October 5, 2017
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カテゴリ: 気になるTV番組
今年の7月にNHK-BSで放送された 『英雄たちの
選択』~応仁の乱
が、とても興味深い番組でした。
そこで何回かに分けて、こちらで番組の内容をご紹介
することにしました。
前回の日記の続きになります。

2時間番組の中ほどに、現在の京都市内を歩きながら
応仁の乱の史跡巡りをするコーナーがありました。
今回の『応仁の乱スペシャル』は、司会の磯田さんや
コメンテーターの皆さんのお話が面白くて、歴史再現の

ちょっとブレイクタイム的なものもいいものです。

以下、番組のまとめになります。


番組司会の渡邊佐和子さんが京都の町を歩きました。
井上章一さんが解説をしながら関連史跡を案内している
ので、「 」はすべて井上さん・談です。


今出川通りにある京都市考古資料館の前に立つ西陣の石碑。
「西陣織のおかげで“西陣”は優雅に響くけど、元は西軍の陣地で軍事拠点。」



細い路地を抜けて、これから山名宗全の邸宅跡に向かいます。


「山名宗全はこのあたりに邸宅を構えていて、町名も山名町という。
この山名町では山名宗全の石碑の前でも合掌することをやっていた。」



次に応仁の乱の最大の激戦地である、東西両陣の間にある百々橋に向かいます。


最大の激戦地という割りには、来てみたら広さを感じない場所でした。
「先ほどの山名邸から少し歩いただけで、これと同じ距離を歩いて
いけば細川邸がある。
両軍それぞれ何万人もの兵を集めたけど、互いに相手を威嚇する
ためにいるだけで、実際に戦っていたのは一部の者だけでは?」
(たしかに焼け野原で建物がなかったとしても狭い場所に思えます)



百々橋から今度は、東陣説明板がある児童公園へ。


案内板(★現在地)を見て、東西陣営の位置と距離を確認します。
山名邸から花の御所まで地図で見ると700メートルくらいです。



「応仁の乱は大戦だったけど、戦場で死んだ大将はいない。
お互いガードポジションをとって、ご本尊(=大将?)が傷つかない
状態でもみあっていたと思う。」



東陣説明板から室町殿跡碑を経て、次は花の御所があった跡へ向かいます。
「室町通りは今見ると狭いけど、あの時代はメインストリートだった。
15世紀のシャンゼリゼであり、ウンター・デン・リンデンだった。」



烏丸通りを挟んで同志社大学の向かいにある大聖寺に、花の御所の碑があります。


門をくぐってしばらく進むと、右手にこの石碑があります。


「室町殿跡碑から大聖寺に隣接する同志社大学の校舎を含めて室町御所だった。」

小谷 賢 さん(戦史研究家)・談
「山名も細川も互いに屋敷が近いから、どちらかが
相手の屋敷を囲って火をつければそれで決着がつく。
なぜそれをやらないのかが不思議でしょうがない。」

呉座勇一さん(歴史家)・談
「互いに相手の陣地に突撃していく気持ちはない。
自分が傷つかずに相手を倒そうとすると放火作戦しか
ないから、京都が焼け野原になった。」


室町時代は商業が発展し、女性も財産を持つことが認められ経済活動で
重要な地位を占め、女性の社会進出が進んだ。
画像は、資料をもとに再現された室町時代の職業婦人の衣装。







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Last updated  October 5, 2017 11:11:15 PM


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