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母親が好んで食べに来た お蕎麦屋さんのラーメン🍜一昨年に母親が他界してからはすっかり足が遠のいてしまったお店 スープを一口久しぶりの味に涙が溢れた いつもこのテーブルに向かい合って座り箸を付ける前に麺を手伝って欲しいと私の丼によこす母親だった もっともっと連れて来てあげれば良かった お寿司屋さんもお蕎麦屋さんもラーメン屋さんも 母の大好きな食べ物をたくさんたくさんニコニコ笑顔で食べてまだまだ元気でいて欲しかった もう会えなくなったのにあなたに会いたい私は優しい娘ではなかったね もっともっと親孝行してあげれば良かった ごめんね お母さんあなたに会いたい…
2025年08月07日
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山形 龍上海 赤湯本店へ燃えるような🔥暑さの中並んで食しました🍜唐辛子ニンニクの辛味噌を少しづつ溶かしながらいただきます♪スープがちぢれ太麺に負けない!美味しい😋丼の中にハート❤️のネギを見つけたが小さなハッピー?を夫に告げずに無言て食す私 どうしてこんな私になったのだろう近くの熊野大社へお詣りに風鈴がたくさん🎐🎐🎐風に揺れた涼しげな音色にリフレッシュ早く心の病が治りますようにと神社に手を合わせもう恨むこと憎しむこと悲しむこと全てのマイナス感情を消してしまいたい夫の裏切りを許せる日がやってきたらこの感情をリセット出来るのだろうか?苦しい辛い悲しいこうやって一緒に出かけても楽しめないもう 元の夫婦関係には戻れないのかな?裏切ったのは夫なのに何事もなかったかのように振舞うが私は決して消すことが出来ない事実を真っ暗な闇の中でリフレインしている地団駄踏んでイライラしたりちゃぶ台ひっくり返したい位に暴れたくなるこの苦しみから早くさよならしたい
2025年08月02日
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今日から2月です。早いものです。もうそろそろ甘えてばかりもいられません。気持ちをきちんと整理しリセットしなけれはなりませんね。ふと気がつくと家計は火の車・・・仕事も本格的に探さなければなりません。今日も夕方に面接のアポをいただきました。48歳・・・年齢的にはとても厳しいです。家計を支える為にも頑張らなくちゃいけませんね。もう泣きません。前を見つめて歩き出します。
2012年02月01日
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私にはそう聞こえた「助けて!」「助けて!」「助けて!」・・・とだけどわたしも叫びたい「助けて!」「助けて!」「助けて!」・・・とだれに心の内を話したらスッキリ出来るのだろうだれに相談したら道筋がみえるのだろう私の母のこと主人の母のこと山積される悩みは尽きない現実だれかお願い私を助けてだれかお願い私を救ってお願いお願い遺影の父はにこやかにほほ笑んでいる泣いてばかりじゃ始まらない
2012年01月31日
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携帯電話が主となり家電はFAX受信位しか鳴らなくなった。珍しく家電のベルの音急いで出ると母の声・・・父が亡くなってからは心配でこちらから実家に電話し母の声を聞いていたのだが母からかかってくるのは珍しい事「おはよう・・・・」電話の声はか細く何かあった事を推察できた。「どうかしたの?」私の問いに「〇〇・・・」 (私の名)「〇〇・・・」「〇〇・・・」と母は私の名を三回言うと「ごめん・・なんでもない・・」「落ち着いたらまた電話する・・」と言って電話は切れた。父がいない寂しさもあるだろう・・そう思っていた。しばらくしてまた母からの電話ポツリ、ポツリと言葉を選び話し出す母声が震えている。父が亡くなり兄夫婦と母の3人暮らし母と義姉はもともと反りが合わないそんな中での嫁姑のトラブル母曰く・・・兄が家にいないと義姉は母に強く当たると言う。義姉の意地悪な言葉や態度を噛みしめるように涙声で話す母。すぐにでも実家に母を迎えに行きたくなる衝動を必死で押さえた。次から次に心配事は絶えない・・・
2012年01月31日
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何だろう・・・この違和感は・・・胸につかえた塊がなかなか溶けてはくれなくて苦しくて・・・悲しくて・・・切なくて・・・寂しくて・・・気管切開されたチューブから吸引される真っ赤な血痰の色と苦しそうに首を振り痛みに耐える父の顔なぜか?最近はそんな姿だけがよみがえり私の胸を締め付ける父の遺体にしがみつき「私を一人にしないで!」と泣き叫ぶ母に「ひとりじゃないよ・・」と肩を抱き寄せ母の悲しみの深さを思うと私がしっかりしなきゃ・・・と母の傍では気丈に振舞って過ごしていた遺影の父はいつもにこやかに私を見つめいいんだよ・・・ありがとう・・・そんな声さえ聞こえたりするだけど自責の念に駆られて涙が止まらないんだ先日、前職の友人たち私を心配し私の遅れた誕生日を祝うケーキを土産に励ましに我が家に来てくれたありがたい・・・感謝。そう思った前職の思い出話に花が咲き早く仕事を見つけて社会復帰することで元気になる事を友人たちに誓った来週の月曜日には派遣会社の面接と試験のアポも取り今日はハローワークにも行く予定だったのに行動が全く起こせないんだ・・・私を心配してくれる周囲の人達の優しさに答えようと無理やり気持ちを奮い立たせているのだろうか?窓の外は一面の雪景色静かに降り積もる雪を見て父を想い大声で泣き叫んだ家族や友人の前ではもう泣かないから今日はもう少し泣いててもいいですか?遺影の父は黙って微笑んでいる
