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仕事仲間と少し飲んだ後、駐車場にてほろ酔い気分で代行を待っていました。その内、代行の運転手さんが迎えに来て・・私は、ほろ酔い気分のまま代行運転の助手席で、自宅までの束の間の酔い気分を愉しむ・・・。と、ところがまた、(@_@)勘弁してくださいよ。最近の運転手さんは皆高齢者で・・今夜も又いつもの・・「運転手さん、フット、フット、足、足、ブレーキは足ったら足」^^;「あ~~っ!(@_@)一緒に来たタクシーまでこの駐車場に入ってきたら出れなくなるでしょ」「外で待機していなきゃ」^^;・・・「お客さん、チカチカ点滅していますが・・」「それハワードランプでしょ?ハワード点けたら駄目ですよ。ライトはこっちこっち」(@_@)「もう。(@_@)せっかくの酔いが醒めてしまいますよ」駐車場出て走り出すまでこの調子でしばらくかかるのですから。トホホ。車が走り出しても、「危ない危ない、ひょっとしてライト点いていないんじゃない?」(@_@)まあ度々こんな調子の代行に出くわすのです。そして今夜も又。今日の運転手さん。「運転手さん、運転してもうどれくらいなるの?」「この会社で、10年にはなります」「いろいろ転々とする運転手いますが、私はそんなのすかんのです」「同じところで頑張る。私もあっという間に、もうベテランの部類です」(^^♪どうでもいいけどベテラン運転手さん。せめて帰り着くまで、良い気分で乗せておいてよ。”^_^”最近のタクシーはヨタヨタで走っているんだもの。周りをよく見ていないし・・代行運転別バージョン↓ミラーボール壮絶な人生体験を乗り越え、天命を成し遂げようとしている、我が心友の7777ハリーさん感動の絵本『トイチ君の世界』よびりんさんの新刊発売中!ヒント満載!「実録・小さな会社の営業のすごいしくみ」私もここで紹介されています。感謝で~す。(^^)楽天ブックスでお求めください!1月にお世話になった亜さんの『リーダーの易経』が増刷。5月には購入できます。
2007年04月18日
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Y.Mちゃんはすらりとした和的な美人だった。もうひとりのMちゃんは少し洋的に、快活で可愛い子だった。前者はそのまま成長すれば、さしずめ山本陽子。後者は十朱幸代風。(例えが古い?)偶然にも両者に共通するのは、医院の娘ということだった。当時、私はどちらかというと、活発でおしゃまな女の子が好みだったような気がする。内気な私は、逆の性質に惹かれるところが多分にあったのだろう。その頃の私は、私の机の引き出しの裏に、その好きな子の名前をそっと、愛用のセーラー万年筆で書きとめていたものだ。同時期、『Oちゃんもいいな・・”^_^”』と思った。Oちゃんは、YMちゃんとMちゃんを足して2で割ったような、しかし爽やかな快活さを持つ女の子だった。今ならおそらく黒木瞳的かも。Oちゃんは、薬局の娘だった。ある日、私は、その薬局店に薬を買いに行った。当時から気管が弱かった私が常用していたのが、超寿命ブランドである『龍角散』。いつもなら、彼女の母親であるおばさんが出てくるのに、その日奥から出てきたのはOちゃんで、私は恥ずかしさとびっくりで、茫然と立ち尽くし・・思わず「あの~、目薬ください」"^_^"「サンテとロート目薬とどっちがいい?」(^^)Oちゃんは、いつもの愛らしい笑顔で言う。「ロ、ロ・・ロートでいいや」^^;龍角散というのが恥ずかしくて、ついそう返事してしまったのである。その時代、休み時間の遊びは、相撲か野球だった。バッターボックスに立った私は、必ずホームべース上をバットで、コン、コン5回叩くのをジンクスとした。さすれば必ずやヒットが打てると。何故に5回か。5は、薬局店の娘、Oちゃんのクラスでの出席番号だったのだ。(^^)これらの女性達と私との間には淡い感情・・”^_^”で月日は過ぎた。秋の運動会は楽しみだった。あのフォークダンスがあるのだ。度々の練習も、そして本番も。しかしいつも曲は、彼女達が私の前に来る前に終わってしまう。友達を押しのけて接近する勇気もなく、かといって、曲が直前で終わってなんとなく安心したりもして。そしてついぞ三人とも手を繋ぐ事はなかったのである。小学生の私は結構気が多かったのである。三人のどれにしようか大いに迷い、心揺れながら・・。まあしかし、振り返っても、その三人の誰一人として、私の気持ちなど察することもなく。(^^)結局その後相手してくれたのは、ずっと後に、救世主として貧乏学生の私の前に、まんまと?現れたAちゃんであるのだ。そしてその後は、互いにつべこべ言いながらも・・Aちゃん?Aちゃんは・・つまり女房殿であります。そんな、ちょぼちょぼの私の『愛の流刑地』!?・・今日は、ようわからんいたずら的日記であります。(^^♪
2007年01月27日
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過日、飲んだ帰りに代行運手を利用しました。タクシー会社の代行運転は、タクシー代+1000円。保険もしっかり入っていて安全・・と、思いきや、経費を抑えるためか、一般においても、このところなかなかタクシー業界では食っていけないのか運転手さんの年齢が随分と上がってきている気がするのであります。昼間でも、危なっかしくふらついて走っているタクシーも多いのです。タクシー会社の代行運転。運転手さんが二人やってきて、一人は依頼者の車を、もう一人がタクシーを運転して後をついてくるのですが、本来は、客はこの追尾して来るタクシーの後部座席に乗車するのが規則らしい。しかし私は、いつも私自身の車の助手席に乗り、運転するおじさんとの会話を愉しむのが好きなのです。またやはりこの定席が落ち着きます。しかし、高齢者が多くなった運転手さん。特に代行ともなると尚更、野球でいうところの二軍選手のような(失礼)人達を当てるのか、一段と年配になって、その運転も実に心もとなく感じるのであります。その日、ほろ酔いで、私は助手席に身体を沈めながら・・!? 一向に私の車は発進しない。(@_@) 「運転手さん。違う違う・・」運転手さんは、しきりにハンドルの下をごそごそと左手をかざし探っている。「運転手さん、この車、フット、フット。フットブレーキ!」^^;「ライトはここ、ここ」「あ~っ!だめだめ。ワイパー動かしちゃ」(@_@) 全く。度々、スタートまで時間がかかってしまうのです。喧騒の世の中。スロー生活が流行っておりますが、この場合、もう少しシャキっとしてほしいのであります。^^;やがてやっと走り出し・・けれど走っている最中でも、「次は左のレーンを走って。その角を曲がって」等々気が気ではありません。その内に、なんか酔いもすっかり覚めてきて・・車内のステレオは、(^^)ムーディな。懐かしの、”ちあきなおみ”の声が響いています。♪ ♪ ~~ クニ河内作詞・作曲 名曲『そっとおやすみ』化粧のあとの 鏡のまえでいつもあなたの 手をかりた背中のボタンが 止めにくい・・・ ♪ ♯ ♪ 「わ~っ!”^_^” お客さん。ムード満点ですね」「懐かしい~~」(^^)急に運転手さんは、右手でグラスを口元にかざす格好をしながら「私もいける口ですから、こんな歌聴くとたまりませんね」(*^_^*)「あっ、そおう?」「”ちあきなおみ”も歌上手いよね」「お客さん、この歌、よくクラブのラストでかかるでしょ」「たまらん たまらん」を、運転手さんは連発。「そういえば確かに、お店のラストに流れるね」「私は一人でスナックにさえ飲みに行くこともないし、時にお客さんに連れられて行く位で、特に高級なお店には縁のない男だけど」「華やかな場も、ラストになると店内の明かりが少し落ちて、この定番、『そっとおやすみ』が流れて・・「その内、女の子がテーブルの前に手を差し出し、この日の席の酔客をフロアに誘うとムーディに踊りはじめてね」(^^)♪ ♯ ♭ ~~もう陽にやけた 畳のにおい白い襖も 傷ついたけんかの名残も 悲しそうひとりぼっちの 部屋で今はいない あなたにそっとそっと おやすみなさい ♭ ♯~「お客さん。今日は久しぶりに懐かしい、良い曲を聴かせてもらいました」(^^)「このCD。忘れかけていた”ちあきなおみ”の良さを再び、で先日買ったんですよ」「彼女は歌唱力ありますよね」(^^)「いや~素晴らしいですよ」「なんか私もほろ酔い気分になってきたな・・」「昔をつい思い出してしまいました」”^_^”(@_@)「危ない。危ない。運転手さん、さん」その運転手さん。両手を自分の前にボールを掴むような格好にかざし、「なんか、天井できらきらと、ミラーボールが回っているのが浮かんできます」(*^_^*)「わかりましたよ。しかしハンドルから手を離しちゃ危ないっすよ」^^;運転手席と助手席で、こんな会話を愉しみながら、曲の終わる頃には、なんとか無事我が家に辿り着くのであります。(^^)♭♯別れの夜の 涙のしずく星も流れて 散っていく今夜のベットも 冷たそうひとりぼっちの 部屋で今はいない あなたにそっとそっと おやすみなさいそっとそっと おやすみなさい ♪ ♪~~~~♪「お客さん。Uターンして、もう一度今から街に行かなくてよかですか?」(^^♪)そっとおやすみ 「ふくちゃん音楽室より」
2006年11月18日
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友人に連れられ初めて行った釜山。韓国籍を持つ彼は、日本で飲食店を経営していて、店で使う食器や食材の買出し等の為に頻繁に渡韓している。釜山の国際市場では、ブランド品のイミテーション類を、その人混みの路地に連なる店々で扱っていて有名な場所だ。もちろん正規品を買える友人は、時計はこのイミテーションを一二年使えれば十分だと、こちらに来たときに買い求め、あれこれ代えて愉しんでいる。偽者販売が公然と市民権を得ていることにびっくりしながら、その時私は友人に、「知り合いがいるから」と、なにやら携帯でやりとりしながら先を足早に歩く彼の後を追いつつ、その国際市場ではなく、街の裏通りの細い道を右に左に折れながら、古びれたビルの階段を上って、表札もかからない一室に入った。待っていたのは一人の初老の男。親しく彼とその男は再会の会話を韓国語で一言三言交わし、その男は私達を流暢な日本語でテーブルを挟んだソファーの一方に招いた。「○○さん、この人私の友人で今度初めて釜山にきたんですよ、なにかいろいろ見せてあげてくれませんか」「いいものたくさんあるよ」男は云いながら大きなアタッシュケースをテーブルにどんと置くと、得意げに開いて見せたのである。(*_*)あるわあるわ、精巧なイミテーションの時計群。「しかしよくできているな・・」と私は内心感心。友人は私を見ながら、「ここは結構いいのがあるし安いのよ」と私に薦めながら自分もあれこれ物色。私は、この際愛嬌で、一つ買ってプレゼントしてやるか・・”^_^”いろいろ手にとって見る。私は派手な○○レックスは趣味ではない。イミテーションの場合、正規品が高級時計だからといって価格にそう差が生じるわけでもあるまいが、私はブランド物では割と安価でさりげない気品のOMEGAブランドあたりがまずまず好みである。「おっ!これいいかも、OMEGAのシーマスター」(^^)(^^)「いいじゃないそれ。」と友人。すかさず男は、「シャチョさん。それなかなかよ。内のは、どれもいいものばかりだからね」「それ一万2千」(^^)「えっ?1万2千って高いの、安いの?」「もちろん内のは安いですよ・・(^^)」私は手に取ったOMEGAを何度もひっくり返し眺めつつ、「重量感もあるしよう作っとるわ」と再び感心。「まっ、話の種にいいか」「ところで少しなんとかなりませんか・・」「しょーがないね、いつもお世話になっている○○さんのお友達ということで、思い切って1万ぽっきりにしておきましょう」「シャチョさんそれでOK?」「了解。じゃこれ貰おうか」と私。男はOMEGAの時計をビニール袋に詰め、合成皮製の可愛いポーチに収めて私に手渡した。何となく、いつもの得した気分。”^_^”一応気になって私は友人に「しかしこれ、本当にどれくらい持つのかね」「十分二年は持つよ」・・・・!?二年しか?"^_^"「いいものに当たったら四、五年はいける」「ファッション、ファッション、あれこれ代えるのもいいんよ」「万一故障したら、私が今度来た時に取り替えてもらってあるって。(^^♪」私は少し安心。(^^)翌日釜山から我が家に帰ってきた私は、意気揚々持ち帰った高級偽者をカバンから取り出すと、再度じっくり手にとって、しげしげ眺めます。(^^) ”^_^” (^^♪「動いている、動いている(^^♪)」私は早速時刻を合わせてみます。・・・!? (@_@。 あれっ?(*_*)「なんじゃこれ!?」このOMEGA、何度時計の針を回してもおかしいのです。三時に合わせても、四時に合わせても・・うまく90度で時間に針が合わないのです。三時・・・・三時三分の位置。四時・・・・四時三分の位置。「えい!くそ!今度は六時だ」・・・六時三分。「あほか!(@_@) こんな時計がどこにあるんじゃ」「九十度、百八十度の位置でピッタシ揃わんじゃなかと?」気のせいかもしれないんで、もう一度やってみよ~っと。”^_^”今度こそ、十二時!・・・・十二時三分。^^; トホホホ。こんなんじゃあ、どうするの?ヤンボー、マンボーの天気予報で、午後七時のお知らせが終わらない内に、いきなり次のドラマが始まっとるやんけ。(@_@。明太子ふくさやのCMができんやんけ。明太子のふくさやが・・・「ピシャッと七時をお知らせいたします・・」!?(ToT)/~~~ピシャッと七時にならんやんけ。(@_@。ぴしゃっと七時三分。やないか。(@_@)海上保安庁の手旗信号の方がよっぽどましじゃい。(>_
