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「全てのツケは必ず回ってくるんだよ。」これが私が何度もお兄さんに言われた言葉。言い方をちょっと変えて主人に「全部必ず自分にかえってくるから」と何度も言った。私にもツケが回ってきてるのかもしれない。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~もう、飛び飛びなので・・・~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~要するに?私は主人なんてタイプじゃないし好きじゃなかったし、私は本当にお兄さんのことが好きだった訳。で、その三浦の青少年施設にIさんに連れられていった私と親友は騒がしい主人とそこで仲良くしているもう一人のN君と会った。N君は私たちと同級だったのですぐに仲良くなった。今ではもうユースケが好きなくらいだから違うと思うけど当時の私は大人の男が好きだったね。今でもやっぱり物静かなクールな人も素敵とは思うけど。だって、娘というのはたいていは自分の父親を見て過ごしているからそれがいいかな?なんて思うんじゃないのかな?仲の良い家庭の場合で一般論だよ。私の父は家族に優しいけれどとにかくあまり物を語らない背中を見て育て?的な人だった。ま、クールだな。親友の両親は・・・私は何度も家に泊まりに行ったこともあるし一緒に伊豆へ旅に行ったこともあるけれどとても仲が良い。でも、私の両親とはちょっと違う。親友がよく言ってた。私は「「口から生まれてきた」に違いない。」と。「うちの家族は4人ともみんな勝手に喋ってて全員話を聞いてない。」とも言ってた。そんな賑やかで楽しい家族だった。で、中学の部活が一緒で留年した私を本当に救ってくれたこの親友がちょっと惚れたのが私の主人だよ。・・・今じゃ、むこうは親友なんて思ってないのはもうわかっていることで。私がどれだけ謝っても無駄な抵抗だった。だから?主人とも出会ったときに私が開口一番「私は好きな人が居るから相手にされてないけど。」と言ったのもよく知ってるわけで。それがお兄さんだけどね。じゃあ、なんで今に至るのかと言うとそのイベントその年は盛大で参加親子も400人くらい居てスタッフも30人くらい居てすごく楽しかった。で、その時だけでは勿体ないからと主催の施設でお疲れ様バーベキュー大会などをしてくれた。で、仲良くなった私達は4人でも遊びに行くようになった。もちろん親友と主人のためと私は思っていた。ところが、ある時からその30人くらい居たスタッフの一人の男性から私に頻繁に電話がかかって来るようになった。そりゃ、嬉しくない訳はない。でも、その人はやっぱりおじさんだった。(お兄さん?)私の大好きなお兄さんと1歳しか歳が変わらない・・どんな人なんだろう?毎年このイベントには参加してると言ってたけど。親友と一緒に行って私が選ばれたってやっぱりそれは女として嬉しいわけで。でも、どんな人かわからないこのOさんの誘いにすぐに「うん」と言えなかった。あぁ・・あの頃の私はまだ初々しくて可愛かったな。で・・・やっぱりこのイベントにもう何年も参加していると言う主人に相談したのが運のつきだった。主人に「Oさんから一緒にディズニーランドに行こうって誘われてるんだけど・・どう思う?」と訊いたら「あの人は毎年女性を誘ってるみたいだからやめた方がいいよ。」みたいなことを言われた。もう十年以上も前でよく覚えてない。そんな電話の時に主人と初めて長電話になってしまった。そうしたら「明日、暇?」みたいな話になってなぜか二人で箱根へ行ったんだよな。どんな話の流れだったんだろう?親友が怒るのも翌々年結婚してそのイベントに参加してる私達を見たOさんも怒るのも無理はないかもしれない。あれだけ・・・いや、これだけ、「私はお兄さんが好きですから」と言っているにもかかわらず・・・・なに?それ?!!!という。私は何を弁明する気もない。何に惹かれたのかもわからない。ただやっぱり電話口で主人が言った「僕は今まで我慢しかしてこなかった。楽しいことなんて何もないんだ。」という言葉が気になって仕方なかっただけかもしれない。私は死に掛けたことがあってもそんな悲観的になったことはなかった。この人は一体今までどんな人生を送ってきたのだろう?と、思ったら気になってしまった。人気ブログランキングへ
2008.10.26
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主人の熱が気になる?もう、ありがとうございます。お陰様で下がってお仕事に行きました。今日も暖かいものを食べて早く寝てもらいましょう。でも、やっぱり私にうつってちょっと風邪気味です。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~偶然本人登場で話が飛んだ。私の人生は偶然と奇跡に満ちている。そう信じようっと!先日父がくれたホワイトデー。「え?バレンタインあげたっけ?あげてないのにありがとう。」八百屋の兄さんと元主治医の先生と主人にしか上げてない。何だこの偏り?!!!~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~読み返したら静岡の彼を振ったところの次でお兄さん本人が登場してる。実際間違いでもない。多分。。。。。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~そんな訳で?団子作りのイベントで知り合ったお兄さんに連れられて観音崎へ研修に行った。その観音崎の研修で夜にはキャンプファイヤーとナイトハイクをしたんだよね。ナイトハイクでは二人ペアで村から観音崎園地のトイレあたりまで歩くと言う肝試し。??そのペアをくじで決めたんだよ。私は強運だからね。いやぁ~楽しかったよ。あそこで「ほら、ベイブッリジが見えるだろ!」と言ったお兄さんの顔。忘れないねぇ。実は全然わからないから最後は「うん、見えた」と嘘をついた。 