに防御魔法させまくって・・・る間にティーダだ倒してしまった。盗むもせず、しかもこんなにS.Lvあるのにメンバー全員に参加させずじまいだった。迷うことなくリセットボタン、こんどはうかつにアルテマウエポンを倒さないように、盗み、メンバー全員参加させて非常に気を使いながら倒した。オメガウエポンはちょっとはすごいかと思ったら、やはり一緒だった。FFでオメガの名を名乗るモンスターが・・・・訓練所のオリジナルモンスターの方が強いのはなんか納得いかなかった。各所まわるついでに祈り子様には話も聞いたし、モンスター捕獲もいやになったので、このイベントは今日限り諦めることにする。先にすすむか・・・
2004.01.19
近所のショッピングセンターで、ガラガラ抽選があった。普通抽選券というものは、限られた期間に配布される場合が多いが、そのショッピングセンターでは、普段からポイントシールのようなものを購入金額の応じて配布しており、決められた枚数を集めて金券と使用するもよし、夏や年末に行われるガラガラ抽選券として使用するもよしというもので、うちは今まで抽選会場に行き忘れてばかりで、今回抽選30回分ものポイントが貯まっていたので、今年こそと思い最終日の今日、娘二人を連れて行った。会場は最終日ということもあり、たくさんの人で順番が回ってくるまで30分以上も待った。当たりでもらえるものは、ほとんどがそのセンターで使える金券ばかりで、1等が一万円、続いて三千円、千円、五百円、二百円、そして、スカが二十円だ。それぞれの配分はなるべくたくさんの人に当たるように配慮されているようだが、それでも1等は一日に10本しかない。上の娘と下の娘と私とでそれぞれ十回づつしようということで、まず上の娘がガラガラの取っ手をにぎり、少々重たそうに回してやっと一つ目の玉が出てきた。と、なんとその色は1等の色!その後もスカ以外の玉ばかり出続けてかねが鳴りっぱなし、後ろの列からも「うぉ~」という声が上がっていた。結局上の娘は10回中スカはたったの3個。すごいクジ運だ。次下の娘を抱いて、彼女の手に添えて一緒に回してやったら、こんどはほとんどがスカだった。抽選会場の人の勧めでまた上の娘が回したら、またスカ以外の玉だ出だした。ここまできたら恐るべし運!何がどう違うのか!その様子を見ていた私の両親がすかさず、「この子虎年やったんちゃう?」「まさしく虎年やけど?」「やっぱり~」今まで私は知らなかったけど、虎年生まれはこいうのに強いらしい。しかし、何がどういう風に?結果一万円 1本千円 1本五百円 6本二百円 4本スカ(二十円)18本合計15160円分の金券GET!これで年末家族で美味しいものでも食べるか・・・とりあえず一家に1人虎年生まれは必要なんだな・・・
2003.12.23
召喚獣もすべて手に入れたし、キャラのレベルも上がってきたので、オメガ遺跡にいってみた。とにかくLv.4キースフィアが欲しい。利用価値の高いアビリティがすぐそこにあるのに、Lv.4キースフィアが足りずスフィア盤を進めることができない。確かにオメガ遺跡のモンスターは強いが、キャラ達も我ながらびっくりするほどのダメージを与えてくれる。しかしモルボルグレートだけはやっかいだった。混乱防御の防具を持ってるのがユウナしかいないのだ。モルボル戦の時はなんとかそれでしのげたが、こいつはそうはいかない。今まであまり武器を買わずにやってきたが、混乱防御は改造でも作れないし、タダでも手に入れにくいようなので、買いに行く事にしよう。
2003.09.30
やっと「サボテンダーの里」イベントが終った。面倒だった。
2003.09.20
モンスター集めをしながら「隠しエリア探し」と「ジェクトたちのスフィア」をさくさく終らせた。スフィア盤はキャラクターそれぞれのエリアもほぼ制覇して、次どのエリアに進ませようかと検討しつつAPがたまりっぱなしになってきた。今「七曜の武器収集」をしている。ティーダのアルテマウェポンはもちろんアノ方法で第三段階までパワーアップ済みだ。私はどうも目が悪いのかどんなゲームでも3Dが生かされてる画面が苦手で、とれとれチョコボではチョコボをまともに風船に向けて走らせることが出来なかった。(初めてバーチャファイターをやったときはショックだった)なので、裏技があったのは助かった。リュックとアーロンの武器を第二段階までパワーアップしたが、あとは時間がかかりそうだ。ナイト・オブ・タマネギをとりにいこうとしたが、ジオスゲイノにはアッサリやられてしまったし、まあぼちぼちすることにしよう。モンスターをどのくらい集められたか確認するため訓練場にいき、新しくできたドン・トンベリと戦ってみたが、ダメだった。即戦闘不能になるものの1人1人なので、途中、がんばったらいけるんちゃうか!と思ったが、甘かった。バトルが始まって30分経過したころにHPが気になって攻略本を見たら、480000?なんの準備もせずいどんだのと、どんなオーバードライブ技を使ってもたいしたダメージも与えられないので、バトルは長引くばかり、MPやフェニックスの尾はなくなる一方で、結局一時間後、99個あったフェニックスの尾がなくなり、キマリの自爆もむなしく全員が戦闘不能になってしまった。いつも愛着もって眺めてるトンベリのぬいぐるみも昨日は少々憎たらしく見えた無駄な一時間を過ごしたわけだが、バトル中、珍現象を見ることができた。戦闘不能で倒れているはずのアーロンさん、ユウナがバハムートを召喚した瞬間、こちらに背を向けてそそくさ避難しているではないか!あと、アーロンが戦闘不能で倒れてる時、倒れながらも顔だけはしっかり前を向いている。普段なら気にもとめてなかったが、あまりに長引くバトルでそんな事が妙に気になった。
2003.09.05
昨日ユウナレスカを倒した。ユウナレスカ第3形体の見覚えはあるが、その後のシンのムービーは記憶になかったので、前回おそらくユウナレスカにやられたところでやめたのだろう。今回本当にまったりやっているので、キャラたちもちゃんと成長している。これからさらにまったり、コンプリート目指してやっていくつもりだ。とりあえずまずは・・・何しょうかな。
2003.08.27
六月に甲子園での阪神戦に行く予定だったが、雨で流れてしまい、そうなるとどうしても行きたいということで、ドームでの阪神戦のチケットを手に入れたのだが、その試合が今日だった。私はいつも阪神ファンの旦那が試合を観ながら笑ったり泣いたりしてるのが面白く、そんな旦那を応援しているわけで、特に野球が大好きというわけではなかったが、そんな旦那のそばにいれば嫌でも阪神を意識してしまうわけで、今年一回は観に行きたいと思っていた。ドームにはお昼過ぎに入り、昼食をすませてから15時からのドームツアーに参加した。15時からは30分しかないが、選手の練習風景がじっくり見れる。いつもはカメラマンは私だが、今日は旦那がビデオをわます。アリアスが出てきたので、娘に「ジョージーって呼んでごらんよ!HI!って!」等と娘をひやかしながら、普段TVでしか見れない選手達をゆっくり見た。試合開始後すぐチビが寝てしまった。ゆっくり観れるが寝てしまったチビはかなり重い。幸い前の座席二つが誰もいなかったのでそれでもゆっくり観ることができた。 開始から少し遅れて隣に若いOL二人組が来た。応援も慣れた様子で、球場には度々足を運んでいるように思ったが、なんとやかましい!行儀が悪い事!女の子なのに口は悪いわ、矢野が出てくると黄色い声を出すわ、揚句のはてには、前の座席に裸足で足をかけだした。さすがにそれは自分でも気付いたのかすぐやめたが、それでは大好きな「矢野くん」にも嫌われるぞ!せっかくなのに私も気分悪いな~と思っていたが、チビを「かわいい」と言ったので許してやる事にした。チビは運良く?7回少し前に起きて、楽しみにしていた風船飛ばしをしてすっかりご機嫌。飛んでいる風船をいつまでも見ていた。試合は負けてしまったが、我が家にとってはこの夏一番のビッグイベントで思い出になった。でもやっぱり最後六甲おろしを子供らに歌わせてやりたかったな~
2003.08.20
今、ナギ平原でいろいろとイベントをこなしている。久々にブリッツボールもできるようになったというのに、コントローラーミスで1人解雇してしまった。しかたがないので試合したくなったときはネーダに声をかけている。よく活躍してくれるが契約金が高い。召喚獣バトルではここにくるまで一度も勝ったことがなかったが、ミレミアム寺院では一気にバハムートまで勝つことができた。ここにくるまで、イフリート、イクシオン、シヴァで戦う時に属性魔法で回復させる事をすっかり忘れていたのだ。なので今まで何の工夫もせず真っ向勝負で負け続けていたわけだ。属性魔法での回復と、「まもる」を使えばなんでもなかったのだ。ミレニアム寺院での召喚獣バトルでは、バハムートは以外とあっさり倒れた。シヴァとイクシオンがしぶとかった。
2003.08.14
今日でINSサマープログラムが終った。10日ぐらいと思っていたが、意外と長く感じられた。自転車で片道7分くらいの道だが、最終日の日が近づくにつれ、その道のりを往復しては寂しく感じるようになっていた。住宅を造成中でなんにもない道だったのだが、そんな道でも愛着がわいてしまうほど何度も走ったということなのだろう。娘にとってはもちろん良い思いでになったと思うが、私にとっても忘れられない思い出になった、長女初めてのINSサマープログラム参加。今日は最終日で、朝から終わりまで自由に見て回れるようになっていた。娘の希望で旦那も一緒に見に行くことになった。娘は参観となると、とにかく見に来て欲しいのだが、いざ行ってみるとカメラの方はむかない。恥かしがってしゃべらない。特にいいところを見せてくれるわけでもない。まあまたそれがおもしろかったりするのだが。そんなことよりこの二週間、どんなことをしていて、娘は毎日機嫌よく帰ってきていたのかが興味があった。時間割を見て5歳児にはハードだと感じてたのだが、退屈せずにどんどん時間が過ぎていくように、すごく気が配られていた。楽しい楽しいと聞いていたので、先生もさぞかし甘いのだろうと思っていたのだが、行儀の事や時間の事など、結構細かく注意していた。それでいて今日初めて学園に来た旦那でさえ感じるほど、フリーダムな感じなのだ。授業は勿論全部英語で進められるのだが、この学園に通うバイリンガルの生徒が、1クラスに3人ほど子供達が困った時のためのガイドとしてお世話してくれている。このガイドさんたちはボランティアで参加しているそうなのだが、大変優しく接してくれているようで、子供たちはこのガイドさんの方に懐いているように見えた。INSのことはまた改めて記録としてUPしたいと思っている。私の今回の感想としては・・・最初「英語」が目的で行かせる事にしたのだが、スタートして3日くらいにそれだけじゃなくなった。勿論初日から娘がある程度英語を理解している事を嬉しく感じたのだが、普段とは全く違う環境で全く違う価値観で、様々なことに挑戦し少したくましくなったように感じたのだ。うちはベビーの頃親子でスイミングをやってたのと、自宅でDWEをしている以外特にお稽古事に通わせるわけでもなく、幼稚園も2年保育で親子まったりやってきて、少々手取り足取りで育ててしまった節があったので、今回いろんな意味で親子共いい経験になったと思った。そして今回思ったのが、ただ通わせるという事ではない事。特に初日~3日目は帰りは興奮状態だったのだが、帰ってからもスクールであった話ばかりで、その日楽しんだゲームを早速家族に教えようとする。子供が小さければ小さいほどそういうものなのだろうが、興奮した事を家族と共有したいのだ。子供の興奮をそのまま受け止め、親もまるで一緒に通っているように感じてきたりする。そうやって親子で思い出になるのっていいと思った。今回初日までに何度か娘が「行きたくない・・・」ということがあり、娘にとってプレッシャーになったらどうしようと結構心配した事もあったのだが、初日にその心配は吹き飛んだ。しかし、病気なく休まず10日間通わせるために、娘を規則正しい生活に導くという事へのプレッシャーが私にとっては重すぎて、気が抜けた今、私だけしっかり風邪をひいてしまった。疲れた・・・
2003.08.01
今、雷平原のところですがの。「火星の印」をgetすべく、落雷避けをがんばってまずがの。200回連続ってどおよ、出来るもんかの?
