☆ぷりにゃん徒然日記☆

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2007.09.07
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カテゴリ: 結婚の馴れ初め?
台風で家に閉じこもってる間にちょっとこの結婚の馴れ初めを

ちょっとだけね。

興味のある方だけ続きをどうぞ・・

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う~ん、もしかしたら、その青少年施設に行き始める前かもしれないな。
彼が尋ねて来たのは。

私を探して会いに来たのは、私が2年間だけ静岡に住んでいたときの
同級生だった。
びっくり

私もびっくりびっくりびっくりびっくり

でも、多分私のことだからそんなにビックリじゃなくて
以外と冷静なんだよ。  なんたって冷たいから。

なんで??

私が静岡のとある市に住んでいたのはたった2年。
小学校3年と4年の時。

と、いう事はだよ。それから10年経ってるってことでしょ?(当時)
私が当時18か19歳ですから。

で、その2年しか居なかったその時の10年後の彼が尋ねてきて
顔も名前も私、覚えてましたよ。

なぜなら私、その彼に毎日のようにからかわれて泣かされてたから。


私がからかわれて泣くような奴じゃないとおわかりでしょう。

そう、泣くような奴じゃないんです。
でも、そいつはウザイくらいにしつこかったんです。

そして意味もないことでからかう。

イントネーションが違うとか?


でも、ほとんどのクラスメートは
「東京から来ただらー」と言って、ものすごく私と仲良くしてくれて、
ものすごくちやほやしてくれたんです。

ほんとは神奈川で横浜なんだけど。
「東京も横浜も一緒なのか?」と子供ながら思った。

だから、私は彼の名前も顔も覚えてた。
そりゃ、10年経って少し変わってはいたけど。

私もそんな倒れた後で入院中一番の成長期に病院のベッドで
食っちゃ寝・・食っちゃ寝・・で、リハビリといっても、
たいしたことしてなかったのでものすごく太ってしまっていた。

当時とは違うでしょ?!!!
ビックリでしょ

彼も・・・・

まぁ、彼は、要するにその当時、ありがたいことに私のことを好きで
謝りたくて会いに来てくれたんだって。

ふ~ん。

と、冷たい女です。

母、曰く、私はその静岡も西のはずれの遠いところから
お金がかかるからとローカル線で尋ねてきて彼を
玄関先で2時間も待たせたことがあるらしい。

ごめんなさい。
まったくもって覚えてない。

あ!彼がなぜ我が家の電話番号が分かったかというと、
当時のクラスの緊急連絡網に父の名前も載せてあって、
引っ越すときに確か次の引越し先はクラスに
発表したようなしてないような・・覚えてないよ。

で、その父の名前と平塚を頼りに電話帳で電話してきたんだって。

ドラマかよ!

まぁ、作り話でなく、本当の話です。


で、何で私がそんなに彼に冷たかったか。

私の病気は過呼吸になっちゃいけないのよ。

泣いちゃいけない・激しい運動はいけない・
熱いものをフーフーいいながら食べてはいけない・・

守ってられるか!!

ってなるんだけど、私は意地でも泣かないと思うんだけど、
あまりに悔しいと泣いちゃうんだよね。

で、その彼にはよく悔しい思いをさせられて泣かされてたの。

とあるその小学3年か4年の日、彼が、
「今日はもう7回泣いたら~」と私をからかった。

自分が病気だなんてその時はまだ知らないけど、
「泣くと動けなくなるんだよ・・勘弁してよ・・」
と、小学校の階段をフラフラしながら下りた。

何とか小学校の外まで出て校門を出たら、
私はパタッと倒れた。

動けない・・・
くっそ~!あいつ・・許せない・・・

軽トラが来た・・・。

道路の真ん中でランドセルを背負ったまま寝転んでる私を
運転手はゆっくり横目に眺めながら徐行して通り過ぎていった。

田舎町でよかった。
横浜だったら引かれて死んでたな。

で、どれくらい道路で寝てたかなんて分からない。
なんたって一過性虚血発作だから。

でも、動けるようになって普通に何事もなく家に帰ったね。
多分・・・

誰にも分からないんだよ。
しばらくすると元通りで、普通に動けるし歩けるし喋れる。
発作のときは動けないし喋れない。

ま、だから、覚えてるし冷たいの。

でも、彼は謝りたくて来てくれて、
やっぱりわたしのことを好きで居てくれたんだって。

もう、私は「え~~~!!!10年も???ほかの人を好きにならずに?」
もう、それだけが信じられなかったしやっぱり嬉しかった。

私なんてその間に何人の男性にチョコを渡したんだ?
1・2・3・4・5?5人くらい?

で、その市の地方公務員の彼が乗ってた車が
驚くなよ!!!
ジムニーなのよ。。。


乗りたいだけです。意味もなく。
彼は公務員になってたの。
そうだよ私だって公務員の妻になれたかもしれないよ。

別に、私は今は今で満足してるけど。

たいてい東海道線の鈍行でお金をかけずに来てたけど、
何回か車で来たことがあった。

私が始めて乗った助手席はジムニーだよ。

だから言ってるでしょ。

すべては偶然だって。
嘘だと思うなら当人に聞いてくれ。
私は公務員好きでもなんでもない。
ただの偶然。偶然大船にも暮らし始めたんだってば。

その彼の学生時代の友達が新聞屋に住み込んで働きながら
大学に通っているという。

続きは今度。












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最終更新日  2007.09.07 18:47:27
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