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「復帰と解放」

1989年2月12日


 真の自由と解放を求めて

 きょうは「復帰と解放」という題目で話しましょう。この世は過去にも多くの人々が生きてきたし、今も多くの人々が生きています。また、これからも多くの人々が生きていくことでしょう。そして最近は、多くの人々が自由を求めて、自由主義などと叫んで世の中を騒々しくしています。しかし、その自由を求めたのちはいったい何をしようとするのでしょうか。中世封建時代以来、人本主義を中心として自由思想が勃発したその日から、「自由を選ぶか、それとも死を選ぶか」と言い、たとえ死を選んでも自由を得ようとしてきたのですが、そのようにしてまで自由を得て、次に何をしようとするのでしょうか。

 自由には、まず個人的自由があります。そうですね。そしてこの世は男と女がいるのですが、男の自由とは何かというと、男の願う欲望と、その欲望の意を中心としてすべてを成し遂げて、「私を見習いなさい」と言って、中心の座に着くことです。それでは、男の欲望と女の欲望は同じでしょうか。それは根本的に違うのです。女の欲望は方向性が一方的なのに対して、男の欲望は四方性をもっているのです。東へ行ってみ旨を成したとしても、それだけでは終わらないのです。東西南北のすべての方向のみ旨を成し遂げ、中央の位置に自分の座を得て解放されなければならないのです。このように見た時、男の欲望を中心として、女の欲望を中心として解放される道を探し求めていく立場で、それぞれに自由を主張してきたのです。

 ですから、個人的自由が、家庭的自由と異なってしまったのです。家庭の中には祖父がいて、祖母がいて、父がいて、母がいて、その次に自分がいて、妻がいて、息子、娘がいるのです。ですから、祖父の自由、祖母の自由、父の自由、母の自由、自分の自由、妻の自由、息子、娘の自由というすべてが解放されなければならないのです。孫はおじいさんに対しても思いどおりにできるし、おばあさんに対しても思いどおりにできなければなりません。また、おじいさんは孫に対しても思いどおりにできるし、また孫嫁の前でもおじいさんは思いどおりにできるし、おばあさんも思いどおりにできなければなりません。義母も嫁に対して思いどおりにできるし、また、嫁も義母に対して思いどおりにできなければなりません。そのように解放された家庭的自由が必要なのです。

 その次は国家の自由です。最近の国家を見ると、与党、野党が互いに争っているのです。そのような国で国民は自由でしょうか。自由のために争うのは良いことですが、一方的な党の主張や、右翼や左翼などのような主張が、果たして相手側にも自由をもたらすことができるでしょうか。それは、真に解放をもたらすことのできる自由となるのでしょうか。そのような自由を探し求めていったい次に何をしようとするのでしょうか。彼らは、「解放されれば幸福になる」と言うのですが、解放とはいったい何ですか。人を拘束する場合、ひもで右のほうだけを縛っても、拘束したことにはなりません。右と左とを交差させて縛ってこそ拘束できるのです。

 今日、この世界を見る時、共産主義と民主主義が世界の万民を代表して、世界の幸福を追求していくという中にあって、今、彼ら自身はどのような立場にいるかというと、彼ら自体も既に拘束されているのです。また、アメリカを見ても全部国家の欲望や様々な法を中心として、国民の願わない課税を行い、共産党よりもっと多くの搾取をしているのです。国家が搾取しているのです。労働者や農民、労使関係の搾取ではなくて、国家という大きな枠が国民を苦しめているのです。アメリカは今や、相続税が七五パーセント、時には九五パーセントにまでなっているのです。このように、先祖から受け継いだすべての相続所有権をだんだん崩しているのです。

 このような現状を見た時、自由世界と民主世界は、人間を解放するのではなく拘束しているのです。アメリカ人の中で、今デモを行っているのは苦しい立場にいる人々なのです。また、家族制度の冠を被せられて、「これこれを抜け出してはいけない!」と拘束されるので、「これは嫌だ!」と言って、若い人々が自由世界でデモを行うのです。それでは、共産世界はどうかというと、その反対なのです。共産世界では、共産主義を中心としてすべての財産は国家の所有なので、個人の財産など認められていません。社会主義体制と資本主義体制は全く違うのです。民主世界では個人の所有を認めるのに対して、共産世界は社会主義体制なのですべてが国家所有なのです。ですから、全部が国家のものだというのです。人までもが国家のものだというのです。民主世界はそうではありません。国家に対して常に対等な立場で自己を主張できます。しかし、共産世界では物はもちろんのこと、人までもが国家のものだというのです。そこには、もはや自由がありません。党が「死ね」と命令を下せば、その人に生きる自由はなくなります。死に場所に行かなければなりません。もし、行かなければ切られてしまいます。民主世界では死に場所に行けと言われた時、「行かない」と言っても切られることはありません。このように見た時、どちらがより自由ですか。共産世界ですか、民主世界ですか? (民主世界です)。

 共産世界の平和とは、完全に反動分子を粛正してしまったあとに訪れてくるものであり、反動分子がいなくなったあとに語るのが平和論なのです。民主世界の平和とは、赤、白、黄色など烏合の衆のように様々なものが混じり合っていても、みんなで幸福になろうというのです。しかし共産世界は一方通行であり、すべてを赤化したそのあとに平和だというのです。このように、平和の概念が全く違うのです。



 統一教会も解放を求めてきた

 きょうのみ言の題目は何でしたか? (「復帰と解放」です)。今日まで数多くの人間が、様々な形をもちながらもこの地上で生きることを願ったのは、解放を迎えて幸せになりたかったからです。しかし、それが、いまだに解放されていないのです。それでは、この統一教会はどうでしょうか。統一教会も解放を求めて生きてきたのです。皆さん、七・四事件の当時を思い出してください。先生を監獄に入れて、五つの長官たちが文総裁を亡き者にしようとしたのです。李起鵬と朴マリヤ、李承晩博士とフランチェスカを中心として、行政力を動かして文総裁を完全に抹殺しようとしたのです。罪に陥れようとして、ありとあらゆる工作をしたのですが、先生は何一つとして引っかかるところがないのです。

 以前私は北から南下する際に髪を刈って来たのです。昔は軍隊に入る時に髪を刈っていたのです。北からソウルに入った所に昌景園という地があります。そこに若い兵士がいて、今考えてみると海兵隊員だったと思いますが、南下してくる人々を全部分けていたのです。私は監獄から出てきたばかりであり、髪を刈っていたので、「どこから来たのか?」と聞かれました。軍隊の逃亡兵ではないかと疑われたのです。「どこから来たって、北から来たよ!」と答えました。その時は大勢の人々が避難している状態なので、スパイも逃亡兵もめちゃくちゃに混じり合っていて何が何だか分からないので、先生もスパイではないかと思われたのです。スパイを入れては自分たちの生命も危なくなるので、身体検査を行って、その結果丙種という兵役落第の判子を押した証明書を出してくれたのです。

 それがあれば万事に「OK」なのです。それだけが先生の証明書になったのです。監獄から出てきた先生には住民登録など当然ありません。ですから行く先々で取り調べを受けるたび、いつもそれを出して見せたのです。その札は丙種なのですが、どこに行っても通じたのです。その後、住民登録を行いましたが、梨花女子大事件が起こって先生も監獄へ入れられるようになったのです。「ああ、兵役忌避したんだって、丙種だって」と言いながら、彼らはありとあらゆることの調査を始めたのです。それですべてを調査をしてみた結果、先生は体格的にも非常に丈夫そうなのです。「拷問を何回も受けたとしてもびくともしないほど丈夫な人なのになぜ丙種なのか、兵役法違反ではないか」と言って、先生を打とうとしたのです。私は丙種を盗んだのではありません。彼らが出してくれた丙種なのです。このようにしていろんなうわさがみな吹き出してきたのです。そして満三カ月を経て、無罪釈放ということになったのです。本来ならば、そこで大韓民国が私に謝罪しなければなりません。大韓民国が有罪だと宣布しても、レバレンド・ムーンは無罪釈放となったのですから。神様の法に逆らって罪のない人を苦労させたので、大韓民国自体が有罪となったのです。

 大韓民国において、先生に反対する分子たちは誰ですか? (クリスチャンたちです)。キリスト教徒は何ですか? キリスト教徒は神様に反対する者たちですか。そのようにするので、「汝の家のものが怨讐である」と聖書に記されているのです。アメリカの牧師たち数千名を集めて、「クリスチャンの中で一番神様に近い人は誰ですか?」と聞いたのです。すると、牧師たちもこうするのです(先生がしぐさされる)。(笑い) ですから誰が一番近いかというと、ここにいる人が一番近いのです。その一番近い人が無罪であれば、一番遠い人は当然有罪なのです。キリスト教が罪を犯してしまったのです。罪を犯した人を擁護する者はすべて共犯者になるのです。ですから、大韓民国が滅びキリスト教が滅びても、このレバレンド・ムーンは滅びません。
 先生の摂理的観で見た結果は、必ずそのようになっています。私が大韓民国と共に二十年過ごせば、私が下りていくでしょうか。大韓民国が下りていくのでしょうか? (大韓民国が下りていきます)。では、既成教会と統一教会はどちらが下りていきますか? (既成教会が下りていきます)。終わりの日に天地に明らかになって、正義が歴史上に自然に現れるようになる時には、大韓民国が私のもとに来て頭を下げなければなりません。クリスチャンたちが、私のもとに来て頭を下げなければなりません。(アーメン)。(拍手)

 皆さんは、解放されて何をするのですか? (自由になります)。解放されて何をするかというと、幸福になるのです。幸福になるにはどこに行って、何をどのようにして幸福になるのでしょうか。解放されて成功して幸福になるのです。幸福になって故郷を訪ねていって、父母、祖父母、後孫たちまでが喜ぶような平和の基地をつくるのです。クリスチャンたちは「イエス様を信じて天国へ行こう」「教会へ行けば天国へ行ける」と言いますが、統一教会の教えとどちらが正しいでしょうか。統一教会に来れば天国に行けるという話と、イエス様を信じれば天国に行けるという話はどちらが正しいと思いますか? イエス様を信じて誰か天国へ行けましたか。天国に行ける者もいるし、行けない者もいるのです。三つの者がいるというのです。天国に行こうとする者たち、天国に行けない者たち、天国に行ける者たちです。どの立場の者が多いと思いますか。イエス様は「怨讐を愛しなさい」と言ったのに、夫婦同士が互いに愛し合うことができずして天国に行けるでしょうか? (行けません)。また、息子や娘と父母がけんかしていて、彼らは天国に行けるでしょうか。お互いに、義父や義母と争っている嫁が天国に行けるでしょうか? (行けません)。天国は平和な所なのです。幸福な所なのです。では幸福と自由はどちらが先でしょうか。自由が先ですか、幸福が先ですか? (自由です)。自由になったあとに幸福になるのです。それでは何が幸福にさせますか。自由が幸福にさせてくれますか、何が幸福にさせてくれますか。男にとっては女が幸福にしてくれるのです。女にとっては男が幸福にしてくれるのです。

 解放されたとしても、人間は幸福ではありません。一九四五年に大韓民国は解放されたのですが、大韓民国は幸福になったでしょうか。アジア全体が解放された時に、この大韓民国も解放されるべきなのです。どんなに大韓民国が解放されたとしても、アジアが解放されなければアジア圏内にある大韓民国は不幸なのです。このように見た時、いかにアジアが解放されたとしても、世界が解放されなければ、アジア自体も不幸なのです。大韓民国の中においても今日、与党と野党が争っている状態では、国民は決して幸福ではありません。与党と野党がお互いに解放されて、仲睦まじく和解して一つになったとしても、南北が分かれた状態では不幸なのです。同様に、おじいさん、おばあさんがいくら幸福だとしても、父、母が不幸な時には、孫やその家族は幸せではないのです。上、中、下が一つに和合して、お互いに公平に授受できるような立場にならなければ、三代の家族は不幸な所へ下がっていくのです。

