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日付け順に書いてきた「巡礼日記」は前回でおしまいです。それとは別に、サンチャゴ巡礼についての感想をまとめてみました。●歩くことのすばらしさを実感する身体が慣れないうちはたいへんですが、そのうち一日30kmでも40kmでも歩けるようになってびっくりします。身体からぜい肉がそぎ落とされ、五感は敏感になり、身体の調子がよくなっていきます。●北スペインの美しい自然にひたることができる歩く道はその多くが歩行者の専用道。土の道は歩きやすく、野を越え山を越え、田園風景を楽しみながらの歩行はあきません。●ヨーロッパを中心とする各国からの巡礼者と知り合える老若男女の巡礼者と語り合うことはなににもまして楽しい経験です。「なぜカミーノを歩くのか?」と人に問い、問われることは、「わたしの人生でたいせつなことはなにか?」と自問することにつながりました。●自分を見つめ直すことができる歩いているといろいろなことが頭に浮かびます。これまでのこと、これからのこと。頭がからっぽになり、どうでもいい余計なことが身体のぜい肉同様、そぎ落とされていくような気がします。●感謝の念がわく宿を提供してくれる人、食べ物を用意してくれる人、その他なにかと助けてくれる人。なにかと不便なことの多い巡礼だからこそ、人の親切が身にしみます。●すべてを自分で決める快感を味わうきょうどこまで歩けばいいか、人に指示されたり命令されたりすることはありません。どこで食事にするか、何時に出発するか。すべてそう。みんな自分で決めなければいけません。決められたルールは「巡礼宿に連泊はできない」ということぐらいでしょうか。これまでプライベートと仕事で計30回以上、のべ4~5年くらい海外旅行の経験があります。そのなかでサンチャゴ巡礼はまちがいなく「最も意義深く、楽しかった旅」になりました。
2004年11月07日
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■第13日 サンチャゴ・デ・コンポステーラ(つづき) 10月9日きのうはパラパラという程度だった雨が夜半から本降りになる。風も出てきたようだ。スペインで初めて「ひとりで目ざめる朝」を迎えた。もう暗いうちから出かけることもない。その事実にうれしさよりも寂しさを感じる。8時。外へ出ようと思ったが雨が断続的に降り続いている。しばらく待ってもやむ気配はない。レインコートを着て9時に大聖堂へ行く。聖ヤコブの誕生日が日曜と重なる聖年しか開かない「免罪の門」。きのうは長い列ができていたのにこの時間はガラガラだ。どしゃ降りの雨になり、大聖堂から出られなくなってしまった。そうこうするうちにミサが始まる。きのう見たものとは違い、白い聖衣を着た人たちが12人出てくる大がかりな儀式だった。聖職者が語ることばはまったく理解できない。しかし参加者も加わったハレルヤの合唱には魂を揺さぶられた。なぜか涙が出てくる…。儀式の終わり近く、ミサに出ていた会衆が近くの人と握手をする。わたしも求められるまま、近くの人たちと握手をした。どの人もギュッと握ってくれる。微笑みかけてくれる人もいる。そのとき、心と心が触れ合ったような気がした。11時にミサが終わったとき、広い大聖堂は人、人、人…。びっしりと人で埋まっている。外へ出る通路はラッシュなみの混雑だった。その後も雨は小降りになったりどしゃ降りになったりをくり返した。風も強く、カサを吹き飛ばされる人が続出している。「免罪の門」に並んでいる人たちの行列からは突風が吹くたびに「キャーーー」という悲鳴が上がる。わたしは翌日のサンチャゴ発マドリード行き飛行機のチケットを買ってあった。しかしこの天気に飛行機が欠航しないか心配になり、きょうの夜行列車で出発することにした。夕方、雨のなかを駅まで行き、チケットを購入する。駅から大聖堂へ向かう道でわたしの名前を呼ぶ人がいる。ブラジル人のアリさんだ!きのうモンテ・ド・ゴソで「サンチャゴで会いましょう!」と別れたきりだった。「フィニステレへ行ったんじゃなかったんですか?」「この天気だからやめたよ」「今晩の列車でマドリードに発ちます。きょうが最後の日です」「あいにくの天気だったね。君と会えてよかったよ」「わたしもです」「アリガト、サヨナラ!」アリさんはわたしを抱き寄せ、ハグした。これで本当にお別れだ。夕方のミサにも出た。それが終わった19時になっても雨は降りやまない。列車が出るのは夜の10時過ぎ。そろそろ宿に帰って荷物をまとめなければ。宿の手前まで来たところですれ違った人に呼び止められた。「やあ! サモスで会っただろう?」サモスの僧院で出会ったカップルの巡礼者だった。そのあとも何回か会っている。いまフィニステレから帰ってきたところだという。「天気がよくなかったでしょう?」「サンチャゴよりもっとひどかったよ。雨と風が強くてまともに歩けなかった」そのときわたしのカメラにはフィルムが2枚だけ残っていた。