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profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあいと娘3人との5人暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。

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2013/12/17
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カテゴリ: うふふ日記
 見ると、寝台横の棚の上に埃(ほこり)があった。


 この日、わたしは実家のガラス拭きをしていた。
 内側外側ふたり一組ですると、「ここ、ここ」と曇りや汚れを指摘しあって、作業が捗(はかど)るのだが、この日はわたしひとりでごしごしやっている。外側からは内側の曇りがさやかに見え、内側からは外側の拭き足らなさが目について、行ったり来たり。そうするわりには、なかなか「これでよし」というところに届かない。捗らないことに嘆息しかけたそのとき、くだんの棚に埃が見えたのだった。 
 これが自分の机や棚であったなら、何ともない。埃がたまっているなどめずらしくもない。しかし、母の……となると、はなしは変わってくる。
 母の掃除と片づけは「魔」のひと文字を加えたくなるようなものである。掃除魔、片づけ魔。ガラス拭きにしても、母のチェックを思うと、わたしが自分の家のガラスを拭くときとは比べられないほどに、念が入る。片づけのほうは、母のものを受け継いだと思うが、掃除はそうならならず、「片づいていれば、まずまずきれいに見える」などと豪語して(書いたりもして)今日に至っている。
 母の部屋の棚の埃は、わたしに、少なからず衝撃を与えた。
 あるいは新婚旅行だったかもしれないが、若き日に父とふたり寄り添って微笑む記念写真。年に二度ほどあつまって外食するときの家族写真。孫たちの笑顔の写真。写真立てのにぎやかにならんだ飾り棚である。
 写真立てをすっかり寝台のベッドカヴァの上に移し、棚を拭く。ガラス拭きのためにと家で切ってきた古シャツで埃を拭い、つぎに水拭きをすると、すぐときれいになった。作業にすれば何でもないけれど、胸のなかは何でもなくはない。母が年をとったという事実が、感傷にくるまれて迫ってくるのだった。

 しかし、わたしは天の邪鬼だ。
 ——こんなことで感傷的にならないでおこう。
 そんな気持ちがむくむくと湧いてきた。ガラス拭きによって、血行がよくなっていたからかもしれない。わたしは感傷を吹き払い、そっと胸のなかで云ってみた。
 「おかあちゃま、埃、埃。拭いたげるねー」
 云ってみたらうれしくなってきて、声に出してもう一度。
 「おかあちゃま、仕方ないなあ、ここにほら、埃。わたしが拭いたげるねー」
 調子づいてきた。
 天の邪鬼というのは、こんなふうなものだ。どんどん調子づいてゆく。
 55年も母の子どもをやってきて、母の見逃した跡をわたしが拭うなど、初めてのことだ。いや、うれし。はて、たのし。
 55年生きてきて、みずからの天の邪鬼(気質)に救われたのもまた、初めてのこと。これからは、自信を持ってこれでゆくとしよう……。
 どこまでも天の邪鬼は、調子づく。

ブログリース.jpg

その日がほんとうは何の日であるかを、
思いだしたいと思います。
宗教をはなれた意味でも、その日はもの思い、
考える聖夜になるでしょう。





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最終更新日  2013/12/17 09:27:56 AM
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