 このように見た時、地上が不幸であれば霊界も幸福ではないのです。すべて相対圏としてつくられたこの世界は、上下前後左右を中心とした関係で存続するすべての存在物は、ある一面へ傾くようになると決して幸福になることができないというのです。例えば、おじいさんやおばあさんが貧しく生活しているのに、「ああ、私は金持ちだ。黄金を体に巻きつけている。金持ちなのだ」と言って、息子が金持ちになれば父母は幸福でしょうか? (いいえ)。息子の身に付けている黄金を全部奪っていこうとするのです。もしその家に十人が住んでいるとすれば、十分の一ずつしか持っていけません。それで幸福でしょうか? そこで、自分の欲望の解放を得るために、祖父母も、父母もみな、「私によこせ!」と言うことでしょう。そして一人は幸福になるかもしれませんが、残りの九人は、「この者、一人で上がっていくのか!」と言って互いに不幸になるのです。なぜこのような話をするのかというと、天地がいかに大きいといっても、その天地も同様に自由を願っているというのです。ですから秋になるとすべての昆虫たちは歌を歌います。なぜ歌を歌うかというと和合するためです。動物たちは様々な言葉でみな歌を歌います。「チイ、チイ」「チュウ、チュウ」「ワン、ワン」「ヒン、ヒン」などと、すべて相対的にできているのです。

 誰によって何から解放されるのか

 さて、それでは人間が解放され、幸福の世界が訪れてきたその時に、すべての人々は旗を振って「私はうれしい! 解放された。解放された。何々から解放された!」と言いながら、秋の虫のように歌を歌うでしょうか。さらに人権が解放されたとすると、人権解放を主張してきた男女は、果たして平等になれるでしょうか。私がアメリカで女性に厳しく対した時、「レバレンド・ムーンは女性反対運動者だ」と言われました。それでみな険しい顔で先生を訪ねてくるので、「まず、私の話を聞いてみなさい」と言ったのです。しかし、先生の話を半分も聞かないで目を白くして出ていこうとするのです。いったい誰の話が正しいでしょうか。先生のほうが正しいというのです。年を取った人たちは誰の話を聞きますか。博士たちは誰の話を聞きますか? 一番先生の話を聞かないのが教授たちです。また一番話を聞かないのが怨讐の国々なのです。しかしこの日本人はなぜ、怨讐の国の人であるレバレンド・ムーンの話を聞くのでしょうか。また、共産党はなぜレバレンド・ムーンの話を聞くのでしょうか。今まで憎くて仕方がなかったレバレンド・ムーンと統一教会なのですが、この統一教会に潜伏して修練を受けてみると、一週間もたたないうちに逃げ出すのです。統一教会の人たちは、共産党の人たちとは違うからです。「今まで、我々はこういう人たちをなぜ滅ぼそうとしてきたのか」と思うと、自分自体が天罰を受けそうな気がしてみな良心の呵責を受けて逃げ出すのです。そして、共産党の中で仲たがいを起こす人々も多く出るのです。ですから、そのような共産党を解放できるのは、この統一教会しかありません。

 最近、韓国では共産党が何と言っているかというと、「独裁政権よ、出ていけ!」と言っているのですね。それで火炎瓶を投げたりしているのです。それで投げようとすると、まず片足を挙げなければなりません。しかし、先に足を挙げる者が、相撲では十回なら十回とも負けるのです。それはなぜかというと、このように先に手を出すほうが常に悪人だからです。

 皆さんは誰の解放を受けたいですか。自由を求めて、仮にこの大韓民国において平民党の人々がデモをして自由を得たとしましょう。平民党から大統領を選んだとして、それでこの国は良くなるでしょうか。とんでもないことです。同じことです。今まで飢えていたのでもっと食べようとするかもしれません。何でも拾って食べようとするかもしれません。全斗煥前大統領は滅びたくて滅んだのでしょうか。盧大統領は何がしたくてこうしているのでしょうか。良くしたくても仕方がないのでこうしているのでしょう。この文総裁も悪口を言われたくて言われてきたのではありません。仕方なく言われてきたのです。(笑い) これは率直な話です。宗教指導者は率直なのです。「苦いのは苦い、甘いのは甘い、良いのは良い、悪いのは悪い」と言うのです。政治家は「こうでもいいし、ああでもいい」と言うのですね。そのような政治家の話にだまされてはなりません。彼らのトップはこういう文総裁の話を聞くたびに、「文総裁はあまりにも率直なので困る」と言うのですが、困るなら先生を訪ねてくる必要はありません。彼らが訪ねてくるので話してあげているのです。そのことによって私が行くべき道を妨げることはできません。困らなくてもいい人が困難を受けているのですから、困難を受けるべき人は当然受けなければなりません。それが天地の道理なのです。



 さて、このように地上の幼虫までも神様が見た時、解放の風が吹いた時、ハエの幼虫があまりにもうれしくて、「私も解放のハエだ!」と言って、神様の鼻を刺した時、神様は「痛い、痛い!」と、解放のハエを捕まえて殺すでしょうか。「そうそう君の喜びが分かるよ」と言われるのです。神様もそれを願っておられたのです。天地万物がすべてそのような解放の日が訪れたらどんなに良いことでしょうか。そうなれば、おじいさんが一番喜んで、おばあさんが一番喜んで、「おじいさんの解放であると同時に、私の解放だ!」と言うのですね。「ああ、父母の解放であると同時に、私の解放だ!」と言うのです。さて、そう言うのは誰でしょうか。そのような解放は何の解放でしょうか。

 今まで宗教が教えてきたものは、何の解放かというと罪からの解放なのです。神様もそれを願い、私たちのおじいさん、おばあさん、お父さん、お母さん、息子、娘も、すべての五十億人類も、またこれから生まれてくる後孫までも、罪から解放される日を待ち焦がれているのです。しかし、すべての人々は罪から解放されましたか。罪から解放するというのですが、その罪の根っ子は何ですか。その罪の根っ子を掘り出してしまわなければなりません。根は何ですか。これは深刻な問題なのです。

 今日まで、この文総裁は世界中から悪口を言われて、多くの厳しい風雪を経てきましたが、それは何のためだったのでしょうか。お金をもうけるためにそのようなことをしてきたのでしょうか。七十歳になった時、そのお金できれいな服を着るためですか。お金をかけて良い服を作れば合わないことはありません。しかし、そのような服を着る時は良いですが、着てみると寂しさと哀れさが生まれてくるのですね。服を着た最初は、蝶が飛んできて五色にきらめく香りがするほどなのに、その色があせて、あかが染みたようになると、通りすがりのハエしか訪れないというのです。お金とはそのようなものです。では、何から解放されるのが一番良いでしょうか。もしすべての先祖であるところの神様から、末端の万物まで「解放だ!」という一声が一度聞こえたならば、もはやこの世界は、このように呻吟したり、複雑でなくなるでしょう。

 解放されるためには蕩減を払わなければならない

 それでは今日、この統一教会は何を統一しようというのでしょうか。統一しなければならないことは何ですか。きょうのみ言の題目は「解放と復帰」なのですが、解放が先ですか、復帰が先ですか。病気になった人は病院に入って、苦い薬を飲んでこそ、病から解放されるのです。そのようなものです。私たち人間は罪から解放されなければなりません。苦しくて、苦い罪の根が私たちを取り巻いて固く縛りつけているのです。ここから解放されなければなりません。さて、それでは解放されるためには何をしなければならないかというと、固く縛りつけられている状態の反対のことをしなければなりません。宗教を信じるのもこの世から解放されるためなのです。しかし、この世から解放される前に氏族から解放されなければなりません。氏族から解放される前に家庭から解放されなければなりません。家庭から解放される前に男女から解放されなければなりません。男女から解放される前に自分から解放されなければなりません。しかし、国から解放されることを願う人々は多いのですが、自分から解放されることを願う人々は少ないのです。この大韓民国自体も罪に陥っているのです。

 そのように、自らが解放されるためには、今日この統一教会でいう蕩減を払わなければなりません。病気にかかったならばそれを治すために、病気にかかった反対の道を行かなければなりません。上がっていこうとして病気になったのであれば、反対の道を下がっていかなければなりません。豊かに生きようとして病気になったのであれば、貧しく生きるべきです。それでこそ蕩減になるのです。すべての人々がそのように生きれば解放されるのです。世の中をこのように見た時、上がっていこうとする人が一〇〇人いても、下がっていこうとする人が一〇〇人いればいいのですが、全部が上がっていこうとするのです。また、病気にかかった人たちが、御飯をたくさん食べて、たくさん遊んで、眠りもせずに健康な人と一緒に同じ生活をしていて病気が治るでしょうか? (いいえ)。みな上がっていこうとして病気になったのですから、病気から解放されるためには下がっていく運動をしなければなりません。その運動が宗教なのです。



 では、宗教を信じて上がっていこうとする人たちの前に、この統一教会は「下がっていく」と言うのですが、皆さんの周りの人は「下がっていきなさい」と言いますか? (いいえ)。目を真っ赤にして反対するのですね。「そんなに急がないで、適当に信じればいいのに」と言うのです。そのような人は川の表面の水になることはできても、一〇〇〇年たっても川底の水にはなれません。水が入れ代わるためには岩がなければならないのです。それで神様は知恵深いお方なので、渓谷に流れる水を岩に突き当てて全部、上下左右、東西南北に混ぜ合わせるのです。ですからそのような水は、どこに行って飲んでも病気になりません。平地を流れる水は、むやみに飲むと病気になるのです。表面だけを流れる水は腐るのです。表面から腐っていくのです。きゅうりやすべての果物も表面から腐っていくのです。動物は骨が先に腐りますか、肉が先に腐りますか? (肉が先に腐ります)。そうです。では、表面を回りたい人は手を挙げてください。底辺を回りたい人は手を挙げてください。これは尋ねるまでもありませんね。

 人はすべて底辺に入るのを好みますか、頂上に上がっていくことを好みますか? (上がっていくことです)。愚かな者も上がっていこうとし、優れた者も上がっていこうとすればどうなるのですか。もし、優れている者の上に愚かな者が立てば、手荒い扱いを受け苦労するのです。ですから、この統一教会は渦巻きに沿って下りていかなければなりません。下りていくためには、たとえ祖父母や父母、夫や妻、兄弟姉妹などの反対を受けるようなことがあっても、一度に越えていかなければなりません。一つずつ越えてはいけません。聖書にも「終わりの日には汝の家のものが怨讐だ」(マタイによる福音書第一〇章三七節)ということが記されています。聖書のみ言が成就する時には、おじいさんも反対するし、おばあさんも反対するし、父や母、夫や妻、子女たちまでもが反対するのです。それを勝利しなければなりません。ですから世界的に、歴史的にそれを勝利できた宗教団体は、望ましい団体なのです。

 宗教という文字は、山の背の「宗」と、教える「教」の字から成っています。「山の背になる教え」が崩れてしまったならば、すべてが滅びるという意味です。この宗教が無力なので、大韓民国もこのありさまなのです。本来は宗教は国を従え、世界を従えていくべきです。国に引っ張られていく宗教になってはなりません。今日、統一教会を御用教会と言う人がいますが、御用の反対は何ですか、そこの大学教授どうですか? (実勢です)。実勢という言葉は初めて聞きました。それでは何の意味か分かりません。統一教会は、今まで御用団体と言われてきました。共産党の者たちがそう言うのです。民正党、民自党の連中が統一教会を御用教会だといって、国民と仲たがいさせようとしているのです。また、キリスト教と仲たがいさせようとしているのです。私は今黙っているのですが、今に見ていなさい。これがもし回り始めて三六〇度を回ってゼロになった時には、止まらなければなりません。でなければ追放されるのです。この世の道理がそうなっているのです。悪なる者は一度三六〇度回ってしまえば、もう行く道がありません。しかし正義の人は三六〇度回っても、また、いくらでも反復できるのです。しかし、悪い人は「早く行って滅べ! 早く行け!」と言われるのです。次に行く道がありません。一方通行なのです。最後にはすべて除去されてなくなるのです。

 それで文総裁は、韓国人で初めて世界を一周してきましたが、何を韓国に背負って帰ってきたのかというと、多くの悪口なのです。また、多くの傷をもって帰ってきました。この文総裁の服を脱がして見ると、日本の鞭で打たれた傷、アメリカの鞭で打たれた傷、ドイツで打たれた傷、イギリスで打たれた傷、フランスで打たれた傷、どの国もこの文総裁を打ったのです。ですから、先生の服を脱がした時には、いかなる父母も、兄弟も、姉妹も、妻子も慟哭するのです。それで、先生はもっと泣きなさいと言うべきですか、もう泣かないようにと言うべきですか。「おじいさん、おばあさんもう大丈夫です」と言わなければなりません。そして、「なぜそのように打たれたのですか?」と尋ねられた時、「私はよく食べて、良い暮らしをしようとしたためではありません。私は打たれるべき者ではなく、反対に世界が打たれなければならない代わりにこの私が打たれてきたのです」と答えるのです。人々がそれを知った時にはどうなると思いますか。その時は父も母も泣いて頭を下げるのです。また、それまで泣いたこともない息子が涙ながらに、「世の中で私を分かってくれる人は一人もいないけれども、私にとってこのような故郷の母が必要なのであり、おじいさん、おばあさんが必要なのであり、妻子が必要なのであり、兄妹が必要であるということが分かりました」と言うのです。そして世界万民が私に報いたいと願ったことを、自分の父母に報いてあげるようになることでしょう。このようになった時、すべて氏族の中心存在として登場することができるのです。何の話か分かりますか?