2006年08月10日
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私が通った小学校は、体育館だけが鉄筋に変わってしまったけれど、今も当時のまま、古く懐かしい木造姿で残っています。2階建てのその校舎は4棟あり、その棟と棟の間には、当時コンクリート造りの貯水槽がありました。いつも防火のために水がいっぱい張られていました。ある時その時、私は三、四年生くらいでしたでしょうか。その頃、掃除には貯水槽の水を使っていました。持ち回りで各自各担当箇所を掃除するのですが、その時の私は、まずブリキのバケツを持ち、拭掃除のためのその貯水槽の水を汲み上げることになっていたようです。記憶はこれから発生したことだけが鮮明に残っているのです。厚みのある、そのざらついたコンクリート製の貯水槽は、横幅約2M50、奥行き1M50、高さ90センチ位。といってもこの数字は記憶のなかのもの、当時は当然小学低学年だから、結構大きかった印象があります。何時頃に行われた掃除だかわからないけれど、近くや木製踏み板のある渡り廊下にも、友達がワイワイガヤガヤたむろしていました。私は、その貯水槽に近づくと、貯水槽の縁を左手で支え、やや上半身を乗り出し気味にしながらブリキ製のバケツ(よくお寺においてあるやつ)を勢いよく遠く、そして深く沈めようとしたのです。何故かって、もちろん一度にできるだけバケツにいっぱいの水を汲もうとしたのです。しかし、がばっ!と水面に手ごたえがあって引き上げようとした瞬間、水のなかに沈んだバケツは水面を上がらずに、含んだ水の重みに私のか弱き体は引っ張られ、次の瞬間私の身体は貯水槽の中に頭からひっくり返って沈んでしまったのです。おそらく、マグロ漁で、釣った相手の力に負かされて引っ張られた・・そんな感じかもしれません。私は慌てましたね~~実際、何が起こったやらすぐに解りませんでした。貯水槽のなかで溺れた私は、バタバタともがきながら、そしてすこしばかり泳ぎながら(私は実は当時かなづち)なんとか体勢を持ち直しながら、慌てて貯水槽から這い出したのです。水も少し飲んだようでした。集まってきた周りの同級生はびっくりしていました。笑うものもいて。この日の珍事件。恥ずかしかったですね。だって、頭からつま先までびしょ濡れ、水を含んで重たくなった服のままの姿。そして最も恥ずかしく情けなかったのは、その私を取り巻いた皆の中に、病院の娘の○○ちゃん、薬局の娘の○ちゃん、もう一人の病院の娘である○○ちゃんがいたんですから。皆、可愛い子ちゃんでした。三人は、私が好きだった子達なんです。自分の机の引き出しの裏側に、彼女達の名前なんか書いちゃったりして・・”^_^”遊びで野球するときなんか、バッターボックスに立つと、ホームベースをバットの頭でトントンと5回打つんです。いわゆるジンクス。5という数字は、薬局屋の娘Oさんの席番号。ながらくそのジンクスをいろんなケースで使っていました。(^^)気が多くて、当時、結構あの子もこの子も好きになっていた私。ほのかな感じで・・ただ、誰も相手は私の思いを知らない・・これが私の恋の真骨頂・・!?と、まあ、本当に子供心になんとも情けなくて恥ずかしい事件だったのですから。”^_^”その後も、少し気取りながらも裏腹にちっとも格好良くはいかなかった私です。トホホ。懐かしいあの頃の変なお話でした。今も変わらない校舎です。↓我が母校
2006年04月04日
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私の通っていた高校は、言わば一次志望に落ちた連中が集まるような学校で、悪そうな学生も多かった・・・私はというと、当時は特に、融通の利かない感じのくそ真面目な、最もいじめの対象にもなりやすいタイプだったようだ。そして、どこでも多少いるように、やはりこの学校にも、何人かの不良らしきグループはいた。今でもやや直情過ぎるきらいがある私は、当時特にそのような悪そうな連中に免疫もなく、全く対応が苦手で、さらりと交わす余裕も知恵もなく、それが余計に彼らのターゲットになる存在だったようである。私と同様の何人かは、昼休みや放課後に、この不良連中のたばこ銭のたかりの対象になったりもした時期があった。この連中には決まって、一人ではなにもできない、よいしょ的な手下が一人や二人はいたもの。いつの世も、権力に擦り寄る保身者のように。たかりは執拗に行われ、ほとほとその時分がやってくるのが嫌だった。しかし、私は、脅されても決して彼らに屈して金を渡すようなことはなかった。正義は絶対に屈服しない・・そんな揺るがない論理が私のなかにあった。やはり図体は大きいけれど、口下手で物静かで、のそっとして、対応下手な同級生がいて、彼も同様にたかりの対象となったことがあった。しかしある時、あまりの執拗な不良のドンにさすが堪忍袋の緒が切れたのか、彼は、「わ~っ!と声にもならないうめき声を出しながら、相手に突進して行った。椅子も机も大きな音を立ててぶつかり散乱するなかで、二人の取っ組み合いが始まり、遠巻きにする輪ができるなか、闘いはしばらく続き、そして対決は終わった。ドンも突進した彼も、痛み分けのような状態だったけれど、当然雰囲気はし~んと一瞬神妙になり、誰が見ても、気まずそうな雰囲気のなか、あきらかにその不良の負けだった。そんなこんなでその彼のお蔭か、それ以来いじめも少し落ち着いたのである。拝啓あの時の不良諸君、ご無沙汰です。今は懐かしく諸君の事を思い出します。よくも、あの時、かよわき私に対してゆすりたかりをしてくれましたね。そして憎たらしいほどのあの当時の手下の君。今再び君達と会ってみたいものです。今だったら・・・・この野郎!!(*_*)おっと、すみません、つい興奮してしまいました。平常心、平常心”^_^”冷静に・・今だったら決して力勝負でも負けませんよ~~~だ!。(*^_^*)当時は、もやしのような「のび太」君状態だったけれど、今では十分体力もつき逞しくなっているんだよ、こちとらは。まあ、正直言えば、筋肉というより脂肪がついたんだけど・・”^_^”だから、ようするに「のび太」君が逞しく「ジャンアン」のように変身したということだよ。不良君達、今頃何しているの?随分と年月は過ぎたからね・・・まさか今は趣味が盆栽いじり?ということはないでしょうねでももしそうだったら、なかなか可愛いとこあるやないか。"^_^"しかし、今では齢とって体力も気力もないんじゃないの?だなんか、ますますこっちに優越感がでてきちゃった。(^^)えっ!?しかしまてよ。相手は齢とって弱くなっているだろうと思ったんだが、考えてみれば同級生。私も当然、齢とっているということ・・!?”^_^”まっいいかこっちはいまだに前向きで気が若いんだよ~~~っと。まだまだ青春真っ只中。どうだ、まいったか!。あ~、すっかりすっきり。やれやれ今日はだいぶんあの時のしかえしをしてやりました。まあ、今度会ったら一緒に飲もうよ。互いにまだまだ頑張ろうぜ。(^^♪ 敬具なんか春の陽気に誘われて、あの頃以上に変になりつつあります。
2006年03月27日
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このオリンピックによって初めて耳にした「イナバウアー」。調べると、イナバウアーとは、足を前後に開き、つま先を180度開いて真横に滑る技、とある。荒川静香選手のように大きく上半身をそらせて滑るのがイナバウアーだと思っていましたが、1950年代にドイツのスケーターであるイナ・バウアー選手が開発したことにより、この名が付いているとのこと。しかし、今や誰しもが、そしてこの先も、荒川選手によるあの滑りをイナバウアーだと思うでしょう。もはやオンリーワンの世界。もうそういうことにしておきましょう。ところで、足を前後に、つま先を180度開いてやってみました。誰?がって、もちろん私がですよ。イナバウアーを語るには、先ずは自分でやってみる。社員の帰った事務所で。「う~~~んっ!」(@_@)「えいっ!~~」(T_T)あの静香さんのように優美に・・イメージしながら。いや~やっぱりこれは凄い。実に難しい。静止状態でも絶対できんです。やはり日々努力の賜物ですね。素晴らしい。ワンダフル荒川さん。私も一応頑張ってみました。短めの足を、めいっぱい前後に開き、つま先を180度開き・・「イタタッ!・・」←気にしないでください。独り言です。上半身を前に折って・・”^_^”えっ!?「上半身はそらすのではなかったか」って?冗談じゃないです。そんなの出来る訳ないでしょ。前屈姿勢でも、私の身体はよれよれです。はい。(@_@)後ろにも前にも思うように曲がらない。トホホ。とても優美とはいえません。もう、ただの醜いおっさんであります。まあ、金メダルがどんなに価値あるものか、よく解った日でした。皆さん決して想像しないでくださいね。
2006年03月01日
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本日は「つむじ」のお話。子供の頃、私の出身地ではこれを普段「ぎり」と呼んでいた。その後、世間に出ても、一般的にこの言葉を聞くこともなかったので、おそらく方言なのだろう。内緒の話なのだが、・・実は私の「つむじ」は7つもあるのです。普通、あっても2つか3つくらいですか?であれば、どうです?羨ましいでしょう?えっ?ちっとも羨ましくもなんともない? 確かにそうですね。”^_^”口外厳禁でお願いしますよ。で、この「つむじ」は結構大変なんです。やや癖毛で、毎日朝シャンしなければ、うまくセットできないんです。トホホ(久しぶりに聞きましたね、朝シャンという言葉 ”^_^”)先ず頭頂部に2箇所、前頭部に1箇所。左右のピンのところで2箇所。そして襟足のところに2箇所。襟足の所にある人は案外いますが、これも床屋さん泣かせでした。床屋さんからは、よく「女の人だったら良いのに。アップしやすいのに。」などと昔言われていました。で、私の大切な「つむじ」ですが、小学生の2、3年の頃、いつも行っていた床屋さんには、「ぼく!(^^) あんたの頭は凄いね。「ぎり」がこんなにあるとは珍しい。きっと将来は偉い人になるよ(^^)」等と、言われていたものです。もちろん、小さなお客様へのリップサービスなのですが、このつむじは、反面「つむじ曲がり」とも言われるように、偏屈者、変わり者等としても比喩されます。このときの床屋の親父さんも、内心、きっとそう思っていたのかもしれません。ところであの時代の床屋さん。散髪終わると、帰り際に決まって、おこづかいの50円をくれました。今で言うキャッシュバック。気が利いているではありませんか。「三丁目の夕日」のような人と人の温もりのある時代。時は移り行き、あの時の坊ちゃん刈りの可愛い"ぼく"?は、さてどうなったか。あの時の床屋が言っていた、リップサービスの「将来偉くなるよ、きっと・・(^^)」の予想通りにはいかなかったが、至極ナチュラルに、しかしあるときは、ある種の生き方の一徹さを持ちながら、そして、最近は頭頂部の「つむじ」に手をやりながら、「・・大事な俺のつむじ。最近なんか猫毛になりつつあって、やばいな・・」(~_~;)等と一人ぼやきながらも、期待通りのちょっと「変?」は漂わせて、こうして元気に楽天日記書きながら、どんまい人生をしぶとく生きておるのです。
2005年11月15日
