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今日は朝から冷え込んで6度になっていた。しっかり着込んで散歩に出かける。公園1周大回りコース。公園では山茶花がちらほら咲き始めている。家に帰って掃除をしたが、水回りで今までどうしても外せなかったフィルターの外し方ががわかったのできれいにすることができて、ほっとした。洗濯物を片付けるついでに、整理ダンスの一部も片付けて、処分するものは処分した。何かきっかけがないと、不要なものも含めてたまってしまうので、多少はすっきりできた。昼からピアノの練習を終了して、昼寝に入った(今日の深夜2時半ごろ、大声ではないが歌を歌いながら家の前を歩く人がいて、目が覚めた。)1時間眠って、昨日の片づけの続きをした。バザー用の品はビニール袋をかけて片付け完了した。私が必要だと思ってためていたものを分類して、音楽関係の本、曲集、楽譜の類はリビングの本箱に整理をした。ごみとして出すしかないものは分別して廃棄した。仕事を完全に辞めてから、まず初めにやったことはすべての部屋を少しずつ片付けて余分なものを処分することだった。3か月ほどかかって40袋ぐらいごみをすてたが、あれから6年近くたったので、余裕のある時間を利用して、また片づけをしていこうかなと考えている。
2020年11月30日
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今日は朝から風が強くて、ぐっと冷え込んでいたコートをしっかり着込んでの散歩になった。洗濯は2回。資源ごみとして小さな紙ごみでも出せるということで、紙箱のたぐい食料品や化粧品その他のパッケージとペーパータオルの芯などをまとめておく。親せきが堺市の美原区にある古代米を原料にしたロールケーキを持ってきてくれた。堺といえば古墳もあるので、古代米を作っていたのかもしれない。昼から頑張って、二階の片づけを少しして、ボランティア関係の書類や趣味関係のものを整理した。まだ完全とは言えないが、捨てられるものは今のうちから出しておきたい。だいたい私が関係しているバザーが2つある。高齢者のイベントでもバザーではないが、持ち寄りの抽選会などをしているので、そういうところに出せる品を結構集めていたのだが、コロナのために開催が中止になり、これも片付けないといけなくなった。昨日悩んでいたイタリア歌曲は3つまでに絞り込んだので、あとは動画で曲を聞いて歌えるかどうか考えようと思っている。夜新聞の集金の人がやってきたが、その人がやってくる相当前からコロが部屋から玄関、玄関から外に出たいそぶりをしだした。どうしたのかと思うとインターホンが鳴った。(バイクでだった)しばらくして、今度は郵便局のゆうパック配送がやってきたが、これもコロがうろうろするので、窓から外を眺めて、何もないよとコロに言っていると時間をおいて車が家にとまった。ただ通るだけの車やバイクには無関心だが、家に用事があるかどうか、遠くを走っているいるだけでわかるのだろうか。
2020年11月29日
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ここの所お天気が続いているので、コロの散歩も順調に行けている。公園の紅葉、完全に色が変わるのはまだ時間がかかりそう。月曜日に声楽のレッスンにいって、今はフランス語の「パリカナイユ」のフランス語部分を重点的に練習している。結構早口な歌なので、正確にフランス語的に歌うというのが難しい。最後に5曲目として「イタリア歌曲集」のなかから歌いたい曲の候補をさがしてくるように言われた。実際歌いたいというよりは、歌える曲ということになりそうな気がする。この歌曲集の1には36曲収められているが、一通りみて、自分の安定的な音域の範囲の曲をチェックしてみた。それで、ざっと12曲ぐらい位まで絞った。次は、リズムやメロディーが正確に歌えるレベルの難度の曲に絞ってみよう。そのあとは、私がいいなと感じるもの、雰囲気やリズムや速度が今歌っている曲と被らないのがいいかなと思っている。色鉛筆教室で、灯ろうを作って堺市にある大仙公園というところに2000基を並べるというイベントに参加するということになり。私も二つの作品を出した(もともとは灯ろう流しをする予定が、8月の当日大雨で中止になり、企画をかえたもの)私は家の用事もあり見に行くことはできなかったが、先生が様子を写真にとってくれた。一番手前の灯ろうは私の作品夕方にはこういう感じで点火されたようである。
2020年11月28日
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(続き)生まれた若君は、父義賢の幼名をとって駒王丸(こまおうまる)と名乗ることになった。のちの木曽義仲その人である。太郎吉については、実盛が手塚太郎光盛という名を与える。そこに、物陰に隠れていた瀬尾が飛び出してくる。「葵御前が男の子を生んだとな、此方へよこせ。さっきから斎藤の振る舞いは怪しいと思っておったが、平家の禄を食みながら、源氏に味方をするとは不忠な奴。清盛様にこのことは訴えてやる。だいたいこの女が白旗をもって逃げたために、此方は夜も寝られぬ騒ぎだわ」と小まんの死体を足蹴にする。太郎吉は思わず近くにあった金刺の短刀をもって「母さんを足蹴にするとは許せない!」と突きかかる。それが瀬尾の脇腹につきささり、致命傷をおわせる。思わぬ展開に、周りのものは騒いでいる。瀬尾は苦しい息の下から「葵御前、この私は平家の侍の中でも少しは人に知られた人間。それを打ち取った手柄によって、成人してからといわず、今ここで家来にしてやってほしい。今家来になれば太郎吉は、若君の二つとない一の家来となる。小まんを捨て子にしたのはこの私だ。いつか迎える日もあるかと、証拠の品と書付を残したが、結局親らしいことができぬ間に小まんは死んでしまった。せめて小まんの気がかりであったろう子どもの行く末を、この祖父が命に代えてなんとかしてやりたい。」と言って、自ら首をかききって死んでしまう。葵御前は駒王丸と太郎吉の主従の契りをかわすのだった。太郎吉は「今日から俺も侍じゃ、そうなれば実盛は母の仇やるまいぞ。」とあくまで仇を討つ気。しかし実盛は、そ「年端も行かぬ子どもと争うのも無益なこと、いずれは、そなたが成人した暁には、いずれ駒王丸殿とともに挙兵することになるだろう。その時は尋常に勝負しよう。」と返答する。実盛は家来に馬を引き出させ、去っていこうとするが、矢橋の仁惣太がこのことを訴人しようと駆け出すのを見つけて、馬の上から仁惣太を仕留める。太郎吉が成人した時、実盛は相当な年になっており顔かたちも変わっているであろうと、九郎助がいうので実盛は「この顔わすれないように、白髪の髪を染め、少しでも若やいで戦場に出よう。さらばじゃ」と言ってさっていく。平家物語では斎藤実盛は戦場にでるが、相当高齢であったため老武者とあなどられ手加減されては恥になると、髪を染めて出陣した。手塚光盛が実盛を打ち取り、首を洗ったところ染料が落ち白髪となったという逸話がある。この話から逆に、どうして実盛が髪を染めて出陣し、手塚光盛に打ち取られたのかを解釈したのがこの物語ということになる。(おしまい)