 世界中を回って再び故郷に帰るこの道

 統一教会の文総裁は世界中から追われてきたのですが、今日、韓国に帰ってくると、日本人も先生に付いてこようとするし、アメリカ人も、世界の人々が先生に付いてこようとするのです。そして、「先生の願いに対して、私たちに責任をもたせてください。先生の責任が重くて死にそうなのでしたら、私たちがそれを守ります」「この国が滅びそうなので先生が心配されるのでしたら、自分が滅びても私たちはこの国が滅びないようにします」と言うのです。このような運動が若い人たちの胸の中から世界的に燃え上がってくるようになった時、果たしてその国は滅びるでしょうか? (滅びません)。そして、先生を訪ねてきた人々は、先生がいなくても行くべきこの道を行こうとするのです。それが死地であっても行くでしょうし、以北であってもソ連であっても行くことでしょう。先生が世界中を回って難しいこの道を経て故郷に帰ってきたように、私たちも故郷を発ってその道を経て、世界中を回って再び故郷に帰るのです。そして、故郷の我が家を訪ねていって、そこに先生に侍る場所を準備して、「先生、お迎えにまいりました」と言ってこそ忠孝の道理にかなうのです。しかし、その準備ができていないのです。

 文総裁は韓国に帰ってきて、約一年間何をしましたか。大韓民国を売り飛ばす詐欺師のようなことをしましたか? (いいえ)。かわいそうなこの民族のために学校を建ててあげようとしたのに、それを大韓民国が嫌だと言うのです。神様の臨在なさる教会を建ててあげようとしたのに、既成教会は嫌だと言うのです。そこで日本人や外国人が先生に付いてきて、教会を建ててあげようというのです。私には嫌だと言うけれど、日本人に対してはどうでしょうか。また、アメリカ人に対してはどうでしょうか。どんなに私を嫌う民族であったとしても、もし、私に従ってきた日本人を私の代わりに愛するのならば、それを見て私は彼らを許すでしょう。アメリカ人がこの国に来て、私の代わりに「ために生きよう」とした時、彼らを歓迎するならば、それを見て私は過去のことを忘れて許してあげるというのです。大韓民国が滅びないためには、このような外国の人々に良くしてあげなければなりません。日本のメンバー! (はい)。先生が今何を話しているか分かりますか。(笑い) 言葉が通じなくてかわいそうですね。日本にいれば自由なのになぜ韓国に来ましたか? おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さん、お姉さんたちがいて、どこかに行って帰ってくると「お帰りなさい」と言ってくれるし、言葉が通じるのですが、この韓国では一日中働いて遅く帰ってきても言葉が通じないのですね。

 さて、先生がたくさんお金を使う時に、皆さんが先生のために使うお金と、先生が皆さんのために使うお金と、大韓民国が先生のために使うお金と、先生が大韓民国のために使うお金はどちらが多いですか。大韓民国が私に負債を負うでしょうか、私が大韓民国に負債を負うでしょうか。皆さんが私に負債を負うでしょうか、私が皆さんに負債を負うでしょうか。どっちですか? 負債を負った人は僕にならなければなりません。でなければお客でしかありません。二つに一つです。負債を負わせる人は主人になります。統一教会には多くの人々が集まってきていますが、君たちが先生に負債を負ったのですか、文総裁が君たちに負債を負ったのですか? 誰が誰に負債を負いましたか? (私たちが先生に負債を負いました)。

 人生において原理のみ言がいかに尊いものか分かりますか。それは先生が命を懸けて、まるでぼろ布のようにこの身を投げ出して探し求めてきたものです。その時、誰か一人でも先生を協助してくれましたか。これからはますます原理の価値が大きくなっていきます。大統領が訪ねてきて原理のみ言を崇拝し、国王が訪ねてきて原理のみ言に万歳して、「不変なる真理であり、私の国と取り替えることもできないほどの尊い真理なので、この原理を教えてくれる先生の前に国をささげたい」と言う国王がこれから多く出てくることでしょう。

 日本の人たちは、先生に負った負債を返すためにすべてをささげようと思っているのです。それなのに韓国の男や女たちは、先生に負債を負ったのにそれを切ってしまおうとしています。日本のメンバーは先生に負債があるとそれを必ず返そうという決意をもっているのですが、韓国の人は負債を返そうとしないです。言葉は通じなくても日本人の行動は、天に近いものをもっているのです。韓国人の負債を負ったものをすべて返しても余りあるものになっています。言葉が通じなくても先生のみ言が分かっているのですね。

 このことは、日本語で日本人に語ったほうがもっと反応がいいですね。(笑い) この中で韓国人は手を挙げてみなさい。日本のメンバーは手を挙げてみなさい。(はい)。どちらが多いですか。多くの人々が聞くのが善ですか、それとも少ない人々が聞くのが善ですか? (多くの人々が聞くのが善です)。多くの人々が聞くのが善ですって? ではこれから日本語で語りますよ。(笑い) 君たちは先生が好きですか? (イェー)。雪の上を走るあのスキーですか? (笑い) どちらのスキーですか?

 宗教の道は十字架の道

 きょうの先生の話の題目は何でしたか? (復帰と解放です)。復帰と解放の意味が分かりましたか。内容は簡単なのです。罪のない世の中にするには、復帰路程を通らなければなりません。復帰路程を通るためには、蕩減条件を払わなければなりません。ですから、宗教の道は十字架の道なのです。イエス様もよく語っておられるように、「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない」(マタイによる福音書第一〇章三七節)ということです。それが条件なのです。各自の十字架という蕩減の道が残っているのです。先生もその道を越えてきたのです。このことを日本語で話したほうが良いですか、韓国語で話したほうが良いですか。この結論をつけなければ先生は行ったり来たりしなければなりません。(笑い) 日本人にとって一番の牢屋は韓国語を語る所ですね。さあ、もう二時間もたちました。私がこのように話をしていては限りがありません。

 それでは、我々堕落した人間は何を背負っているのですか。堕落した人間は重い荷物を背負っているのです。それでイエス様は「すべて重荷を負うている者は、わたしのもとにきなさい」(マタイによる福音書第一一章二八節)と言われたのですね。(はい)。そのような重荷を背負っているのです。何の荷物かというと罪悪の荷物なのです。これが問題なのです。今日のクリスチャンたちはそれを正しく知らなければなりません。何の罪悪の荷かというと原罪の荷なのです。それはサタンの血統をもっているということです。サタンの血統なのです。分かりますか? (はい)。悪魔の血を根っ子として生まれたのです。このことは、サタンの血統から解放されなければならないということです。サタンが我々の先祖になっているのです。ローマ人への手紙第八章に記されているように、サタンが我々の父になったし、我々の母になったのです。本来ならば神様の血統と、神様の王子、王女の血統を相続しなければならないのに、神様の僕である悪魔、天使長の血統を受け継いだのです。天使長が悪魔になりました。その僕の血統を受け継いだのです。

 永遠の福地伝統を相続する価値ある血統とならなければならないのに、何ですか! 韓国でいうならば、両班の血統を相続しなければならないのに、何ですか! 僕の中の僕が何なのか知っていますか。皆さんは屠殺業者というものが何か知っていますか。昔は謀反を起こした罪人などが屠殺業者になったのです。伝統を無視したり、伝統を破壊する者はこのような最も厳しい罰を与えられたのです。この世における法ですらもそのように厳しいのに、我々は神様の天理の道において何の罪を犯したかというと、天の国の王子、王女、天の国の皇族とならなければならなかったのに、僕の僕となったのです。そのような滅びるべき者となったので、終わりの日には滅びてしまわなければなりません。ですから、何の罪から解放されなければならないかというと、サタンの血統から解放されなければなりません。

 さて、皆さんは誰に付いていきますか。サタンの血統に付いていきますか。女たちの唇はどこに付いていきますか? サタンの唇なのです。サタンの血で真っ赤になった唇なのです。また四肢五体はサタンの血を受けてサタンの血に骨髄までも埋もれているのです。有史以来誰一人として、このサタンから逃れることができなかったのです。

 仮に、何千年と経た大木があるとします。古い枝の葉はたくさん落ちて、枝もたくさん腐って、たくさん死にました。五十億の人類はこのように一つの大木なのです。すべてが血筋で連結されているのです。これを全部脱しなければなりません。ですから「世に勝て! 歴史のすべてのことを克服しろ! サタン世界の悪なるすべての歴史にぶつかっても壊れるな! 絶望するな!」と宗教は教えてきたのです。「どんなことがあっても、絶対に自殺するな」というのです。自殺をしてはいけません。自殺をすれば地獄の底へ逆さまに落ちていくのです。それが分からないから自殺するのです。最近韓国では、大学受験の問題で自殺する高校生が多いのですね。生命は自分だけのものではありません。お母さん、お父さんのものです。大韓民国のものであって、自分のものではありません。自殺するのはお母さん、お父さんの体を打ち、国を打ったことになるのです。ですから、自分の存在基盤がなくなるのです。

 それで私は今回、世界日報に「自殺したい人は一度世界日報に相談するように」という広告を出しなさいと言ったのです。もう広告は出しましたか? (今、準備しております)。毎日のように出さなければなりません。そうして自殺しようとする人を訪ねていって、どんなに悪口を言われてもその人の話を全部聞いてあげれば、もしその人が死んだとしても恨みは残らないのです。お父さんも、お母さんも知らないうちに死んだとすれば、それはどんなに悲しいことでしょうか。ですから新聞社の看板を付けて、世界を代表して聞いてあげるのです。そして最後に、「私たちの話を聞いてみなさい」と言うのです。ですから私たちのセンターを造らなければなりません。(はい)。これからは世界の有名な博士たちやノーベル賞の受賞者もみな、「韓国に行きたい。私の故郷は韓国です!」「私はすべてのものを捨てて、韓国に行って死にたい。韓国の土になりたい」と言うようになるのです。そのような証をテープに取っておくのです。(はい)。自殺しようとした人に、そのようなテープを見せてあげるのです。

 また文総裁は自殺防止の特効薬をもっているのです。(笑い) それは本当なのです。今日まで私は自殺しそうな人々をどんなにたくさん助けてきたことでしょうか。西洋の人々も、日本の人々も、韓国の人々もそうですね。このように死ぬべき人々を助けてあげてきたのになぜ大騒ぎするのですか。現実にはまず夫が反対したのですね。「お前が死ねば私はもう一度結婚できたのに、お前が統一教会に入ったので死なずに生きている!」と言って、迫害したのですね。