想い出思い出。で・・・・・そんな甘いお兄さんに甘い言葉を言われてだね、私はこの人を忘れられないよ。ふるんだったらきっぱり私が静岡の彼をふった時みたいに冷たくしてくれれば楽だったかもしれないのに。「足りないのは歳だけだ。」これは・・・・重い。 痛い。 辛い。否? 逃げてるんじゃね~の?そんな話を親友と本当に朝まで笑いながら語ったね。親友に「役所でデカイ声で「おにいさ~ん」と呼んでみな。きっと出てくるから」そういう人だよ。なんて言われたりした。あと、「あの人はドラマでよくある風景みたいに見送りの電車と共に一緒に走るタイプだ」なんてことも言ってた。今、彼女の言ったことを思い返すとよく分かる気がする。つまり熱い?私は笑えるくらい甘いと思ってるけどこの惚れてる熱がない人には最初から「ウザさ」が見えてたんだろうな、と思う。そんな風に地元の青少年の家で火起こしの棒を作ったりなんだかんだと言っては泊まったりしながら実はお兄さんの話ばかりしてた。お兄さんの電話の決まり文句は「いい奴見つけろよ。」だったよな。確か。で、「お前もナ(お兄さんもね)」が合言葉のようだった。今ではいい奴です。^^だから!!??お兄さんからの先日のメールには「素敵な夫婦に見えました。」と書いてあったのかな?一応ね^^だって、仲いいもん。そんな、お兄さんのへの思いしか頭にない私に転機が訪れたのはやっぱりその青少年施設では浮いてる存在のIさんが私達を三浦でやるイベントに誘った時。私達だって多分おそらくその青少年施設では浮いていたのでしょう。「三浦市の施設で盛大なイベントがあるから一緒にやらない?」と、Iさんが言うと親友は「面白そう!行く~行く~」と即座に答える人だったけど、そこでボラをしている多くの人は「私たちはここで活動をしているから外には行きたくない」ともっとそこまで言う?と言うくらい冷たく断られてた。とにかく凝り固まって外に目が向かない。それくらい冷たくお兄さんも私に言ってくれればどれだけ楽だったかとも思うが・・要するに男と女の違い?否・・少しでも感情があるかないかとか?もう、昔のことだからいいけどさ。それで、そのイベントでブーメランを飛ばすために私たちは平塚から三浦市まで行った。いやぁ・・もちろん私も親友もブーメランなんて飛ばしたことはない。そのIさんがブーメランを作って飛ばしたら子供にウケルから手伝ってくれという事で、大規模なイベントに参加した。やっと登場ですよ。!!!そこで実行委員長をしてたのが今じゃ、我が主人です。だから、何度も何度も言うように本当に好きじゃなかったんですよ。歯車なんてどこで狂ってどこでまた噛み合うか分からないんだなぁ・・これが。人気ブログランキングへ「固定ジストニア」を知ってください!
2008.03.24
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もう、笑いが止まらない。昔を思い出せばそんなに昔じゃない気もするしずっと前のような気もする。結局私はずっとこの人の影しか見てなかったというのも如実にわかる。いやはや、被害を受けた方ごめんなさい。すべては偶然ですから。もう、この部分だけ抜き出してちょっと大げさに作って昼ドラが書けそうだ。私が始めて横須賀の地を踏んだのもこのお兄さんに連れられてだよ。実は。主人に会ってじゃない。観音崎のとある施設で自分の団体のイベントをやるから良かったらお前たちも来ないか?と、誘われた。ま、青少年課の市の職員だった訳で。当時。で、親友と二人で行った初めての横須賀。何に驚いたって、この景色でしょ。電車の中から二人で大声で叫んだのを鮮明に覚えてる。「わぁー!!すごい!!!!これが横須賀なんだ!!すごい!!!本当に横須賀だ!ペリーだよ!!!」「静かにしなさい。」すいません・・・・・・だって驚いたんだもん。乗客いないし。で、横須賀駅からバスで観音崎へ行ったよな確か。あの1泊2日も楽しかったな。一応研修ですから。なんていう名目の研修だったか忘れてしまった。・・観音崎公園を一人で回ってどういう所だったかを発表する。で、他の参加者がそれを聞いて実際にその人がその場所に行ったかどうか判断する。一人で発言・発表をいかに上手く出来るかの訓練?実際、嘘をついて行ってない場所を「行きました」「こんなところでした」と言ってもいい。と言うゲーム。この人は本当のその場所にいったと思う人と参加者に聞いて、「はい」と手を上げた人の分だけポイントが入る。そんなゲームだったな。お兄さん・・嘘をついてるのかついてないのか・・発言するたびに「行ってないでしょう?嘘つき~」と言われてたし言ってたな。他の参加者は私たちと同級生の男の子と女の子と・・・あ!!!主人も知り合いのYさんだ。もちろんあとで知ったことだけど。この世界の何たる狭いこと。それで思い出した。夕飯は本格カレーを作るといってヨーグルトを入れたりしたんだ。でも、みんな料理をしないから笑える食卓だったな。だから、私はあの集会室も思い出がいっぱいな訳で・・観音崎のあの集会室に立ってるのはやっぱり「お兄さん」だよ。観音崎のあの和室に寝転がってるのもやっぱり「お兄さん」だね。だいたいお兄さんがスピードワゴンみたいな甘い言葉を言うからいけない訳で・・もう、過去だから大爆笑で笑ってるだけですむけど。だいたいね、「俺たちは心でつながってる。」なんて電話口で言われてみな。私は書きながら笑ったよ。ね、「あま~い。甘すぎるよ。」と言いたくなるでしょ。言った本人はおそらく覚えていない。でも?だから偶然会っちゃたのかな。「心でつながってる」なんて父さんにしか言われたことない。父に言われるのなら頷けるけどねぇ。息子には言えない。・・・「俺は一生お前のお兄さんだ。」そう言ってキーホルダーをくれたのはお父さんなんだけど・・でも、あの息子も娘もそんな甘い言葉に囲まれて毎日を過ごしているんだろうな。いいねぇ・・このにやけた生活。私も本当におかげさまで夫婦で仲良くニヤケタ生活を送ってるよ。割と甘い言葉も毎日言ってるかもね。ハハハハハ「固定ジストニア」を知ってください!
