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2015.01.11
チャリーパーカー
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クラシックとジャズの饗宴
いまは世界標準で社会は動いているので企業もそれにあわせ4日から仕事の事業所が多いようだ。日本の帰省もそれに沿って動いている。
今朝、海の「日の出」をデジカメに撮った。
正月定番の画像は、やはり日の出がふさわしい。1日はなにかと制約が絡んで、海どころではない。また、その陽が出るという保証もない。幸い、海の近くに住んでいるので、気が向いたとき、日の出を撮ればいい。それが今日だったので、今朝の6時30分過ぎの陽を撮ってきたので載せてみた。
チャーリー・パーカー(Charles Parker Jr, 、1920年8月29日 - 1955年3月12日)、ジャズのアルトサックス奏者。
「チャーリー・パーカー」は、ほとんどジャズの代名詞といって云いくらい、知名度があり、またそれに相応しいジャズの巨匠である。
生まれは1920年だが、ほとんど伝説化し、あと数年もすると神格化するに違いない。いやすでに神の域にいってるかもしれない。理由は、「薬浸け」日本流に云うとシャブ浸けだから、その経歴には必要不可欠の一項目だ。
なにをバカなことを云う、という指摘もきこえそうだが、その当時と「今」は、これをやると一流だという間違った認識が移植されているから悪しき業界でもある。
私が好きだったアルト奏者の「アートペッパー」は麻薬中毒アルト奏者として特に名を馳せた。彼は、それで命を落とした。近年ではベースのジャコ・バストリアスが薬物依存でやはり若くしていってしまったが、一説では精神的病魔にも冒されていたという話もきく。
兎に角、昔のジャズミュージシャンは、ほとんど総舐めでシャブ浸けだった。昨年、古い映画のアーカイブで、ジャズメンが薬物を断ち切るのに、フランス渡航までして、処方したのはいいが、アメリカ帰国したその日に、昔の組織仲間が薬物を届けるという、まさにシステム化した「シンジケート」が歴然と組まれているという現実に、薬物依存の根の深さに驚愕した。
覚醒薬物、その他幻覚などの作用を喚起させる行為は、戦争時の気分高揚、異常なテンション上昇を狙って、人間の正常心を削ぎ落とすものとして使われたという話を見聞しているが、なかなか説得力のある説話だとおもう。しかし、それを音楽だとか、一時の快楽エクスタシーに使うというのは間違いだ。最近ではハーブの事例があるので、いまさらそれをおさらいする必要もないが・・・。
そうして「チャーリー・パーカー」は東奔西走しながらジャズと麻薬に明け暮れていた。こんな逸話もある。
とあるジャズクラブ、夜も更けて客席も賑ってきた。前座の下手くそなトリオのバンドがステージから引けると、しばらく休憩になる。
いつものようにケースからリードを出し、3タイプあるリードを指先でなぞってみる。今日は体が載らない、ソフトリードでいくか、と舌で舐めてみたが、それでもしっくり来ない。そんなことを10分以上もやっていると、廻りが気にする。いつも不機嫌なリード選びをやっていると、その日の演奏は、きまって旨く行った、ためしがないからだ。
首を廻しながらキョロキョロしていると、端のコーナーでそっぽを向きメロディースキャットしているラッパ吹きが、こちをちらっと見た。ほんの数秒、視が会うと、そいつはサッと腰を上げて、部屋から出ていった。
腕の時計を見るとステージインまで6分あった。なんとか間に合うか・・・、そう思ったかどうか解らないが、パーカーは最後のリードを選んで、口に含んだ。甘ーい味がした、と思ったのは錯覚だ。
その日の体調に合わせてリードを選ぶが、何回も、そしてどうセッティングしてもかみ合わないときがある。ま、ほとんどその場合、そっちの方が多いなあーと、半ばあきらめだった。しょうがねーかと、そのリードを口にセットして息を入れてみると案外いける。時計をみると1分前だった。
椅子から腰を上げると、部屋から出て行ったデビットが戻ってきて、手にしていた小さな包みを、バーカーのポッケに突っ込んだ。
ボーイが控え室に顔を覗かせ合図を送る。もう一人のドラムと三人はステージに向かった。客席からやんやの喝采。12分の長演奏ライブも、やってみれば上出来だった・・・。
(創作物語話「ジャズ千夜一夜」。サックス、チャーリーパーカー。ドラムス、ロイ・へインズ。トランペット、マイルスのトリオ。この当時パーカーは既に薬物依存症で、そのとりもちがマイルスだったと云われる。マイルスは、若いながらも裕福な家に育ち金には困っていなかった。そうした格差がパーカーを助けた。勿論二人は師弟関係にあり、マイルスも学ぶものも多かったに違いない。そして、その当時にあってパーカーはクラシック音楽の洗礼を既に受けていて、バッハの旋律を研究していたという伝記を読んだことがある)。
チャーリーパーカー紹介
アメリカ合衆国カンザス州カンザスシティに生まれ、ミズーリ州カンザスシティで育ち。
子供の頃より、並外れた音楽の才能があった形跡はなく、彼に大きな影響を与えたのはインプロヴィゼーションの基本を教えた、若きトロンボーン奏者だった。
(□ 天才肌ではなく努力の人、というわけだ)
父親はT.O.B.A.(アフリカ系アメリカ人によるヴォードヴィル)のピアニストやダンサー、歌手といった音楽への影響があるかもしれないと語っている。
(□ ほとんどのジャズメンは、こうした経歴の親をもつ。必然的にその子は音楽に強い影響を受ける。とっかかりは教会音楽・ゴスペル・ブルースなど)
1945年から1948年に掛けてが活動の最盛期であり、天才的なひらめきを伴ったそのアドリブは伝説化している。1945年、若き日のマイルス・デイヴィスを自分のバンドに起用した。1947年にはマイルスの初リーダー・セッションもサポートする。
(□ この転機がジャズを世界的なレベルに引き上げた。)
若い頃から麻薬とアルコールに耽溺して心身の健康を損ない、幾度も精神病院に入院するなど破滅的な生涯を送った。1940年代末期以降は演奏に衰えが見られるようになった。衰弱により心不全で早世した。(ウィキペディア検索〆)
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最終更新日 2015.01.11 10:29:35
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