 さて、私たちは何から解放されなければなりませんか? (罪です)。何の罪ですか? (原罪です)。歴史的な重い罪を背負ってしまった私たちは、この恨めしい荷物をいつ下ろすのでしょうか。千年万年たっても自分自身では下ろすことができません。ですから、私たちには救世主が必要なのです。何の救い主ですか? 罪悪から解放して、サタンの血統から解放してくれる救い主なのです。ですから、真の橄欖の木が出てくるのです。イエス様も「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の生命があり、わたしはその人を終わりの日によみがえらせるであろう」(ヨハネによる福音書第六章五四節)と言われたのです。それはサタンの血を除去して、天国の本然の血を受け継がなければならないということなのです。この死亡の世界に来られたイエス様は、自らの死を通して私たちに生命の血を与えてくださったのです。そのような方が救い主だというのです。

 サタンの血を受けた人は自分のみを考えるのです。サタンの血を受けた人は、自分を主とした人なのです。今日、アメリカのキリスト教文化圏がなぜ、あのように個人主義の国家になり、すべての人々がヒューマニストになってしまったのでしょうか。そして、最近は世界中を混乱させています。末梢神経を刺激するのが幸福であり、幸福を探し求めていくと言いながらも、最後は全部癩病になっているのです。夜昼愛し合っている者はエイズにかかってみな枯れて落ちるのです。罪の値は何ですか? (死亡です)。その意味するところは何かというと、サタンの血統から解放されなければ地獄に行くということです。

 私は霊界についてすべて知っています。ですから、このような業を行うのです。このままにしておいてはいけないので、私はメスを突き付けるのです。キリスト教も門を開かなければなりません。大韓民国も門を開かなければなりません。四十日以内に、すべて回っていかなければなりません。先生がこのような特効薬をもっているので、悪魔は先生に食い下がるのです。「あれは全部、異常だ! 文総裁の薬は異常だ!」と言うのです。皆さんは先生の教えによって全部死んだのですか、生かされたのですか? (生かされました)。死のうと思ってここに来たのですが、反対に生かされたのですね。それは不幸ですか、幸福ですか? (幸福です)。統一教会に入って幸福になりましたか? (はい!)。皆さんは父母にも冷遇され、先生にも冷遇されるのに何が幸福なのですか? (それでも、幸福です!)。

 皆さんがどこに行っても、なぜお母さんやお父さんは、「こいつめ。統一教会を信じるとは!」と悪口を言うのでしょうか。さらにまた、先生も皆さんに対して、「ああ、寒いでしょう、冬に出かけて活動することはどれほど寒いことでしょうか」と言いますか。反対に皆さんが帰ってくると、「この者たち! なぜ時間になる前に帰ってきたのですか! 今、十二時前なのになぜ帰ってきたのですか!」と叱りつけるのですね。なぜそのようにするかというと、罪の飾りものを脱がせるだけではなくて、罪の骨をえり分けなければならないからです。ですから、昔の中世キリスト教や寺院でも苦行を強いてきたのです。しかし、それらは、人間自体の解放を探し求めることができなかったのです。その理由がどこにあるかということが分からなかったからです。

 血統をすべて取り替えなければなりません。誕生してみると、A型でなければならないのにB型になってしまっていたというのです。それでB型の血をすべて抜き取ってしまい、A型の血を満たさなければなりません。

 しかし一度にA型の血を満たしてはなりません。少しずつ、少しずつ満たすのです。宗教を通して一生の間、修理過程を経なければなりません。自分の思ったとおりに生きようとしたり、今までの習慣をもって生きようとする者は地獄へ行くのです。

 この原理を探し求めるために

 さて、きょうは先生の誕生日なのですが、皆さんは何のためにここに集まったのですか。お祝いをするためですか? (はい)。それではお祝いの感謝献金をもってきましたか。

 原理の道がどんなに難しくて、この原理を探し求めるためどんなに先生の骨髄が溶けたことか分かりますか。先生の性質は火のようなのです。そのような性格をもった先生なのでこのみ旨を成してこれたのです。この原理の内容は実に膨大です。最近ではアメリカの国会議員たちも、この原理を受講して、異口同音に「ハッー」と、(先生しぐさされる)このようにしているのです。教授たちもこの原理を聞いてみな、降参したというのです。両手を挙げて、東西南北がこのようになるのです(先生しぐさされる)。今まで無視されてきたこの統一原理が、このように世界的に歓迎されるようになるということをいったい誰が知り得たでしょうか。また、冷遇されてきたこの文先生に対し世界の王たちが仕えるようになることを誰が知り得たでしょうか。

 それでは、きょうの先生の誕生日を祝うためにどのような家が準備してあるのですか。(本部教会の隣にある新しい建物を御覧になりながら)あれは、誰の家ですか? (天主教です)。統一教会ではなくて天主教なのですか。天主教はどんな所なのですか? (修道女のいる所です)。修道女たちは何をすべきかというと、神様の前に孝女になるというのですね。ではこの統一教会は何をするのかというと、文先生は何をする人かというと、神様の孝子になろうとするのです。そして、孝子になって何をするかというと、神様のすべての愛を相続するのです。そのようにして神様の愛を受けたならば、あらゆる人々を食べさせて、助けてあげなければなりません。この先生も統一教会の食口たちを食べさせて助けているでしょう。(はい)。それでは、何を食べさせてあげるのですか。御飯を食べさせて助けるのですか、霊的糧を食べさせて助けるのですか? (霊的糧です)。既成教会はそれを食べないで、統一教会の悪口を言い、みな反対してきたのですね。病院で患者が注射を受けようとしなければ、医者はその患者を縛りつけてでも注射をすることは、悪でしょうか、善でしょうか? (善です)。ですから先生は、統一教会に入ってくる人には悪口を言うのです。しかし、「どんなに悪口を言われてもついていきます」と言う人々は、この世の人々よりも素晴らしい人々なのです。(アーメン)。良い学校であればあるほど生徒に厳しいのです。統一教会の食口たちも、そのようにして訓練するのです。

 では、神様の前に誕生日のお祝いの感謝献金をいくらしますか。先生が死ぬ前までにどのくらい献金するのか約束してみましょう。紙に書いて出してください。まず献金をどのくらいできるのかを計算してから、のちに自らの暮らしを立てていくのです。そのように、一度紙に書いて出してみましょうか? (はい)。「私はこれくらい献金します」と書いてみてください。そして合計を出してみましょう。何の話か分かりますか? (はい)。

 先生は七十歳になりました。キリスト教においては七年ごとに一年休むのです。先生は七十年ですから何年休まなければならなかったのですか? (十年です)。十年休まなければならなかったのですが、誰のためにこの十年を休めなかったのですか? (統一教会のためです)。統一教会のために十年休めなかった値を蕩減しなければなりません。

 結論は何から解放されるのかというと、サタンの鉄の網から解放されなければなりません。皆さんはサタンの血筋で縛られているのです。そこでイエス様が来られて、それを切ろうとされたのですが、その時代には何も語ることができませんでした。今日、民主主義の時代、自由言論の時代が訪れたのですべてを語ることができるのです。イエス様は「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない」(マタイによる福音書第一〇章三七節)とだけ語られたのです。世の中にそのような話がどこにありますか。そのように独断的で、特権的な独裁者がどこにいますか。「あなたの家族が怨讐だ」と言われたのです。なぜ、サタンは血筋によって首を縛りつけるのかというと、情があるからです。この情がサタンの血筋のひもなのです。サタンはその情のひもで縛りつけるのです。ですから宗教の世界においては、「独身生活せよ」と言ったのです。情を通じてくるのが禍根だからなのです。分かりましたか? (はい)。ですから、自分を捨て、家を出て入山修道したのです。人間と相対すれば情が通じるからです。血筋で揺れるのです。ですから、情が通じない山の中に入って動物たちと自然を相対にして、本性の位置を探し求めて、人生の最後の決断をかけて勝利の解放を求めていったのです。そのような道が残っていたために、今日まで逆説的な道を経てきたという事実を知らなければなりません。そして二十世紀の文明圏内においては、サタンが都市ごとに高層ビルを建てて金持ちを中心として、みな敷地を陣取っているのです。

 このままではサタンを救うことができません。ですから、神様は文総裁を立ててこれをみな収拾しなければならないというのです。

 統一教会のみ言を聞くようになる時には、一気にすべてが解決します。しかし、この道を行くとき、自分の父母が怨讐となり、自分の国が怨讐となり、自分の兄妹が怨讐となり、さらに自分自身が怨讐となるのです。自分を一番愛そうとするので、自分の中の体と心が戦うのです。体が心を主管してはなりません。心が体を思いどおりに主管しなければなりません。反対する体を打たなければなりません。それゆえ、先生は三十歳まで御飯に飢えることを習ったのです。お腹の空かなかった日はありませんでした。統一教会の若者はそれを知らなければなりません。ヤコブが歩んだ道をイスラエルの一族が行かなければならないし、モーセが歩んだ道をイスラエルの民族が行かなければならないし、イエス様が歩んだ道をキリスト教の信徒が行かなければなりません。さらに統一教会の先生が歩んだ道を統一教会の食口たちは行かなければなりません。これが原理なのです。

 人間は堕落したので逆の道を行かねばならない

 先生は三十歳まで、おなかの空かなかった日はありませんでした。それはお金がなかったからではありません。三、四月に家から学費を送ってくると、五月を過ぎる前には全部使ってしまったのです。みなかわいそうな人々に分けてあげたのです。そのような逸話がたくさんあります。新聞配達もしたし、いろんな商売をしてきたので、すべてに精通しているのです。先生はこのような蕩減の道を行かなければならなかったのです。

 故郷の平安道からソウルに来てみると、言葉も、風習も不自由で、最初の休みがどれほど待ち遠しかったことか知れません。母も私の帰ってくることを待っていたのです。私の母はどんなにこの私を愛していたことか知れません。死ぬほどに愛してくれたのです。しかし先生はみ旨を知ってから、神様のみ旨のゆえに、まずその母をどのように切るかということが問題でした。姉や妹たちも先生を愛していたのです。それらをどのように切るべきでしょうか。ですから、父母が願うことの反対の行動を取らなければならなかったのです。休みになるとすべての生徒が自分の故郷に帰っていきます。隣近所が慌ただしく、学校が忙しいにもかかわらず、一人で部屋の戸を閉めて、御飯を炊いて自炊をしたのです。それはどれほど悲惨なことだったでしょうか。自炊生活をしながら学校に通ったのです。近所のおばさんに御飯の炊き方を習ったのです。私は米をとぐのがとても上手だったし、女性のやることで先生のできないことは何もなかったのです。編み物などすべてのことができました。女性がいなくても生きていける訓練をしたのです。

 先生は決して醜くなかったので、女性たちもやたらと騒ぎたてたのです。また私は日曜学校の有名な先生でもありました。先生が話をするというと、十二キロ、二十キロも離れた所の若者たちも訪ねてきたのです。ですから妖邪な出来事も多かったのです。それで先生は常に汗の匂いのする服を着ていたのです。昔は学生相手の古着屋が多かったのです。そこで買ったソウルの若い人々の着古しの汚れたもの、匂いがするもの脂垢が付いたつるつるする服をいつも着ていたのです。非常に匂いがするのです。その次は、話をしなかったのです。自分の行く道を準備して立てるべき道を立てておかなければならないのに何を話すことがありますか。夜も昼も私は行くべき道を準備することに忙しかったのです。若い人々はそのような先生を知らなければなりません。神様がいるのか、いないのか。どれだけ考えあぐねたことか、分かりますか? 私の手でそれを解決しなければならなかったのです。正しいことを教えなければならなかったのです。

 そのために私はすべてのことを知らなければなりませんでした。人間は進化して生じたのですか。猿の後孫なのですか? (違います)。神様が創造されたのです。そのように根本から掻き分けていったのです。神様がいるとすれば、すべてのことが解決できるのです。そこで、神様はどうして人間を創造されたのかということの問題を解かなければなりませんでした。そのように身もだえして、やっと人間の責任分担五パーセントという言葉が出てきたのです。皆さん、責任分担という言葉がただ出てきたと思いますか。結果主管圏や、直接主管圏という言葉が、空想家の妄想のように生じたと思いますか。学者たちが字を書くように書いたと思いますか。とんでもありません。このことを探し出すためにはどんなに身もだえして、命を懸けて戦ってきたのか知っていますか。大韓民国の歴史がどのように編まれてきたのか知っていますか。統一教会の先生がどういう歴史を歩んできたのか知っていますか。先生の良いところばかりを相続して、嫌なことは国や世界に残しておいてはいけません。先に国と世界のことを清算してから、自分のことを清算しなければなりません。人間は堕落したので逆の道を行かなければならないのです。自分の解放は世界の端に行ってするのではなく、世界を回って帰ってきて、本郷路を成就したあとにするのです。