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私の友人のEさん。彼は、同業者で、また役者でもある。役者といっても地元の劇団に所属しているのです。この劇団の歴史は古くて、彼もまたこの劇団での芸歴は長く実績もあり、界隈では知る人ぞ知る存在。そしてこの劇団ではいつも主役級なのです。不動産業も役者も、どちらも現役。いわゆる二足の草鞋をはくというやつなのです。彼はとても愉快な人で、時々見せる、ひょうきんなその振る舞いは、いつも周囲を和ませてくれ、とても親しみの持てる性格。彼の特徴は、長年の芸歴によっていつしか染み付いた会話の中の言い回し。意識してそうしているのか、知らず知らず癖になっているのか、なんとなく台詞調なのだ。日常でも出合い頭に、彼の振る舞いは、歌舞伎の「大見得を切る」調。電話口でもこんな感じだから、もう日頃においても役者魂は抜けきらないのかも。大したもんだが、何か少し変だ。いつぞやは、当社の事務員さんが街で出会ったら、やはりその場で、「やあ~~!\(◎o◎)/!そこ行くお方は、変な社長とこの○○さんじゃあ あ~りませんか!!(@_@)」などと大げさに声を掛けられたらしいのです。ところで「変な社長」とは、私のこと。変はよけいだと思います。翌日彼女は、「やっぱあっちも変ですね?」と言っていました。(どさくさにまぎれてあっちも!?とはなんだ(@_@))上記を補足すると、ある日街で、少し変な役者兼不動産屋から、変な社長のところの、変な事務員さんが声を掛けられた。まあ、こういうことになるでしょう。(^^)彼の口調の雰囲気を大げさに表現すると、あの加藤 茶がよくテレビのコントで見せる見得を切る感じか。そのEさんが10年ほど前に、ある2時間ドラマの九州ロケがあった際にちょい役で起用されたときの話。(彼は時々ドラマの地方ロケで抜擢される貴重な存在)それは大分かどこかの山間で行われた。その日、マイクロバスに、有名俳優である、筒井○○さんや、あの松阪○子さんと同乗して、ロケ現場に到着。松本清張原作によるある時代背景におけるドラマロケ。彼の役は通りすがりの主人公に道を尋ねられる行商人?の大役。「本番、スタート!!\(~o~)/」と元気よく監督の声。・・「うん~~~~!だめだめ!!(@_@)、Eさん!もっとリラックスして」・・・・・・・・・・「さあもう1回いこうか~ スタート!」と、再びカチンコの音は山間に響きます。(@_@)(~_~;)(@_@)「ちょっとEさんEさん!歌舞伎じゃないんだから、もっと自然に、ナチュラルにお願いしますよ」Eさん「ええ!合点承知のすけ(^0_0^)」監督「さあ~!もう一度気を取り直して 行ってみよう!」\(~o~)/・・「だめだめ、だ~め!!いい加減にしてよ(>_
2005年11月13日
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私の知人のY君。彼は近くの同業者の息子さんで、やはり同じ仕事をしています。近くなものだから時々当社にも立ち寄っています。まだ20代の、朴訥で気持ちも真っ直ぐな好青年です。そんな彼が先日もひょっこりやって来ました。来て、互いにいつもの何気ない世間話をするなかで、彼は、彼の特徴であるぼそぼそっとした話し方で徐にこう切り出しました。「・・社長、実はできたんです。・・”^_^”"」私「なんね!?えっ? おできでもできたんね・・」「・・(@_@)そんな・・ あのですね、実は彼女ができたんですよ”^_^”」私「え=っ!?(*_*) ほっ ほっ ほんとね!」「ちょっと、ちょっと こっちおいで、もっと詳しく聞かせてよ。」「どこで知り合ったん? えっ?合コンね?よかね~(*^_^*)「そんで、なんの話ししたん?」「交際はじめてもうどれくらいね。」「どこがピ~~~ときたん!? えっ?」「□△◎×□・・・なんですよ、たいしたことりませんよ・・」私はいつもの悪い癖で、尋問状態で訊き続けるのです。いやな親父なのです。トホホ「たいしたことあるやん、 でもよかったじゃない。めでたし めでたし」「今度紹介してよ」「一緒に飲もうよ・・(^^♪)」こんなとき、何故か私が舞い上がってしまいます。私がハイになってどうするの?てな感じであります。^_^;でも、真面目で私の知る限り、そう積極的には異性に接することはできない風に彼を思っていたものですから、私は嬉しかったのです。しかし、それも私の勝手な思い過ごしなのかもしれないのですが。正直なところとても良い出会いそうに思えました。ひとしきり私が根堀葉堀訊いた後に、報告終えて彼は帰っていきました。その後、しばらくして、立ち話ながら彼は彼女をきちっと紹介してくれたのです。スタイルの良い、そして清楚で美人のお嬢さんでした。いつもの調子で、ついまた勝手に私は舞い上がってしまい、しどろもどろで、「じゃあ、今度三人で飲みにいきましょう(*^_^*)」と告げました。でも、本当に彼にはもったいない彼女でした。あっ!すみません、相応しい彼女でした。しかし、内心・・「あいつより俺の方が合うんじゃない?・・・」とも思いました。(^^)まあ、仲良くやってちょうだい。Y君。(^^)応援しているよ。おせっかいなおじさんは。(^^♪
2005年10月20日
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午前中、取引主任者法定更新講習会に行っておりました。2カ月に1度の割りで、今年は今日で終了。本日は95名の参加者でした。一応私は、担当委員で簡単な司会を務めます。で、お昼にお弁当が用意され、講師達と数人で談笑しながら食べます。お弁当は、いつも主催側から用意されるものですから、有難くいただくのですが、このジェイアール弁当、正直なところ当たり外れもあります。ところが今日はなんと、(^^♪ 机に用意されていたのは、見た目も豪華な限定秋弁当。いいですね~鮮やかな包装紙に、しかも二段重ねです。内心・・やった~~~~~(^^) の私。早速蓋を開けると、なんと!松茸ご飯。やっほ~~~!(^^)!松茸ご飯の上に、スライスした可愛い松茸と、そして、右端には丸のままの松茸!思わず、包装紙の値段を見ます。えっ!?これで850円?ジェイアールも、たまにはやるじゃん。(^^)本当に弁当は美味しかったです。一口食べたところで、ふと思い立ち、記念に写真を1枚。よし、今日の日記にUP・・ちらっ ちらっ と右端の丸のままの松茸を見ながら、いつもは決してしない、子供のように、・・美味しいものは最後にとっておく・・を、意識せずに実行していました。そして最後の最後、な~んも気にせずに、その大事に残していた丸のままの松茸ちゃんを口に入れました。えっ!? え~~~~~っ?何これ 違うやん(@_@)「いったいぜんたいこれは何?」Nextさん「それは里芋よ」と、隣の人が教えてくれました。そうなの?~~~おいおいジェイア~ル。紛らわしいことすんなよ。(~_~;)詐欺やんか。これ絶対、秋弁当ということで、里芋をそれらしく飾りつけたんでしょうけど・・・完全に私は意気消沈。^_^;そっくりさん大会じゃないちゅうねん。大体松茸と里芋を間違える私も私ですが・・日頃高級ものを食べたことないものですから、ついはしたなくも舞い上がってしまいました。トホホ。考えてみれば850円の弁当では、中国産でも二つ入っていませんよね。まあしかし、十分束の間、楽しませてもらいましたわ。・・・多分にアバウトなとこがありまして、この時ばかりはさっと見た形だけで、完全に最後の最後までそう思い込んでいました。周りに誰も居なかったらじっくり見て確かめて、当然判ったと思うのですが・・"^_^"
2005年09月22日
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前日の警備のバイトの続き日変わって任されたのは、その競艇場敷地内の広~い駐車場でした。昨日の入場口の出来事は、私はもうすっかり忘れていました。朝早く、私は、借り受けた灰色の警備服に身をまとい片脇に制帽を挟んで、バイト期間、バスに揺られ現地まで通っていました。その日、集合礼の後に同僚と2.3人で着いた駐車場は、やがて競艇の開場時間が近づくにつれ、次々と車と人が集まってきました。集合時に上司から申し渡された私のこの日の役目は、1. すぐに駐車場は満杯状態になるので、くれぐれもきちっと奥から整理して駐車させるように。2. 敷地外の迷惑駐車に気をつけること・・何せ広い駐車場ですから、私にはマイク付きハンドスピーカーを持たされ、肩からぶら下げておりました。初めのうちはうまいこと、進入してくる車もきちっと停められていました。ピンと引かれた白線内です。皆おりこうさん状態。気持ちいいですね。ルール守って。(^^)ところが、その内、競艇が間際になるや途端に、次々と入ってくる車両はスピードも上がって、乱暴に停めだします。整理が間に合わないくらい。客は車を停めるやいなや、一目散に入場口へ。それを見た私は当然注意を促します。「え~っ~~~お客さん、車はちゃんと停めてくださいね~~~」(注意:~~~は、メガホンの響きです。(^^))「迷惑になりますので白線内にお願いしま~す~~~~。」この時どういった状態だかわかるでしょうか?昨日の入場口と同じです。もう聞く耳誰も持ちません。この人達、えい!この連中。もはや頭のなかはボートが水しぶき上げてコーナーを競り合って回っています。呆れ返っていたその時でした。それまで以上に猛スピードで入ってきた黒塗りの外車がひときわ乱暴に駐車場入り口付近で、これまた大胆にも白線またいだ状態で斜めに停めました。当然私は職務です。「そこの車のお客さ~~~ん(^^)/~~~」「ちゃんと停めてもらわなければ困ります。」「停めてくださ~~~い!」ハンディメガホンで叫びます。相手は聞いても聞こえぬ風。一人、二人と車から出て、知らぬ顔で入場口へ向かいます。呼びかけるこちらを一度も見ようとしません。完全に斜め状態の車。そしてその時、思わず若気のいたり、とでも申しましょうか。「こら~っ!」「何度言ったらわかるんですか!」「ちゃんと停めなさいと言っとるでしょう~が(@_@)」~~~~~つい我慢できずに職務オーバー。しかし、これはさすがに相手に届いたらしく向こうで反応。\(◎o◎)/!200M程も離れたその黒い車から降りた黒い服の人は、それまで聞く耳持たなかったのに、いきなりその私の一言に反応したんです。向こうの動作はこちらから見る限り(>______
2005年08月19日
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学生の時、多くのバイト経験をしました。先般書いた、真夏の高速道路の工事現場でのタコ部屋経験もそうですが、今日のザ・ガードマンもその一つなのです。ザ・ガードマンといっても、単なる警備会社の警備のバイト。何か縁あったのでしょう、ここの警備会社では、いくつかの場所を担当するほどに仕事させてもらいました。そしてこの時は競艇場の警備でした。当時、すでに波乱の兆しのなかでも、私はまあ、筍のように気持ちは真っ直ぐ育っておりました。私が言うのですから、主観的にはほんとでしょう。(^^)最初に警備で立つことになったのは、競艇場の入場口でした。確か当時50円だったか、100円だったかの入場券を先に買ってから入場するのです。こういったギャンブルの場合、レースの一瞬を見逃せないものですから、皆一様に息せき切って入場口に殺到します。そう慌て為さんな!と言いたくもなりますが、バーゲンに殺到するご婦人方からすれば理解できることかもしれません。私はその人達、方々、えい連中!(当時が蘇ってきてつい興奮していましました。^_^;)の整理と券を持っているかいないかのチェックをするのです。さっき申しましたように、私は筍。「俺は青春だ!」の森田健作。そして、水戸黄門様や大岡越前の最後に見るシーンは必ずあると信じて疑いない時でした。今でもやや猪瀬直樹的なとこあり、組織には不向きかも。その時、図体のでっかい熊のような男が、券なしで割り込んで入ってきました。「ちょっとお客さん、(^^)券はお持ちですか?」「なに~!(@_@)やかましい」「俺の勝手やろ」無理やり通り抜けようとします。完全に常習犯の臭い。しかしやばい感じです。当時の私は、おまけにスリムでした。ダイエット中の今だったら多少は見劣りしないかもしれませんが・・当時はウエスト73センチ、身長172センチ。これをその後も長らくキープしておりました。想像つかない方、イチローを思い浮かべてみてくださいね。要するに、その競艇場の入り口でイチローとボブサップが押し問答していると考えてください。少なからずも当たっています。(^^)「ここは皆さん必ず入場券を買って入らなければならないんです」^_^;「やかまし~!!なんばゆうとるんか」(@_@)「はよ入らせんか!」(>____
2005年08月18日