2003.07.23
いよいよ今日からだった。5月に申し込みをしてからも、何度も行く行かない、行く行かない・・・どんなところか想像もできなかったせいか、不安でいっぱいだったのだろう。なんか無理やり行かせて、親の自己満足で終るんではないかとか、年長ではまだ小さすぎるのかとか、めずらしく私なりにちょびっと首をかしげていた。でも何も知らせないまま、いきなり騙すように今日を迎えるのは嫌だったので、何度も話合った。赤ちゃんの頃からの彼女を思うと、絶対に気に入る自信があったのだ。(お友達大好き)昨日の夜も寝る前に「行きたくな~い」と言っていたが、言い方が軽~い感じだったので、ただ不安や緊張で嫌な気持ちになってるだけなんだろうと昨日になってわかった。そして今日、オリエンテーションのあと偶然、みおたん達がガイドさん達と遊んでる教室の横を通りかかり、心配で立ち止まって見ていたのだが、私を見つけたみおたんは、早く向こうへ行けというゼスチャーをした。なんにも心配する事なんかなかった。しばらく隠れてもう一度のぞいて見ると、皆と集中して遊んでいた。とりあえず安心していったん帰った。終業時間に迎えに来たら、彼女は本当に満足したようで、いつになく言葉数も多く、今日あった事の思い出せる限りを話してくれた。そして自転車の後ろで、「行きたくないって言ってたけど、行ってみたら面白かった~明日も行くよ、明日はスイミング~♪」私も大満足だ。
2003.07.21
今、まじでFF-Ⅹやっている。下が産まれて1ヶ月後に発売され、意気込んで買ったものの、子育てに追われながらいいかげんにやっていると、ほとんど内容スカスカ状態で終盤まできてしまったうえ、FF-ⅩⅠが出てやる気がなくなってしまった。といってもⅩⅠなんてもう無理、1人でも出来てないのに、オンラインでなんかもう諦めていた。Ⅹもそのうちやろうと思っていたが、Ⅹ-2が出てやっとまたやる気がでてきた。なんかユウナすごいかっこいいやん!と思う反面、なんやユウナ死なずにすんだんや、そうなるとは思ってたけど私にとってはネタばれ。。。これからしばらくはFF-Ⅹ日記としたいと思う。FFシリーズ、Ⅶからはだいたい3回ずつくらいやってるが、今回Ⅹ-2をすぐにしたいので、この一回で完璧にコンプリートさせたいと思っている。なのでアルティマニアを片手に進めているのだが、バトル編しかもっていなかったので、今回シナリオ編を買いに行った・・・がレジで店員さんに一言「これ、Ⅹ-2じゃないですけど、よろしいですか?」いんだよ、これで、これを買いに来たんだよ、(´・ω・`)ショボーン今はルカでのブリッツの決勝を終えたところ。もちろん優勝させるために少々苦労したが、一回目やったときの慣れもありなんとか勝てた。なんとかティーダに活躍させたかったけど、点を入れさせないようにするのがやっとだった。延長戦でワッカにゴールを決めさせた。
2003.07.06
近所のINSの学園祭にいってきた。娘二人を自転車に積んでしゃかしゃか~と約5分程のところだ。普段は外部の人間は気軽に入れるような雰囲気ではないのだが、やはり学園祭とあって、入り口のあたりでは写真を撮ったり、子供がはしゃいでいたりにぎやかだった。普段ここに通う生徒らしき子供達は、ディズニーのキャラクターなどに仮装して、顔ぶれも国際色豊かで、いろんな国の言葉も飛び交う。入り口で一応学校関係者かどうかのチェックだけ受け中へ入った。天井から子供達が大好きなディズニーや人気アニメキャラクターのボードがたくさんぶらさがっており、「かわいいね~」と娘達に呼びかけると、上の娘はすでに目の前の少年が食べている綿菓子に気を取られていた。早速綿菓子を探しにいくはめになった。たくさん模擬店が出ているが、その種類も国際色豊か。いろいろ食べてみたいがとりあえず綿菓子の店へ。綿菓子の店は小学生高学年か中学生くらいの女の子3人で切り盛りしていた。3人もいるのに、綿菓子一つ頼むと皆あたふたして、女の子三人がかりで綿菓子まみれになりだした。大丈夫かいなと様子を見ていると、席をはずしていた1人の男の子が現れた。皆に救世主のような扱いをうけ「達人」と呼ばれる彼はもくもくと綿菓子を作りだした。そして女の子達は失敗した綿菓子を皆で分け合って嬉しそうに食べている。普通ならこんなことでこの店大丈夫なのだろうかと考えてしまうところなのだが、生徒達があまりにも自由に楽しくやっているので逆にうらやましく感じた。娘達は綿菓子を食べると今度は「お腹すいた~」と言い出したので、お昼には少し早いが今日はもうここで食べて帰ることにした。そばめし、餃子、タコス、ホットドッグ、ケーキ、なにやらいろいろとあるのだが、娘が選んだのは結局「お茶漬け」トッピングを自由に選べるお茶漬けやさんだった。チビにも食べさせやすいし、まあいいかと早速お茶漬けを注文してみた。使い捨ての丼に既にご飯がよそってあるのだが、ご飯の量がまちまちである。こちらもまた注文をきくとあたふたとあせりながらお茶漬けのもとをふりかけたりしている。別の生徒もあたふたあせり、何度も計算間違いしながら会計をする。皆一生懸命だ。お茶漬けを食べていると目の前に餃子屋さんがあったので、餃子も食べることにした。こちらは少し大きいお姉さん達が切り盛りしている。さすがにおちついた様子だ。注文しようと列に並ぶと、どうやら普通の餃子は今作ってるところで、すぐに食べられるのは「あんこ餃子」のみだという。焼いてもうどのくらいが経つのだろう、どうみても売れ残ってる様子。それでも彼女達は自信満々に勧めてくる。そうしてる間に普通の餃子が出来たので、無事、普通の餃子を買うことができた。様々な人々が行き来し、様々な言葉が飛び交う食堂で、私たち親子はお茶漬けと餃子を食べ、今日の昼食をすませた。上の娘も昨日の幼稚園のお泊り会の疲れも残ってるようなので、それから少しだけ他の模擬店や出し物を見て、帰ることにした。しかしここは本当に違う空気を感じる。以前平日に見にきたこともあったが、今日は人が多く以前よりまして、いつもと違う空気を感じた。日本では静かで大人しく行儀よく完璧綺麗が美徳とされる部分があるが、ここではそんなことどうでもよく感じる。とにかく自由なのだ。しかしただ自由なのではない、自由の中にちゃんと自己責任があるように見える。自分の行動は自分で責任を負うのだ。生徒達はのびのびやりたい事をして、そしていろんな事を知ることができるのだろう、私達の学生の頃の様に半分やらされてるという感じは全くなく、本当に楽しそうだった。Anna-Mamaさんに聞いたことだが、この学園ではチャイムというものがないらしい。それでもやっていけるということがなんか納得できた。数時間ここにいるだけで、自分まで人間が変わったように感じた。少なくとも、お茶漬けのご飯の量の違いが全く気にならない、良い意味でアバウトな心の人間に。
2003.05.24
今、ミストⅢをやっている・・・正確に言えばほとんどは旦那がやっている。シリーズ3作目、当初はX-BOXとPC版での発売だったが、知らぬ間にPS2版が出ていた。第一作目からこのシリーズにはまっていた私たち夫婦だったが、いつも二人でするのでPC版では考えておらず、かといってX-BOXを買うのも・・・てな感じで、PS2版が出ているのを知って早速手に入れた。そもそもこのシリーズを知った切っ掛けは、結婚した時、数少ない旦那の花婿道具の中にセガサターンと一作目「MIST」が入っていたことだった。もともとゲーム好きだった私は、当時結婚前よりファミコンやスーファミ等でいろんなゲームをこなしてきていたのだったが、それを見た旦那もゲームなぞやってみようと思ったのだろう、すでに世にはPSもあったはずだが、ゲームにうとい彼はセガサターンを選んだようだ。そして昔ファミコンで「ポートピア殺人事件」をクリアし面白かったようで、アドベンチャーである「MIST」を何気に選んだという事だった。旦那の花婿の道具の中から「MIST」を見つけたとき、どのようなゲームかと聞くと「なんかわけわからん、とにかく何していいのかわからんねん」は?なんじゃそれは・・・どうやら意味もわからずすぐに挫折したらしい。それまで私は主にRPGやアクション、シュミレーション等いろいろこなしてきたが、挫折したゲームといえば「ウィザードリー」くらいだったろうか、たいがいどんなゲームでもこなす自身はあった。アドベンチャーはやった事はなかったが、その「わけのわからん」ゲーム、私がやってみることにした。確かに・・・わけがわからないというか、そこにはルールがなかった。普通ゲームにはルールや説明があるのだが、とにかく無人の島を何を目標にするかも知らされず、ひたすら謎解きをするのだ。しかし自分で言うのもなんだが、今までいろんなゲームで経験してきた賜物、けっこうサクサク謎が解けてしまう。それを横で見ていた旦那、このゲームの楽しみ方がわかったのだろう、すぐに一緒にのめりこみ、すっかりこのゲームの虜になってしまったのだった。二作目「リヴン」を経て、もう何年になるのだろう。私も二人の子がいるし、忙しい毎日ゆっくり旦那とゲームする時間もなくなってきた。それに前のようなゲームに対してのめり込むような気力もなくなってきた。今回も旦那はじっくりはまっているが、私は要所要所をチェックするだけ。でも・・・困った時は私の出番。行き詰まってお手上げになったら、私が謎を解く。普段年下である私の方がなにかと旦那に教えてもらうことが多いのだが、この時ばかりは何気に心地よかったりする。
