aaa

2007/09/26
XML
テーマ: ニュース(95833)
カテゴリ: 科学の話題
纏向遺跡から木製の仮面が出土したというニュースが出ていますが、一部報道では、邪馬台国と同時代のものと見られることから、邪馬台国畿内説を補強するものと言いたげです( こちら

なぜ、マスコミが、そうまでして邪馬台国を奈良盆地に持ってきたいのか、理由がよくわかりませんが、この仮面、NHKニュースの映像を見た方はどう思われたでしょうか?
考古学の第一人者の先生が、「くわの形をしていたものを仮面に作り直していることから、農耕に関係する祭りで使われたと考えられる。邪馬台国の有力な候補地の一つでどんな祭りが行われていたのか考えるうえで、たいへん興味深い」と、お話しされているそうですが、私は、また、あの藤村捏造事件を思い出してしまいます。

鍬の柄をはずしたものを仮面にしたようなものだそうですが、これが本当に祭祀用の道具なんでしょうかねえ?
歴史の先生は、何でも、祭祀に使われたのだ、と、言っておけば安心だと思っているのかも知れませんが、中世の手の込んだ能面などと比べてあまりにちゃちで、そんなに考古学的価値のあるものなんでしょうか?
あれ、鍬が壊れてしまった、ということで、子どもを喜ばせるために、ちょっと、目の穴を開けて鼻の形を作ってみた、という程度のものではないでしょうか?
これしきのもので、邪馬台国がどこにあったか、と、言えるようなものなのでしょうか?
私は、卑弥呼が魏からもらった百枚の鏡と親魏倭王の金印が出土した地点が、卑弥呼の墓であり、邪馬台国の王都だと思います。


もし、この仮面が本当に重要な農耕祭祀の道具であったのだとするのなら、これで、邪馬台国畿内説は破綻したと言って良いと思います。

魏志倭人伝のどこを読んでも、樫の木で作った木製の仮面を使う祭祀をしていた、という記述はありません。
詳細に当時の邪馬台国の文化を紹介している魏志倭人伝の記述にそぐわない遺物が出土してしまった以上、纏向遺跡は、邪馬台国ではあり得ない、ということです。
魏志倭人伝によれば、当時の邪馬台国は、明らかに漁労中心の文化です。
今回の仮面にも、魏志倭人伝が伝える鯨面文身の風情は全く見られません。
奈良盆地では、魏志倭人伝の書く邪馬台国の地誌と違いすぎるのです。

やはり、邪馬台国は北九州だと私は思います。
当時の鉄器の出土が圧倒的に福岡県、熊本県に偏っているのです。
当時、北九州勢力が大陸との交易権をバックに畿内勢力を圧倒していたのは明らかだと思います。

私は、奈良盆地で、卑弥呼と同時代に、この仮面を作り勝山古墳や纏向石塚古墳を古墳を築いた勢力は、日本書紀に言うところの長髄彦勢力だと私は思います。
4世紀後半から5世紀初頭にかけて、日本書紀に言うところの応神天皇が北九州から東征して当時の畿内勢力を打倒したか、景行天皇あるいは日本武尊にあたる勢力が九州に侵攻して邪馬台国後裔勢力を滅ぼしたかのどちらかだと思います。



理工系受験生向け大学入試問題研究サイトは こちら
大学入試問題検討ブログは こちら




コメントはこちらへ お願いします。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2007/09/26 11:53:20 PM
[科学の話題] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: