前回の日記で書いた「愛」は、
真の「愛」ではないのです。
非常にやっかいな、中途半端な「愛」です。
たとえば、戦争を例にあげると、
愛する人を殺された憎しみと悲しみが、
復讐を生み、戦争を作り出してきたのではないでしょうか。
そこにある「愛」は
自分に直接関わりのある者に対して だけ
の「愛」であって、
真の「愛」ではないと思います。
このような「愛」の反対側には、いつも「憎しみ」が生まれます。
つまり、愛する人を奪った相手への「憎しみ」です。
「愛」があるから、「憎しみ」が起こる…
「愛」は、時に、いえ、いつも、やっかいです。
この感情が、
戦争を終わらせない理由の一つではないでしょうか。
「憎しみ」を、せめて「悲しみ」に置き換え、
その「悲しみ」は、
相手も自分と同様に感じるものであることに
気づくべきだと思います。
憎しみというマイナス感情だけで、復讐をしたい…と、感じた時、
復讐された相手が
今度は悲しむことを知るべきです。
自分の悲しみとして
知るべきです。
「悲しみの共有」
が、もしかしたら
世界を救うのかもしれません。
「喜びの共有
」が、もしかしたら
世界を救うのかもしれません。
これが真の「愛」ではないでしょうか。
中途半端な「愛」ではありません。
しかし、大部分の人が持ってる「愛」は…
どうですか?
だから、「愛」だけでは救えないと書きました。
「愛」は何度も言いますが、やっかいなのです。
悲しみと喜びの共有…
これが大切な気がしてなりません。
難しいテーマです。
ある人が、平和について
「ゆっくりでも向かっているのなら必ずいつか辿り着く。
向かっているのだから…。
とにかく、平和に向かう意思が大切なんだと思う
。」
と仰ってました。
同感です。

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