2003.05.14
今日薬局に買い物に行った時の話。チビのオムツが目的だったが、行ってみるとあれもこれも必要なものを思い出し、買い物カゴにせっせと商品を入れつつオムツコーナーへ。何気にいつもと違うオムツを使ってみようかな~と、しばしボサ~とオムツの前でつったっていたが、結局いつものオムツを手にとり、レジへ向かおうと足元に置いてあったカゴに目をやると・・・なにやらキラキラした綺麗な箱が大量に入っている。「ん?こんなん入れたっけ・・・」よく見ると、コ、コ○ドームの箱!チビはどこや!と振り返ると、せっせと運んでおりますがな!コンドー○の箱を。また陳列に並べる私の身にもなってくれ。(@д@)このタイトルじゃしな。アクセス多いじゃろうがの、期待した方、たいしたネタでなくて、すまんの~(´・ω・`)ほほ。
2003.04.21
今日、今年最初のイベント、ダンスアロングショーに参加した。去年はX’masイベントも近郊ではなかったし、確か11月のダンスアロングが最後のイベントだったんで、約5ヶ月ぶりだった。今日は5時からの部で今までで一番遅い部だった。大きい子ばかりかと思っていたが、みお(5歳)と同じくらいの子中心で幅広い年齢層だった。結局うちのように兄弟姉妹での参加が多かったみたいだ。でもベビーカーがうちのを合わせて2台しかなかったので、チビちゃんは少なかったかな?とにかく子供の人数に比べ親の人数が少なく、ビデオ回してる人も少なかったので、行動しやすかった。前回5ヶ月前のDAでは、1歳5ヶ月のめっちが大興奮&う~ろうろで、疲れた記憶しかなく、今回覚悟を決めての参加だった。私もめっちもジーパンで動きやすい服装にして、(いや、普段からジーパンか?)電車はやめて、会場にできるだけ近くのパーキングに車を入れた。今日はビデオは諦め、一眼レフだけを襷がけにし、さ~いつでもどうぞ~と構えていた。ところが・・・以外にもめっちは大人しく冷静に見ているではないか!大人しく抱っこされて見てるか、私と一緒に座って見てるか、みおのそばで普通に踊るか・・・ポンポンのぬいぐるみに夢中になり一回だけ前へ飛び出したが、先生に高~く抱っこされ、納得して帰ってきた。私は前へ飛び出そうとするめっちを羽交い絞めにすることばかり想像していたので、今日のイベントは超超楽ちんだった。考えればアレから5ヶ月経ったんだな、めっちよ、成長したな・・・(*^^*)みおはというと、ブルーCAP獲得後初めてのイベントだったので、ブルーCAPをかぶっていくのを楽しみにしていたのだが、会場に行くと誰もかぶっていなかったので、なにやらがっかり、自分もCAPはいらないと言い出した。お兄ちゃんお姉ちゃんになると、はりきってCAPかぶるということもなくなるのだろうかな。でも最後先生とのふれあいタイムの時、1人だけグリーンCAPかぶってる子がいたので、ちょっと安心した。みおも嬉しそうにかぶっていた。次のイベントも楽しみだ。
2003.04.05
楽天HPを始める時、何気に決めたニックネーム「つちたん」ですが、あちらこちらのBBSでは、古くからっ使っている「おねえ」を使っておりまする。ややこし~ので、このようにかえますたので、以後よろしくおねげ~しますだ。
2003.03.21
まさかこんな日がやって来るとは夢にも思っていなかった。伝説は甦らないから「伝説」のはずなのに・・・その伝説が彼らの言葉を借りて言うと「再生」されているのだ。間違いなくあの時の彼らがあの時のままで、私の目の前でPleyしている・・・とうとう今日、17年越しの思いがかなったのだ。メンバー5人のうち3人が代わってしまったが、いつまでも引きずっていてもしかたがない、マイケルとアンディはあの時のままだし、こうやってまた彼らのRock’n Rollが聴けるのだから、新メンバーごと素直に受け入れたいと思ってた。中学生の頃いろんな音楽に興味を持ち出して、行き着いたところがこの「HANOI ROCKS」だった。ストレートで超カッコイイ、それでいてメロディアスなロックンロール。当時たった14歳だった私にも、ほとんどの曲を作るGのアンディ・マッコイは天才だと思った。彼らはルックスがかなり派手で、Voのマイケル・モンローにいたってはけっこう美形だったので、最初は少々ミーハーな気持ちがなかかったかというとウソになる。当時の音楽雑誌でもそんな雰囲気で扱われていたように思う。しかし、彼らの曲を聴いていくうちに、彼らは見た目だけでなく、確かに本物のRock’n Rollerだということがすぐにわかった。私は何もかもほうりなげて彼らに夢中になってしまった。彼らが切っ掛けで、自分達でバンドっつうものをやってみたくなった。自分も彼らのような、カッコイイRock’n Rollerになりたかった。言わば私の中で彼らは教祖様に等しかったのだ。そんな彼らがこれからという時期に不幸にも、1人のメンバーを事故で亡くし、それを切っ掛けに解散してまった。私が夢中になって間もない頃だった。こんなにものめり込んでいるに、本物の彼らのステージを観ないままで、なんか納得できないでいた。その後、Voのマイケルのソロでの来日ツアーにも行ったが、なんか違うと感じていた。その後自分も段々年もとり、彼らのことも思い出化してしまっていた。ところが去年の夏だったろうか、ラジオであのHANOIが来日し、ステージをしていると言っているではないか!耳を疑った。子育てに追われ今ではすっかり普通の専業主婦の私は、1人取り残された気分だった。何も知らなかった。結婚して子供が産まれてからは、子育てや家の事が趣味みたいになって、ちょっとやそっとのことで興奮する事などなかった。なのに、これだけは譲れない、絶対譲れない。今回の来日ツアーが決まった時、なにがなんでも行くと決めた。主人は仕事がら1月から3月はかきいれ時なので、ただでさえこの時期休みが少ないのだが、3月4日だけはなにがなんでも休んでもらうことにしてもらった。学生の頃の友人と4年ぶりに会って、会場に向かった。なんばハッチだ。整理番号はかなりいい方だった。私達の現役?の頃はこんなオールスタンディングなんてホールは小さなライヴハウスぐらいで、わりと大きいこのようなの所は、外国でのライヴの映像でしか見たことなかった。小さなライヴハウスでさえ、将棋倒しでの死亡事故を耳にしたことがあるのに、ちょっと怖いな~と思いつつ、やっぱり近くで観てみたい、入場に少々遅れたものの、アンディ側の前でがんばる事にした。35分押しで、やっと彼らが出てきた。今までわりと冷静に立ってたオーディエンスが一気に前に押し寄せ、私も波に飲まれてずいずいと前のほうへ・・・す、すごい、こりゃただ事ではない、冗談で主人に、「もし生きて帰ってこれなかったら、後宜しく」なんて言ってたのが、冗談ではなくなりそうだ、なにやら人が後ろから頭の上を転がってくるし、生きていてもこりゃ最後までもたないと思った。なんとか最初の数曲が終るまではがんばったが、落ち着きだした頃に、ちょっと後ろに撤退した。意外と少し下がったほうがよくみえた。 1:Obscured 2:Delirious 3:Malibu Beach Nightmare 4:Whatcha Want 5:A Day Late, A Doller Short 6:I Can’t Get It 7:Underwater World (Cheyenne) 8:Don’t You Ever Leave Me 9:Boulevard Of Broken Dreams10:People Like Me11.Until I Get You12.Self Destruction Blues13:Gypsy Boots14:Lucky15:Tragedy16:High School17:Oriental BeatEncore 118:Taxi Driver19:Up Around The BendEncore 220In My Darkest Moment本当に本当の彼らが目の前で演ってる。体が嫌でも動き出す。新譜はほとんど予習できなかったが、古いナンバーはフルで歌えた。声もがらがらになるくらい叫んだ。嬉しくて笑いが止まらなくなったり、懐かしくて涙があふれてきたり、久々に自分の感情が100%発散された感じがした。今までたくさんのライヴ観てきたけれど、こんなに満足して、「また明日からがんばろう!」って気持ちになるくらいの力をもらったのは初めてだった。事前情報で、演奏が全て終ってから新メンバー達がまたステージに降りてくると聞いていたので、少し待っていた。情報どおりやってきた。ステージに座ってしばしファンと握手したり、サインしたり、結構群がっていたが、少し後ろの方から大きな声で「Hello!」と声をかけたら、さっとこちらに手を伸ばしてくれ、握手できた!DWEの賜物だ!(Helloだけだっつうの!)しかしマイケルのMCはほとんど聞き取れなかった。(´・ω・`)会場から出てきたのは9時半過ぎていた。家に電話してみると旦那はすでにギブアップ寸前、チビが眠くてぐずっているらしい。チビは寝るとき私のおっぱいがないと寂しいらしい、それでもご飯食べて帰ってきていいというので、しっかり食べて帰った。皆の協力の下、楽しむことができて、本当に価値の高い一日だった。
2003.03.04