2020年11月27日
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左手奥が太郎吉 手前が小まん 右手奥が実盛 手前が瀬尾(続き)葵御前が奥からでてきて、実盛に「いろいろお気遣いをいただいてありがとうございます。」と礼を言う。実盛は、自分は以前は源氏の配下であった。その恩は忘れていない。この度もなんとか源氏の胤を助けんがために、この役を買ってでたと打ち明けるここにある腕は、昨日矢橋の船中で確かに切り落とした覚えがあると実盛が言うので、九郎助夫婦はそれはどういうことじゃと詰め寄る。そこで、実盛は御座船で起こったことを話して聞かせ、もし白旗が平家の手に渡れば、源氏の再興は遠のいてしまう、可哀想だが白旗を守るため、女の腕を切り落とし、海へと落とし、女の死骸は陸にあげたのだと説明する。それが回りまわって、自らが家にたどり着くとは、よほど親や子にあいたかったのであろうと、一同は涙にくれる。よほど言いたいこともあったろうが、腕では物いうこともできんと嘆く。そこへ、村人たちが「小まんさんの死体が打ち上げられていた。」と小まんの死体を戸板に乗せてやってくる。太郎吉は「これから良い子にするから、お願い母さん一言でいいから口をきいて」と小まんの死体に取りすがる。実盛は「小まんの白旗を平家にわたさじという魂魄は腕にやどっているのであろう、その腕を死体に継げば魂魄が戻るかもしれぬ。」と言って、腕を死体にくっつけたところ小まんは息を吹き返し、あたりを見回し、葵御前に「白旗は戻りましたかよかった」と声をかけ、太郎吉に「お前に一言言うておきたいことがある。」といったまま、本当に死んでしまった。小よしは「小まんが気にしていたのは、小まんは私たち夫婦の子でなく、瀬田の浦に捨てられていた子だということなのです。赤子のそばには金刺と銘を彫った短刀と平家の何某の子と書いた書付がありました。」話を聞いているうちに、葵御前が産気づき、小よしと葵御前は奥の間に去っていく。ほどなくして、奥方は男の子を出産する。一同喜び、九郎助は「うちの太郎吉を若様の家来に召し抱えていただきたい。」と頼む奥方は「平家の一門と関係ありとすれば、直ちには召し抱えがたい、成人して何か手柄を立てれば召し抱えると致しましょう。」と返事をする。
2020年11月26日
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九郎助住家の段(くろすけすみかのだん)九郎助の家では、妻小よしが綿繰り(綿の繊維を撚って糸にする)をしている。九郎助の甥で小悪党の矢橋仁惣太(やばせのにそうた)がやってくる。この家に見慣れない女性の姿があるという話を聞いて、様子を確かめにやってきたのだ(葵御前については懸賞金がかかっている)九郎助がいないので、鎌をかけたりして葵御前のことを聞き出そうとするが、小よしは仁惣太の悪党ぶりをしっているので相手にしない。仁惣太は「様子ははっきりしないが、十分葵御前がいる可能性はある訴人して金をもらおう。」心で思って去っていく。葵御前は、小まんと別れて以来何の音沙汰もないことを心配しているので、小よしは大丈夫だからと慰めている。九郎助と小まんのこどもの太郎吉が魚釣りでみつけたと、人間の腕を持って帰ってくる。その手が握りしめているものが気になると、手を開けさせようとするが、どうしても開かない。太郎吉が指を開けさせると意外やすんなりと指が広がって中のものを取り出すことができた。見てみると、源氏の白旗だった。これは小まんに託されたものということは・・・この腕は小まんのものに違いないと、一同は驚き嘆いていた。そこへ、仁惣太の注進を受けた、斎藤実盛と瀬尾十郎(せのおじゅうろう)が村役人を引き連れて詮議に来た。とっさに葵御前と小まんのものらしい腕をもって、小よしは奥の間に隠れる。瀬尾は最初からけんか腰で、葵御前を早く出せ、さもないと家探しするぞと言い募る。実盛は穏やかに「源氏の胤をさがすとはいえ、女子であれば助けよと重盛様はおっしゃっている。隠し立てせず、真のことをいうべきぞ。」と諭す。九郎助はまだ出産を控えており、男とも女とも判別つかないので、産み落とすまで時間の猶予をくれと頼む。瀬尾は「そんな悠長なことをいっておられるか、この場で女の腹を裂いて確かめて、女ならば助けてやる」とうそぶく。本当に腹を裂きかねまじき勢いなので、九郎助は必死でとめているところへ。小よしが、葵御前がお産をされたと子どもをくるんで、しおしおと登場する。瀬尾はそれをみて、さては男か此方へよこせというが、実盛は「いや、検分は私の役目。まず私が赤子を確かめる。」と言いながら、心ではなんとか女といいくるめて命を助けてやらねばと考えている。子どもを受け取り、さてとおくるみを開いてみたら、女の腕がでてきた。瀬尾は「なんじゃ、これをうんだのか」と言葉を失っている。実盛は「唐天竺には、皇帝の妃が鉄の球を生んだという例もあるので、こういうこともあるやもしれぬ。」と何とか理屈をつける。瀬尾はとりあえずこの顛末を清盛に報告してくると言って家を出たが、何かおもいついたことがあるらしく、植え込みの中に身を隠す。(つづく)
2020年11月25日