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私が怖いものに、ゴキブリ、蟹、昆虫、爬虫類・・ゴキブリ見つけたらすぐ奥さん呼びます。そして高所、奥さん ・・?お化け屋敷ホラー映画も好きなのに、一人では見れません。見た日には神経高ぶっておそらく寝付けません。小心者です。ところで昨年の初夏に私の父が亡くなり、郷里で葬儀を済ませました。依頼したセレモニー会社は、一般的な段取りをしてくれたのですが、このときは、通夜も告別式もお寺で行いました。その古いお寺の住職は一昨年病気で亡くなりました。奥様も以前から入院され、子供さんも遠くでサラリーマン。後を継ぐこともなく、結局、近くのお寺さんがいずれここの面倒を見る予定とのことでした。で、この父の葬儀のときには、まだ墓の守人は不在中。直ぐ近くに住んでおられる檀家のお一人が、住職なき寺の、本堂や墓所の掃除や手入れを定期的にされていました。またこの80代のこの方は、亡くなった父の高校時代の同級生でもありました。長らく入院していた病院から、すぐさまこのお寺に棺を運び入れ、安置したのは、広い本堂の横にある住職が使用していた居間。翌日の葬儀の手順だけを打ち合わせし、葬儀関係者も早めに退散しました。後は、夕方から9時近くまでいろんな方が通夜に駆けつけてくれました。その後しばらくいた近しき人も帰り、10時頃には私と妻だけがそのお寺に残りました。明日の葬儀を執り行う近くの住職に言われていた押入れの布団を取り出し、この夜は父の棺を守りながら就寝です。直ぐ隣は広い本堂と、奥には檀家の位牌がずらり並んで、暗い庭先の向こうは墓所です。まさかこんな状態で通夜を過ごすとは、想定外の私と妻。田舎のお寺には鍵もありません。どうしたかって?もちろん電気点けっぱなし。そ~っと障子を開けて本堂を見やると、もちろん真っ暗なかで大きな仏像が鎮座。(@_@)^_^;(@_@;) おまけに緊張してトイレが近くなります。そしてそのトイレがまた部屋から離れたとことにあるのです。夜半、我慢できずに行っても、帰りはスタスタ急ぎ足。なんとも長~い夜でした。広い寺の敷地のこの部屋で、父の棺と私と妻の夜。朝方、白んでくる外の景色にほっとしても、よく眠れなった頭は、ぼ~っとしていました。こんなこと絶対一人ではできません。もちろん私は一晩中、妻の手を握り締めておりました。トホホ。皆さんこれは絶対内緒ですよ。翌日の葬儀は、棺を本堂に移し、読経の流れるなか、集まった全員が本堂で座ったままの葬儀となりました。前夜の緊張の糸が切れたのか、気を許したのか、本来少しの時間の正座は苦にならないのですが、このときは気がついたら完全に足がしびれていました。式は進み、さあ喪主の挨拶の場面になりました。喪主・・あっ!私でした。セレモニーの司会の人に言われ、立ち上がろうとしたのですが、で、で、できません。(@_@)やっと立ち上がるには立ち上がったのですが、前にあるマイクの所まで歩くことができません。多くの参列者を前にして焦りました。このとき、司会者が私の背中を促すように押したものですから、私はたまらずよろめいてしまいました。司会者いい加減にせ~よ(>_
2005年08月17日
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久しぶりにトレーニングジムに行ってきました。しかしどうでもいいけど暑すぎます、ここは。古いプレハブ建物の窓という窓を全て開けても、ここに入ったとたんサウナ状態。何もしない内にダイエットできそうです。空調設備なんてありません。あっ!ありました、ありました。扇風機が1台、一応精一杯室内に風を送っています。おまけに蚊も入ってきます。夏はとくにきついです。汗かいても余程のことがない限り、古びれたシャワー室に入ろうという気にもなりません。"^_^"今日は夕方、仕事の合間にちょいと行ってきました。(これ一応会社で公認。私の休みはフリーなのです)4人ほど練習していました。全員ムキムキマン大会に出場できるような猛者ばかり。今度大会があるらしく、何人かここのジムからエントリーするらしいのです。その連中の横で、私はまるでドラえもんの「のび太君」状態です。柔な感じでトレーニングします。頭の中では彼らの身体をイメージしながら・・ところで、あいにく、100円玉を持ってくるのを忘れました。子供が近くに遊びに行くのに100円玉握り締めて、途中でお菓子買うのと一緒です。汗流して、ここの自動販売機で「エネルギゲン」飲むのが楽しみなんです。まるで子供です。しかし、今日は慌ててきたので財布忘れてしまいました。で、どうしたか・・丁度近くにいた女性スタッフに携帯し、「ごめんごめん、会社の帰り道にちょっと寄ってくれる?○○ジムへ」やがて来たスタッフに「ごめん”^_^” 200円貸してくれる?」もう呆れ顔の社員です。(注意:社員を私用で使ってはいけませんよ)丁度、その女性スタッフがジムにやって来たとき、私は、エアロバイクを漕いでいたところです。それもサイクリングするような柔な状態でてれてれと。しっかり見られました。トホホ。周りの連中は、筋肉もりもりで相当の負荷を身体にかけて、バーベル挙げたりしています。“^_^”「いや~残念だったね。さっきまであのバーベルを挙げとったんよ」「見せたかったね~」と、とにかくいい加減に取り繕った私です。再び自転車を漕ぎながら、途中で隣の自転車に参加してきた、教員という若者と、先日雨漏りしたというこのエアロのすぐ上の天井を仰ぎながら、互いに「やっぱ、普通のこんなジムほうがいいですかね・・・若い子もいるし・・」「しかし、若い子がいたら恥ずかしいね、私なんか、そこにいく前にスリムにならんといかんですよ・・」「でもここがやっぱり我々には合うんじゃない?」etcこんな会話しながら、実のところ、ここはここで気を使わなくて、しかも、なんか素朴な交流があっていいと私は思っているのです。ちなみにここのジム、上記のきれいなスポーツジムと料金は同じ、あるいは高いかも・・ある意味セレブ?な集まりの我がスポーツジムなのであります。しかし、この2カ月で4キロ減。結構身体も軽くなってきました。もう6キロ、今年中に落としたいですね。いい仕事するためにも、身も心も引き締めたいと思う日々です。
2005年07月29日
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快晴のとってもよいお天気です。三連休のせいか、街並みもなんとなくのんびりと映っています。午前中は、お客様を訪問し、ご所有マンションの管理を預かることになりました。そのご主人と私とは、学年で同期となることや、持っておられる気さくな人柄で、初対面なのについ意気投合してしまいました。きっとこれからも互いに良い関係を持てそうです。今日はこれで仕事終了ですが、明日も私は出社し、のんびり本読んだり、書類整理したり、戦略?練ったりして過ごします。社員さんは明日休みだし、外ものんびりムード。この様なときにはかえって日頃できない自分の仕事もできるというものです。ところで昨日はこんなことがありました。仕事中に当社の女性社員「社長、今日はお弁当持ってきています?なかったら買ってきますよ」「コンビにでも、ほっかほっか亭でも行ってきますよ」いつもは愛妻?弁当持参の私ですがこの日はなし。『おっ! そうだね今日は弁当ないし、嬉しいな~久しぶりにチョイスして食べるかえ~っと』『牛塩弁当、焼肉ビビンバ丼、・・・うな重・・ダイエット中なのにカロリー多目?のようだけど、やっぱ牛塩弁当やね(^^)』『お味噌汁もつけてね(^^)』「は~い了解(^^♪)」「えっ!?」「ぎょっ~!?」 社員は壁にかけた時計見ながら「まだ11時?」「すみません。時間間違っていました”^_^”」そう言われる私も、全然気がつきませんでした。つい社員の会話に乗ってしまって、いい加減に返事してしまいした。大体、のんびりといい加減な雰囲気がこの会社にあります。この社員、前に書きましたが、この勘違いの常習犯?なのです。終業時の6時を、5時に、「社長!お疲れ様、お先に~!(^^)!」と、なんと1時間前の5時に帰っていきました。そのときも私はつい『いよ!お疲れ様(^^♪』と気がつきませんでした。社員は一応途中で気がついたらしく、30分してまた戻ってきました。戻ってくるだけ偉い!などと妙に納得してしまいましたが、これ2度もやらかしています。この厳しさ増す市場のなかで、生き残らなければならないのに、我社はこの様な状況で、果たして生き残れるのでしょうか。^_^;タイタニック号のように目の前に氷山が現れても、当社は誰一人気がつかないかもしれません。船長の私が先ず気がつかない・・”^_^”まあ、この社員にこの社長。なんとかなるのかもしれません。今度は騙されないぞ。”^_^”早々とお盆のお知らせを当社HPでしてしまいました。気が早いですか?
2005年07月17日
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ジーンズショップにていろいろ物色。「店員さん、○○号サイズのジーンズがないようだけど・・」『お客様、そのサイズはほとんど置いてありません』『○○号から→ご希望の「●●」飛ばして→○○号になります』(※名誉のために申しておきます。○○は決して超がつくようなサイズではございません。”^_^”)「しかし店員さん、私は○○が今のところ一番フィットするんです」「普段はこのサイズ着用していています」(*^_^*)「→○○号だと・・えっ?いきなりウエスト○○センチにもなるじゃありませんか・・」「これだと大きいと思うな・・」「やっぱりどうしてもないんですか・・」(^_^;)『お客様、そう言われても、ないものはないんですね。申し訳ありません』『でも、品物やメーカーによって、同じ号数でも多少のサイズの違いはありますから一度穿いてご覧になったらどうでしょう?(^^)』「そう?」「しょうがないな、沖縄行きも迫っているし、もう来る暇ないからな・・」・・「じゃあちょっと試着してみます」^^;『あっ!お客様。ぴったしカンカンじゃありませんか。!(^^)!』『ちゃんとフイットしていますよ』(^^)「えっ、ほんと?緩くない? おかしいな・・最近3キロも痩せたんですよ」「痩せたのにこれまでよりサイズ大きいのが合うはずないじゃん(~_~;)」『いえいえ、そんなことないですよ。いいと思いますよ、おそらく・・』(^^)「もしウエスト小さくなっても大丈夫?」『大丈夫です、大丈夫です。そのときはベルトで締めれば決しておかしくありませんよ』(^^♪「そうかな・・なんか、そう言われればピッタシな感じがしてきたなあ・・」(・・すぐその気になる私)「これED○INか・・」(^^) ・・と、言うと「ブラピ?」・・”^_^”(・・・なんかいい気持ちになってきたな・・・)「店員さんじゃあ、これにき~めた。(^^♪)」『ところで裾上げはどの様にされます?』「もちろん、できるだけ長~くしてください」(^^♪
2005年06月22日
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続きです。外見(^^) (^^)腕を組み瞼を閉じ何食わぬ顔で平然と待つ、next兄さんのいつもの光景。内心^_^; ^_^; (~_~;) (@_@) この妙な緊張感飛行機に乗ったとき、機内でスッチーが満面の微笑みで正面から近づき、私の席の傍らを通り過ぎるとき。ちょと違うけど、あれも相当な緊張感。やはりこの場合も、私は表面はなにげなく平静を装っています。そしてスッチーが近づいてくると、すかさず寝た振りキンチョールです。(@_@)どうでもいい話しましたが、大体、怖がりです。私。胃カメラ飲み込むだけで死んでしまいそうです。手術経験ありませんが、麻酔打たれても、きっと繊細で小心者の私は、「今から手術だ~という意識が強く働いて、絶対眠り込まないかもしれません」^_^;考えただけで気絶しそうです。財前教授には絶対なれません。もう一つ絶対なれない職業は食べ物職人、漁師さん。触れないさばけないで、エビ、カニのない創作料理の店になります。先ず触れない。この奇妙なゲテモノを直視できません。えっ? 何言ってるんですか、鏡のなかの自分の顔はもう慣れましたよ・・(^^)話がそれましたが、いやですね診察室に呼ばれるまでのこの緊張感。(~_~;) (^_^;)やがて私に回ってきて、血液検査、レントゲンも撮りました。血液採られるときも妙に腕に力がはいりますね。ところで血液検査結果は後日。レントゲン結果は異常なし。薬もらって帰って早速飲みましたが、効きました効きました。いまのところ胸の炎症がとれて楽になりました。(^^♪今回こそ指示通り続けて服用し様子を見ることにします。けれど、とっても懇切丁寧で優しい先生でほっとしました。やはり病院はこのあたりの患者さんの接し方が大切ですね。まな板の鯉の心境で、なんだか安心感で気持ちがゆるゆるになってきます。とりあえず、私のかかりつけの病院候補としましょう。
2005年05月19日
