ダイアモンド・ダスト

ダイアモンド・ダスト

Jun 30, 2015
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「あなたに私の気持ちは解らない!」と言ったことがある。

言った本人は不幸のどん底だから
自分のことしか考えられない状態にあるのは明白なのだけど
その言葉を耳にした瞬間
頭の中に面白い考えが浮かんだのだった!

こいつ、自分の不幸を
他の人にも味合わせたいんだろうか?

私は自分が感じた不幸と同じ不幸を


相手が感じている思いを理解するためには
同じことを経験するしかない。

そうでなければ
それはただの想像でしかなく
想像した感覚なんていうものは
実際に体験した感覚には
遠く及ばないものだ。

自分が味わっている不幸を
相手に理解させたいというなら
相手にも同じことを経験してもらうしかない。

自分がこれまで味わってきた苦しみは

誰も理解できないし
理解していないのに
わかった風なお説教しか帰ってこないことで
体験したものにしか解らないというのを
既に知っていた。




自分が経験した不幸を
お前も経験してみろ!といってしまうのと同義。


ということを悟ったのが
もう随分前
お年頃の頃には既に悟っていたから
オバサンと呼ばれる年になっても
まだ「あなたに私の気持ちは解らない!」とのたまっているこの人は
これまでそうした大きな苦しみを経験することなく済んできたって言うことなんだなぁ。。。と
羨ましくさえ感じたものだった。

今、何故だかわからないが
これまで自分が味わってきた苦しみを
自分に与えてきた人たちが味わうことが増えていて
子供だったころの自分が感じた苦しみを
周りの高齢者が味わっていたりする。

人生経験の多さから考えて
子供だった自分が体験したときより
今高齢である人たちが経験していることのほうが
同じ内容であっても
刺激としてはずっと軽微だろうなと思うのだが
それでもかなりのショックがあるらしいことは様子から伺える。

見方を変えれば
子供でありながら
80過ぎの人が経験する苦しみを経験してきたということだから
そんな苦しみを
どう説明しても
誰も理解できなくて当たり前。

心に受けた苦しみは
脳機能にまで損傷を与え
心の苦しみだけでなく
身体の不具合にも苦しんできた。

そんなものを理解できるのは
同じことを経験してきた人だけだ。

こんな苦しみや悲しみを
同じだけ味わう人がいたら
それこそ可哀想過ぎてやりきれない。

だから周りが自分を理解できないというのは
むしろ喜ばしいことなんだと思うようになっていた。

ただそれは勘弁してくれ!と思うのは
理解できていないことを自覚できない人たちが
偉そうに批判してきたり
説教をぶってくることだ!

それらは苦しんでいるこちらにすれば
自分が抱えている苦しみの上に
さらに別の不要な心の負担を課せられるようなものだ。

こちらが一方的に負わされる負担。

わかりもしないでよく言ってくれるよ!と思いながら
解っていないからいえること!

じゃあ、解るの必要な体験をさせたいかって言うと
そんな苦しみは知らない方が良いと思う。

そうやって生きてきたところに
苦しみを自分に与えてきた人が
同じその苦しみを味わうことに成ってきているのを目にする機会が増えてきた今
私が何を感じているかというと
その人が、その苦しみを理解できるようになったからといって
自分の苦しみや悲しみ、破壊された身体の機能が
解消したり回復するわけではなく
自分が体験した苦悩を
その人が経験しているのを目にして
またまた追体験してしまうという
嫌なことにしかなっていないということだ。

「あなたには私の気持ちは解らない!」と言った彼女。

解ったからって
だから何があるの?

解ってもらえたら
あなたの不幸が消えるのかい?

それは貴方の不幸を理解してくれた人に肩代わりさせるっていうことかい?

って
嫌な経験を追体験してしまった最近
彼女の言葉を思い出している。






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Last updated  Jul 1, 2015 04:56:20 AM
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