2008.03.20
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昨日の本よみうり堂で心温まる本として紹介されていた。表紙だけでも見て御覧なさいと書いてあったので、早速見てみた。うん、かわいい。私の好きなコーナー「本よみうり堂」でも、本は読まないんだけど。もっぱら新聞だけ。もう一つは、失恋してどうしようもなく落ち込んだ時におすすめの本だって。ちょっと・・いや、かなり気になって読みたくなってしまった。人は失恋すると「地球が滅亡すればいい」なんて絶望に陥るのだろうか?そんな過去は昔すぎて忘れてしまった。だいたい忘れっぽいし、切り替えが早いし。。すぐに違う人を好きになっちゃうし。。。。。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~で、続き・・・気になる方だけどうぞ。その静岡の彼が何回私を訪ねてきてくれたかなんて覚えていない。何度電話をくれたかも到底覚えていない。手紙は残ってる。残しておくの好きだから。今みたいにメールの時代じゃないし。私の記憶が正しければ藤沢でご飯を食べた。なぜ藤沢なんだろう?ハンズにでも行きたかったかったか?私。??映画を見た記憶はないぞ。で、だんだんそんな風に訪ねて来てくれたら「情」が沸かないでもないじゃない。多分そのときはお兄さんに会う前なら高校の数学の先生が好きだから。私。いつでも、誰かを好きです。静岡の彼は小学3年の私が「当時・Kのことが好きだったら~?」「今、彼は何々をしてるよ。」とか教えてくれたり、「あと、当時の担任のI先生に会いに行って、ぷりにゃんのこと覚えてる?」って訊いてきた。」「覚えてるって言ってたよ。会いに行かない?」とか言ってたような。 多分・・うん、多分、そんなこと言ってた。ずいぶん行動的だなぁとおもった・・まぁ、人のことは言えないか。だいたい私から静岡のはずれの今は政令指定都市になったまぁ、浜松までわざわざ行かないっちゅうの。私はそんな体になってしまった訳でバイトもしてないし。。お金ないし。。で、しばらくしたある日、彼が役所の野球大会かなんかで、複雑骨折したと電話をしてきた。複雑骨折って骨が体から飛び出てすごかったらしい。でも、お見舞いにも行かなかった。ただ、その間仕事も休職になると言って、「君のために手作りで彫刻で箱を作ってる」って言ってよな。うん、夢ではない。嘘でもない。うそっぽいと思うあなたには教えてあげる。誰より何より私が一番信じられないよ。だって10年だよ。10年といったら子供が10歳になっちゃう月日だよ。二十歳だった私が三十路になっちゃう月日だよ。その間ずっとこんな私を??まず訊いたよ。「私のナニが良いの?」「泣かしても泣かしても懲りないところ・・・こんなに強い人は会ったことがない。・・・」褒められてんのか?別に私K-1選手でもなんでもないのに。まぁ確かに、負けん気だけは人1倍だろうね。でも、その言葉を出会って最初に聞いちゃったから、私は彼を冷たくふることになる。もちろん彼は私がこんな病気だということは知らない。いい人だなぁ・・優しい人だなぁ・・と思いながらもあんたに泣かされたせいで私は軽トラにひかれそうになったことがあるんだけどと、思わずにはいられなかった。で、そんなで、その静岡の彼が私の為にプレゼントも作ったから「今度はちゃんと二人で会いたいんだけど」(会うときはたいてい親友と新聞屋の友人が一緒)みたいな事を言われた時に多分私は突然キレタ。「はぁ?プレゼントを作ってくれなんて頼んでないし、冗談じゃない。嫌です。」と、・・・それっきり。まぁ、彼にはものすごく理不尽でものすごく訳が判らなかったでしょう。今なら彼にこの本をプレゼントしてちょっと謝りたい。そんなに私に尽くしてくれたのに、理不尽な思いをさせて本当にごめんなさいね。悪いのは病気でしょ。でも、あなたに毎日泣かされたせいで私の病気は日々悪くなっていったんじゃ・・と、思ったら、やっぱり受け入れられなかったんだよ。あなたは優しくていい人でしたよ。いや、ごめんなさい。若かりし日の私です。そんな折れない私を追いかけてきてくれたんだから、判ってくれますか?おかげで??とんだお荷物と暮らしてますよ。でも楽しいです。★食欲の秋★全部食べたい!!「固定ジストニア」を知ってください!楽天ブログランキングよかったらポチットしてね。
2007.09.17
