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これまで楽天ブログでは、不妊治療から妊娠、出産に至るまでの経緯をつづってきました。無事出産することがこれまでの目標でしたが、育児という新しいスタートにたった今、いったんこのブログは終了したいと思います。これからは、時間ができたら育児ブログをアメーバブログにつづっていきたいと思います。http://ameblo.jp/pou1976 お見苦しい思いを吐露したブログにこれまでお付き合いいただきましてありがとうございました。不妊治療の経緯をご覧になりたくてのぞいてくださった方に対しては、途中からマタニティブログになってしまい、不快な思いを抱かれてしまっておりましたら申し訳ありません。赤ちゃんを望まれている方々の思いが成就されることを心より願ってやみません。
2014.01.10
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出産の感動に浸る間もなく、産まれたその日から日中は母子同室での赤ちゃんのお世話が始まりました。24日のうちから、初めての授乳、おむつ替え、ミルクやり、抱っこなどのお世話に追われ、どれひとつと上手にできず途方にくれました。特に母乳。ありがいことに母乳の出はとても良いのですが・・・、赤ちゃんの口に乳首をいれるタイミングが上手にとれず、授乳の度に赤ちゃんを号泣させてしまい、赤ちゃんにおっぱいを手でよけられるまでになってしまい、ものすごく落ち込みました。助産師さんの補助なしでおっぱいがあがられるようになるまで3日かかりました。今でもまだ号泣させることがあります。正直、母乳さえ出れば授乳なんて支障がなくでいるんだと思ってました。まさか乳首をお口に入れてあげるのがこんなに難しいだなんて・・・。赤ちゃんの口にたいして私の乳首がまだ大きいこと、そしておそらく私が貧乳だからおっぱいの可動域が狭くて融通が利かないのがうまくいかない原因かなあと思います。また、おむつ替えもずいぶん失敗し、一日に5回もお着替えをしたりもしました。やっとおむつ替えにも慣れてきましたが、おっしっこを変えた直後にうんちをすることが頻繁にあり、笑うしかないなあっていっつも思ってます。私がうまくお世話できなくて、赤ちゃんも授乳に1時間以上かかってしまい、病院から指導された3時間ごとの授乳で起こしてしまってたら赤ちゃんも寝不足になってしまうんじゃないかと気を揉んだりもします。私の睡眠時間も、最初の数日は1時間以上の睡眠をとることができずヘロヘロでした。今はやっと2時間くらいは寝られることも出てきました。とにかく、お世話のペースがつかめなくてヘロヘロ。テレビも何も見る気がしません。入院中はテレビも雑誌も読まずに、ストイックに授乳とお世話に没頭していたら、気が張ってしまい夫が面会に来た時にほっとして泣いてしまったほどです。ほんといい歳して情けない。退院してからもホルモンバランスの乱れで産後鬱の予兆のような気分の落ち込みに襲われました。3日連続で夜にボロボロ泣きだしてしまいましたが、夫も私も、私がホルモンバランスの影響を受けやすい体質なことはよおく理解してたので、とくに焦ることもなく泣きたいだけ泣いてすっきりしてもとにもどりました。昨日は落ち込みがなかったので、こうやってホルモンバランスの乱れも少しずつよくなっていくのかと思います。ブログは、育児をはじめたら余裕がなくなるからやめようと思ってたんだけど、育児以外のことをするととても気晴らしになることが分かり、今後もつづけられたらいいなあと思い始めました。このブログの目的は、体外受精の様子と妊娠の経過を書くことだったので、このブログはいったん終了し、育児ブログは別途たちあげようと思います
2014.01.03
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その日、陣痛・分娩があったのは私ひとりだけ。なので、陣痛室でも分娩室でも、かなり手厚く、その日いる助産師さん総出で見守ってもらうことができありがたかったです。分娩室に歩いて移動して分娩台にのり、ドクターの到着を待つことに。その日の当番はいつも健診をしてくださったDr.Mではなかく、Dr.Y.Dr.Yもとても気さくでよい先生でした。私はてっきり私が分娩室に行く前にドクターがもういるんだと思ってたら、分娩室で私服のドクターの到着を30分くらい待ちました。正直、一刻も早く産みたかったので、え~何でいないの~っと思いました。ドクターは着くなり私の顔を見て、「全然余裕そうだから、僕が着替えてくるの待てるね」って言ってまた去って行きました・・・。たまたま陣痛のお休み中だから平気そうに見えただけなのに・・・(涙)まだまだいきみ逃しをするもんだと思っていたら、ドクターはもういきんでいいよと初めから言ってくれて、いきむことに。