ダイアモンド・ダスト

ダイアモンド・ダスト

Jan 6, 2015
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この正月は
読書正月だった。

年末本屋で買い漁った本を
片っ端から 読む!読む!読む!


お勧め本は

『自分を信じて生きる インディアンの方法』松木 正著 小学館 と

苫米地英人さんの著書


犬とちゃんと向き合って
お互いに敬愛と言う関係性の中で暮らすには


「自分を信じて生きる インディアンの方法」には
自分と異なる存在に
敬意を払って生きる生き方というのが書かれていて
白黒つけたがる誰かさんというのが
結局自己中とか我欲の塊でしかなく
自分自身を見つめるよりも
他者を悪者にして自分を納得させているだけじゃないの?と感じる。

自己の感情をコントロールできない未熟さを
優しさと勘違い。

そういう偽善者にあふれてしまって、
あたかもそれが動物愛護ということになっていたりする。


ちょっとうまく行かないと
犬が悪者だったり
ブリーダーが悪者だったり、
酪農家が悪者だったりする。

自分は悪くなくて


そういう生き方が普通に成ってしまっている。

動物や植物を守りなさい。。。と言われてみて
初めてハタと考えた。

畑を荒らすモグラやカラスは害獣。

家を荒らすネズミは殺してよい。

だけど犬や猫は愛護動物だから食べちゃダメ!って
犬を食する文化を持つ国を
野蛮と評する。

でもこの国の人間は魚をよく食べていて。。。

動物は感情が有るから食べちゃ可哀相?

なら、魚はどうなのよ?!

http://youtu.be/2vqxe3ecbXw

動物を食べるのは残酷!って
ベジタリアンになる人も多いけど
植物だって優しい声や褒め言葉をかけて育てると
育ちが良いとかって言うでしょ?

それは感情があるとかっていうことではなくて
声をかけている人が発している周波数による影響なのかもしれないけれど
魚でさえあれだけ感情があることを思えば
もしかしたら植物の成長の違いだって
感情なのかもしれない。。。

そんな風に考え出すと
善いことと悪いことってのは
何が基準なのかなって解らなくなるよね。

結局、ことの白黒つけているのは
自分の都合でしかないってことでしょ。

自分にとって嫌だから。。。

自分にとって不都合だから。。。


そんな風に白黒つけたがる気持ち。

他者に自分の感情や都合を押し付ける我侭さ。

愛護精神を声高に謳うのは
結局闘争心の裏返しなんじゃないのかな?

自分と他人との線引きを明確にしないで居られない
自意識過剰なんじゃないのかな?

愛護の精神なんてのは
自分の中で育むものであって
他人に押し付けたり
他者から押し付けられたりするようなことではないと思う。


他者に自分の感情や都合を押し付ける我侭さ。

それがお互いを否定する心に繋がって
戦争は起きるんじゃないかと思う。

犬と上手く暮らせないと
悪いのは犬で
自分ではない。

本当にそうだろうか?

畑を荒らす害獣だって
必死に生きているんだ。

一見無感情に見える魚だって
ちゃんと感情や複雑な思考を持っている。

自らの命を支えるために
最低限の量を感謝を持っていただく。

他者のやっていることに
いちいち目くじら立てたり
白黒つけて自分を持ち上げようとしない。

たったコレだけのことすら
出来ないのは
未熟だからなんじゃないかと。。。












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Last updated  Jan 6, 2015 07:16:02 AM
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