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いい天気だね。今日は友達は海でシーカヤックをしてるんだろうなぁ・・行っても良かったけど、主人が仕事で「君も行かないでしょう??」と言うから何も言わずに頷いておいた。家の中にこんなのが・・「ヤモリ?」どうすればいいの?逃げ足、早い。放っておくか・・あの人はいい人?で、続き~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~やっぱり、彼が私を尋ねてきたのはお兄さんに会う前だな。私は多分最初に青少年の家に行ってからしばらくはそこに行ってなかった。最初は無視されてちょっといやな目にあったから。その後の春かな?彼が来たのは。で、彼の同郷の友人が私の住む町の商店街の新聞屋に住み込みながら大学に通っていると言う。彼はたまにその新聞屋に泊まったりしてたのかな?ごめんなさい。ほんとに覚えてません。まぁ、私もその新聞屋に遊びに行ったこともある。だって歩いて5分・10分のところだもん。それで、その新聞屋と追いかけてきた彼とで、夏にバーベキューしようなんて話があった。私、自分の好きな人のことはよく覚えてるのに無関心なことはあんまり覚えてないな・・で、私が病気になる前からもなった後でも中学の時の部活の友達だけは一緒に平塚七夕祭りに行ったりしてた。(入院中もお見舞いに来てくれたりして。)それでその中の一人に多分私は声をかけたんだろう。一番気さくで声をかけやすい??「こんなことがあって、男が尋ねて来たんだけど・・」みたいな?そうしたらその頼もしい親友は「いいよ!私はカモになるから!!一緒に出かけよう。」って言ってくれた。もっとたくさん言葉はあったと思う。でも、私の大好きだった親友のその「私はカモになるから」の言葉しか覚えてない。「ネギしょって行ってやる。」って言ってた。どう、この頼もしさ。関西人?いや、惚れるでしょ?だから、私は彼女を忘れないし、彼女だけが親友だと思ってる。で、4人で花水川の上流でバーベキューしたよ。その静岡の彼がジムニーに道具を積んで後ろに乗った親友が狭いとわめいてた。今だから分かる。。私、あんなに後部席が狭いとは知らなかったんだ。あれは狭いね。荷物も積んでたしね。でも、あのバーベキューのとき、どこで食材を買うかとか、どの辺でバーベキューするかとか全部指導してくれたのは親友だったと思う。みんな平塚をよく知らないから???だから、私も知ってるっちゃ分かるけど、よくは分からないんだよ。どこにも定住してないんだから。でも、あのバーベキューのときは私と親友二人で盛り上がってた様な。なんと言っても良く喋るし初対面に緊張?しないしないみたいな二人だから。で、18か19でしょ?もう時効ってことで、・・・・川原のトイレもないところで4人で肉を焼いて飲んでたの。たぶん静岡の彼は公務員だし運転手だしそんな飲んでないでしょ?見てない。困ったのは私と親友。トイレに行きたくなっちゃってさ・・どうしよう・・・・トイレがない・・・コンビニがない・・・そこまで考えてなかった。超・緊急事態発生で、二人で、仕方なく川原のそばのお宅に「ピンポーン」と突撃訪問をしたね。若いってすごい・・・「すいません。突然・・川原でバーベキューをしてたんですけどトイレに行きたくなってしまって・・・・トイレを貸していただけませんでしょうか?」ヨネスケ並みでしょ?晩御飯もらうわけじゃないから。でも、こんな風に突撃して、3軒目くらいでトイレを貸して頂きました。本当にありがとうございます。花水川の傍に住んでて昔変な女の子がトイレ借りに来た・・って方がもし居たら、ごめんなさい。そして本当にありがとうございました。で、4人でそんな風にバーベキューをやって解散した。★食欲の秋★全部食べたい!!「固定ジストニア」を知ってください!楽天ブログランキングよかったらポチットしてね。
2007.09.08
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台風で家に閉じこもってる間にちょっとこの結婚の馴れ初めを更新しようと思ったのに、シュレッダー分解したりで、ちょっとだけね。興味のある方だけ続きをどうぞ・・~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~う~ん、もしかしたら、その青少年施設に行き始める前かもしれないな。彼が尋ねて来たのは。私を探して会いに来たのは、私が2年間だけ静岡に住んでいたときの同級生だった。突然の電話にそりゃぁ、親もびっくり私もびっくりでも、多分私のことだからそんなにビックリじゃなくて以外と冷静なんだよ。 なんたって冷たいから。なんで??私が静岡のとある市に住んでいたのはたった2年。小学校3年と4年の時。と、いう事はだよ。それから10年経ってるってことでしょ?(当時)私が当時18か19歳ですから。で、その2年しか居なかったその時の10年後の彼が尋ねてきて顔も名前も私、覚えてましたよ。なぜなら私、その彼に毎日のようにからかわれて泣かされてたから。ずっと読んでくれてる方や、実際の私を知ってる方なら、私がからかわれて泣くような奴じゃないとおわかりでしょう。そう、泣くような奴じゃないんです。でも、そいつはウザイくらいにしつこかったんです。そして意味もないことでからかう。イントネーションが違うとか?はっきり言ってなまってるのはあの静岡の人たちです。でも、ほとんどのクラスメートは「東京から来ただらー」と言って、ものすごく私と仲良くしてくれて、ものすごくちやほやしてくれたんです。