ピカルディの三度。~T.H.の音楽日誌/映画日誌(米国発)

Jun 8, 2021
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カテゴリ: 映画、テレビ
「飾りじゃないのよ泪は」(評価 ★★★★★ 満点五つ星)

 ぼくは、認知症とか終活とか死とかを描いた映画にはふだんから興味を持ってて、いろいろ観てみたいと思ってるのだけれど、今日観た作品は、アラバマ州を舞台に実際にあった話をもとにしているとのこと。
 死期の迫っている妻ニコウル、夫マット、そして夫妻の親友デイン、の三人が主人公。彼らの闘病、看病の日々を描く。
 日本(語)では未公開っぽい。ウィキに日本語のページを発見。
https://ja.wikipedia.org/wiki/アワー・フレンド

 ちまたではほとんど評価されてない/話題にされてない作品だけれど、ぼくは気に入ったので思い切って五つ星を差し上げちゃおうかと。

 実際のところ、この映画の気に入らないところは多い。

 とにかくあれこれ詰め込みすぎてて、二時間超の作品になってしまってる。おそらく製作者側としてはいろいろな側面から描きたかったんだと思うけど、結果的に裏目に出たなと思った場面は、マットが妻の浮気を疑うところ、デインが大自然のなか独り旅をするところ、末期の二コウルが精神不安定になるところ、などなど。描写が中途半端なのはいただけない。これ以上長くなるのを避けて部分的に削除しちゃったのかもしれない。であれば、まるごと削除したほうが構成的にはわかりやすくなってたはず。

 そもそも、時代が行ったり来たりしまくっててわかりにくい。あそこまで複雑にしなくてもいいのに。



 それなのに、なぜか良作だと思えたわけで。
 つまり、過度に泣かせようとする演出は逆効果ということが製作者はわかっていらっしゃる。きれいごとばかり並べたお美しい感動ものの作品には今どきの視聴者はかえってドン引き。てか、少なくともぼくはそう。

 具体的には、もし自分が演出家だったら、この場面はこうしたほうがいいとか、背景にこんな音楽を流したらもっと感動的になるのにとか思う箇所が多いけれども、そうゆうベタな演出は野暮。お泪を誘ってるように見せかけて、その一歩手前で抑え、カメラをサッと切り替えて別の場面に移行するのが最近の映画づくりの世界標準。(日本映画はまだまだここに達していないっぽくて、だらだら泣かせの演出で盛ってゆく)

 ちなみに、主役は三人平等と言いたいのか、本編最後のクレジットでは以下のような表示。右から左なのか、上から下なのか、中央にいる人が主役なのか、なかなか凝った配置。てか、笑える。



<似たような映画>
50/50 フィフティー・フィフティー
さよなら。いつかわかること





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最終更新日  Jun 9, 2021 08:57:26 PM
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