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その昔、高校生のときに友人5人とエレキバンドを組んでおりました。エレキバンド華やかりし時代。運動会では応援合戦タイムがあり、赤・白・青・緑に分かれてのエレキ合戦なんかもありました。文化祭を前にして、我々5人は数組の他のバンドとともに学校にドラムやギターを持ち込み、放課後の教室でドンジャカやっていましたし、夏祭りエレキ大会にも出たことがります。懐かしき時代です。当時仲間である一人の家がダンスホールを経営しており、高校生の分際で時々、そのホールに出演、演奏もしておりました。今から考えてみますと、よくあんな我々の演奏で踊れたなとも思います。それでも高校生からみると大人なの、若いカップルの恋のキューピットの役割をしていたかもしれません。だいぶ内気で、ちょっと目立ちたがり屋で・・そんな学生時代でした。そんななか、ある夏の時期に、この田舎町でエレキ大会がありました。8チームほどが持曲を数曲ずつ披露し、4~5人程度だったか会場に陣取った審査員が評点し、上位3チームが入賞するのです。審査員はもちろん阿久 悠でも服部克久でも、ましてや北島三郎氏でもありません。地場の名士?や音楽に長けた?人たちです。やがて各バンドの熱気溢れる演奏が、公民館だったかどこかの体育館だったか・・館内を揺さぶる音響で始まりました。我々も和製ポップスとローリングストーンズとを演奏。無事全ての演奏が終了し、我々はまあまあの自信でしばし、審査員の方々の選評を待ちました。審査員席では互いが顔を右に左に突き合わし、どうやら伯仲のご様子。しばらく間をおいてやっと発表の時がきました。1位 ○袋寅泰とはっぴいえんど2位 ウルウルズ (^_^;) (^_^;) いよいよ残りはあと1チームだけです。3位 ○○オールスターズ ←私のバンドです。 !(^^)! !(^^)! (^^♪ やった~めでたく我がバンドは入賞したのです。あ~やれやれ (^_^;)審査員席を見ると、審査委員長が笑顔でこちらを見ています。その視線の先を見やると、そばでサイドギターの○○君がやはりにこにこした顔でいます。とりあえず喜ぶ仲間の拓也と真吾、吾郎、正広そして私。(^_^;)そんな高校三年の夏でした。ちなみにこの日の審査委員長は、サイドギター○○君の父親でした。!?当時、町で楽器店を経営しておりました。・・・その頃、われわれ五人は、ちょっと音をはずしながらも楽しく純粋にエレキな日々を送っていたのでした。その時、○○君と親父の笑顔が少しばかり気にはなりましたが・・まっまっまさか・・まあ、そんなことはないでしょう。その後、青春のひとときは遠く遠く過去に消えましたが、当時の写真には、エレキ抱えて不釣り合いな、坊主頭の面々が楽しそうに写っています。 ”^_^”会社の事務所の私の席から、今日はよく晴れ渡った青空が見えます。ふと思い、今日はコミカルに思い出を書きます。注意:登場者仮名
2005年05月17日
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皆さんは皆さんが歩んでこられた人生において、とんだ失敗を経験されたことはないでしょうか。とりわけとっても恥ずかしい思いをしたこと。もちろん誰にも少しくらいはありますよね。そりゃあキムタクだって長谷キョン(←ちょっと若者風に言ってみたかったのです。(#^.^#))だってあるはずです。当人にとってはめちゃ(この言葉使ってみたかったのです。)真剣な状況でも、側から見ると至極こっけいな場面というものがあります。薄暗がりのバーでつい気取ってトイレに行くときにガラス張りの衝立に頭をぶつけたり、足早に駅の階段を駆け上ったプラットホームで、乗り込もうとした瞬間合図とともに眼前でドアが閉まってしまい、満員の乗客が一斉にこちらを見ていてちょっと恥ずかしい思いでその場をとりつくろったり。私の日頃の行動は、ややくそ真面目風のなかに間抜けさが同居している感じです。F1カーのハンドルのように遊びのないカクカクの部分と、農道をのんびり行くトラクターのような部分と・・外見はともかく心は健さん。で、日頃は断じて失敗をしないようなように気持ちだけは格好良く気をつけております。しかしそんななかでも災難は突然とやってくるものです。(できればここで効果音でも欲しいとこです)いくつもあるなかでこれは誰も経験ないと思います。それは数年前のある時期。友人に誘われ韓国釜山に行ったときのことです。私は初めて行ったのですが、こちらで飲食店を経営している彼は韓国の人でもあり、食材や食器の買出しに頻繁に向こうとこちらを行き来しているのです。同じ勉強会の仲間でもあるのです。このときは何でも新しいメニューのたれの調合を知り合いから教えてもらうからついてきてくれということだったのです。しかし、行くときからなんか彼は怪しかったですね。なんと福岡の港につくや折りたたみ式簡易キャリーを2つ、車のトランクからおもむろに出したのです。案の定、翌日の帰りのキャリーには調味料の一斗缶や出し昆布の箱を人間が隠れるほどに積み上げられていました。もちろんそのうちの一つは私が持つことに。後でわかったことですが、このような場で彼はよく人を誘うらしいのです。他にも勉強会の仲間は同行させられていました。そうです、首尾よく荷物持ちをさせられたのです。そのときは、私はまだ入会したばかりで、新人。一応先輩ですから素直にしていました。でもとても気のいい友人です。今では互いに言いたい放題の付き合いをしています。ちょっと横道に逸れましたが、いったいどうなったか。その帰途。私と友人は肩から斜めに掛けたショルダーバッグ姿で片手に土産の大きな紙袋。そして、ふらつくほどの食材の箱と調味缶を山ほど載せキャスターをゴロゴロ音をさせて引っ張り、ヨタヨタしながらの私は釜山港ターミナルにいたのです。とにかく手がしびれるほどに重たい荷物。二人とも格好はまさしく買出しに田舎から出てきた人状態。香港映画にでもでてきそうな滑稽な感じでした。やがて乗船手続きを済ませ、桟橋まで(ここはターミナルから桟橋まで随分と距離があります。途中階段も上り下りしなければなりません。^_^;)行くには先ずはエスカレーターで桟橋へ行く乗船口まで上がります。ところがここで突如災難は私Nに降りかかったのです。狭いエスカレーターです。普段は気にすることもないエスカレーターの動き。しかし、この日ばかりはふらつくイージーキャリーを、タイミングよくエスカレーターの回転に合わせることができません。片手にも大きな荷物をもっているのですから。ふらついているのはキャリーだけではないとです。(突然ヒロシ調)自慢じゃないですが、私も結構ふらついとったとです。そしてなんとかヨイショっとつぶやき、タイミングをとりながら乗ることができました。そしてエスカレーターが途中まできたときです。私の身体が、後ろのキャリーに乗せた荷物のあまりの重さにバランスを崩し、ぐっと後方に引っ張られたのです。私はそのまま仰向けにのけぞり、エスカレーターの側板に大きな音を立てて何度かぶつかりながら、後方まで崩れ落ちてしまいまったのです。あれ~~っ\(◎o◎)/!状況説明しますと、足が上。頭は下にして、しかしそこはしっかりキャリーと荷物は持ちながら・・なすすべもなく、私は天井を仰ぎ見ながらエスカレーターの動きに身を任せているしかありませんでした。ただただエスカレーターに巻き込まれないように気持ちは焦りながらも・・客観的に見ても滑稽です。間もなく私は無事頂上に到着、足から先にエスカレーターを降りました。しかし、この状態で降りるタイミングも難しいものです。ややパニック状態になっていた私でしたが幸いにも無傷。その辺の日曜大工用品店で売っているような安物のキャリーは、しっかり骨組みが曲がっていました。ふと見ると下で友人が笑っています。人も大勢いました。あまりにも格好悪すぎる。みんなこちらを見ていますが、幸い?何を言っているのかわかりません。ヨン様だったらこんなときでもにこやかに微笑でその場をごまかすのでしょうか・・先ずはこんな大失態はないですよね。^^;このときの私にはとてもそのような気持ちのゆとりはありませんでした。けれどよくエスカレーター壊れなかったな・・側板壊れたかと思いました。怪我もしなくてほっとです。よかったよかった。(^^♪いや~ほんと災難はどこにどう潜んでいるかわかりません。気を取り直した私は友人と、キャリーをガトゴト言わせながらまた歩き出しました。この話にはまだ続きがあるのですが今日はこの辺で。(^^♪毎度トホホの私です。
2005年03月07日
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私の通っている古めかしいジムは、ある種のブランド的な要素を持ち合わせているかもしれない。実はここのオーナー(ここでは皆、会長と呼んでいて会員に対して自ら指導にあたっている)は、先般当社にて戸建を購入していただいた、私のお客様でもあるのです。ジムの近くにある当社管理の駐車場を借りてもいただいていて、毎月末に駐車場料金の支払いに当社まで出向いてもらってもいる。というわけで以前からの顔見知りなのです。しかしながら、不動産を購入いただいたお客様だから、このジムを選択したということではありません。以前も通っていた時期があったのですが、そのときはわずか1ヶ月で挫折。今回このように取引の縁があって、再びその時を思い出したのと、尚且つ、体脂肪率の心配な危険状態に陥っている?私のなまった身体に、天は救いの啓示をしてくれたのだと、チャンスに捉えて再び前向きに通いだしたのです。実際、通う回数からすれば模範生とは言いがたい程のものですが、徐々に身体が活性化していくような実感を受けつつあります。今日も昼間、先の取引物件の引渡しが来月に迫っているので打ち合わせにジムに行き、そのまま昼休み時間を利用して汗を流してきました。今日は、かねてから噂に聞き及ぶ80歳のご老人がトレーニングされていました。見るからにとてもお元気そうです。少し会話しながら、今風のトレーニングセンターのことについての言葉がありました。そのなかで、今風のしゃれたジムには、そこに通う人同士の気持ちの触れ合いがないとのこと。それに比べここは、汗臭い程の心通う人間味があるらしいのです。確かに私もそのように感じます。多分に、面倒見の良い、オーナーの気さくな人間的魅力もあるのでしょう。ところで何がブランド的要素なのか。ブランドとは決して高級的なものを指すのではありません。このジムにはまだ若い、現役プロ野球一軍選手も二人登録しています。学生時代に通っていたらしく、今でもオフの時にはやって来るそうです。無事入団したときには、親子でお世話になった挨拶にきたようです。そして、JR九州の四番バッターもいます。その他、病院関係者や弁護士さん等・・年配者の方もこれまでの地位を語ることもなく、ここでは皆が楽しく、ときには寡黙に汗流すのです。なかにはこんな人までいたことに驚き。丁度私が居るときに郵便物が届きました。見ると出版社からのもの。オーナー曰く、ここの生徒さんだった人からの贈り物だというのです。この方の職業、今は何冊も出版している作家生活。新刊が出る度に、その方から律儀にもここでお世話になった御礼に送ってきているらしいのです。このときも3月新刊を出版社から届けられたのです。この方は下記の作品で平成8年第16回横溝正史賞を受賞されました。「ノーペイン、ノーゲイン]と題する本。この方はまだ40代ですが、7~8年前に市役所勤務時代、このジムに通っておられたようです。確かにこの本のなかにここのジムとオーナーに似た人物描写らしきものも出てきます。オーナーもいろんな生徒が巣立って嬉しそうに話していました。しかしこのジム。やはり何がしかの魅力を持っているに違いないでしょう。古めかしい建物の歴史のなかを行きかう人々達。きらびやかなブランドものとは違う、それぞれの人という、温もりをもったダイアモンドがここには存在している様な気がしました。私も当分ここで精神も肉体も磨いてみようと思います。とりあえず当面もライバルはこの御仁。↓Sさん御年80歳。すごいです。かっこいいです。(^^)若者?と先輩は、楽しく会話しながら並んで自転車漕ぎました。残念ながらまだまだ負けています。(*^_^*) ↓・・・・・いつか私の写真がここに($・・)/~~~
2005年02月25日
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いやはや今日は頑張りました。フィットネスに。今いい汗流して、一旦会社に戻りました。これから東京のお客様と電話で打ち合わせがあります。その電話を待っている合間に書いております。今日は6人の方とジムで一緒になりました。一見いかつそうな若者もいましたが、話してみたら皆いい人達でした。女性にも初めて会うことができました。横ですいすい運動しておられました。私はというと、鉄棒肩に担いでのスクワットに、今日もおもりの両輪がありませんでした。トホホ格好悪すぎ(^_^;)何せ若葉マークですから。帰り際に高校生がやってきました。なんと今年の甲子園に出場する4番バッターらしいです。確かにごつい体つき。なんと背筋鍛えるための140キロのバーベルを軽々手元で浮かせていました。オーナーが私にしてみろというのでやってみましたが、バーベルはびくともしませんでした。動いたのは私の身体の方。のけぞりました。ますます不甲斐無い自分の身体に情けなくなるばかりですが、別名「ジムnext」さんはこれからも頑張りますよ。現在埼玉にいる昔の私の知人がやっているこれいいですよ。↓運動に。骨骨(コツコツ)体操っていいます。体操PVで見れます。きっとはまります。以前一部で結構はやったらしいです。昨年帰省のおりに見せてもらいましたが、リズム感があってなかなかのものです。骨骨体操
2005年02月08日
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フッ~!ハ~ッツ!!ヒィ~~~~イッツ!(>_
2005年02月02日