2012年01月27日
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1月7日の早朝父が永眠しました。私と母の前で眠るように息を引き取りました。実家で13日に葬儀を終え自宅に一昨日戻りましたがまだ、明日も父の病院に出掛けるような気持ちでいます。手厚く看病したのですが後悔だけが残ります。最愛の父の事を思い出しては泣いてばかりいます。「お父さんありがとう・・・」「お父さんごめんね・・・・」そんな思いが交錯し涙が溢れます。父が亡くなりもう10日経ちました。悲しんでばかりも居られませんね。ご心配おかけした皆様に深く御礼申し上げます。
2012年01月17日
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入院して1ヶ月経過しました。 おかげさまで集中治療室から 一般病棟の個室になりました。 酸素マスクも取れ 心電図モニターも取れ 点滴の本数も徐々に減って 重篤な状態からは回復しました。 しかし… 父は誤嚥という症状があり 繰り返し肺炎を起こしてしまい 今は口から食事や水分も 自分の力で摂取できず 経口栄養機能食品を鼻のチューブから 直接胃に入れての食事です。 父は「水が飲みたい!アイスが食べたい」と言いますが 食べさせたいのですが… ガマン、ガマンです 辛いですね。 眠っている時間が多くなっています。 このまま寝たきりになる心配と 痴呆がでていることを感じています。 うるさいくらい話しかけて 色んな話をするようにしています… どうか… 神様… 父の頭の中の消しゴムが 娘の私を消してしまわないように… 毎日、毎日、父の目を見て 心を通わせて話しかけています。 私の願いが届きますように…
2011年11月28日
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「ごめんね・・・」「ごめんね・・・・」すぐに飛んで来なかった事を何度も何度も心の中で謝った。全国大会から帰宅した翌日に留守電に母親からのメッセージ「じいちゃん(父)具合悪いの・・・」「一週間位は寝込んでしまって・・・」「今日、お兄ちゃんと病院に検査に行ったの」再生した母の声は割と明るかったので検査の結果が判ればまたすぐに連絡があるだろう・・と思いこちらからは連絡を入れずにいたんだ・・・昨夜遅く兄からの電話父が救命救急の集中治療室に緊急入院したと言う心配でほとんど眠らずの夜を過ごし翌日、娘と妹で病院にむかった。集中治療室の父の身体には酸素マスクや点滴などのたくさんの管が見え重篤な様子が一目で理解できた。「じいちゃん・・・」そばに駆け寄り手を握った。幼い頃に甘えていつも握っていた大きくて温かい父の手の感触をまだ覚えていた。あの手はどこに消えてしまったの?父は弱弱しくうなずくだけで私も娘も妹も泣きそうになった。それでも渾身の力を振り絞り「じいちゃん○○(娘の名)の花嫁姿を見るまでは死なないから」と父が言うのだその言葉にみんな我慢していた涙が溢れ娘は顔を真っ赤にして号泣した。「お父さんごめんね・・・」年齢だけで人として中身が未熟な私にはあなたの笑顔と叱咤激励まだまだ必要です。あなたの娘としてもう少し成長させてください。ああ・・・神様・・・祈ることしかできない無力な娘です。
2011年10月30日
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全国障害者スポーツ大会 おいでませ山口大会の開会式です いよいよ競技開始です 選手が全力で競技に挑めるように 緊張を解してあげるのが私の役目です ピカピカのメダルと ピカピカの笑顔が見たいから 頑張ってサポートします 応援よろしくお願いいたします
2011年10月22日
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温かみのある優しい顔(表情)の人は無敵である。(敵を作らない)確かな意味は知らないがそんな感じかな?我が家のトイレのドアに貼られた娘が書いた習字の書我が家のトイレのドアには今まで数々の貼り紙がありました。娘の受験シーズンやテスト前は暗記するプリントが貼られたりもします。教育実習前なので…こんな気持ちで望もうと自己啓発をしているのでしょうね頑張れ!頑張れ!貴女の笑顔なら大丈夫だよ
2011年10月15日
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栗の皮剥きに苦戦しましたがなんとか栗ご飯が完成しました。我ながら満足の出来です。家族は美味しいと食べてくれました。西金さんありがとう!