 神様が先生の七十歳の誕生日をどんなに待っておられたことか、考えてみたことがありますか。神様はこのまま死ぬまで苦労ばかりさせたいのでしょうか。それとも、もう苦労させたくないのでしょうか? (苦労させたくありません)。自分の責任を成し遂げて、死んでも恨みがないようにして、その国に行くためには七十歳が怨讐なのです。七十歳が過ぎる前に祖国の光復の基盤をつくらなければなりなせん。このように左右の混乱する世界を分別し、主体的な立場に厳然と立って、万民が思慕し希望となるようにしなければなりません。もはや、嫌でも何でもこのレバレンド・ムーンの思想にすがらなければならないのです。

 命を懸けて闘争歴史を引き継いで回っていく

 そのような時代になったのです。民主世界、共産世界がいくら考えてみても、レバレンド・ムーンの思想を消化し、撃破する内容をもつことはできないのです。レバレンド・ムーンの思想は民主世界と、共産世界をみな撃破しても余りあるものです。皆さんは統一教会に入ってきて、驚くべき勝利的伝統の基盤の上に、ただそのまま座ってはしゃいで、歳月を過ごすようになってはなりません。命を懸けて闘争歴史を引き継いで回っていくのです。先生の歩みにギアを挾ませて回っていくのです。エンジンが早く回れば、そのギアも早く回らなければなりません。皆さんは食べて寝て、遊んでいる間にも、この先生は血が凍る闘争をしてきたのです。監獄の向こう側を清算するために、あらゆることをすべてやってきたのです。監獄の門の向こう側に残した天の心情の前に秘められた先生の人格、積みあげた功績は、この世の何をもって比較しようとしても、比較することはできません。それゆえに、霊界も先生に頭を下げるのです。イエス様も、皆さんの先祖もみな、頭を下げるのです。有名な先祖たちが、立派な人々がみな頭を下げるのです。その先生の前に、皆さんたちは何ですか! 大韓民国は何ですか! 既成教会は何ですか! 自分勝手に先生を無視して反対してきたのです。統一教会の者たちも同様です。ですから、国に対して、既成教会に対しても警告します。これからは今までのようにただ打たれてはいません。今までは息子が死にそうでどうにもできない状態でした。水に溺れかけた息子をサタンがひっくり返すのです。映画なんかでもそうでしょう。息子がワニと戦っている時、銃を向けることができますか。失敗すれば息子に当たるのです。しかし、ある段階を越えればそれができるのです。

 遠くない日に正義の審判が下ることを知らなければなりません。それで、きょう私は統一教会の幹部たちにこのような話をしたのです。「二世たちが帰ってくる時、その列は強固でなければなりません。これを二つに分けてその列に沿っていかなければなりません。その列の前をあなたの家庭が横切り、あなたの国が横切り、あなたの世界が横切っても、途切れないように列を組まなければなりません。統一教会の伝統は父母や教会長の言葉に従っていくものではありません」。このような話をしたのです。分かりますか? (はい)。そして列の先頭に立たなければなりません。これからは二世の時代なのです。二世の皆さんが自主的に責任をもって出発する時には、一世のお母さんやお父さんは解放されるのです。皆さんが先発隊になって一線を守らない時には、皆さんの親も死に子孫も滅びるのです。両方共に滅びるのです。このことをはっきり知らなければなりません。そういう時代です。

 このことは博士たちにも話しました。博士の息子や娘たちもみ旨に立たせなければなりません。これは、ただ単に言っているのではありません。そうしなければ両方とも倒れてしまうのです。自分たちが死ねば息子や娘たちも原理を知らずに終わるのです。先生も七十歳を越えたので、皆さんをつかんで、血が固まるくらい、血管が腫れて話ができないほどに、また、喉がひきつって話ができないほどに、悲しみを抱いて血を吐くように勧めるべき時なので、このような話をするのです。博士たち、分かりましたか! 霊界に行ってごらんなさい。私はある老人がアカデミーの功臣なので、その人の家もみな責任をもち、借金もみな私が清算してあげたのです。ですから死ぬ前に統一教会に来て感謝するような後孫を残しておかなければなりません。

 統一教会の文先生は過ぎ去る一人の金持ちなどではありません。白氏というその一族を中心として学界を代表して私が面倒見てあげたのです。黒石洞に住んでいたので、この前先生は行ってみたのですがもういなかったのです。引っ越ししたというのです。この人の代わりに誰か学者が蕩減しなければならないのです。尹博士! やる自信ありますか。李博士はそういうことを知らないでしょう。歴史は生きているのです。正義の旗のもとに歴史は生きているのです。ダンベリーに訪ねてきた時、彼は涙で「先生」と呼んだのです。私はそれを忘れられません。ですからその一族を率いて、王が忠臣を愛するように、忠臣のゆえにその一族を愛さなければならないのです。そうすることによって善君、善王になるのです。

 今回、私は七十歳になったので黒石洞を訪ねてみました。昔、学生の時代に住んでいた黒石洞の家々を全部訪ねようとしたのですが、探し出せなかった家もありました。ずっと以前に住んでいた統一教会はどこだろうかと探してみたのです。これからは、統一教会の歴史を訪ね求めてくる人々が黒石洞にやって来ます。そして黒石洞が白石洞になるのです。暗黒の谷間、昔ここで私が住んでいた所が、世界万民に光明の光を照らす伝統の基地になるのです。昔はそこに川辺もあったのですが、今はその面影は何もありません。黒石洞には教会がないというので教会を建ててあげたのですが、それは黒石洞に統一教会の食口が多くいるからではありません。昔、黒石洞に住んでいた人々にはもう会えないのですが、その後孫たちが多くいるからです。かつて先生と因縁をもった人々の息子や娘たちに会えれば、それはどんなに感激的なことでしょうか。このようにして歴史は復活するのです。このような昔の話をしながら歴史を復活させて、時代の花を開かせるのです。そのような展開を通して、歴史を学ばなければならないし、偉人たちを尊敬しなければなりません。

 愛があればすべて良い

 高価で貴い宝物の価値は、それを買った主人にしか分かりません。お金もちの息子たちは、お父さん、お母さんが宝物を残しておいても全部安物のように売ってしまうのですね。統一教会の若者たちはどうですか。今はみな先生が素晴らしいと言って集まっているのですが、先生が死んだのちにはどうなるのですか。皆さんは誰に付いていきますか。これが問題なのです。統一教会の良いものを取り外して、売り飛ばすという者たちさえ出てくるのです。

 昨日、私はお母様に「一生の間、共に生活して、贈物一つも買っていただけないのですか?」と言われました。そこでよく考えてみると、お母様の言うことが正しいのです。それで、「では、何か買ってあげましょう。それはどれほど大きなものですか?」。私はお母様が何か大きな買い物をしたいのかと思っていたのです。しかしお母様は、「ハンドバックを一つと、靴を一足買ってください」と言うのです。それは、品物よりもその心が尊いのですね。先生に仕えてきた愛する妻の心はお金で計ることなどできません。愛があればすべて良いのです。

 それで、私は初めてお母様を連れて宝石店に行ったのです。この大韓民国において今や、この私のことを知らない人は誰もいないのです。その店に入ると店員が、「いらっしゃいませ!」と言ってさっとやって来ました。彼らはみな「先生のことを知っています」と言うのです。ですから安いものを買うこともできません。かといって、高い物を買えば買ったですぐにうわさになるのです。また夫妻そろって門の前に立って先生に敬礼するのです。ですから、「この安物を下さい」などと言えますか。統一教会の文総裁の体面もあるのですね。それで今さら逃げ出すこともできずにいると、「奥の部屋で良い品物をお見せいたします」と言うのです。そういう時、入るべきですか、入らなくてもいいですか。そういう時にはさっと入らなければならないのです。お母様は以前にもこの店に来たことがあったのですが、私は宝石の名前も何も分かりません。「これはいくらですか?」と尋ねると、一個が一億八〇〇〇ウォンだというのです。それはこれくらいの青いものが付いたのですが、一軒の家よりも高いのです。その次に、ちっちゃなものがあったので、「これはいくらですか?」と尋ねると「九〇〇〇万ウォン」。またその次にネックレスがあったのですが、それは聞いてもみませんでした。このくらいの真珠の玉が連結されているので、きっと高いものに違いないのです。それで一番安そうなものを、「これはいくらですか?」と聞くと、「いくらいくらです」と言ったのです。私はそれが気に入っていたので「これを下さい」。(笑い)値段はいくらなのかみな忘れてしまいました。夕食も食べないで行ったので忘れてしまったのです。そのようにして一個買ってあげました。

 先生はいくらくらいの物を買ってあげたと思いますか。それは謎なのです。私たち二人だけが知っていることです。歴史を忘れてはいけません。私がお母様を素晴らしいと思うのは、私が世界一周して初めてオランダに行った時、生まれて初めてのダイヤモンドを買ってあげたのですが、お母様に聞いてみるともうなくなったそうです。どこにいったのか尋ねても「あげたものはどこにいったか分からない」と言うのです。みなあげてしまったそうです。買ってあげればすぐに、みなあげてしまうのです。そして、あげた人も誰なのかみな忘れてしまうのです。

 先生の見立ては、センスが良く芸術的なのです。私の誕生日には統一教会の者たちが群がってくるのです。それで何もあげるものがないので、昨日ネクタイを選んであげたのです。その場に参加できた人々は幸運に恵まれたのです。また人は覆物が良くなければなりません。昔はよく帽子と靴を見ればその人がどんな人か分かったのです。最近は帽子を被らないので、靴を見るのです。履物が色あせていて汚れていると駄目な人なのです。先生のドライバーも靴がバラバラになっていたので買ってあげました。それでネクタイのほうを選んでいて、ふと見ると教区長たちがみな来ていたのです。それで一つ、二つ買ってあげようと思いました。みんなのネクタイを見ると、自分に合わない物ばかりを選んでいるのです。自分の性格がそうだからです。ネクタイは男にとって、女の指輪やイヤリングと同じなのです。それがあのように暗くては誰が関心をもちますか。それで一本ずつ買ってあげることにしたのです。それで、いくつ買ったかというと、五十本買いました。(笑い) 本当は一〇〇本くらい買いたかったのですが、それでは文総裁のうわさが立つのです。「文総裁があのように多くの人々を連れてきてネクタイを選んでいたのは、きっと貧しいからだろう」と。また「文総裁は多くのネクタイを買っていって商売しようとするのだろうか」と思うのです。それにもかかわらず、ただ触りながら「これ下さい。これ下さい」と言いながら、いい柄をみな私が選び出したのです。それをじっと女店員たちが見ていて、「みな良いものばかり、どのようにすれば選び出せるのですか?」と言うのです。それはあなた方の目より、私の目のほうが良いからです。ですから、お母様もよく市場に連れていくのです。先生の選んだ服を着ると、春にも似合うし、夏にも似合うし、秋にも似合うし、冬にも似合うのです。それはどれほど便利なことでしょうか。そのようにしてさっとネクタイも買っておいたのです。

 きょうの夕方に来ますか、来ませんか? 五〇〇名も来たならば、五十本を分けてやる方法を考えなければなりません。抽選にすればいいのですね。(笑い) 女性が来てもいいのですが、夫のいない女性はいけません。このような話をなぜするかといえば、歴史はそのように綴られているのです。与えて、受けて忘れていくのです。分かりますか? (はい)。ですから、日本人と韓国人がこのように連結すれば良い関係が結ばれるのです。昔の人と現代の人を連結すれば良い関係が結ばれるのです。それと同じように統一教会も、昔の統一教会の伝統と歴史を、私たちの現代の生活と連結させなければなりません。それが正しく相続できない時には、歴史が皆さんを叱責するのです。分かりましたか? (はい)。