ほんとは神奈川で横浜なんだけど。「東京も横浜も一緒なのか?」と子供ながら思った。だから、私は彼の名前も顔も覚えてた。そりゃ、10年経って少し変わってはいたけど。私もそんな倒れた後で入院中一番の成長期に病院のベッドで食っちゃ寝・・食っちゃ寝・・で、リハビリといっても、たいしたことしてなかったのでものすごく太ってしまっていた。当時とは違うでしょ?!!!ビックリでしょ彼も・・・・まぁ、彼は、要するにその当時、ありがたいことに私のことを好きで謝りたくて会いに来てくれたんだって。ふ~ん。と、冷たい女です。母、曰く、私はその静岡も西のはずれの遠いところからお金がかかるからとローカル線で尋ねてきて彼を玄関先で2時間も待たせたことがあるらしい。ごめんなさい。まったくもって覚えてない。あ!彼がなぜ我が家の電話番号が分かったかというと、当時のクラスの緊急連絡網に父の名前も載せてあって、引っ越すときに確か次の引越し先はクラスに発表したようなしてないような・・覚えてないよ。で、その父の名前と平塚を頼りに電話帳で電話してきたんだって。ドラマかよ!まぁ、作り話でなく、本当の話です。で、何で私がそんなに彼に冷たかったか。私の病気は過呼吸になっちゃいけないのよ。泣いちゃいけない・激しい運動はいけない・熱いものをフーフーいいながら食べてはいけない・・守ってられるか!!ってなるんだけど、私は意地でも泣かないと思うんだけど、あまりに悔しいと泣いちゃうんだよね。で、その彼にはよく悔しい思いをさせられて泣かされてたの。とあるその小学3年か4年の日、彼が、「今日はもう7回泣いたら~」と私をからかった。自分が病気だなんてその時はまだ知らないけど、「泣くと動けなくなるんだよ・・勘弁してよ・・」と、小学校の階段をフラフラしながら下りた。何とか小学校の外まで出て校門を出たら、私はパタッと倒れた。動けない・・・くっそ~!あいつ・・許せない・・・軽トラが来た・・・。道路の真ん中でランドセルを背負ったまま寝転んでる私を運転手はゆっくり横目に眺めながら徐行して通り過ぎていった。田舎町でよかった。横浜だったら引かれて死んでたな。で、どれくらい道路で寝てたかなんて分からない。なんたって一過性虚血発作だから。でも、動けるようになって普通に何事もなく家に帰ったね。多分・・・誰にも分からないんだよ。しばらくすると元通りで、普通に動けるし歩けるし喋れる。発作のときは動けないし喋れない。ま、だから、覚えてるし冷たいの。でも、彼は謝りたくて来てくれて、やっぱりわたしのことを好きで居てくれたんだって。もう、私は「え~~~!!!10年も???ほかの人を好きにならずに?」もう、それだけが信じられなかったしやっぱり嬉しかった。私なんてその間に何人の男性にチョコを渡したんだ?1・2・3・4・5?5人くらい?で、その市の地方公務員の彼が乗ってた車が驚くなよ!!!ジムニーなのよ。。。乗りたいだけです。意味もなく。彼は公務員になってたの。そうだよ私だって公務員の妻になれたかもしれないよ。別に、私は今は今で満足してるけど。たいてい東海道線の鈍行でお金をかけずに来てたけど、何回か車で来たことがあった。私が始めて乗った助手席はジムニーだよ。だから言ってるでしょ。すべては偶然だって。嘘だと思うなら当人に聞いてくれ。私は公務員好きでもなんでもない。ただの偶然。偶然大船にも暮らし始めたんだってば。その彼の学生時代の友達が新聞屋に住み込んで働きながら大学に通っているという。続きは今度。
2007.09.07
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去年、友人が撮った写真。別に宣伝してるわけではない。写真があったほうが素敵。もう、話が行ったり来たりでごめんね。私だって、「え~っと、どこまで書いたっけ?」と、同じことも何度も書いてる。まぁ、気になる方だけ続きなど、気にして下さいね。作り話でなく真実を基にした、思い出話の回想ですから。記録してあるあのノートを引っ張り出せば正確だけど、自分自身が思い出に浸って長くなるからイヤなの。1日は24時間で誰にも平等で、短いね。昔、その親友と1日が48時間だったらいいのにと延々と3時間くらい語り合ってた。その時間がもったいない?いいの、いいの。だって、若かったんだから。結局、そのボランティアサークルに入会して、毎週のように一緒に会って遊ぶようになったのよ。彼女とは。私のつまらなすぎた高校生活は一変してバラ色になったよ。彼女は元気でよく喋るし明るいし、初対面の人にはたまに関西人に間違えられるって言ってた。・・・・どんだけぇ~わからなくはない・・って、私?そういう関西人ぽい人が好きなのか??毎週のように用事もないのにその青少年施設へ行って、火起こしをする為の棒を作ったり、ボランティア新聞を作ったりした。(火起こし・・・誤解のないように・・・青少年施設は夏の間は近所の子供たちなどがキャンプやキャンドルファイヤーをしにくる。その時に籾殻や木の棒を使って、昔ながらの火起こしを体験し、それで野外炊事をする。その為の火が起きやすいように作る棒。)別に私達、放火魔じゃない。青少年施設はもちろんクーラーなんてないし、扇風機だけだし、お風呂はみんなで一緒に入るし。もう、そういうのが全部楽しかった。夏の間は暑くてたまらないんだけど・・で、19歳で高校生だった私・・親友は大学生になった。う~ん・・・多分あの春??あんまり覚えてないんだよな。びっくりするような人が私を訪ねてきた。「固定ジストニア」を知ってください!夏に向けてダイエット楽天ブログランキングよかったらポチットしてね。