2011年10月11日
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体育の日です。障害者スポーツをたくさんの方に理解してもらおうと市内の体育館でフライングディスクなどを体験してもらう普及活動をしてきました。いつもの参加の顔ぶれとなりましたが楽しいスポーツの汗をかきました。指導員の先輩から思いかけずに栗を頂きました。栗ご飯にしょうと挑戦していますが今は栗を剥くのに苦戦中どうなることやら・・・栗ご飯の簡単な作り方をどなたか伝授して下さい。SOSお願いいたします。
2011年10月10日
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「ストレスが一番良くないの…」妹 少しでも気分転換出来ればと 妹を誘いみちのくよさこい祭へ 震災後の東北の復興を願って 180チームが参加したそうです。 四国チームはバスで17時間もかけ 復興を願う舞を披露してくれました さすが本場のキレのいい舞いに 拍手喝采でした 青森のチームは 「勇気日本 力に変えて 復興東北」 文字の旗をフィニッシュに掲げました 「本当にありがとう」 この被災地が全国のたくさんの方から 応援していただいてる事を感じ 鳥肌が立つ位に感動しました。 どんなに辛いことがあっても 必ず支え応援してくれる人がいるから 頑張れる! 立ち直られる! 宮城は必ず元気になって 戴いた以上にご恩返しをします。 妹も東北の復興と共に元気になれるはず 夕日の中で「待たね」と手を振る妹の笑顔に 妹の一番の応援団長になる事を心に誓った。
2011年10月09日
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私には5歳離れた妹がいます。「お姉ちゃん先に結婚してごめんね」そう言って私より先に20歳で嫁いだ。妹は純白のウエディングドレスに身を包みそれは可愛い花嫁さんだった。ブーケトスでは妹の友達たちが群がる中興味なくしていた私の手に「次はお姉ちゃんが幸せになってね」純白のブーケをトスしてくれた。そんな妹が3年前に離婚した。妹は働かないダメ夫を支えて二人の息子の子育てをしながら身を粉にして働きに働いた。息子の大学入学資金にとコツコツと貯めた学資保険がダメ夫によっていつの間にか解約されてた。その後ダメ夫の多額の借金や女性関係が発覚し妹はボロボロになって離婚した。今は女40歳過ぎて寂しく一人暮らし。昨日胃カメラの検査だった妹。ポリープが3個見つかった。すぐに良性か悪性かの細胞検査の為ポリープは胃粘膜から除去された。ストレスだよ・・あれから泣いてばかりいたもの・・働き続きで疲れたんだね・・・妹の声が携帯から聞こえなくなると涙が溢れた。誰にもぶつけられない怒りに似た感情に絶叫して泣いた。何もできない姉です。妹の今後の人生で幸せになれますように幸多かれと祈るのみです。
2011年10月08日
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今朝、東京出張の主人を駅まで送った。車のフロントガラスの向こうに大きな虹が見えた。「キレイだなぁ~」うっとり見入ってしまい事故でも起こしたら大変と携帯の写メにも収められなかった。ふっとこの虹を見ているかも知れないなぁ?と美しさを共感できる友達の顔が浮かんだ。思い出した懐かしい顔。しばらく会っていないし連絡もとってないや・・・早速、彼女にメールしてみたやっぱり!今朝の大きな虹を見ていたようで同じ虹を見て美しさを遠く離れたところで彼女と共感できていたんだよね!虹の向こうに今すぐ彼女に会いたくなりました。
2011年10月07日
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毎年、我が家の庭から香るきんもくせいの甘い香り何も変わらない晩秋の風景にホッと癒されたり震災のあの恐ろしい日からすっかり変わってしまった風景にグッと締め付けられたり複雑な感情が交錯しています。今も仕事が決まらない焦燥感。何をどのようにしたいんだ?答えを出せない自問自答を繰り返す言い訳ばかりの逃げ口上。上手くいかないことをは震災のせい?誰かや何かのせいにすれば楽になるの?あせらないあせらない・・・。ダメな私に言い聞かせる。そんな時舞い込んだ吉報。今年も全国障害者スポーツ大会に仙台市選手団のコーチとして山口国体に行ける事になった。私にとっては喜ばしいことだったのだが家族にとっては複雑だったよね。娘の試練でもある教育実習期間中に約一週間も家を留守にする母親の私にイライラしてたんだろうね・・。先日、娘と些細な事で喧嘩した。今も胸に残る娘の言葉「仕事もしていないくせに偉そうに!」「ボランティア?社会貢献しているつもり?」もっと罵声に似た汚い言葉があったけどここでは書けません・・・。私の障害のある方たちとのスポーツでの関わりに家族が一番の理解者であると思っていたから悔しくて涙がポロポロとこぼれた。留守中に少しでも不自由がないようにせっせとお掃除をしたりご飯やおかずをを冷凍したりコツコツと家事の準備をしている。私の限界まで選手と共に走って鍛えて強化練習会も頑張ってきたじゃない!私はやはり山口に行きたい!いや行くんだから!娘なら与えられた試練を必ず乗り越えられるはずだ!それが自信とつながるチャンスだから。大丈夫!私のDNAの血が流れる娘だもの。
2011年10月06日
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あの恐ろしい日から今日でやっと半年被災地各地で追悼の式典が行われました私には昨日の事のように鮮明によみがえる記憶絶望のような強烈な感情大声で絶叫したい時々そんな感傷にかられます半年過ぎても何も変わらない被災地激変した生活のストレスは誰に訴えればいいのでしょうね先日、ボランティアで参加した宮城県障害者ボウリング大会で気仙沼の聴覚障害の方が震災時の津波の恐怖を私に手話で懸命に伝えてくれました手話のできる仲間が急いで側に来てくれて手話通訳をしてくれました家が津波で目の前で流され真っ赤な火の海になった夜の事やふかひれの漁師だっだ彼のサメが大漁だと儲かった話などもしてくれた生きている間にもう一度大漁旗の船で漁に出たいんだ…手話で会話を交わせない私にも彼の表情や手話から恐怖や悲しみ辛く切ない感情が伝わりました大会終了時に彼は久し振りに楽しいかったと笑顔で握手をしてくれました1日も早い復興を願うのみです半年という月日は何も癒してはくれていない私が変わらなきゃ何も変わらない・・・頑張らなきゃいけないね
2011年09月11日
