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言いたいことがありすぎてどこから始めたらいいかもわからなくなってる。そういう時ってありませんか?最近、簡単に疲れてしまうので一日がごくごく短くなってしまいやりたいことややらなければならないことが今までの半分もできません。早くこの状態に慣れてしまわなければならないのに。加えて、状態のおかしかったコンピューターを直そうとしたら逆にブートも正常にできない状態になってしまいました。必要最低限のものはバックアップしてあったけどここ何ヶ月か書き留めておいてあったものや購入してダウンロードしてあったものなんかはうかつにもバックアップしておいてなかったのでうかつに手を出すとクリーンインストールする羽目になって今までのものを全部失うんじゃないかと思うと怖くて手が出せず、代わりに手軽なインターネットだけで遊んでしまいます。それも良くないんです。自分のコンピューターに保存してあるいろいろなものを見ながら地道にいろいろなことを書き留めていかなきゃいけないところにあるのに・・・。コンピューターのメモリばかりに頼らず、ノートにメモをすることを中心にしておいてよかったとは思うけれどやっぱり何かをまとまったことを書きたいときにはいろいろと自分仕様にした自分のコンピューターの機能が使えないと不便。なんやかんやで停滞期です。明日あたりにでもいい加減コンピューターに手を出すかな。もう一週間以上経っちゃったしね。ダメだ、オレ。そういう気分。(笑)
2007年03月25日
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当然だけど、私も人間なので、規定概念を持とうと思っていなくても持ってるところはある。そのうちのひとつが性産業で働いたことのある人たちで新宿2丁目のお水の人たちと付き合いのある、またはあった人たちは性やセクシュアリティに対して、もっと「わかっている」人が多いということ。ああ、もうそんな考えがいかにばからしいかちょっと前に話題になったある本を読んで思い知らされた。その本の著者の書いてることを読んでみたら「男とセックスする男はゲイ」「女とセックスする女はレズ」「男とも女ともセックスする男?何それ?」(→「バイ」というコンセプトにあたったことがなかったってこと?)「まともな男はもちろん女とセックスしたいはず」「レズになる女の子は、本当に好きな男とセックスしたことのない不幸な女の子」(=男嫌いだから女に走る。)と、まあ、こういうようなことを思ってるんだろうな、とわかるところがあちこちにありまして・・・。考えてみりゃあ、下から二番目の「まともな男はもちろん女とセックスしたいはず」だって自然で理想的な組み合わせは「男女」と思っているからそう考えるのが自然になるわけです。この人、売春をしてたことのある人です。男娼をしてた人たちもリアルタイムで知っています。ちなみに、男友達を始めとするいろんな男に10代のころからレイプされまくってもいる人です。それに対して怒る気力すらもうなく、「ああ、そうか。男ってどこまでも行っても男で、これが当たり前なんだ・・・」と受け入れてる様子。レイプされることが当たり前なんて、かわいそうとか不憫とか言うのは嫌なのですがそれに抵抗できないと感じるところまできてしまっている彼女に対する思いはそうです。自分に対して振るわれる暴力に対してもう抗う気力を失い、「まあ、こんなもんなんだな」とあきらめるとこうなることもあるんだな、という反面教師です。とと、話がそれましたが・・・。そう、そのセクシュアリティに対する思い違いと言うか・・・。私の悲しい勘違いは、見事に打ち砕けました。でも、その勘違いは、案外性産業関係者が自他共に広めてるウソなんじゃないか、とも思いました。だって、彼女だって「私は職業柄いろんな人を見てきたから、ゲイだのレズだの平気だし」・・・暗に偏見も持っていない、と言外に匂わせている。でも、その浅はかな意識に基づく「偏見は持ってないよ」は、「私の身にさえ降りかからなければオッケー」ってレベルの話であってオープンさを装った無関心であるのは明らか。だから、旅行中に「実は私、レズで・・・」とある子に告白されたときに「襲われる?」と身を固くする。よく聞く話ではある。全寮制のある高校に通っていたときに誰かが実はレズだといううわさが流れた。私は無責任にもカミングアウトしてほしい、そしたらみんなも自分の「レズって変」から「ああ、全然普通の人でもレズでありうるんだ」と気づくはずだと思っていたから。そして、何よりももしその人が本当に女性が好きなんだとしたら自分にとって大きな一部分であろう「誰が好きか」ということを全く秘密にしておかなければならないことから生じる孤独感が気になった。自分の経験から、マイノリティの一番の敵は「孤独感」だと信じていたから。