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昨日からの続き矢橋の段(やばせのだん)義賢(よしかた)の屋敷から奥方葵御前(あおいごぜん)は百姓九郎助に助けられて落ち延び、九郎助の娘小まんは義賢から源氏の白旗を託され、葵御前たちの後を追う。小まんは矢橋の浦までたどりつくが、夜も更けて渡し船もなく途方にくれているところを、平家方の討手にみつかってしまう。小まんは必死の抵抗を試みるが、多勢に無勢で、このままではやられてしまうと琵琶湖に飛び込んで逃げる。竹生島遊覧の段(ちくぶしまゆうらんのだん)平宗盛(たいらのむねもり)は父の代参で竹生島に参詣した帰り、船上で月見をしている。その御座船に、源氏の生き残りの探索を命じられた斎藤実盛(さいとうさねもり)の小舟が近づいて来る。宗盛にひととおりのあいさつをして去っていこうとする実盛は引き止められ、御座船に乗り込む。すると、湖で、女が必死で泳ごうとしているが、逆波に押し返され溺れそうになっているのを見つける。助けてやれというが誰も飛び込むものもなく、実盛が櫂を投げたのに小まんがしがみつき、やっとのことで、助け上げられる。小まんは助け上げられた礼を言う。「この船は平宗盛様の御座船、十分お礼を申し上げるように。」といわれ(平家の追手をのがれて、助かったと思ったらこれは平家の船なのか)と小まんは思わず顔色を変える。船に乗っていた家来に様子を見とがめられ、「怪しいやつお前はいったい何者か。」と詰め寄られる。怪しいものではありませんと押し問答をしているところに、矢橋からの追手が船に乗ってやってきて、「その女は源氏の手のもので、源氏の白旗を隠し持っているぞー」と告げられる。宗盛の家来が小まんにとびかかり、「さあその白旗さっさとだせ」とねじ上げられる。小まんは「女ながらも見込まれて、預けられた大事なもの、むざむざわたされません。」と抵抗する。絶対渡さぬと白旗を右手に持ちしっかりとにぎりしめたが、もう奪われるのは時間の問題となった。実盛は「憎き女」と刀で女の右腕を切り落とし、白旗は腕とともに波間へと落ちていき、小まんは息絶えてしまった。(浄瑠璃の語りでは、実盛が粗忽にも腕を切り落として、平家は白旗を取ることができなかったが、あるいはそれをみこしての振る舞いであったかも知れぬと言っている。)
2020年11月24日
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今日は文楽の錦秋公演第一部に行ってきた。今年1月に文楽にでかけ、その後コロナで公演が中止になり、10か月以上たっての見物ということになった。公演時間も短くして、通常は2部制にしているが今回は3部制になっている。私も日を変えて全部見たいところだが、感染者増加ということで第1部だけを見に行った。検温消毒はもちろん、座席についても、1席もしくは2席間をあけるようになっており、使えない席は写真のように文楽で使われる衣装からとった模様の紙でおおわれている。人のいるところに向けて写真を撮れなかったので、ごく一部だけ。今回は時代物 源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)(豆知識)史実であるかどうかはともかくとして、源平盛衰記などに木曽義仲(きそよしなか)が平家方の武士である斎藤実盛(さいとうさねもり)を「命の親」といったという逸話があり、なんらかの面識があったと思わせる節がある。記録によれば実盛は手塚光盛(てづかのみつもり)という義仲の部下にうちとられたことになっている。源平布引滝は、それらの事実や伝承をうまく取り入れ、そこに至る経過を描いた話である。今回の演目は3段目から始まるが省略された段のあらすじ平治の乱で源義朝がやぶれて平家全盛の時代、後白河法皇は義朝の弟で平家について戦った木曽義賢(きそよしたか)に源氏の象徴である白旗を授けた。義賢は平家に服従すると見せて源氏再興の機をうかがい、源氏の白旗を守っているが、ことあらわれて討ち死にした。その最後の時、近江の百姓九郎助と娘の小まんが訪ねてくる。小まんは、義賢の奴・折平(実は源氏の一族多田蔵人行綱)との間に、太郎吉という子をもうけていた。義賢は、二人に腹に子を宿した妻の葵御前と源氏の白旗とを託す。(なぜこの白旗が大切かと言えば、法皇自らが授けた旗でいわば官軍の錦の御旗のようなもの、味方を募るにしても、旗の存在は大きな威力になる)次はこの演目について、咲寿太夫さんからの解説があるのでお聞きください。
2020年11月23日
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今日は気温が平年並みに戻ってきて、少し冷えを感じた。公園ではほぼ1周をして大回りコース。時々ウォーキングをしている高齢の方で自転車が通るべき場所(車道の端)を歩いている人がいるが、歩道をなぜあるかないのか不思議だ。予定はないが、家に帰って、通常の洗濯をすませて、天気をチェックしたら、明日から、下り坂らしいので、大物の洗濯を敢行した。年末が近づいて、喪中欠礼の葉書がぼちぼちやってきている。年賀状だけのお付き合いの方であれば、寒中見舞いなどを年明けにお出しするということで、まあ良いかなと思っている。ただ、今回私の中学以来の友人がなくなり、旦那様に当たる方からの欠礼の葉書だった。その方とも何度か顔を合わせて、ごあいさつもしており、少しでも早くお悔やみの言葉をお伝えしたかったので、最近は喪中見舞いという手紙の出し方があるということなので、とりあえず書面にてお悔やみと、友人との思い出を少しだけ書かせていただいた。自分の直接の友人がなくなるというのは、やはりずしんと心にくるものがある。もう一人父方の遠縁にあたる女性から旦那様がなくなったとの葉書をいただいた。たまたま旦那様が、私の勤めた会社の関連会社に勤めておられ、色々仕事のことで教えていただいたこともあったので、お礼の気持ちをお伝えすることにした。そして、最後に恒例の我が家特製のポン酢造りの作業にとりかかった。私は助手レベルでメインは家族がする。昆布とかつお節、みりんとしょうゆと、柚子(家の柚子はてでつぶして(道具は買ってある)、それ以外は果汁を取り寄せている)が原料で、親せきと近所の親しい人に配る。コロはせっせと零れ落ちたかつお節をつまみ食いしている(笑)
2020年11月22日