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震災後 自粛、自粛の仙台でしたが 復興を願い 例年通りに 七夕祭りが開催されました。 たくさんの方が津波の被害で 大切な家族や家、財産を失いました。 その方たちのご冥福を祈る祭りにもなりました 一日も早く 仙台が 宮城県が 東北が 復興しますように
2011年08月07日
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今年も見事に咲きました。 カサブランカの花 毎年、芳しい香りとともに 堂々と大輪の存在をアピールします。 カサブランカは 私が純白のウェディングドレスで バージョンロードを歩いた日に ブーケとして持っていた花です。 毎年、この花が庭に咲く度に 主人に永遠の愛を誓った初心を 思い出しては 反省したり 胸か熱くなったり いろんな感情を巡らせます。 私はいい嫁さんでしょうか? 初心忘れるべからす…ですね。
2011年08月02日
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プールのテントに 突然のお客様 カブトムシさんですね。 山奥で育った私は 子供のころ 夏休みになると 夢中でつかまえたものです。 誰にもつかまらないで お家にお帰りなさいね。
2011年07月30日
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今日は曇り空 青空とおひさまが隠れています。 プールの救護室での看護師の仕事 怪我人がいないのは何よりですね 看護師の仕事の合間に 浮き輪のレンタルの仕事もて手伝います。 お天気のいい日は 午前で全て貸出される事が多いのですが 今日はこんなに残っています。 お天気次第ですね。
2011年07月29日
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台風のためプールのお仕事はお休みです 暴風警報になり とまとが枝から落とされてしまう前に 食べ頃のものを収穫しました。 見事に成長しています。 愛情をかけて育てた分だけ 美味しくなりました。 愛だね愛。
2011年07月20日
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被災地の海はたくさんの理由から海水浴場で泳ぐことができません。悲しいことてすね。先日から始まった派遣の短期バイトプールでの救護室のお仕事です。海の日の昨日はたくさんの人がプールに泳ぎに来ていました。バイトは思ったより大変でしんどいです。プールでの切り傷や擦り傷の手当てや鼻血や嘔吐が多い中低体温症や熱中症の子どもがいまいた。迷子ちゃんも救護室の担当です。てんてこ舞いの夏のバイトになりそうです。
2011年07月19日
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「明日、お邪魔してもいい?」高校時代からの友達からの電話。彼女は、我が家の冷蔵庫が見えるの?と思うくらい私を助けてくれる救世主。そういえば、震災直後の食糧不足の時もハムや納豆、食パンなど仙台では何時間もスーパーに並ばないと手に入らない食糧を地元で山ほど買って我が家に置いていくのだ。友達とはいえ私は他人なのに・・・私の実の親でもお米一粒でもくれません。普通の人じゃできない行為ですね。ただただ感謝、感謝で頭が下がります。だから、彼女がもし何かあったら一番先に私が飛んでいくつもりでいます。今日も、彼女の自慢の漬物をはじめなす、キュウリ、じゃがいも、大葉、キャベツ、青菜、ねぎ、にら、など彼女の畑でとれた新鮮な野菜を山ほど持ってきてくれました。そして楽しいお話とともに優しい笑顔で風のように帰って行きました。今は、彼女のお気持ちは借りておきます。必ずいつかご恩返しをするつもりです。その日まで感謝の気持ちで彼女とのお付き合いを大切にして行こうと思います。すこし泣ける歌を紹介します。♪ともだちっていいもんだ 作詞/岩谷時子ともだちはいいもんだ 目と目でものが言えるんだ困ったときは力を貸そう 遠慮はいらないいつでもどこでも きみを見てるよ 愛を心に きみと歩こうみんなはひとりのために ひとりはみんなのためにみんなはひとりのために ひとりのためにともだちはいいもんだ 言いたいことが言えるんだ悲しいときは励ましあおう 心はひとつさおとなになっても 忘れはしない 夢を大事にきみと進もうみんなはひとりのために…
2011年07月11日
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本格的な夏到来!女子大生の娘はお年頃。夏のファッションを楽しみたい!しかし、気になるのが体型。ウエストのくびれ二の腕のたるみ脚・太ももの太さそこで・・・ダイエットを始めました。食事の量を減らして空腹のストレスを感じてはダイエットは続きませんね。カロリーを制限した食事をしっかり食べて運動して痩せる!それが基本ですね。 昨夜の夕食です。☆鶏のささみのグリル☆きのこのサラダ ☆鶏のささみは塩コショウをして魚焼グリルで焼きゆでたきのことねぎをのせポン酢でいただきました ☆きのこのサラダはレタスやキュウリの上にノンオイルでソーセージをソテーしソーセージから出たうまみ油できのこを塩コショウでソテーしてのせたものお好みのドレッシングで召し上がれ!食物繊維が豊富で高タンパクオイル制限でカロリーダウンあとはTVを見ながらのながら体操やお風呂に入る前に簡単なストレッチをするだけ。さて・・・理想のボディができるかな?ダイエットの成果はまたブログで紹介しますね!!
2011年07月05日
