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2010年06月28日
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カテゴリ: 日記
自分が通う大学では今週から試験期間。

試験を終えて、今日の出来はイマイチだと思ったがtwitterやらmixiを見ると知り合いたちの「簡単だった」の嵐。ガッデム。なるほど、おれは劣等生ですか。

まあ試験の話は置いといて、募金について。授業が終わった後に有志が「キルギスで発生した難民を救うために募金をお願いします」とのこと。

どうも「募金」に違和感を覚える。なんでだろう。
基本的に募金は「多くの人から支援金を集める」という考えで成り立っているはずだ。1人あたりの金額も参画度も、問題への関心も少なくていい、個人の負担は極小でも全体で協力できるという、支援としては合理的な考え方だ。

でもこれはつまり、個人レベルで「他人任せ」「問題に無関心」であっても募金は成り立つということであって、さほど考えもなく「何となく良さそうな事だから金出すか」という人でも協力員の一人になれることも意味する。その上、募金を求める説明文には感情的な文言が多い。「罪のない子供を救う」「幸せにする」「未来への希望を与える」・・・。情に訴える部分を見ると「感情ワードに乗せられて憐れみだけで募金している人も多いだろうな」とより一層思わされる。募金をして「これで難民が救われたね!」で、その後の動向を全く気にしないのは頭がお花畑になっている訳だ(そんな奴いないか・・・)。

俺は「募金」自体ではなく、募金をする側に対して違和感を覚えていたのだと思う。それで多分自分と同じことを考えている人もいるだろうから、列を作って募金をし、そのような「他人任せ」「無関心」の一人だと見られるのを嫌ったのだと思う。





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最終更新日  2010年06月29日 02時43分09秒
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