2024.04.28
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ゴールデンウィーク2日目。
今日は家の中のマット系を一気に洗いました。
そしたら何となく洗濯機が臭いことに気付き、今は洗濯機のクリーニング中です。

ドラム式洗濯乾燥機って月に1回洗濯槽クリーンをしているのに
臭いが気になってくるのですわ。もっとこまめにクリーニングが必要なのかな。

さてさて・・・物差しの話です。価値基準の話とでも言いますか。

学歴コンプレックスってよく聞きますよね。
偏差値の高い大学や学部を卒業した人に比べて、
自分は偏差値の低い大学・学部しか入れなかった、
努力しても行けなかった、とかで
社会人になってもそれを引きずってしまうんですよね。

履歴書にはいつまで経っても学歴欄がある。
もはや何を学んだかではなく、どの偏差値の大学・どの偏差値の学部を出たかということが
評価基準になってしまってたんですね。

これからは変わりそうな気がしますけど・・・。

学歴がどうでもいいとは思いませんよ。
でも学歴だけじゃない世界を知るというのは大事なこと。
そして自分の価値基準を持つことも大事なことだとも思います。

そのためには実体験をもとにした教養に対する自分なりの考え、言葉を持つことかなって思います。

大学の偏差値は、高校までの勉強がどんだけできたかというのを
手っ取り早く知るための物差しですよね?
企業としては理解力が高く、効率的に作業ができる
いわゆる仕事の早い人の方が良いだろうしね。
でもそれが偏差値が高いのとイコールでもない気がするから
最近は偏差値の高い大学に加えて論理的思考力とかコミュニケーション力とか
柔軟な考え方ができる人とか、色々な才能を持ち合わせた人を
どうにかゲットしようとしてるんだろうね。

そんな人おらんで。って思うけど。
いたとしても、どんどん自分の収入を上げるために転職を繰り返し
踏み台にされるだけやで、って思うけど。

まぁそれはともかく

偏差値ってのは共通のテストを受けた受験生の点数をもとに算出された値だから
主観性ゼロ、客観性100って感じですよね。

なので「世間からどう見られるか」とか「平均値」とかが好きな人は、
得てして偏差値が高い気がするのです。

なぜなら自分が平均以上であると自覚があるから。(学歴偏差値において)

でも、それはその人たちの価値観ですね。

私はそういう生き方じゃないです。それが平均値かどうかは知りません。
平均的に生きたいわけではないので。

と、自分の価値観に従って自由で楽しい人生を生きていければいいなって思ってます。

「世間から良いふうに見られたい」と思っている人に出会ったら
違いを楽しむことにします。

そういう考え方なんだな、自分とは全く違う。面白いもんだね。と。

けど大事なのは、世界の違う人に自分の世界の話をしないことだとも思ってます。

「世間から良いふうに見られたい」という人は、世間=身近な人だったりもする。
その身近な人に「すごい」って言われたいがために
器用に1つだけ何かが出来るようになって、マウントをとりにくるから要注意です。

「長くこの世界でコレを続けてるアナタより、自分はちょっとやっただけで上手く出来るようになった」というふうに。

あっさり出来ることがすごいと思っている世界線と、
継続してそれを楽しめる世界は全く持って違うので
「すごいね!じゃあ次は何する?」と聞くと
「もう飽きたからやらない」と言われることになるんですよね。

つまんないだろうなぁって思うけど、世界が違うってこういうことなのかなと思います。

だから価値基準の違う人とは、自分の世界の話はしない方が良いなと思うわけです。


というのを今、エスビョンスヴェンソン・トリオを聴きながら書きました。









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最終更新日  2024.04.28 11:07:37
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