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正月二日目にして、私が住んでいるマンションの火事だ!の一大事は先日話したばかりです。ところが今日またボヤ騒ぎです。「なんか臭いますね・・」午前中の社内において社員が言うんです。私は机に向かって集中で仕事していました。私は言われるまでわかりませんでした。私「まさかパソコンのたこ足配線が悪いんじゃないだろうね・・」辺りを見渡します。その気配は確認できません。しかし、それからしばらく経って「社長~!そこそこ!」「焦げてる 焦げてる~!」(@_@;)なんと見ると椅子にかけていた私のスーツの袖口があまりの寒さに足元に置いていた電気ストーブに加熱され、やばいことに。慌てて椅子から立ち上がってスーツをのけ袖口をつまむと「あっちち!(@_@;)」思わずキッチンでタオルを濡らし消火活動。袖口は黒く焦げましたが、私は焼けずに済みました。もし社員が気づかなかったら、背中に燃え上がったくらいに気づいていたかもしれません。時間間違って一時間も早く帰ってしまうくせがある社員ですが、今日はお手柄です。(^^♪なんかおかしいと思って後ろを振り返っても、椅子も回転して背中部分はストーブとの距離は離れてしまうのですから、少々では気づかなかったのでしょう。私は何かに没頭しているときや考え事をしているときに注意散漫になることがあります。一度に十のことを考えていたりする人間ですから・・!?いつぞやは、朝、いつものように何気なく着たスーツの上下が全くの色違い、柄違いでした。夏でしたから、かっこよくさっと肩にかけたり、小脇にかかえていたりしていたのですが、気づいたのはなんと、昼過ぎに点検で立ち寄ったカーディーラのショールームで・・。ふと小脇のスーツ見てびっくり仰天。($・・)/~~~ジャケットのつもりにしょうにもできないほどに、完全な違い。^_^;当然私は、かっこ悪さを抑え、何くわぬ顔でそそくさと、その場を退散。(ToT)/~~~ほんと夏でよかったですよ。上着脱いでいてもいいんですから。しかし、いや~危なかったですね。本日は。先日に比べ今回はドジしました。皆さんも足元から御注意をのお話。
2005年01月12日
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その愉快な友人と私は、約二年半の同僚としての勤務先をいろんな事情によって、二人して辞めることになりました。私は誘われ、地場ではそこそこの不動産会社に。友人はどういうわけか、なんと大手ハウスメーカーに入ることになったのです。その時点でもまだ、外見での振る舞いをみる限り、とても大手ハウスメーカーの社員としての雰囲気ではありませんでしたからびっくりでしたね。【彼からの貴重な聞き語り】彼が首尾よく(?)入社後の、ある年の社内年忘れ大忘年会での出来事。当時のその支店は、社員が総勢30名~40名、いやもっと?(詳しくは不明)の大所帯ではなかったかと思います。新築もよく売れていた時代です。そして日頃の疲れを吹っ飛ばす、温泉に一泊の社員全員集合の宴です。気持ちよくお風呂からあがって、大広間に全員集合。もちろん女性社員も多数います。なんか場面が浮かんできます。(^^♪膳が並んだ大広間にはビールも用意され、仲居さんも準備万端。浴衣姿の社員もさあ飲むぞ!食うぞ!と心うきうき状態。(@^^)/~~~さて始まりは、どこでも先ず責任者の挨拶です。ここは、日頃営業成績にうるさい支店長がびしっと挨拶します。「え~っ、皆さんいつもご苦労さん。(^ム^) ・・今日は楽しく無礼講でやりましょう。(^^)」・・ところがここで突然に彼の先輩である年配社員が、「支店長!(@^^)/~~~ 本当に無礼講でいいんですね」支店長:「もちろんいいですよ」社員A:「ほんとにほんとですか?」支店長:「間違いないです」・・社員A:(^^♪ !(^^)! (^^)/~~~やがて乾杯!の音頭とともに始まったばかりの宴会場。そこで、さっき無礼講の念押しした社員Aさんがそそくさと支店長の席に歩み寄り、すかさずくるりと後ろ向きになるや、浴衣の裾をたくり上げ、お尻(先日での言葉は“ケツ”でしたが修正)をひょいと持ち上げ、その支店長の顔のまん前に突き出したかと思うと、いきなりブッ~~~ツ!!とやらかしたというのです。まだ宴会始まったばかりですから、みんなそちらを見て仰天。A社員:「無礼講っていいましたよね(^^♪)」みんなビックリの爆笑。その支店長は、平静を装いにこやかに笑顔を返していたというのですが・・もちろん内心は心引きつっていたようです。どの業界にも猛者はいるものです。おそらく、友人も「俺も今度やってみよう!」と思ったに違いありません。(^^♪そのときの勇敢なA社員のその後の行方は知らないそうです。
2005年01月09日
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ついに見つかってしまったようです。昨日、女房殿が、同じマンションに住む、親しき彼女の友人に買い物帰りに呼び止められました。「ちょっと、○○さん」そしていきなり「クリスマスのプレゼントは“しば漬け”だったそうじゃない」「えっ?何のことざ~ます?」(訂正:我が家の女房殿はこんな変な言葉は使いません)「ちょいと見ましたよ、だんなの日記」この奥様は、いつもとても上品な感じの言葉使いされます。見かけも上品です。^^;ほんとです。さしずめ下町の上品マダムってな感じです。口調はまさにそのままの感じですか。しかし、いい人です。旦那も一応(^^♪女房殿とも仲がよく、もう一組の家族共々、ここに移り住んで以来、子供も同級生だったせいか、心安くいい感じでお付き合いさせていただいております。彼女達仲良し三人組は、毎月積立貯金して、一定額貯まった時点で遠出の旅行に、かしましく出掛けております。其の時は、もちろん旦那方はお留守番です。時に、「我々も連れてってくれ!」と懇願するのですが、「なんで貴方達を連れて行かなければならないの。旅行まで一緒だったら面白くないでしょ!」と、三人組は口を揃えてのたまわっておられます。^^;で、私はすっかり忘れておりました。本日の1件の事。この下町上品マダムに、先だって何かの折での会話で、「当社のHPに最近書き始めた楽天日記書をリンクしているから、ちょいと見ておいて・・」私がつい言っていたことを。先日の「クリスマスプレゼントは“しば漬け”」の日記。女房殿に「我が家の内情まる見えじゃないの・・」と言われてしまいました。こんなことなら、クリスマスプレゼントは“ジュエリーマキ”と嘘書いておけばよかったです。(^^♪近い内、そのマダムに会ったら、したり顔でこう言われるでしょう。「○○君、クリスマスに“しば漬け”とは渋いじゃないの。そのプレゼントだったら私もいちころよん・・(^_-)-☆」てな具合に・・(^^♪私のことを○○君と時々言う、その方は私より年下ですが、とてもいいご婦人です。いつも冗談言い合いっこです。マダム!これからも女房共々、仲良くお付き合いください。そしてお願い!“しば漬け”のこと、ほかの住民に内緒にしておいてね。(^^♪まあ、楽天日記は読まれてなんぼのもんです。(^^♪愉快な住民のお話でした。--------------------------------------------さあ、本日は福岡行きです。「鍛冶屋の息子さん」ともお会いできそうです。とても楽しみです。(^^♪よびりんさんも参戦。楽天の有名人も多数集合のようです。---------------------------------------------大掃除も完了!---------------------------------------------現在16:00まもなく福岡へ出発します。今夜の九州ベンチャー大学は200人位集まり、乱戦模様か。
2004年12月29日
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皆さんはどの様なクリスマスイブ&クリスマスを過ごされましたか?家庭でシャンパンを抜き、ケーキを囲んで家族団らんでしょうか。はたまた彼氏彼女と小洒落れたレストランにて、少しばかりはりこんだフランス料理を味わいながらややほの暗いムード満点のイブの宵を、ワイングラスを傾けつつ互いに傍目にも微笑ましく会話交されていたのでしょうか。私の時代には、というより私自身、クリスマスの過ごし方などには無縁。またカップルでの付き合い方などには、全くうとい人間でしたから、相手に何かをプレゼントするようなこともあまりなかったですね。照れと気が利かないのと混在しているかも。またその頃は、今のように若くして自家用車も持っていることも少なかった時代です。否、ひょっとして他の人は持っているのが普通だったかもしれません。だから、楽しく遠出のドライブということもなかったですね。行動範囲が限られていたのも、楽しい交際時代に繋がっていないかもしれません。昨日も女房殿がそのことを言っておりました。現在のクリスマス世情の様な楽しい華やかな経験には無縁だったと。私の娘も、昨日は彼氏と小遣い奮発してちょっと高級な料理店にいったらしいのです。互いのプレゼント交換でもらった品を見せてもらった女房殿は、尚更、今風の男女の付き合いを羨ましがっておりました。確かに、女房殿には申し訳ない。私はとっくに忘れてしまったが、私が貧乏学生のときのクリスマスの日。働いていた彼女は、逆に私に、山小屋のような私の部屋に七面鳥を差し入れしてくれたらしいのです。そういえばそんなことがあったかもしれません。いろいろあって、卒業した私は県外への就職試験を受けました。この時、女房殿は・・「やれやれ^_^;」と思ったらしいんです。事実。実は、これでやっとやっかいな私が遠くへ行って別れることができると、ホットしたというのです。後日談で聞くには大変失礼な話であります。しかし、まんざらわからんでもない・・トホホところが、私は再び彼女のもとに帰ってきたのです。なんのことはない、就職試験に落っこちたのですから。いやひょっとしたら別れたくなくて、わざと落っこちたのかもしれません。これで彼女は運の尽き・・野良犬に一度餌を与えたら、すっかりなついてしまったという訳です。まあ、これも人生。私は勿論、天の助けだったです。(^^♪その後就職した私は黙々と働きました。2度目に就職した卸売市場では、朝早くから夜遅くまで頑張りました。当時は、毎年大晦日の紅白歌合戦はまだ配達中の車のなかで聴いておりました。で、この当時交際中の今の女房殿にクリスマスプレゼントしたのが、なんと「しば漬」!?だったらしい。それも2キロ入りの業務用。彼女の自宅に持って行ったのです。両親にも気に入られようという魂胆があったのかもしれまっせん。(^^♪だって私は市場の乾物・漬物などの食料品卸の会社に勤めていたんですから・・それもありえること。相変わらず貧乏で、洒落た男女の付き合いなどに経験不足で、尚且つ無骨な男でしたから。当時としてはよく考え付いた私の精一杯のプレゼントだったのでしょう。なかなか実用的でいいでしょう?そんな昔話を昨日のイブに、二人で食事しながら会話しました。おそまつ。来年は思い切り上等のプレゼントを用意してあげましょう。
2004年12月25日
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もうすぐクリスマスですね。私の子供の頃にもクリスマスで賑わったのか。記憶にはありません。先日あの笑い番組で今ブレイク中の“ひろし”が爆笑ネタを言っていました。・・「私が子供の頃、クリスマスの日に枕元に靴下置いていたら、 朝、その靴下を母親が洗濯しとったとです・・ とっても悲しかったとです」・・私は学生の頃、キャバレーやクラブでバイトしていました。ウェイターやドアボーイです。客がまだチップをくれていた懐かしき良き時代です。・・丁度12月の今時分。私はお店の指示で、駅前から商店街へ通じる、大きなアーケードの中央で、真っ赤なサンタの格好して、お店の宣伝チラシを、通り行く人々へ手渡していたとです。まだうら若き二十歳の青年だった私は、とても恥ずかしく思いながらもせっせと仕事したとです。もう顔は真っ赤かだったです。けど衣装も真っ赤だったから、顔の赤さが目立たんで良かったとです。実は私の本名もヒロシというとです。・・さっき湯船につかりながら、今日の日記ネタ考えたとです。(^^♪ちょっとこけたかもしれんとです。^_^;
2004年12月14日