やっときました、2002年度カーニバルDVD。本当は数日前に届いてたんだけど、ケースが破損していて交換して貰う事に。新しいものが届くまで、先に届いたのを使っててよかったのだけれど、すぐに送り返しました。だってWFはいつ、どのような用事で電話してもすごく良い対応で、会員にとってはBIP扱いにされてる気分。なんでこちらもちゃんとしなくちゃと思ってしまうわけです。日本の企業は見習ってほしいところです。さっそく娘二人と観始めて娘達の反応は・・・娘大:「写ってるかな~」母:(いや、あんたが行ったやつとちゃうって。)娘大:(目張りを入れたJohnny先生を見て)「あっ、"Come One,Come All!"のおっちゃんや!」母:(はぁ?)娘大:(Michele先生を見て)「あっ、ハク!」母:(えぇ!?)娘大:(Andrew先生を指差し)「このおっちゃんなんでずっとこんなん(手を合わせて)してんの?」母:・・・・・娘大:(Mary先生を指差し)「この子ちっちゃいな~」母:(そりゃPhil先生の横じゃな、しかもあんたに言われたかね~だろ)娘大:「またハクおった」母:「はく?」娘大:「うん、千と千尋の。目がいっしょ」母:(・・・Michele先生か、言われてみれば・・・)娘大:「トイレ行った人まだ帰ってけ~へんな~」母:(そんなこと気にせんでいい!)娘大:「あっ!この歌聴いたことある~」母:(いや、あんたこのイベントいったやろ!)娘大:「またハク!」娘大:「あのおっちゃん、まだ帰ってけ~へんな~」娘大:「ハクおった!」母:(もうええって!ちゃんと観ろ!)娘小:(回る回る、踊る踊る)でもなんだかんだ言って、自分の行ったイベントだけあってかなり気に入った様子。気に入ったところを戻して観たりしていました。そして私の感想といたしまして・・・Phil先生、お声が素敵です、惚れますた。あはは。ところで、ちなみにShaSha先生が"Every Morning"を歌ってる時、左端でElvisが弾いているギター知っていますか?あれは日本が世界に誇るへヴィ・メタル・バンド、ラウドネス(http://www3.live.co.jp/loudness/top/ )のギタリスト高崎晃のギター、ランダムスター!(http://www.espguitars.net/art2/loudness/280nt/index.html )実は私持ってます。(*^^*)(←どこで弾くねん!)ああ!早く次のイベント行きた~い!
2003.02.16
今日携帯を機種変更した。3年ぶりだ。携帯もさすがにこれ以上小さくなることはなく、前のでも持っていて恥かしくはなかったのだが、やはり今主流のあのパカッと開くのが欲しかった。去年の夏前に新機種が出たのだが、金額を見ていると、新規購入の人には手厚く、グレードアップしたい人は勝手にしろ、というのがにじみ出ている。もうこの携帯電話会社、夫婦で7年も使ってきたのに、なにか納得いかない。だから無理して高額で買うのもしゃくだったので、次の新機種あたりをたまったポイントで、意地でもタダ同然で手に入れようと思っていた。それが今日偶然に起こした行動によって、新機種の携帯を手にいれることが出来たのだ。今日は、みおたんにスモックを持って行かせるのを忘れ、いつもなら一日くらい・・・諦めるところだったのだが、なにげに気になって慌てて自転車走らせて幼稚園にスモックを届けにいった。帰りに軽く買い物してすぐ帰るつもりだったのに、何気に携帯屋さんをのぞいてみたのだ。ほんとなにげに・・・は?24ヶ月以上で一円?あの半年前に何万円もしていたアレが一円?しかも女性でピンクの機種を買うと、2000円の商品券をくれる?すぐに手続きした。実質かかったのは事務手数料の消費税100円分だけになる。どうやら8日から関西全域で値下げが始まったらしいのだが、寒いあいだスイミングも行ってないので、その携帯屋さんに立ち寄ることもめったになく、買い物も家の近所ですませていたので、本当にその場所に寄ったのは偶然中の偶然、しかもその機種も残りわずかだったらしいので、今日はなんだかすごく良い事があったと実感している。たったそれだけで幸せになれた私って、かわいい・・・と思う( ̄ー ̄)
2003.02.10
メール受信できますた。原因は不明。またも時が解決したというわけか・・・まじでうろきた・・・
2003.02.03
久しぶりに楽天五目しに行くか・・・
2003.01.31
今1歳7ヶ月の下の娘。一歳半検診を一週間後にひかえ、少々気になること。それはしばしば右の目だけあらぬ方を向いていることだった。至近距離ではそのようなことはないのだが、2~3m離れたところから何気にぼんやりこちらを見ているときに右目だけ他の方を向いている事があるのだ。名前を数回呼ぶと、その右目も、グリ~とこちらを向く。なんじゃ?特技か?と思っていた。生まれて間もない頃からしばらくは、どの赤ちゃんにもよく見られることなので様子を見ていた。上の娘も小さな頃そのような事が極まれにあったが、もうすぐ5歳になる今は全くそのようなところを見たことがない。なのでそんなものだろうと下の娘もずっと様子を見てきたのだが、明らかにその症状を頻繁に見るので、昨夜どうゆうものかと自分なりにいろいろ調べてみた。結果どうやら「間歇性外斜視」のようだった。斜視自体は全体の2%ぐらいの子に見られるそうで、その症状にあったリハビリや手術で大抵は良くなるそうだが、原因は遺伝的なものから、脳の重大な病気が隠されているものまで様々らしく、さすがの私も少々心配になってきた。はっきりした「斜視」については手術やリハビリの方法のHPがけっこうあったものの、娘のようにたまにしか症状が出ない「間歇性外斜視」についてはあまり詳しい事を調べきれなかった。一週間後一歳半検診があるのだが、我が町S市には、マニュアル通りで、心ない事を簡単に言い放つ出来の悪い保健婦が多いので、そんな保健婦に相談するのはしゃくだし、はっきり言ってバトルになること間違いなし。いつものように適当にあしらってさっさと帰りたい。やはり信頼できるいつも娘達を診てもらっているS先生に、相談する事にした。早速今朝先生の所へ行き相談してみた。S先生の事だからH大病院でも紹介してくれるだろうと思っていたが、近くの良いとされる眼科の開業医、M先生を紹介してくださった。S先生曰く、H大は検査するにも何度も足を運ばなきゃならないし、すぐに診てもらえないし、M先生の所は設備も整っているし、すぐ診てもらえるから、とりあえずM先生に診てもらってからとの事。早速その足でM先生の所へ向かった。M先生はぞうさんのぬいぐるみで、娘の目の動きを見たりいろいろし診察してみたが、斜視の症状ではなようす。そしてその症状を偶然収めた写真を見せると、やはり「間歇性外斜視」と診断された。私の目的はそれによって娘の日常生活に支障が出るなら、今すぐ治療を始める事と、原因が何であるか知る事だった。娘がよくこけるのも気になっていたし、私自信も主人に「ちゃんとこっちみてみて」と言われたことが数回あるので、遺伝的なものならそれはそれで納得できるからだ。だが治療する必要はないと言われた。先天的なものなので、一生治ることはないが、治療する必要なし。だそうだ。とりあえず安心した。しかし私自信の話を聞いたM先生「お母さんの方が診察受けたほうがよい」がーん(・д・∥)そういえばたまに見え方がおかしくなる時がある。地震かと思うほど一瞬視野が大きくずれる事が。あはは、とりあえず子育てが落ち着いたあとの課題として楽しみに取っておこう。((((((^_^;)はあ。
2003.01.30
今日送ればせながら(遅れすぎ)HANOIの「Twelve Shots On The Rocks」買った。CD屋でとりあえず視聴・・・初めて聞くはずのこの荒削りなロックンロールがなぜか懐かしい、やっぱりマイケルの声とアンディの曲のコンビは、私のDNAに刻み困れていたのか、(大袈裟)涙が出た!ハノイロックスなくして私の学生時代は語れないほどハノイ好きだった私。17年ぶりに再生?されるなんて、想像もしてなかった。私のなかでもすっかり伝説化していたのだ。17年前当時、デュランデュランやマドンナあのあたりが全盛の頃、密かに人気上昇中だった。ヘヴィメタブームでもあったためかルックスだけでヘヴィメタルと一くくりにされがちだったが、彼らほどカッコイイと思ったロックンローラーはなかった。まだ14,5歳の私でもアンディ・マッコイは天才だとまで思っていた。本当に彼らにのめりこんだ。が残念なことにあんなことに・・・その後確実に彼らに影響を受けた私は、バンド人間になったが、ハノイのコピーやろうって奴は全然いなかった。結局回りに流されラウドネスとかのコピーをやる羽目になったのだが、(いやそれはそれで楽しかったのだが(^^ゞ)そんなバンドのメンバーがガンズ&ローゼスをやろうと言い出した時は嬉しかった。ハノイに影響を受けたと豪語するガンズだったからだ。社会人になってもバンド遊びは続けてたが、ようやくそのころハノイやろうと意気投合したメンバーとめぐり合い、念願のハノイコピーバンドとしてライブを二回した。10年越しに希望をかなえたわけだ。その後結婚してバンド遊びも卒業したので、最後に念願が果たせたわけだ。もうすぐ来日ツアーが始まるが、思い切って行くつもりだ。だれがなんと言おうとやっぱり譲れない。その日は旦那に休んでもらうようお願いしている。子守り頼むよ!