で、彼女がレズかも・・・という噂の行く先は、ルームメートの、彼女の前で着替えるのを恐れる暗い部屋で彼女と一緒にいたら襲われるかも、というルームメートの(うちの一人の)恐怖に直結したらしい。私は正直、呆れた。今思うのは、なんで恋愛関係はいまだに「襲う」「襲われる」で語られるのだろう、ということだけど同時に、なんつーか、恋愛関係にいろいろあって男女関係にもいろいろありつつ、同時に男女関係にありえないこともあるように男男関係や女女関係だって、もちろん一般の(男女間)恋愛関係と全く変わらないところもあればやっぱり男男関係にしかありえないことや女女関係にしかありえないことやその周りに育った、その国・地域ごとの異性愛者とそれぞれの同性愛者と両性愛者の恋愛文化の違いをみんなもうちょっと知ってもよさそうなものだなぁ~ってことだ。私はもぐりなので、そんなに知ってるわけではないのだけどそれでもちょっとした比較文化論を聞くと面白い。でも、それは論を振り回せる相手と話さなくてもゲイである友達と話して、「そういうデート上のしきたりがあるのね」と知ることからも得られる情報。でも、「あ、私は偏見持ってないから」に包まれた無関心では、その面白さを味わうことはできなくなってしまう。なんか、この本、すごいがっくりした。期待、なんでしちゃったんだろうか、ってちょっと思った。そして、セクシュアリティに関する人の意識なんて「こんなもんなのかなぁ」とも思った・・・・。それってちょっとあんまりなんじゃ・・・。と思ったよ・・・・。脱力・・・・。
2007年03月21日
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この間、すっごいいい映画を見に行った。その映画を上映している映画館、映画の始まる前にいろいろな注文があった。最初の画面では、「上映中のご飲食はご遠慮願います。ご飲食はロビーのみにて。」次の画面では「携帯の電源はお切りください。」そして3つ目の画面では「周りのお客様の迷惑となるので上映中のお話は絶対におやめください。」そしてやっと予告上映。次々と、黒字に白の慇懃な注意事項を書いただけの画面を見せられて、少々気がめいった。幸い映画鑑賞の妨げにはならなかったけれど、思わず連れに「なんかいろいろとうるさいね」と耳打ちしてしまった。これで思い出したのは、さるアメリカ都市の「大衆浴場」。北アメリカのお家には一般的に日本のように深いお風呂がない。そうすると何が嫌かって、体を深く沈めこむことが出来なくてあっという間にお風呂の温度が下がってしまうこと。どうも日本のお風呂のようには一息つけない。そこで日本式のお風呂に入れるところを捜し求めていたのだけどアメリカの「大衆浴場」は温かいプール浴場のようなところが多くてみんな水着は着てるしお湯はぬるいし、塩素いっぱいで汚いしとにかくきれいになるために行くようなところじゃない。ところが、さるところに住んでいたとき、そこのジャパンタウンに「日本式」大衆浴場があると聞きつけ、意気揚々と向った。確かに大きいお風呂はあったし、男女が(日にちによって)別れていたし、水着着用は禁止で日本式お風呂っぽかった。インテリアデザイン的に仏像の頭があちこちに配置してあっていかにも「ピースフル(平和的)でしょ」「(エキゾチックな)アジアン・スピリットよ」ってのに違和感を感じたけどそれも「まあ、お金儲けの一環よね。」で済ましていた。・・・・が、ふと見ると「おしゃべり禁止」の文字。「・・・・・はあ???」と思った。いやね、私はそのとき一人で行ったのだけれど、私にとっての大衆浴場の醍醐味と言ったらいろんな形のいろんな様相の女性が人目をはばからず・堂々とうろうろしてたり他の人たちと一緒に来てる人たちが何の話だか知らないけれど何だか楽しそうに話をしてる音を聞くと言うものだと思ってる。そのときも若い女の子が4~5人一緒に来てて明らかにみんなで裸になってお風呂に入る経験なんて今までしたことなくてすごくわくわくしててそのことについてみんなでワイワイキャイキャイはしゃぎたそうだったのにすぐに周りに注意されてしまって、代わりに神妙そうな顔をしたいかにも「私は悟ってるの」という顔をした年上の女性達が我が物顔でのさばってるのが私には気に入らなかった。この間の映画の予告を見て、そういうことを思い出したのだ。なんか、映画だとかお風呂だとか公共の場でやるものに私は神妙な静寂を押し付けるのが嫌いだ。その「大衆浴場」も結局なんか、粋がり過ぎてるような感じがして法外な値段でもなかったけれど安いわけでもなかったからそんな窮屈さを感じるためにわざわざ行く気も起きず行ったのは本当に日本式のお風呂に入りたくてたまらなくなったときだけ。映画は、そんなに厳重に注意をしなくても一般常識を守るような観客だったら大体は大丈夫だろう。そんな、三フレームも使って神妙に注意を促すべきものだろうか。なんか、注文が多いなぁ、と思った。別の、よく行く映画館もいろいろな注意を促す。