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震災直後から指導員仲間と始めた避難所ボランティアも一旦6月末で終了した。私の仕事(短期アルバイト)が7月中句から8月末までの決まったからだ。被災された方々の心身面の支援と障害の予防という観点において障害者スポーツを活用しての活動だった。市内の避難所で生活されている方に気分転換とストレス解消を目的にボッチャやフライングディスクなどを体験してもらう障害者スポーツの普及活動。私たちが週に2回来ることを楽しみにしてくださっていました。 ボッチャです。http://www.boccia.gr.jp/whats-boccia.html ルールが簡単な競技なので、避難所の高齢者の方に大人気でボッチャ大会の個人戦も行い白熱した試合に盛り上がりました。 フライングディスクです。http://homepage1.nifty.com/jffd/ これはディスクゲッターで一人10枚のディスクで何枚打ち抜く事が出来るか?こどもたちに人気でした。他に野球やサッカーなどもしてこどもたちのストレス解消に役立ちました。避難所の高齢者の方と子供たちが一緒になって楽しめるのも障害者スポーツの利点です。障害のあるなしだけでなく年齢、性別、国境も超えて全ての方を笑顔にする力があります。 私たちの避難所の子供たちへの活動に支援をいただきベガルタ仙台のアンバサダーの平瀬智行さんが子供たちを勇気づけようとサッカー教室を行いました。平瀬さんは震災後県内の被災地の小学校や避難所を訪問しサッカーを通じて子供たちの心のケアの活動を続けています。復興後の日本の未来を担うこの子供たちが安全で幸せに暮らせる国でありますように祈ります。「スポーツの力は素晴らしい!」今後も私たちの活動は避難所や仮設住宅でも被災されたすべての方のこころの復興まで続く予定です。
2011年07月04日
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私の住む東北地方は梅雨入りした。地震により崩落した土地が梅雨の長雨により土砂崩れの恐れがある。警戒でパトカーの赤いランプが震災のあの日の恐ろしい画像がよみがり心の奥を締め付ける。震災から100日。今もなおブルーシートで保護した屋根。ひび割れや崩落したままの家の外壁。地割れの歩道やゆがんだ道路。周囲の風景は100日過ぎても変わらない。義捐金や支援金の制度を利用しなければ修理できない方がたくさんいる。政策の震災対応の遅れから給付にはまだまだ時間を要するようだ。いつになったら復興するんだろう・・・日本の政治に怒りを感じる。いまだに続く余震・・原発問題。不安と恐怖の中で時間だけが経過している。そんな中で日々、成長し続けている私のプランター菜園の生命力には驚きます。 黄色い星型の花のプチトマトの花がブドウの房のように実をつけました。 トマトも青い実が数個実をつけました。これから真夏の太陽の日差しを浴びて真っ赤に実を成長させる事でしょう。美味しいトマトになってくれるでしょう収穫が楽しみです。トマトの成長のようにあっという間に復興するといいのになぁ。
2011年06月26日
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昨日は台風一過でした。仙台では震災後の二次災害であちこちで土砂崩れや冠水。消防車の音が絶え間なく響いていました。3/11のあの日がよみがえり私は体調がすぐれませんでした。 台風の中 折れずに咲き続けた深紅の大輪のバラです。強風と雷雨の中どこか誇らしげです。雨ニモマケズ風ニモマケズ・・・負けないで頑張る生きる強さを感じました。 雨上がりの我が家の庭に可愛いお客様がいらっしゃいました。ヤマガラです。(野鳥図鑑で調べました)うちの愛犬のクッションの上で何やらついばんでいましたよ。 くちばしいっぱいに咥えているのはクッションにくっついた犬の毛です。産卵の時期なのでしょうね。綿毛のように巣に持ち帰りふかふかのベッドにするのかな?すぐ側に犬が寝ているのに・・・命を継ぐ親鳥の強さを感じました。我が家の犬の抜け毛も新しい命の誕生に役立つんだね。なんだか温かい気持ちになりました。 台風一過の日差しの中トマトの苗が花を咲かせていました。黄色い星型の花なんですね。スターがいっぱい!!みんな実をつけて美味しい果実になってくださいね。生きるものすべての強さを感じ元気をもらいました。私も もう少し頑張らなきゃね!!
2011年06月01日
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震災直後は野菜が買えなくてとても苦労しました。それを教訓にして今年はプランターでの家庭菜園に挑戦しています。そこで4月上旬にプランターにさやえんどうの種を蒔きました。 さやえんどうの花です。スイートピーと同種なので見事な花が咲きますね。品種によって赤と白の花があります。 花が枯れ落ち一週間でこんなに柔らかそうな絹さやが実ります。煮物の彩りにしましょう。収穫の喜びですね。 こちらは深めの植木鉢に植えたプチトマトの苗です。夏には鈴なりの?プチトマトを想像してせっせと水やりをしています。手をかけた分だけの成長があるから毎日の観察が楽しいですね。広いお庭があればなぁ・・・たくさんの野菜を育ててみたい。
2011年05月17日
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先週の母の日は最悪だった。娘の態度に腹を立てた私。些細な事なのにひとつ言い・・ふたつ言い・・・言い争いをした。結局、娘は母の日の夜「飲み会」とか?で出かけた。そんな娘が今日「先週渡すつもりだったんだけど・・・」「一週間遅れですが・・・」と照れながら母の日のプレゼント。 キティラーの私に母の日キティ。キティが優しくカーネーションを持っています。 私の大会遠征用のリュックに付けました。このリュックを背負い今年も山口県である全国大会に行ける事を願いました。娘の気持ちに「ありがとう」
2011年05月15日
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娘の大学も震災の建物被害の為今日から一カ月遅れで始まった。「ゴールデンウイークには働きたい!」仕事に就く目標をGWまでとしていた私。あせるばかり・・・少しへこたれている。仕事に就けない=収入がない現実逃避してしまいそうだ。避難所の子供たちと高齢者の方へのリクリエーションのボランティアも週2日と楽しみにしている。今、無理しないで私にできることを頑張ろう!と言い聞かせている。そのうち仕事も見つかるさ!きっと必要とされている場所があるそう信じて・・・震災で建物被害があった近所のショッピングタウンがGWに合わせて再開した。お散歩のついでに寄ってみたらすごい人・人・人・・・・ここもいよいよ始まったんだね各店舗も働く人も活気に満ちてこの辺で働きたかったなぁ~。焼きたてのパンを購入。ここのパンは絶品!!だけどお値段が少し高めなので私にはささやかな幸せ。幸せを噛みしめて?あせらずゆっくり行きたいものです。周囲が復興へと動き出している。私も早く始まりたい・・・。
2011年05月07日
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仙台の桜です。青い空と満開の桜にみんなが上を見上げています。どうぞこのままみんなが上を向いて歩けますように。
2011年04月17日
