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12月に入り、年末年始のこともあるので、実家に電話をすることがいろいろあったりします。新幹線の切符の立って行き来するわけにもいかず、予約したりもします。
東京の人から大阪のことを田舎といわれて、むかしはかちんときたこともあありますが、違う地域に住んでいたことは、まんざらでもないと思うようになったりしています。
テレビを見ていても、新聞を見ていても、選挙一色で、自分がはじめて選挙のことを知ったのはいつごろのことだっただろうと、ちょっと思い出してみました。
大阪市の端っこの方に実家があるのですが、
昭和47年(1972年)の12月の選挙のことだったかと思います。小学生3年生だったかなあ。40年前のこと。
時の首相は田中角栄。高度成長期のおわりのころ。
あの時代は活気があったことは今よりもよかったでしょうけど、公害が問題になったり、物価の上昇が激しかったり、いまのデフレーションというのが信じられないくらいインフレ阻止すると多くの人が言っていました。
沖縄がようやく日本に戻ってきたころで、パンダが中国から来たころで、
アメリカ人や中国人との付き合い方とかも印象もぜんぜんちがったのかもしれません。
ようやく車を買う人がいたり、海外旅行はまだまだ高値の花で、
1ドル300円くらいで、日本はまだまだ輸出産業でも、やっと戦えるようになったくらいの時期だったかと思います。
家にはクーラーはありませんでした。電話はようやくついて3年目くらいでした。
カラーテレビも買って2-3年目でした。
ものすごい狭い3DKのマンションに家族6人で生活していました。
音楽業界は、ビートルズが解散してしばらくしたころ、カーペンターズ全盛、一方日本では規制がなくなりつつあり、井上陽水、吉田拓郎、松任谷由美、こんな方々がデビューしたころ。クラシックのレコードはカラヤンばかりが目立ち、親でも知っていました。
コンサートするようなホールもあまりなく、普門館というところで、ベルリンフィルはやっていたみたいでした。
冷静に、今の時代は、いいところもいっぱいあるので、卑下しないようにはしたいと思っています。
忘れてしまったことも多いし、忘れっぽい国民性とかもありますが、歴史が好きなこともあって、結構自分自身の身の回りのことは覚えています。
せっかく世の中を賑わしていることがあるので、いろいろなことを考えるきっかけにしたいと思います。
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