それを思い出し、「写真を撮らせてもらえませんか? 日本に帰ったら送ります」とお願いする。「いいとも!」その2人、ヘルガとデビッドは雨のなかですばらしい笑顔を見せてくれた。ヘルガさんがいう。「この次はいつヨーロッパに来るの?イタリア?わたしたちが住んでいるところから遠くないわ。ヨーロッパに来たらうちに寄って。そしたらお互いにもっと知り合えるでしょう?」たとえ社交辞令だとしてもうれしかった。それもわたしたちがともにサンチャゴをめざして歩いてきた巡礼者同士だからだろう。何度も顔を合わせていたとはいえ、きょうまでお互いに名前も国籍も知らなかったのだ。国籍も、宗教も関係なかった。ただ同じ道を歩いているというだけで、巡礼者にはそこはかとない連帯感が生まれる。人の歩くペースはそう変わらない。だから一度出会うと同じ人にくり返し出会うことになる。それを象徴するような出会いだったと思う。きょうに限っていえば、聖堂を出るのが5分早くても、あるいは5分遅くても、彼らと出会うことはなかっただろう。そこに不思議な縁を感じる。写真を撮ったあと、これからきょうの宿を探すという2人を雨のなかで見送った。3時間後、マドリード行きの列車がサンチャゴ駅を出て行く。激しい雨はまだやまない。ゴーゴーという風のうなり。激しい雨音が駅舎内に響く。さよなら、サンチャゴ・デ・コンポステーラ。雨のサンチャゴ。きっとまた来ます。■帰国してから彼らが住むドイツに写真を送った。妻のヘルガはオーストリア人、夫のデビッドはフランス人だ。数日前、ヘルガさんから返事が届いた。その一部を紹介したい。「人生はとても簡単。幸せになるのに、あなたはそんなに多くのものを必要としないから。そして人生は、存在するもののなかで最も偉大な贈り物。わたしたちがカミーノで学んだ最も重要なこと。それは、ものの見方を変えれば世界はちがって見えるということ。あなたが見方を変えれば、世界も変わる。住所を交換できてよかったわ。あなたが来たいときに、うちへいつ来てもいいのよ。ブエン・カミーノ!(よい巡礼を)わたしたちの人生すべてが巡礼なんだから」 ▲最後の写真。雨のサンチャゴで。
2004年11月02日
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■第12日 サンチャゴ・デ・コンポステーラ(つづき) 10月8日もう道を指し示してくれる黄色い矢印はない。「さあ、これからどうしよう…」巡礼証明書を手にしたあと、しばらく大聖堂のわきに腰かけてボーッとしていた。これまでは「サンチャゴまで歩く」という明確な目標があった。それを達成したあとの空虚感のようなものを感じる。サンチャゴにも巡礼宿がある。しかし町の中心からは少し遠い。時間があまりないわたしは旧市街で安い宿を探すつもりでいた。さて、それもどうするか…。「どこからいらっしゃったんですか?」ボーッとしているわたしに声をかけてきた人がいる。日本人の女性旅行者だった。きょうの午後、列車でサンチャゴを発つという。それまで町をブラブラしているらしい。お互いのことをいろいろ話すうちに、彼女は荷物を宿に預けていることがわかった。「宿を探しているのならそこに泊まったらどうですか?」「そうですね、荷物をとりに行くときついていっていいですか?」「どうぞどうぞ」――というわけで、その人と会って30分後にはサンチャゴの宿が決まってしまった。大聖堂から歩いて3分とかからないところの民宿だ。その日本人女性の乗る列車の出発時間が迫っている。お礼もかねて駅まで見送りに行く。サンチャゴはまだ大聖堂と巡礼事務所しか知らない。駅まで見送りに行って、ちゃんと宿に帰ってこれるかどうか心配でしかたなかった。19時、大聖堂の前で村上くんと落ち合う。彼が巡礼中に知り合ったフランスとスイスの巡礼者と一緒に最後の晩餐へ。「ぜいたくしよう」ということで定食ではなく食べたい料理をアラカルトで注文した。カフェでコーヒーを飲み、宿に帰ったのは深夜11時半。ときどき叩きつけるような雨が降る。なかなか寝つけなかったのはコーヒーのせいだろうか。それとも歩き終えたという感傷のせいだろうか。この日に書いた絵はがきの文面から。「けさサンチャゴ・デ・コンポステーラに到着しました。ひたすら歩く日々が終わり、『あしたからなにをしたらいいのだろう?』と途方にくれています。今年もたくさんの人と出会いました。サンチャゴに着いたあと、大聖堂や街の通りで見知った顔を見かけると、巡礼の終わりをお互いに祝福しあいました。さまざまな人たちとの友愛に満ちた交流は、温かな思い出となっていつまでも胸に残ることでしょう。出会ってはしばしともに過ごし、やがては別れていく。巡礼はまさに人生の縮図といえるかもしれません。またいつか、この道を歩きます」 ▲巡礼証明書を発行してくれる巡礼事務所。 ▲サンチャゴの宿となった屋根裏部屋。シャワー・トイレは共同で1泊20ユーロ(2800円)。
2004年11月01日
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