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喪失感による不安を自分でつくりあげがんじがらめの感情を解消してからは足かせがとれたかのような自由な気分になった。前を見つめて一歩でも歩き出すと不思議と前向きな事が舞い込んで来る。スポーツ指導員仲間からの誘いのメール。「行政の指示を待っててはいられない 避難所の子どもたちと遊んで来ませんか?」先日、市内の避難所の子供たちと遊んで来た。笑顔の子供たち瞳の奥には計り知れない悲しみがあるだろう。「あのね、お兄ちゃんのゲームも流されたんだよ」「私はおじいちゃんに買ってもらったピアノ流された」「今日も給食がパンと牛乳だけだったんだ!」(給食センターが崩壊しているため)「この避難所来たら○○小学校のお友達も出来たんだ!」(○○小学校は避難所近くの被害の少ない小学校)聞いてもらいたいたくさんの気持ちを私に言葉にして信号を送る「怖かったんだ!」「悲しかったんだ!」「悔しかったんだ!」「淋しかったんだ!」一瞬にして家や家族を津波で流され今、段ボール一枚の壁で仕切られた避難所で何もかもを我慢して暮らしている。そんな子どもたちのストレス解消にと仲間と始めたボランティアだが私の方が避難所の子どもたちにたくさんの笑顔をもらい勇気付けられた。「あぁ~楽しかった!」「今度はいつ来てくれるの?」自分自身が忘れかけていた無償の笑顔を与えてくれる。人の笑顔って温かい・・・・。それをあらためて私に教えてくれた避難所の子どもたちに感謝した。あの瞳の奥にある悲しい出来事を乗り越えてこれからの日本を創造るのは君たちだ!心からのエールを君たちに送ろう!!「がんばれ!!」
2011年04月16日
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携帯電話が異常音を高く鳴らしエリアメールで緊急地震速報を知らせる。昨日、夕方5時過ぎ家族の帰宅を待ち台所で夕飯の準備をしていた時だ。興奮した心臓のドキドキ音と一緒にガタガタと音を立てて揺れはじめる。食器棚を両手で押さえながらあの暗闇の夜の日がよみがえる「お願いだから!もうやめて!」大声で叫んだ。ひとりで居る時の強い地震の恐怖。得体のしれない悪魔に襲われたかのように私は完全に取り乱していた。私は地震がおさまったことさえ気づかずに狂ったように食器棚を押さえ続けていた。全身の力が抜けその場に座り込み過呼吸になりそうなくらいいつまでも大声で叫び泣いていた。せき止めていたダムが決壊したようにたくさんの感情が一気に堰を切って溢れ出した。職場の天井が目の前で落ち崩壊したあの日。命からがら逃げ出した。ライフラインが途絶えた生活の日々。毎日会っていた職場の仲間との別れ。突然の解雇・・・失業・・。住宅ローン・娘の私大の学費・義母のわがまま。これからの生活に不安を感じ怯えていた。「失業手当をもらえばいいんじゃないの!」「返さなくてもいい奨学金をもらったら?」失業手当や奨学金の何も知らない人の軽率な言葉。「あら!まだ家にいるの?」「今からはゼネコンだよ!棒振りでもしたら?」悪気はない人たちと知ってても何気なく傷口に塩を塗るかのような心ない言葉に傷ついていた。他人事だから仕方ない・・・そう思う思えるようになった。昨日、大声で泣いたからスッキリした。今朝は爽やかな青空だったのでハローワークに仕事探しに自転車でGO!!震災で建物に被害があって閉鎖中にガッカリ。しかし帰りに大型ショッピング店の入り口でフリーペーパーの求人情報誌をゲットできた。ラッキー!!ウジウジしててもしょうがない!新卒者の若者でさえ内定取消しの現実に絶望し自分の年齢のせいにして尻込みしていた。アラフィフからの新たなるチャレンジをしようではないか!!私はもう泣かない!!
2011年04月12日
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カラフルな春色の季節なのに景色は灰色のファインダーを通して見える。桜の花の蕾も堂々と咲くことが申し訳なさそうに膨らんでいるかのようだ。お花見の準備でにぎわうはずの名所もどこか寂しげで閑散とした空気を感じる。美しいものを美しいと感じ楽しいことを楽しいと感じるそんな感情までも失くしそうだ。忘れもしないあの震災の夜のことを・・・。停電で真っ暗闇の夜ラジオから聞こえる情報に動揺し恐怖と不安で身体を震わせ涙を流した。余震の強さにあわてて外に飛び出した深夜ふと夜空を見上げると満点の星空。その美しさが悔しくも心に染みた。「この地球上で起きた惨劇を知らず 夜空の星はこんなに輝いている」「どうなってしまうんだろう・・・」「この世にやはり神様はいない・・・」星空に嘆き悲しんだ凍える寒さの夜。あれから例年の3月には降るはずのない冷たい雪が3度も降った。底冷えのする体育館での避難所生活の方々を思うと非情な季節のいたずらを恨んだりもした。着実に月日が経過し季節は巡るのに心は職場が崩壊したあの日から止まったままだ。朝からバタバタと大きな音を立て上空を何機も行き来するヘリコプターの音。「頑張ろう!」「頑張らければ!」心を強く奮い立たせようとすればするほど心が萎える。「がんばれ!」の四文字の言葉がこんなに重い言葉だなんて知らなかった。震災から1カ月。私の指の骨折も完治しているだろう。怪我を理由に甘んじてはいられない。現実を見つめた次の一歩が踏み出せない。再就職先を探さなければ・・・いやボランティアに行くべきだろう・・義母の要望の答えを探しに行くべき?心の葛藤の先に見え隠れする本音。私はやはりダメなやつだと思う。
2011年04月11日
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神様は同じ試練を二度も与えるのか? 昨夜、11時30頃 震度6強の地震。 ライフラインが復旧したばかりなのに・・・ また、眠れぬ夜を過ごしました。 もうこれ以上悲しい思いはしたくない。 みなさんのご無事をお祈りしています。
2011年04月08日
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たくさんの方のご支援と応援により市内のライフラインはかなり復旧した。ガソリン給油待ちの車が数キロに渋滞スーパーでの買い物に行列そんな光景も見られなくなり少しずつ復興に近づいている。街は元の姿を取り戻して行くのに骨折している事を理由にして災害ボランティアにも行こうとしない私私は一体何をしているんだ…苦悩する失職した事をくよくよしていた私に指導員仲間がボランティアをしよう!!「一緒にやらないか?」のメール避難所の子どもたちや高齢者の方にストレス解消とエコノミー症候群予防のためのリズム体操やフライングディスク等をしてリラックスして楽しんでもらいたい!早速、昨日彼と2人でその手続きに奮闘。市役所、区役所、災害ボランティアセンターと行政の縦割り?担当者?とかで事が進まないまずはやろうとしている内容を説明したが「避難者から要望があれば…」との回答アクションを起こさなければ始まらない市内でたくさんの方がいる避難所に直接行ってみたそこはテレピで報道されている光景と一緒だった私に出来ることをやろう。涙がとまらなかった。
