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2006/10/17
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テーマ: ニュース(95851)
カテゴリ: カテゴリ未分類
きょうは、各紙社説が、代理出産の問題を扱っています。


日本では何のルールも設けず、産婦人科学会では禁止しているそうですが法的拘束力のあるものではなく、原則自由になっているというところが、現代の日本人がいかにDNAにこだわっているか、科学的なことにこだわっているか、ということだと思います。
女系天皇を認めるかどうか、という論議のときにも、DNAがどうのこうのと、天照大神もビックリの論理を持ち出す右翼系学者がいました。

子どもの養育の観点から言えば、養子縁組をすればすむことなので、親のない子は認めない、保護者のいない子は認めない、というくらいのルールがあれば良いはずなのに、日本人は、こういう特異な問題で、どうして誰が親か、ということにこだわるのでしょうか?
と言うのは、日本は、離婚した場合に、民法766条で、親権をもった側の親にだけ、養育を認めるようになっていて、たとえDNAがつながっていようとも、我が子をどんなに深く愛して養育への強い意図を持っていようとも、養育していない親が子どもの養育に関わることを法的には全く認めない、ことになっているからです。
日本では、離婚してしまうと、その子どもはもう一人の実の親から養育費をもらえないのが普通だし、家庭裁判所で、親権を持たない側の親が我が子に会いたいと訴えても、子どもと会わないことが子どもの福祉に寄与する、というデタラメ審決が平気で出ます。
かたやDNAへの異常なこだわり、かたやDNAの完全無視、で、日本人のものの考え方が矛盾しています。

日本には宗教的理由で代理出産を禁止する理由はないと思うので、日本人は代理出産には比較的寛容だと思いますが、生まれてきた子どもにとっては、そのおなかから出てきた人が母親で、自分を愛してくれる人の数だけ親がいる、というのでいけないのでしょうか?

代理出産し、おなかを提供しただけの人は「母親」ではない、とか、あるいは、卵子を提供しただけの女性は「母親」ではない、とか、離婚してしまったら「父親」ではない、とか、どうしてそういう制限をつける必要があるのでしょうか?
どうしても、我が娘の顔を見たくて、九州まで出向いて離れて暮らす娘を連れてきてしまった元裁判官の弁護士を、ことしの3月27日に、日本の法律は懲役3年の犯罪者にしました。
日本では、実の我が子を愛することが犯罪なのです。

代理出産の問題も、私は、とりあえず出産した人を法的な母親として、子どもは養子縁組をすればよく、その子どもの養育の意思をもつ人には親としての資格を認める、というように、民法766条を直せば良いと思います。




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最終更新日  2006/10/17 10:32:54 AM


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