2003.01.16
年をとるほど正月らしさを感じなくなり、毎年決まった日に決まった場所へ行き平凡な年末年始を過ごす。正月気分こそあまり味わえなかったが、楽天日記だけは立派な正月休み並に休んだ。しかし去年から今年にかけては少々歯車がくるったような感じで、どうでもいい小さなことだがハプニングが続いた。そもそも11月下旬頃から狂っていた。旦那がちょっとした土地がらみのトラブルで、急を要するもので即裁判だとかなんとかで、毎日弁護士の所へ通い書類集めに夜も遅い所に、私娘達が風邪をひいてしまい、お互いうつし合い看病疲れで全員が回復するのに一ヶ月もかかってしまった。旦那は普段結構家のことやってくれるので、たちまちこの有様になってしまった。長女は残念なことに幼稚園を休んでしまうし、楽しみにしていたお友達との約束も全部キャンセル。X’masはかろうじてサンタは来たものの、旦那に頼んだケーキは普通のケーキで、つまらないものだった。回復後あわてて買いに行った羊の置き物は売り切れ、いまだ馬を飾ってる始末。ほかにもいろいろとあったわけだが・・・普段普通に真面目に生きてるのに、なぜかよくトラブルに巻き込まれる。どうやら私が呼び込んでるようだ。私といるとトラブルが起こりやすいらしい。自分でも自覚しているので、まさに「石橋をたたいて・・・」を心がけてるのだが、犬も歩けば棒どころではない。我慢強い方だし文句言いでもないのに、お店の人に謝られることなど数えきれない。こんなにしょっちゅう弁護士に世話になる家族もめずらしい。私にいたっては刑事裁判までしたことあるくらいだ。(もちろん被害者で)それでも悪運が強いせいか最悪の結末という事はないのだが、人生においてこんなにスパイスはいらない。しかしつくづく感じる事がある。職はやはり弁護士か?生まれ変わったら、死ぬほど勉強しよう。
2003.01.08
風邪ひいて寝ていた。長女が一週間熱出して、入れ替わりにチビが発熱、これがまた一週間続き、重なるように私が発熱。どうやら幼稚園で流行ってた風邪のようだが、扁桃腺が腫れて熱がなかなか下がらないのが特徴のようだ。私は子供の頃風邪といえば扁桃腺が腫れる風邪しかひかなかったが、大抵1~2日で治ってしまっていた。のでこんな長く続く熱は生まれて初めてだ。勿論娘達も。連休前から熱があった私、休み明け病院に行くと「お母さんが一番重症やね~」と言われ、一気にがく~。ここ3日ほどほとんど布団で過ごした。前回の吐き下しから一ヶ月、自分の風邪から始まって、子供らの風邪、んで自分の風邪で12月は締めくくった。1ヵ月に2回も病気するのも初めてだ。子供の風邪くらいうつらへん!と少々油断した部分もあった。X’masはおろか、年末に予定していた友達との約束も、オールキャンセル、かろうじてサンタさんだけはやってきた。まあ今年後厄だった私の最後の厄払いだと思う事にした。それからチビよ、熱出てうなされて寝てる時まで、服めくって乳吸うのやめてくり。
2002.12.26
今年4月に入園してから、初めて休みました。X’masお祝い会が終って、気が抜けるから気をつけないとな~と思いつつ、風邪をひかしてしまいました。いつもなら風邪ひいても熱が出ないので平気で登園するのだけど、今回熱が出たのでそうもいかない。本人は「しょうがないな~」とあっさりしたものだけど、私のほうが残念で残念で・・・まさか休みなしで一年間過ごせるとは思ってなかったけど、ここまできたらだんだん意地になりそうで、朝はなかなか諦められず、一応お弁当も作ってぎりぎりまで体温計とにらめっこ。結局38度下らなかったので、あきらめました。娘より、自分自身に言い聞かせるほうが大変でした。幼稚園ではクラスで朝の出席を取る時、お休みの子のお名前を先生が呼ぶと、皆で「お休みです!」と言います。そして先生がお休みの理由を言って早く治るようお祈りしましょうね~などといったりします。娘は「おやすみです!っていわれてるかな~」となんだか嬉しそう、とほほ、私は悔やんでばかりなのに・・・まあ幼稚園でも風邪が流行して、閉鎖になってるクラスがあるほどだし、今回は免れなかったと信じよう、とほほ。
2002.12.10
今日は「X’masお祝い会」があった。劇や合唱、合奏を発表する会だ。運動会が終って少ししたら、すぐにまた毎日毎日練習していたようで、家でも毎日毎日踊りやうたを見せ付けられていた。まるで猿回しの猿のように同じ芸を何度もやってるようだ。それにしてもこんな幼児の集団にいろんなことを教える先生は本当に関心してしまう。うちでは1人の子供になかなか言う事を聞かせられないというのに。朝は少し早めに行って並んだ。勿論いい席を確保する為。「撮る」事に関して少々こだわってしまう私にとって席取りさえ旦那には任せられない。旦那に任せた運動会のビデオも納得いかなくて、旦那にビデオも触らせないと決めた。しかし本当は私は写真のほうが好きなので悩んだが今日は、やはりビデオメインでいくと決めた。長女のクラスは舞踊劇だった。音楽に合わせて踊りながら物語が進んでいく。家で毎日見せられていたため、大体の見せ場は把握していた。しかしファインダーの中からでは感動もしにくく、気持ち的にも撮るのが必死。できればもう一人自分がいればいいのにと思う。撮る自分と、見る自分。旦那は横で首をかしげながら「意味わからん」といいつつ園児たちのかわいさに感動している。合奏と合唱はじっとしているので、旦那にビデオを任せた。じっくり見ようと思ったのだが、あいた手がどうしてもシャッターを切りたがる。結局終始「撮る」のに必死だった。そしてこの日記、テーマが幼稚園・・・なのに「撮る」事になってしまっている。
2002.12.07
毎週月曜日はTEの日。最近チビもlisten onlyで楽しんでいる。今日はPA!2を見ていたチビがMe and Youがかかるとあわててボールを捜していたのを思い出し、Me and Youをリクエストしようと思っていた。電話の出たのはJoni先生。初めての先生だった。先にみおたんのレッスンをして、いったん電話に出ると改めてMe and Youかと確認する、joni先生なんだか自信なさげ、「久々なのよ~」などと日本語で小さな声で言っている。(^^;「曲変えましょうか」と言ってみたけど、大丈夫と言う。でも「ちょっと待ってくださ~い」と楽譜を取りにいった。帰ってきて、「あまり覚えてないから、ちょっとね~」なんていいながら、結局上手にたっぷり歌ってくれた。大丈夫やん。そんなことから、ちょっと打ち解けて話してて、ちょっとした事の私の聞き違いがきっかけで、プチびっくりな事を教えてもらった。joni先生はハーゲンダッツのCMの声をやってるそうだ。Joni先生曰く、ララ~♪と歌ってる声だけならしいけど、それでもぱんぴーな私にとっては立派なことだ。他にもニフティとか、前はもっとたくさん声のお仕事をやってたらしい。それからハーゲンダッツのCM意識してTV見ている。
2002.12.04
まじ調子悪い。吐き気、むかむか、腰痛、頭痛。28日の晩からムカムカしだした。カレーの食べ過ぎだと思った。26日に作ったカレー、もったいないので27日の晩、28日は昼と晩に食べた。三日連続だ。もともとカレー食べるとお腹がゆるくなる体質なのに、こんなに食べたから、ムネヤケおこしたのだと思った。夜中になってもおさまらず、ひどくなるばかり。いっそのこと吐けばスッキリするのだろうけど、わしは吐くのが苦手。ひたすら我慢した。以前、腎盂腎炎という病気をした時の症状にも似ていた。29日病院に行き診察の結果、吐き気を伴うお腹にくる風邪だったらしい。とりあえす腎盂腎炎でなかったことにほっとしたのだが、風邪といえば、いつもは鼻水、喉痛、咳、くしゃみなのに、こんな風邪初めて。しかも食欲なくなるなんて、まじつらい。実家の母親に来て貰い、ひたすら寝た。寝まくった。普段チビと寝ているとほとんど熟睡などできず、このときとばかりに、寝まくった。いくら寝ても寝れる。今日になってやっと食べられるようになったものの、ムカツキはおさまらない。悪阻を思い出す。先生、本当に風邪なのか?私にはどうみてもカレーの食べ過ぎからくる、胃腸炎のようなもののように感じるのだが・・・もうカレーは一年くらい遠慮したい。それから母親が近くにいる事に心から感謝した。(てかはじめからあてにして、近くに住んでいるのだが)出来の悪い娘の母は苦労する、母よ、本当にありがとう。
2002.11.30
DWE同盟の管理人のMinnyママさんと、すももちゃん達が遊びに来てくれた~。9月に遊びに来てもらってから、丁度2カ月ぶりの再会だった。みおたんには当日に「今日すっちゃん来るよ~」あんまり早くから言うと、まだかまだかとうるさいので、本当に直前に教えた。もちろんDWEつながりでお友達になったので、DWEキッズ同士遊ばせたいなんてことで、遊ぶようになったはずなのに、わしったら、どうでもいいようなことばかりをMinnyママたんにしゃべりまくって、子供達が何やってるかもそっちのけ。すっちゃんが「みおちゃんのお母さん、」って呼んでもマンシンガンのようにしゃべってたんちゃうかな、ははーほんますんまへん。いや~普段は静かな女なんでな、なんか暴発するんだな。いやほんま静かな女なの。ほほほ。DWEの事は近所の友達にはカミングアウトしてなくて、みおたんもそれを感じてか、家族以外の前では絶対英語を話さない。でもMinnyママたん達の前では英単語がぽろぽろ、歌も歌ったりで、やっぱりわかるんだね~。楽しい時間はあっという間に過ぎたわけだが、帰るまぎわ、年賀状書くから、住所教えて~とメモに書いてもらった・・・9月WFのイベントで初めて会った時から3ヵ月、Minnyママたんの本名初めて知った。わし、名前も知らずに何度も遊びに来てもらったりしてよ、まじ失礼きわまりない、自分のいいかげんな性格に苦笑するしかなかった。はははは~
2002.11.24