2011年04月05日
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左小指中節骨骨折・・・。震災時、職場から外に夢中で逃げる際にどこに強打したのか?覚えていない。突き指したと思った小指はその夜親指ほどの太さに腫れて紫色に内出血を起こしていた。小指が心臓になったかのような脈打つ強い痛みに襲われた。震災直後から何日も停電し仙台の街は真っ暗だった。診察してもらえる病院はどこもなかった。震災一週間後にやっと近所の総合病院で診察してもらった。レントゲンではっきり骨折と判った。そこから、本社の方の気遣いで労災扱いで診察できる書類をいただいた。家族に、特に娘には家事等で迷惑をかけるがまずは治療に専念しよう・・・そう思っていた。なのに・・・突然、会社からパート社員全員解雇の通知。職場が震災で壊滅したからだ。明日4月1日からは無職となる。仕方ない・・・。のか?娘の私大の学費や住宅ローンなどこれからの生活に不安がよぎる。大津波で一瞬にして家族や家を失った海岸沿いの被災者に比べたら・・・何より私はこうして生きている。命あることに感謝しよう。こらからの頑張り次第で何とかなる。私は負けない。
2011年03月31日
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突然ガタガタと音を立て横に揺れ出した。「地震だ!」そう感じた瞬間に立ってはいられなくなり…職場のレジカウンターにしがみついた。ゴーっ地鳴りでどんどん揺れが激しくなり下から突き上げるような縦揺れになった。商品がバタバタと音をたてて棚から落下し窓ガラスが割れる音がしたと思った瞬間に店内の天井が目の前で落ちてきた。「死ぬ!」と思った。死の恐怖で身体が硬直して逃げる事も出来ない。幸いにもパニックの私に声をかけ非常口に速やかに誘導してくれた男性社員のおかげで無我夢中で外に逃げ出す事ができた。恐怖と興奮して身体の震えが止まらなかった。ただの地震じゃない!家族の安否が気になった。携帯で連絡をとろうとしたがつながらない。店長から帰宅の了承をもらい家路へと急いだ。震災で停電になったため信号が消えた道路は交差点で互いに道を譲りながらの進行で途中地割れや隆起で寸断した道路は避難する車で渋滞した。いつもなら20分の距離が二時間かかって帰宅し娘と家の無事の安堵感に全身の力が抜けその場に座り込んだ。ラジオから地震と津波の被害を知る。現実じゃない?いや現実だ!海岸沿いの街が一瞬に大津波にのみ込まれ家や建物や車が流されている?200人から300人の遺体が海に浮いている?信じられない…海岸沿いにすむ友人・知人顔が次々と浮かぶ「大丈夫だろうか?・・・」手を合わせ無事を神様にお祈りしながら大声を出して泣いた。何度も強い揺れの余震が続く中恐怖と不安でろうそくの炎を見つめたくさんの方の無事を祈り心配していた。すぐに飛び出せるようにジャージを着こんで家族3人同じ布団にくるまり眠れない夜を何日も過ごした。あの恐ろしい震災から今日で20日。やっと文章で気持ちを吐き出すことができた。記憶を記録として残しておきたかった。東日本大震災でたくさんの方が亡くなり未だに行方不明の方がたくさんいます。 死者 11,000人以上 行方不明者 17,000人以上 県内避難者数79,000人以上(避難所588か所)震災で亡くなった方のご冥福と未だに行方不明者の方の無事をお祈りします。大津波で一瞬にして目の前で家族や家をなくされ避難所生活をされている方がたくさんいます。どうか心身ともに元気でいてください。そして1日も早い復興を願い世界中・日本中の方の温かいご支援ご協力に心から感謝いたしいます。
2011年03月30日
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私の住む区は比較的被害が少なく仙台市内でも早くから電気や水道が復旧しましたがここから数キロ離れた海岸沿いの区はがれきの山でライフラインは復旧していません。体育館などの公共施設で避難所生活です。底冷えのする体育館はさぞかし寒かろう・・・私は複雑な思いで胸が苦しくなります。おかげさまで昨日夕方、ガスが復旧しました。仙台市のガスの復旧に向けて東京ガスの職員の方が200名以上大阪ガスの職員の方は870名の方が道路に埋設されているガス管の修繕や各家庭のガス管やガス器具の確認作業にご尽力をいただいていると聞きました。夕方、我が家を訪問してくださったのが大阪ガスの職員の方でした。「遠くからありがとう」感謝の言葉とともに涙があふれました。震災から17日ぶりのお風呂。たくさんの方のお力による復旧に心から感謝しながらの入浴。これからの生活の不安に後ろ向きになっていた私の心の垢も体の汚れとともにキレイに流され心も体もポカポカに温まりました。日本はこうして温かい人のつながりがまだまだある事を実感させられもう、泣いてばかりもいられないこれからの未来に向けて再生へ心ひとつにがんばろう今日も。
2011年03月27日
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一体、何から伝えればいいのだろう。伝えたいことはたくさんあるこらから少しずつ気持ちを整理して少しずつお伝えしたいと思います。3月11日の東日本大震災で私の住む仙台市は壊滅状態です。たくさんの方が亡くなりたくさんの方が未だに行方不明です。たくさんんの方から安否確認のご連絡をいただき大変ご心配をおかけしました。私は左手小指を骨折をしてしまいましたが家も被害は少なく家族全員無事です。いち早くこの事をブログでお伝えしたかったのですかライフラインが復旧していなかった(ガスはまだでお風呂入っていません)電気はいち早く復旧しておりましたが避難所生活の方への電力の優先のため節電。友人の家が目の前で津波で流されご両親が行方不明であったためにとてもパソコンの前に座りブログを更新する気持ちにはなれませんでした。泣いてばかりもいられません。不自由な生活はまだまだ続きますが一日も早く笑顔になれるようにみんなで力をあわせて頑張ります。応援してくださいね!