 統一教会を無視することはできません

 統一教会を無視することはできません。統一教会を無視するということは先生を無視するということです。私は今朝も三十六家庭の人々を集めて語りました。息子、娘たちが大学院へ行くのは良いですが、先生の息子、娘たちは大学院へ行けなかったのです。原理原則がそうなっているのです。もし、王家に赤ちゃんが生まれないで、悩んでいるというのに、自分たちの息子が生まれたからといって、連れてきて挨拶させることができますか。そんなことができますか? (できません)。先生は苦難を受けながらみんなに勉強させようとして、自慢できるような学校を建てて準備しているのに、なぜ外部世界の学校に行くのですか! そんな所は全部サタンや共産党がうようよしていて、殴られていつ殺されるかもしれないのです。真の統一教会の勇士であるならば、殴られて殺されるかもしれません。

 先生が大学院に行かないようにと言うのは、皆さんが憎いからでも何でもありません。先生は学校をつくり、大学院をつくって、私の息子や、娘たちと一緒に行かせようと思っているのに、それが嫌だというのですか。これ以上の栄光はないのです。一〇〇〇年後のことを考えてみなさい。私たちの第一代目の先祖は、先生の子女様たちと同窓生であったということを自慢できるということが分からないのですか。何だってソウル大学へ行くのですか。ソウル大学は今戦っているのです。高麗大学、延世大学も天の鞭が振り下ろされるのです。「今朝、三十六家庭、七十二家庭は、回れ右!」と言えば、全員が回れ右できますか。私が学校を建てるならば、全員がその成和神学校に転校できますか。自分が行くべき道を正しく知らなければ滅亡します。

 この先生の話は正しいですか、間違っていますか? (正しいです)。先生がきょうまで何を準備してきたか分かりますか。私が統一神学校をつくってから何年目になりますか。もう六年目になるのです。しかし先生はそこに一度も行きませんでした。なぜかというと、学校を建てる前に国を探して立てなければ、共産党の讒訴を受けるからです。国を立てておいて、蕩減条件に引っかからないようにして、後孫が勉強できる環境をつくっておくというのが先生の考えです。ですから、私は統一神学校には行かなかったのです。だから尹博士は、学校を建てる前に設計図を作って先生の承認を受けなければならなかったのです。全部自分勝手に建てたので、失敗して二度も壊したでしょう。それはどうして壊れたのか分かりますか。歴史始まって以来初めてできる教育機関なので、すべて壊れてしまってもその痕跡は残しておかなければなりません。そのような礎石を築いてから始めようとしたのですが、この大韓民国が妨害したのです。

 汝矣島の本部から始めて、我々は学校をどんなにたくさん建てたことでしょうか。水沢里に、清平に、さらに利川に。それらが今残っていたならばどんなに素晴らしいことでしょうか。先生が大学を建てようとすると、政府が全部奪っていったのです。そうであればあるほど、私は一番立派な学校をつくろうと思うのです。先生が梨花女子大学や延世大学と戦った時、梨花女子大学や延世大学以上の大学を必ずつくりますと神様に誓ったのです。ソウル大学も問題ではありません。それ以上の神学大学に皆さんを行かせなければならなかったのに、これは何ですか!

 今年までに入った人は、私が特別に成績の良い人を集めて全員勉強させます。何の話か分かりますか? (はい)。

 この統一教会を無視してはなりません! 先生を無視してはなりません! 神様が願われる基準に至ることができなければ無視したことになるのです。先生自身がどんな位置に行かなければならないのか、先生は知っているのです。その先生の立場を知らないで反対するならば、それは無視したことになるのです。大統領に対して町長扱いするのは無視することです。異端の教祖程度の考えもない悪賢い者たちが先生を無視するのです。統一教会を信じていた者が、統一教会を離れていって、泥棒のような心をもって何をして食べているのですか。その者たちの将来がどうなるのか見ていなさい。何? 統一教会の文先生は再臨主ではなく、洗礼ヨハネだというのですか。洗礼ヨハネでもかまいません。私は再臨主でありたいなどと思っているような人間ではありません。再臨主は簡単になれるものではありません。道楽者のボスたちが統一教会の原理を利用して、自分たちの教団をつくっても、彼らがあとでどうなるのか見ていなさい。善は利用することができません。善をのみ込むことはできません。のみ込んだら死んでしまいます。何の話か分かりますか? (はい)。

 サタンの血統から抜け出さなければならない

 それでは、皆さんは蕩減を受けて何をしようというのですか。まず、サタンの血統から抜け出さなければならないし、その次はサタンの血筋から抜け出さなければなりません。さらにはサタンの家庭から抜け出さなければなりません。皆さんがどんなに抜け出したとしても、もし、皆さんの妻がまだ抜け出せないでいる時には、その妻と一つになれば皆さんも悪の側に落ちてしまうのです。なぜならサタン側は世界的に連結されているからです。皆さんはまだ家庭的です。家庭的基準しかありません。サタンの家庭から解放されなければなりません。分かりますか? (はい)。そのようなサタン側からの解放を受けなければなりません。夫婦の立場で解放を受けなければなりません。二世を通して、今まで綴られてきた愛の血筋を交換させて、真の生命の種を植える夫婦の因縁の真の愛の中で、サタンの血筋を抜け出した立場で妻となり、夫とならなくてはなりません。深刻な問題です。夫婦から解放されなければならないし、家庭から解放されなければなりません。おじいさんやおばあさんが、お母さんやお父さんが、「全部いいです」と言えるようにならなければなりません。

 サタンの血筋を抜け出して本性の立場に立ったおばあさん、おじいさんになりましたか。お母さん、お父さんになりましたか。そのようなお母さん、お父さんになっていないし、おばあさん、おじいさんになっていないのです。そのような時には、真の愛を受けることのできない怨恨の穴がその間に掘られているのです。死亡の罠が仕掛けられているのです。それが分からなければなりません。真の愛以外の血筋が絡みついた家庭的なこの網をいかにして抜け出しますか。その次は氏族です。文氏であれば文氏族を通して、綴られてきた環境を、いかに抜け出しますか。そして国家です。白衣民族、檀君を中心として綴られてきたこの血族をどのようにして抜け出しますか。

 人類の始祖アダム・エバより始まった罪悪の血筋の根を、どのようにしてでも抜いてしまわなければなりません。このことを考えた時、かつてパウロは、「わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。わたしは何というみじめな人間なのであろう」(ローマ人への手紙第七章二二~二三節)と嘆いたのです。そのような悪の法が私をして、歴史の根までもつれさせているのです。この網からどのようにして抜け出すのか、これが深刻な問題なのです。ですから、個人を懸けて、家庭を懸けて、氏族、民族、国家、世界を懸けて、天と地を懸けて神様に談判しなければならないのです。

 そのように歴史の初めより今日まで、後退することを知らない根強い悪魔の力の勢力圏はいったいどこにあるのか。この根を抜き取るまで人類の解放は訪れないのです。その根を抜き取るための戦いの記録が、この統一原理なのです。分かりましたか。ですから、原理の人とならなければなりません。原理の人とは、アダムに勝つ人です。アダムによって汚された血筋を受け継いだために、アダムに勝つ皆さんにならなければなりません。次にノアに勝つ皆さんにならなければなりません。さらにアブラハム、イサク、ヤコブに勝つ皆さんにならなければなりません。モーセに勝つ皆さんにならなければなりません。民族的なサタン的血統がまつわり付いているのです。イエス様に勝つ皆さんにならなければなりません。イエス様は、国家を中心としてのローマ帝国から解放すべきみ旨を成せずして死んでいったため、このサタンの網を破って再び国の解放の日を尋ねてこなければならない道があるのです。このようなサタンの死亡の網から、いったい誰が私を救い出してくれるのでしょうか。そのためには、死を懸けた戦いをしなければなりません。何の話か分かりますか? (はい)。

 私のお父さん、お母さんはこの私をとても愛してくれました。お母さんは八人兄弟の中でも私をより愛してくれました。そのお母さんが、生きていらっしゃる間に、私はハンカチ一枚も買ってあげることができませんでした。しかし統一教会の食口のためには今まで家を買ってあげたり、洋服を数万着も作ってあげました。そのほかにもいろいろなことをしてあげましたが、私の愛する両親にはハンカチ一枚も買ってあげられなかったこの不幸が、他人にいろんなことをしてあげたからといって、善に変わるでしょうか。

 原理原則において、天国に入ることを願う人は自分の息子、娘よりも、将来生まれる、罪を犯すことのない息子、娘をより愛さなければなりません。そのためには、その位置に至るまでサタンを打ってしまってはなりません。神様は先に天使をつくられ、天使を愛しながらアダムとエバを創造されたのです。ですから、天使を愛する神様の立場に立たなければなりません。神様の代わりにアダムとエバを創造された位置に立って、アダムとエバが完成したのちに天使を連れて天国に入らなければならないのが神様のみ旨なのです。カインを前に、未来の息子や娘を愛して、愛の道理を残していくことはできないのです。私は今こうしてお母様と一緒に暮らしていますが、一九六〇年に結婚したのちの三年間は、お母様に外泊させたのです。それはなぜかというと、統一教会の狼の群れのような女たちをみな生かしてやるために、その十字架をお母様が背負われたのです。そのような網を抜け出さなければなりません

 では、世界的な網をどのようにして抜け出しますか。このような環境をどのようにして抜け出しますか。この文総裁も同じなのです。解放後すぐに結婚できれば良かったのに、なぜ一九六〇年になって結婚したのでしょうか。解放後、李承晩政権が私を支えなければならなかったのです。それが反対してきたことにより、十四年間尋ね求めていかなければならなくなったのです。アダムとエバは、第二次七年路程を経たのですが、第三次七年路程は越えることができなかったのです。そうして十四年後に、国を相手に戦いながら上がってきたのです。個人から、氏族、民族、国家と上がってきたのです。そのためには監獄に入ってもいろんなことをすべて成したのです。先生は結婚式の前日まで、内務部で調査を受けたのですが、よく考えてみると、統一教会を信じたことのある者たち十二名が反対していたのです。イエス様を殺すための十二弟子の反対をすべて蕩減復帰の原則より受けて、激しく殴られなければならなかったのです。

 そのような戦いを経て探し出してこなければならないのです。三十六家庭は戦って探し出してきたのです。正にけんかなのです。他人の息子、娘を連れてきてお父さん、お母さんには相談もさせませんでした。サタンは神様に相談しましたか。本来は神様の息子、娘とならなければならないのに、サタンは自分勝手に繁殖させてしまったのです。ですから蕩減法則により、親の最も愛する息子、娘をみな連れてきて祝福したのです。サタンの血統世界に因縁づけられてはなりません。それで結婚式の一週間前に、父母に招請状を出したのです。「お父さん、お母さん希望でしたらおいでください。参席する場合にはこれこれの条件があります。まず礼服を着てこなければ会場に入れません」というような内容なのです。世の中にどこに自分の息子、娘が結婚するのに両親が式場に入れないなんていうことがあるでしょうか。今までは自分の息子、娘であったのですが、既にもう出発が違ってきたのです。

 愛する娘たちが、息子たちがみな統一教会に入っていたことを知らなかったのです。まして自分の娘や息子が結婚するなんて、正に青天の霹靂なのです。それも、誰が結婚式の通知を送ってきたのかというと、この文先生なのです。「お前のような者が通知を出すなんて何だ!」と言うのですが、蕩減復帰の原則を知らなければなりません。私は神様が守ってくださっているのです。私は神様の命令に従って乞食をしたとしても、悪魔の命令には従わないのです。親たちはみな「誰が何々を着て来いと命令するのか。私の息子、娘なのに」と言いながらもやって来たのです。そこに反対派のおかしな連中が来たので、「龍山署警察官たちを連れてきて警護しなさい」と言ったのです。殺人事件でも起きたら警察署の責任だというのですから、警察官も警護しないわけにはいかないのです。そこで見張り番を立てて、その中で結婚式を行ったのです。先生は、死んでいなければ生きているだろうという賭をして、多くの反対の中で命を懸けて決行したのです。そのようにしてサタンは滅亡し、天は発展したのです。

