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2015年11月19日
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■尾木ママの「叱らない&ほめる子育て」は危険?
 評価を用いた子育てはよくない

尾木先生の講演を数年前に
2回ほど聴かせて頂いたことがあるのですが

先生の本音の部分と聴き手に受け入れやすい言葉があって
ご自身の本音の部分は、ここなんだけど

それをそのまま伝えても話題にならないし
話題にならないと、知ってももらえないから

どうすれば話題になりやすいのか


キャラ設定して、おられる聡明な方なんだなぁとか
それはきっと、さんまさんと接して学ばれたのかなとか
お話を聴きながら思ったことを思い出しました。

その受けがいい方、キャッチーな方は
かなり大きなエネルギーを持っているので
飲み込まれてる感はあるよなぁとも思っていました…

そして、尾木先生≒優しい、褒める子育てと
コラムに書かれてあったのですが

講演で話して下さったときは
テレビで話すような内容とともに
その先の話は、コラムの内容と同趣旨で

怒る、叱ることが起きるときは
事が「起こって」から「怒って」るので

怒る、叱るという視点ではなく
まずは「褒める」視点で見ていくと

その事が起こる前に、
どういう心の動きがあったのか
その子の頑張りが見えてくる。

そこに寄り添い、認めていくと
承認されることで、その行動が増えていく




ご父兄とお話するときに僕も

「【怒る、叱る】ではなくて
 【褒めて】くださいね。 」
と言いながら
『少し誤解を生んでいるようにも思うなぁ』と

少し前から感じていたのですが
このコラムを読ませてもらって

方向としては、褒めるなんだけど
どちらかというと、その人を褒めるというより
その行為を認めるとか労うの方向で

怒って、叱って、世話をするは
必要ではあるけれど、できるだけ小さくして

心地よさだったり、
楽しく生きるという方向を増やしていただきたい




(以下、コラムです)
ここ数日、めっちゃ長くなってごめなさい。

子育てにおいて重要なのは「ほめる」ことだ
というのが今の子育て論の主流だ。

「尾木ママ」の愛称で親しまれる
教育評論家・尾木直樹氏の著書
『尾木ママの「叱らない」子育て論』でも

「子どもは“叱る”のではなく
“ほめる”ことで伸びていく」と述べられているが、

そもそも、ほめるというのが
子どもにとって本当にいいことなのだろうか。

そこで、『「ほめない子育て」で子どもは伸びる』の
著者である岸英光氏に

・なぜ、ほめてはいけないのか
・ほめるでも叱るでもない、子どもを伸ばす育て方とは


などについて話を聞いた。

●ほめることは、人に自分の価値を決められる体験?

「ほめない子育て」を提唱している理由を教えてください。

私は“ほめる”子育ては危険だと考えています。

なぜなら、ほめるというのは叱ることと同様に、
評価で子どもを動かそうとすることですので、

「あなたの価値は他人が決めるんだよ」
というメッセージになるからです。
これでは、自己承認の心が育ちません。

ましてや、自分の価値を他人に与えられることに慣れてしまえば
他人の評価ばかりを気にする子どもになってしまい
ほめてくれる人に依存する可能性が大いにあるわけです。

ほめてもらえないことで、
自分の存在が否定されるようにさえ感じることでしょう。
これでは自尊心や自己肯定感が育ちません。

しかも「すごいね」「偉いね」という言葉は、
判断基準がほめる人によって変わります。
そんな抽象的であいまいな言葉で評価するのが
いいことだとは思いません。

本来、自分の価値は自分で見つけ育て、
自分で自分を認められるように
なるべきものなのではないでしょうか。

昨今の子どもや若者たちは、
他人にどう思われるかを必要以上に
気にする傾向が強いように思えるが、
これはほめる子育ての影響といえるでしょうか。
では、どのように育てるべきなのでしょうか。


ほめるのではなく、認めてあげればいいのです。
この2つは同じように思えるかもしれませんが
本質的にはまったく違うことです。

ほめるというのは快感で人を動かすイメージですから
子どもは「ほめられるのが嬉しいからお手伝いや勉強をする」
といった行動原理になってしまいがちです。

人に貢献することに価値を感じるわけでもなく
興味を持って意欲的に勉強するわけでもありません。

ただ自分が気持ちいいかどうかが基準になります。

ですから、不快感を覚えればすぐにやめてしまう
ということもあり得ます。

嫌なことから逃げ続けてしまうことを覚えると、
その結果、自身の好きなことや
できることしかやらない人間に成長する恐れがありますね。

子どもの頃や学生のうちは
それでもまかり通るかもしれませんが、
大人になり社会に出てから直面する困難や
トラブルに対応できなくなってしまうというのでは困ります。


一方、認めるという行為は、
評価とは違いしっかりと現実を見せて
子どもが行動して起こった結果を認識することです。

いいことも悪いことも関係ありません。

ただ事実だけを見て、それを認めてあげるのです。

たとえば、お手伝いをしてくれたおかげで
家事が早く終わったとか、
ご飯を綺麗に食べてくれたおかげで
片付けの手間が減ったといったことです。

そうすることで子どもは自分の行動で
何かを変えることに面白さを感じ、
他人からの評価は二の次になります。

ほめることが「気持ちいい」の“快”だとするならば、
認めることは「やりがい」の“甲斐”という文字で表せます。


●罰を与えることがしつけではない

ほめる子育てが主流になったことで
叱れない親が増えているとの指摘があります。


少子化で一人の子どもを大事にする親が増えたのだと思います。
しかし、大事にするといっても父親と母親の両方が
逃げ込む場所になってはいけない。

反対にどちらも厳しく、逃げる場所がないというのも問題です。
一方が優しいのであれば、もう一方は厳しくする。
昔からそうだったように、どちらに偏ってもいけないのです。


昭和の時代は父親が厳しく、
母親が子どもをなだめるというのが一般的だったように思います。

それぞれの役割を固定する必要はないのかもしれませんが
どちらも同じスタンスで接するのは
避けたほうがいいということでしょうか。



そうですね。
ただ、しつけという名の虐待が行われているのは問題です。
もちろん厳しくしつけるのは悪いことではありません。

しかし、罰を与えることがしつけだと
勘違いしている親御さんも中にはいらっしゃいます。

本来しつけというのは、社会で生きていくために必要な
規範や礼儀作法などの立ち振る舞いをできるように
訓練することです。

そうであれば、正しいしつけとは子どもが
何か間違ったことをした際に、

その結果どのようなことが起きるのかを
理解させることではないでしょうか。

子どもがハサミを持って走り回っていたときに、
「危ない」と言ってただ取り上げたり叩くのではなく
何がどう危ないのかを教えることが重要なのです。





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最終更新日  2015年11月19日 11時38分10秒
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