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朝から雨が降っていて、散歩に行けるかどうか危ぶんでいたが、7時過ぎに雨が止んだので大急ぎで散歩に出発した、地面が濡れていて水たまりを飛び越えながらの散歩になったので、距離は短かった。今日は来客の予定だが、10時過ぎにケーブルテレビのチューナーの定期点検というのがあるので、早めに来ていただくように連絡して、用事を済ませた(その間に朝食の片づけと洗濯をすませる)点検が来る隙間の時間で、水回りの掃除と掃除機かけをして、コロは仏間で家族と待機する。点検が時間通りやってきて30分で特に問題なく帰っていった。昼から、また来客がありその時は、私がコロとリビングで待機していた。とぎれとぎれの間になんとか、普段通りの掃除することができた。2時からはカットにでかける。何もない時は40日ぐらいに一度カットに出かけていたが、いまは回数を抑えて2か月ぐらいの間隔をあけている、これ以上間隔をあけるとぼさぼさになるので仕方がない。重労働をしたわけではないが、バタバタした一日だった。
2020年11月21日
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今日の散歩は公園1周と大回りだった、トイプードルとあったが、その子は私を気に入っているらしく、近寄ってきて膝にまとわりついて来る。たいていそんな感じで、コロは心配そうに「あおかさんをとっちゃだめ」という顔で見守っている。今日はコロのシャンプーの日なので家に帰って、朝食の片づけだけをして、動物病院併設のペットサロンに出発する。サロンでも同じ時間帯のワンちゃんがいて、またまたトイプードルだったが怖いのか飼い主の腕の中でぶるぶる震えていた。うちはその点結構機嫌よく入っていく(笑)再び家に帰って昼からの来客のために大急ぎで掃除をする。とにかくお天気が良くて暑い。一通り掃除をし終わった時点でサロンから電話が入り、迎えに行く。今回のバンダナはきのことどんぐりの実だった。シャンプーに行けば、お腹や胸の白さが際立ってくるのでわかる。そして心配していた体重も15.2から14.8に減っていた。なんとか当面14キロ前半を目指したい。昼からの来客は短時間で帰られた。その後家族がカメラでとってきた写真を、何枚かのCÐに落とすように頼まれた。作業しながらなんか今までと使い勝手が違うなと思っていた。考えたら新しいパソコンにして1年と少しだが、パソコンを買い替えてからコロナがひどくなり、旅行自体行っていないので、このパソコンで作業したことがなかったのだった。今日の夕方から夜にかけて昨日の工事の続きで高所作業車が作業していて、コロの散歩も短めで終わった。ポランティアの役員の定例会については、コロナの感染拡大に鑑みて中止にするとの連絡が入った。また、会合なども自粛という方向に向かっていくのだろうか、とても気になる。
2020年11月20日
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今日は車がないので、公園までいけないため、私が早めに起きて6時からコロと近くを散歩した。今日は私しか散歩に連れて行ってくれる人はいないとわかっているから、行こう行こうとアタックをかけてくる。いつもより1時間はやく薄暗い道をうろうろする。6時半ごろ家の近くで幼稚園バスの運転手の人が出勤してくるのにであう(いつも可愛がってくれる人とは別の人)この人いつも気難しそうな顔をしてるので、とっつきにくい。ところが今日は、コロに手を振ってくれて、「この犬かみませんか?」と聞くので、普通にしていれば噛むことはないですよと答えたら、ちょっと遊んでくれた。「歩いていると吠えられるので」言うので、「多分誘っているだど思います。男の人には怖がりなので、怖いの半分と好奇心です。」と私がこたえたら「また、仲良くしような」と言って去って行かれた。家に戻ってきたら、コロはソファーの上で眠りだした。昨日自宅警備で疲れたのかもしれない。私は早く起きたので今日も10時半で家事は終了した。その後町会のイベントの広報を担当者に渡した。昼からはピアノレッスンがあるので、一通りの練習をしておく。今日は生協がくるが、今の担当者は2時過ぎにはきてくれるので、レッスンに出かける前に直接会うことができるはずと期待を込めた。予定通りにきてくれたので、すべて収納してレッスンに出発する。ソロの曲については、今日の演奏で問題なし。「あなたがこのように表現したいという思いを、安定的な演奏できれいに主張できています。」ということで、この状態をキープしてほしいということだった。オクターブで挟んで和音をひくと、思わず違うキーに指が触れたりすることがあるので、綺麗な和音を出すことには相当気を付けて弾いた。連弾は弾きこなして、相手の弾いているのを聞けるようにしておくことだった。コロに留守番をさせてのレッスンだったので急いで家に帰った。よく留守番でいたずらして、部屋中むちゃくちゃになっているという話があるが、うちは幸いいたずらはせずに待っている・かえって、夕ご飯を食べさせて散歩に出かけるが、近くで電話工事をしており大型の高所作業車が作業していて、ガードマンもうろうろしている。コロは大型車両に圧倒されたのか、そちら方面には近づこうとせずに、短時間で散歩を終了した。夕方になっても暑くてコートなしでも全く違和感のない一日だった。電車は冷房が入っていた。
2020年11月19日
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今日から家族が一泊旅行にでかけるため、コロの散歩はいつもより1時間早く出発した。あたりはほぼ真っ暗で、いつもの駐車場に行くと、その真っ暗な中で高齢男性が花壇のふちに腰かけて、ニ三人で話している。コロは暗くてもお構いなしでいつもと同じペースの散歩になる。散歩の終わりにはあたりは明るくなっていた。早く起きた分朝食の片づけをして、洗濯機を2回回して洗濯物を干し、10時半には家事が完了した。ところが、やたら宅配便が多くて、3件やってきて、その都度手を止められた。私が注文していないので余計に面倒さを感じる(笑)コロは普段は、リビングのソファーなり床なり朝はどこかで眠っていることが多いのだが、今日は外に出て、シャッターのところに座って、外の様子を見ている。昼ごはんの時間になり、コロの食事ができても帰ってこず、私が食べだしたら帰ってきた。昼過ぎには赤ちゃん訪問への同行の用件が入っているので、服を着かえたりボランティアはこういう支援もしていますというパンフレットと私の連絡先を書いた、ボランティア用の名刺などを準備しておく。コロは私の動きを見て、出かけるようだと察したようだが、なんとかリビングで居残りするように説得してでかける。わが自治体でも新興住宅街とか古い町でも折り合いがついたところは、住居表示に変わっているが、うちのところは、番地がランダムなので家を探すのに相当苦労する。140番地のとなりが170番だったり、ほとんど番地の順番の法則性がない。私は町名も番地も思い入れはないのだが、思い入れのある人で変更反対という人がいるようだ。なんとか、お名前で検討をつけて保育士さんと家庭訪問するが、コロナもあるので、手短に終わらせる。家に帰って、玄関を開けると外に行きたがる。玄関先で横になったりもしている。家族がいないので心配しているのかとも思ったが、結局夜別の家族が帰ってきたら、安心したのかソファーの上で眠りだした。群れが人がいなくて手薄になったというところで、コロなりに警備に頑張っているつもりだったのかもしれない。