 反対する群れの中の四人から、先生はありとあらゆる悪口を言われました。しかし、今となっては悪口を言われるのも悪いことではありません。ありとあらゆる悪口を言った人は、必ず罰を受けるのです。悪口を言ってはならない人に悪口を言ったならば、その罰を受けなければなりません。

 今や四十年間の恨みを解かなければならない

 文総裁が指をさされるのはつかの間です。四十年過ぎてみると、私を指さす人もいなくなったのです。この間、大韓民国で新聞社を一つ設立しました。東亜日報がどんなに大きいといっても、朝鮮日報がどんなに大きいといっても何ですか。独裁者面して、正義を全うせずにこの者たち! 歴史を代表して社会の正義を分別していかなければならないにもかかわらず、文総裁が行う世界的事件や、何か良いことをしてもそれらはみな隠してしまい、野良犬のような人々の出来事を新聞に出しているのです。正義の刃は、陰の中から現れるのです。世界日報が必要なのです。その世界日報と東亜日報はどちらが大きいですか? (世界日報です)。なぜ、世界日報が大きいですか? (「世界」的だからです)。小さな耳の当たりが「東亜(日報)」です。「朝鮮(日報)」は既に過ぎ去りました。旧韓国時代の苦痛を受けたのが朝鮮です。ああ、考えただけでも恐ろしいことです。私は朝鮮人として監獄に入ったのです。大韓民国の人間として、監獄に入らなければならなかったのですが、日本人によって朝鮮人として監獄に入れられたのです。あの過ぎ去った朝鮮と世界とどちらが大きいですか? (世界が大きいです)。そして「韓国(日報)」、恨みの多い韓国、今まで滅びた国と言われるほどに希望がなく、絶望状態で水だけを飲んで、何日ももたない状態の韓国、そのようなものが韓国日報です。

 今や、四十年間の恨みを解かなければなりません。そこで今回、韓国に帰ってきて、「韓国統一」の標語を打ち出しました。かつて統一南北を望み見た夢は壊れ去り、分立された歴史の中で、ぼろ布のように転がっていた文総裁は死ななかったのです。今日、南韓の血を収拾し、分断された北韓を統一するために帰ってきました。南韓の恨み、北韓の恨み、私のお母さん、お父さん、私の氏族。北韓の五つの道に結ばれた因縁。六・二五動乱で流された悲惨な血。私は忘れてはいません。その血が必ず私の胸を通して、復活の血として吹き出してくる日があると信じてきたのです。先生はそういう人間です。私の行く道には、私のお母さん、お父さんが虐殺され、多くの兄弟姉妹も虐殺されました。その人々の身代わりになって、意気揚々と、すべての面を準備して、たとえ若者たちが血を流す道であろうとも、意に介することなく前進できる勇士が、このような根を通して生まれてくるのです。

 それがこの統一教会の二世たちです。お母さん、お父さんが流した血を、憤りを冷まさなければなりません。六・二五動乱により、三〇〇万人の国民が犠牲になり殺害されたすべての血の代価を、四十年生涯を通して探し求めてきたのです。今こそ、天の血筋につながり南北を解放して、金日成をも解放できる統一祖国をつくらなければなりません。既に、私は七十歳になりました。私の中に満ちた正義の血気が中天空高く燃え上がる時代はすべて越えてきました。そして今日、このように韓国統一を叫ぶようになろうとは、当時いったい誰が信じましたか。今も南北統一を、北韓の解放を叫んでいるのですが、誰が信じてくれますか。しかし見ていなさい。

 かつて四十余年前に、「一九八八年になれば転換期が訪れる。我々の時が訪れる」と私が叫んでいたのを皆さんは知っているでしょう。蕩減法は神様が知っておられ、悪魔が生きている限り鉄則なのです。厳粛な鉄則のルールなのです。今や南韓を通過して北韓に連結され、世界に通じる復帰の軌道が完成しているのです。皆さんはそこに機関車のごとく、自由天地の解放の勇士として走る自由の世界が訪れたのです。

 そのような解放の日のために、宿命的な事業を完成するために私たちは前進しているのです。女として生まれたのは運命ではありません。それは宿命なのです。ですから女が男になることはできません。私たちは白衣民族として南北の統一を宿命的な任務として受け入れなければなりません。何の話か分かりますか? (はい)。誰々の娘として生まれたということは、それを変えることはできません。正義の道理を備えていく以外には解放される道がありません。同様にサタンの血族なのです。ですから、サタンに歓迎されず、冷遇されればされるほど、天の前に近づくのです。分かりますか? (はい)。

 善悪を分別するためには、迫害が常に付いて回るのです。文総裁一人に対しても、この大韓民国が反対してきたのです。しかしみな過ぎてみると、今や「文先生総裁は五〇〇〇年の歴史で初めて現れた愛国者だ」と言っているのです。この国の多くの先祖たちは、万国を指導していく中心国家となる統一王国で住みたいという気持ちをもっていたのです。この六〇〇〇万人の国民も同じです。また将来この国に生まれてくる数多くの後孫たちも、同様に統一王国で暮らしたいというのです。天地に代わって、世界に代わって、すべての宗教に代わって、すべての国家に代わって中央の地に住みたいという願いは、人類すべてがもっているのです。

 そのような本然のみ旨を抱いて、その使命を成そうとする先生の行く道を、悪魔が東西南北に激しく打ってくるのです。これが第一線なのです。世界的な責任をもった者は、世界的な個人の第一線であり、サタンも世界的個人、世界的家庭、世界的氏族、世界的民族、世界的国家を通して攻撃してくるのです。世界的なある団体の名目をもったすべての人々が、サタンの名のもとに「死ね! 死ね!」と迫ってくるのです。ですから、迫害とは何かというと、福を奪うための一つの方便的作戦なのです。何の話か分かりますか。迫害は怨讐世界のすべての福を奪ってくるための方便的作戦なのです。ですから、世界的迫害を受けて滅びない時には、公義の神様は「次はお前が打つ番である」と言って、公判場に現れるのです。そして「おい、サタンめ! 歴史始まって以来私に対して頻繁に讒訴してきたお前は、私の息子であるレバレンド・ムーンに対してもありとあらゆる讒訴や様々なことをするために、世界を動員し、天地を動員してすべての迫害をしてきたが、お前ができることは今やすべて終わった。個人的に殺そうとしたし、家庭的に殺そうとしたし、氏族的に、民族的に、国家的に、世界的に殺そうとしてきた。米国がそうであったし、日本がそうであったし、ソ連がそうであったし、中国がそうであったし、英国、フランスすべての力を動員して文総裁を打って消そうとしたが、それはできなかった。なぜならば、愛の戦いをしたからだ。仇を仇で返さないで、愛で報いてきたからだ」と言うのです。

 仇を仇で返す世界の法は適用できません。そのように、迫害とはサタン世界の福を奪ってくるための神様の作戦なのです。分かりましたか? (はい)。ですから、統一教会に、皆さんの息子がこの道を行く時に、おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さんが全員反対すれば、その人に家庭の福を全部移すのです。その次に一家が行く時、サタン側の一族が反対してきても、最後まで挫折しない時には、その福が移されるのです。

 そのようにして氏族、民族、国家を越えて、統一教会の文先生が一人で始めたこの歴史は今や、一六〇カ国以上もの一族を連結させて、二万一〇〇〇双以上の家庭を世界の前に確立したのです。しかし、それは遊び半分でできたのではありません。命を懸けて、千辛万苦で勝ち取ってきたのです。雨が降っても、雪が降っても、季節が変化するのも忘れてやってきたのです。夜も昼も忘れて、御飯を食べるのも忘れて、眠ることも忘れてやってきたのです。皆さん、このことを知らなければなりません。一生の間生きるか死ぬかの賭をして、身もだえしながら越えてきた先生のことを知らなければなりません。

 しかし、この先生の苦労など何でもありません。神様は人類歴史一五〇万年以上の間冷遇されながら、神様の威信と権威とすべてを忘れて今日までみ旨を進めてこられたのです。息子や娘を失ったかわいそうな神様の立場は誰に哀訴すべきなのでしょうか。息子が勝利して解放してくれるまでは、その胸に募った神様の恨みは解くことができません。打たれた釘を抜くことができないのです。もし釘を抜くとすれば、愛の涙で、愛の血で、それが肉となるように抜いてあげなければなりません。この神様の恨みの心情をいったい誰が解放してあげるのでしょうか。

 自分の解放の前に神様の解放を

 自分の解放を優先する前に、神様の解放を成さなければならないということを知らなければなりません。これが宗教人たちの追求すべき究極的な解放の道であるということを知らなければなりません。分かりましたか? (はい)。私は監獄に入った時、「神様、おなかが空いて死にそうです」というようなお祈りは一度もしたことはありません。私はそのような勇気はありません。

 最近もそうです。私はある国を助けるために今たくさんの万物が必要なのです。それもある期間で成さなければ、この国の運命もアジアの運命も大変なことになるというのです。「この国がこうであっていいのか。イスラエル圏を引き継ぐ、第三イスラエル祝福の教会を引き継ぐこの教会がこんなことでいいのか。少しだけ我慢してください。待っててください」と言ってやってきたのです。このことをお母様が知っていますか。子供たちが知っていますか。誰が知っていますか。だから私は孤独なのです。しかし、この道は私が知って、私が探してきたのです。神様が教えてくださったのではありません。巨石を積み上げ積み上げていけば必ず満州が北京が見え、さらにモスクワを眺めることができるということを知っていたのです。誰かがこの塔を築き上げてくれたのでもありません。私が積み上げました。そのような死ぬか生きるかの道であったということを知らなければなりません。そのような蕩減の道を行かなければなりません。蕩減の道を経て、復帰の道を越えていかなければならないのです。

 神様の本然の世界になれば、解放は必要ありません。真の愛を中心として、その真の愛の血筋に連結されれば、世界の新しい呼吸を躍動させる地上の真の愛の天国が実現するのです。そのために、サタンと過去のすべての因縁を清算して越えていかなければなりません。それを思えば、高齢の人々は夜を徹しながら、天を悲しませてきた歴史を命を懸けて悔い改め、祈祷しなければなりません。そのような厳粛な時代がやって来るのを早く悟らなければなりません。先生は勝利しましたが、皆さんは勝利しましたか。勝利のあとに解放が来るのです。そのために、サタンの血統の世界において勝利しなければなりません。サタンに勝利しなければなりません。

 すべての歴史的過去の垣根を壊して、勝利者とならなければなりません。文総裁にはそのような日が訪れたのです。私がアフリカに行っても諸王たちが私を歓迎する日も遠くありません。南米に行っても諸王たちが私を歓迎するようになります。ヨーロッパも同様です。アジアも同様です。それを神様が望まれるからです。何の話か分かりますか。これから大韓民国はだんだんと難しくなっていくのですが、死ぬか生きるかという立場に入って、死ななければ生きられるのです。今や与党も野党も、すべて困難をきたしています。

 それでは、結論を下しましょう。何の解放を受けなければならないかというと、堕落したアダムから解放されなければなりません。その次に、堕落したエバから解放されなければなりません。そして、堕落したアベルから解放されなければなりません。堕落したカインから解放されなければなりません。さらに、サタンから解放されなければなりません。そうして最後に、神様の前に解放されなければならないのです。では、勝利したアダム、勝利したエバ、勝利したアベル、勝利したカイン、勝利した神様はどこにおられるのでしょうか。それを探し出せなければ、サタンを除去することができません。これが結論です。植えたごとく刈り取らなければなりません。