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えっ!もう週末?て感じです。昼から業界での会議で3時間半拘束されました。定期的にやっているこの会議はいろんな問題点解決がままならず本当に疲れます。しかしながらこの委員会のメンバーの皆さんは自分の貴重な時間を割いて多くの会員の為に本当によく頑張っています。さて、この私の日記ですが、始めた当初はいろんな方達とのコミュニケーションを持つことと、自社HPにおけるひとつのコミュニケーション活動としての役割を果たせればと考えていました。自社HPからもこの楽天日記にリンクさせています。ですから極力仕事に関連したものを書いていくつもりでした。現在会社のHPをリニューアル中で、目的は当社の方向性のカラーをきちっと出し、顧客層の絞り込みをして・・・と考えていたました。ところが2ヶ月経過してみるとほとんど個人の内容でうまっています。おまけにややサービス精神旺盛(?)なとこと、お笑い系な要素も持ち合わせているために、ついはちゃめちゃ日記になりつつあります。先日も社員が、「変なお客さんばかり集まってくるかもしれませんね」と冗談いっておりました。しかしこれはこれでいいでしょう。自社HPにはもうひとつ仕事の日記帳でも作りましょう。さあ、本題。いつも前段が長いですね。芸能人不思議発見ですが、この方達はまさにびっくりな方達だと思います。なにしろ何十年も歳取らない人達なのですから。時間が止まった状態なのです。先ず、先代市川染五郎(今松本幸四郎)今の染五郎と松たか子のパパ。この人大昔、歌手の時代がありました。私が子供の頃、「野バラ咲く路」という曲が大ヒット。加山雄三の曲が人気の頃です。テレビに出て歌っているときはファンがわいわい。人気度は今の染ちゃんと大違いです。ずっと男らしくて精悍な顔つきでした。この曲いい歌でした。確か当時、化粧品のCMにも登場していました。で、この人今の感じと当時何十年前とほとんど変化なしです。現在なんと62歳?もうびっくりです。この曲シンプルでいいですよ。私の好きな一曲です。メロディ聴けますから是非どうぞ↓市川染五郎野バラ咲く路お次は、この方、尾藤イサオさん。この方は超大昔から歌っています。そして髪型・体型・キャラが全く昔のまま。大いに不思議です。(@_@;)プロフィール見たら、1952年となっていました。えっ1952年生まれ?と思ってよくよく見てみると、1952年に誰それに”内弟子”とあります。おいおいまだその前があるのかよ・・みんなすごいわ。すごすぎる。日本版エルビスプレスリーで出てきた人ですよ。尾藤イサオ最期に田村正和。この人も60歳超えています。いまだに「え~っ田村です」やっています。何十年も。すごいですね。まだまだ不思議発見は沢山ありそうです。機会がありましたら再び書きましょう。-----------------------------------------------------でもいつまでも現役で頑張っている人は素晴らしいです。E.YAZAWAも55歳でロックやっています。皆さんも若いうちから年寄りくさくならなように(^^♪本日のネタ。自分では楽しませようと頑張ったつもりでしたが、時代ギャップがありすぎて、どうもカスったような気がしないでもありません。トホホ(#^.^#)17日(日)はよびりん学校in福岡 第二期三回目です。だれでも参加できる接近戦勉強会です。私も参加します。よびりん人生大学
2004年10月15日
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当社の謳い文句は“お客様ご相談窓口24時間365日対応”なにをそんなにあくせく仕事して・・かっこばかりつけおって。実のところ夜には電話口に出ないだろう・・と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、本当にそう実行しております。とりあえず。今年は、あらゆるお客様からの相談を引き受ける。という我社と私のスタンスでいこうと誓っているのです。何かしらの変化と方向性を掴み取ろうと思っているわけです。難題、課題をもらったなかで勉強させてもらうことができる。そのようなことで、夜中も実際に会社からの私の転送携帯の電源を入れっぱなしにしています。最初の内は、夜中まで電源入れておかなくても・・適当なところで切ろうか、と考えたこともありましたが、結局思い切ってしまったら、あとは全く気にならなくなりました。まあ、夜中に「もしもし、土地を売りたいんですが、相談に乗ってもらえます?」てなことにはまずなりません。今年一杯は前向きな気持ち気持ちでいきます。ところで、今年最初の真夜中に掛かってきたのは、友人でした。「なんだ今ごろ」「いや、本当に名刺に書いてあったように24時間365日対応かと思って・・」そんなところです。たまに熟睡時にワン切コールらしきのが掛かるくらいです。日々、お客様に頼りにされるように頑張ろうと思っているだけです。なんでもお気軽にご相談くださいと、気持ちだけは。ところで本題。電話で一番困るのが間違い電話。これはコンスタントに月に10回は掛かってきます。会社立ち上げて11年になりますが、最初からそれはありました。何故かと言いますと、当社と警察の番号が酷似しているのです。○○○-0110 ⇒この地区の警察番号。しかも所轄管内での番号はどこも頭の3桁は違っても後の4桁は0110なのです。当社は○○○-1010。(いい番号でしょ(^^))これもお客さまのお陰です。随分前に取引したお客様が、独立するときに祝いとして頑張っていただいたのです。余談はさておき、上記は普通だったら間違うことないと思うのですが、そもそも警察にTELするときなんて、蕎麦屋に蕎麦の出前注文するのと違って、およそ緊急、慌てているときですよね。それで番号間違えて掛けてくるのです。「ああっあの、今車ぶっつけられたんですけど・・」などに始まり「警察ですか?子供が麻薬しとるんです。困ってるんです」「え~防犯課の○○刑事おります?以前世話になった○○ですが・・」その他いろいろ。なかには「拳銃をどうしたこうした云々」といったものまで。大変迷惑です。以上はほんとの話ですよ。一応当社はサービス業ですから、無難に応対します。毎度のことでうんざりしながらも。「あの、当社は警察ではありません・お間違えのようですよ」☆「え!?そんなことはない。私警察に電話しとるんよ」「いえ番号似ていますが私どもは違います」☆「じゃあんたとこどこ?」「どこって言われても・・(しぶしぶ)○○業です。」☆「え~っ!(+_+)そんなことない。こっちはちゃんと○○○-0110かけととるが!」「だからそれが違うっていうんです!」←内心の叫び「あのですね掛け方間違っていますよ。落ち着いて掛けてください」☆「じゃ警察は何番なんね!」「だから今の番号でいいんです~!」「もう切りますよ!」ざっとこんな調子です。度々。そう、思い出した。ある時は、電話番号違うちゅうのに、相手が逆切れして☆「だったらどこか番号ちゃんと教え~!(>__
2004年10月13日
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先日のアメリカン航空119便の二人が新婚旅行から帰ってきた。お土産はやはり本場”泡盛”だった。しかも5年もの。(5年ってほとんど普通?・・)朝出社した彼女に「おっ久し振り!」「居ない間大変だったんだから」「先日の台風でエアコン壊れて・・送風にしかならないのよ」「何でも基板が壊れて、部品入るまで事務所のなかサウナ状態。汗だらだらで仕事しとったんよ・・」119便の人。「まあまあ、南国雰囲気でよかったじゃないですか。私も沖縄南国でスキューバーダイビング楽しんできましたよ・・楽しかった~」(@_@;)なんやかで休み明けの会社は始まった。今日は帰ったら泡盛で一杯やるか。とりあえずお土産、置物でなくてよかったよかった・・
2004年09月14日
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明日から三日間、当社の女性スタッフが新婚旅行休暇をとっている。7月に式を挙げたので遅ればせながらの新婚旅行である。昨年のいつ頃だったのか、いい人と交際していますと初めて聞いたのは。その後、傍で見るからにも楽しそうな日々は流れ、今年初めには二人して我が家にも来てくれた。楽しく酒を酌み交わしながらウン、ウンとうなずく私。相手もいい奴で良かった 良かった。・・しかしこの二人底なしの酒好きだな・・と感心しながらも、いいカップルではないかと、こちらの気持ちも昂揚して気付くと周りは缶ビールの山。ほろ酔いながらも・・しかしこいつら、とどまるところをしらんな・・と改めて感心する。その後、順調に過ぎて、都合により式が後になったがめでたく7月に挙式。私も一応スピーチをしたが、私の友人もかけつけ祝いの獅子舞をしてくれるなど、二人の友人も大勢の、賑やかでとてもハッピーな結婚式だった。しかし、当人達が遠慮なく飲みっぱなしの挙式なんて見たこと無い。まあいいか、皆がハッピーであればと、ここでも妙に納得。明日は福岡空港から8時過ぎの便で沖縄に行くと言っていた。「俺は何時までに集合したらよい?」と冗談言ったら「8時30分発のアメリカン航空、119便です」と訳解らぬことをぬかしていた。私の見る限り、一般より1.5倍以上の業務遂行能力あるスタッフだから欠けると大変だが、その点はきちっと今日も遅くまで責任果たして、「じゃ行って来ます」と、私にもきっちり仕事の言い置きして帰っていった。帰り際にBOSSは少しばかりかっこよく、「ゆっくり楽しんでこいよ」と封筒に入れた寸志を渡してあげた。「土産、泡盛でいいですか?ちょっと重たいけど・・」と言いながら元気よく帰っていった。まあ、二人で楽しんでおいで、置物の土産だけはやめといてね。
2004年09月10日
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昨日の「とんだ勘違いpart1.2」は巷でとても受けたようです。いつかpart3があるかもしれません。私は硬軟両方の性格があるため、ときどきいたずらの虫が騒ぐと、ハチャメチャ日記を書くことがあります。その点ご了承ください。昨日も日記を見ている友人が、もっと弾けたほうがいいよ。と応援してくれたものですからつい。まあ、楽しいときも悲しいときも、皆、真実の人生の波間を精一杯、誠実に泳ぎきりましょう。さて本日もちょっと変なお話。かれこれ10年以上も前の事です。当時勤めていた会社の社内旅行で北海道に行った、その復路の飛行機の機内での出来事。出来事ってことでもないんですが、私には大いなる出来事でした。楽しい旅行の思い出を残し、機上の人となった私の席は、丁度真ん中辺りでした。福岡への数時間は、札幌、富良野と、北の大地での思い出とともにリラックスした束の間の時となるはずでした。やがて飛び立ったジャンボ機はその機体を水平飛行に安定させました。サインとアナウンスとともに私は腰のベルトを緩め、さあゆっくりこれから窓外の雲の間に見える地上下の景色でも眺めようか・・と思った矢先?いや今一度考えてみるといつだったのか。しばらく乗客に対して機内サービスをした後の休憩のときか。否そんなことはない。やはり離着陸の間なのか・・もう確実に思い出せもしないほど私はパニクっていたのだ。いつどのような時だったのか、それは今となってはどうでもいいこと。事実だったのは、あの非常に長いとても窮屈な時間が私に襲い掛かった。私の憧れの美しきスッチーは、そのとき広々とした機の真ん中のスペースの椅子に腰掛けたのだ。しかもこちら向きで向かい合わせ状態で私の真正面。そうだここはひょっとしたら乗務員の退避場所?しかも、しかもなんと二人だ。当然、にこやかにこちらを見て笑みを目一杯よこしている。仕事とはいえ、寸分の隙もない完璧なANAの微笑み。(^。^)(^。^)かくいう私は(*_*)(*_*)スチュワーデスといえばスッチー。スッチーといえばスチュワーデス。私としては憧れの憧れ。飛行機に乗るときは、必ず、いつもの平静を装い、何気ない顔して、その美しい方達をチラッと見やるのが楽しみ。あのカチッとした格好がたまらなく好きなのだ。しかし、今回はまいった!まさかのまさか 先ほどまで機内の真中に陣取って、そこだけ広いスペースがあるものだから、足投げ出して、いい気分だったのに。・・心臓もうバクバク。目線をどこに持っていったらよいやら。たまらず一旦目をつむる。しばらくしてそ~っと目を開けてみる。(^o^)丿(^o^)丿あ~っ!目の前の二人のスッチーは、やはりまだANAスマイルでいる!彼女たちは絶対よそ見をしないんだ。まっすぐ微笑返しが訓練されているのだ。このスマイルに終わりはない。もうたまらん。息が止まりそう。心拍停止寸前!頭のなかはダッチロール状態でふらふら。仕方なくまた硬く目をつむる。しかし、つむった私の瞼の奥で眼球がグルグル回っている。冷静に冷静にと思うのと裏腹に動作がぎごちなくなっていくのが自分でもわかる。もうここから飛び降りたい気分・・それはなが~い なが~い時間でした。飛行機を降りたときは汗びっしょり。脱力感でくたくた。皆さんはこんな経験ないですか?あるわけないですね。あったらもうけもの。即話し掛けますよね。もしこれが前に叶姉妹だったら・・おそらくその場で気絶していたかもしれない。その後、搭乗時における私は必ずまず一番に自分の席に注意するよう心がけています。しかし、相変わらずスッチーは好きです。平静を装い、チラッと見ながら満足しております。3日間くだらないお話をしましたので、明日からまた本来の自分に。いえいえどちらも同じ自分です。
2004年09月03日