2020年11月18日
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今日はお寺さんの来る日なので早めの散歩に出かける。公園1周と大回りコース。昨日のうちにだいぶ準備はしてあるが、朝食の片づけを済ませたうえで、仏間の最後の掃除などを済ませる。洗濯物を干し終わった8時50分にお見えになった。コロが邪魔しないようにサークル内に入れておく。いつものように世間話をしている途中で、檀家のなかにはコロナを理由にして、月参りを断るお家が何軒かいるということを言われた。そこで、私もうちの自治体でも、ほとんど毎日感染者が出ているので、油断はできませんということを話しをしたら「それは大変です。」と心底驚かれた様子だった。私も「大変ですので、お参りも手短で結構です。」ということを少しソフトに言った。すると、お経の速度がとても速く、ほとんど何を言ってるか聞き取れないぐらいのお勤めだった。それでも早く帰ってくれるのはありがたい。結局30分強ぐらいのご滞在でそそくさと帰って行かれた。よほどコロナがお嫌いのようだ。帰られてから、仏間を片付け、掃除の続きをして、ほぼ普段通りの時間に終了させた。昼からは音楽関係の練習をして、時間に余裕があったので昼寝を40分ほどした。夕方は病院の付き添いに行った。前回先生の都合でこれから診療時間が30分ほど遅くなるということだったが、普段通りに出かけた。行ったら2番目で、先生も今までと変わりない時間に来られたので、割と早い時間に終わることができた。
2020年11月17日
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今日朝散歩に行ったら、猫の捕獲機を持った人がいた。みたところは保護団体の人のようだった。コロはいつも通り公園から大回りをして帰ってきた。今日は15日だが日曜になるので、お寺さんの法要にでかけるつもりなので、なんとか頑張って10時までに洗濯と掃除を完了させた。お寺では受付をさせてもらっている。別に私がそういうことにたけているわけではないが、来ている人が高齢なので仕方がない感じ。私も盆正月は別にして、年に数回しか参らないので、よくわからないが、法要の後今まで婦人会が食事を作っていたのが、お弁当を出すようになっていた。食事を作るお手伝いの人が減ってきたこと、コロナで密になることなどを考慮されたのだと思う。家に帰って、明日はお寺さんが来るので準備をということで、お布施の包みをまず作った。次に仏間の電波時計が電池切れしていたので、電池を取りかえた。お寺さんの目につくところに置いて、できるだけ早く帰ってもらうつもり(笑)クリーニングを出しに行くついでに明日のお茶菓子も買いに行く(私が食べたいものを買ってくる)明日の夕方は病院の付き添いもあるので、病状を聞き取ってメモを作っておく。コロは、前回とは違ってシートの外に頭を出して、体はシートの上に寝ている。だんだんシートに慣れてきているようだ。
2020年11月16日
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今日は予定がないので散歩も気持ち的にはゆっくりとまわった。帰ってからの家事も心持丁寧にする。台所用品の消毒などもこういう時に一気に進めてみる。資源ごみの分別も気になっていたが、今日か新聞雑誌など紙関係を整理した。仏花も入れ替え仏壇周りも掃除。音楽関係の練習も時間を取れなかったが、今日はなんとかそれなりに時間を取ることができた。色鉛筆教室で8月に堺の灯ろう流しに参加するということで灯ろうの絵を描いたが、当日急な大雨で中止になり、来週仁徳天皇陵近くで再度灯ろうの展示を行うことになった、ついてはもう一つかいてほしいということになり、家族の協力も得てもう一枚描き上げた。昼寝の時間も40分ほど確保して、普段の疲れを少しでもそぎ落とすことができた。私たちの職場のグループの人がある時大病をして入院して、療養生活も長くなった。その時一人の人が音頭を取って、お見舞いに行くとか、励ましの寄せ書きをするとか計画を立てられた。ところが音頭を取った人も数年後に病気をされたが、ご本人の口からははっきりした病名とか入院とか一切いわれなかったので、こちらも見守るしかなかった。本人の口からは、見舞いなどされるのは好きではないという趣旨の話があった。別の人の時にあれもこれもと色々されたのは、どのような気持ちだったのか、最初の人もあるいはお見舞いなど来なくてそっとしてほしいタイプだったかもしれないのに。自分が人にされて嫌なことは人にしてはいけないとよく言われる言葉だ。それとこの場合は違うかもしれないが、ちょっとモヤモヤした気持ちが残った。
2020年11月15日