でも、かわいいBGMがついていてお茶目な画像がついているし、そもそもルールそのものの促し方が、こちらにも良心も常識もある、という前提にたった物言い。「飲食は周りの迷惑にならない程度に」「携帯の電源は必ず切るように」(←当たり前のことなのだけど、忘れやすいので、この注意はどこでも言ってくれると嬉しい)「お話も周りの迷惑にならないように」と、どれも「はい、わかりました。基本は「周りの迷惑にならないように」ってことですね」と答えたくなるような言い方。まあ、好みの問題だろうと思うけれど・・・、どうも理由のよくわからない「何が何でもこれが決まりごとですから」っての、あまり好きじゃないなぁ。「これが原則でこういうルールなので、そこらへん念頭に置いておいてね」ぐらいが私は一番好きなのだ。・・・・やっぱり好みの問題だ。笑。ぷちっ。
2007年03月12日
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花屋の前を通った。ふわっと梅の濃厚なかおりがして先週末行ったハイキングでのことを思い出した。そういえば、山のふもとに降りたところでこの世のものとは思えないかぐわしい梅の花のにおいをかいだ。次の小さい山を登る手前でのことだった。行った先は家から電車を2時間半乗り継いだところ。少し遠かったが、都心を離れ、まともにハイキングをしたいと思ったらそこまで行くしかなかった。降り立ったところは、イルカのなごり雪にでも出てきそうな駅。一瞬、「タイムスリップ」したのかと思った。と、花屋の前を通り過ぎても梅の花のかおりはまだ私を包んでいる。後ろからついてくる人がいるようで、不安を感じつつも、おずおずと後ろをふりかえった。そしたら、私の好きな人が子供と一緒に大きな梅のブーケを抱えて立っていた。「ママ、お誕生日おめでとう」それは、これまでにない最高の誕生日プレゼントだった。―――――――――これはフィクションです。ぷちっ。
2007年03月07日
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大阪のオバハンや大阪の人に関するステレオタイプはいろいろあるけれども最近、大爆笑ものをいろいろと目にした。皆さんにもおすそわけ♪警視庁のHP(http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/seian/koreisagi/koreisagi.htm)で「『大阪のオバちゃん』は振り込め詐欺にあいにくい」突っ込みに学ぶ 「なかなか『大阪のオバちゃん』のように突っ込みは難しい」と思う方という章がある、とマイミク・ななやんさんより情報ゲット。早速確認しに行ってみました。軽く、爆笑。いや、何よりも、それに応じて、「こんなリンクがありますよぉ~~~ http://www.youtube.com/watch?v=MouGK23AcH0」って読者がいたのが、さらに素晴らしかったかもしれない。これ、ちょ~~おすすめです。ぷちっ。
2007年03月04日
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このあいだ、たまたま本屋で手にした本。「ヒラリーとライス――アメリカを動かす女たちの素顔」岸本裕紀子「ものは言いよう」斉藤美奈子「ヒラリーとライス」は、実はもうけっこう前に読んだんだよね。元気が出た。世の中、立派な社会的に偉い女性たちは確かにいてそれを私たちは「例外」として扱わずに「お手本」として見ることができるということを身をもって実感させてくれる。そもそも、この本を書いたきっかけが、著者の昔から男性用雑誌でよく見かけた「あなたは信長タイプ?秀吉タイプ?家康タイプ?」という見出しを見て「自分は何タイプなんだろう・・・。女性だったら誰がお手本になるの?」と思っていたことを結実させた本らしい。確かに、某所某所に「あなたはヒラリータイプ?ライスタイプ?」という質問が投げかけられている。だから、この人たちは「例外的な女性」で(良い意味でも悪い意味でも)「一般の女性」とは共通点がない、というふうに読めないようになっている。もちろん、それだからこその問題は含んでいるわけだけど。問題点というのは、ここで作り上げられた「ライス像」「ヒラリー像」がちょっと胡散臭いのだ。(笑)はっきり言って、まともに政治評論みたいに読んだらまずいだろうと思う。これはあくまでも「あなたは、ライスタイプ?ヒラリータイプ?」本。さて、「ものは言いよう」のほうだけど実はまだ本屋でぱらぱらと立ち読みした程度でちゃんと読んではいない。でも、横山ノックのセクハラ事件に関する扱いが嬉しくて期待満々で購入してしまった。読むのはこれから。楽しみ~~~。
2007年03月01日
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