思わず、「こんなにすぐにいきんで会陰裂けないですか?」と聞いてしまい、様子を見て会陰切ってもいいかな?ってことで、実際に会陰は切られました。お尻をつきだし、あごをお腹の方にひいてといういきみ方を教わりやってみたところ、上手上手とほめられ、ちょっといい気分になりました。褒めてその気にさせてくれるのが上手な病院のようでした。正直いきみ逃しがあまりにも辛かったせいか、いきむのは「爽快!」に感じました。いきみ逃しより何十倍も楽!間違いなくいきむのも痛いはずなんだけど、それはそれはなぜか爽快に感じたのです。で、得意になっていきむんだけど、2~3回いきんだところで、赤ちゃんの頭も出始めてきたのに陣痛が遠のいてしまったのです。ドクターの判断で急きょ陣痛促進剤を使い、陣痛を促進することにしました。しかしこれが効くまでにも30分ほどかかり、その間結構休息できたので、最後の最後にものすごく元気になってしまい、冗談をいう余裕も出てきました。なので、フランクシナトラのクリスマスソングをかけてもらいながら陣痛が来るのを待つことに。子宮筋腫が赤ちゃんの旋回を邪魔するのではないかと心配をされてましたが、ドクターが正常に旋回してるよって教えてくれ、もう心配することはないんだなあとはじめてほっとしました。 5回目くらいにいきんだ時に、次にもう出てくるからね。で、頭が挟まったままお休みにはいると凄く痛いけどパニックにならないでねと言われ、余計恐怖でパニックになりそうになりました(笑)。最後のいきみの後は、息を吐いて~と指示され、吐いている間に赤ちゃんが取り出されました。ほどなくして、管で赤ちゃんの胃か何かに吸引がはいり、泣き声が聞こえてほっとしました。泣き声が聞こえるまでの数秒は、ものすごくスローモーションに感じ、ドキドキしました。赤ちゃんで出たのと同時に、痛みが消え、これでやっと痛くないんだ~と安堵しました。胎盤もすぐにでてきて、麻酔が効いてたから会陰を縫うのも全然痛くなかったです。子宮や産道内の傷を確認されてるとき、思わず「血腫とかできてないですか?」と先回りして聞いてしまい、何もなく綺麗だと言われほっとしました。産後の処置でもトラブルがあるといろいろ聞いていただけに、妙に用心深くなってました。カンガルーケアをしながら子宮の中の処置をしてもらったのですが、時々痛みが走るために、その痛みで赤ちゃんを落としてしまわないか心配でした。産後の処置は思ったほど痛くなく、出血も少なく、2時間ほど分娩室で安静にしていました。カンガルーケアでは、血まみれの我が子はぬるぬるしてて暖かかったことは記憶してますが、痛みから解放され放心で、涙は出てきませんでした。産後すぐには感動の涙が出てこなかったのです。とにかく痛みからの解放に浸ってました。今まで、予定日が近い方の出産報告のブログを拝見して、感動で泣いてたくせに、いざ自分のお産になったら涙も出てこないなんて笑えるなあって呆れてました。本人は陣痛が長時間だったので、とても難産だったと思っていたのですが、ドクターいわく、「これを安産と言わずして何を安産というってくらい安産だったね~」とのこと。安産の定義がよくわからないけど、分娩室に入ってからは時間もかからずすぽんって出てきたから安産ってことなんだろうなあと思います。まさかまさかの安産ってことでとても嬉しくなりました。夫はというと、いきんでいる間も、「疲れるから声出さないの~」って叱咤激励をしてくれてました。血を見ることはなかったそうです。赤ちゃんが産まれてからは、もうそれはそれははしゃぎまわって、写真を撮りまくって、うちの子顔整ってますよね~とか、賢そうだなあ~とか助産師さんに言ったりして恥ずかしい限りでした。でも、とても嬉しそうで何よりでした。 焼肉を食べた翌日に産気づいて、すきやき食べ終わるまで陣痛強まらないでねってリクエストもかなえてもらい、バースプラン通り、クリスマスソングを聞きながらの夫の立会のもと出産ができて、退院の日も夫の仕事がお休みで、お正月もおうちで過ごせて、本当に我が子のタイミングの良さに感謝の気持ちでいっぱいです。元気に産まれてきてくれて、本当にありがとう。
2014.01.03