行ってきました、ダンスアロングショー。今年最後のイベントだ。TBホールの13:20からで、一番”だれる”と言われてる部だったけど、そんな感じは全然感じなく、すごく楽しい&疲れた70分だった。今回1歳5ヶ月になるあやめっちをイベント再デビューさせた。(5ヵ月の時連れてって、ずっと抱きっぱなしで疲れたので、その後いつもばばんちで留守番させてた。)今回のイベントで使われる曲はみおはもちろん、あやめっちにもなじみのある曲ばかりなので、再デビューさせるのにちょうどいいと思っていた。今までみおだけで申し込みしていたら、夕方わりと遅い時間の部が多かったが、今回めっちも申し込みしていたおかげで、お昼一番の部になったらしい。と言っても会場に入り見ると、来ている中で、みおは大きい方であやめっちは小さい方。姉妹の場合、平均の年齢で決めるのかの?みおがイベントデビューをしたのは丁度去年の今ごろX’masイベントだった。最初の頃は途中で飽きてしまったり、私のそばを離れたがらなかったり、丁度年齢的にも恥かしがる年頃になってたせいかもしれない。それがいつのまにか前で夢中になって、遊んぶようになっている。約2ヶ月にたった一回のイベントだけど、そのたった一回ごとに大きく変わっていく様子がわかる。今回のDアロングでは70分きっちり楽しんでたようだ。私はあやめっちばかりに気をとられて、ほとんどみおを見ていなかったが、一人で勝手によろしくやってたようだ。あやめっちはというと、とにかく行動が大胆で・・・疲れた。考えてみれば1歳5ヶ月というとなんにでも興味をもつ時期なのか、目に入るもの気になればすぐにかけよって行くので、大変だった。みおの横で大きい子達と同じように踊ったり笑ったりしてる間はいいのだが、ZIPPYが出てきては大騒ぎ。猫が出ては大騒ぎ。セットが変われば大騒ぎ。スタッフに方にもかなりお世話になってしまった。まああやめっちも70分楽しんでくれたので、よかったのだが、私はくたくた。ビデオも写真もほとんど撮れなかった。次のイベントの頃にはめっちも少しは落ち着いていてくれればいいの~ふ~
2002.11.16
やっとみましたビデオ。先週は家の前の私立の学校の文化祭で、おもいっきり花火やってくれたので、ガンダムSはおあずけですた。しかしなんですな、民間人の少年をガンダムのパイロットにし、しかもその少年しか扱えないようにするという設定がガンダムのおきまりのようですが、なんだか無理がありますな。私は過去∀しか見たことないけど、∀はもうちょっと自然だった。戦闘が少なかったからな。コクピットからなかなか出て来れないほどビビったキラと、民間人の少年にいきなり戦場へほうりだすのが平気な軍人達の意識のかけ離れてる事。なんか変。しかし今回戦闘シーン多かっただす。かっこよかった。鳥肌たっちゃった。てか過去∀しか見てないので、いつ見ても戦闘シーン多くみえますだ。以前NHKの番組で富野氏が出てたとき、戦闘中にパイロット達の独り言が多いのは、コマ数を減らせるからと言っていた。だから戦闘シーンが多いと得した気分になるんだけど、∀の時とは技法が変わってるんだよね。ほほ。
2002.11.08
今日は幼稚園のバザーだった。娘にとっても私にとっても初めてのバザー。うちのクラスの担当はうちの幼稚園のバザーのメインともいえる、うどんコーナーだった。私は当日午前のうどんゆで係り。午前中から忙しく大変だったが、なんか学生の頃を思い出し、嬉しかった。担当の時間が終ったのは、もうお昼だったので、手芸と日用品コーナーは、もういいのが残ってないだろうとあきらめていたが、自分の出品した10点の手芸作品が気になったので、あとでのぞきにいこうと思ってたところ、友達のお母さんが、私の作品が一つのコーナーになってたなどと言うから、急いで見に行った。しかし、私の作品は一つしか残っていなかった。残ってたのは帽子だった。値段を見ると1000円の値がついていた。自分では自信がなかったので、材料費を安く書いて提出したのに、手芸担当の人がつけた値なのだろう、私から見るとけっこう大胆な値段に感じた。これは売れ残るな~と思いながら、他の作品を見て回り、もどってくるとなんとその帽子も売れていた。嬉しかった。一生懸命作った甲斐があった。そんなんでチョット調子に乗った私は、手芸のショップをHPで開きたいな~などと考えている。
2002.11.03
10月28日29日31日と、3日間幼稚園で自由参観があった。写真好きの私はもちろん3日間とも見に行った。28日は体操があり、寒い中園児達は元気に跳び箱等していた。体を動かすのが好きなみおたんは楽しそうにはりきっていた。お部屋では歌を歌ったり、バザーで売るための作品を作ったり、ありきたりの事だが、なんだか楽しそう。私自信、幼稚園には一年しか行っておらず、一年の間にいろんな伝染病をもらってしまい、行事という行事なにも参加していないので、こちらの方がわくわくしてしまう。みおたんはもしかして私がVをまわしてるせいもあったかもしれないが、なんだか先生の方を向いたまま固まってしまったり、ぼ~っとしたり、何をするにももたもたしている。3月生まれなんで、こんなもんだろうと思っていたけど、しかしかなりのマイペースだ。いつもこんな調子なんだろうけど、不思議と幼稚園であった事を家で話したりする。自分の時はどうだったかな~と思い出してみると・・・似たようなもんだったかな、すぐに自分の空想の世界に旅してしまってたように思う。そしてそれは大人になるまで続いたかと・・・しかも私の場合、まわりの人が誰なのか、何やってたのかも把握していない。血は争えないと思った。
2002.11.01
今日のはわかりやすかった、まゆをしかめるとこほとんどなかったぞ!だからジーンとくる余裕もあった。く~早く続き見たい!いいとこで終ったし~。
2002.10.27
今日、宅地建物取引主任者資格試験の日だった。私と旦那は5年前、すでに取得しているのだが、仕事柄この時期になると、なにかと話題になる。毎年の行事のように受けては落ちる友達から、試験前に電話がかかってきたり、試験後、誰が受かってそうだとか、誰々は今年もダメだったとか、自然と耳に入って来るのだ。そして毎年の行事のように受験している中に、私の父もいる。父は私たち夫婦が5年前、平成9年に受験する時、「わしも受けてみる」と言いだした。父は建築関係の仕事をしていて、そっちの関係の国家試験は数々受けてきた。普段はチャランポランだが、その時だけは驚くべき集中力を見せ、大抵イッパツ合格してきた。あんな父でも唯一尊敬できる点だ。そんな父のことだから必ず合格するんじゃないかと思った。むしろ不動産取引に関して真っ白な父のような人の方が、合格しやすいと言われている。試験内容は実務とは少しずれており、生半可いろいろとかじってる不動産取引に経験のある人は、その知識が邪魔することがあるのだ。7月に受験の申し込みをし、三人ともその頃から勉強し始めた。勉強の開始時期は人それぞれだが、受験申し込みをしてやっと本腰をいれる受験者は多いのではないかと思う。旦那は不動産業勤務も長く「生半可知識が豊富」な人で、過去2回勉強もせず受けていたが、当然不合格に終っていた。初めて受験する私にとっては、知らない用語だらけで、まあ聞けばいろいろ教えてくれるので、私にとっては便利な存在だった。父は私以上に全く何もわからないわけで、受験の申し込みをしにいった先に来ていた、通信教材の業者からいろいろとパンフレットをもらってきていた。私たち実務をしている人間は、何かとアドバイスをしてもらえる人が近くにいるので、お金を使って勉強するというのはなにかもったいない気がする。せいぜい安い参考書を買ったり、会社が紹介してくれる安い講義を聞きにいったり、まあ中に学院に通ってる人もいたけど、”不動産屋”特に””賃貸屋”ちゅうのはそもそもマイペースな人間も多く、手短なもので済ませるといった感じだ。なので、父が20万円のビデオ教材を買うと言い出した時は、大反対した。だが結局知らぬ間に契約し、そのビデオで勉強しはじめたのである。うさんくさい私たち”賃貸屋”が最もうさんくさいと感じる通信ビデオ教材だ。父に悪い気持ちになった。私たちの受験に巻き込んだ上、20万円無駄遣いさせたのだ。まあ買ってしまったものは仕方がないので、黙って見守ることにした。宅建試験というのは文字通り宅地建物を扱う免許をもらう為の国家試験で、不動産屋はもちろん、金融関係、建築関係の人々が受けることが多い。特に不動産業を営もうとする場合、従業員の5人に1人、この宅建主任者がいなければ、不動産業の免許をもらうことが出来ない。だからバブルのころなんかは主婦がこの資格をとって「免許貸し」(違法です。ばれたら業者は営業停止になったり、主任者は免許取り消しになることもあります。)をし小遣い稼ぎという話もよくきいた。しかし今は不景気で、そういった不動産業者もばたばた消えいき、宅建試験を受ける人も減っているとか。試験内容は「民法」(権利関係)「業法」(不動産取引のルールを定めた法)「法令上の制限、税、その他」で合わせて50問で全て四択。1問につき4つの文章があり正しい文を選ぶというもので2時間で実施される。合格点は毎年違うが、平均33~35点が合格圏だ。合格率は14~5%前後で、一見難しそうな試験に感じるが、合格者の最年少は14歳らしいし、法律家を目指す学生がよく小手調べにまずこの試験を受けるときくので、そんな程度なのだろう、私が思うに、受けるのは社会人が多いため、仕事の追われてまともに勉強せず試験に挑む人が多いのではないかと思う。とはいえただ参考書をパラパラ~と読む程度ではだめだ。「業法」や「法令上の制限」などはとにかく暗記しなければ話にならない、またこれらはよく改正があるので注意しなければならない。まあ暗記するのが得意としても、「民法」においては普段の一般的な生活の中のモラルを完全に別にし、もうひとつ頭の中に民法用のチャンネルを創らなければ、ひっかけ問題に簡単にひっかかってしまう。