2011年03月27日
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先日のことですうっかり主人の誕生日を忘れていましたダメ嫁の私はパニックでした正直に「忘れてました」と謝りいつも通りの夕飯にしようかと思いましたが冷蔵庫の中身と相談して近所のスーパーに駆け込み急ピッチでバースデイ料理にチャレンジ!出来上がったのがこちらの料理 メインはちらしずしの素を混ぜ「おめでとう」の文字を海苔で張り付けたちらしずしのケーキ主人が大好物な大量のポテトサラダなどなど・・・なんとか主人の帰宅まで間に合いました バースデイケーキの手配が出来なかったので近所のケーキ屋さんでゲットしたロールケーキ(これしか残ってなかった)バースデイと昇格祝いのダブルのお祝いにしました昇格して責任のある役職に着かせていただきましたがあまり無理をしないでお仕事頑張ってくださいね
2011年03月05日
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♪今日は楽しいひな祭り♪ひな人形を早く片付けないと娘がお嫁に行き遅れる・・・と言いますが・・3月3日のひな祭りが過ぎたらいつ?片付けるのが正式な作法なの?年頃の娘がいるのであす4日に頑張って片付けます。
2011年03月03日
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♪お酒は温めの燗がいい肴は炙った烏賊でいい♪という訳で・・・今夜は日本酒(どんな訳だい!?)肴はふきのとうの天ぷらほろ苦い春の香りが最高に日本酒に合います「飲まなきゃやってられない!」とヤケ酒を飲んだ夜もありましたが酔うために飲むお酒は美味しくありませんし酔って愚痴をこぼしても現実は何も変わらないのです今夜のお酒は美酒です美女が独りさびしく舌鼓どなたかご一緒しませんか?
2011年03月02日
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みんな おなじ 生きているからひとりがひとつずつ大切ないのちPS・・・久々のブログ更新です。いろいろありすぎてジェットコースターに乗ってるような波乱万丈の人生です。 おかげさまで幸か不幸か?それも楽しめるゆとりの心も生まれました。これからは元気で楽しいブログを更新します!
2011年02月24日
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庭のきんもくせいの香りに癒されています気がつけば秋ですね。ブログ更新もご無沙汰しておりました。私の体調の悪さから陰の気を招いていたようです。父の持病の心臓病が悪化して入院。母親と義姉(兄の嫁)との嫁姑トラブル。亡くなった叔父の遺産相続問題。妹の離婚後の元ダンとのゴタゴタ続き。次々と悲しい事ばかりが起こりました。なぜかすべて私に降りかかり体調の悪さもあり絶不調な日々暗く長いトンネルを歩いているようでした。歩くことを止めたら迷いそうで・・もっと悪い事が起こりそうで・・・かすかに見える出口の光を目指し懸命に歩き続けました。どんな道も歩かなければ道は開けない!それが暗く、遠く、長い坂道に思えても心を定め休まず歩き続ければ必ず新たな道も運も開けますね。先月、正式に市からの依頼があり全国障害者スポーツ大会にコーチとして23日からの千葉大会に参加が決定しました。強化練習会を始め障害のある選手とのコミュニケーションを取りながらやりがいのある充実感のある道を昨年同様に笑顔で歩いています。青空に輝く太陽のように、ニコニコ笑顔のあたたかいおひさまでありたい私。 そう・・・忘れていたねどんな時でもニコニコ笑顔で温かい存在でいたい。
2010年10月13日
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先日、29度に気温が上がったのに今日は、最高気温16度と肌寒い日です。体調管理をしっかりしないと心身ともにおかしくなりそうです。私は今心のバランスを少し崩しています。「それは更年期のうつだね・・・」と友達は言いますが。そのうちすっきり晴れるでしょう。今から仕事に出かけます。今日も一日頑張りましょう!!
2010年05月26日
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人生の歩き方は人それぞれです。自分自身では歩く道を選べない事もあります。自分自身では歩く方向さえ選べない時もあります。私が歩いてきた道。主人と結婚した20代後半から30代のすべては自分の歩きたい道じゃない道をがむしゃらに歩いて来ました。もちろん自分で納得して歩いたつもりです。その経験を生かして今の40代の道を自分の選択で選んだ道を歩いています。もう負けない・・・もう惑わせられない・・私の道は私の足で一歩・一歩納得して歩くんだ!誰かのための犠牲はもう嫌だ!我ままに生きるのではなく自分の気持ちも表現できるように自分らしく生きたい青空と私雲ひとつない晴れやかな気持ちでおひさまのように温かい存在であるようにいつもニコニコ笑っていたい。
2010年05月25日
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私の嫌いな名前 まさこ主人のお母さんの名前そして主人が浮気した相手の名前ごめんなさい毒・・・吐いて皇太子妃殿下の名前も一緒ですがごめんなさいこんな毒を吐きたくなる日もあるんですごめんなさい
2010年05月23日
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