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12月23日の0時に10分間隔の陣痛がはじまったころは、痛みは生理痛くらいだったので全然余裕があり、ブログを更新してから病院に行けるほどでした。4:00に病院に行くと、陣痛は8分間隔になっててだんだん痛みも増していきました。午前中の時点で、陣痛は想像以上に痛くて呆然。この時点ではまだ呼吸法(痛みが来た時に息をはく)で痛みを受け止めて、もだえることも声をだすこともなかったんだけど、この痛みがいつまで続くのか、終わりが見えないことに精神的に耐えられるのか不安になり、途方にくれました。とにかく、次に来る痛みを乗り切ることだけに専念するしかないことは分かってるんだけど、それがいつまで続くの?、みんないったいどうやって乗り越えたの?って不安になり泣きそうになりました。で、夫に、ねえ泣いてもいい?って弱音をはいたら、まだ早いよと言われ、しぶしぶ黙って痛みと格闘しました。午後に夫が用事を片づけるために自宅に戻り、その間は一人で陣痛と格闘。物音がすると痛みを乗り切る呼吸法に集中できなくてイライラし、病院に戻ってきた夫に、「静かにして。話しかけないで。」と懇願。物音で呼吸を乱されるともだえるような痛みが襲うが、まだもだえることなく何とかやり過ごしました。 17:00頃から急に痛みが数倍に・・・。トイレに行ったら高位破水・出血してました。陣痛の間隔は3~5分に。このときからずっと夫に手を握ってもらって呼吸法に付き合ってもらう。もう呼吸がはけず体に力が入り、痛みにもだえて声をあげてしまう回数が増えました。もだえるときは、夫と助産師さんの手を激しく握り助けを求め、二人に「息を吐いて~息を吐いて~」と声をかけてもらい、何とかもだえから戻ってくる感じでした。助産師さんは陣痛の間できるだけ付き添ってくれて、本当に心強かったです。健診の時からお世話になっていた方だったので、もうそばに付いていてくれるだけで気持ちがほっとしました。いきみ逃しにひとりで耐えることができないなんて、想像もしてませんでした。この苦痛からの解放の道は2つしかなくて、産むまで頑張りぬくか、壁に頭をぶつけて死んでしまうか・・・、そんな恐ろしいことを考えてました。一人にされたら、弱った心が苦痛から逃げ出したくて自暴自棄な行動をとりそうな自分が本当に本当に怖かったです。途中、もうほんと苦しいから、帝王切開にしてほしいと思ったりもしました。赤ちゃんの心音が元気なのは本当にありがたいことなのに、どこかでトラブれ~と思ってしまったのも本音です。 破水してからは、張りの山がこないお休みの時間もお腹がいたくてなかなか休めず、だから張りの山が来た時には疲れているからなかなか呼吸法がうまくできず、身もだえしてしまい、それで体力を消費してまた呼吸法がうまくできなくなるという悪循環に陥ってしまいました。夫に何度も、「体力消費するから、息吐く時もふう~って言わないように。力抜いて~静かに息吐いて~」って言われてました。破水してからは子宮口の開くペースが順調になったそうで、頭もおしり側に順調にさがってきたらしく、入院したころは、産まれてくる時間ははやくて24日の明け方と言われていたのが、23~24日に日付が変わることに産まれるんではないかと言われ始めました。この言葉にちょっとほっとしたものの、その頃は恐らくまだ19時頃で、え~まだまだかかるんだなあっと気が遠くなりました。張りの山でないお休み中は、うとうとしてるときもあり、このとき寝ていたのが体力温存につながってよかったんだと、後から助産師さんに言われました。あんなにすさまじい環境なのに寝てしまうんだなあとびっくりしました。子宮口が広がっていく一方で、痛みは加速的に激しくなり、呼吸法もちゃんと吐きだせることの方が少なくなり、毎回もだえるようになっていきました。23時過ぎに子宮口が全開になり、隣の分娩室に移動することになりました。
2014.01.01
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あけましておめでとうございます。まだまだ育児に余裕のない日々ですが、パソコンをいじっていることが以外と息抜きになったので、時間のある時に出産の記録をつけておこうと思います。 12月22日 16:00 時々生理痛並みの鈍痛がおそう 12月23日 0:00 10分間隔で生理痛並みの鈍痛がおそう 4:00 病院へ NSTをつけたら8分間隔の陣痛 6:00 おしるしもなく子宮口は1センチだけど入院決定 12:00 子宮口3センチ、陣痛7~8分間隔 17:00頃 破水 子宮口5センチ⇒7センチ⇒9センチ 23:30頃 子宮口10センチ 0:00過ぎ ドクター到着 分娩室へ 12月24日 1:33 体重3074g、身長50センチの男の子が誕生 陣痛の時間は26時間33分。子宮口が5センチまで開くのにすごく時間がかかりへとへとになりました。破水してからは子宮口の開きも順調に進み、子宮口が全開になってからは数回いきんだら産まれてきました。子宮口にある子宮筋腫が悪さすることもなく、トラブルなく赤ちゃんが産まれてくることができました。3連休の最終日で夫が仕事が休みだったこともあり、陣痛の開始から出産するまで夫が立ち会うことができました。
2014.01.01
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