そう宅建試験は「ひっかけ問題」の応酬なのだ。とにかく本当にちゃんと勉強しなければ合格できないのは確かである。結局大反対したビデオ教材を父の勧めで父が見終わった分から借りて、勉強することになった。私は旦那と一緒にまず、出題数の多い権利関係から勉強をはじめた・・・・・。とたん、妊娠判明。7月23日妊娠5週目だった。初めての妊娠だったし、仕事は、車の運転をしなければならないので、8月いっぱいの出勤で、9月末に退職する事に決めた。仕事にいってる間は気もまぎれるし、食べ悪阻だったので昼間は元気だったのだが、家に帰ると睡魔に襲われ、とても勉強できる状態ではなかった。9月に入り、なにもする事がないので、勉強に専念しようとしたが、本格的に悪阻になってしまい、参考書を覗き込むと、思わずこみ上げてきそうで、とても出来る状態ではなかった。毎日ごろごろして、とうとう何もせず9月の末が差し掛かった。悪阻が少しましになってきたので、遅ればせながら勉強し始めた。その年も試験日は10月20日だったので、試験当日まで一ヶ月切っていた。ビデオを見つつ勉強し始めたが、悪阻のせいで嗜好が変わってしまい、黒砂糖をかじりながらであったり、渋い緑茶であったり、食べ物のことばかり気になって、全然集中できなかった。一日中机にむかってるものの、実質一日2時間くらいしか集中できる時間はなかった。旦那から見れば一応机に向かってる私を見て、相乗効果になったのか、一時ペースダウンしてたが10月に入ってまた本腰を入れなおした。父はというと、いち早く勉強し始め、教材の課程を全て終らせ、また別の問題集などに手を付けていた。勉強量は申し分ない。そしてとうとう試験当日がやってきた。私は時間が足りなくて過去の問題集も出来ず、1問を2分24秒以内に解いていくシュミレーションもできなかった。藁をもつかむ気分で、朝早くから、問題集をペラペラさせていた。まあこんな事情で勉強できなかったのだし、不合格でも仕方がないと思った。結果は・・・旦那と私が合格。父は不合格だった。誰もがダメだと思った私が合格で、誰もがイケルと思った父が不合格だった。いったい何故だったのか、理由はその教材にあった。宅建試験の問題は毎年微妙に新しい問題が出てくる。なので全問正解というのはめったにありえない。そして過去の問題から対策を考えると、勉強しなければならない量は増えるばかりだ。よくいろんな国家試験の勉強を教えてくれる大きな学院があるが、そういったところはどうも過去の問題からの対策の羅列のようだ。私も一度だけ父に誘われて講義を受けに行ったが、20分で退室した。あんな講義で何がわかるというのだ。父と二人でがっかりした。それに比べて父が知らぬ間に契約してきたうさんくさい高額なビデオ教材は、言葉もかみくだかれていて、先生が大変ユニーク。先生のたとえ話で思わず吹き出してしまうほどだった。そして重要なのが、なにもかも詰め込むのではなく、4択の中から答えの導き方を教えてくれるのだ。言葉では言い表せないが、なんというか「裏技」である。民法はそんな感じで、「業法」と「法令上の制限」の方は語呂合わせが用意されている。一度聞くと忘れられないおかしな語呂合わせだ。歌になってる場合もあり、先生がビデオの中でマイクを持って歌ってたりする。とにかくいらない事は覚えなくていい、合理的な勉強法だった。多くの受験者は知識より、宅建免許が欲しいのだから、それでいいのだ。私は確かに本当に血の涙が出る思いで一生懸命勉強した。が、余計なことはしなかった。父は完璧を目指し勉強しすぎ、何もかも知りすぎて、解答の選択に迷ってしまったのだろう。その後、父は毎年の行事として宅建試験を受けるようになった。20万円の教材で私たち二人が合格して、仕事も独立することができて、十分元は取れたのだが、やはり買った本人の意地があったようだ。途中一回だけ諦めた年もあったが・・・。そして今日4回目の試験を受けた。私のほうで解答速報を用意し、今夜早速答え合わせした。どうやら35問は正解してるようだ。そして今年の合格ラインは35点前後でやや高めだが、解答記入ミスさえなければ、おそらく、おそらく、合格しているのでは!父も興奮気味で嬉しそうだ。合格発表は12月4日、今年はその日が楽しみだ。ところでサブタイトルの意味、もうわかっていただけたと思うが、DWE大変高い教材だがほとんど躊躇せず購入できたのは、私が勉強期間約25日くらいで、宅地建物取引主任者資格の合格をなしえたのは、この宅建のビデオ教材のおかげだと実感したからだ。恐るべし家庭教材、侮れない家庭教材、そしてなにより、お父さんありがとう&ちょっと早いがおめでとう(多分)
2002.10.20
先週、娘の運動会でぐったりしてしまい、すっかり録画し忘れ、第2話を見逃してしまったが、今日はみた。ガンダム歴の短い私にとってはタダでさ用語の意味がわからず、まるで外国語のアニメを見ている感じ。それなのに第二話を見逃したのは痛かった。∀ガンダムの時も中盤にさしかかってようやく少し理解し始め、最終的には後に全話通して2回ほど観てやっと把握できた。私ってあほなのか?いや、確かにあほだが、そもそもガンダムは登場人物が多い。それに第一話からMSの名やアニメの中だけの用語のようなものをガンガン使ってくる。だからどれが誰なのか、どこがどこなのか、何が何の事なのか、把握するのに苦労する。それでも必死で耳を澄ましてじっと見ていると、だんだん言葉の意味がわかってくる。まさしく今娘のやっている英語教材の母国語方式みたいなものだ。今日は下のチビが寝ていてくれたので、上の娘とゆっくり見れた。え~キラヤマトは地球人ではなくて、”こーでぃねーたー”で、こーでぃねーたーは遺伝子操作されてできた人間ということであっているのか?そして、彼は∀でいえばムーンレイスのロランが地球に住んでいるというような立場なのか?OSの書き換えってなんだ?む~次々観ていくしかないな。
2002.10.19
娘にとっても私のとっても初めての運動会、とても感動した。娘達年中さんの競技は、かけっこ、球入れ、親子競技、とパラバルーン。でやっぱり見ものはパラバルーンで、撮影にもかなり気合入った。猫の恩返しの曲に合わせかわいく踊ったあと、ハム太郎の「手をつなご~♪」の曲に合わせて、パラバルーンをぱたぱた。風船が大きくなったり、形を変えたり、こんな小さな子達がこんな息ピッタリにできるなんて、運動場に何度も感動の歓声が響いた。娘の幼稚園の運動会は近所でもちょっと評判なくらいばっちり決まる演技を見せてくれる。その代わり練習は厳しいもので、先生達は声を張り上げて、園児達に活を入れまくっている。普段優しい先生でもかなり厳しくなるみたいで、しょんぼりして帰ってくる園児もいるらしい。練習風景も何度も見に行ったが、見てるこちらが緊張してしまうほどだった。二学期が始まってから本番の日まで、そんな毎日を繰り返し、運動会当日にはちゃんとばっちり決まるのだ。もちろん見に来た保護者達は大満足なんだが、先生達の満足感はもっとすごいものなのだろう、涙が止まらない先生を何人も目撃した。特に年長さんは幼稚園最後の運動会ということや、難易度が高い技をするため、私も猛烈に感動し、うるうる来た。しかし自分の娘の出番の時は撮るのが必死で、こういう行事の時は娘の姿をいつもファインダーからしか見たことがなく、いい瞬間を逃しては口惜しがってばかりだ。できれば写真を撮る目と、ただ集中して見る目が欲しい。写真は私、ビデオは旦那が撮っていたのだが、帰って来てビデオを見たところ、私が指示したとおりに撮ってくれていない。間違えてよその子撮ってるし、フレームアウトしまくり。まじキレタ。そもそも旦那はセンスなさすぎ、「もうカメラマン、くび!解雇だ!」って言ったら、「え?開放してくれんの?俺ゆっくり見た~い」だと。シバクゾ!まぁかろうじてパラバルーンだけは気のきいた撮り方してあったので、我慢するか。
2002.10.12
少々おげれつな表現があるかもしれません。食事中の方はお控え下さい、あしからず。六時半頃「ハム太郎」を見ながら、目を真っ赤にしてきばる一歳三ヶ月の娘。ん?してるしてると思いきや、なかなか匂ってこない。しそこねた?先に食事させることにした。7時半頃、お風呂に入ろうとオムツを取ってみると、うっすらう○ちがついている。また後で出るだろうと、とりあえず娘二人と入浴したのだが、途中チビが泣き止まない。泣き方が異常だったので、上がって、おしりを見ると、なんと出かかってる!あわててオムツをした。かわいそうに、我慢してたのかと思い待ってたが、また出ない。引っ込んでしまったようだが、泣き止まない。とりあえずおきまりのオッパイをさせると、す~と寝たのだが、布団に置こうとすると、体を硬直させ、足をかがませ火がついたように泣く。どうやらお腹が痛いらしい。一瞬いろんなことを考えた。腸重積、腸捻転、脱腸、いや思い出したら、珍しく朝から一度もしていなかったし、何度もしそこねてる、う○ちが硬いのかも・・・思い切って綿棒浣腸することにした。少し刺激しただけですぐ出かかったのだが・・・・・な、何?これ?穴から見えるう○ちはどうみても異物。う○ちにしては白すぎる、しかも硬そう。泣き方も異常で、見方によっては内臓に見える。な、な、何?なんとか冷静を保ちつつ、綿棒で感触を確かめることに。硬い、異常に硬い。普通のう○ちの硬さじゃない。これは自力では出せない、そう思い、ほじってみることに。ビスケットのようにぽろぽろ削れる。何?ティッシュ?とりあえずこのまま削っていけば少しでも楽に出せるかと思い試みたが、硬すぎて娘の便意に勝てない、もう穴が裂けそうだ、怖くなってやめた。もう病院へ行くしかない。この得体のしれない物質を素人が取り出すのは危険だと思った私は、とりあえず電話口へ。もうすぐ帰ってくるであろう旦那に電話をしたがつながらない、汗って手が震える。