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今日は公園を完全に1周と大回りコース。コロはまだ若いが、お散歩中にシニア犬がゆっくりゆっくり散歩していると、お散歩を楽しんでねと心で思っている。やはりどの命も元気で長生きしている姿を見たらうれしくなる。色鉛筆レッスンの日なので、朝食の片づけと洗濯物干しだけをして、家を出る。駅に着いたら遠足に行くらしい小学生たちがホームに並んでいた。私がいつもの位置で電車を待っていると、私が小学校でも見守り活動をしているので、顔を覚えておられたのか、校長先生があいさつにきてくれた。子どもたちが大騒ぎされると、まずいなと思っていたが、乗り降りは一般の人がし終わるまで、大人しく待っているし、電車の中でも大人しく騒ぐ子もいなかった。座席にも座らず、昇降口と逆の位置で、少人数で固まって立っていた。指導が行き届いていて、こちらもボランティアで支援している甲斐があると思った。ターミナルについて、会場に向かう途中ショッピングモールの入っているビルの前に、ものすごい行列ができていた。最低200人~300人は並んでいる。ユニ〇〇でジル〇ンダーと提携した商品が発売される日だったと後で知った。レッスンについては、今描きかけの絵を完成に近づけることで。メインである、ピンクの花、針葉樹、、背景の遠くの山、柵など細かいものを指導を受けながら描きこんでいった、最後に空の色が変わっていくところを描きこみ始めたところで終了となった。宿題は空の部分をもう少し描きこむことと草原の濃い色の部分をもう少し広げることだった。宿題をきちんとしていけば、次回には終了できそうだ
2020年11月14日
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今日も楽しく散歩に出かけた。ここの所、コロは地域猫のお世話をしている女性たちに愛想を振りまいている。今日は配食サービスの日なので町内会館に出かける。この校区でだいたい50食ぐらいを配っている。また、おせち料理も年末に配るのだがその申し込みの締め切りも今日になる。おせち料理は以前は普通に調理したものを配っていたが、長時間おいて食べて食中毒がでたので、4年ぐらい前から真空パックのものが配られている。配食の仕事が終わってから、うちの町内会のイベントで何をするかということと、校区の定例会が、会場の都合で代表者のみの集まりになっているのをどうするかを話し合った。年末は例年通り、干支のちぎり絵を人数制限をつけて開催する。定例会は役所の出張所の貸館を利用して、広い会場を確保して、密にならない形で通常の定例会を行うことになった。寒くなってきたのでリビングの床暖房は入れているが、キッチンとピアノ周りは入れていない。コロがピアノ周りで寝るときに冷たくないようにシートを買ってきたのだが、最初はまったく寝ないでくわえて遊んでいたが、やっとこのごろシートの上に体を乗せるようになってきた。
2020年11月13日
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公園の桜の紅葉クロガネモチの実この時期はちょうどよい加減なのだろうか、散歩の距離が延びるので、私の歩数も夏よりは大分増えている。昼からボランティアによる高齢者向けのイベントとピアノのレッスンがあるので、できるだけ早く家事を片付けて、10時には終了した。その後ピアノの練習に入った。昼前から家族も出かけている。コロは今日はずっと外にでていたので、家事がはかどった。食事の時間も外に出ていたので、私は手早く食べて片づけを済ませてからコロに食べさせた。その後コロに留守番を頼んで、イベントに出かけた。昨日紹介した、サザエさん体操のほかに、伊賀出身の方から伊賀市でしている忍にん体操のDVDを借りて、それも併せてみんなでやってみた。やった人の感想は、サザエさん対象はテンポが速くて、手と足が違うので脳活になる忍にん体操は動きが色々あって、知らない間にいろんな筋肉を動かすことができるということだった。体操を楽しんだあとは、脳活問題。一例を〇ス 〇ム 〇ル〇の中に同じ文字を入れて意味のある言葉にしてください。答えは最後に漢字を分解したものをみて、何の漢字があてるなどを楽しんだ私はその後ピアノレッスンにいった。ソロについては、テンポの速いところから、遅くに変わるところが、もう少しゆっくりした方が後の部分の、荘重さを出すのによいのではないかというアドバイスをいただいたので、できるだけ落ち着いて弾くように心がけた。連弾は、速く弾く部分でお互いの息を合わせることが大切なので、もう少し弾きこんでいこうということになった。今のところ大体いけてるが、完全に合っているかと言えば微妙な部分もあるというところだろうか。回答 エ エス エム エル(S M L)サイズ表示
2020年11月12日
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めっきり冷え込みが厳しいので、朝の散歩は暖かくして出かけている。今日はコロが池の近くのコースをとったので、池の鳥たちを写真にとることができた。昨年ぐらいから、カルガモさんの中に一つがいのマガモがまじっているようになった。バンもつがいの1組がこの池にいる。カルガモがいなくなればマガモはいなくなり、バンもしばらくは池にいるがやがて姿を消す。どういう生活をしているのか、気になる。(一番左端にいるのが、マガモの雄)私は旅行から帰ってきて、ボランティア関係の研修があり、障がい者関係と高齢者関係と2日にわたって受講した。障がいの特性に応じた声のかけ方、援助の仕方などなどの説明を受けた高齢者については虐待、認知症などの問題について説明を受けた。それぞれの相談窓口などについても教えてもらった。明日はサザエさん体操を、町内会イベントでする予定。15人限定で密にならない形でやってみる。お母さんが呼ぶから、塀の隙間から覗いてみたのですが何か
2020年11月11日
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鷲羽山から、地元の十八盛酒造株式会社へとむかう。こちらでは十八盛というお酒を製造販売している。HPより十八盛酒造は、瀬戸大橋のかかる倉敷市児島にあります。日本で初めて国立公園として指定された瀬戸内海国立公園にある鷲羽山は多島美による風光明媚な眺めで有名です。そんな海の近くにある蔵では瀬戸内の魚介類にも合う旨味のあるお酒を造っています。そして倉敷美観地区へと出発大原美術館の庭HPより昭和5年、倉敷の実業家大原孫三郎が設立したもので、西洋美術、近代美術を展示する私立美術館としては日本最初のものです。ギリシャ神殿風の本館の中には世界画壇の巨匠作品が多数展示されており、ツタにおおわれた石垣、門を入るとロダンの彫刻「洗礼者ヨハネ」「カレーの市民」の像が迎えてくれます。隣接して、分館、工芸・東洋館があります。江戸時代から昭和に至る様々な歴史的な建造物がある。