2007.08.24
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続きは??なんていうのは、母と、昨日Aちゃんに言われたから・・数多くの人にとってどうでもいい話。今日は早起きしちゃったよ。昨日寝たのが午前2時なのに7時に起きちゃった。・・昨日のドキュメンタリーの本人出演が見たかったんだもん。見たよ^^って、泣いたけど。(高校を留年した私は、青少年施設へ・・でもそこでも一人・・中学の同級生を誘って再び・・)で、中学の部活の同級生を誘って参加した行事が「団子作り」よ。これは月日も正確に覚えてる。っていうか、レポート用紙12枚にも及ぶ長文で正確に??当時のことが記録されている。いや?正確じゃないな・・ほぼ私の感情でしょ。その「団子作り」で、何度も何度も登場するだからこれまた今は偶然同じ町内の「お兄さん」に出会ったのよ。まぁ、だから、レポート用紙12枚なんだけど・・そんな青少年施設の行事に参加するのなんて10代の子ばっかりで、歳はいってても、20代前半の人が多い中、お兄さんは、あ!!今の私と同じ年だった。あの人、市から視察に来てたのか?あとで知ることだけど、お兄さんは地方公務員。だから主人に「ぷりにゃんは、公務員好きだから・・」と、ずっと言われる事になる。別にそういうわけじゃない。偶然偶然。全て偶然。お兄さんは悪乗り公務員でしょ?だって、その「団子作り」イベントの夜、誰か若い男の子が持ち込んだビール。1・2本だけど、私たちと一緒に「旨い!!」って、最高の笑顔で飲んでたよ。アレは親父だからに違いない。・・・・何をやったかって、団子を作って外で蒸かして食べて夜は新聞をちぎって遊んだ。寝て、朝はラジオ体操。お兄さんが階段のところで一人、タバコを吸っていた映像も鮮明に覚えてる。今覚えば、ただの眠気覚ましだな・・俺・・若くないよ・・くらいの。うん、私が若かった。!!18歳だもん。麻由ちゃんの歌じゃないけど「私18」(あの時)とにかく大人の男に惹かれてしまうのよ・・今でもおじさん好きだけど・・そんなであっという間に今度は前と違ってものすごく楽しい1泊2日を過ごさせてもらったのよ。それは親友のおかげでもあるし、若者だけでなくお兄さんが居たからじゃないかとも思う。まぁ、よく分からない。とにかくものすごく楽しかった。それで、このままこの日だけで終わりにしたくなかったから「このあとちょっと一緒に夕飯を食べに行こうよ!」と、誰が言いだしたんだろう?親友かな?そういう人だったもんなぁ・・一緒に行ける人だけで行くことにした。まぁ、よくある話でしょ?たださ・・私と親友はこの青少年施設のホントに近所だから、自転車でここへ来てたの。他の皆さんは電車でしたよ。それを見た??この施設のボランティアが、親友に声をかけたのよ。勧誘!勧誘!!その、ボランティアこそ、当時のこの施設のボランティアの会長のKちゃんだけど・・私は声をかけられてないし、だいたいもうこの流れでお分かりの通り、もう、そんなKちゃんとかボランティアとかどうでもよくて、早くお兄さんと一緒にみんなでご飯を食べに行きたかったのよ。「もう!何やってんの?早く行こうよ・・」と内心思ってる私を横目に、「ねぇねぇ・・ここでボランティアをやってるんだって!面白そうだよ!一緒にやろうよ!!」「う~ん・・・」(それどころではない・・・)ね、私ってひどい女。まぁ、そういう奴ですから。それだけ楽しかったという事で・・それだけ普段の高校生活がつまらなかったという事で・・それで、電車に乗ってやってきたのが今じゃ庭のこの「大船」よ。だから、あくまでも偶然だってホントに言ってるでしょ。私にしてみれば改札を下りてすぐのマックもちょっとどこか懐かしい。そういえばみんなで入ったあの飲み屋はどこなんだろう? とかあの、ドトールはどのドトール?とか、思わなくもない訳よ。だって、住んじゃったんだから仕方ない。お兄さんは大人だけど悪乗りだからね。あの日はまだ18・19の私たちも一緒に、「つぼ八」かなんかに行ったね。「しめさば旨い」って言ってた。大人!!って思った。いまなら、「オヤジっ」てつっこめるのに・・まぁ、そんなで1泊2日を十二分に楽しんで、親友とまた平塚へ帰ったわけよ。「固定ジストニア」を知ってください!夏に向けてダイエット楽天ブログランキングよかったらポチットしてね。
