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2002年08月16日
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 ̄O ̄)ノ オハー 

Oo。。(_ _))ヽ(^^ )ネルナー
頭がボーッφ(‘‘)_ っとしちゃって
何を書こうか(’’;)ウーン

昨日、終戦記念日だということで、
ボクチンσ(・・。)一族の戦争体験ばなしでもしましょうか。
そう言っても、亡くなったボクチンσ(・・。)の祖父母や父から聞いた
うろ覚えのお話しなので

ご了承下さい( ^.^)( -.-)( _ _)

ボクチンσ(・・。)のルーツは島根県らしく、
そこから曽祖父が家族で樺太(現在のサハリン)に移住。
その時期どのような暮らしをしていたのかは不明ですが、
祖父の代には、雑貨屋&氷屋を手広くやっていたらしい。
戦争中、祖父は徴兵の身体検査で落とされ
幸いにも戦場には出ず、
順調に家業のお店を続けていたらしいのだが、
終戦まじかになり旧ソ連が参戦。
樺太に上陸し、あっという間に占領されてしまった。

本土に戻ることも出来ず、いわゆる抑留である。

旧ソ連軍の兵舎用のベットを作らされたりした。
といっても、自宅兼お店であるウチで制作して、
それを馬車で軍におさめに行くのである。
時間が遅くなって暗くなると、
あぶないからと護衛を付けて送ってくれたらく

いいとこあるんだぁ~」と言っていたのを思いだす。

父はまだ小学生で、ロシア兵にパンを貰ったことがあるそうだ。
父が言うには、「露スケは黒パンばかり食うと思ってたが、
偉いやつは、白いパンを食ってるんだよ。」だそうだ。

くわしい話は、今度、父に会ったときに聞いてみようとは思っているが
抑留生活も1年という頃、帰国してよいという許可が下り
北海道に渡る。
しかし、親戚も居ず、何のつてもない祖父一家は
山の間の狭い土地を借り、農家をやるしかなかったようだ。
父は、貧しいなか苦労して高校まで行き
町役場に就職(いわゆる地方公務員)
その後、村長の娘(四女)と結婚。
ひたすら真面目に務めあげ、
町役場定年後は、町の収入役、助役を歴任して
今年の春に引退しました。

祖母は21年前、祖父は後を追うように19年前に亡くなりました。
父は仕事一筋だったので、引退後の事が心配なのですが、
今まで、なかなかこれなかった東京に
孫でも見に時々、来て欲しいと思っています。

今日は、顔文字も少なくボクチンσ(・・。)としては、
田舎に墓参りにもいけなかったので、
供養というのには、あまりにもおこがましいですが、
そんな気持ちを込めて、
この日記を綴らせていただきました。





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最終更新日  2002年08月16日 21時04分12秒
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