アイビースクエア当施設は、江戸幕府の代官所跡に、1889年(明治22年)に建設された倉敷紡績創業の旧工場で、1973年(昭和48年)に改修され、観光施設として再生された。倉敷紡績の関連会社 株式会社倉敷アイビースクエアが経営・管理し、現在も倉敷紡績の登記上の所在地である。場所は倉敷美観地区に含まれ、建物は2007年(平成19年)11月30日に経済産業省より「近代化産業遺産」に認定されている。天気も良く結構人が多いなと感じた。おしゃれなスイーツのお店なども多かったが、いずれも列をなしていて、すぐには食べられそうもなかったので、駐車場近くのホテルにいったのだが、メンバーが昔そこのフレンチを食べたがあまりおいしくなかったということなので、ちょっと悩んだ。とりあえずホテルに入って、和食がないかと尋ねてみたが、ないというこだった。しかし、近くに和食でリーズナブルで美味しい店があると紹介してくれたので、そこにいくことにした。地区のはずれにあるので、人も少なかった。瀬戸内の海の幸をメインにしたという瀬戸内御膳をチョイスした。ままかりと突き出し刺身てんぷらタコ飯と茶わん蒸し濃厚な柚子シャーベット確かに紹介してくれただけのことはあって、美味しくてリーズナブルなお店だった。お昼ご飯を食べて一路大阪へと向かった。おしまい
2020年11月10日
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朝から徒歩で由加神社本宮に向かう。歩くと表参道に出るが、本宮まで42段33段60段の階段が続いている。由加神社本宮は倉敷観光の公式HPによれば全国に五十二の分社を持つ由加神社の本宮。日本三大権現の一つ、また厄除けの総本山として知られ、江戸時代より人々の信仰を集め、備前藩主池田侯の祈願所として栄えました。時期を同じくして四国こんぴらさんとの両参りも盛んに行われ、現在も両参りを信仰する人が多く、江戸本所の豪商・塩原太助の名を刻した玉垣も見られます。境内には日本一の備前焼大鳥居や消痛の小槌(宝物)などがあり、本殿は県指定重要文化財です。参道沿いの民家に飾られていた、備前焼の馬備前焼の狛犬鳥居も備前焼でできており、此方の狛犬は片膝をついた珍しい形である備前焼でできた茅の輪此方は隣の蓮台寺此方を抜けて裏参道はなだらかな坂道になっており、高齢の人でも十分行き来できる。緑が多いところだった。9時すぎに、ホテルの駐車場に戻って、鷲羽山の展望台へと向かう倉敷観光HPより日本初の国立公園として知られる瀬戸内海国立公園の代表的な景勝地で、鷲が羽を広げた様子に似ていることから「鷲羽山」と名付けられました。標高133mの山頂「鍾秀峰(しょうしゅうほう)」からは、波静かな海上に点在する大小50余りの多島美と雄大な瀬戸大橋の姿を存分に楽しむことができます。特に夕景の美しさは格別で、「日本の夕陽百選」に選定されています。お天気に恵まれて、青空の下で瀬戸大橋や行きかう船などをゆっくり眺めることができた。
2020年11月09日
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ホテルは夜ついたので、翌日の写真ロビーアクシデントがあったが、何とか6時過ぎに到着した。暗くてよくわからなかったが、山の中を曲がりくねって登っていく感じだった。何もなければ由加神社本宮というところに行って名物のあんころ餅を食べる予定だったが、時間がないので、ホテルに直行した。ところが幸いなことにホテルでチェックインしたら、ウエルカムドリンクとしてお茶とあんころ餅を出してくれたので、一同納得した。3階の廊下室内の様子(ホテルのパンフレットより)二人ずつ2室ということにしていた。現地に残っている人がだいたい7時半にはホテルに来れるというので、7時半からの夕食ということにして、温泉に入りに行く。相当広い温泉で普通の浴槽が2つと泡ぶろ、ジェット噴射の風呂、打たせ湯とあって、露天風呂も2つあった。ゆっくりとお風呂につかり戻ってきたら、無事に追いついてきたので、全員で夕食を食べに行く。肉をメインとしたコース左手前鴨スモークのキノコ和え 左奥秋野菜のサラダ 右えのきと黄ニラと岡山豚ロール国産牛鉄板焼きステーキ茄子のごまみそ焼き豚肉とだいこんの煮込みと茶わん蒸し紅葉あんかけ秋野菜の旨汁国産牛のしゃぶしゃぶ(写真を撮るのを忘れたのでネットから借用)デザート秋栗のティラミス風(ネットから借用)さすがにお腹いっぱいになりみんなで部屋に集まっておしゃべりを楽しんだ。11時半ごろ解散した。これは朝食で、お味噌汁がついて、卵と海苔と納豆とヨーグルトは食べ放題ということだった。少し早めに車を置いて出発して、昨日行けなかった神社に徒歩でお参りに行くことにした。
2020年11月08日
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後楽園への再入場はできるので後楽園の南門から岡山城に出で、岡山城に向かう。HPからの引用「岡山城は、戦国時代の大名・宇喜多秀家によって、8年の歳月を費やして1597年に完成されました。城は西向きであったため、秀家は、背後から敵に侵入されるのを防ぐために、近くを流れる旭川を、城の東背後を流れるように大工事を行いました。天守閣の壁に黒漆塗りの板を取り付けるこの時代の建築の特徴から、外観は黒く、後の時代には「烏城」と呼ばれるようになりました。秀家は、岡山城を戦の施設としてだけでなく、商人や職人を集めて城下町の整備を行い、治世の府としました。池田家が城主になった後も岡山城の周辺整備は進み、17世紀末には旭川を隔てた北側に、広大な大名庭園である岡山後楽園が設けられました。岡山城は、歴代城主の下で岡山の町並みの発展を見続け、近代都市の礎となりました。」宇喜多秀家が岡山城の象徴に建築した三層六階建ての望楼形天守閣で、城郭建築物に天守閣が出現して発展し始めた時期の構造的特徴を伝えていました。城主の権威を象徴する書院造りの居間(城主の間)が設けてあり、初期の天守閣の性格を物語っています。昭和20年の空襲で焼失しましたが、昭和41年に再建され、城主の間も復元されています。中は6階建てになっており、2階から上には池田時代 宇喜多時代の資料などが展示されている。しかし、写真撮影は禁止になっているが下の2つは写真可能なのでとってみた。これはトリックアート梯子の途中までは本もの。大名籠で乗ってみたが、結構広くて揺れなければ相当快適だった。城に使われているしゃちほこのレプリカ。ひととおりを見終わったので、再び後楽園に戻る。後楽園の築山養心山から沢の池を望む飼われているタンチョウヅル。日本で後楽園が一番飼育数が多い。日程の関係で1時間半程度の見学だったので、後楽園全体の半分程度しか見て回れなかった。また違う季節に行ってみたい。前回は蓮のきれいな季節に行ったのだが。後楽園を後にして、今夜のホテル近くの神社に向けて出発しようとして、車に異音がしはじめた。よく見るとタイヤがパンクしている。J〇Fの救援を依頼するが1時間近くかかるというので、運転する人一人を残し、残りはタクシーでホテルに向かう。なんとか無事にこちらはホテルについた。運転者も7時過ぎにはパンクしたタイヤを取りかえて到着することができた。