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(part1の続きです。)あくる日のことです。朝一番にけたたましく会社の電話が鳴り、事務員さんから引き継いだ電話の向こうでいきなり「こりゃ~あっ!おんどりゃ、なにしとんじゃ!わしの家に!」「・・・(@_@;)×▲♯・・」「どうなるかわかろうの~!」※字を大きくしたり色をつけたりは面倒なので最初の文字をイメージしてください。あきらかにその筋のお方。いや~っもう参りました。あちゃ~っ。やってしまったかな。もう冷や汗。相手は今にも受話器が真っ二つに裂けてしまいそうな剣幕でまくし立てています。事務所の私が電話を取っているその近くには、例の部下達もいます。皆がいなければもう私は「すみませ~ん!!」と即、平身低頭で謝っていたことでしょう。しかし、そのような状態でも、一応平静を装い、「えっ?どういうことでしょうか?私は地主さんに何度も確認の上でしております。おかしいですね・・」内心は”えらいこっちゃ、どうしょうどうしょう(@_@;)。「うるさいごちゃごちゃいうな!はよ来んかい! わかっちょるんか!」もう収拾つかない状態です。私、相変わらず一応ドキドキしながらも平静振りで「しょうがない、一旦撤去するか」早速部下に命じ、先に看板は撤去することにしました。もう泣きたい気分。ど~んと落ち込みました。しかし、これからが大変。逃げることはできません。私は覚悟をきめ、一人で菓子箱持ってそのお宅に出向いたのです。玄関を入るとその筋のお方は、上がりかまちの所で仁王立ちで待っていました。そこでの状況はとても生きた心地がしませんでした。さっきの(@_@;)の何倍もの感じでした。とても長く感じました。運良く 本当によく許してくれたなって感じでした。無事生還いたしました。しかしあの時の地主さんの言葉を鵜呑みにした私の不覚。考えてみれば地主さんとの会話は酒の席でした。酒の席での会話に要注意。その事件の話をしたらその地主さん「あっそうだった?申し訳なかったね」その後、こんな勘違いはしておりません。何事も確認が大事というお話でした。
2004年09月02日
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随分前のお話です。私がこの業界に入り、売買実務経験を積み始めて間もない頃でした。ある地主さんから自社地を駐車場にするから、お宅で管理の看板をあげて募集をして欲しいとの依頼を受けたのです。数日中に私は、看板設置のため、入社したばかりの若手社員を引き連れ現地に行きました。現地のその土地は、スペース上、立て看板にすることはできず、土地を囲んだ境界線上のブロック塀に取り付けることになりました。新たな管理物件の取得ということで、意気揚々に現地に着いた私は、部下とともに早速取り付けに掛かりました。幅90センチ縦60センチの小振りの木枠のトタン看板を、ブロックにちょいと補助穴をドリルで開け、コンクリートブロック用の釘で四隅を打ちつけて固定するのです。ドリルで穴を開け、そして後輩に支えてもらった看板にハンマーの様な大き目の金槌でどんどこ音を立ててやっておりました。さすがにブロック塀は揺らいでおりました。その内、その壁隣のお家から奥さんらしき方が出てこられました。その方はものすごい形相で、「あんたら何ばしょっと!それうちの塀やろっ!はよやめ!」えっ?今の状況、何がなんだわかりません。私、「奥さん、これ地主さんの塀ですよ。先日きちっと私、確認しましたから」「誰がそんなこと言ったんね。たいがいにせんと!」看板は2箇所の釘の打ち込みが終わり、3箇所目の半ほどまで釘は食い込んでおりました。今更抜くのも大変です。ちらっと、あの時の地主さんとの会話を思い起こしてみました。・・いや間違いありません。「ブロックは全部うちのものだからどこでも構わんよ・・」再度、胸の内で確信した私は「いや奥さん間違いありません」そして作業続行。「あんたらどうなってもしらんけね!」・・現地にはぴかぴかの”月極駐車場”の文字が。無事作業完了した私達は、汗を拭き拭き帰路につきました。それから事件は起こりました。
2004年09月01日
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ある友人との会話のなかで、共通の友人である○○さんがFOMAを持っているということが判明。私は先般から課題となっている、”2度目のTY電話”のことが即、頭に浮かび、その場でその友人に電話しました、もちろん忘れることなくTVモードで。呼び出し音とともに、キャッチされ、相手の声が聞こえてきました。しかし、電話には熊が踊っている画面が映っています。えっ!これって待ち受け画面?その内こちらの画像は相手に届いているらしく、向こうで笑っています。こちらの画面には、人をおちょくるように相変わらず熊が動き回っています。これってもしかしたら本人の似顔絵?そういえば似ているような気もする・・!?そうこうしている内に、こちらにもやっと相手の画像が出てきました。しかしなんだかやりにくい。画像を映そうとすると声が遠のく・・しっかり話そうとすると、画像がうまく映らない・・あっ!そうだハンズフリーというやつがあるはずだ!探せどわからん えいFOMAは本当に使いづらい。と機械のせいに。訊くところによると、友人も最近FOMAを買ったばかりで今日が初めてのTV電話だとか。こんな場合には、まず解説書をじっくり読むべし。あまりにも進歩のない、実にくだらん2回目のTV電話体験でした。暑い日にこんなバカバカしいお話ですみません。
2004年08月09日
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楽天日記開設後19日が経った。毎日続けることに意義(?)がある。なのに早くも頓挫寸前。危うし。本日は、トランプのジョーカー的、困った時の切り札でいこう。ある不動産営業マンのちょっと恥ずかしいお話。今から十数年前のある日の事。その実直で真面目そうな(否本当に真面目?)営業マンは、商談のためあるお宅を訪問していた。おじゃまして、さあ今日は決めるぞと気合十分。物件についてやローンについてや説明することしばらく。おや なんだか調子が。お腹の具合がいまいち状態。そういえば会社を出るときにいやな感じだったな・・と、つい会話の合間合間にこの先の状況不安が頭をよぎる。内気な営業マンはとてもお客様のお宅でトイレを貸して欲しいとはいえません。ましてや(大)など。けれどここは大事な場面。しばらく踏ん張り時、とむりやり気を散らしながらも商談。しばしお腹の調子は、心電図計のグラフのように時折上昇したり、収まったりを繰り返していたが、やがていよいよその間隔が短くなってきた。もう営業マンの頭の中は真っ白。大事な商談などもうどうでもよい状態。額には冷や汗。あ~っもう死んでしまう!ついに営業マンは恥を忍んでお客様に告げました。「申し訳ありません。ちょっとトイレを貸していただけますか」その真面目そうな営業マン。動作は落ち着きを見せながらも気持ちはトイレにすっ飛んで行きました。あ~っ落ち着いた!今までの緊張が一気に取り払われしばし快感。ところがそこでまた大ピンチに遭遇!当時はまだ携帯がありませんでした。ほとんどの営業マンは会社との連絡をポケベルというやつでしておりました。ポケベルというのは、名刺サイズ位でやや厚みと重みをも持ち合わせた代物で、胸ポケットにクリップで留めるか、専用ケースに入れベルトに通して固定させ使用していました。営業マンはベルト利用タイプでした。この後どうなったかもうおわかりでしょう。営業マンはトイレに飛び込み用を足して緊張感が途切れていたのか、ポケベルのことなど全然忘れておりました。ベルトを戻そうとした瞬間に、黒のポケベルはすっとベルトを滑り落ちていきました。そこのお宅は農村地帯で水洗化されておりませんでした。暗闇に吸い込まれていったポケベル。その営業マンの頭は再びパニック状態!人間いろいろな状況下にあって、即断しなければいけないことが多々あります。その時も、彼の脳裏にはいろんなことがショートしていました。「あっどうしよう。どうしよう。かっこ悪いな・・このまま知らん振りしておこうかな・・・・・・・・・」とりあえず営業マンは何食わぬ顔でお客さん待つ商談の場である和室間へ。すっきり感は味わいながらもやはり頭の中は真っ白。相変わらずショートしています。「・・いや~ このまましていても、会社から呼び出しがかかったら、あの暗闇で鳴ってしまうな・・だったら結局ばれてしまう・・」「スイッチ"切"にしておけばよかったな・・」数分。いや実に長く感じた間をおいて、観念した営業マンはそのお客様に事実を告げたのです。けれど、その方はとても親切な方でした。「あっそう それ取ってあげよう」と言ってトイレの裏に回り、鉄製の汲み取り蓋を開けるや、火バサミで取ってくれたのです。幸いそのポケベルの落下地点がよかったのか、よごれておらず、それを簡単に拭いてビニール袋に収めて返してくれたのです。とても親切な方でした。その後ほっとした営業マンとお客様はなんとなくうちとけ、商談もスムースに。えっ?そのポケベルどうしたか?ってポケベルはリースでした。その営業マン。会社に持ち帰ったポケベルを指先で摘みながらビニールから出すと雑巾で丁寧に拭いて、「この機種チョッと良くないので取り替えてくれる?」と言って事務員さんにNTTまで行って取り替えてもらいました。その後、そのポケベルの消息はわかりません。月日は流れ、そのときの営業マンは、その後独立し、経験を重ねながら今も不動産業界で頑張っています。つい最近は楽天日記なるものもつけ始めたらしい。・・この日記が早くはるか彼方に遠ざかるように・・
2004年08月05日
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夕方まで降っていた雨もなんとか止み、今年初めてのビアガーデンに行ってきた。その場所の周辺には、いくつかのビアガーデンがあるが、そのなかでもそこは一番古いものになり、私も10数年振り。規模も小さくぱっとしないそのビアガーデン。その日は外人のオーナーらしき人物とバイトの従業員が3人程で切り盛りしていた。月曜日ということもあってか、客も3グループで40人程。その内我々のグループが半数を占める有様。ビルの隣の地元デーパートの屋上では、昨年オープンした、バドガールのいるビアガーデンが盛況らしい。がまだ私は行ったことがない。やや盛り上がりに欠けながら、乾杯!このビルは、ある映画会社が全国各地に自社上映館と商業テナントを併設させた形態で、当時の映画華やかりしころに全国各地にできたものの一つである。しかし、老齢なこのビル。数年後には取り壊され新しい商業施設として生まれ変わる予定である。この地の一等地の交差点に位置する、しかし当時からおそらくほとんど手入れされていないこの屋上ビアガーデンにて、飾りはこれだけの、吊るされた裸電球と寂しげにスピーカーから鳴っているミュージックもまた良しでやがてほろ酔い気分。2時間の終了時刻も迫る頃、一気にまた雨が。皆、慌てて通路の、これまたくたびれたエレベータ前に席を移して再度飲み直し。しかしながら月曜サービス料金2500円で、まずまずの酔いの夜でした。
2004年08月02日
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夕方6時に突然、「お宅の物件を見せて欲しい」と業者さんから電話有り。そのお客様はなんでも外人さんで、「趣のある日本家屋が好き」とのこと。「丁度、今度売り出される物件にいいのがあります・・」と、その業者さんから当社に問い合わせがあったのである。その物件は、関西に居住の売主様から、親御さんが亡くなられ、自分も帰ることもなく、不要なので売却したいとの依頼を受けたばかり。市外にあるこの物件は、築不詳。しかしH3年に増改築していて、和風の庭もよく手入れされて、門構えもそれなりの、確かに趣のある木造平屋である。程度も良好。しかも、亡くなった売主様のお母さんがお茶をしていたらしく、室内の随所にこれまた和風の香りがプンプンするのである。一足先に現地に着いて待つこと15分。その外人さん御一行。真っ赤なムスタングで現れました。フロントグリルには星条旗のステッカーらしきものが。うん~ やはり日本車の方がいいと思うけどな・・と思いつつ挨拶もそこそこに御両親(お母さんは日本の方)と息子さんとその子供たちの5人様は、掘り出し物を見つけたかのように、屋内に入るなり、感心しきりであちこちご覧になっている。おっ!ひょっと見ると玄関口には、きちっと全員の履物は、向きを反して揃えられている。嬉しいな。躾いいな。最近はよく案内中、家の中を平気で子供がどたばた走り回っているのを注意もしない親が多い中、感心ではないか。日本人以上に日本的?このお家。なんせ増築した部分は新しくても、奥の築不詳部分は、雨戸も昔の木の雨戸。ガタゴトいわせながら、懸命に開けようとしているそれをも、興味深そうにご覧になっていた。なんだかいい感触。ご覧になること30分。汗だらだらの暑いなか、どうなるかわからないけど、とりあえずこんなに喜んでくれてサンキューの案内でした。
2004年07月26日
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