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歩世亜さんComments
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私は元気な頃、パチンコの景品交換所に勤めていました。
2人の交代制で、早番は朝9時から夕方16時まで、
遅番は夕方16時から閉店まで働いていました。
でも働き始めても、新入社員はすぐにやめていってしまい、万年人手不足でした。
新入社員が入って落ち着くまでは、古株の私たちの体制は『通し』と言って
朝9時から閉店まで大抵最後の締めまで一人でやるので、仕事が終わるのは23時頃)
今では考えられない勤務時間でした。14時間労働はざら、
ひどいときは16時間働いていました。
お金を扱う仕事なので、ものすごく神経を使うし、トイレも自由に行けません。
食事も仕事が暇な時にかき込むような食事でした。
それでも体の弱い私が1年くらい続けられたのは、病院の日を優遇してくれて
病院の予約日は必ず仕事を休ませてくれたからだと思います。
そういう日は、私の休養日…と思ったら大間違い。_| ̄|〇
働いているときにできなかった雑用を片付け、たまった洗濯物もきれいにし
掃除も一通りやって、日頃の埃を払っていました。
こういう時でも主人はほとんど協力してくれず、私が遅番の時は
必ず主人のお夕飯を作って準備してからでかけていたし、買い物も空いてる時間を
見つけては私がやっていました。
良く1年間、体がもったものです。
結局家老で倒れ、緊急入院することなりましたが、入院当初は食事もできず眠りっぱなしでした。
仕事自体は面白かったんです。社長は一日一回、10分くらい顔を出し、
お金の確認をし、注意事項の伝達だけでしたし、それ以外は一人で交換所にいて
お客さんがいない時はテレビを見たり本を読んだりと、割りと自由でした。
もし過労で倒れなかったら、今でも続けていたかもしれません。
いろいろなお客さんがいて、観察するのも面白かったです。
負けると私に八つ当たりする人が多かったけれど、すぐに事務所に連絡して
対処してもら得ました。
なかにはパチンコ玉やスロットのコインを投げつける人、
交換所の前にばらまく人もいましたが
その片付けは主にお店の人の仕事でした。
私が一番扱った大きなお金は一日でスロットで稼いだ103万円です。
お札を数える方はドキドキして緊張しているのに、受け取る方は平然と
確認もしないでお金を受け取っていくパターンが多かったです。
一日で100万円以上稼げば、働くのが嫌になってしまわないかなぁト
余計な心配もしましたが、勝つと気持ちが大きくなるのか次の日も来てました(´▽`*)アハハ
お客さんやお店の人からいろいろな情報を教えてもらって、
興味本位でやってみたこともあります。
コインは苦手と分かったので、パチンコのみ。
ビギナーズラックというのでしょうか、半日で13万円稼いだ時がありました。
それが2回続いたときは、さすがに驚くと同時に嬉しかったことを覚えています。
もちろんそのお金は生活費に消えましたが…o(TヘTo) くぅ
私の特技が、普通の主婦よりお札を数えるのが早いというのはそういう理由からです。
パチンコ店は空気が悪く、健康によくありません。
とくにMGの症状には悪影響を与えます。体の疲労も相当負担になっていると
分かっていたので、長くは続けられませんでした。
まぐれでも運が良い時にでも、一晩で100万円近く儲かれば
ギャンブルにハマるのもわかる気がします。
トータルでは絶対負けていると思うんですけど、勝った時の興奮が忘れられずに
だんだん深みにはまっていくのでしょうね。
その人の性格にも夜と思いますが。
嗜む程度ならいいけど、深みにはまらないように、
ギャンブルはほどほどに。
マインドコントロールすることが大切です。
いくつもの難病を抱えていても、あの頃のように働くことができると、
私は必ず働けるようになることを信じています。
自分の力を信じ、自分の精神力を信頼して、いつか病気を克服して
もっと元気になって、両親の面倒を見たいと、それだけを目標に闘病生活を送っています。
完治しない病気ばかり抱えていますが、寛解といって、
一時的に症状が良くなることはあります。
それでもいいんです。今より元気になりさえすれば…。
つまらない過去のお話に最後まで付き合って下さってありがとうございました。
最後まで読んでくださった方々には感謝いたします。
皆さんのクリックが励みになり元気の源になっています。
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うなぎの蒲焼は祖母の味 April 6, 2012 コメント(4)
お料理とお散歩をしている時が幸せヽ(*´∀… March 25, 2012 コメント(11)