2020年11月07日
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諸般の事情で、10時に我が家を出発し、山陽道を通って12時龍野西のサービスエリアに到着した。気温は低いとの予報だったが、暑いぐらいの穏やかな天気だった。三木露風の「赤とんぼ」は当時の龍野町で露風が暮らした時の思い出を書いたといわれている。それで、このサービスエリアのモニュメントはトンボということになっている。ちょうどお昼になったので、ここでにゅう麺セットをお昼ご飯にいただく。この付近一帯で作られている兵庫県手延素麺協同組合加入の業者が作っている素麺の商標が「揖保乃糸」というらしい。とてもこしがあっておいしい。家では味噌汁に入れることが多かったが、こちらでは澄まし汁にいれてあった。味もよかった。そして、一路西へと向かい、2時ごろには岡山後楽園に到着する。岡山藩主・池田綱政によって造営された、元禄文化を代表する庭園で、国の特別名勝に指定されている。休日だったためか人出はそこそこあった。七五三の関係で着物を着た子どもたちが結構多かった。また菊花展が開催されていた入ったところから見た風景延養亭(歴代藩主の居室)巨石を切り分けて、後楽園に運びもう一度組みなおしたもの。この日は園内にある能楽堂で伎楽能という催しものをやっていて、謡の声が外まで聞こえてきて、雰囲気が良かった。蓮池にしつらえた八つ橋
2020年11月06日
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朝起きて降雨レーダーの様子を見ると、7時ごろには雨雲がやってきそうな気配なので、ご飯を食べて急いでコロを散歩に連れ出した。その時点では朝日も出ていたが、西の空は真っ暗だった。散歩の途中で、よそのワンちゃんが私に寄ってきてくれることがあり、ワンちゃんにあいさつしていると、コロがあわてて、戻ってきて「おかあさん、僕の方が好きだよね。」と確認に来る。なんとかいつものコースを散歩して、車に乗せた途端に雨が降り出した。散歩をしている最中にバイクにであったが、背中に四角い箱型のバックを背負っていて、出〇館とかそれ系の配達の人に見えた。7時はなっていなかったが、早朝に出前を取る人もいるのだなと驚いた。家に帰って掃除と洗濯をすませた。そして昨日の続きで、ベランダにかけている大型のカーテンを含めて8枚のカーテンを洗って干した。これでカーテンの洗濯は無事終了した。降り出した雨は全く衰えることなく、夜まで降り続いた。火曜日から岡山方面に女子会で遊びにいくので、ご訪問や書き込みができません。申し訳ありません。眠りながら日本舞踊の研究をしているようにみえるコロだった。お天気の日は玄関開けてとせがんで、日向ぼっこをするコロなのだが、雨の音がするので大人しく部屋でねていた。夕方も雨が強くて散歩にはいけなかった。
2020年11月03日
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今日も朝からお天気が良かった。公園の木も相当色づいてきている。下の舗装した道を行くときは良いが、上の道を歩くときはしっかり下をみていないと、切り株や木の根いけつまずくことがあるので、用心しないといけない。今日はカーテンの類の洗濯を決意し、とりあえず12枚のカーテンを洗濯した。しかし、これで全部ではないので、明日も頑張ろう。昨日は研修があったので、掃除などがいい加減だったため、今日その分を丁寧にする。昨日の夜コロが特に激しく吠えて、庭を走り回るので、私が外に出たところ、前に話していたヒッピーさんが通っていて、コロに相手になっていた。ヒッピーさんはコロが嫌いではないようだが。車を私の家から30mぐらい離れた駐車場に置きに来ているのだが、車を置きに来た時点でコロが吠えて、徒歩で出てくるまで、吠えながら彼を待っている。少し彼と話をして、ヒッピーさんは自転車でオフロードを走行するのが趣味なのだとわかった。それで、泥とか木の葉とか、、いろんなものを全身に浴びてきていると思うとのことだった。私の住んでいるところも田舎とはいえ、そういう山林原野はないので、コロにとっては嗅いだことのないにおいをさせている人なのかもしれない。普通に話していただけなら、全くそんな匂いは感じないが、さすがに犬の嗅覚は鋭いと感心した。こういう寝方は私には絶対無理。
2020年11月02日
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転寝中ですが何か今日も少し冷え込んだ(10度を切った)が昼間は穏やかなお天気だった。朝10時から、ボランティア関係で児童とのかかわりについての学習会があるので、片づけと洗濯だけは済ませて、会場に向かう。グループ討議などをもしたうえで、情報の共有というのを大切にしていくこと、学校などとの連携なども考えていきたいというような意見も出た。昼頃に帰宅して、クリーニングを出したり、振り込みに行ったり、細々とした用事をこなした。コロは私が外出から帰ってくると、出迎えてくれるが、まず目の前で私のスリッパをこれ見よがしにくわえて遊ぶ。留守番していたから相手をしてよと言ってるみたいだ。今日は満月ということで、家族が順番に外に出てお月見をした。コロもわけがわからないまま、家族と一緒にお月見をしていた。今月2回目の満月(ブルムーン)ということでこの月を見たら幸せが訪れるらしい。
2020年11月01日
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