2007.08.19
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夏はこれだねぇ・・だから言ってるでしょ・・私と主人はホントにお互いに好きでもないのに結婚したんだって。じゃあ何でって?書くとすごく長くなるから、たまに気が向いたときにボチボチ書くから気になる人だけ読んでね。私は私の罪償いのつもり?・・主人は多分おそらくこんな境遇の自分にはこんな病気持ちのブスの女としか結婚できないだろう・・って頭・・だから、本当に毎日毎日喧嘩ばかりで泣いてばかりの毎日だった。いいことなんて一つもない。最悪の新婚生活。結婚して最初は、主人の実家で3人で暮らしたけれど、(義母と主人と私。)当時21歳の私は義母に何一つ口答えもできないし、主人は義母の言いなりだし・・で、結婚すると決まってから、私はそんな我儘放題の主人にいじめられ続け、胃カメラを飲むほど急激に痩せたわけよ。私の親戚や、親はもちろん心配して、「そんなにあんた、毎日泣いてばっかりいて、ご飯ものどを通らないくらいならそんな結婚やめなさい!!」と、普段穏やかで温厚な母に怒鳴られたね。それなのに・・・じゃあ、何でそんなにイヤで好きでもないのに結婚したか?それは、私がそんな風に高校生のときに病気で倒れて半年以上のリハビリを伴う入院生活をして、留年をした。留年後、クラスには馴染めないし、って言うか、ホントに「おはよう」って言っても「誰?」って無視する感じ。覚えてないけどね・・私自身もものすごく暗かったし・・だいたい頭は坊主頭でかつらだし・・明るくなんてなれない。色々精一杯だったわけよ。で、そのうちものすごくつまらなくて毎日一人で弁当食ってた。でも、不登校になんてならないよ。まぁ、母は辛かったみたいだけど。人間関係はつまらなくても勉強は好きだった。でも、とにかく、あまりにも高校がつまらないから、ナンカないかな?と、地域版の新聞をみた。そうしたら、県立の青少年の家で行事をやっていた。「これにでも言ってみるか・・」だいたい倒れる前は(高校1年のとき)高校野球を見に行くためにバイトをしてたくらいで、一人で大阪にも行って、泊まって帰ってきたくらい。一人で申し込んで参加するくらい、なんてことはなかった。ただ、結果は同じだった。確か、その時は「バードウォッチング」の講義に参加したのだけど、女の子はみんな2・3人のグループで参加していて、一人で来ている私なんて誰も相手にしてくれない。夜の部屋割りで、同じ部屋で寝る予定だった女の子は私を一人にして違う部屋で寝た。「ふ~ん・・」どこに行ってもこれか・・と、私は思った。でも、私はそこで始めて経験した野外炊事などは楽しかった。講師の先生は優しかったし、歌を歌ったり楽しかった。懲りないし、屈しないから、今度は私が中学のときテニス部だった、同士のたった一人の親友を誘って次のその青少年の家での行事に一緒に参加した。「固定ジストニア」を知ってください!夏に向けてダイエット楽天ブログランキングよかったらポチットしてね。
2007.08.12
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そして、その彼女を誘って参加した10月の青少年の家でのイベント、そこで何度も何度も登場してくるそのお兄さんなる人に出会ったのだ。10月だから団子を作るという企画。当時から書くことが大好きだったからねぇ・・その日の2日間のことは(恥ずかしながら)レポート用紙10枚くらいに記録されて今でも残ってるよ・・まぁ、それくらい楽しかったという事です。書いたのは学校の授業中だけど・・その、団子作りのイベントの帰りに、その時が特別盛り上がったのか?いつもそういう雰囲気なのか私にはわからないけど、行かれる人だけで「呑み屋に行こう!」と言うことになった。・・・当時、私たちは未成年ですが・・でも、その泊まりの時の夜にすでにビールを持ち込んできてる男の子がいて湯飲みで呑んでた・・それをダメとも言わない・・あ?一杯くらい呑んでたっけ青少年課・・で、確か、呑み屋に行くことになったんじゃなかったっけ?で、私はもういつ、そのお兄さんに惚れてしまっていたのかなんてわからないけど、(多分夜中に自分のこととか人生のこととか語った時だと思う)もう、皆で一緒に呑み屋に行くことしか頭に無かった。そんな2日目のイベントの帰り・・家が近いので自転車で来ている私達にそこでボランティア活動をしている青年が「よかったらこのサークルに入らない?」と親友に声をかけた。私は、もう、お気付きでしょうが、そんなものははっきりって目にも留らなかった。そこで、その青年と話している間に皆がどんどん歩いて行っちゃう事の方が全然嫌だったのだ。だから、私はまるっきり話を聞いていないの・・このボランティアサークルに誘われたのは親友です。親友が誘われて、話を聞いてくれて「面白そうだから行こう」と誘ってくれて、私達は行き始めたんです。多分、親友が「日曜日に集まりがあって新聞を作ってる」とか、聞いてくれたんだと思う。私はホントに話すらしてないもん。そういう人ですよ。多分、芯は冷たいから。それで、その日は呑み屋へ行って帰宅した。
