綴れ織り夢日記

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2020.02.27
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私はつい最近、人間関係を食べ物にたとえて考えてみました。

消化も良く、胃に負担もかかりにくいし、美味しいお粥のバリエーションを増やそうと思って。
昨日はカボチャとチーズのお粥にしましたが、ほぼリゾットですね;^_^A
快方に向かっている時はこういうボリューム粥にするのも悪くないかなと思います。

このように自分自身で料理を作っていると、わざわざ、自分の苦手なあるいは嫌いな食材はわざわざ選びませんから、自分に嫌いな食べ物があったことさえ忘れてしまいます。
これを人にたとえて考えてみると、自由業や自営業の人はこういう暮らしが出来るんだろうな、と思います。人を嫌いだと思う程に、人間関係に足を突っ込まずに済むからです。

しかし、圧倒的多数の人々は、なかなかそうは行きません。
嫌いな人とも向き合って生きて行かなくてはならない。

それも食べ物にたとえて考えるなら…
⒈食わず嫌い。いざ食べてみると案外と美味しかった。
⒉調理方法を工夫した。
⒊大人になり梅干が食べられるようになったなど、自分自身の状況変化により、嗜好が変わった。
⒋この食品は健康に良い、など、食べる必要性を感じ、自分に言い聞かせて納得させるうちに習慣化する。

これをわざわざ、人間関係に置きかえずとも、わかるとは思うのですが、
⒈は先入観から敬遠していたものの、実際に関わっているうちに案外良い人だと思う、という例です。
⒉は接し方の工夫。
⒊は状況や立場の変化、自分自身の成長に伴って、付き合う人が変化すること。
⒋はたとえ反面教師としても、この人から学ぶところがあると考えて付き合うことです。

一見、4は理想的ではありますし、4を心掛ければ、3の変化が度々訪れることでしょう。

嫌いは嫌いで良いのだと、まずは自分を許すことが大切だと思います。

これらは、どちらかと言えば、処世術の類です。
ただ一つ例外があるならば、
「自分は餓死寸前で、目の前にある食べ物を食べなければ生きながらえない」時です。
こういう時、どうするかは人それぞれなのだろうな、と思います。

人によっては、育てられる食材ならば、自宅で育てて大切にしようと思うかもしれません。
毎日のように習慣化して食べる人もいるでしょうし、
度々苦労を懐かしがって食べたり、元気をもう一度出したい時に食べたりもすることでしょう。
また、人によっては、喉元過ぎれば熱さを忘れるが如く、その食材への感謝を忘れるのかもしれません。
ただ、大概は、その食材への感謝と畏敬の念は、心の中に持ち続けて、
自分なりに大切に扱い続けるのではないでしょうか。

私は、本当の愛とは、このただ一つの例外の中に存在するのではないか?と思うのです。
「今日の私は、この人なしでは存在し得ない。」と感じた時、理解した時、私達は、相手を妬むことなく、蔑むこともしない。
ご存知でしたか?人の「悪意」の正体は「妬み」であり「蔑み」です。
そのような悪意を、感謝が前提にある関係性においては、
人は決して向けないのです。

もう一つ、逆のベクトルの例外があります。
それは、餓死する局面にあっても、決して口にしないのが、
「腐った食べ物」で、かえって命を脅かします。
それはもはや、食べ物とは見なしません。
根性が腐ったものを人とは呼ばぬのです。
何故腐るのかは、「自己への蔑みに犯されて」だと思います。
自己へ蔑みに犯されて、他人を尊重することを忘れた者。
いつまでもそこから脱し切れないと、人の性根は腐って行き、
言動に腐敗臭が漂うようになる。
何を腐っていると見なすかは人それぞれでありましょうが、
基本的にはそういうことです。
そのように感じる人とは付き合わぬ方が良いでしょう。
身体に良い発酵食品になるのを信じて待つのは、神様にお任せして。





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最終更新日  2020.02.27 09:38:24


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