 第二次世界大戦の収拾は、第二イスラエル王権を探していく道です。主様に仕えるために、地上に統一王国時代を迎える準備時代だったのです。第二次大戦後にどんな国ができなければならないかというと、神様が統治できるアダム国、エバ国、アベル国、カイン国が生まれなければならなかったのです。カインは天使長であって、サタンではありません。天の前に順応できるカインなのです。天使長の国が天の前に順応しなければなりません。そのような天側のカイン、天側のアベル、天側のアダム、天側のエバの国家を既にサタンが知って反対の行動を取ったのです。英、米、仏に対峙して、戦争を起こした日本とドイツとイタリア。日本はサタンに属したエバ国家なのです。ドイツはサタンの側のアダム国家なのです。イタリアはサタン側の天使長国家なのです。これらが何をしたかというと、天の側のアダム国家をのみ込むのです。四十年間日本がガブリと噛みついたのです。そのように四十年間苦労した国に、再臨主が来られるのです。なぜかというとアダムとエバが失敗して、四〇〇〇年の歴史を経てきたため、収穫の時には蕩減復帰の原則に従って、世界的な形態を取って四〇〇〇年の歴史を四十年でもって、アダムがエバを転覆させるのです。主管権を転倒させなければならなかったのです。これを英、米、仏がしなければならなかったのです。イギリスは何の国家かというとエバ国家です。アメリカはアダム国家です。フランスは天使長国家です。この英、米、仏がサタン世界を打ち破って、戦後に何をすべきだったかというと、エバ国家、カイン国家、アベル国家として、アダム国家を探し出さなければならなかったのです。アダム国家を探し出すことを妨害するためにサタンが四十年間握ってきたものを打ち破って、自分たちの王国の先祖として仕えなければならないのです。これが第二次大戦直後に、エバから苦難を受けていた韓国の実情だったのです。

 第二次世界大戦の収拾

 その時、先生を中心としてキリスト教会とアメリカが一つになっていたならば、七年間ですべてが終わっていたのです。しかし四〇〇〇年歴史を四十年かけて蕩減してきたのに、すべて失ってしまったのです。アダム国もすべて失ってしまって、レバレンド・ムーン一人だけが残ったのです。アメリカが失敗したためです。アベルの立場に立ったアメリカが、ユダヤ教を引き継いだ第二イスラエル圏になれなかったためです。分かりましたか。アメリカの失敗がアダム国を失い、エバ国イギリスを失い、フランスもみな失ってしまったのです。なぜアメリカに世界の指導国家として世界を任せたのか、第二次大戦直後になぜ国連ができたのか分かりますか。国連を治めるべき国はアメリカでもなく、ソ連でもないのです。それはメシヤの足場なのです。

 今日、民主主義の祖国のアメリカにおいて、上院下院を中心としていかに統一国を連結させていくのか、国連を再編成していくのか。そのためにも、失ってしまったすべてのものを再び探し求めなければなりません。サタンがすべて取っていってしまったのです。このことを韓国もアメリカも、日本も知りません。そこで、サタンの世界中で一番愛する天の側を打つことによって、サタンが最も愛する日本をイギリスの代わりに立たせたのです。日本の文明はイギリスの伝授文明なのです。その次に、ドイツがカインになるのです。なぜアメリカがカインではないかというと、アメリカを切ってしまえばキリスト教の文化圏の旧約歴史、新約歴史がすべて崩れるのです。ですから、アメリカを立たせるためには、アメリカの誤りを蕩減してあげなければなりません。そこで、レバレンド・ムーンが韓国で基盤をつくって、韓国が執拗に反対するのを越えてきたのです。

 再臨時代の父母に侍る氏族的基準を編成して、民族的基準での条件を整えて、イエス様が失敗した国家基準を越えて、イスラエル民族を収拾するために、十四年間の路程を蕩減したのです。そのようにしてアメリカの大統領を立たせ、そのアメリカで何を成したかというと、韓国、日本、アメリカ、ドイツなど四大国の人々を一つにして、アメリカ人がアメリカを愛する以上にアメリカを愛したのです。そのような愛を示さなければサタンは屈伏しないのです。

 韓国と日本が怨讐であり、日本とアメリカが怨讐であり、アメリカとドイツが怨讐であり、怨讐の国同士なのです。怨讐が一番愛していた人々を天の側に立てて、怨讐の国に連れていって、天を代表して誰よりも怨讐の国を愛したという条件を立たせたのです。それは同時に、失った大韓民国、失った日本、失ったドイツを回復できるのです。

 今や先生が世界の頂上に戻るようになる時、アメリカは落ちていくのです。なぜかというと、アベルはいりません。子女として父母に仕えなければなりません。これからアメリカに続いて、自由世界が落ちていきます。日本もアメリカに続いて落ちるのです。全部下がっていくのです。そのように下がっていく国々を韓国へ連結しなければなりません。そこで、四〇〇〇年間鞭打たれ、四十年間鞭打たれ、反対される中で、すべての福を引っ張ってきた日本を代表し、アメリカを代表し、ヨーロッパを代表して、今や七〇〇〇名の群れを連れてきて移していくのです。

 これからの統一教会の人々は、「決意し、強く大胆であれ!」「韓国民よ! レバレンド・ムーンのように、統一教会のように強く大胆であれ!」「外国から入ってきた七〇〇〇余の人々に負けるな!」。この人々が徹夜作業をするのならば、その時彼らの御飯を炊いてあげたり、寝床を整えてあげなさい。そうすることにより本然の祖国を訪ねてくる人々の福を、この地に根づかせ、永々世々に王権を誇ることのできる万世の指導国になれるのです。これが、神様が韓民族を訪ねてこられて、お父様と共になさる祝福であることを、統一教会の人は明確に知らなければなりません。分かりましたか? (はい)。

 昔、個人的にアダムとエバが結婚して世界を滅ぼしたので、国家がすべてひっくり返ったのです。それを今回全部交差してあげたのです。それも国家基準においてです。アダム・エバ国家圏を中心として、この心情圏はサタンの讒訴する何の条件もありません。神様の名で国家を越えて、かつての怨讐国の二世たちが愛の国家として結ばれるのです。これから、反対されることもなく越えていくその時には、その国こそが神様の愛を中心とした祝福時代へと展開される地上の天国であるというのです。(アーメン)。ここに参加した五色人種はすべて異義ありませんね! 皆さんはもうアメリカ人でも日本人でもありません。数千年前に別れた兄弟姉妹たちなのです。このようなことを分かってみれば、今まで怨讐であった日々が恨めしくなります。今や、怨讐の痛みを越えて、愛の夫や妻を得ているという驚くべきこの事実を、私たちははっきりと知らなければなりません。父母の伝統的愛の根っ子につながっているこの事実を知って、涙ながらに御飯を分かち合って食べて、「私はおなかが空いていても、あなたが食べてください」。また夜も、「私は眠れなくても、あなたは休んでください」「私は貧しく暮らしても、あなたは豊かに暮らしてください」と、ために生きる心の生活が、夫婦愛、忠臣愛、国民愛、世界愛となり、その交差する世界から地上天国が現れるのです。

 この文総裁は七十年の人生を、この首をまるで絞首台にロープを掛けたようにして今まで走ってきたのです。そのような先生の生涯をおろそかにしてはいけません。ですから、血涙を全部絞り出して、民族に解放の愛の動機を与え、万国に解放の愛の動機を与えて、天国に入るために、閉じていた悪魔の鍵を開け放すのです。このような心情圏は、もはやサタンと関係ありません。そこにおいて、初めて永遠の解放平和の時代がやって来るのです。(アーメン)。

 それでは、復帰のために誰を標準として一つにならなければならないかというと、この文総裁なのです。先生を見て涙ぐむようにならなければなりません。先生の愛する家庭を見て涙を流すようにならなければなりません。なぜかというと先生の生活は国のために、世界の人類のために、また天地の罪悪の重荷を解放するために追われ、鞭打たれてきたのです。このような恨めしい出来事を忘れてはいけません。分かりましたか? (はい)。

 先生も七十歳になってみると、若い青春が懐かしいです。神様の前に、勝利を賛美するためにこの手を挙げていると、五分間でも震えがくるのです。これが恨めしいのです。数時間立って語っていると、足が震えてきます。今こそ、力に力を加えて、千年事情の喜びを賛美するためにこののどが張り裂けても、力を出し切ってもまたわいてくる力が必要な時なのです。今や解放の歌を歌い、その解放が正に、万民の愛の赤い血の上に、復活的泉のごとくにわき出てくるように燃え上がる愛により、万民の平和が訪れるのです。万国が幸福になるのです。おじいさんも、おばあさんも、自分のために生きるのではありません。神様が人間のために成してこられたように、神様が罪人を救ってあげるために鞭打たれてきたように、その神様の伝統を受け継ぐ人々が必要であるということを知らなければなりません。そのような先生につかまって、先生のみ言と共に行く人々こそ解放の場に参加できる人々であることを知って前進しましょう。

 今年の標語は韓国統一ですが、韓国統一という命題の前に「統一教会よ! お前は私の涙を知っているか。私の血を知っているか。私の恨みを知っているか。お前だけは知らなければならない。たとえ韓国は知らないとしても」と、私は統一教会をつかんで泣いてきました。統一教会をつかんで戦ってきました。統一の理念の中には、そのような先生の血と涙がにじんでいるのです。それを忘れてはなりません。統一教会が喜んでばかりいてはなりません。自分の一身を祭物のようにして喜んでささげることのできる大胆で勇ましい、神様が褒めたたえ、「これこそ愛する我が息子だと」と、首を抱いて祝福を惜しまない皆さんになってこそ、万国を指導し解放できる統一の基準がこの韓国の地に成されるということを、きょうの先生の誕生日をお祝いしながら忘れないように、各自の肝に命じてくださることをお願いします。分かりましたか? (はい)。では、お祈りしましょう。

 お父様! お昼の時間もはや過ぎ去りました。世間知らずのこの息子を呼び立てたお父様の悲しい事情は、誰も知りませんでしたし、また、復帰の事情の中で流された涙と血のにじんだ闘争の歴史も、誰一人として知りませんでした。あなただけが、これを指導なさり、この理論を指導なさり、人類を指導してこられた四十余年の苦労がどれほど大変であったかということを思い、もう一度深い心でもって感謝申し上げます。

 お父様! 今、再び韓国に訪ねてきて、泣き叫ぶようなあなたの御心情をもう一度体恤させるべく、統一教会の今後の行くべき道に責任をもってくださるようにお願い申し上げます。祝福してくださった二世たちの行く道の上に、その伝統を忘れることのないように許諾してくださることを、お父様、切にお願い申し上げます。

 今日、この時間に十二時を過ぎる時から、七十歳という限界線を越えて、八十代に向かう十年間も、血のにじむような闘争の歴史が残っていることを知っております。一九九二年までに、韓国の南北統一のみ旗を揚げ、二〇〇〇年代までに、この世界に神様の統一のみ旗が翻るその日のために、休む間もなく、さらに残された限界線に向かって前進することを誓い、復帰摂理の路程において決して脱落者にはならないと、今内心から決心する自分を見つめながら、明日の戦場を望みながら、前進に前進を誓う勇士の姿勢を自らがはぐくんでいける、天の自主的な息子、娘になれますように許諾してくださることを切にお願い申し上げます。

 誰かの世話になって、解放の子になるというのではなく、御父母様と共に、父母の愛に燃える心で一体となっていく道こそが、解放の天国まで連結されるということを知りましたので、今日のこの決意とともに、自らを明らかにして、お父様の前に生きた祭物として、愛の一つの勝利的標準者として恥ずることなくおささげすることができますように誓う、この時間となりますように許諾してくださることを切にお願い申し上げます。

 御父母様がそうであるように、これから御父母様に侍っていく個人においても、家庭においても、氏族においても、すべての民族、国家においても一体となって、お父様を愛し、御父母様を愛し、お父様の氏族を愛しながら、万国を越えて、統一国を愛する万民のために忠臣なる息子、娘となって、前進することのできる全世界の統一教会の食口となれますように許諾してください。

 御父母様が誕生されたこの日を祝うこの場に、あなたの愛と深い恩寵が共に望んでくださいまして、彼らを慰めてくださり、祝いの雰囲気がさらに盛り上がるように再びお願い申し上げながら、すべてのみ言を真の父母様のみ名を通しておささげ申し上げます。(アーメン)。




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

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