2006.01.31
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去年のクリスマスイブに主人は途轍もなくひどい人だったと書き、「続きは明日」と書いて、年も明け、一ヶ月余り・・毎日些細ないやな事が勃発し、じっくりとパソコンに向かう時間もナントナクせわしない・・でも、今日はまたちょっとだけでも続きを書きたいと思う。私はずっとずっとこの主人との馴れ初めをいつか世間?に知らせたいと思っていたのだ。主人がひどい人だったということではない。私もまたヒドイ人だったのだ。その罪を償うために私は主人に何を言われようと何をされようと耐えていたという気がする。話が前後して分かりにくくて申し訳ない・・当時の私は病気の為に留年して学校に自分の場所を失っていた。学校にいっても「浮いている」の一言。ただ勉強をする為だけに行っていた。そして暗中模索の中、タウン誌の中から青少年活動募集の要項を見つけまず、一人でそのイベントに参加した。でも、結果は同じだったよ。女の子は友達同士で来ていて、一人ぼっちで来ている私なんて蚊帳の外だよ。もちろん、色々話し掛けたりもした。でも、自分の友達と話したり遊んだりしたいんだよ。同じ部屋に泊まるはずだった女の子は夜に男の子の部屋へ遊びに行ってしまって、結局一人だった。そんなもんだ。結局、誰も相手にしてくれないんだ・・。 別に結構平気だったけど。でも、今のままというのが嫌で、それに多分何かしら学校より楽しかったのだろう。次は一人で行くのはやめて、中学の時の同級生の友達を誘ってみた。「楽しそう!」「行く行く!」一緒にその青少年活動に参加した。彼女はすごく明るくて元気でおしゃべりで頭も良くて私は大好きだったんだ。 本当に大好きだった・・中学の時は同級生だけどその時点ですでに学年は上になってた。だって、私、留年してるから。二人で電話で長電話4時間とか、当たり前だった。一緒に電車に乗ってあらゆるところに出かけた。「今度はいつ会えるの?」「今度は来週の水曜日だよ。」なんて、ホントに恋人同士みたいだった。私の荒んでいた心は彼女によって開放されたんだ。彼女無くしては今の私は無いと今でも思っている。彼女によって私は救われた。私の本当にたった一人の親友だと今でも思っている。
2006.01.30
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もうイブではなくクリスマスの日だ。最近主人が夜勤というとこの時間まで起きてるなぁ・・今日も深夜2時過ぎ。私に淋しいという感情はホントに薄ーくしかない。ものすごく疲れるととにかく一人で居たいと思う。新聞を隅から隅まで読んだり、ネットサーフィンしたり、ゲームしたり。とにかく人と関りたくないと思う。食べるものなんて私は何でもいいわけ。こだわりとか何一つないし。好き嫌いもない。主人に何度も言っている。「今まで私が出会った中であなたほど性格の悪い人間は会ったことがない。」今だって私の中からその記憶がきれいに拭えるはずはない。今でこそ、それを言うと「ごめん・・」という面持ちになるけれど、私はずっと結婚する前からその後2年くらい特にひどかった。まず、絶対に並んで歩かない。理由は私のほうが背が大きいから。多分それだけじゃない。そのくせ歩道を歩いていて車が来た瞬間に何度「危ない!」と言って、私を車道のほうへ突き飛ばしたか分からない。殺す気だ・・そういう嫌な奴なんです。それでケンカになると必ず言う言葉は「君には分からないよ!僕はずっと中学出てから働いてるんだ。家に居て何もしないで働け!」そういっては暴力をふるった。そういう奴。・・・だから私はいつも逃げてた。居る場所もないし、はっきり言って友達も居ない。まぁ、一人行動が好きだからいいんだ。いろんな場所を歩き回ったり、新しい店ができたら覗いたりしてた。ラーメンだって一人で食える。さすがに気後れしたけど。で、何をするのもダメ!そんなものは要らない金の無駄だ!それしか言わない・・言えない。「僕はずっと我慢してきたんだ。」「君にはその気持ちは分からない。」それだけ。ただ、私は内心、「あんたは私の気持ちわかるのかよ?!!」と思っても、一度も口にしたことはなかった。だって、現に私はお金に困った生活なんて送ったことはない。両親が仲が良くて、愛されて育ってる。「分からない・・でも、あんたの私に対する暴言はひどすぎるよ・・」と、いつも泣くことしかできなかった。そんなでよく結婚生活続いてるなぁと思うでしょ?私も好きじゃなかったし主人も好きじゃなかったんだよ。きっとただの意地?続きは明日。・・・
2005.12.24
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