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すごい役者は、現実を創造する力が強いのだろうなと最近うすうす感じ始めていた。何にでもなれる、どんな人の感情も創り出せるということは、自身が極めて中立で、全てのものに対して中立な注意が注げる人なんだろうと思う。自分が抵抗を感じている物事や感情、人物について中立に観察することは難しい。そこに価値判断や偏見、後ろめたさ、利己的な心が存在するとき、それらが純粋にそのものを観察することの邪魔をする。だから、現実創造力のある役者はいい顔をしているのだなーと妙に納得したときがあった。何でも創り出せるのだから、もちろん自分自身も自分が望むように創りあげることができるのだと。だから女優は美しく、俳優は端正で、注意力と慈しみの心に満ちている。17日金曜日、イッセー尾形と小松政夫の二人芝居を、18日土曜日に劇団四季の『異国の丘』を観た。イッセー尾形は毎度一人芝居を観に行くのですが、彼の舞台にはいつもセットがなく、衣装と音楽だけ。緞帳もない。で、一回に5~6個の小さい芝居をやるのですが、舞台袖に全ての芝居分の衣装やカツラといった小道具が準備されていて、そこで着替えやメイクをする。彼は一旦登場すると舞台袖に引き上げることはない。彼のお色直しが進むにつれて、役が少しずつ見えてくる。衣装から次はどんな話だろうと想像してワクワクする。一人の男が、売れない地方周りの女シンガーや、ロシア劇団の座長、田舎町に女手一つで魚屋を切り盛りする主婦を演じ分ける。イッセー尾形が演っているのに(失礼)、役の登場人物が『美しい!』と言われているとそんな気になってくる。ここでもう一つ重要なのは、衣装の力。アバターではアイデンティティは『衣装』と例えられている。アイデンティティ自体は価値判断、自己限定するものとして、あまりいいものではないという考え方だが、それはそのアイデンティティに固定してしまうから。彼ら役者のように衣装一つでアイデンティティも簡単に創り変えることができるところをこうもまざまざと見せ付けられると、人間の現実創造の力に感じ入ってしまう。そして、昨日の石丸幹二。彼も現実創造力を大いに感じさせる役者だ。私は役者が『なれる役』とはその人が抵抗を感じていないものに限られると考える。感じる抵抗が少なければ少ないほど、その人の役の幅が広くなる。昨日の舞台は『異国の丘』。石丸幹二は、満州侵略、太平洋戦争さなかの日本総理大臣の息子、九重秀隆の役を演じきった。終了後、観客全員がスタンディングオベイションで、客席が明るくなっても、誰も帰らない状態。海外のコンサートや舞台などでは見たことがあるが、日本の映画や舞台でこんなのははじめて。私は見終わってから、多くの日本人は『戦争』について、注意が固定して抵抗を感じたまま生きているのではないかと感じた。見ないようにしているような、話題を避けているような、話題を口にする人を煙たがるような。実際私も見ていて、どこか居心地が悪いような、右首筋に何か痛みがあるような感じがしていた。わざわざ、こんな暗い話観なくても…とも思っていた。そう、私はネガティブな話題、例えば戦争や病気、暴力、切なさ、現実世界の厳しさ、裏社会といった、を衝動的に遠ざけていることに気がついた。今、四季では『昭和の歴史三部作』として、戦争をテーマにした舞台を連続してやっている。『異国の丘』はそのうちの一つ。浅利慶太は公演プログラムに『語り継ぐ日本の歴史』というタイトルでこう書いていた。『戦争を、左側は「侵略」として東京裁判史観に基づき、全てを悪と片付ける。右側は「止むに止まれぬ歴史の流れ」と発想する。しかし、問題は、愚かさと狂気に捉えられたその「戦争の実相」である。』と。浅利慶太も石丸幹二も何か、この歴史を受け入れているような感じがした。そうあって初めて、抵抗が処理でき、役の現実を創造することができるのでしょう。日本人にとっての習慣や通念という枠組みを超えて、領域を広げようとする彼等の源の力に敬意の念を感じました。そして、もう一つの個人的な気付きあるいは発想(ロシア文学風で※劇団二毛作のかかし笑)。中国人を不可解なものとして批判する友人もいるが、私はどこかひっかかる。私にとっては、中国は強力な四肢とパワーを持ちながらも、自分でその力を制しきれず、どこへ向かっているか分からなくなってしまいそうな危ういけれど、愛すべき隣人であると再認識した。ここに私の何かが潜んでいそうな予感がした。
March 17, 2006
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最近、自分が少しずつでも前に進んでいる感じがする!前までは何か心に引っかかることがあっても、自分の気持ちをごまかしながらそのまま仕事が出来ていたのですが、アバターを受けてから、自分をごまかすってことができなくなってしまった。会社で資料を作っていても、一旦止まってしまうともう身動きができなくなって、処理するまで進めなかったり。だから、処理するしかない。仕事を中断してそれを取り除いてすっきりしてから仕事を再開させる。でも、心に引っかかることを持ち越す日数が少なくなったと思う。一日一日処理できていると思う。すごい成果です!前に進んでいる実感がある。
March 8, 2006
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今マーメイド&ドルフィンオラクルカードにはまっています。これ、すごいです。面白いです。占いとは違うのですが、44枚のカードを適当に引くと、出てくるカードは見事に今の自分の直観をちゃんと文章にして教えてくれます。これ、ホントにすごい!ちゃんと私は自分で正解を知ってるんだなと思います。以前、ラクロッサーで2月の誕生日会をしたときに、何人かにひいてもらったけど、みんなその人に合ったカードを引いていて、私たちってスピリチュアルな存在なんだなーと思いました。
March 8, 2006
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昨日、2年間乗らずに放置していた原付バイクを売却しました。買取業者に来てもらい、査定してもらって、引き取ってもらいました。私は、持っていってもらえるなら、お金はいくらでもいいと思っていたのですが、査定の仕方が非常に奇妙な感じがした。ノートパソコンから、買取業者が過去の買取価格データを溜め込んだデータベースにアクセスして、その中に自分のバイクのデータを入力すると査定価格がパソコンに表示されてくるのです。納得性が高いような高くないような。有無を言わさんシステムだなと。今ベストセラーの『国家の品格』を読んでいます。近代産業革命後、『論理』が全ての解決策をもたらすと思われているが、そうではないと書かれていた。論理には、論理の出発点が必要だが、出発点に何を選ぶかは直観なのです。確かにそうだな~、と感じていたところだったので、このバイク買取業者のやりかたがおかしかった。誰も文句が言えないようなシステムにしようと苦慮した上でのことなんでしょうけど、言えないというよりは、文句を言う気がおこらないシステムだよね…。そこへ、うちの母親登場。『え?そんな安いの?もっと上げてよ。あと二千円上げてくれたら、お兄さんのところでお願いするわ。』結局、そのとおりとなり、その場でバイクを引き取ってもらいました。かくして、論理に直観は勝ったのでありました。
March 4, 2006
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