大東亜戦争は聖戦ではない

大東亜戦争は聖戦ではない

2008.05.15
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テーマ: 戦争反対(1197)
カテゴリ: 戦争と平和
いわゆる平和主義を標榜する「 戦争に反対する市民の会 」というサイトがあります。
名前からして・・・ですが。
そのサイトに平和主義の論理が破綻していることをわからせるため、次のような指摘をしました。

「戦争を身近な事で例えるとわかりやすいです。
戦争を同じく避けるべきものとして犯罪に例えます。
仮に、貴方が 長者番付で2番目のお金持ち(※1) だとします。
周りはいい人ばかりなので、とても犯罪者はいないように見える
そこで、貴方は
 家に鍵をかけないと「宣言」(※2)
 警察にも協力しないと「宣言」(※3)
どうなるでしょうかね?
結果は火を見るより明らかではないでしょうか。
※1 日本は未だ世界第二位の経済大国です。
※2 軍隊(自衛隊)の放棄に相当します。
※3 異論はあるでしょうが、日米安保の破棄に相当します。
現実問題として脅威は無視できない。それは認めたほうがいいのではないでしょうか。」

そうすると、その自称平和主義者は
・ミクロの「家」という単位とマクロの「国家」という単位を単純に言い換えることは出来ないんだ~
・鍵をかけずに福祉に回せば必ず豊かになるんだ~
・(お灸=核兵器の異常な例を挙げ)例を挙げることは、絶対認められない!
・「戸締り論」は軍備増強を企んでいるに違いない!
という反論をしたのです。極めて稚拙ですね。
その上、この極めてお粗末と言える反論で「論破した」と言い張る始末。

これ以外に、まともと言える反論がたった一つだけあったのですが、それは、軍隊は「鍵」と違い、隣国に「警戒心を持たれる」ことがあるということです。

それに対して私は、厳密に言えば、警戒心をもたれないためには「現代版万里の長城」(高さ300km超!)が必要になる。しかし国家予算では到底できないことを指摘し、次善の策として防衛力の保持が有効であることを示しました。
そして、「論破した」と言い張るのであれば、防衛を放棄するリスクが無いことを証明する必要があると指摘しました。
これらについて 論破したと言い張った「戦争に反対する市民の会」は、全く反論ができなかったのです。


言論では勝てないと思った「戦争に反対する市民」はどうしたかというと


比布智は 差別主義者だ~というレッテルを貼り(論破された人がよくやる手ですね)をし、
「差別」の名の下にコメントを削除して
平和主義が論理破綻していることをばれないようにしたのです。

平和主義者は、私にすら言論で勝てないようです。
そのような人たちが本当に言論だけで北朝鮮などの軍事国家を非武装化して平和を達成できるのでしょうか。甚だ疑問ですね。



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Last updated  2008.05.17 16:07:18
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