そこへ旦那が帰宅、半泣きでしどろもどろ状況を説明し、救急病院へ行く事にした。こんなときいつも迷うのが20分はかかる市民病院と、すぐ近くの「ヤブ」と聞いたことのある総合病院。いっその事救急車を呼ぼうと思ったが、足をかがめて抱いていると落ち着くようで、救急車が来るとマンションの人の注目を浴びるのもあり、やはり自力で行く事にした。いろいろ考え、市民病院へむかうことに。たいてい休日の前日や連休中の救急には経験の浅い医師しかおらず、市民病院でも不安はあった。上の娘の初めての幼稚園の運動会の前日にこんなことになるなんて、入院なんかになったらどうしよう、娘達がかわいそうで落ち込んだりいろんな思いをつのらせながら、車を走らせてると、チビがケロリとしていつのまにか遊びだした。は?大丈夫?道中、旦那といろんなことを思い出してるうちに、前日に硬い大根を気に入って山ほど食べていたことを思い出した。もしや・・・それならちょっと恥かしいかも。いやいや、あの異物は異常!行かなきゃ!そうこうして、やっと病院についたのに、小児科に重患が入っていて、診察までに時間がかかるという。いつもなら電話確認してから行くのに、こんな時に限って電話確認してなかった。結局自宅近くの総合病院へ行った。先生に事情を話す頃には、私も落ち着いた。先生「ちょっとやってみましょか」浣腸のことよね、やっとやっとくって・・・浣腸ならあの岩のような物体もほぐれるかななんて思った。浣腸の気持ち悪さに驚いたチビはまた大泣き、すぐ便意をもよおしたようだが、やはり硬くで痛いのだろう、大泣きできばっている。小さな体を震わせながら、がんばっている。どうやらやっと出たようだ、恐々オムツを開けてみると、直径2センチほどの塊と一回り小さい塊。これが蓋になってあとから来る便も出なかったらしい。赤ちゃんがする量とは思えない量だ。先生が便を見たところ、その物体がなんなのか不明なものの、他異常はないので、無事自宅へ帰って来た。どうもチビの食べたものに問題があったようだが、しかし。いったい何を食べたのだ?紙は消化するらしいし、もしかして前日上の娘が食べていたガム?たのむよチビ、あんたの食欲は問題だよ、
2002.10.11
今年もこの日がやってきました。といっても今年は関係ないんですが、やっぱり去年の「あれ」を経験すると、この季節思い出しちゃいます。10月1日は願書提出の日という私立幼稚園が多いんじゃないでしょうか。そして、そのために前日から並ぶというという人も。うちも去年並びました。本当は朝行ってだめだったら他へ行かそうと言っていたのに、夜中ちょっと見に行ったが最後。幼稚園の塀を100人以上の人が取り囲むように並んでる光景をみたら、誰もが並ばなくてはならないような気になります。偵察に行った旦那から電話がかかってきて、「あっか~ん、もうあかんで~こりゃ~、1、2、3、・・・年中のほうはもう40人以上や~」年中の募集は55人で、在園児の兄弟は並ばなくても優先されるので、もう並ぶしかないと思いました。いったん帰ってきた旦那に寝袋と飲み物を持たして、いってらっしゃ~い!「並ぶ」とか「待つ」とかいうのが大嫌いな旦那は半泣きになりながら、また幼稚園に向かいました。私は3ヶ月の下の娘がいたので、身動きがとれず自宅でどきどき待機。眠れませんでした。夜中二時頃、しとしと音が聞こえます。雨が降り出しました。車に傘ぐらい積んでるだろうと思いながらも心配で電話してみると、傘はないので、釣り用の防寒スーツを着ているとのこと。そんなに大ぶりでもないので大丈夫だろうと思っていたのですが、雨はだんだん強くなります。旦那に様子をうかがうと、防寒スーツはびしょびしょですでにパンツまで濡れてるとの事。私の心配も大きくなります。「このままじゃ、旦那は絶えられなくなって、帰ってきてしまう、せっかくここまで並んだのに・・・」なんとかがんばってもらうために、度々電話して励ましました。旦那の声は今にでも帰ってきそう、夜が明けて六時半頃、私は旦那と交代することを決意しました。雨は土砂降り、道路は洪水のようです。子供達はどうしよう、会社の車があったので、30分もあれば交代して旦那が帰ってこれるだろう、悩みましたが、たった30分の間にもしもの事があったら大変なので、子供達かかえて行くことにしました。3ヶ月と3歳半の子供達をつれて土砂降りの中、少し離れた会社の車が置いてある駐車場までいくのは大変でした。なんとか子供達だけは濡らさず車にのせ、車を走らせたのですが、大雨で前が見えません。ワイパーフルで回してるのに、数メートル先しか見えません。なんとか幼稚園までたどりつきました。旦那を探し見つけたのですが、旦那は既に真っ白。死人のようになってました。もうこの人死ぬのかと思いました。本当に、娘の幼稚園の願書提出するために死んでいくのかと思いました。言葉も出ない旦那に子供達を渡し、次は私の番です。それからは雨もましになり、おばあちゃんが応援に来てくれたりと、受付時間の10時まではすぐでした。年中44番目で無事願書提出する事ができました。旦那は一番苦手なことを過酷な状況の中で耐え、しかも「なにがあってもここを動かん!」と心に決めていたらしい。そんな旦那を結婚してから一番かっこいい!みおたんのパパはすごい!と思いました。たかが幼稚園、されど幼稚園、あの時の事は我が家にとって絶対に忘れられない出来事です。今日の旦那旦那:「ちょっと幼稚園見てこーかなー」私:「なんで~今年関係ないやん!( -.-)ノ」旦那:「いや~ぎょうさん並んでんの見て並ばんでええんや~と思いながら帰ってくるのって優越感に浸れるかもしれんやろ``r(^^;)ポリポリ」私:「は~?(・д・∥)」やっぱかっこわる。
2002.09.30
見ましたえー見ましたとも。はっきり言って順位はどうでもいいです。懐かしいシーンを見られればそれでいいです。しかし知ってるアニメばかりとはいえ、ほとんどが再放送でみています。バカボン、ど根性ガエルといえば夏休みアニメ劇場の定番。名作劇場は日曜朝9時半。あと夕方5時ごろの再放送。地域によっても違うだろうけど、そのへんで見た記憶があります。ルパン好きでした。マジンガーZ彼女がいたことは覚えていないです。アタックナンバー1憧れました。エースをねらえ見てませんでした。みつばちハッチ小さい時に見たの覚えています。ヤマト見ていたのに何も覚えていません。替え歌だけ覚えてます。タッチ見てません。みゆき見てません。999たまに見てました。ゲゲゲの(/@_WW)鬼太郎恐々見てました。魔女ッ子メグちゃん好きでした。アッコちゃんはいまいちです。ハクション大魔王面白かったです。アトム最終回泣いたの覚えてます。めぞん一刻るーみっくファンのくせして見てませんでした。ガンダムこれから見たいと思います。あられちゃん単行本全巻持ってました。たくさんたくさんいろんなアニメが通りすぎていったけど、やっぱり、ハイジ、ネロ、マルコがなければ私の人生語れないと言う方多いんじゃないでしょうか。フランダースの犬でTVを見て初めて泣き、アルムの山に住んでみたい、あのチーズが食べてみたいと思い、マルコと一緒に旅をする。こうやって日本の子供は育つのです。(--)(__)ところで「母をたずねて三千里」はタイトルの通り母を追いかけ旅をするマルコの物語というイメージが強いので、一つ大事なメッセージが伝えられているのにちょっと影が薄くなってるように思います。物語の要所要所で見られる、病院、病人、医者。瀕死の人を助けたり、また助からなかったり、貧しい人は診てもらえないだとか、貧しいのに診てもらえたとか。最初お父さんの仕事を理解してなかったマルコが、長い旅でいろんな人に出会い、いろんな経験をし、最後やっと会えた病気のお母さんが回復した時、マルコは医者になることを心に決めます。私は当時の貧富の差や医者の立場と言うものに考えさせられ、そのマルコの気持ちの移り変わりに激しく感動したのですが・・・もちろん大人になってから見たときにですが、子供の時に見た視点とはぜんぜん違ってまた面白いところです。今関西では夕方「アルプスの少女ハイジ」をやってますが、娘はロッテンマイヤーさんを大変怖がっています。フランクフルトには行きたくないとか。私も子供の頃はそう思ってましたが、今見るとロッテンマイヤーさんほどおちょくりがいのあるあばさんはいないなと思ってます。ワハハハハハ (^O^)
2002.09.29
毎週ワンピ、犬夜叉、コナンだけはビデオに撮って、後で子供に邪魔されない時間にまったり観る。(犬夜叉だけはもう3ヶ月以上観てないのたまってる。)先週いつもの習慣でワンピの時間にビデオセットした。後で観て野球が撮れてたので、一瞬あせった。ch間違いじゃなかったのね。23日月曜日も、録画セット自体忘れた。21時頃思い出して、( ̄□ ̄;)!!でもなかったのね。番組編成の時期ですた。テーマの本題に入りますだ。ずばりワンピで一番好きなきゃらは「サンジ」すきです。すきです。サンジ様。いやもうサンジにならなにされてもいいですだ。二股、三股、四股、いや、たくさんいる愛人のうちの一人でもいいですだ。すきなようにされて捨てられてもいいですだ。はらまされて、逃げられてもいいですだ。ていうかサンジの子産みたい。なんかそういう魅力を感じますだ。サンジが私のために料理なんて作ってくれた日にゃ~もうメロメロメ~ロメロリンら~ぶ。気絶しますだ。昨日、サンジとチューする夢見ましただ。てか、アニメキャラの夢って、映像思い出すの難しくない?好きなカップリングはゾロサン(何故か)でも雪山以来、ルサンもいいと思ってますだ。でもね~ルフィは何故かそういう角度から見れないのだな~アニメで観てると、藤波竜之介思い出してしまっての~懐かすぃ~でしょ~
2002.09.28
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